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数分後、吾郎と寿也は応接室兼居間に座っていた。
向かいの椅子には、パブの前で寿也とぶつかった男と硬い表情の女が座っていた。
雰囲気と服装からして、上流階級の子女の家庭教師といった風情の女だ。
口火を切ったのは、ソフィアと名乗った女の方だった。
「夜分に申し訳ありません。急を要することでしたので、失礼を承知でお伺い致しました」
軽く頭を下げたソフィアは、隣に座って体を縮こまらせている眼鏡の男を一瞥する。
「こちらの者が落としたものを、こちらの事務所で預かって頂いているとお聞きしまして引き取りに伺いました」
「あっそ」
興味がなさそうに欠伸をした吾郎は、内ポケットに入れておいた封筒をテーブルの上に放り出した。
相変わらずの態度に寿也は僅かに顔を顰めるが、ソフィアは気にした様子もない。
頷いて封筒を開けた彼女は、小さな銀の鍵を取り出した。「実は、お二人に依頼があるのですが」
「何でしょうか」
代わりに寿也が返事をすると、吾郎が嫌そうに眉を寄せたが足を踏んで黙らせる。
ソフィアに促された男が、傍らに置いてあった箱を恭しい手つきでテーブルに置いた。
スペインの寄木細工で作られた美しい箱に銀の鍵を挿し入れると、微かな音がして箱が開く。
「これは…見事なネックレスですね」
プラチナの台にダイヤと真珠、サファイアが煌めく美しいネックレスだった。
一際目を引くのが、中央に飾られた親指の先ほどもあるサファイアだ。
「このネックレスの証人になっ て頂きたいのです」
「証人?」
「えぇ…とても大事なものなので、箱を開閉する際には必ず二人以上でという当主の命がございます。
そこで、箱に収めて私どもの屋敷の部屋に入れるまでの証人になって頂きたいのです。
勿論ご足労をお掛けする分、十分な代金はお支払します」
「だったら、そこのドジなデブでいいんじゃねぇの?」
「吾郎君…」
デブと言われた男は気分を害したように鼻を鳴らしたが、ソフィアに睨まれて肩を落とす。
「私もそうしたかったのですが…念のために」
鍵を落とすような男は信用ならない、という言外の意味に寿也達は肩を竦めた。
「別にいいけどよ…まぁ、アンタの家の不始末にもなるだろうし」
「え?」
寿也が首を傾げると、ソフィアは眉を上 げた。
「さすがは名探偵。お見通しですか」
「当たってる?ゴシップ誌も読んでおくもんだな」
「え、どういう…」
ようやく冷めた紅茶に手を付けた彼女は、苦笑して寿也の疑問に答えた。「このサファイアのネックレスは、総督閣下が婚約者の方に贈られたものです。
挙式前の晩餐会でお使いになるので、宿泊先である我が家でお預かりすることになったんです」
「あぁ…そういうことですか。となると、あなたは陣内侯爵家の方ですか?」
「はい」
インド総督の花嫁は、陣内侯爵と縁続きの血筋だと寿也も新聞で読んだことがある。
「本日、閣下直々にネックレスをお持ち頂いたのですが鍵をお忘れになっていたとのことなので、
閣下の部下であるこの方がお持ちになる予定でした 。ですが、運悪く馬車が壊れてしまったようでして」
「それで、あんなに急いで走ってたんですね」
「はぁ…」
男は困ったような顔をして項垂れた。
「でも、こちらの事務所で預かって頂いていると聞いて安心しました」
「そうですね」
「しかし…せっかくのネックレスにケチがついたもんだな」
「…否定はしませんわ」
肩を竦めたソフィアは、手に提げていた物入れの中から青いリボンと印璽を取り出した。
「これで封をしますから、確認をお願いします」
「はい」
「あぁ」
鍵を閉めた箱をリボンで縛った彼女は、これまた持参の蝋を溶かして結び目の端と背面の交差した部分に封蝋を施した。
「では、外で馬車を待たせてありますので、お願いできますか?」
「あ ぁ」頷いた彼らは、手早く身支度を整えるとソフィア達を連れて部屋を出た。
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