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寿也が目を覚ましたのは、水の中に入った感触に驚いたからだった。
「…っ!!」
驚きに声を上げようと開いた口から、大量の水が入り込んでくる。
手足を動かそうとしても、何かで拘束されているのか引っかかったように動かない。
懸命に身体を動かし、何かの拍子で頭が水から出たのか空気を感じた。
「うっ…!!」
大きく息を吸い込もうとしたとき、再び水の中に押し込まれた。
肩と頭を押さえられている感触がしているが、目隠しをされているのか相手の顔は見えなかった。
朦朧としながらも手足を動かしていると、足の拘束が緩んだ。
「…っ!!」
懸命に足に触れた壁らしきものを蹴飛ばすと、思ったより大きな衝撃があった。
二度三度と蹴飛ばしているうちに、足に力が入らなくなり意識が霞んでくる。
苦しい。
肺に残っていた最後の酸素の泡を吐き出すと、もがく指にすら力が入らない。
(…吾郎君)
脳裏に浮かんだ男の顔は、太陽のように眩しかった。
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「…っ」
水の中で意識を失ったはずの彼は、目が覚めると床の上にいた。
「おい!!寿也」
耳元で大きな声で名前を呼ばれ、何度か頬を叩かれた。
冷えた唇に温かい何かが触れ、空気を感じる。
「寿也!!」
胸を強く圧迫され、大量の水が口から吐き出された。
「ぐっ…ゴホッ」
「大丈夫か!!」
咳き込む度に水が吐き出されて、息苦しさに涙が滲む。
「…吾郎君?」
何度か瞬きを繰り返し、深く息を吸い込むと次第に意識が鮮明になってきた。
心配そうに自分を覗き込む男は、ずぶ濡れだった。
吾郎の背後にはバスタブがあり、溺れたのは部屋に備え付けの浴室だったらしい。
「どうやら大丈夫みたいだな」
深く息を吐きながら座り込んだ眉村の袖も、ぐっしょりと濡れていた。
「医者のくせに、酒を飲んで風呂に入ろうとするからだ」
呆れたような言葉に、寿也は驚いた。
「え…」
「違う」
寿也より早く否定の言葉を口にした男に、眉村は怪訝そうに片眉をあげる。
「こいつは絶対に酒を飲んで、風呂に入ることなんてねぇよ」
眉村の視線を受けて、寿也は頷く。
「とりあえず、着替えようぜ。このままじゃ、三人とも風邪をひいちまう」
吾郎の提案に賛同した眉村と薬師寺は、部屋を出て行った。
「ほら、立てるか?」
タイルの床に座り込んだままの寿也は、差し伸べられた手を取って立ち上がった。
少しバランスを崩した身体を、吾郎が慌てて抱き寄せる。
「…ありがとう」
「…」
「吾郎君…?」
腰に回された腕に力が入り、瞬きの瞬間に寿也は男に抱きしめられた。
「…無事で良かった」
「…ごめん」
深く息を吐いた吾郎は、寿也の頭に乾いた布を被せて拘束していた身体を解放する。
「ちゃんと拭けよ」
「…うん」
濡れたシャツが張り付いた背中向けて着替え始めた男を見ながら、寿也は自分の唇にそっと触れた。
「…」
吾郎の唇が触れた感触が、まだ残っているような気がした。「…それで、顔は見なかったのか?」
樫本が運んできた紅茶を飲みながら、四人は膝をつき合わせていた。
寿也が手にしているものだけは、温めた牛乳にたっぷりの蜂蜜を入れたものだ。
じんわりと広がる甘さと温かさに、安堵の息が零れる。
「うん…目隠しされてたし。ただ、二人いたような気がする」
「二人?」
「うん、多分だけど…」
「薬か何か飲まされたんだろ」
「…そうかもね」
あの強烈な眠気が、いきなり起きるとは考えにくかった。
「申し訳ありません。俺が風呂付の部屋にしたばかりに…」
薬師寺に頭を下げられて、寿也は慌てて首を振る。
「薬師寺さんのせいじゃないですよ。そもそも、どうして僕が殺されそうになるのかが分からないし」
「それは、そうですが…」
深いため息をついた男に、何と言葉を掛けたものかと視線を巡らせていると眉村と目が合った。
「あ!!」
「ん?」
突然声を上げた寿也に、三人の視線が集まる。
「指輪…」
「は?」
「形見のネックレス!!」
「あったんですか?」
目を見開いた眉村の代わりに、薬師寺が口を開いた。
「あの幽霊の絵の部屋で見つけたんですよ。お渡ししようと思って…」
椅子から立ち上がり、上着のポケットからハンカチを取り出すと中身のものを眉村に渡そうとした。
「…あれ?」
鈍い光を放っていた銀の指輪は、ポケットから消え失せていた。
「さっきまではあったのに…」
期待をさせて申し訳ない、と寿也は頭を下げる。
「それのせいかもな…」
「え?」
眉村の方に向き直った吾郎は、椅子から身を乗り出さんばかり勢いだ。
「アンタの母親の話をしてくれないか?」
「俺の?」
「そうだ。あの指輪のことを、何か聞いてないか?」
「…」
眉村は天井を睨んで、何かを思い出そうとしているようだった。
「母は俺が幼い頃に亡くなったんだが…指輪は父から貰ったものだと聞いている」
「父親は?」
「殆ど聞いたことがないな…」
「ちょっと待ってください」
探偵と眉村の遣り取りを遮って、薬師寺が立ち上がった。
「何だよ」
「それじゃ、眉村まで隠し子の可能性があるんじゃないかってことじゃないですか」
「可能性がないわけじゃねぇだろ」
「しかし」
「アンタだって、本当の子供に継いでもらいたいって言ってただろうが」
「…」薬師寺は唇を噛んで、口を噤んだ。
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