<私が私でいられる時>・13
♪ O−E−A−E−OO−、O−E−A−E−OO−……
悲しく伸びる美しい母音。
主題歌が始まる。
私は、テレビモニターを見つめた。
♪ あの時最悪のブラクラが向こうから会いにきたのは
♪ ぼくらのセキュリティはこんなにも脆弱だと笑いに来たんだ
♪ jpgだと思ってもexe偽装という真実に惑うよ
♪ 拡張子の何を信頼して開けばいい
♪ フォーマット:C(シー) フォーマット:C
♪ このネットの無数の罠の一つだと
♪ 今の僕には理解できない
♪ フォーマット:C フォーマット:C
♪ 恐れを知らない初心者のように
♪ クリックするしかない
♪ フォーマット:C……
「フォーマット:C……」
知らず知らずのうちに口ずさんでしまう音楽。
昨日よりも綺麗に歌えた、という自覚に、私は唇の端に笑みを浮かべた。
“あの人”から借りたDVDを、もう何度見ただろうか。
TVアニメ<おたくの>。
絶望的にはびこる21禁ネット犯罪と、コンピューターウイルスとに業を煮やした政府が、
「大人が都合よく利用しやすい少年少女を育成する部活動」に属さない、
パソコン好きの帰宅部生徒たちを、15人単位のチームに編成、
インターネットを使ったウイルス/ブラクラバトルに投入。
バトルに敗れたチームは全員逮捕、勝ったチームも代表選手を逮捕、
という過酷な消耗戦を強制する筋書きのアニメ。
その主題歌「フォーマット:C(シー)」の美しい旋律とあいまって、大人気を博した。
私も、“あの人”に貸してもらってから、ファンになった。
というより、“あの人”の選ぶものは、みんな、とても素敵。
私は、うっとりしながら画面に見入った。
ドアをノックする音が聞こえるまで。
「彩ちゃん、いる?」
「……いない……!」
子供のような返事が反射的にこぼれたのは、それが、期待した声ではなかったからだ。
母親のことは、今でも苦手だ。
昔よりは、ずっと身近に感じるけども。
ここ数ヶ月の生活の中で、この女(ひと)はこの人なりに、
私や<家族>のことを考えてくれていることを理解した。
でも、まだ私の部屋の中に入れる気にはなれない。
それは、この人も理解してくれていて、
「そう……。朝ごはん、出来たんだけど……」
というか細い声が返された。
私は、ちょっとつまったけど、結局昨日と同じ答えをする。
「……食べたくない……」
実際、おなかはあまり空いていなかった。
でも、そう答えてしまうのは、他にも理由がある。
義母さんに、そう返事をしたら──。
「……入るわよ」
──“あの人”が来てくれる。
ドアの鍵は閉められていない。
“あの日”、錯乱した私が三日間も篭城したせいで、ドアの鍵は外されたから。
でも、今、私は、もし鍵があっても締めようとは思わないだろう。
だって、そんなことをしたら、“あの人”が入ってこれなくなる。
そう。
「ん……おはよう……」
「おっ、おはようございますっ……!」
私は、跳ね上がるように立ち上がって、すぐに、うっとりとした。
入ってきたのは、私より、一つ年上の女の子。
私に似た、女の子。
でも、
──なんて綺麗なんだろう。
──なんて魅力的なんだろう。
「ん……。サンドイッチ持ってきたけど、食べる?」
「は、はいっ……」
義母の呼びかけを断ると、この女(ひと)が来てくれる。
手作りの卵サンドと、温かいココアと一緒に。
ベッドに並んで腰をかけて一緒に食べる。
“あの日”以来の習慣。
私の、ドキドキする、そしてキラキラする時間。
左隣に腰掛ける女(ひと)を、私はまぶしいものを見るように盗み見た。
私に似た、でも何百倍も素敵な女性。
「……ごちそうさま、でした……」
「はい。おそまつさま」
私が卵サンドを全部食べ終えたことを認めると、
<姉>は、にっこりと笑った。
「さ、学校よ、彩ちゃん。支度して」
「は、はいっ……」
私は、立ち上がって、着替えはじめた。
なるべく、きびきびと見えるように、一生懸命に。
学校に行くことは、もう、私にとって苦痛ではない。
だって……。
「ん。じゃ、いっしょに行きましょうか」
「はいっ!」
――私の<姉>。
龍ヶ崎……いいえ、石岡綾子お姉さまといっしょに歩けるんですもの。
「――彩ちゃん……さ、今度の土曜、どこか行かない?」
「あ、ごめんなさい。第三土曜は、ボランティアなんだ」
「あっ、そ、そうだったよね、ごめん、ごめん」
「うん、よかったら、別な曜日に、誘ってね」
「ええ」
たわいのない会話。
……意味のない会話。
写真週刊誌の記事は、結局、中傷的なものだとされた。
喫茶店の写真が、喫煙しているものではなかったことが、決め手となった。
パパは出版社と争い、こないだ小さな謝罪記事が載ったことで、
騒動は一区切りが付いた。
でも、私は、……それまでの私ではなくなったことを、自分でよく知っていた。
いいえ。
気が付いた、と言ったほうがいいのかな。
こうして、笑っているクラスメイトたちが、本当は全然友達でも味方でもなかったということを。
街の人たちも、TVを通じてファンだと言ってくれていた人たちも。
──“あの日”。
写真週刊誌に載った「喫煙」写真は、私の世界を変えた。
雑誌の発売日、学校の皆がいつもと違うのに気がついたのは、
二時限目と三時限目の間の休み時間だったかな。
「何、――どうしたの?」
「あ、うん……なんでもないよ……」
違和感。
いつもは争うようにして私の周りに集まってくるクラスメイトの多くが、今日は私を遠巻きにしている。
私のまわりにいた女の子たちも、一人、また一人と離れて行く。
それが、クラス中に、そして学校全体に広まったのは、昼休みだろうか。
「龍ヶ崎、……ちょっと職員室に来なさい」
担任の先生が、呼び出した先で見せられた、その見開きページ。
「<彩ちゃん>が喫煙? <ホワイトプリンセス>龍ヶ崎彩の地元でささやかれる黒い噂」
そのタイトルの元に書かれている記事の人物は、私だった。
カン・ナム・エクスプレス・カフェでぼんやりと座っている、私の写真。
私のわがまま振りを伝える「友人」のコメント。
私は、悲鳴をあげ、そして、先ほどまでのみなの反応
──あいまいな表情と、遠巻きの視線と、ひそひそ話の意味を知った。
煙草は、吸っていない。
でも、わがままは──確かな事実だった。
「彩ちゃんって、わがままなんですよね。
クラスメイトの子に夜中の二時にいきなり電話かけてきて、
明日のボランティアに参加したいから手配してって、突然命令したり、
そうかと思うと、そうして無理やり参加したボランティアも、途中で帰っちゃったり。
なんだか、お姉さんも振り回されてるみたいですよ。」
誰が、記者のインタビューに答えたのだろうか。
わからない。どうでもいい。
大曾根さんは、後で、絶対自分じゃないって泣いて言っていたけど、
誰が言ったのかなんか、どうでもよかった。
それは事実だったから。
私は──わがままなで、嫌な子。
優しい、いい子じゃない。
……ママが誉めてくれた、優しい、いい子じゃない。
その事実を突きつけられて、私の精神(こころ)は、砕けた。
そして、三日間、自分の部屋に篭城して、
──三日目に、この女(ひと)に出会った。
そう。
突然、出会った、としか言いようがないくらいに、
何年も同じ屋根の下で暮らした義姉は衝撃的な存在だった。
うん。
覚えている。
ろくにご飯も食べず、眠ることも出来なかった頭はあまり覚えていないけど、
心は、よく覚えている。
「彩ちゃん、いい加減にしなさいっ!」
……いきなり、叱られたんだ。
“あの日”職員室で倒れて気を失い、家に戻った私は、
学校にも行かず、初日以外は、両親と話をしようともしなかったけど、
最低限、トイレだけは部屋の外に出ていたから、
パパも、義母さんも、ドア越しに声をかけ、私が部屋から出てくるのを待っていた。
悩みに悩んだ末、それが一番いいと考えたのだろう。
でも、この女(ひと)は、ちがった。
叱ってくれた。私を。
ドアに耳を当て、廊下に誰もいないことを確認し、
トイレに行こうとして、私は、この人に行く手を阻まれた。
そして、叱られた。
呆然と見上げる私に、続いて頭の上から降ってきたのは、
「部屋に閉じこもっていても、何もよくならないでしょう。
お父さんが待っているわ。階下(した)に降りるわよ!」
という言葉だった。
──何がなんだか、わからなかった。
わからなかったけど、涙が出た。
ううん。
私は、わかっていたんだ。
これが、この言葉が、三日前に突然なくなってしまった「日常」だと。
写真週刊誌の記事の形をとって、私の前から突然消えてしまった「日常」から戻ってきてくれた言葉だと。
遠巻きに見詰める視線。
遠くから聞こえる声。
それは、本当は私を快く思っていなかった人間だけでなく、
私を好いていてくれている人間でも同じだった。
私を嫌いな人間は、自分が傷つくことを恐れて、
私を好きな人間は、私が傷つくことを恐れて、
どちらも、遠巻きにして吊るし上げられた女の子を囲んだ。
それは、遠ざかる「日常」。
人は、一人では「日常」を生きていけない。
なぜなら、人は群れる動物だから。
だから、私は、パパと義母さんの優しさといたわりをドア越しに感じながら、
部屋から出られなかった。
だから、私は<姉>の声を聞いて、泣き出した。
こんなに近くから、叱り付けられたから。
こんなに近くから、叱り付けてくれたから。
そして、
……私は。
……私は……。
安堵のあまりに……お漏らしを、した。
<姉>の前で。
トイレに行こうと思っていた我慢の限界。
意思の力では止められない、生理現象。
太ももをつたう、温かい感触。
フローリングの床に広がる、液体。
開放感と、脱力感と、一瞬遅れて来る激しい羞恥心――感情の波。
私は、今、自分が作り出したばかりの水溜りの上にへたり込んで、泣き出した。
「もう、いやー! みんな、嫌い! 嫌い!」
私は、金切り声をあげた。
自分の声が、誰か、もっと小さな女の子の悲鳴のように聞こえる。
先ほどの、安堵の涙ではなくて、恥ずかしさと、情けなさと、
今近づいてきてくれた「日常」が、また去っていってしまう恐怖に、
私は目をつぶって、泣き叫んだ。
──でも。
「日常」は、行ってしまわなくて。
“この人”は、そこに居てくれて。
私がお漏らしをしても、そこに居てくれていて。
「彩ちゃん……」
子供のように泣きじゃくる私に、また声をかけてくれた。
そして、“この人”は、私の上にかがみ込んで。
「……大丈夫」
と抱きしめてくれたんだ。
「……ん。これでよし。じゃ、今度は彩ちゃんの番ね……」
<姉>は、下洗いしていた私の下着とパジャマを軽く絞ると、洗濯機の中に放り込み、こちらを見た。
裸の私は、お風呂場のタイルの上で子供のように立ちすくんでいた。
本当に、小さな子供のように。
「身体、洗える?」
「あ……」
声が出ない。
また、涙が出る。
「ん……。いいよ、今は無理しなくて。洗ってあげる……」
「ふあっ……」
何か言おうとしたら、変な声が出た。
<姉>は、泣きじゃくる私を抱きしめた。
「ごめんね。もう、大丈夫」
「あ……」
その瞬間、私の頭の中にあったのは、羞恥心。
“あの日”から、三日間、お風呂に入っていない。
それに、今、お漏らしをしたばかりだ。
でも、<姉>は、黙って、私の身体を洗ってくれた。
細くて優しい指が、タオル越しに私の肌に触れる。
甘くて優しい髪の匂いが、私の鼻腔をくすぐる。
綺麗で優しい微笑が、私の瞳を釘付けにする。
ああ。
午後の優しい日差しが、バスルームの曇りガラス越しに差し込む。
Tシャツとショーツだけを身にまとって、私の身体にシャワーをかける女性の後ろから。
それは、まるで女神さまの背負う後光のようで──。
そして、私は気が付いてしまった。
この女(ひと)、石岡綾子お姉さまが、どれだけ素敵な女性だったのかを。
いいえ。
素敵な女性に変わっていたのを。
そして、その女の人は、私を、いつもの「日常」に戻してくれた。
私のために。
自分が傷つくことも、私が傷つくことも、ためらわない強さで。
それは、その時の私にただ一つ必要なもので、
私は、私に戻れた。
……そして、それ「以上の私」が「ある」ということにも、気付いてしまった。
どうして、見えなかったんだろう。
どうして、気が付かなかったんだろう。
どうして、認めなかったんだろう。
いつの間にか、変わってしまった、この女(ひと)の魅力を。
私に似ているけど、私以上の人。
私によく似ているだけど、私ができないことが出来る人。
私にそっくりだけど、優しい、いい娘な女(ひと)。
(ママ……)
死んだママが、そして、ママが私になりなさい、と言った理想の女の子。
優しい、いい娘。
それを具現化した女性が、目の前に居た。
一度、気が付いてしまうと、それは、
もうどうしようもないくらいに強く私の心を締め付けた。
(コノ女(ひと)ノヨウニ、ナリタイ)
それは、理想の私。
私がなりえる可能性のある中で、一番良い私。
ママのような、私。
パパが一番大好きだったママのような、素敵な私
今の私に出来なくて、でも、いつかならなきゃならない私。
私のあるべき姿の、私。
そう。
それは、写真の中でしか会えないママよりもずっと身近に、もっと身近に居た。
私と一歳しか違わない、私と同じ高校生の女の子の中に。
……だから、私は……。
「彩ちゃん……」
「は、はいっ!」
いつの間にか、つまらない授業は終わりになっていたらしい。
放課後の教室で、私は、お姉さまが隣に立っているのに気が付いた。
慌てて立ち上がる。
「ん。……あのね、悪いけど、今日、先に帰ってね」
「え……」
お姉さまは、照れたように微笑んだ。
「あ……お兄さまのところに……行くんですか……」
「う、うん、ちょっとね……。夜には戻るから」
「そう……ですか……」
「ごめんね、夕飯は私が作るから……」
「……大丈夫……です。私が作っておきますから、八時くらいまで、大丈夫ですよ……」
“あの日”以来、龍ヶ崎家の中心は、綾子お姉さまになった。
家事などは、私もずいぶん手伝い始めたけど、そういうものではなく、
龍ヶ崎家の<主婦>は、お姉さまだ。
そして、その信頼感から、一時期禁じられていたお兄さまとの逢瀬も、黙認されるようになった。
今日のように、学校帰りにお兄さまの家に行くことも。
「あ、ありがとう!」
お姉さまは、嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「……」
私は、その笑顔に呆けたように見とれ、それが大きなバッグを担いで去って行くのを見詰めた。
そして、がっくりと、肩を落とした。
……お姉さまには、恋人がいる。
私も知っている人だ。
新治お兄さま。
お姉さまと同じ、石岡と言う苗字の、男の人。
お姉さまにふさわしい、素敵な男の人。
綾子お姉さまは、新治お兄さまに出会って、変わった。
私と、そんなに違わなかったはずの女の子が、理想の女性に変わった。
──私と、どこが違うのだろう。
──私と、何が違うのだろう。
わからない。
答えの出ない自問は、一人で帰宅しても終わらなかった。
♪ ぴ、ぴ、ピラルクー、ぴっくるんるん
♪ ぴ、ぴ、ピラルクー、ぴっくるんるん
TV画面に、<恋のぴくる伝説>が流れるのを、ぼんやりと眺める。
朝起き掛けに見ていた<おたくの>と同じく、お姉さまから借りたDVDだ。
つまり、もとは、お兄さまの。
お姉さまが、お兄さまのことをもっと知りたいように、
私も、お姉さまのことをもっとよく知りたい。
だから、私は、お姉さまに近付き、同じものを同じように見て、
同じものを同じようにしている。
だけど。
お姉さまは、もっともっと、ずっとずっと魅力的になって行く。
私が、真似しても、真似しても、追いつかないくらいに。
それは、お兄さまがいるから。
綾子お姉さまは、新治お兄さまと二人で、どんどん成長している。
それは、私だけが知っていることではない。
最近は、皆が、認めていることだ。
お姉さまが、素敵な女性だということは、もう学校の皆が言っている。
お兄さまも、そう。
お姉さまは、前よりも、ずっとずっと綺麗に、美しく。
お兄さまは、前よりも、ずっとずっと格好良く、逞しく。
二人は、並んで歩きながら、寄り添いながら、重なり合いながら、お互いを高めている。
そして、私は、私だけは、取り残される。
二人をまぶしく見つめるだけの、龍ヶ崎彩は。
……私は、身震いをした。
ああ。
今、耳から聞こえる音楽は、お姉さまの携帯の着信音だった。
お姉さまの、一番大事な人からの電話を告げる音。
それを聞いたときのお姉さまの笑顔を思い出して、私は涙を流した。
なぜだろう。
どうしてだろう。
私は、お姉さまみたいになれないのだろう。
私は、理想の私になれないのだろう。
──答えは、分かっている。
私には、新治お兄さまがいないから。
お兄さまのような、人がいないから。
お姉さまは、お兄さまと愛し合い、心と身体を重ねることで成長している。
今日も。
お姉さまが、肩に担いでいたバッグ。
それは、昔の罪深い私が担がせていた私の荷物ではない。
入っているのは、衣装。
お兄さまの好きな、お姉さまの服。
巫女服だろうか、ゴスロリだろうか、もっと他の服だろうか。
お姉さまは、それを着て、お兄さまとセックスする。
今、お姉さまは、きっとお兄さまの下で、あられもない声をあげている。
大好きな人と交わって、自分を高めている。
今でさえ、私の理想を具現化しているのに、もっと、もっと高く、遠くへ。
「――!!」
私は、目をつぶり、耳を塞いだ。
<恋のピラルク伝説>から。
だけど、脳裏に焼きついたその音は、消えてくれない。
お姉さまの嬌声も。
──お姉さまは、お兄さまと会えない日は、オナニーをする。
お兄さまと電話で話しながら。
お姉さまの部屋の前で、ドア越しに漏れ聞こえるその声を聞きながら、私は何度も自慰をした。
私の理想の女性が、まさにその女性を生々しく解放する瞬間を聞きながら。
自分がいつかなりたい、成熟した牝の声を聞きながら、何度も達し、そして泣いた。
あの女(ひと)になれない、自分に。
私になれない、私に。
「……」
いつの間にか、DVDは終わっていた。
白い画面をぼんやりと見つめ、私はのろのろと立ち上がった。
身体の芯が熱い。
自分の性器が淫らな蜜を吐いているのを自覚した。
「ショーツ、洗わなきゃ……」
自分の言葉に、何をすればいいか思い出して、階下に行く。
洗濯物は、もう一人で出来るようになった。
お姉さまのやっていたこと、ママがやっていたこと。
ちょっと前までできなかった、やらなかったことが、どれだけ大事なことか、
今の私には悲しいくらいに理解できていた。
ショーツを脱いで、お風呂で下洗いをする。
洗濯籠の中のものと一緒に洗濯機に入れようとして、私は動きを止めた。
洗い物の中にある、薄いブルーのショーツと、ブラジャー。
私の物でも、義母のものでもない。
綾子お姉さまの、下着。
私は、震える指でそれを手に取った。
甘やかな、若い、だけど十分に成熟した牝の匂い。
「――!」
脱いだままの下半身の中心が熱く蕩ける。
「ん……お姉さまぁ……」
理想の女性の下着で、私は何度も自慰に耽った。
お姉さまが、こっそり持ち帰ったお兄さまの下着で自慰をしているときと同じくらいに、狂おしく。
指を自分の女性器に伸ばしかけて、私は、不意に目を見開いた。
天恵のように、脳裏に走った衝動。
「お姉さまの下着……私がつけたら……」
ごくり、と喉が鳴るのを私は止められなかった。
洗濯前の、お姉さまが昨日身に付けていたショーツを履くのも。
一回り以上大きなサイズのブラジャーを付けるのも。
そして、理想の女性の下着を身に付けた私の身体を、さらなる「天恵」が稲妻のように貫いた。
(三次元の女の子は、二次元の女の子に勝てない……)
(おっぱいも、お尻も厚みのない萌え少女に……)
(……だったら、どうする?)
(なっちゃえばいいじゃん! 萌え少女に!!)
アニメ<ノース・ドラゴン>のヒロインの一人、
<魔法のコスプレイヤー・工藤建子>の決めセリフ。
やっぱりお姉さまから借りて、見ていたその言葉は、突然に私を襲った。
そうだ。
なっちゃえば、いいんだ。
お姉さまに。
私が。
石岡綾子に。
龍ヶ崎彩が。
私は、お姉さまの部屋に駆け込んだ。
無人の部屋の中で、私は、それを手に取った。
お姉さまの匂いがする、服を。
お兄さまが愛する、服を。
二人が交わるときに、愛し合うときに、成長するときに使う服を。
身に付ける。
整える。
鏡に映す。
──髪の毛がちょっとだけ、お姉さまより長い。
ハサミを取り出して、切った。
──うん。
完璧。
お姉さまの下着を付け、お姉さまの服を着て、お姉さまと同じ髪型の娘が鏡の中に居た。
それは、――石岡綾子。
私の、理想の私。
私は、お姉さまのように微笑み、そして家を出た。
冬の夜は早い。もうあたりは真っ暗だ。
<マジ狩る少女ピクル>の格好をした石岡綾子は、新治お兄さまの家に向かって歩き出した。
どうするんだろう。
何をしに行くのだろう。
お兄さまに、セックスしてもらいに行くのかしら。
自分を、もっともっと魅力的な私にしてもらうために。
それとも……?
わからなかった。
まだ、私は、綾子お姉さまの姿をした龍ヶ崎彩でしかなく、
──そして、この姿で新治お兄さまに会ったときに、答えは出るような気がした。