<私が私でいられる時>・14

 

 

「ん……」

重なる唇から、全てが伝わる。

絡み合う舌が、心の奥までを相手に教える。

溶け合う唾液が、二人を一つにする。

「んむ……」

激しく深く交わった後で、そのままベッドの上で交わす口付け。

キス一つで、人ってこんなに幸せになれるんだ。

ううん。

それは、新治君とのキスだから。

新治君と、私のキスだから。

「んんっ……」

息が続かなくなって、やっと唇を離す。

離れたくない。

いつまでも重なっていたい。

白い糸となって唇と唇をつなぐ二人の唾液が細く細く伸びて行く。

「あ……」

伸びきったそれが、空気に溶け込むように途切れたとき、

私は思わず小さな声をあげた。

「ん……」

ふわっと肩を抱かれる。

素肌に感じる、この男(ひと)の体温。

キスが終わって、切なさや喪失感が襲ってくる前に、暖かさが私を包み込む。

だから、キスが終わっても悲しくない。

ううん。

キスも、ハグも、一つ一つがとても気持ちよくて、とても大事で、

一つ一つが終わるたびに怖いくらいに悲しいけど、私はそれに耐えられる。

だって、キスが終わっても、こうして抱きしめてもらえるから。

 

セックスの後。

添い寝する新治君と、私。

少し荒い呼吸と、いつもより上がっている体温。

新治君の精液と、私の蜜液と、二人の汗の匂いが入り混じる。

縦二メートル、幅一メートルの、天国よりも幸せな楽園。

他の誰にも邪魔されない、他の誰も必要ない、

新治君と私の二人だけの楽園。

肩と背中にそっと回される新治君の腕。

「もっと強く……ぎゅっとして……」

新治君の耳元でささやいて、その胸に顔をうずめる。

私の声に応えて、新治君が抱く手を強くする。

新治君に、もっと密着できた。

あはっ、今、私、新治君の胸と腕の間にいる。

目を閉じる。

体温と匂いと想いがもっと強く私に伝わる。

キスとは違う、でも同じくらいの幸せ。

とくん、とくん。

新治君と私の心臓の鼓動。

「うふふ……」

「はは……」

こぼれるくすくす笑い。

目を開けて、新治君の顔を覗き込む。

照れたような新治君の笑顔に、私の微笑がうんと濃くなり、

思わず、キスをしてしまう。

うん。

とっても素敵。

目を閉じて、音と匂いと合わせた肌で感じても、

こうして目を開けて、見詰め合ってもキスをしても、

新治君は、とっても素敵。

とっても、とっても、言葉で表せないくらい。

 

「んんー」

大きく伸びをする。

ベッドの脇に置いておいたペットボトルのスポーツドリンクを二人で飲む。

「ぷはぁっ」

ドリンクを一気に飲んで、新治君が息をつく。

「うふふ」

私も同じ物を口にする。

「ん……」

指先に、温かいものが触れる。

コンドーム。

さっきのセックスで使った奴だ。

口を縛ったそれは、中に白い粘液をたっぷりと蓄えている。

新治君の精液。

「うふふ」

指先でちょんとつつくと、新治君のエキスが、ぷるぷると揺れる。

「あ、それ……」

「えへへ、今日もお持ち帰り、だよ!」

真っ赤になる新治君が手を伸ばすのを、ふざけながら交わして、

手の中の柔らかいものを枕もとのティッシュでくるむ。

「もうっ、綾ちゃんは!」

三重に包んだティッシュの包みを、バッグのサイドポケットの奥に押し込んじゃうと、

新治君が諦めたようにため息をつく。

「うふふ。だって、欲しいんだもん。新治君のビデオといっしょだよー!」

私は、笑いながら部屋の奥のほうでこっちを向いている三脚のデジタルビデオを指差した。

一番はじめに、二人がセックスしたときに使った、私の家のじゃない。

新治君がアルバイトで溜めたお金で買ってきた、最新型のやつだ。

今は電源を切っているけど、さっきまでそれは二人の交わりを余すことなく録画していた。

 

「うーん、……あはは」

新治君は、頭をかいて照れ笑いを浮かべた。

二人のセックスや、私の裸をビデオに撮ることに、

新治君が罪悪感を持たなくなってくれてからだいぶ立つ。

私が新治君への従属を証明し続けたことで、二人が自覚したことがふたつ。

エッチなビデオを撮りたがるのは、新治君の性癖。

新治君の精液を「お持ち帰り」するのは、私の性癖。

二人は、同じ性癖を持っている。

──互いが、互いをコレクションしたがること。

それは、二人がそれをしたがっていた原因とか理由とかを乗り越えてかけていても、

やっぱり欲しいものだった。

ただ、ただ、

お互いが、愛しい。

お互いが、欲しい。

だから、新治君は私のエッチな映像を記録し続け、

私は、冷凍庫の片隅に新治君のエキスを保存し続ける。

それは、誰かから「変態」と言われるかもしれない。

でも、それが──なんだと言うの?

私は、新治君が気持ちいいことをするし、

新治君は、私が気持ちいいことをしてくれる。

二人は、心の奥底の、一番沈んだところにある欲望までいっしょ。

それを、お互い見せ合って、理解しあって、受け入れあっている。

背中がぞくぞくするような、共感。

私は──新治君から離れられない。

新治君も。

 

「まったく、もう。……見つかったら、

また妹さんと大喧嘩になっちゃうんじゃないの?」

くすくす笑いながらバッグをしまう私を見て、新治君が心配した。

「あ、あの娘(こ)なら、もう大丈夫。

と言うか、もう母さんとかも知ってるよ」

「えっ!?」

新治君は一瞬驚きかけたけど、納得したように頷いた。

二人の関係は、石岡家と龍ヶ崎家の間ではもう公然の秘密だ。

妹――今なら、何のてらいもなくそう呼べる──の彩が真っ先に賛同してくれて、

なし崩し的に母さんも、義父さんも黙認するようになった。

ちょっと悲しいことだけど、龍ヶ崎の家族は、

今は、私がいなければ、うまくまとまっていられない。

それは、あの事件で心が弱っている彩が、私にすがってようやく自分の形を保っているから。

それを利用するつもりは全然ないけども、

私は、私でいなければ、彩の支えになるほど強い私でいられない。

つまり、新治君がいなければ、という意味。

新治君と私のつながり──オアシスと遭難者の関係──は、

今では私自身も冷静に自覚できるようになったし、

母さんや義父さんも理解しはじめている。

法律上、龍ヶ崎綾子と名乗っている女の子は、石岡綾子でいることが必要で、

それは、石岡新治という素敵な男の子の協力があってはじめて成り立つもの。

そして、その石岡綾子だけが、龍ヶ崎彩を、龍ヶ崎一家を支えるだけの強さを持っている。

切羽詰った状況が、ある種の奇妙なバランスで平穏を保っている。

いつまでも、そんな状況ではいけないと思うけど、

少しずつ回復しているように思える妹を見ながら、私は、新治君との逢瀬に身をゆだねている。

「そっか……」

新治君には、何度も相談しているから、そんなニュアンスは伝わっているのだろう、

私の愛しいオアシスは、頷いて、ちょっとため息をついて、私の頭をなでた。

 

「妹さんの具合は、どう?」

「うん……最近は、だいぶよくなってるよ。

まだピアノは弾く気になれないみたいだけど……」

「そっか……。ボランティアのときも弾いてないもんね……」

私にくっついて行動することで落ち着きを保っている妹は、

当然のことのように土曜日の児童施設のボランティアも一緒についてくる。

写真週刊誌に載せられたデマ記事の一部にもなっていた場所に来ることは

私も驚いたけど、今の妹にとっては、私といっしょに行動することが一番の癒しなのだろう。

かつて──そして、もちろん今も──私が新治君といっしょにいることで、

私の形を保っていられるように、今の彩には、私がこういう形で必要なんだ。

家で家事を手伝うようになったように、

児童施設でも、かいがいしく雑用をするようになった妹を、

私は、妹として、本当に愛しく思い始めた。

(なんとかして、妹を昔の龍ヶ崎彩に治してあげたい)

そう思うようになってさえ、いる。

それは、多分……

「ん……、妹さん、またピアノを弾けるようになれるといいね」

新治君も、そう考えているから。

──そのことには、全然、嫉妬はない。

自分でも不思議に思ったけど、それは、すぐに理解できた。

新治君が、彩のことを、純粋に妹として考え、心配していることが理解できたから。

それは、私の妹のことを、自分の妹のように感じていること。

つまり、それは、私のことを……。

「ん。ど、どうしたの?」

「な、なんでもない。……彩、よくなるといいね」

慌てて、返事をする。

まだ、「それ」は早いような気がする。

でも、もう十分な気もする。

「うん。綾ちゃんも大変だけど、僕も、できるだけのことはするよ」

濁ったものがまったくない素敵な笑顔に、私は思わずまた抱きついた。

 

背中に感じる新治君の右手の感触。

心地よさに、ほぅっと、ため息をつきながら、私はささやいた。

「ん……、新治君、また逞しくなったんじゃない?」

「そ、そうかなー」

「うん、絶対そう。この辺だって……」

私は、新治君の胸板をさすった。

それは、先週会ったときより、確かに少し厚くなっている。

他の人なら、見過ごしてしまうような変化。

でも、私はそれに気付くことができる。

「うーん、まあ、バイトで重いもの持つから少し筋肉付いたかもね。成長期ってやつかな?」

新治君は、本屋さんでアルバイトを始めた。

週に三回、夕方から夜にかけて。

二人が会えない日の時間を使ってはじめたそれは、

意外なくらい新治君の性に合っていたようだった。

「初日は、本屋さんってこんな重労働だったんだー、って、びっくりしたけど……」

といいながら笑った新治君はまぶしいくらいに素敵だったことを覚えている。

「でもさ、お店の人たち、みんないい人で親切だから続けられてるよ。

バイトする前は、本当に務まるかどうかちょっと恐かったんだけど」

あはは、と笑う新治君。

でも、私は知っている。

それは、お店の人たちが親切なのは、みんないい人だから、じゃない。

新治君が素敵な人だから。

私だけでなく、他の人から見ても素敵な人になったから。

そう。

新治君は、この頃、すごく変わった。

何かがどう変わった、というわけではない。

だけど、新治君をずっと見ている私はわかる。

私だけが知っていた、私だけが感じていた魅力が、他の人にもわかるようになったことを。

それは、身に付けた自信、なんだろうか。

新治君は、自分の中にある素敵な力を自覚しつつある。

外に出ることを、何か新しいこと始めることに消極的だった男の子が変わる瞬間。

素敵だった新治君が、もっともっと素敵な新治君に変わる瞬間の、ひとつ。

私にとって、それは、とても嬉しいことだったけど、

──同時に少しさびしいことでもある。

 

「この男(ひと)の素敵なところを私だけが知っている」

その秘密がだんだんと破られてきているから。

 

もう他のみんなも気が付き始めている。

新治君がどんなに素敵な人なのかを。

二人で並んで歩くとき、視線が集まるのを感じる。

新治君はまだ、それが私に対してのものだと思っているけど、ちがう。

それは、二人に集まっている視線。

特に、女の子の視線は、新治君に集まってくる。

私は、それがわかる。

だって、新治君は素敵なんだもん。

自信を付けて、積極的になった新治君は、とてもすごい男の人。

もともと頭が良いし、物事をびっくりするくらいに色んな角度から見ることができる。

何よりも、新治君は、相手の心がわかって優しい行動を取れる人。

だから、本当の新治君を見て、みんなが回りに集まってきたり、

親切にしてくれるのは、偶然じゃなくて、必然。

 

新治君は知っているのかな。

 

「――お兄さまって、素敵ですよね」

「――お姉さまと、すっごくお似合いです」

彩が、頬を染めて私にそう言っていること。

 

「――綾子の彼氏って、ちょっといいよね」

「――うん、やっぱ、そう思う?」

私の周りの女の子がそう言っていること。

 

「――石岡君、今日、ヒマかなあ……」

「――打ち上げに誘っちゃえば?」

いっしょにやった年始のアルバイト、

女子更衣室でそんな会話があったこと。

 

「……」

私は、ちょっと胸が痛くなった。

それは、嫉妬。

新治君の魅力を、もう独り占めできないことへの嫉妬。

それは、醜い感情。

素敵な新治君の彼女にふさわしくない、心の狭い女の子の、醜い感情。

それを自覚して私はちょっと悲しくなった。

 

「ん……」

不意に抱き寄せられた。

髪を撫でられる。

「あ……」

新治君の顔が、どきりとするくらいに近くにあった。

「ありがとう、綾ちゃん……」

「え……」

「僕がさ、こんなに変われたのは綾ちゃんのおかげだよ」

「そんな……」

「綾ちゃんに好きでいてもらえるおかげで、僕は僕のことを好きになれたんだ」

「え……」

「こんな素敵な女の子に好きになってもらえてるんだから、

僕は、きっと何かできるんじゃないか、って思えるようになったんだ……」

「新治君……」

もう。

この人は。

なんで、いつもこうなのかな。

私の心の醜いところまで、こうやって優しく包んでくれる。

だから、私は、素敵な私でいられる。

素敵な私になれる。

妹が理想にしていて、心の支えにしている、

我が家のバランスを保つことができる、

強くて素敵な石岡綾子──龍ヶ崎綾子に。

「……新治君を好きになって、新治君の支えになっている女の子は、

こうして新治君が好きでいてくれるから、そんな女の子でいられるんだよ」

新治君の胸に顔をうずめながら、私はつぶやいた。

「あはっ……じゃあ、僕たち、いつまでも離れられないね」

「……うんっ!」

私は、ぎゅっと新治君を抱きしめた。

 

「……」

ふいに、新治君が、真っ赤になる。

「どうしたの」

「んー。綾ちゃんも、ちょっと成長したかも……」

「え?」

私は、新治君の視線をたどった。

それが、先週より少し厚くなった新治君の胸に押し付けられてる私の胸だということに気付く。

「……さっき気がついたんだけど、ちょっと大きくなってない? 先週より……」

「!!……もうっ……ばか……」

私も真っ赤になる。

全裸で重なり合っているのに、そんな会話がものすごく恥ずかしくて、気持ちいい。

「たしかに、ちょっと大きくなってるかも……」

「や、やっぱり?」

胸とお尻のサイズは、最近大きくなりっぱなしだ。

新治君が男の子らしくなっていく分、私は女の子らしくなっていく。

私は新治君のための牝で、新治君は私のための牡だから。

私は、新治君のもう片方の手をつかんで引き寄せた。

「わっ……」

「ほら、ねっ……」

自分のおっぱいの上にその手を導いて、自分の手を重ねる。

そのまま、新治君の手ごと、おっぱいを揉む。

「……!!」

真っ赤な新治君が、さらに真っ赤になる。

さっき、思いっきりおっぱいを愛撫してたのに、なぜか恥ずかしがる。

私も、だけど。

照れ隠しに、耳たぶを甘噛みしながらささやいた。

「うふふ……新治君、逞しくなったには腕や胸だけでないよね?」

「え?」

「ほら、ここも、すっごく逞しいよ?」

おっぱいを揉ませるのとは逆の手を、新治君の股間に伸ばす。

「わっ、わっ!!」

おち×ちんをきゅっとつかまれて、新治君が慌てた。

ほんとに、可愛い男(ひと)……。

「うふふ、新治君、もう一回エッチしよっ!」

「う、うん!」

「今日ね、素敵な服、持ってきたんだよ……新しいの!」

私は、バッグを引き寄せ、準備してきた中身を取り出して着替え始めた。

「うわあ、それって……」

「そ、好きでしょ、新治君、これ? あ、ビデオ、セットしてきて……。

いっぱい、気持ちよくなろうね!」

「うん!」

お正月のアルバイト料とお年玉の残りで手に入れたその服に、新治君は目を輝かせ、

それを見て、私もまた、急速に昂ぶりはじめた。

 

 

 

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