<私が私でいられる時>・10

 

 

「ふう」

掃除が終わって、一息つく。

久々に綺麗になった我が部屋を満足して見渡す。

トイレやキッチンは、先に終わらせている。

最近、何かと忙しくて、あまり家事に時間を割けなかったから、

学校から早く帰ってこれた今日は、まとめて一気に終わらせた。

終わった今、時計はもう夜の九時を指しているけど。

 

──今日は、綾ちゃんに会えない日。

この間、彼女が「罪」を告白した後、そういう日ができた。

正確には、その日の会話がどうとか、その後行ったボランティアでのことがどう、というわけではない。

その前の日、僕と綾ちゃんが……セックスしたということが、その状況を作った。

綾ちゃんたち<姉妹>が大喧嘩した原因、

――綾ちゃんが持ち帰った使用済みコンドームを、綾ちゃんのお母さんに見られた。

それは、綾ちゃんがセックスをして来たと言う証拠。

当然のことながら、彼女の両親にショックを与えたと思う。

そして、綾ちゃんは、外出できない日が増えた。

週末の、ボランティアも当然禁止。

お母さんが家にいるようになって、買い物や家事も綾ちゃんがやることは少なくなったらしい。

綾ちゃんが外出できるのは、お母さんがどうしてもお父さんに付いていかなくてはならない日に

買い物とかをするときだけになった。

でも、綾ちゃんは、それを全然気にしていない様子だった。

僕は、綾ちゃんとセックスした。彼女の、処女を奪った。

それは、嫁入り前の娘を傷物にしたということ。

そのことで綾ちゃんの両親が怒鳴り込んでくるかと思ったけど、そういうことはなかった。

「母さんも、義父さんも、私のことは<心配>してないから……」

綾ちゃんは、そう言って笑った。

 

そして、僕らはメールと、携帯電話と、頻度は減ったけど濃密さを増した逢瀬を重ねた。

綾ちゃん。

ベッドに腰掛けてぼんやりとしていると、すぐにあの娘(こ)のことが心に浮かんだ。

それは、甘い髪の毛の匂いと、優しい微笑みと、綺麗な声を伴った姿。

あの娘のことが、好きだ。

それは、会う機会が少なくなってから、強く気が付いたこと。

綾ちゃんに会えない日は、自分の心が半分になってしまったかのように、さびしい。

綾ちゃんの声を電話で聞けると、自分の心が倍になったかのように、うれしい。

綾ちゃんからのメールが来ると、いつもどきどきして、でもすぐに心が穏やかになる。

これが、恋と言うものなのか。

僕は、戸惑いの真っ只中にいた。

女の子って、みんな恐くて嫌な存在だと思っていた。

どんなに努力したって、僕を好いてくれることがない存在。

自分の心のままに振る舞い、ある日裏切って突然にいなくなってしまう存在。

だから、近づいてはいけない、好意を寄せてはいけない存在。

そんなものだと、思っていた。

僕の母親のように。

綾ちゃんは、自分はそういう女とはちがう、と言った。

そして、彼女は、それを僕に証明し続けた。

あの日、身体と心を重ねてから。

僕は、それを半ば受け入れ、半ば戸惑っていた。

彼女の存在に、戸惑っているわけではない。

彼女のことが好きだ、ということに戸惑っているのでもない。

それは、僕の中にある、もっと生々しくて卑しい感情だった。

「……綾ちゃん」

ことばにして、声に出すと、胸がどきどきと脈打つ。

そして、股間のものも。

僕は、僕と触れ合ってくれる女の子のことを考えると、

すぐに鎌首をもちあげてくる、自分のいやらしい器官のことを、

自己嫌悪とともに睨みつけた。

 

綾ちゃんに会えない日、僕は自慰をする。

彼女のことを考えて。

何度も、何度も。

綾ちゃんの裸が、胸が、お尻が、あそこが、鮮明なイメージでよみがえり、

僕のいやらしい欲望に奉仕する。

僕は、――あの娘の裸を知っている。

彼女が、どんなにスタイルがよくて、着やせをして、肌が白いのか知っている。

おっぱいやお尻が、どれだけ大きくて柔らかいのか知っている。

彼女の性器、女性のあの部分さえ、僕は知っているのだ。

そう思うと、僕の男性の部分は、どんどん硬くなってくる。

生身の女の子の身体がこんなに蟲惑的だなんて、僕は知らなかった。

いや。そうじゃない。

それは、あの娘だから、そうなるのだ。

綾ちゃんの身体だから。

綾ちゃんの裸だから。

綾ちゃんのおっぱいだから。お尻だから。

綾ちゃんのあそこだから。

僕は、こんなにも反応してしまうのだ。

「綾ちゃん……」

そのことばが思い出させる彼女の姿に、

僕の性器は、ズボンの生地を突き破らんばかりにそそり立っている。

自慰をしたい。

彼女のことを考えながら、オナニーをしたい。

綾ちゃんの裸を、綾ちゃんの女性器を、綾ちゃんとのセックスを思い出しながら、

おち×ちんをしごいて、思いっきり精液を吐き出したい。

──その欲望は、下劣で薄汚い。

なぜって?

そのとき、彼女の唇とか、声とか、微笑とか、そういうものさえ、

僕は、僕の欲望で穢(けが)してしまうから。

 

(綾ちゃん……)

自慰を始めると、想像は、簡単に妄想に変わってしまう。

セックスのとき、綾ちゃんと向き合ったときには絶対にしないようなことまで、

僕は、僕の頭の中の綾ちゃんにはさせてしまう。

人の欲望は、限りがない。

綾ちゃんが、僕のために差し出してくれるもの。

僕とのセックスに供じてくれるもの。

自慰するとき、僕は、それだけに満足することが出来ない。

 

綾ちゃんは、僕のために喜んで裸になる。

僕のことをを大好きだと言ってくれる。

僕とセックスするために、ベッドに従順に横たわる。

 

でも、僕は──。

自慰をするとき、

 

彼女を裸にさせただけに飽き足らず、卑猥なポーズを取らせたり、

彼女が言ってくれる「大好き」という声だけでなく、淫猥なことばを言わせたり、

彼女が自由にしていいと与えてくれる身体を、まるで奪い取るように淫らに貪る。

 

もし、綾ちゃんが、自慰をしている僕の頭の中を覗いたりしたら、

きっと、彼女は幻滅し、怯え、そして僕を軽蔑するだろう。

僕が、綾ちゃんに対して見せている顔は、僕の、ほんの一面。

それも、一番いいところ。

あとは、もっと駄目な自分。

僕が彼女に隠している本性は、きっと自慰のときのそれなのだ。

それが、とても悲しいし、苦しい。

「……」

僕は、ため息をついた。

こんなに自分の性欲を、下劣さを嫌悪していても、それでも僕の下半身は自制がきかない。

ズボンの下でぱんぱんに膨れ上がっているそれは、

精液を吐き出すという目的を達成しない限り、金輪際言うことを聞かないだろう。

僕は諦めて、立ち上がった。

本棚から、お気に入りのエロ小説やエロマンガを探す。

なかなか決まらない。

本棚の中はエロ同人誌や、巴里書院のコレクションなど、

その手の趣味の人間なら垂涎のアイテムに満ち溢れていたけど、

最近は、なぜかそれらのものが色あせて見えて、

自慰に使う気になれないでいたのだが、今日は、これにお世話になろう。

(どうせなら、うんといやらしいのにしよう……)

そう思った僕は、黒い表紙の小説を手に取った。

男の子なら、一度はお世話になったことがあるという巴里書院のエロ小説の一冊。

 

『リアル孕ませごっこ』

舞台は王政の敷かれた西暦三千年の日本。

王様は自分の姓である佐藤の人口が500人を切ったことから、

佐藤姓の男性に、妊娠の可能性がある女性がわかる「HR探知ゴーグル」を与え、

七日間でナンパしてセックスに持ち込み、より多くの女の子に「佐藤の子供」を作らせた男を

養子として迎え、次期国王にすると発表した。

主人公は、その佐藤姓の男の子。

セックスどころかナンパもしたことがないが、どうにかして憧れの女の子に……、というお話。

<誤字を超えた超表現>

<日本語の範疇を超越した>

その表現力はあの<愛空>にも匹敵すると評され、映像化もされた。

僕のお気に入りなのは、そのメインヒロインではなく、

お話の最初のほうに出てくる、サブヒロインのほう。

 

ゴーグルを持っている主人公に自分から近づき、その初体験の相手を努めた彼女は、

「君が王様になったら、私を王妃してね」というちゃっかり者だけど、どこか憎めない女性だ。

晩生な主人公をリードするシーンは秀逸で、メインヒロインとの人気はむしろ逆転してさえもいる。

僕は、ページをめくってその場面を眺めはじめた。

 

「うわあ、おち×ちん、おっきいじゃない」

ブリーフを脱がした女の子は、にっこり笑った。

ものすごく機嫌が良くて、上機嫌な顔をして僕を見ている。

「そ、そうかな?」

僕はどぎまぎとした。

いかにも挙動不審な行動だ。

「うん、けっこう大きいよ、君。ちょっと自慢していいから。他の女の子に言われない?」

そんなこと、十六年間の間、言われたことない。

「あはは、君、童貞君だったよね、そりゃ言われたことないか」

女の子はころころと笑い、僕のおち×ちんを指でちょん、とつついた。

「うん。ちゃんと洗ってきているのね。えらいえらい。

うふふ、セックスする前に、おち×ちん、しゃぶってあげようか?」

「え?」

僕の心臓が騒々しく騒いだ。

「フェラチオ。して欲しいでしょ?」

女の子は、にやりと笑った。

「そ、そんな……」

「いいわよ、恥ずかしがらなくたっても。

男の子は、女の子におちんちんしゃぶられるのが大好きだもん。

君も、オナニーするとき、フェラされるところ想像したことあるでしょ?

私がしてあげるよ。あ、でも気持ちいいからってお口の中に射精しちゃダメだぞ?」

女の子は、僕を軽く睨んだ。

「精子を出すときは、こっちにだから、ね」

短いスカートから「わざと見せてあげてる」ショーツの前を意味ありげにさする。

「ま、あたしのフェラでいきたければ、王様になって私を王妃様にしてちょうだい」

女の子はまた笑った。

「そしたら、毎日でも君のおち×ちん、しゃぶってあげるから……」

 

僕は、性器を握る手の動きをはやめた。

モテない、冴えない主人公の男の子は、僕には容易に共感できるものだった。

このサブヒロインのような女の子も。

主人公が最初の男ではない、という設定も、お話の中では受け入れることが出来る。

相手の男は出てこないし、彼女が主人公とヒロインを助けていったり、

最後の告白のシーンも含めて、主人公を裏切らない存在であることを知っているから。

そして、セックスは、あくまでも優しくリードしてくれながら、

処女の妹であるメインヒロインよりも、ずっとエッチシーンが大胆でいやらしい。

ページをめくる手が早くなる。

もう片方の手の動きも。

 

「うふふ、あたしの中に精子出したいでしょ?

いいよ、あたしのおま×こ、君に貸してあげるから、

気持ちよーく、童貞、捨てちゃおっ……」

 

──心臓が一瞬、止まった。

フィニッシュに近い、その文章を読んだ瞬間に、浮かんだイメージ。

僕にのしかかって、そのいやらしい誘惑のことばを吐いたのは、

原作の挿絵にある女の子でも、映画でその役を演じた少女でもなく、――綾ちゃんだった。

「んんっ……」

かろうじて、手が止まった。

おち×ちんは、びくびくと震えて、絶頂を迎えられなかった不満を声高に主張する。

最近、いつもそうだ。

自慰するとき、僕は綾ちゃんにそんなことをさせてしまう。

今まで集めた、いろんなエッチな本やビデオの中のセリフや、行動を。

それは、二次元の作り話のヒロインや、お金を貰って演じる女優さんがする行為。

頭の中で、それを綾ちゃんにやらせてしまうことに、僕は激しい自己嫌悪を抱いた。

僕のことを好きになってくれている女の子に。僕にすがって生きている女性に。

その信頼と愛情を、見えないところで利用し、裏切っている。

綾子ちゃんを都合よく使ったイメージでの自慰は、そんな罪深いものだった。

僕は、本を放り出した。

股間の物はおさまりが付かない。

全身が性器になったような感覚を抱え、僕は──パソコンの前に座った。

何台か並んだパソコンの、一番奥のマシーン。

ネット配線から外した、どこにもつないでいない、安全な一台。

その中に大事に保存してあるのは──。

僕は、パソコンを立ち上げ、映像ソフトを起動させた。

フォルダを選び、データを開く。

微笑む綾ちゃんが画面に映った。

 

「綾ちゃん……」

僕のベッドの前で立っている綾ちゃんは、恥らうように笑い、スカートに手をかける。

何の躊躇もなく、中のショーツを下ろす。

白い靴下を履いた足から、同じ色の清楚なショーツがするりと脱ぎ取られる。

もう一度、恥じらいの微笑を浮かべてこちらを見た綾ちゃんは、

スカートの裾を、ゆっくりと持ち上げた。

(見えますか。これが石岡綾子のおま×こ、です……)

言いながら真っ赤になる。

白い太ももの付け根に、淡い翳り。その下がよく見えない。

(ん……、ちょっと、待ってね)

綾ちゃんは、ベッドの上に腰掛けた。

体育座りのような格好になり、それから、足を思いっきり広げる。

スカートの中で、無防備な女性器が丸見えになる。

カメラレンズ越しに、目が合う。

綾ちゃんは照れたように笑い、それから、片手を自分のあそこに這わせた。

(んっ……)

白い指が、自分の性器を思いっきり押し広げて、中の様子をカメラに晒す。

(もっと近くで撮っていいよ。私のここ、もっと奥まで見て……)

映像がちょっとゆれる。

撮り手が、カメラのズームを合わせることも思いつかずに、身体ごと近寄ったからだ。

覗き込むようにして撮り続ける。

綾ちゃんの恥ずかしい部分を。

「ううっ!!」

どんな女性のものよりも綺麗で魅力的な女の子のそこを見ながら、僕は射精した。

びくんっ。どくんっ。

何度も途中で止めた欲望は、解放のときをむかえて、おどろくくらいに激しく汚液を噴き出す。

抑えるようにかぶせたティッシュから、どんどんとそれはにじみ出てきた。

 

画面の中の綾ちゃんは、今度はお尻を高く掲げて、僕にそれを撮らせていた。

僕を「安心」させるための「人質」の映像。

綾ちゃんは、裸やセックスするところを僕に撮らせている。

そのことで、綾ちゃんが僕を裏切れないということを証明させるために。

そして、僕は、それを拒めなかった。

信じているのに。

信じたいのに。

僕の臆病な心は、その「人質」を手元に置きたがっていたし、

僕の下劣な欲望は、好きな女の子の裸や性器の映像を欲していた。

だから、僕は、「そんなものがなくても、綾ちゃんを信じている」

ということばが言えなかった。

綾ちゃんは、そんなことも受け入れているように、何度も僕にビデオを撮らせ、

それを笑顔のまま差し出した。

無垢、と言っていいほどの笑顔で。

それは、彼女にとっては、僕の信頼を勝ち取るために神聖な行為なのだろう。

でも、僕は、それを自慰に使っている。

僕の大切な恋人の、優しさと思いやりの結晶を。

画面を見ながら、僕は、射精したばかりの性器がまた硬くなったのを感じた。

なにか言おうとして、僕は、僕が意図していなかったことばが口から漏れたのに気がついた。

「……あのポーズの綾ちゃんが、あの女の子みたいに誘惑してくれたら……」

その、心の奥にどろりとたまった下劣でいやらしい欲望は、

好きな女の子のことさえ信じきれないでいる臆病さと、

それでも僕に寄り添おうとしている綾ちゃんを認識しているずるさとともに、

自分を大嫌いになるのに十分すぎる罪だった。

「最低だ、僕……」

つぶやいて、僕はまたため息をついた。

 

 

 

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