<孕ませ神殿>1 巫女長アドレナ・上
「仮成人、おめでとうございます」
薄く割った神酒を僕の杯にそそぎながら、巫女長は祝いのことばをかけてくれた。
「あ、ありがとうございます。……あ、あのっ……」
「わかっております。真の成人の儀のことは、わたくしにおまかせください」
にっこりと微笑んだ巫女長の妖艶さに僕は息を飲む。
彼女――アドレナさんは、<大地の母神>の神殿の長だ。
辺境の都市であるこの街は、帝国の主神である<婚姻と出産の守護女神>よりも、
太古から伝わる大地の女神の信仰のほうが盛んだ。
帝国はそうした古い女神たちが、自分たちの女神の「侍女」、つまり従属女神だと解釈しているし、
それらの信者も、その公式見解には表向きはさからわない。
でも、大地の女神は帝国の守護女神よりもずっと古い存在であることも、
その教義には帝国の道徳に反するものも含まれていることも、
帝国の人間がそれを黙認していることも、僕はもう知っている。
誰に教えられなくても、なんとなくわかっていたけど、
仮成人の証ができた――つまり、僕がはじめての夢精で下着を汚した──翌日に、
このアドレナさんから詳細を教えられた。
<大地の母神>は、子孫繁栄を第一の教義とする。
それは帝国の守護女神もかわらないことだけど、それがもっと徹底している。
この街の人間は、帝国市民のように成人年齢がくれば成人とみなされるのではなく、
男女ともに子供を作れる身体であることを示して、はじめて成人として扱われるのだ。
それは、他の都市のように、精通や初潮をもって見なされるのではない。
実際に子供を産むか、産ませるかする以外は「大人になったこと」を認めないのだ。
そしてそのための施設として、この街には大規模な売春神殿がそなわっていた。
売春と言っても、お金を取るわけではない。
どの女神の神殿でも、もっとも喜ばれる供物は健康な男性の新鮮な精液と、それによって生まれる子供たちだ。
神殿は人口増加のために存在し、それは、女性の教育機関という意味を持つ。
それぞれの神殿は、信仰する女神の教義にそってその目的を果たそうとしている。
たとえば、<婚姻と出産の守護女神>は、夫にとって最高の妻を作り出すために存在する。
処女の身で神殿に上がった帝国貴族の子女は、そのままどんな男とも交わらずに、
ひたすら婚約者にとって最高の女性となるように貴婦人としての厳しい教育を受ける。
そして年頃になり、迎えに来た婚約者のもとに嫁ぐ。
貞節の女神でもある帝国の守護女神の教えにのっとり、
生涯、夫しか愛さないし、夫としか交わらない。
そして、堅固で安定した家庭を築きながら、女神の秘術によって何人もの子を宿す。
彼女たちは、自分の夫がどうすれば喜ぶのか、夫自身よりよく知っているし、
愛しい配偶者の精を、もっとも良い状態で自分の子宮の中に迎え入れる術も知っている。
だから、この女神の信者の娘は、たとえば僕の母がそうであるように
夫から格別の信頼と愛情と尊敬を寄せられながら、強力な子供たちを産み育てる。
<大地の母神>は、まったく逆の教義で、
男女がひたすら多く交わることで、人口を増やそうとしている。
この女神にとって、夫婦の絆は絶対ではなく、気に入ればどんな男女でも交わっていい。
「まぐわいたい、と思ったとき、そこには女神様の思し召しがあるのです。
そしてそういう時にまぐわえば、妊娠の確立も高いのです。
ですから、たとえば、相手が人妻であっても、自分の母親や姉妹であっても
両者がまぐわいたいと思いさえすれば、交わってよろしいのです」
アドレナさんは、そう説明してくれた。
<大地の母神>の信者は、夫婦交換や近親相姦をタブー視しない。
僕の来ているこの神殿でも、夫のいる女性が多く売春巫女としてはたらき、
見知らぬ、あるいは顔見知りの男の精液を受け止めている。
僕は、この街に派遣された執政官の息子で、帝国市民、
つまり<婚姻と出産の守護女神>の信者だから、
<大地の母神>のいう手段──つまり誰か女性を一人以上孕ませること
──をしなくたっても、精通が起きた時点で成人とみなされる。
帝都に戻れば、僕のために神殿で育成されている婚約者がいて、
その娘をむかえて、僕にとって最高の家庭を作ればいい。
だけど、僕はしばらくこの街で執政官の見習いを続ける予定だし、
そして、この街で暮らす以上は波風を立てずに街のやり方に従ったほうがいい、
というのが、父やアドリナさんたち現地の有力者の考えだった。
帝国の辺境支配は、そうした妥協の産物なのだ。
こうした奇妙な風習が守られ続けているのは、世界が歪んでしまったからだ。
神々同士の戦争で全ての男神が滅び、それに従って争った人間界の男たちも大多数が死んでしまったのち、
残された女神たちは、とにかく人間界の人口を増やすことを考えた。
これももう滅んでしまったけど、ある邪神たちがかけた複雑な呪いで、
男子の出生率が百人に一人にまで下げられてもいたので、
女神たちは大急ぎで人間を増やすように導かなければならなかった。
帝国の主神である<婚姻と出産の守護女神>が最も勢力をもったのも、そのためだ。
女神たちは<協定>を結び、互いの教義の矛盾点には目をつぶった。
反目と、嫉視と、勢力争いがお得意の女神たちも、互いに協力せざるを得ない切実な問題に接していたからだ。
人間たちに多くの子供を作らせ、できれば男子を産ませる。
そうすれば、その男子の中からいつかは英雄があらわれ、天に上って新しい男神になってくれる。
女神たちは、男神を得るために、地上での代理戦争を禁じることにしたのだ。
そのためにセックスの奨励と、それに関する教義に対しての寛容さが人間界に満ちた。
たぶん、千年前だったら、夫婦間の貞節を第一の教義とする<婚姻と出産の守護女神>信者の僕は、
乱交や夫婦間以外の妊娠出産も認めている大地母神を崇めるこの街の前を通りかかったら、
その住民を皆殺しにするまで戦い続けなければならなかったのだろう。
少なくとも、こうしてアドレナさんと話をすることなんてとても考えられなかった、と思う。
きっとそれは、ものすごく不幸なことなんだろう。
「では、今日からさっそくはじめましょう。――私の顔に何か?」
アドレナさんがそう言って微笑んだので、その美貌に見とれていた僕はうろたえた。
「い、いえ、なんでもありません」
「そうですか。――心配することはありませんわ。巫女たちにお任せください。
貴方のために半年も前から準備をしておりますのよ」
「準備って──」
「選りすぐりの売春巫女を用意しているということです。
もちろん、彼女たちはこの半年間、誰にも春をひさいでおりません。
貴方の子種を宿すため、貴方が成人である事を証明させるために、
子宮を空っぽにしてお待ちしておりました」
「ふふふ、この腹帯がその証拠です」
それまでアドレナさんの隣でにこにこと微笑んでいた、副巫女長のイリアさんが立ちあがった。
純白の神殿巫女衣装のウエストの部分に、飾り紐のような帯が何本もゆるく巻きつけられている。
「これは、殿方とまぐわっていないことの証です。月の物が来るたび、一本ずつ増やします。
私は六本――つまり、半年も殿方の精を受けていないのですのよ」
そう言ったイリアさんは、意味ありげな表情で僕を見てから、
身を乗り出すようにして僕のカップに新しい御茶を注いでくれた。
先ほどイリアさんは、この部屋に入るやいなや「今日は蒸しますわね」と神官服の襟元をゆるめていたから、
そういうことをされると、僕の視線は、この神殿一といわれる巨乳に釘付けになる。
「そうそう、成人の儀のちょっとしたコツをお教えしておきますわ。
殿方にとっても、はじめてのまぐわいは一生心に残る大切なもの。
失敗して恥をかかぬように、よく熟れた、手馴れた巫女を選ぶべきですわよ」
「――イリア司教。この神殿の巫女はみな性技に長けておりますわ。
他薦、あるいは自薦にはことばを慎重にお選びなさいな」
「はい。――巫女長」
アドレナさんがちらりとイリアさんを見、イリアさんは首をすくめた。
僕はちょっとどぎまぎした。
アドレナさんのいつもよりもちょっとだけ鋭かった今の声に、
なにか感じるものがあったからだ。
……アドレナさんの腰には、あの腹帯が何本か巻きついていなかったっけ?
僕は必死に部屋に入ってきたときのことを思いだそうとした。
ひょっとしたら、アドレナさんも、僕の成人の儀のために準備をしていてくれているのだろうか。
だから、露骨な誘いをかけてきたイリアさんに対して、ちょっと厳しく当たったのだろうか。
それは、つまり、――アドレナさんは僕とセックスしてもいいと考えている、ということだろうか。
売春を行なう神殿では、最高位の巫女長は、最高の売春巫女がつとめる。
アドレナさんも例に漏れず、神殿位置の美貌と性技をもっているといわれている。
この人と交わることが出来たら、最高の初体験になるだろうな、と僕は生唾を飲んだ。
でも、僕がひそかに憧れている巫女長はすぐに冷静さを取り戻した。
「……それでは気になる最初の夜伽のお相手ですが、これは貴方に実物を見ていただいてから
お決めになっていただくことにしましょう」
「え……?」
「何か? 成人の儀の大切な初夜ですから、
大勢の巫女の中から、納得のいくお相手をご自分で選ぶのがよろしいですわ」
そっけないといっても差し支えない、巫女長としての事務的なことばに、
僕はちょっとがっかりしながらうなずいた。
それから重大なことに思い至って、少し焦った。
「で、でも、目の前に並ばれて、その中からひとりを選んだら……」
「選ばれなかった他の巫女の目が怖いですか?
ふふ、売春巫女はどんなお客様の精でも受けとめるのと同時に、
誰にも指名されなかったことを恨まぬように教育されております。
……でも、巫女といえど女ですから、心の底ではそうしたことはあるかもしれません」
アドレナさんは、またちらりとイリアさんを見た。
イリアさんは、そ知らぬふりで、お茶を注ぎなおしている。
「……」
「……」
正副ふたりの巫女長の間に、微妙な空気が漂った。
「……貴方がそれを気にするのなら、よい方法があります。<鏡の間>を使いましょう」
反応のないイリアさんから視線を戻したアドレナさんは、にっこりと微笑んで話を変えた。
「鏡の間?」
「こういう場合に、お客が相手の目を気にせずに好きなお相手を選べる方法ですわ。
イリア司教、巫女たちに準備のほうをお願いできますか?」
「はい、巫女長」
イリアさんは立ち上がり、僕に媚笑まじりの会釈をしてから退出した。
準備が整うのを待つ間、僕は、しばらくアドレナさんから
成人の儀についてのいくつかの注意点を受けた。
つまるところ、売春巫女はどんなセックスにも対応できるので、
はじめてといっても緊張する必要はない。
もし子種を巫女の中に放つ前に達してしまっても、別に恥じることはない。
何度でもやり直せるし、今日がだめでも明日、明日がだめでも明後日に成功すればいい。
どのみち巫女が妊娠したかどうかは三月たたなければわからないのだから、
何も気にせずに好きな巫女を選べばいい、ということだった。
やがてイリアさんが戻ってきて、準備が整ったことを告げると、
アドレナさんは別室へ僕をいざなった。
「これは──」
中庭に面した一室は、そちらのほうへ開放されてはいなかったが、庭の様子を見ることができた。
壁一面が、硝子張りになっていたからだ。
そして、その向こうには、全裸の巫女たちが大勢たむろっていた。
「ふふ、この硝子は特別製です。むこうからはこちらが見えませんし、声も通りません」
アドレナさんが中庭のほうを指さした。
たしかに、巫女長があらわれたのに、誰も挨拶をしない。
「この<鏡の間>からなら、相手の目を気にすることなく、品定めをすることができます
巫女たちの裸をよくごらんになって、お好きな巫女をお選びくださいな」
「年上、年下、髪の長い娘、短い娘、痩せた女、肉付きのよい女。よりどりみどりですわ。
──もちろん、おっぱいの大きな巫女もおります」
イリアさんが補足説明をした。
アドレナさんが、またちらりと見やった。
こんどは、イリアさんはアドレナさんの視線を挑戦的に受け止めた。
だけど僕は、初めてみる大勢の巫女たちの裸にすっかり興奮していて、それを観察するどころではなかった。
「――毛の生えてる巫女さんと、生やしていない巫女さんがいる」
成熟した巫女はみな陰毛を生やしていたが、若い巫女の多くはそこをつるつるにそり上げていた。
「ああ。あれは、正規の巫女と、そうでない巫女見習いとの区別ですわ」
「正規の巫女って……」
「大人の女──子供を産んだことのある女のことです」
そうか、大地の母神の教義では、女は妊娠・出産をしてはじめて成人として認められるのだった。
「陰毛は、女性器を守るために生えるもの。それは、出産の時のための準備です。
ですから、妊娠、出産をした巫女は、一人前の女の証として陰毛を生やす権利を得ます。
まだ子を産んでいない巫女は、陰毛が生えてきてもそり落とさねばなりません」
「つまり、陰毛が生えた巫女は、一度は妊娠したことがある女。
子を産む能力は証明されています。安心してお相手にお選びになれますわ」
イリアさんが意味ありげな視線を投げかけながら、説明した。
副巫女長は、年頃の娘がいる──なのに、こんなに若くて妖艶なのはすごいことだ。
きっとイリアさんのあそこは、堂々と陰毛を生やしているのだろう。
「……まあ、若い巫女は、実績がないだけで、子宮も若く妊娠する能力も高いのですがね。
そのあたりは、貴方のお好みしだいです。両方を試してみることをおすすめいたしますわ」
アドレナさんは、イリアさんのことばをやんわりと否定した。
イリアさんはぐっとつまったように見えたが、すぐに微笑み返して、中庭のほうを指さした。
「そうですわね。坊ちゃまは、同い年あたりの娘がお好みかもしれません。
たとえば、あの巫女見習いのカヤーヌなどは正真正銘の生娘ですわ。
――母親の私がいうのですから間違いありません」
イリアさんが指さした先には、ほっそりとした見込み習いがいた。
たしかに顔立ちは、副巫女長に似ている。
この娘は、陰毛をそり落としていた。――あるいはまだ生えていないのかもしれない。
「……別に見習い巫女のほうがよい、と言っているわけではありません。
よく熟れた年上の巫女は、初体験にはやっぱりよいものでもあります。――たとえば、あの巫女」
作戦変更したイリアさんに、今度は、アドレナさんが正規の巫女を擁護しはじめた。
アドレナさんは、イリアさんよりずっと若い。
階級が年齢と逆なのは、なにかと軋轢の元になっているのだろう。
どっちも、論戦と言うよりも、相手のことばを否定することに気を使っている感じだ。
アドレナさんが指差した先にいる女性を見て、僕はびっくりした。
「タチアナさんだ──」
それは、僕の向かいの家の奥さんだった。
美人で色っぽいことで有名で、神殿巫女をしていることは知ってはいたけど、
こうして裸になっているところを見ると、あらためて夫がいる身で売春巫女をしていることを思い出させる。
「ふふ、殿方にとって人妻の膣は格別の味といいます。
顔見知りの人の妻とセックスするのはとても興奮するものですから、
精液も濃いものがたくさんでますわ。――それは、つまり、相手を妊娠させやすいということです」
「もちろん、巫女タチアナは、今日のために半年間男とまじわっておりません。
もちろん、旦那様とも。――お向かいの男の子のお相手をするために、夫とセックスせずに待っていたのですよ」
最近、タチアナさんが僕に挨拶するときに意味ありに笑っていた意味がわかった。
知っている女性の裸に、僕はものすごく興奮した。
「……お迷いのようですね。――こういうときは、女性器を見て決めるものです」
あちこちに視線をさまよわせる僕に、アドレナさんがアドバイスをした。
「じょ、女性器ってっ──!?」
「セックスは、殿方の性器と女の性器の交わり。――好みの女性器は、見ればぴんと来ます。
それは女神がもたらすつがい選びのインスピレーションです。
――イリア司教。みなに、こちらに向かって女性器を広げてみせるように伝えてください」
「はい、巫女長」
破廉恥な命令に、副巫女長はうなずいた。
そして、自分の神官衣に手をかけると、あっと言う間に脱ぎ捨ててしまった。
「……イリア司教?」
「――私も、あちら側に参加してよろしいでございましょう。交わる準備は整っております」
1メートルを軽く越す白くて大きな乳房と、黒々と生えそろった陰毛をかくそうもせずに、
イリアさんは、上司に向かって不敵に微笑んだ。
アドレナさんの美しい眉が釣りあがったが、巫女長は冷静さを取り戻していた。
「よろしいですわ。――では、みなに、さきほどのことを伝えください」
イリアさんは、大きなおっぱいを揺らすようにして歩いていくと、別の部屋経由で中庭に出た。
声は聞こえないが、皆に何か指示したのがわかる。
巫女たちは、鏡の前にならんだ。
今まで気が付かなかったけど、鏡の正面に向かって、長いベンチが設置してある。
巫女たちはそこにすわって、いっせいに太ももを開いた。
僕がまだ味わったことのない花園が、いくつもいくつも見えた。
イリアさんの、大輪の花のようなあそこ。
その隣で顔を真っ赤にしているイリアさんの娘のカヤーヌは、真珠のような淡い色合いの性器だった。
お隣のタチアナ奥さんのあそこは、楚々として、とても夫がいてしかも売春巫女もしているとは思えない。
僕の頭は、くらくらとした。
「さあ、どの巫女を初夜のお相手にご指名しますか?」
アドレナさんが背後からささやいてくる。
僕は──。
「――僕は……」
目の前に広がる淫靡な花園から視線を引き剥がしながら、僕は振りかえった。
白い神官服は、売春巫女のものであっても、清楚で美しい。
それはこの女(ひと)だから、特別そう感じるのかも知れないが。
「あ、貴女と交わりたい……のだけど……」
「――!!」
アドレナさんが息を飲んだのが伝わってきた。
「……」
僕は、アドレナさんの返事を待った。
何度も唾を飲み込んで、二人の間に広がった沈黙に耐えようとする。
「――わ、わたくしで、よろしいのですか……?」
やがて、アドレナさんが消え入りそうな声で答えた。
「も、もちろんっ!」
僕が息せき切って答えると、アドレナさんはしばらくうつむいていたが、
やがて、卓の上においてあった鈴を鳴らした。
入ってきた巫女見習いに、イリアさんを呼んでくるように告げる。
イリアさんは、全裸のまま部屋に入ってきた。
大きなお乳をすくい上げるようにして腕組をして、僕に微笑みかける。
もし、他の巫女に決まっていても、そのしぐさの魅力だけで、
おっぱい好きの男なら、決心を翻してしまうかもしれない。
「坊ちゃまのご指名が決まりましたか?」
「……はい。――わたくしを、ということです」
イリアさんは、片眉と唇の端のかたっぽを上げた。
ちらっと皮肉がきいたその表情に、僕は、この胸の大きな美女が、
アドレナさんに何かきついことばを投げかけるのではないか、と心配になった。
なにしろ、中庭に控えた巫女たちの中から相手を選ぶために<鏡の間>を使ったのだし、
イリアさん自身も、僕とセックスする気満々で、その列に加わりさえもしている。
中庭の巫女たちへの指名は、ある意味とても公平な選定だけど、
その場に出ず、僕と密室で二人きりだったアドレナさんが指名されたことは、
アドレナさんと反目している副巫女長にとっては、格好の上司責めの材料だろう。
(他の巫女が居ないのをいいことに、不公平な誘惑で自分を指名させたのではないか?)
そう言い立てられたら、アドレナさんはことばに窮してしまうだろう。
僕が、弁明しなければ──。
「――」
「わかりました。それでは、いったん他の巫女たちを解散させます。
お部屋は、塔の最上階をお使いください。あそこが一番静かですから」
しかし、僕が何か言おうとする前に、意外なことにイリアさんはあっさりとそれを認めた。
「ごゆっくり。――巫女長の後で、他の巫女を呼びたければ、いつでも私に申し付けてください」
くすり、と笑ったイリアさんは、僕にウインクをしながら部屋の外に出て行った。
中庭にまわった彼女が、巫女たちを解散させるのを僕は呆然と眺めた。
「と、塔の最上階って……」
「し、神殿の東側にある尖塔ですわ。あそこは最上等の<個室>になっておりますの」
神殿内に、巫女が客を取る部屋は、百近くもある。その中でもっとも良い部屋と言うことだろう。
これからすることを思い出して、僕たちは顔を見合わせて真っ赤になった。
「お、お部屋にご案内いたしますわ。行きましょう」
アドレナさんは、そそくさと立ち上がって僕を先導した。
今にも巫女服の裾を踏んづけて転んでしまいそうな様子だったけど、
僕のほうも負けず劣らずに緊張し、焦っていたので、廊下で足を滑らせそうになった。
──ようやく、といった感じで塔までたどり着く。
最上階は、やわらかな日差しが入る、明るい部屋だった。
ベッドと、枕もとの柔紙の箱と、水差し。
上質だが、シンプルこの上ない作りの部屋は、ここが何のための場所かをわかりやすいほどに示していた。
この部屋に入った男女は、互いに交わる以外に何もすることがない。
僕とアドレナさんは、そういう部屋に入ったのだ。
「……」
「……」
僕たちは、押し黙ったまま、互いの顔を見詰め合っていた。
何か声をかけたいけど、喉がからからで舌が干からびていた。
僕は、水差しの水を二つのコップに注いだ。
片方をアドレナさんに渡すと、アドレナさんはおずおずとそれを受け取った。
自分の分の水を一気に飲み干すと、ちょっとだけ気持ちが楽になった。
「あ、あのっ──」
「は、はい! な、なんでしょう?」
「い、いや、なんでもない……わけじゃなくて、ああ、そうだ。帯……してないんだね」
「え? あ、はい」
話の接ぎ穂に困った僕は、目に付いたもののことを口にしたが、
それは、意外に重要なことだったかもしれない。
イリアさんが、誇らしげに見せてくれた腹帯。
たしかそれは、一本が一月男と交わっていないことを示す証と言っていた。
アドレナさんの、純白の神官衣のほっそりしたウエストには、何も巻きつけられていなかった。
それはつまり、彼女が他の男と交わってから時がたっていない、ということなのだろうか。
だとしたら、アドレナさんは、成人の儀に必要な準備が整っていないことになる。
では、僕はアドレナさんと交わることが出来ないのだろうか。
──いや。
そんなことは、どうでもいい。
そのことに思い至ったとき、僕の脳裏を占めたのは狂おしいほどの嫉妬だった。
──アドレナさんが、僕以外の男に抱かれている。それも、ごく最近に──。
それは、僕の頭と心の中を、地獄の業火よりも熱い嫉妬の炎で灼いた。
考えれば、それは理不尽な怒りだ。
アドレナさんは、<大地の母神>の巫女長で、それはつまり、最高の売春巫女ということだ。
神殿での職務が忙しいからそうそう客は取らないだろうが、必要なら喜んでそれをする女性だ。
僕が抗議する筋合いのものではない。
でも僕は──それが嫌だった。
僕の複雑な表情に気付いたアドレナさんは、しかし、にっこりと微笑んだ。
「わたくしが腹帯をしていないのは、この一月の間に殿方と交わったからではありません。
まだそれをつける必要がない身だからでございますわ。――ほら」
アドレナさんは、左手を僕に見せた。
その薬指には、薄青に輝く宝石がはめこまれた指輪があった。
「あ、それは……」
「<乙女の指輪>。帝国市民のあなたなら、この意味はご存知ですね」
この街で、こんなものを見るとは思わなかった。
これは、貴族の子女が身に付ける処女の証。
薄青の宝石は、女神たちが作った魔法石だ。
持ち主の破瓜とともに、それは真紅に染まって<正妻の指輪>となる
<婚姻と出産の守護女神>の信者の娘は、これを好んで身に付ける。
神殿に昇った日に与えられたそれを、少女時代は純潔の証とし、
結婚後は、そのまま結婚指輪として使う。
結婚し、初夜をすごした次の日の朝、生娘から妻に変貌した娘は、
この指輪をつけた左手を誇らしげに掲げる。
一緒に寝室からでてきた男に自分の純潔を捧げたことを、
その指輪を見せることで、まわりの人間に無言で、しかしあでやかに語るのだ。
──たしかに、この指輪をしている以上、腹帯は必要ない。
過去何ヶ月間男と交わっていないか、というのを証明する腹帯に対して、
薄青の魔法石は、生まれてこの方まったく性交経験がないことを証明するものだから。
でも、なぜこんなものを、<大地の母神>の巫女長のアドレナさんが……?
<婚姻と出産の守護女神>の好みの風習は、<大地の母神>の巫女にとっては、
逆に窮屈なものであるはずだ。
僕は、アドレナさんが処女であることにほっとし、嬉しく思うのと同時に、
彼女がそれをつけていることを訝しく思った。
「……こ、この街の民は、帝国にいろいろと妥協しなければならないのです。
とくに支配層の有力者は。──イリアさんなど、たたき上げの巫女たちは、
わたくしたちのこうした態度を、けっして喜んではいないようですが……」
僕の視線に気付いたアドレナさんは、とまどったように目を伏せた。
その、あまり触れられたくなさそうな表情に、僕はかえって納得した。
帝国は、その植民地支配に、色々と手を打っている。
女神同士の協定により、地上での戦争が禁止された世界では、政治的な駆け引きがより重要であり、
そして<婚姻と出産の守護女神>は、それが得意であった。
植民地や辺境の上層部に帝国式の風習を押し付けて、下層民との分断を狙い、
その政治力や発言力をそぐようなことは日常茶飯事だ。
そして、そうした従属国の有力者たちは、それに半ば反発し、半ば迎え入れている。
帝国はアメと鞭の差が著しい国だから、僅かな妥協は、大きな見返りをもたらす。
アドレナさんのような有力者が、帝国文化の真髄といえる<乙女の指輪>を身に付けて、
帝国への恭順を示せば、その代価ははかりしれないものになるだろう。
たとえば、まだ処女であるのに、神殿の巫女長の座につくことができるような。
そうした見返りも含めて、その決断はアドレナさんの意思ではなく、
おそらくは親帝国派であろう、彼女の一族全体の決断であろうことは予想が付いた。
どこの国でも、貴族は、それにつらなる一族の存在が大きい。
(だから、イリアさんはアドレナさんに反抗的なんだ)
ひとつの謎が解けると、すべての謎がつながって解けた。
そして、アドレナさんが巫女長なのに正真正銘の処女であることにも納得がいった。
緊張がほぐれ、僕は知らず知らずのうちに入っていた肩の力を抜いた。
「あ……」
気持ちが楽になると、欲望が、むくむくと持ち上がってきた。
──ズボンの前を盛り上げるくらいに。
それを見たアドレナさんが、真っ赤になる。
そのしぐさに、僕は欲望がさらに高まるのを感じた。
──この女(ひと)の最初の男になる。
それは、僕にとって考えられる最高の幸福だった。