<僕の夏休み> 次女:星華 その6

 

 

「……」

「……脱いで」

「は、はいっ」

「……全部」

「は、はいっ……」

僕がおどおどと服を脱ぎおえたとき、星華ねえはもう真っ裸になって「準備」をはじめたところだった。

どこからか持ってきた銀色の大きなマットを、これもどこからか持ってきた空気入れで膨らます。

「これって……」

「柳町の小母さんから貰った。男の子を悦ばせる道具だって」

「……やっぱり」

てらてらと光る新品のマットは、「そういうこと」のための道具だ。

星華ねえは、一番大きな洗面器にお湯を張り、マットといっしょに持ってきたフラスコの中身を混ぜた。

お湯が、とろとろとした透明な粘液にかわった。

「……」

星華ねえは、何度かそれをすくい上げては落とし、すくい上げては落として粘度をはかった。

繊細な薬物を扱う技術者のような真剣な目で確かめ、こくりとうなずく。

――満足がいくものを作れたようだ。

「……そこに、寝て」

ローションがついた指先で、マットの上を示す。

僕は言われるままに従った。

寝転ぶと、星華ねえの裸が目に入る。

「うわ……」

分身が、むくむくと頭を持ち上げ、自己主張してきた。

「彰……すごい……」

「ええと、これはその……」

昨日の交わりから、半日以上が経っている。

徹夜明けで、いわゆる「疲れマラ」の状態になっていたこともある。

さらに言えば、生死を賭けた戦いという異常事態の中で、本能が刺激されたこともある。

……何より、裸の星華ねえが隣にいる。

僕のおち×ちんは、ぱんぱんに張ってしまった。

「……」

星華ねえが、洗面器のローションを僕の身体の上にたらす。

とろとろ、とろぉ。

人肌に温まった粘液は、それだけで皮膚に快感と興奮を与える。

つ、つ、つ。

星華ねえが、それを手のひらで伸ばした。

僕の全身にぬるぬるとしたローションが塗られていく。

「……気持ちいい?」

「うん」

人間は全身が性感帯になりうる、という。

僕は、胸やお腹を撫でられるだけで、ものすごい興奮を感じていた。

星華ねえの、なめらかな手のひらは、肌に触れる、ただそれだけで気持ちいい。

でも、星華ねえは、もっと気持ちいいことをはじめてくれた。

「……」

僕の隣に添い寝するような形で横たわった星華ねえは、

ためらいもなく右手を僕のおち×ちんに伸ばした。

にゅる、にゅむ。

粘液をたっぷりと塗りたてて、柔らかくしごく。

ゆっくり、ゆっくりと。

「あうう……」

僕は太ももをもじもじさせて、星華ねえがもっと強く、もっと早く手を動かしてくれるのを待った。

でも、星華ねえは、僕に「おしおき」しているのだった。

星華ねえは、手の動きをさらにゆっくりとした。

僕はマットの上で身もだえした。

それを見た星華ねえは、別な「おしおき」をはじめた。

 

ちゅっ。

一瞬、何をされたのか、分からなかった。

星華ねえが、僕のほっぺにキスをしたんだ。

「あ……ひゃっ!?」

僕が声を上げる。

星華ねえはかまわず、その唇を動かした。

いや、正確には、その唇から突き出された舌を。

それが、キスした場所から、僕の唇にむかって頬の上を進む。

ぬるぅり、のろぅり。

世にも美しいかたつむりが、這い、僕の唇に到達した。

「んむ……うぐぅっ?!」

一瞬の躊躇もなく、星華ねえの舌は僕の唇を割った。

「むぐ……うむ……」

星華ねえの舌は、僕の口腔を大胆に犯した。

僕の歯に、歯茎に、舌に――柔らかい肉片が蹂躙していく。

(これは、私のもの)

星華ねえの情熱的な舌の動きは、無言だけど、百万のことばよりも雄弁に宣言していた。

「……」

僕は、それに答えるために、やっぱり無言で舌を絡めた。

「んん……」

僕の至近距離で、星華ねえが目を細めた。

二人の舌の動きが、ゆっくりとなる――お互いを確かめ合うように。

「――ふあっ……」

互いの呼吸(いき)の限界まで舌を絡ませあった僕たちが唇を離すと、

二人の混ざり合った唾液が、ローションよりも長い糸を引いた。

「……」

大きく一呼吸した星華ねえは、そのまま次の「おしおき」に入った。

「きゃっ」

乳首に舌を這わされ、僕は女の子のような声を上げた。

星華ねえはかまわず、僕の乳首を含んで舌先で転がす。

大好きな女性に犯される――。

男女が逆になったような責めに、僕は、頭がくらくらとする陶酔に包まれた。

 

「ひゃいっ……」

「……」

星華ねえは、僕の両方の乳首をかわるがわるなぶった。

柔らかい舌先が先端を突つき、唇が吸いたてるたびに、僕は甘い悲鳴を上げた。

星華ねえのゆっくりだった右手の動きが、少しずつ力と早さを増す。

僕はマットの上でびくんびくんと、釣り上げられた魚のように跳ねた。

「……彰、気持ちいい?」

「い、いいよう……気持ちいいっ……」

「そう。……じゃ、もっと良くしてあげる」

星華ねえは、枕元に置いた洗面器の中に手を差し入れた。

手のひら一杯にローションをすくう。

すらっとした足が、僕の側面で、器用に折りたたまれた。

「え……?」

星華ねえは、自分の足指と足の裏にローションをたっぷりと塗りつけた。

それって、まさか――。

以前に見たことがある、かなりフェティッシュなビデオでしか知らない行為。

両足にローションを塗り終えた星華ねえは、僕の顔を覗き込んだ。

「……これ、するのは初めてだから、失敗したらごめんね。

でも、男の子はこれがすごく好きだって、柳町のお姉さんたちは言ってた」

そういうと星華ねえは、僕の下半身に足を伸ばした。

下腹の上を、つるつるしたものがすべって行く。

「あ、あ、あ……」

僕が何かをことばにする前に、星華ねえの足は、目的地に達した。

「……」

神経を集中するようにちょっと眉根を寄せた星華ねえの足指は、

親指と人差し指の間に、僕のおち×ちんの茎の部分をはさみこんでいた。

ぬるぬるのローションの感触と、手とは違う、ちょっと力強い圧迫。

星華ねえは、ゆっくりとそれを上下させはじめた。

足指でおち×ちんを愛撫する性技――俗に言う「足コキ」だ。

 

「うわあっ」

僕は情けない悲鳴を上げた。

星華ねえの足は、白くてすべすべで、綺麗だ。

ジーパンやパンツ系のスーツなどを好んではく星華ねえが

足を露出することはあまりないのだけど、僕は、その魅力を知っている。

川遊びに行った時にだけ見ることが出来る、美しいもの。

小さな頃、石膏雪花(アラバスター)の細工物をはじめてみたとき、

その透き通るような白さとつるつるとした清潔感と美しさに、

僕は星華ねえの足を連想したことを思い出した。

その足が、今、エッチなローションにまみれて、僕の男性器に奉仕している。

「……んくうっ!」

僕は、マットから飛び上がらんばかりの快感を覚えた。

おち×ちんに、血液と、興奮と、精液が限界まで注ぎ込まれる。

「……」

でも、星華ねえは、そのまま最後まで僕をイかせてくれなかった。

爆発の寸前で、足指に力をこめて、ぎゅっとおち×ちんの茎をつかむ。

どくん、どくん。

びくん、びくん。

僕のおち×ちんは、文字通りにはちきれそうなくらいに膨れ上がったまま時を止められた。

「……せ、いか…ねえ……」

「くらくら」を通り越して「ぐらぐら」レベルのめまいの中、

僕は泣きそうになって星華ねえに声を掛けた。

眩んだ視界には捉えきれない至近距離で、星華ねえのささやき声が耳元で聞こえた。

「……彰は、私のもの――わかった?」

「え……?」

「私が、彰をいっぱい悦ばせてあげる。ずっと、ずっと、……一生。

だから、彰は私のところから、どこにも行っちゃ駄目。ずっと、ずっと一緒……」

「……星華ねえ」

「楽しいことも、恐いことも、気持ちいいことも、危険なことも、みんな一緒。

私を、全部丸ごと、彰にあげる。だから、彰の全部を私にちょうだい」

それが、星華ねえの考える「結婚」であり、「夫婦」なのだろう。

 

星華ねえは、いつも冷静で、ものごとにこだわらない。

――だけど、それは、執着がないわけじゃないんだ。

星華ねえは、たった一つ、一番大事なものだけに執着する。

自分の一生を、本当に全部捧げるくらいに、強く。

さっきの感情の爆発は、星華ねえは、ほんとは誰よりも情熱的な女性であることの現われ。

そのことを、そしてその対象が僕以外の何者でもないことを悟って、僕は絶句した。

――驚きと、喜びに。

「わかった、彰?」

星華ねえが、もう一度足指にぎゅっと力をこめて聞いた。

僕は、身もだえするような快楽に、うわずった声で返事をした。

「――うん、わかった……」

「……もう私に黙って、危ないところに行かない?」

「行かないよ。僕は、星華ねえとずっといっしょだよ……」

身を起こして僕の顔の上に自分の顔を近づけた星華ねえは、

とても嬉しそうな微笑を浮かべながらささやいた。

「そう。……じゃ、許してあげる」

「せ、星華ねえ、……ぼ、僕…もう……」

「……イきたい?」

「うん……このまま、星華ねえの足で……」

倒錯した快感は、絶頂を味わなければ収まりそうになかった。

「……」

こくりとうなずいた星華ねえは、足指の締め付けを緩めた。

同時に、上下にこする動きを再開する。

僕はたちまち上り詰めた。

「ひあああっ!!」

情けないくらいに甘い悲鳴を上げて、僕は射精した。

びゅくっ、ぴゅくっ!

おち×ちんの先っぽから激しく噴き上げられた白い粘液は、

信じられないくらい高くまで飛び、僕のお腹や、胸や、顔にまでかかった。

「うああ……」

何度も何度も跳ね上がるように律動を繰り返すおち×ちんを、

星華ねえは丁寧にしごき揚げ、最後の一滴まで残さずに吐き出させた。

 

「……彰、精子まみれ……」

放心状態の僕を見下ろして、星華ねえがくすりと笑った。

「ふああ……」

あまりの気持ちよさに、僕はことばもなく、呆けたような声を出すだけだった。

「ん……」

星華ねえは、僕に顔を寄せた。

ぺろりと、僕のほっぺたについた精液を舐めあげる。

僕は、慌てた。

「あ……星華ねえ……汚いよ……」

「なんで? 彰の精液。汚くなんか、ない」

星華ねえは、舌ですくい取るようにして白い粘液を舐め上げる。

何度かそれを繰り返した星華ねえが唇をつぐみ、目を閉じる。

僕は、ぞくぞくっとした。

星華ねえが、僕の精液を口に含んでる。

いや、それだけじゃなくて――。

くちゅ、くちゃという音は、舌の上に乗ったものを丁寧に転がしている音。

すぅすぅ、という呼吸音は、口腔内の匂いをかいでいる音。

こくん、という音は、僕の精液を飲み下した音。

「うん。――彰の匂いと、彰の味。美味しい」

ゆっくりと目を開けた星華ねえは、ささやいた。

いつものように、感情のふり幅が少ない声に、僕にしか分からない淫らさと艶やかさがこめられている。

それは、僕に、こう告げていた。

(――これは、全部、私のもの)

僕は、僕のすべてが星華ねえに飲み込まれて一体化して行く感覚を覚えた。

星華ねえの肌や、お腹の中や、子宮の奥に、僕が吸い込まれ、溶け込み、ひとつになっていく。

「――星華ねえっ!」

僕は、猛烈な情欲を覚えて星華ねえに抱きついた。

「ん……っ」

「星華ねえ、セイカネエ、せいかねえ、せいかねえせいかねえせいかねえ……」

昨日、星華ねえが見せたような、声を出すのももどかしいくらいに狂おしい衝動が僕を襲う。

「あ……」

そして、星華ねえは、昨日僕がそうしたように、つがいの欲情をすべて受け入れた。

 

僕は何度も、星華ねえの中に入った。

ローションと、星華ねえの蜜液と、僕の精液でぬるぬるとなった二人の性器は、

どこまでが自分の肉体で、どこまでが相手の肉体なのか、境界があいまいだった。

――わからなくて当然だった。

星華ねえは全部僕のものだったし、僕は全部星華ねえのものだった。

二人は、二人そろってはじめて完全な存在だった。

だから、いつでも何度でも一つになろうとした。

僕たちは、限界まで交わり続けた。

互いが所有するつがいのすべてを求めて。

 

「……はぁふ……」

星華ねえが、熱い吐息をついて僕の上に崩れ落ちた。

もう何度交わったのか、覚えていない。

あたり一面が暗くなり、虫の音が遠くに聞こえるのを考えると、

半日以上も交わっていたのかもしれない。

昨日も、同じくらいの時間を過ごしたけど、今日は、もっともっと濃厚で熱烈だった。

僕は、息も絶え絶えになりながら、それでも星華ねえとつないだ手を離さなかった。

「……ふぅ……んむ……」

星華ねえが、僕に優しく頬ずりする。

「彰、……いっぱい、イった?」

「うんっ! ……星華ねえは?」

「私も、たくさん、イった」

「――僕は、星華ねえのものになった?」

「うん。――私は、彰のものになった?」

「うん!!」

星華ねえの唇に、小さな、でも世界で一番幸せそうな微笑が浮かんだ。

僕は、僕のものになった女神さまの美しさに、陶然となった。

――これから一生の間に、何万回もそうするのと同じくらい強く、

妻となる女(ひと)に魅せられて。

 

「あがろうか?」

「うん」

満ち足りた思いの余韻を楽しみながら、僕らはお風呂を片付けた。

体力はもう限界なので、申し訳ないけど、本式のお掃除はお手伝いさんに任せる。

マットを片付けて、お湯で流して、そこまでが精一杯だ。

いつの間にか脱衣場に用意されていたパジャマを着て、お風呂場を出る。

――途中で美月ねえや陽子に会ったらどうしようか、とどきどきしたけど、

幸い渡り廊下に出て「ばっちゃの機織小屋」に行くまで誰にも合わなかった。

まあ、会ったとしても、二人三脚をするときよりも密着しながらふらふら歩いている僕たちを見たら、

そのまんま黙って見送ってしまいそうだけど。

星華ねえの部屋の二階に上がると、四方から虫の音が聞こえてきた。

「……そう言えば……」

並んでベッドに腰掛けた僕は、星華ねえを見つめた。

「何?」

「……双子……なの?」

戦いの最中、僕に助太刀してくれた我が子のことを思い出して、僕は尋ねた。

「うん。――女の子の、双子」

「そんなことまで、わかるんだ……」

まだ細胞分裂もしているかもわからない時期のはずだけど、

僕は、星華ねえのことばが真実だということを知っていた。

あれだけの力を持つ子供たちだ。

お腹の中にとどめている母親がそれを明確に感じ取っていても不思議ではない。

「ありがとな。――パパを助けてくれて」

僕は、まだ膨らんでいない、星華ねえのきゅっとくびれたウエストの辺りに語り掛けた。

「――ママも」

星華ねえが、自分のお腹をそっとなでながら、言った。

僕が戦いに敗れて死んでいたら、――星華ねえも生きてはいない。

双子は、自分の両親を生まれる前から救ってくれたのだ。

「……親孝行の子供だね」

「うん。――でも、ちょっと、お転婆すぎるかも」

「……え?」

突然、星華ねえが抱きついてきて、僕はベッドの上に押し倒された。

 

「な、何を……」

身体を擦り付けてきた星華ねえの、積極的な愛撫に、僕は目を白黒させた。

さっき、互いの限界まで、あんなに交わったのに、

今の星華ねえの、この抱きつき具合は――やっぱり、あれのお誘いだ。

「せ、星華ねえ、満足できてなかったの……?」

男として、なんとなくショックを受けて、僕はつぶやいた。

「ううん。私は、すごく満足した。――でもこの子達が……」

星華ねえは、僕の首筋に唇を這わせながらささやいた。

右手は、もう僕のパジャマのズボンの中に差し込まれている。

「……この子達が……?」

「さっきの戦い、納得できていないんだって。

自分たちがもっと強かったら、もっと彰と私を楽にさせられたのに、って、

この子達、自分たちの未熟さに怒ってる」

たしかに、双子の力で作られた双頭の土蛇は、星華ねえのそれよりは動きが不器用だった。

だけど――。

「み、未熟って、まだ生まれてもないのに、当たり前じゃんっ!?」

「本人たちはそう考えてないみたい。――だから、ね」

星華ねえは、目をとじてこくり、とうなずいた。

ものすごく機嫌がいい時の、星華ねえのくせ。

「――パパを、――志津留の血と力を、もっと濃く引き継いで生まれてきたいんだって……」

「そ、それって……」

「――彰。私の子宮の中に、届けてあげて」

星華ねえは、そういって、僕の唇をキスでふさいだ。

それから一分もしないうちに、せっかく着たばかりのパジャマは、星華ねえに脱がされ、

僕らは夜通し、子供たちの「最初のわがまま」に振り回された。

 

――振り回されてへろへろになったのは、主に僕のほうだけど。

 

 

 

「――彰。その試験管取って」

「あ、これね」

「――データ取りは、これで最後」

「OK。……できた!」

「お疲れ様。あとは、データをまとめるだけ」

「……それが大変なんだけどなあ……」

んーっ、と背伸びをしながら、僕はぼやいた。

星華ねえは、印刷されて出てきた用紙をざざっと見ている。

「紅茶、入れてこようか」

「ありがと……でも、すぐ出れるから大丈夫。

お茶は、一菜(かずな)と一葉(ひとは)のところに行ってからにしよう」

「あ、それ、いいねっ」

僕は、研究室のある棟から百メートルくらい離れたところにある、

マンションの一室にいるわが子に思いを馳せた。

二人で検査したり、機械を調整したりする重要な時間帯以外は、

星華ねえと交代しながらの作業だから、もうかれこれ十二時間も会っていない。

思い当たると、気もそぞろになってしまう。

「ごはんは食べたかな。お昼寝はちゃんとしたかな?」

「今日のお手伝いさんは、志摩さんと、あの二人だから心配いらないと思うけど……」

そういいながら、星華ねえもそわそわとしている。

「……ねえ、データチェックは後にしない?」

「……そうね」

星華ねえは、机の上に、ぽんと紙束をおくと、さっと立ち上がった。

タイトなGパン姿に羽織った白衣がまぶしいくらいに綺麗だ。

それにうっとりする暇もなく、僕も立ち上がる。

ぼろい研究室のこれまたおんぼろドアを開け閉めするのももどかしく、二人は外に出た。

コンクリ道を、早歩きで急ぐ。

マンションの入り口にかかるころは、もう駆けっこ状態だった。

エレベーターは下に来ていない。

躊躇なく階段を選ぶ。

三階まで、三段抜かしで駆け上がる。

ドアを開ける。

「ただいまー!! ふたりとも、元気でいい子にしてたかいっ!?」

 

「……とても元気だった。……でも、全然いい子じゃなかった……」

玄関先の床の上から、息も絶え絶えの声がした。

僕はそれを無視して、飛び越した。

「……おいっ……」

廊下に伸びていた男の子――よく日に焼けて、いかにもすばしっこそうな十五、六歳くらいの子が、

起き上がり、歯をむき出して怒った。

「……ちょっ、あたしの尻尾は、おもちゃじゃないってばあっ!」

居間で双子にお尻から伸びている銀色の房を引っ張られて、十七、八歳くらいの女の子がわめく。

「あははっ、いい子にしてたみたいだねっ! 一菜っ、一葉っ!」

「ど、どこをどうみたらそんなセリフが出てくるのさっ!!」

女の子のきいきい声の抗議は、僕も星華ねえも聞いてない。

もちろん、双子の姉妹も。

「ぱぱぁ〜!」

「ままぁ〜!」

娘たちを抱きかかえて、頬ずりする。――至福の時。

星華ねえのクールな横顔も、このときばかりは緩みっぱなしだ。

 

<挑戦者>との戦いから四年。

僕は二十歳になり、星華ねえは二十三歳になった。

今は、同じ大学の二年生同士だ。

あの後、僕は生まれてくる子供たちに備えて、高校をやめて<本家>に婿入りした。

出産のため、大学を三年間休学した星華ねえといっしょに子育てに追われながら、

大学検定を受けて、星華ねえと同じ大学に入学した。

今は同じゼミで薬学の研究をしながら、双子といっしょに大学のある街でくらしている。

いずれは志津留の家を継ぐ(もっとも僕らは当主の親という立場から後見人なんだけど)ことになるけど、

それまでの間、家業にも役に立つ知識や技術を学ぶいい期間だからだ。

以前から独自であんなに強力な薬を作ることが出来た星華ねえが

大学で目指しているものはとても高くて、学部生なのにもう院生レベルに達している。

僕も頑張っているので、なんとかついて行くことができた。

「星華ねえといつもいっしょ」

それは、僕らの間の一番大切な約束で、それを果たすのに必要ならば、僕は多分空だって飛べるから。

志津留の本家から交代でお手伝いさんに来てもらってるおかげで、

学生結婚、しかも子持ながら、大学生活のほうもまずまずにこなせている。

――ありがたいことだ。

「……おい」

背後で、恨めしそうな声がする。

「なんだい、稲空(いくう)?」

一菜を「高い高い」しながら僕は振り向いた。

人形を取っているときは、その用紙も手伝って、

なんとなくこの姉弟のことを、妹分、弟分に思える。

そうだなあ。自分や陽子と、吉岡さん家のケン坊との間くらいの妹分、弟分。

その「妹」分と「弟」分が、不平を申し立てた。

「……手伝っているのは、使用人だけじゃないだろ……?」

「そうよ、しかも乱暴する相手は、あたしら限定じゃないの?!」

「いや、この子たちも、やっていい相手と悪い相手はわきまえてるから……」

「なによ、それぇっ!?」

「……静かにして」

上機嫌な一葉をあやしながら、星華ねえが睨むと、姉狐の稲風(いふう)が縮こまった。

弟狐の稲空も、しゅんとなる。

――稲風と稲空。<挑戦者>の子供たちだ。

彼らは、母親の<挑戦者>ともども、<契約>に縛られて志津留家に奉仕している。

二匹とも、それ相応な力を持つ妖し狐のはずなんだけど――。

くいくい。

「いたた、いたいわよぅ、お嬢ちゃん……」

ぐいぐい。

「いてっ、耳を引っ張るなって! マジ許してっ!!」

一菜と一葉に髪や耳を引っ張られて泣き声をあげる姿は、とてもそうは見えない。

志津留の新しい当主たちは、生まれる前から稲風たちを抑えるほどの力を持っていたのだから、

当然といえば、当然なんだけど。

「――まあまあ、二人ともおイタはめーですよぉ。おイタしたら、おやつあげませんからねえ」

台所からお手伝いの志摩さんが顔を出す。

おっとりとした人だが、お手伝いさんとしての腕は、千穂さんや小夜さんもかなわない女性だ。

「……いたずら、してない」

「……してないから、おやつちょうだい」

一菜と一葉があわてて「いい子」モードに入る。

この辺の呼吸は、見習わないと。さすが四男六女のお母さん、凄腕だ。

「――志津留先輩っ!!」

ノックと同時に――つまり、返事を聞くつもりもなく――ドアが開けられた。

稲風と稲空があわてて耳や尻尾を隠す。

元気な声で入ってきたのは――マサキマキだ。

「ちょっと、お姉ちゃん! 失礼でしょっ!」

後ろで袖を引っ張るセーラー服の女子中学生は、マサキマキの妹さんで、

ケン坊のガールフレンドの正木紗紀(まさき・さき)ちゃんだ。

中学を地元ではなく、県庁所在地のこの街の私立に選んだので、

星華ねえを追って同じ大学に入ったマサキマキと姉妹で下宿している。

……このマンションの一階下だ。

そんな縁で、毎日押しかけてくる。

「……もう先輩じゃない。同級生」

そう。

学部は違うけれど、休学していた星華ねえと同期生だ。

「そ、そんなことないですよぉ、先輩は先輩です、ずっと! 一生!」

「どこの体育会系だ、そりゃ……」

「うっさいわね! 後輩のくせに、君、ナマイキよっ! ちなみに私は弓道部っ!」

「さいですか……。でも後輩じゃないよ、そっちは浪人しているから、僕とも同級生だろ?」

「だからあっ! 高校の時の先輩後輩は一生ものなのよっ!」

マサキマキは僕を睨みつける。

相変わらず「志津留先輩、激ラブ!」な彼女にとって、

星華ねえの旦那の僕は、不倶戴天の敵だ。

心配していた<挑戦者>の憑依の後遺症も全然ない。

あの後、色々あって、本人も、まわりも、流鏑馬(やぶさめ)出場のプレッシャーで

一晩家出して、外でぼんやりしていた程度の認識でいる。

「君、一菜ちゃんと一葉ちゃん残して、ぱぱーんと交通事故でも起こしてくれないかしら。

そしたら、私が志津留先輩を慰めて、あれやこれやできるんだけど……」

そんなことを公言する性格は、ちっとも変わっていない。

まあ、この子が下の部屋に住んでいるおかげで、

一菜と一葉がどんなに暴れても、文句を言われないから、ありがたいけど。

「すいません、しょーがない姉で……」

ぺこりと頭を下げる紗紀ちゃんのほうが、よっぽど大人だ。

 

「……ママ、おっぱい……」

「あー、私もっ! 私もっ!」

おやつを食べ終えた双子が、不意に爆弾発言をする。

「なっ……お、おっぱいっ!? 先輩のッ!?」

マサキマキが身を乗り出し、紗紀ちゃんに後頭部をがつんと殴られる。

「おおっ!?」

稲空が立ち上がりかけて、稲風にぎゅううっっと、思いっきりつねりあげられる。

「だめだぞ、二人とも。もう、おっぱいは卒業しただろ?」

三歳児の双子は、とっくに乳離れしている。

だけど、甘えん坊の二人は、今でも時々星華ねえのおっぱいを恋しがる。

無理もない。星華ねえのおっぱいは、そりゃもう魅力的……。

「だって、パパもママのおっぱい、のんでるもん!」

「うん、のんでる、のんでる!」

あわわ。

「な、な、なっ! 志津留先輩は人妻なのよっ!

そのおっぱいを吸うなんて、なんて破廉恥漢っ!! 警察を呼びますわよっ!! 」

「僕が、その星華ねえの旦那だわいっ!!」

収拾がつかなくなりかける部屋の中で、無邪気な双子はさらなる爆弾発言をする。

「パパ、ママ、おっぱいだめなら、おふろであそぼうっ!」

「うんっ、こないだパパとママがつかってた、ヌルヌルのであそびたい!」

「……!」

「……!!」

「……!!!」

もはや収拾つかなくなったマンションの一室。

――ふと見ると、星華ねえは、唇の端でわずかに微笑んでいた。

目を閉じて、小さくうなずく。

僕の奥さんの、とても機嫌のいい時の癖。

 

季節は、秋。

毎日が何かと大変だけど、僕ら親子はとても幸せだ。

夏に比べて風は涼しいけど、そこには、暖かな恵みが含まれている。

――僕が大好きな女性の微笑のように。

 

                      FIN

 

 

 

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