<白い月光の下で>
ふいに息苦しいくらいに切なくなって、僕は外に出たんだ。
空には、まあるい、まあるいお月さまが浮かんでいて、しらしらと光ってる。
「あ……」
その光の下に、あの女(ひと)が立っているのを見て、僕はどぎまぎとしてしまった。
昨日の晩のことが克明に思い出される。
僕はうつむいてしまった。
「――あら、そこにいるのは、だあれ?」
小母さんの優しい声がかかって、僕はおずおずと進み出た。
「あらあら、まあまあ。そんな顔をしてどうしたの?」
月光よりも白い肌の女(ひと)は、微笑んだ。
僕がこの世の何よりも美しいと思う微笑み。
僕は光に吸い寄せられる蛾のように、ふらふらと引きこまれた。
「あの……その……」
「なあに?」
「昨日は、ごめんなさい……」
おいたをした幼児のように、僕は頭をたれた。
実際、小母さんと、僕とは親子ほども年が離れている。
僕のことばに、叔母さんは、黙って、また微笑んだ。
昨日のことはなんでもないのだ、というように。
「はい。――本当は、あなたが謝る必要はないんだけど、
あなたがそれで気持ちが楽になるなら、今ので許してあげる」
「でも、でも僕は――」
小母さんやみんなにひどいことをした、と言い掛けて、僕は押し黙った。
小母さんが、僕をのぞきこむようにして顔を近づけているのに気がついたからだ。
透けるように白い肌と対照的に、黒々とした、でもとても澄んだ大きな瞳が僕を映す。
「それもこれも全部、許してあげる。大丈夫、みんなも怒ってなんかいないわ」
「……はい」
僕はそう答えた。
小母さんが、そういうのなら、まわりのみんなのことも含めて、きっとそうなのだろう。
僕はちょっとほっとした。
「……」
小母さんが、くすり、と笑う。
そしてその微笑を浮かべたまま、小母さんは僕に顔を近づけ、
――ぺろり。
と、目の下を舐めた。涙が乾いた後を。
「――!!」
びっくりして顔を上げると、小母さんは、知らーん顔でお空を見上げていた。
まあるい、まあるいお月さまの出ている夜空を。
「……」
僕は、めちゃめちゃに混乱した。
キスよりも親密な行為を受けて、僕の頭の中はいろんなものがぐるんぐるんと回っている。
世界そのものが、まあるいお月さまを中心にあらゆる角度でばらばらに動き出したかのようだ。
「……うふふ」
僕が、声も出せずにいると、小母さんはお月さまから視線を戻してまた笑った。
「今ので、あの話は全部おしまい。これ以上言ったら、怒るわよ?」
「はい」
言われたとおり、僕は、あのことを頭の中から追い払った。
……正確に言うと、別な事を思い出してしまったので、
かぁっとなった頭の中からそれが追い払われたのだけども。
「……あの……」
「なあに……?」
「……」
いたずらっぽく笑った小母さんに、僕は何も言えなくなった。
……今度は、身体がかぁっと、熱い。
ずっと前に、一度だけ味わったそれを思い出して、僕はどぎまぎした。
「……その……」
「うふふ、どうしたの? 何かしたいの?」
小母さんの笑顔がさらに優しくなった。
絶対、わかってて言ってる。
こういう時、小母さんはけっこういぢわるだ。
「もう一回……したいです」
あのことが起こる前、僕と小母さんがしちゃったこと。
すごくすごく気持ちよくて、僕はずっと忘れられなかった。
「うふふ。こんなオバさん相手でいいの?」
小母さんは、くすりと笑ってから、真剣な眼差しになった。
僕はこくりとうなずいた。
「しょうがないわね。……いいえ、しょうがないのは私のほうかも。
こんな若い子に、隙を作っちゃったのは私のほうだからね」
「そんな……小母さんは悪くないよ」
あの日、小母さんと身体のつながりができてしまったのは、僕の暴走だった。
小母さんの、白いお尻を見ていたら、むらむらっと来て、
気がついたら僕は小母さんにのしかかっていて、そのお腹の中に精を注ぎこんでるところだった。
あの日以来、罪悪感に駆られて、小母さんの顔もまともに見れない日が続いて、
僕は――あのことに遭遇したんだ。
きっとあんなことになったのも、小母さんとしちゃったことと、無縁ではないかもしれない。
僕がもっと心を強く持っていれば、避けられたかもしれなかったのに。
小母さんが、ぼくをちらりと見た。
いけない。
あのことは、さっき「おしまい」にしたんだっけ。
頭を振って、もう一度それを振り払うと、また小母さんと交わった時のことが思い出されて、
僕はごくりとつばを飲んだ。
その音を小母さんに聞かれやしなかっただろうか、と恥ずかしくなる。
小母さんは、そ知らぬ顔で、ふと、むこうを向いたから、――たぶん聞かれている。
だって、むこうを向いた小母さんは、僕にお尻をむけているんだもん。
お月さまのように、まあるくて、白くて、きれいなお尻を。
はぁはぁという、荒い息の音だけが聞こえる。
あの日のように、僕は小母さんに後ろからのしかかり、夢中で腰を振っていた。
白くて大きな小母さんのお尻が、僕に征服されている。
ぐちゅ、ぐちゅ、という粘液質な音は、小母さんの中がたっぷり濡れている証拠だった。
「ああ、ダメよ、そんなに強くしたら。――私、おかしくなっちゃう」
ことばと裏腹に、小母さんの声は、僕がそうすることを望んでいた。
僕はさらに強く叔母さんの中に出し入れをした。
どんどんと欲望が高まる。
「小母さん、僕、もう……」
「ダメよ、ダメ。今日は、赤ちゃんが出来ちゃう日なんだから……。精子なんか、出しちゃダメ」
小母さんのかすれた声を聞いて、僕は目の前がくらくらするほどの衝動に駆られた。
「じゃ、じゃあ――小母さんの中に出すよ」
「えっ……!?」
小母さんがもがこうとするのを覆いかぶさる力を強くして押さえつける。
「小母さん、僕、小母さんの中に出したいっ!」
「だ、ダメよ……。私はあなたよりずっと年上だから……あなたの子供を産む女にはなれないわ」
「そんなことないっ。僕は、小母さんに僕の赤ちゃん、産んでほしいんだっ!」
まだ、大人になりきれていないはずの僕は、その時、初めてそれについて深く考えた。
この女(ひと)に、僕の子供を産んでほしい。
この女(ひと)の産む子供の父親になりたい。
はじめて、小母さんにあった時、僕はまだ正真正銘の子供だったけど、
こうなる日が来ることを知っていたのかもしれない。
そして、多分、小母さんのほうも。
すうっと大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
もう一度吸って、小母さんは呟いた。
「しかたないわね……。いいわ。私の中にいらっしゃい……。
小母さんが、あなたの子供を産んであげる……」
その声を聞くか聞かないかのうちに、僕は、びゅくびゅくと小母さんの中に射精を始めていた。
愛しくてたまらない、年上の女(ひと)の子宮に、僕の子種が収められていく。
この日、僕は、「大人と子供の中間」から、「父親という大人」になった。
「――という夢をだなあ、意識を取り戻す直前に見たんだ」
「……」
「いやー。まさか、現実にこいつらが子供作っていたとは、思わなかった」
「……」
俺は、お腹が膨らみ始めたシロの首筋を藁でふいてやりながら言った。
「しっかし、シロもまあ、隅に置けないな。こんな年下のアオを引っ掛けるとは、いや、お見事お見事」
「……」
「まあ、年取ってるったって、シロはもともとが美人だからな。
その気になって誘っちゃえば、アオなんか一発だわな」
年上の恋女房の周りをうろうろとしているアオを見ながら俺は笑った。
若い牡馬は、心なしか一回り逞しくなったように見える。
まだまだシロのお尻の下に敷かれている感じなのは、いたしかたないが。
胸に受けた傷が治って戻ってきてみると、
シロとアオが子供を作っていたのは驚きだったが、これはものすごく喜ばしいことだった。
俺が見た夢が正夢だったということも含めて、とてもいい気分だ。
「……で?」
冷たい声がかかって、俺は振り向いた。
「で? ……と言われても、そういう夢だったんだ」
「……ほほう」
声はさらに温度を下げたようだ。
俺は、小夜(さや)がこちらを睨みつけているのを確認した。
病院から退院して、仕事に復帰する俺を気遣って牧場まで送ってくれた小夜は、
そのままなぜか居座って、作業を手伝ってくれた。
聞いてみると、今日はお屋敷の警備のほうは「たまたま非番」だそうだ。
せっかくの休日をこんなところで潰すのもなんだから、
こっちを気にせず帰るように言ったんだが、聞きやしない。
ま、こいつが俺の言うことに従うことなんか、今までだって一回もないんだが。
――お茶の時間に、もう一回、切り上げて帰るように言おうかと思ったんだけど、
なんとなく照れくさくなって、三回目の提案を切り出せなくなった。
俺が意識不明の重態のとき、こいつがずっと付き添っていてくれたことを知って以来、
何か、こう、こいつに対して、前よりもうまくことばが出ないことが多い。
話の接ぎ穂に困って、寝藁を敷く作業をしながら、
意識が戻る前に見た夢の話をしたんだが、こいつがお気に召さなかったらしい。
「……な、なんか怒ってないか、お前?」
「……ああ。怒っているが、何か?」
「な、何で怒るんだよ? いい話だろ?」
心底、理由が分からない。
「ああ、いい話だな。貴様のそのエロ妄想が入ってなければ、の話だが」
「じ、実際、そういう夢だったんだからしょうがないだろっ!?」
「四六時中いやらしいことを考えているから、死に掛けた時でさえ、そんな夢を見るのだ」
「ちょ、待て、四六時中とはなんだ。俺がいつもやらしい夢を見ているとでも言うのか?」
「違うのか?」
「当たり前だ。夢精なんかしたのは、あの夢が三年ぶりだ」
「……き、貴様、そ、そんなことまでしていたのかっ!?」
「いや、びっくりしたって、マジで。
目を覚ましたら、お前がわんわん泣きながら抱きついてくるわ、
パンツの中はぐちゃぐちゃだわ。大変だったんだぞ」
「……殺す……。そこに直れ。首をはねるっ!!!」
「ちょっ! なんでそんな激怒モードになるんだよ。わけわかんねえよ!
あっ! 長巻なんか持ち出すな! こら、俺は病み上がりなんだってばっ!!」
「ふっふっふっ、死体になったら関係なくなるぞ?」
「ま、待て、目がマジだぞ。お前。――こないだ巫女さんバー行ったのが、そんなに気に食わなかったのか!?」
「そ、そんなところ、まだ通ってたのかっ!? 百回殺すっ!! 覚悟しなさいっ!!」
「た、助けてぇ〜っ!!」
「……さわがしい二人だねぇ……」
いつの間にか、僕の足元に、<挑戦者>さんが、来ていた。
「あんなことしてないで、さっさと子供でも作ればいいのに。
ありゃ、いいつがいになるはずなんだけどね」
追いかけっこをはじめたシシドさんとサヤさんを横目に見て、<挑戦者>さんは首を振った。
いや、もうこの山の主の座をかけて、シヅルの人たちと戦うことはないだろうから、
このひとの事を<挑戦者>さんと呼ぶのはふさわしくないかもしれない。
あの日、僕を操って「悪いこと」をさせたこの狐さんも、今ではこの御山の仲間だ。
悪びれもせず、時々牧場に遊びに来る。
けっこう面白いひとだけど、時々僕のリンゴとかを失敬していっちゃうのは、困る。
「ま、若いツバメひっかけるなんて、あんたも、なかなかやるもんだわね。
――この子がここに来た時から狙ってたって本当かい?」
狐さんは、小母さんを見上げて言った。
なんとなく、うらやましそうな声音だった。
「うふふ」
小母さんは幸せそうに笑っただけで、答えなかった。
知らーん顔で、空を見上げる。
夕暮れに、まあるい、まあるいお月さまが浮かんでいる空を。
小母さんの、蟲惑的なそのお尻や、僕の子供が中に入っているそのお腹みたいに、
まあるくて、白くて、大きくて、きれいなお月さまが浮かんでいる空を。
fin