<学園祭の美少女> その1
「いってらっしゃい。――今夜は早く帰ってきてくださいね」
「ごめんね。今日は学園祭の初日だから、やっぱり遅いよ。
たぶん、お店やりながら並行して明日の分もやらなきゃ間に合わないっぽいし……」
「ええっ……も、もう一週間も、準備などで帰りが遅いのに……」
門の前で美月さまと彰さまとが話しこんでいる。
彰さまの登校前の風景だ。
時期当主の父親とはいえ、まだ高校生の彰さまは毎日学校へ行かなければならない。
それを見送るのが美月さまの日課だ。
いけない。
はやくこの場を立ち去らないと。
――美月さまは、彰さまと二人きりだと、自分を覆う鎧を脱ぎ捨てる。
自分の夫に、徹底的に甘えるのだ。
その様子をはじめて目にした時は、唖然とした。
御前(ごぜん)さまの補佐として志津留の本家を切り盛りし、
最近では双子の娘――次期当主である一菜(かずな)さま、一葉(ひとは)さまの母親としても、
成熟した、落ち着いた女性の美月さまが、八つも年下の彰さまと過ごすときは、
まるで小娘のような甘えぶりを見せる。
妹の星華さまや、陽子さまは薄々知っているようだが、
秘書役をつとめる私でさえ知らなかった、当主代行の別人のような一面。
「あうぅ……。できるだけ、早く帰ってきてくださいね。
今夜こそ、美月を縛って(ごにょごにょ)してください」
「あれは準備に時間かかるからムリだよ」
「そ、そんな……、もう二週間も(ごにょごにょ)していただいてないのに……」
「ほ、他のことはしてるじゃん、毎晩……」
「でも、先週から彰さん、いつも遅くて、三回くらいずつしか……」
「明日……は、後片付けがあるから駄目か。あさってから早く帰ってこれるよ」
「……あさって……長いですよぅ……」
「んー。じゃ、これ、手付け!」
「あ……」
彰さまが美月さまの手を引っ張って、門の脇の松の木の裏に連れ込む。
お屋敷からは見えなくなったが、私のいる場所からは丸見えだ。
だが、私がここにいることなど知らないお二人は、
他の人間には決して見せない、若夫婦のコミュニケーションを始める。
美月さまの唇に、彰さまの唇が重ねる。
いってらっしゃいのキスは、家族の前でもしているが、これは――。
「んっ、あむ……」
絡み合う舌と唾液の音さえ聞こえてきそうな
みるみるうちに美月さまの表情が蕩ける。
「んむうっ……」
唇を奪いながら、彰さまは、美月さまの着物の前を割った。
まだ幼さを残す顔立ちからは想像できないくらいの強引さで、
美月さまの両の太ももの間に手を差し込む。
「〜〜〜っ!!」
目を見開いた美月さまの抗いを許さず、乱暴なまでに激しく手を動かす。
(この女の全ては、自分のものだ)
その傲慢なまでの自信は、――すべて正しかった。
秘所を嬲られた妻は、夫にしがみつく。
(もっと激しく、乱暴に、貪って――あなたのものであることを確かめて)
女としての自分を、丸ごと自分の男に差し出す、快感と充足感。
若妻は、夫の指でたちまち達した。
がくがくと膝を震わせながら、彰さまにすがりついて、かろうじて身体を支える。
彰さまは、その耳元で何か、密(みそか)ごとをささやいた。
ぎゅっと目をつぶった美月さまは、二度、三度うなずく。
彰さまに抱きしめられたその体が、同じ回数、びくんびくんと痙攣するように震える。
――陥落した。
潤んだ目を見開いて最愛の男を見つめる女は、もう、年下の夫の言うままだ。
さらに――ダメ押し。
彰さまが、美月さまの唇にやさしくキスをする。
――これで、年上の妻は、彰さまに絶対服従だ。
「――あ、バスが来ちゃう。ゴメン、美月さん、また後でっ……! いってきまーす!」
「あ……、いってらっしゃい……」
二人だけの魔法が解け、世界と時間が戻る。
彰さまが全速力で飛び出していくのを、美月さまは姿が見えなくなるまで見送った。
彰さまの姿が完全に見えなくなっても、門のところにたたずんで、何か物思いに耽っている。
その背中は、同性の私が見ても、ぞくぞくするくらいに色っぽい。
ディープキスと、手での愛撫。
屋外で絶頂を迎えさせられた若妻は、エロスそのものだ。
先日、「憂いを含んだ若妻の魅力」について熱心に語った阿呆がいたが、たしかにそれは言えているかもしれない。
――だからと言って、梅久(うめひさ)から没収したアダルトビデオを返してやる気は毛頭ないが。
だいたい、あの男は不謹慎すぎる。
自分の家ならともかく、事務所の休憩室にあんなものを置いておくなど言語道断だ。
こないだなど、柳町に色っぽい女が入っただのなんだの噂話をしていたので、
もう少しで首を刎ねてやるところだった。
……あのバカ。
貴様の言っていた「一回お相手してもらいたい」……その……ソ、ソープ嬢は、
お前の息の根を止めかけたバケモノ狐だと知っているのか。
いや、あいつのことだ、気にしないどころか、ますます興味を持って行きたがるだろう。
なんとかして阻止しないと。
そういえば、奴は今日、非番だったな。
まずい。携帯にメールを打ってけん制しておかねば。
私は早番だから、早めの夕飯をいっしょに取るようにすれば、大丈夫だろうか。
來々軒のエビチリ定食にするか、フランス料理の「黒猫館」にするか。
いや、たまには食材を買い込んで料理と言うのも……しばらく梅久のアパートにも行っていないし……。
いかん、いかん。
こんな事を考えている場合ではない。
はやくここを立ち去らないと。
最近、何かと欲求不満なところに、美月さまのあんなところを目撃してしまって、変な具合だ。
だから梅久のことなんかが浮かんでくるのだろう。
……あ…やば…濡れた。なんで梅久の顔思い出して濡れるんだ、私は。
……仕事に戻る前に、ショーツ、取り替えなきゃな……。
――そこまで考えて我に返った私は、戦慄した。
いつの間にか、美月さまが、私の目の前にいた。
……炎(フレア)のようなオーラ身にまとわせながら。
「――あら、小夜(さや)さん、おはようございます」
美月さまは、にこやかに挨拶をした。
菩薩さまが泣いて謝りそうなくらい穏やかな笑顔だ。
「……お、おお、おはようございます……」
私は震え声で返事をした。
「……見た?」
にこやかさを消さず、美月さまが質問した。
「い、いい、いいえ、何も見てません……」
世界が揺れる。いや、私ががくがくと震えてるせいだ。
「……ということは、見たのね?」
マリア様が裸足で逃げ出しそうなくらいなにこやかさで、美月さまが断言した。
ゴゴゴゴゴ、という山鳴りが聞こえる。
ああ、御山の力が反応しているのだな。――当主の母親に。
「じゃあ、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるのだけれど……」
──私は、死よりも過酷な判決が下されるのを覚悟した。
「――それでね、彰さんは「今はちょっとガマンしててね」って言って、キスしてくれたんだけど……」
「……」
「「今は」って、別に「夜まで」って意味じゃないかもしれないでしょ?」
「……」
「だってほら、彰さんだって「忙しくてゴメン、僕も早く帰りたいんだけど……」って言ってるんですもの」
「……」
「だから、私のほうから会いに行けばいいんじゃないかなって思いついたの」
「……」
「今日は彰さんの学校、学園祭の日だし。前に「美月さんも見に来てきなよ」って言われてたし……」
「……」
「……小夜さん?」
「は、はいいいぃぃぃ……?! 聞いてます、聞いてますぅっ!!」
「ま、前見て……」
キキィッッ!!
黒塗りのベンツが横合いから出てくるのを慌てて避ける。
怒声をあげた若い衆が飛び出してくる。
「……!!」
ひと睨みで、チンピラは大人しくなった。
こいつら程度なら、たとえ長巻を持っていなくても十人や二十人、物の数ではない。
何より、命がかかっていると言っても過言ではない今の私は、手負いの虎だ。
……後部座席には、虎どころじゃない恐ろしい人が乗っているけど。
「……?!」
ベンツから、やくざの兄貴分が降りてきてなにやら言ってくる。
私はかまわずにハンドルを動かし、車の位置を道の真ん中に戻した。
わめきかけた兄貴分は、これが志津留家の車であることに気がついたようで、慌てて下がった。
県でも有数の有力者である旧家は、政治家や暗黒街にも顔が利く。
向こうの後部座席から、冷や汗をかきながら転がり出てきた、でっぷりとした親分も、
御前様の会社に挨拶にきてコメツキバッタのようにはいつくばっているのを見かけたことがある。
「はい。こんにちは。――では、ごきげんよう」
美月さまが、なにやら弁明し始めた親分ににこやかに挨拶をして、車を出すように指図する。
ゼロヨンレース並みの加速で私はスタートした。
やくざたちは、何も言ってくるまい。
志津留家の力を恐れてと言うより、今の美月さまの迫力を見たら、動物的本能がかかわりあいを避ける。
「……着きました……」
「ありがとう、小夜さん。開場に間に合ったみたいね」
まだ正門が開かれていないのを見て、美月さまが満足そうな表情でうなずいた。
しかし、その細い身体にみなぎる気合と決意は、いささかも揺らぎがない。
私は冷や汗が止まらなかった。
美月さまは、バッグの中から携帯電話を取り出すと、かけはじめた。
「……もしもし、志摩さん? 一菜と一葉は……?そう、寝てるのですか。
はい……はい……。すぐ帰りますから、それまでお願いします……」
志摩さんは、女中頭の最古参の一人だ。
まだ四十になったかならないかだけど、十人の子供を産んだつわものだ。
子守と子育てにかけては、志津留の家中でも右に出る者はいない。
愛するわが子たちに何の心配もないことを確認した美月さまは、パタンと音を立てて、携帯を折りたたんだ。
電話の間、母親の顔になっていた美貌が、妻の──女の顔に戻る。
「では、支度をして、行きましょうか、小夜さん……」
「い、いいいい行くんですか、私も?」
「当然です。小夜さんは、私の秘書ですもの」
「そ、それはいいのですが、わ、私も……あ、あれで……?」
私はぶるぶる震えながら、美月さまが後部座席に持ち込んだ紙袋を見つめた。
「もちろん、ですわ。私が着て行くのに、いっしょにいる小夜さんがその格好じゃ目立ってしまいますもの」
私は、我ながらびしっとした三つ揃えのスーツを恨めしげに眺めた。
「さ、ウインドウを暗くしてくださる? はやく着替えなくっちゃ。
──開場前に、彰さんの教室に行けるように」
うきうきした声で美月さまは命じ、私の分の「それ」を手渡す。
私は、覚悟を決めて、恐ろしい運命を受け入れた。
──美月さまが用意した、この高校の女生徒用の制服を……。
……十分後、学校内の平均年齢は、たしかに上がった。
二十五歳の女主人と、二十六歳の女秘書が化けた、ブレザー姿の女子生徒によって。
「――女子高生みたいに制服を着て、彰さんと学園祭でデートしたい」
それが、欲求不満気味の美月さまが思いついた願望だった。
この恐ろしい若妻が、抑圧された欲望を解き放ったとき、何が起こるのか……。
私は、変装用の眼鏡の下できらきらと目を輝かせる美女──いや、美少女? に、これ以上ないくらいに戦慄していた。
「おーい、紙コップここに置いといたの、どこやったー?」
「砂糖の袋、足りないんじゃねーの?」
「廊下の看板、はがれてるぞー。トンカチ貸せー」
開場直前だというのに、わがクラスの出し物、<メイド喫茶店>はまだ準備が終わっていなかった。
サボリ魔が多いというより、部活のほうの出し物に参加する者が多くて人手不足な上に、
衣装などに凝ってしまったのが原因だ。
「あーん、制服、破けちゃったー。陽子ちゃん、なんとかしてー!」
「あ、ヨーコぉ、こっちもー! 袖のところ、弱いのよね……」
元はといえば、最初の衣装合わせのときに、陽子がプロ顔負けの手縫いのメイド服を持ち込んだことから始まる。
「何これー、超かわいいー!」
「すごーい、これ、すごいよー!」
元気印100%娘の意外な才能を前に、わいわいとさわいでいた女子たちは、
「あたしも作るー!」
「あ、私もー!」
と、当初の「作るのかったるいから、既製品を買ってくる」予定を変更してメイド服の自作に取り掛かった。
だが──。
はっきり言って、「陽子が作れるんなら、私も」という考えは、間違い──それも大間違いだ。
クラスのみんなにとっては意外なことだろうけど、陽子の裁縫の腕はケタがちがう。
何しろ、千年の伝統を誇る旧家、
それも「歴代でも屈指の家事の達人」と呼ばれたお祖母さんから基礎を叩き込まれ、
お祖母さん亡き後は、これまた達人級の美月さんや星華ねえに仕込まれた陽子の裁縫術は、
下手すると、家庭科の先生よりも上かもしれない。
かくてドツボにはまった女子たちは、開場寸前までメイド服の準備に追われ、
当然それ以外の準備を手伝う時間はなくて、男子どもがフル回転している現状にある。
最後の最後、不器用な女子たちから作成や調整を頼まれ、
大量のメイド服のできそこないと布切れを持ち帰ってお屋敷を
「ここはどこの家内制手工業のおうちですか?」状態の陽子を見かねた星華ねえの出馬によって
どうにかここまでこぎつけたが、今日に入ってから、自分で縫ってきた組の不具合が出まくりになり、
陽子は朝からてんてこまいの状態だ。
「おっはよー! 陽子ちゃーん! 元気―!?」
ドアが勢いよく開けられて、ニッコニコ顔の女の子が入ってきた。
「げ、マサキマキ……」
僕は、弓道着姿を見てげんなりした。
「ちょっとー。何よ、いきなりその呼び捨ては? あなた二年生でしょ?
私は三年生よ、さいじょーきゅーせいよ。正木先輩と呼びなさい、正木先輩と!」
「ストーカー女にゃ、マサキマキで十分だ! つーか、準備中だ、部外者は入ってくるな」
文句をつけてきた弓道部部長、兼、化学部幽霊部員にむかって、ひらひらと手を振りながら僕は答えた。
その間中、トンテンカントンテンカンと看板にクギを打っているところが我ながらいじましい。
「ぬぬぬー。何よー。可愛くないぃーっ!
まったく、どーやったら志津留先輩の親戚に、こんな生物が生まれるのかしら?」
「すでに生物扱いかよっ!」
ぽかーんとしているクラスメイトたちを尻目に、マサキマキとの舌戦は過熱した。
このアホな女先輩とは、1年生の2学期にこの学校に転向してきて以来、
陽子や星華ねえを巻き込んで、いろいろあって今に至る。
その経緯は──思い出したくない。
とにかく、黙っていれば容姿端麗、文武両道、校内にけっこうファンもいるけど、
中身はちょっと……どころか相当アレなこの女は、僕の宿敵だ。
……ルビには「とも」とはつけないぞ。
「……真紀。やっぱり帰ろう……」
マサキマキの後ろで、大きな身体を居心地悪そうに縮めている女生徒が言った。
「何よー。聖子だってさっきまでノリ気だったじゃないのー!」
「いや、それはそうだったけど……。やっぱり忙しそうだし……」
聖子と呼ばれた、男子並に背が高くてがっしりした女の子は、あせったように言い訳した。
あー。
ソフトボール部の部長さん、聖子さんって言うんだ。
陽子の入っている部活の主将とは面識があったけど、名前ははじめて聞いた。
なぜかコンビを組んでいる愛方のマサキマキのインパクトが強すぎるから目立たないのかもしれない。
「だいたい、陽子ちゃんの様子を見たいから2年の教室に行こうって……むぐうっ!」
「だだだっだだだだ、だまれ」
「……むぐ、むぐ、むぐうっ!!」
聖子さんは、20センチくらい背が低い相方の口を大きな手でふさぎ、ついでにもう片方の手で首を絞めた。
マサキマキの顔はみるみるうちに紫になる。
「……げほっ、げほっ……何するのよぉ、この馬鹿ヂカラ女ぁ……」
「いや、よくやってくれました、聖子先輩ッ! 惜しむらくは止めをさすべきでした!」
「あ、あなたは黙ってなさいっ!」
三人が入り口でぎゃあぎゃあ騒いでいると、
「――あー! もう、うるさいわね! 何やってるのよ!」
と陽子がカーテン(これで店と裏方を仕切っている)の裏から出てきた。
「あ……部長。それに正木先輩……」
闖入者をみとめて、ちょっとぎょっとする。
「陽子ちゃん、おはよう!」
「……おはよう、陽子……」
マサキマキは元気に挨拶し、先ほどまで雌熊のごとき勢いだった聖子さんがちょっともじもじと続く。
「あ、お、おはようございます……」
陽子が、(これはどういう状況なの?)と目で問いかけてくる。
……僕に聞くな。
「――それで、志津留先輩は何時ころに来るのっ? やっぱり妹さんと馬鹿従兄弟の教室には来るわよね。
化学部の実験室も後輩を張らせているけど、やっぱり本命はこっちだと思うの」
幸い、マサキマキが先に目的をバラしてくれた。
「……星華ねえなら、来ないよ?」
「え……? 何それ……」
「星華ねえ、昨日から、二泊三日で九州に行ってるんです。ちょっと親戚筋の用事で……」
「……な、なにそれぇ……」
へたへたと崩れ落ちるマサキマキ。
ふっ。悪の栄えたためしなし、とは良くぞ言ったものよ。
「……だったら……」
床の上から呪詛のごとき声があがった。
「……だったら、先輩の縫ったメイド服を出しなさいっ!! 今日はソレにすりすりしてガマンするわっ!」
「な、なんだとーっ!」
「さあっ! 先輩手縫いのメイド服を着ている子は全員脱ぎなさいっ!」
弓道部部長は突如、剥ぎ取り魔になってクラスの女子に飛び掛った。
「きゃ、きゃ、きゃあああっ!!」
逃げ惑う女子たち。
「こ、この馬鹿おんなあっ〜!!」
僕と、聖子先輩の絶叫が響き渡り、教室は阿鼻叫喚の騒ぎとなった。
「……ふいー。な、なんとか、ふんじばった……」
「……協力、感謝する。こいつは私が責任持って、遠くに捨ててくる……」
聖子先輩は、ガムテープでぐるぐる巻きにされているマサキマキをひょいと肩に担いだ。
「あわわ、待って待って、10時に模範演武の初回なのよ、私……」
マサキマキが泣き声をあげる。
陽子も僕も、聞こえないふりをする。
──廃棄物の不法投棄は重罪だが、今回に限り、許す。
「……げっ、もう開場15分前!?」
僕は時計を見て、愕然とした。
「邪魔をした。――こ、この埋め合わせは後日、必ずする」
聖子さんは、教室の皆にも頭を下げた。
意外といい人だ。
県大会制覇、全国大会出場の常連の部の有名人部長に頭を下げられ、
忙しい時間帯を騒動に費やされた皆も、あわてて
「いや、そんな……」「気にしないでください」と口々に答える。
ソフトボール部部長はもういちど頭を下げてドアに手をかけた。
なんでまた、こんな出来た人がマサキマキなんかとコンビを組んでいるのだろう?
僕は、疑問に思ったが、それは、聖子さんがドアを開けた瞬間に忘れてしまった。
「――校門前だって!」
「なんかすげえことになってるらしいぞ!」
「3年の千葉と桃井がぶっとばされたって」
「男谷もボッコボコだって……!」
「やったの、女子生徒だってさ!」
「しかも、すっげえ美人だって」
「そんな女子、いたっけ?」
廊下を駆け回る生徒と、噂話の声に、僕らは顔を見合わせた。
「……千葉と桃井、それに男谷……あの不良どもか」
聖子さんは眉根を寄せた。
「あー。剣道部廃部にしちゃった奴ら? あいつら、やな奴なんだよねー。」
その肩の上で、ぷらぷらゆれながらマサキマキが答える。
三人の不良の話は、僕も聞いたことがある。
もともと剣道部にいた連中で、マサキマキの言うとおり、素行不良その他もろもろの悪行で
在籍していた剣道部を廃部に追い込み、その後、停学と復学を繰り返していた連中だ。
──もっとも、僕や陽子には接点がなかったので、あまり気にしていなかったけど。
「って言うより、木刀持ったら相当ヤバいよ、あいつら。誰がやったの?」
聖子さんの肩の上で、ぷーらぷらとイモ虫……というよりミノ虫のようにゆれながらマサキマキが言った。
……なんだかゆれてるのが楽しそうな感じだ。
「……ヤクザでもつれてこないと無理な話だ」
聖子さんが答える。
「ふうん。でもやったの女の子だって。……まあ志津留先輩ならあいつらだって一発だろうけど。
……って、やっぱり先輩来たのかなっ、来たのかなっ!?」
たしかに、星華ねえは、クールに見えてそういう輩を許さないタイプだ。
実際、星華ねえが在籍中は、校内に不良などはいなかったらしい。
マサキマキが熱く語ってくれたから、覚えている。
「ま……退治されたんならいい話なんじゃない? それより、それを片付けちゃいましょうよ」
「うむ。……まかせろ」
「<それ>扱いするなー!」
ぶらんぶらんゆれながら抗議の声をあげるマサキマキを無視して、聖子さんは廊下を歩き始めた。
「あはっ……あははっ、お気をつけて〜」
表情の選択に困って生ぬるい笑顔を浮かべている陽子といっしょにそれを見送った僕は、
ふと、廊下の窓から外を見た。
2年の教室の窓からは中庭が一望できる。
僕が、「その人」と視線が合ったのは、虫の知らせとか、第六感とか、そういうものの類だったのかもしれない。
──いや。
これほど、ものすごい質量の視線を感じていたら、誰でも振り返ってしまうか。
「……」
僕はたっぷり三秒間、「その人」を見つめて絶句した。
「――!」
僕が振り返ったことに、嬉しそうに手を振って応えた、ブレザー姿の女の人が。
「……!!??」
水も含んでいないのに、ぶぅっ、と盛大に噴き出した──笑いの表現ではない、驚愕の表現だ──僕は、
目をゴシゴシこすってもう一度見たけど、そこにいる人は目の錯覚ではなかった。
──わが校の女生徒の格好をした僕の妻、美月さんがそこにいた……。