<日不見先輩>・上

 

 

「四筒(スーピン)? 三筒(サンピン)?」

「それ待てって! 躊躇だ!」

「カン!」

「ラスヅモが数牌(シュウパイ)? だぁぁ、振りってこたない!」

「ロン!!」

「嵌張搭子(カンチャンターツ)!? やっちゃった?」

 

「……もってけ! 最後に笑うのは私……のはずよ!」

そう叫んで鵜佐芸(うさげ)は椅子にもたれかかり、ため息をついた。

「そんなこと言ったって、もうハコ点だろ」

僕がそう言ってにやりと笑うと、穴ウサギの獣人娘は眉をしかめて睨みつけてきた。

<地下室で麻雀同好会>の中でも強豪といわれる勝負師も、僕にかかってはこんなものだ。

「くそー、次は負けないわよ!」

「はいはい。強がり言う前にジュース買ってこーい」

腰に手を当てて勝ち誇る僕を見て、鵜佐芸はぷーっと膨れる。

「……さすが、頬袋動物」

「……うっさいわね!」

ハコ点になったら、ジュース一本おごり。

<同好会>の不文律だ。

「しゃあないわね、買ってきてあげるわよ。ダイエットジンジャーエールでいい?」

「んんー。ウィルキンソンのジンジャーエール」

「なっ! 瓶入りは高いのよー!?」

「ジンジャーエールはウィルキンソンって決めてるんだ」

割高なだけでなく、本館の購買でしか売っていないジュースを指定されて、

鵜佐芸はがっくりと肩を落とした。しかし、敗者は勝者に絶対服従だ。

「くそー、覚えてらっしゃい! 私が勝ったらオフサイドのナイアガラグレープ味買いに行かせるから!」

南校舎の外れ(この部室の正反対の方角)の自販機でしか売っていないジュースの名を挙げ、

鵜佐芸は復讐を宣言する。

 

「あー、わかった。わかった。いいからウィルキンソン買いに行ってこーい!

……あ、ちょっとその前に……」

穴ウサギ娘の呪詛を聞き流した僕は、ふと、さっきから気に掛かっていた事を聞いた。

「何よ?」

「あのさ、あそこの隅っこにいる女の人、誰?」

僕の視線を追った鵜佐芸は、ちょっと口ごもった。

部室の隅っこでじっと座っている女の人は、先ほどからどこの卓にも参加していない。

もともと<地下室で麻雀同好会>は、メンバーが穴居動物の獣人が多いためか、

麻雀倶楽部にしてはおとなしい部なんだけど、この女(ひと)は、際立って静かだ。

一ヶ月前にこの倶楽部に入ったばかりの僕には見覚えがないが、

他の面子が何も言わないから、部員なのだろう。

「……あの人、日不見(ひみず)先輩。大学生で、この倶楽部最強の腕前ね」

鵜佐芸はささやくように言って、なぜか先輩から目をそらした。

僕らの<学園>は、幼稚園から大学院まで揃った学園都市。

高校と大学とが共同で運営している部活も多い。

獣人に人気の<水辺でお昼寝倶楽部>などは、小中高大全部の総部員数が二千人を超える。

でも、我らが同好会は、数ある麻雀系の部活・同好会の中でも最小を誇り、

高校生以外の面子はほとんどいないはずだった。

「ふうん、女子大生かあ。お手合わせ願おうかな?」

新参者だけど、鵜佐芸を一蹴した僕は腕に自信がある。

「やめときなさい、こてんぱんにされるどころじゃ済まないわよ。それに……」

穴ウサギ娘はいつになく真剣な表情で忠告した。

「それに……?」

「あの女(ひと)、これの獣人、よ……?」

消え入りそうなくらいに小さな声でささやき、机の上の紙切れに小さな字を書いた。

何々。へたくそな字だ。

「土」の横にぐしゃぐしゃっと書き損じがある。だけど、わからなくはない。

 

土竜

 

と読めた。

 

 

土竜、か。

書き損じの部分は、国語が弱い、というより頭そのものが弱い鵜佐芸が「竜」の字を間違えたのだろう。

だけど、国語はA評価の僕には、この漢字は楽勝で読める。

 

もぐら。

 

「ふうん」

日不見先輩は、モグラの獣人かあ。

言われてみれば、先輩はサングラスをかけている。

「よく湿った、豊穣な黒土」色の髪の毛と、

日に当たったことがあるのだろうか、と心配になるくらいに白い肌は、

土の中で生涯を過ごす獣の<因子>を持つ獣人にはふさわしいのかも知れない。

「じゃ、ウィルキンソン、買ってくるわ。あー、めんどくさー」

鵜佐芸がそう言って席を離れても、僕は、なんとなく彼女のことが気になってしょうがなかった。

いや。

気がついたとき、僕は立ち上がって彼女の前まで歩いていくところだった。

まるで誘(いざ)われたかのように。

「……何か御用かしら?」

前に立ったとき、はじめて日不見先輩は顔を上げた。

僕は息を飲んだ。

サングラス越しにもはっきりとわかる、美人。

僕の、背中をぞくりと何かが駆け上がる。

それは、戦慄? 畏怖?

いや。警告だったかも知れない。

<純粋種>の人間にさえ、容易に感じ取れるそれを、愚かなことに僕は無視した。

「あの……お手合わせ、できますか?」

日不見先輩が見えない目で僕を見つめ、くすり、と笑ったとき、

──僕の運命は、変わってしまった。

 

「ルールはどうするの? 四人は揃わないみたいだけど」

あたりを見渡す風でもなく、日不見先輩が言った。

たしかに、まわりの部員たちは卓に着いた僕らを遠巻きに眺めるだけだ。

「サシですかねえ?」

「それだったら、十七歩と言う素敵なルールが……」

「却下です」

「残念だわ。それじゃあ、普通のサシね」

軽く頭を振った先輩は、意外に冗談が通じる女(ひと)なのかも知れない。

「あ、どうせサシなら脱衣麻雀でもいいかな」

女の子と打(ぶ)つ時のお約束を口にする。

言ってから、しまった、と思った。

セクハラもいいところだ。

普段、冗談交じりに勝負している鵜佐芸とかならともかく、

今日も今日、ついさっき挨拶したばかりの先輩に言っていいことじゃない。

あー。

僕は、頭の上に雷が落ちるか、ほっぺたに平手打ちが来るか、覚悟した。

だけど──。

「いいわよ、別に」

え?

「いいわよ、って言ったの。脱衣麻雀、受けて立ちましょう」

日不見先輩は、小さく頷きながら答えた。

「ちょっ、せ、先輩、冗談ですって!」

「その代わり、君が負けたら脱衣の代わりに私の言う事をひとつ聞くこと。いいわね?」

ひどく真剣な表情でそう言った先輩に、僕は、美女との脱衣麻雀を喜ぶよりもなぜか戦慄した。

そして、その本能的な戦慄は正しかったのだけど、

僕は、その時、頷いてしまったのだ。

 

「字牌出た、それ、ロン。……大三元」

「……まさか」

呆然としたつぶやきが僕の口から漏れる。

一回も、勝てなかった。

というより、どの勝負も、形にさえなってない。

「私の計算が合っていれば、これでおケラなはずだけど?」

「はい。参りました」

服一枚どころか、ボタン一つ緩めることなく勝利した先輩に、僕は素直に脱帽した。

強いとか弱いとか、もうそういうレベルじゃない。

「じゃあ、私の言う事をひとつ、聞いてもらうわよ。ええと……」

「芝浦です。芝浦智也」

「トモヤ」

躊躇することなく下の名前で呼んだ先輩に、僕はくらくらした。

「あ! バカ! 先輩と勝負しちゃったの!? 賭け麻雀で!?」

後ろから叫び声が上がった。

振り向くと、鵜佐芸が青ざめた顔で立っていた。

「あ、ウィルキンソン。ありがとな」

「ありがとな、じゃないわよ! あんた、先輩が何の獣人だか忘れたの?」

「……え。モグラさん、だろ?」

何を言っているんだ、この娘は?

「バカ、書いてあげたじゃない!」

え、この紙?

僕はさっきポケットに突っ込んだ紙を取り出して広げた。

もう一度見ても、どうにも汚い字だ。

だいたい、土の横っちょに書き損じが……あれ?

これ、書き損じじゃない。

すっごく汚い字だけど、それは、「也」の字に見えた。

 

土也、竜。

 

「え、嘘。地竜って……」

龍や不死鳥など、昔「空想上の生物」とされていた獣の<因子>を持つ者は、

この<学園>でも数が少ない。

世界中に隠れていた獣人の中でも、彼女たちは希少種なのだ。

そして、その力は、遺伝子学では未だ解明されないものも多い。

その分、<学園>の生徒たちの間ではいくつもの噂が伝わっている。

地竜は……。

「……地竜。地の底を這いずる不浄の地霊と長虫どもの女王にして、その守護者。

屍肉を喰らい、幽鬼を従え、幽明の境を守る盲目の龍」

日不見先輩が微笑んだ。

ぞっとするくらい、美しく。

黒土の色をした髪が、ぞわり、と持ち上がる。

地下室の気温が急に下がったように僕は──いや、鵜佐芸も、部室にいる全員が身震いをした。

僕らは、<学園>の生徒だ。

普通の人間とは異なる力を持つ獣人たちといっしょに生活している。

だから、わかる。

この女(ひと)の力が、そんな僕らでさえ、見たことも聞いたこともない力であることを。

ただの噂だろうと思っていたことは、この同窓生には本当のことだということを。

「私と賭けをするなんて、度胸の据わった子ね。気に入ったわ、トモヤ。

――夏休みに入ったら、地の底の私の棲家に来なさい。それが負けの支払いよ」

そう言って先輩は立ち上がり、僕の横をすり抜けた。

「あ、あああ、あの……」

「そうね。来るのはお盆がいいわ。霊達が戻り、地獄の門が少しだけ開く時期。

今から、とても楽しみだわ」

そして先輩は、サングラスを外して僕を見た。

硬く閉じられた、盲いた目で。

そして僕に世にも美しい微笑と、絶望と、夏休みの約束を与えて、部室を出て行った。

 

僕は、その後姿が見えなくなるまで呆けて、それからやっと気がついた。

さっきの麻雀で、命とか、人生とか全部をすってしまったことに。

 

がたん。

ちょっとうとうとしてしまったらしい。

列車がカーブを曲がるときの僅かな振動で目が覚める。

気がつけば、乗り換えの駅がすぐだった。

あわててローカル線を降りて、別の乗り場へと向かう。

「時間でお金を買う」ことができる暇な学生だから出来る、

「行き先とはちょっと逆方向の始発駅から乗って、座って行く」戦法を取れば、

このシーズンでもなんとか席を確保することが出来る。

一時間ちょいのロスは、夜行列車で十二時間を立つか座るかには変えられない。

幸い、窓際が取れた。

ぐう。

硬めの座席に座ると、急にお腹が空っぽの事を自己主張し始めた。

買い込んできたお弁当の一つ、魏陽軒のシウマイ弁当を開けかけて、

窓から見える光景にその手を止めた。

僕の住む街が見える。

 

<獣人特区>。

僕の通う学校──獣人と人間の若者が<共学>する市立学園を中心にして、

人と獣人が共生するモデルタウンとして作られた街。

獣人を嫌う人間も多いけど、宇宙に飛び出して「進化の壁」にぶち当たった人間にとっては、

はるか昔に捨て去ったはずの「獣の因子」を持つ自分たちの亜種は、大きな可能性を持つ存在だと思う。

宇宙開発が頓挫した世界政府は、世界中に隠れていた獣人を保護し、集結させ、

次世代の<超人類>が外宇宙への壁を打ち破ることを目指している。

<特区>と<学園>は、そのための大切なゆりかごだ。

 

夕日を浴びる校舎やプールを眺めてながら、僕はお弁当を食べ、

持ってきた小説を読み、携帯ゲームで暇をつぶして、後はひたすら眠った。

夢の中で、日不見先輩が、ものすごく美しくてものすごく怖い微笑を浮かべて僕を手招いていた。

地の底に引きずりこまれる夢に、僕は悲鳴を上げて起き、

そして降りる駅に近づいた事を知った。

 

<日不見(ひみず)神社>。

駅前から朝一番のバスに乗って着いたそこは、

先輩の苗字と同じ名前だった。

千年以上の歴史を誇る神社と聞いて、どんな山奥にあるのだろう、と思っていたけど、

先輩の<棲家>は、平地も平地、街の真ん中にあった。

バス停を降りて、本当にここなのか、とあたりを見渡してしまう。

なにしろ、石段もなければ、入り口に鳥居すらない。

恐る恐る中に入ってみると、白砂利をしいた境内の向こう、

奥の建物の入り口に人がいるのが見えた。

「日不見先輩……?」

陰にいるはずなのに、白い肌のその姿ははっきりと見えた。

僕の声が一瞬疑問形になったのは、先輩が普段と

(と言っても僕は先輩と一回しか会ったことがないんだけど)

ちがった格好をしているからだった。

巫女服。

袴は暗灰色。

それは、男の神主さんの着るものとも違っていて、

どこまでも見慣れないものだったけど、

同時に、どこまでも日不見先輩に似合ったものだった。

硬く目を閉ざしていてもわかるのだろう。

日不見先輩は、僕に小さく微笑みかけた。

「よく来てくれたわ。私の棲家に。歓迎するわ、トモヤ」

ぞくり、と、僕の背中を這うものがある。

ただの純粋種の人間の、退化した本能にすらわかる危険信号。

僕は、目の前の獣人がどれだけ「人間離れ」しているのか、

その場でへたりこみそうになるくらいわかった。

「巫女さん……だったんですか」

三回唾を飲み込んで、ようよう口にした一言は、挨拶になっていなかったけど、

先輩は薄い微笑を唇に浮かべて頷いた。

考えてみれば、実家が神社なら、そこの娘さんは巫女さんでもおかしくない。

だけど、先輩は、頷いた後でこう続けた。

「そう、私はこの神社の巫女……今日までは、ね」

そのことばの意味を考えるより前に、社の中に入るよう手招きする先輩に誘われて僕は、建物の中に入った。

ひいやりとした冷気が、僕を包む。

朝の空気とは違う。

クーラーをつけているわけでもない。

それは、あきらかにここにしかない冷たさだった。

「せ、先輩」

一歩中に入り、次の一歩を踏み出すのをためらっていると、

先輩は、振り返って、僕の手を取った。

「え?」

「大丈夫。まだここは地上よ。まだあっちに戻れる場所」

日不見先輩の手は、なめらかで冷たかった。

「まだって……」

「一度入ったら、二度と戻ってこれないところもあるの。この神社には」

「!!」

なぜだか、それが嘘とか冗談の類ではないことは瞬時に分かった。

「ふふふ、怖い?」

日不見先輩が、前を向いたまま、聞いた。

「……」

怖い、と言おうとして、なぜか、僕はそのことばを飲み込んだ。

不意に「女の子と手をつないでいる自分」を自覚したからだ。

我ながらあまりに馬鹿げてるけど、それが幼稚園のフォークダンス以来の経験ということを思い出して、

ぼくは心臓が恐怖とは別のものでドキドキしているのを悟っていた。

その性質上、男女の仲がすごくいい<学園>の生徒として、僕には女友達はたくさんいる。

でも、恋人とかそういうのは皆無で、二人きりで手をつないで歩くなんていうのは

正真正銘、はじめての経験だ。

「あ、あの……」

何か声をかけようとして、僕は押し黙った。

先輩が、こっちを「見て」いるのに気がついたから。

「……おかしな子ね」

先輩は、目を閉じたままそう言うとまた前を向いた。

「本当に、おかしな子ね。だから、――にふさわしい」

僕は、聞き逃したそのことばを必死に考えたけど、

僕の脳みそは、先輩のすべすべした手の感触のほうに夢中で、

ちっともそっちのほうには気が回らなかった。

「えっと、広いんですね。この神社」

僕は、あれっきり押し黙っている先輩に声をかけた。

確かに、さっきからずっと歩いている廊下は、いつになったら終わりになるのかわからない。

何度も曲がり、渡り廊下を通ったことは覚えているけど、

今、先輩が手を離してどこかに行ってしまったら、迷子確定だ。

「一応、千年以上歴史のある神社だから」

先輩は、淡々として答えた。

機嫌が悪い、と言うわけではないらしい。

「あ、じゃあ、どこかのマンガの舞台になって、

ファンが押しかけていっせいにダンス踊るとか、そういうのはありませんか?」

「……ないわね」

これまた淡々とした声だけど、なんとなく呆れたような気配が伝わってくる。

声じゃなくて、つないだ手の平から。

「そう、ですか」

「……ここね。神様が降りてくる山に作った神社じゃないの。

その逆。悪いモノを地下に閉じ込めた神社なのよ。だから、平地にあるの」

「ああ、街のど真ん中ですね」

「街の真ん中にあるんじゃないの。街が後から出来てしまったのよ。

ここはずっと瘴癘の地で、人は住んでいなかったの。住めなかった、と言ってもいいわ。

この神社だけがあったんだけど、ここ百年くらいで広がった住宅地に埋もれてしまったの」

先輩は、ため息をついた。

「ひょっとして、先輩、それで苦労してます?」

なんでわかったのだろうか。

やっぱり、手の平が教えてくれた。

びっくりしたような気配が伝わる。

いや、豊穣の黒土色の髪の毛がわずかに揺れるのを見れば、他の人でも分かるだろう。

「なんでわかるのかしら。そうよ。周りに生きる人間が増えたせいで、

この神社が守らなくてはならない「もの」が増えすぎたわ。

私の一族は、昔よりずっと強い力を使い続けなければならなくなったし、消耗も激しくなった」

やるせない、小さなため息。

僕は、誰にも聞こえないはずの、その音を確かに聞き取った。

 

 

「着いたわ」

廊下をどれだけ進んだのだろうか。

いつの間にか、僕らは白砂利を敷いた小さな庭に降り立ち、

地下へと続く石段の前にいた。

「お、お、降りるんですか?」

「そう。この下が、私の棲家ですもの。もっと下もあるけど、ね」

ぞっとすることを言いながら、先輩は石段を降りて行こうとする。

僕は、一瞬躊躇したけども、いっしょに降りた。

「何か、やばいもの」が絶対いるそこに降りて行くことより、

先輩の手を離すことのほうがためらわれたから。

石段は、どこから差し込むのだろうかいるのだろう青白い光で照らされ、

この世ならぬ冷気で守られていた。

先輩と手をつないでいなければ、その場ですくんでしまうことは僕にはよくわかっていた。

何百段もある石段を降りきる。

行き止まりに、白木の扉。

扉を開けて中に入ると、そこは石でできた広い玄室だった。

「ここが、私の棲家」

先輩は、そう言って僕の手を離した。

「あ」

一瞬戸惑ったけど、石段や廊下と違ってそこは意外に「優しい」空気に満ちていた。

異界の中に、こちら側の空気が満ちている。

それは、ここが「先輩の部屋」だからだ、と僕は悟った。

僕はぐるりとあたりを見渡し、不思議なものをふたつ見つけた。

さらに地下に降りていく石段と、──麻雀卓。

 

「……なんですか。これ」

「麻雀卓だけど?」

「い、いや、何でここに?」

「私と貴方が勝負するからでしょう?」

「な、なんで?」

僕は、why、という意味で「なんで」と聞いたつもりだったけど、

日不見先輩は、それをhow、でとらえたようだった。

「……脱衣麻雀。したかったんでしょ?」

「えええ!?」

冷気が漂う、ほの暗い地の底で、およそ予想外のことばを聞いて僕は混乱した。

「私と脱衣麻雀をしたい、と言ったのは君のはずだけど?」

先輩は、僕のほうをじろり、と「見た」。

「あ、いや、それは……」

「君は、私と勝負して、裸にして、それを見たかった。そして、私はそれを受け入れた。

だから、君と私は脱衣麻雀をするのよ」

「だ、だって、それは僕の負けで……」

「ああ。あれはノーカウント。私、あの時、イカサマしたから」

「え?」

「ガン牌と盲牌。私、傷とか模様とかがある牌なら、卓にある牌を全部「知る」ことができるの。

部室の麻雀牌、古くて傷だらけのやつだったでしょ?」

ガン牌は、麻雀牌の背中の模様や傷を覚えることでどこに何が来ているのかを読む技。

盲牌は、牌を見なくても指先でそれが何であるかを知る技。

先輩は、その組み合わせで、触れた牌の全てを「感知」していたのだ。

「そ、そんなことできるんですか?」

「まあ。私、龍だからいろいろと力があるのよ。少し悪用させてもらったわ」

そのふたつを組み合わせたって、136枚の牌の配置を全部網羅できはしない。

……普通の人間なら。

盲目の龍の持つ「感覚」を使えば、それは可能なのかもしれなかった。

「ちょっ、それじゃ、あの勝負は」

「だから、ノーカウント。正々堂々、フェアにここで再試合しましょう」

先輩は、ガン牌ができない真新しい練り牌(うらに模様がないプラスチック牌)を指差した。

「君も私も、負けたら一枚ずつ着ているものを脱ぐ。

全部脱いだら負けで、勝ったほうのいうことをひとつ聞く。それでいいわよね?」

先輩は、こちらの返事を待たずに、新品の牌を卓にあけ始めた。

「ちょっ……」

抗議の声を上げかけて、僕はごくりと唾を飲み込んだ。

(君は、私と勝負して、裸にして、それを見たかった)

ことばにすると、そういう欲望。

愚かしいことに、それは、どんな理性も黙らせるくらいの甘美な罠だった。

「……やります!」

咳払いして卓に着いた僕をみて、日不見先輩は小さく笑った。

驚いたことに、勝負は一進一退で、しかも、進み具合は速かった。

お互いが薄着だったということもあるだろう。

僕が靴下を脱ぐと、先輩は足袋を失い、

僕がTシャツを失うと、先輩は巫女服の上を脱ぎ、

僕がズボンを脱ぐと、先輩は、胸に巻いていたさらしを取った。

いさぎよいまでにあっさりと、先輩はおっぱいを僕の目に晒した。

「どうしたの? 女の胸を見るのははじめて?」

見ているこちらのほうが気おされるほど、日不見先輩は堂々としている。

正座した背筋は、脱ぐ前同様、ぴんと張り詰めているから、

大きくて形のいい乳房が、卓を挟んで僕の目の前1メートルにある。

二十歳の女の人の、おっぱい。

それは、若々しさと大人の成熟の両方を兼ねそろえたものだ。

青白い光の下で、白い白い肌にうっすらと静脈が透けて見え、

色素の薄い乳首が僕の目を奪う。

「……はじめてですよ」

「そう。私も、男の子の裸を「見る」のははじめてね」

うなずいた先輩の盲いた目は、何を見ているのか、僕は身じろぎした。

「どちらが勝つにせよ、決着はこの勝負でつくわね」

「え……」

先輩は、袴を着ていて、僕はパンツ一丁だ。

袴の下にはショーツをはいているはずだから、残りの着衣は先輩が二枚で、僕が一枚のはず。

「私、下穿いてないから」

「え?」

「フェアに、って言ったでしょう? 着ている枚数は合わせてあるわ」

つまり、先輩の着ている暗灰色の袴の下は、直ぐに裸で、

あれの下に、先輩の女の子のあそこ、女性器がある。

一枚、あと一勝すれば、それが見れる。

僕はそのことに気がついて、鼻血を噴き出した。

「元気ね……」

呆れたように先輩がつぶやいた。

僕は、興奮しすぎたのかもしれない。

勝負は、焦った僕が自滅するような形であっさりと着いてしまった。

 

「ふふ。じゃあ、それも脱いで」

日不見先輩は、立ち上がった僕を見上げて言った。

「えっ……と」

ルールだとはわかっていても、猛烈な恥ずかしさが僕を躊躇させる。

「どうしたの? 目が見えない女の子の前でも恥ずかしいの?」

「そりゃ、恥ずかしいですよ」

消え入りそうな声で答える。

実際、人生で一番と言うくらい、恥ずかしい。

だって、女の子の前で、パンツを下ろさなきゃならないんだよ?

しかも、二人っきりの密室で。

相手は、おっぱいを晒しているし。

……そう。

日不見先輩は、袴一枚を穿いているだけだ。

大きくて形のいいおっぱいが、生で僕の目の前にある。

そして、先輩のあの袴の下には、下着がないんだ。

僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

パンツの中で、あそこがカチカチになって天を向いているのが分かる。

こんなに勃起したおち×ちんを見せなきゃならないなんて。

きっと変態だと思われる。

脱衣麻雀をしたがるなんて、もうそれだけでも十分変態だけど、

二人っきりでいるときに、こんなおち×ちんをしていたら、

そりゃ「それ」が目的だと決め付けられても仕方ない。

僕が最後の一枚を脱ぐのに躊躇しているのは、それが理由だった。

「……早く、脱いで」

でも、日不見先輩の声は抗い難かった。

僕は、覚悟を決めて、パンツを下ろす。

女の子──それも、好きな女の子の目の前で。

日不見先輩の見えない目の前で裸になった僕は、

おち×ちんがさらにさらに堅くそそり立つのを、顔中真っ赤になりながら感じた。

「脱いだ?」

先輩が聞く。

「は、はい」

「そう。じゃあ、本当に脱いだか、確かめさせてね」

「え……?」

問い返す前に、先輩は立ち上がっていた。

麻雀卓をずらして、僕の目の前に立つ。

「ちょっ……!」

先輩のひんやりとした滑らかな手の平が僕の両方の頬を挟んだ。

つめの先まで整った指先がゆっくりと僕の顔をなぞる。

「ほっぺた、熱いわね。恥ずかしいの? 私の前で裸になったのが」

「は、はい……」

「そう。恥ずかしがることはないわよ。

私は、こうして君の裸を「見」られて、嬉しいから」

「は、はい?」

予想外のことばに、僕は上ずった声で聞き返したけど、

先輩は、黙って、その手を顔から下にゆっくりと下ろしていった。

首、肩、胸。

先輩の手の平が、僕の身体をなぞって行く。

盲目の娘のもつどんなものよりも精緻なセンサーが、ゆっくりと僕を確かめる。

お腹を過ぎて、下腹へ。

「あっ、先輩、そこはっ……」

思わず声をあげかけて、その口が塞がれた。

先輩の、唇で。

「むぐう?!」

冷たくて、柔らかくて、そしていい香りのする唇が、ぼくのそれに重なっている。

突然、ファーストキスを奪われたことに僕の脳みそは一瞬真っ白になったけど、

「んっ!!!」

次の瞬間、先輩の手が突然、僕のあれをきゅっと握ったので、

その衝撃も一気に吹き飛んでしまった。

 

「……」

僕はただただ、わたわたと慌てた。

先輩が唇を離して、僕の耳元でささやいた。

「ちゃんと裸になってくれていたのね。私の前で。

それに、私を見て、こんなに勃起している。とても、嬉しいわ」

そのことばに、僕のおち×ちんはさらにさらに堅くなった。

「ふふふ」

先輩は、あまりのことに硬直している僕の性器を、

手の中でゆっくりと弄んだ。

軽く握った手を、ゆるゆると上下に動かす。

「ひあっ!? だめ、それっ!」

ぞくっとした快感と羞恥が僕を襲う。

「そこ、さわっちゃダメ!」

「なぜ? 先走りのお汁が出ているのが、恥ずかしいの?」

「!!」

言い当てられて、僕は頭のてっぺんまで真っ赤になった。

「ふふ、気にしなくていいわよ。

君の匂いと味が濃くなるのは、私にとって嬉しいことだから」

「え?」

間近で微笑む先輩に、僕は、この状況で心臓が、

性欲だけじゃないものによってときめいたのを感じた。

ふわりと、涼しげな香りがする。

先輩の、髪の毛の匂い。

黒土の色を艶やかな髪の毛の香りは、

どこか湿ってひんやりとした日陰の匂い。

嫌いな人は嫌いだろう。

だけど、僕には、すごくいい匂いに感じられた。

「……やっぱりね」

「え?」

「私にとって、君がいい匂いがするのと同じように、

君にとって私もいい匂いに感じられるみたい」

「そ、そうです、ね」

「相手の匂いが好ましく感じられるっていうのは、遺伝子の相性がいい証拠なの」

「え……?」

「ふふふ、私、君の子ども、産めそうね。

──私の処女あげるから、君の精子ちょうだい。

それがさっきのゲームの支払い、よ」

先輩は、うっすらと笑ってそうささやき、僕のおち×ちんをもう一度軽くしごいた。

 

 

 

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