一日一東方

二〇一〇年 八月六日
(求聞史紀・花屋の娘)

 


『花心あれば種心』

 

 

「阿求ちゃん!」
 私の名を呼ぶ元気な声を聞いて、私は瞬時に逃げるか立ち向かうかの判断をせねばならなかった。が、私とて家系の重みとは裏腹に平々凡々たる体力の持ち主であるから、そう容易く最善の選択を掴み取れはしない。
 すなわち。
「ごふッ」
 痛恨の一撃。
 天下の往来に立ち尽くしたまま、彼女の突進をまともに受け止めざるをえなかったのである。
 鳩尾は勘弁してほしい。急所だし。
「あー、何だか阿求ちゃんに会うの久しぶりな気がするよー」
 彼女はとても嬉しそうだ。
 私はとても苦しい。息が。
「それはともかく、ちょっとお腹が痛いので離れてほしい」
「え、具合でも悪いの?」
「数秒前まで調子良かったんだけどね」
 そうなんだ、と不安げにこちらを見つめる少女の表情に罪悪感は浮かんでいない。
 そんな気はしていた。
「……で、今日は仕事を手伝わなくていいの」
 横隔膜のあたりを擦りながら、彼女と少し距離を取る。彼女は、人里でもかなり人気がある花屋の一人娘である。看板娘と呼ぶにはまだ幼いが、将来的には大いに見込みがあると誰かが太鼓判を押していた。誰なのかは忘れた。
 名前が売れているせいか、品揃えが豊富だからか、それとも店主の人柄が良いからか、その花屋には妖怪も多く訪れる。勝手に花を食べたり、勝手に交配をして地球上には存在しないであろう新種を誕生させたり、小人や虫が棲んでいたり、妖が人の文化と関わり合うことで生まれる面倒や厄介、あるいは愉快な出来事がしばしば発生するが、それでも潰れていないところを見ると経営者はだいぶタフな性格らしい。
 根性がありそうなのは、娘のタックルを見ても何となく予想できるが。
「あ、うん……それなんだけど」
 急に歯切れが悪くなり、口調も尻すぼみになる。
 はて。
「……ちょっと、移動してもいいかな」
「いいけど」
 別に何か用事があってうろちょろしていたわけではない。
 彼女が元気を無くしている理由を探ってみるのも、悪くはない時間の潰し方だろう。
 小さな手のひらに背中を押されて、私は件の花屋に向かうこととなった。

 

 どうやら彼女には家に戻りたくない事情があるらしく、蕎麦屋の看板の陰から花屋の様子を窺う態勢を取った。
 蕎麦屋に用がある客はあからさまに不審がっていたが、私の姿を確認すると「なんだまた阿求か」みたいな顔をして通り過ぎるのが異様に腹立たしい。が、妙なことに首を突っ込んでいる自覚はあったので、彼らの背中に適当な呪いを掛けておくことで手打ちにする。
「……来た」
 彼女が呟く。
 つられて花屋の店頭に目を向けると、全ての元凶と思しき存在が目に留まり、私は帰る準備を始めた。
「帰る」
「だめ! 阿求ちゃんも一緒にいて!」
「いやだ。私は帰る」
「だーめー!」
 引き留めるのはともかく、掴む個所は手か肩にしてほしい。
 首を力強く握り締めたら呼吸が困難になると誰も彼女に教えなかったのか。
 死ぬぞ。私が。
「やめい」
「ご、ごめん。でも、私ひとりじゃ不安だから……」
「ひとりでもふたりでも大差ないですよ。あのひとが誰だか知ってるの」
 こくりと頷く。知らないではないだろう、あの妖怪が花屋の常連なのは、娘ならずとも多くの人間が知るところである。
 風見幽香。
 危険度極高にして人間友好度最悪の妖怪。何のために生きているのかよくわからないが、人のために生きているのでないことは趣味が弱い者いじめというところからも明らかである。
 幻想郷縁起には恐怖の権化みたいな書き方をしたのだが、特に目立った嫌がらせも受けず、変わったことといえば中庭の植物が一部私に牙を剥くようになったくらいである。はじめのうちは苦労したが、今では猫の遊び相手だ。
 そういう期待を裏切らない彼女のこと、遠巻きとはいえ覗き見していることが露見すれば、なかなかろくでもないことになりそうな気がする。もう既になっている気もする。
 ザ・手遅れ。
「ううむ。笑顔ですね」
 花に囲まれた風見幽香は、まさに水を得た魚である。こぼれる微笑は確かに美しいが、同時に近寄りがたい雰囲気も兼ね備えている。
 その空気を間近に浴びてなお、あるいは全く気付いていないのか、花屋の店主は気後れする様子もなく幽香に話しかける。
 ぎり、と歯軋りのような音が近くから響いたが、歯ではなくて看板が軋む音だったらしい。
 ちなみに、娘の顔もそこそこ軋んでいる。
「あの女……」
 低く籠もった声の調子を聞くだけで、おおよその見当は付いた。
 さっさと帰りたい。
「何、あなたのお父さん浮気でもしたの」
 我ながら直球極まりないが、それ以外に聞くべき事項もない。
「お父さんにそんな甲斐性ないよ。もしやってるとしたら、あの女に誘惑されたからに違いないよ。並の妖怪じゃないもん、その気がなくったって、脅されたりしたらうちのお父さんなんか……」
「……心配しなくても、ごく普通の対応だと思うけど」
 幽香相手に、ごく普通の対応ができるあたり相当だが。
 苛立ちと不安に苛まれる少女の心を代弁するように、店主を押しのけて妙齢の女性が姿を現した。
 お母さんである。
 ちなみに、接客用の笑顔の裏に底知れぬ負の思念が渦巻いている。その量、質ともに娘の比ではない。
 幽香の笑みも表面上は変わりないが、その狙いは挑発である。つくづく人の神経を逆撫でするのが好きな人物だ。恐れ入る。
「ほら。お母さんも」
「私、殺人現場見るの嫌なんだけど……見たら忘れないし……」
「やだ、お母さんも考えるわよ」
 それは場所と時間と方法を考えているということか。
 彼女たちはもっと平和的な解決手段を模索すべき。
「……阿求ちゃん。折り入ってお願いがあるんだけど」
「だめだって言っても聞かないと思うから一応は聞くけど」
「風見幽香の弱点は」
「刃向かわないことかな」
 それが第一である。
「逃げちゃだめだよ! 戦わなきゃ、現実と!」
「風見幽香相手なら逃げても許される。妖怪の恐怖を体現する数少ない存在ですから、恐怖すること、戦慄すること、敵わないと諦めることも重要なのです」
「そういうのはいいから。もう、博麗の巫女様呼んで退治してもらおうよ。目下売り出し中の、守矢の巫女様でもいいし」
「いやー、他人の家庭の事情に首を突っ込むのはどうも」
 ばんばんと蕎麦屋の看板を叩く彼女に対し、私は口ごもるだけで有効な対策を取れないでいた。真面目な話も遮られたし、もう好きにすればいいと思う。私も帰りたい。
 と。
「……あ、れ?」
 少し目を離した隙に、幽香が店頭から姿を消していた。お母さんも店の中に引っ込んだようで、一旦騒ぎは収束したようにも見える。
 が、私は知っている。さっきも言った。
 風見幽香が、妖怪の恐怖を体現する数少ない存在であると。

「ごきげんよう」

 何故、娘ではなく、私の肩に両手を置くのか。
 そして何故、首筋と、耳の裏に息を吹きかけるのか。
「――――っ!」
 ぞくぞくっとする。
 いやこれはマジで死んだかと思った。マジでマジで。
「阿礼乙女に覗きの趣味があるのは知らなかったわ。幻想郷縁起にも注釈を付けておかないとね」
「……いえ、今回に限れば、この子の差し金で」
 あっさりと友人を売る。
 当たり前だこっちは命の手綱を握られるんだ形振り構ってられるか。
「ふうん。花屋の小娘さんね」
 わざわざ「小」を付けなくてもいいんじゃないかな。
 幽香の挑発にたびたび眉を引き攣らせていたが、感情を爆発させないあたり肝が据わっている。
 わたしにはとてもできない。
「あなたのお父さんには、本当にお世話になっているわ。いろいろと」
「そうですか、毎度ご利用ありがとうございます。うちのお店は、たとえどんな方でも気兼ねなくご来店してもらえるよう、常日頃から心がけていますので」
「ふふ。そんなに取られるのが怖いなら、柱にでも括り付けておけばいいでしょうに。どんなに強く縛り付けても、種は勝手に飛んでいくものだけど」
 象徴的である。
「……下品」
「正直者なのよ。私は」
 敵対の意志を露にする娘を軽くいなして、幽香は私の肩から手を離す。叶うなら今すぐ逃げ出したかったが、放っておくと少女が幽香に蹴りの一発でもお見舞いするかもしれない。
「それでは。またお会いしましょう」
 娘は何も答えない。本当は、「二度と来るな」くらいは言いたかったのかもしれないが。
 ゆったりとした足取りで、娘の壮絶な視線を浴びながら悠然と去っていくふてぶてしさは、到底真似できるものではない。真似したいとも思わない。
「……あの女ぁ」
 もうやだ。帰って寝たい。
 なんでこんな修羅場に巻き込まれなきゃいけないんだ。私は平和主義なんだ。植物のように穏やかな心でいたいのだ。
 好きとか嫌いとか最初に言い出したやつは後で裏に来るように。
「……阿求ちゃん」
「なに」
 とりあえず、視界から幽香の姿が完全に消えたことを確認し、胸を撫で下ろす。
「もし、私が死んだら……気が向いたときに、うちの花を供えてほしいな」
 縁起でもねえ。

 

 

 それから、花屋の娘が泣きついてきたかと思えば、うちのお父さんが浮気したとか(18禁)、制裁は何にしようとか、風見幽香殺害計画とか、明らかに死亡フラグ立ちまくりな日々がしばらく続くことになるのだが、それはまた別の話。
 ちなみに、風見幽香は何があっても花屋には通い続けているのであった。

 

 

 

 



稗田阿求
SS
Index

2010年8月6日  藤村流
東方project二次創作小説





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