一日一東方

二〇〇七年 九月二十九日
(風神録・八坂神奈子)

 


『ご利益!』

 

 

 人間の里にも、守矢神社の分社は存在する。
 山の妖怪のみならず、里の人間からも信仰を得るために、早苗が大工道具を持参して作り上げた珠玉の作である。図工は5でしたから! と誇らしげに語る早苗の瞳はいつになく輝いていたけれど、神奈子にはなんのこっちゃよくわからなかった。
 分社の構造は特に定められておらず、ああ社だなあと解る程度なら何でもよい。通りすがる人々が足を止め、黙礼するだけでも信仰は信仰である。手を合わせたり、花や食べ物を供えたり、賽銭を入れたり、願掛けをしたりすることでも、信仰は着実に集められる。そのためには、分社は多少なりとも見栄を張った大きなものでなくてはならず、早苗の技術はそれに追い着いてはいないだろう。小学生時代の成績を基準にしているのなら、ある意味しょうがない話である。
 賽銭箱は設置済みらしいが、あまり大きなものでもないらしい。盗まれるんじゃないの? と神奈子が尋ねると、手を突っ込むと食べられます、という答えが返って来た。何に、と聞くと、賽銭箱に、と答える。まあミミックのようなものだと思っておく。
 分社に信仰が集められると、その力が神奈子に伝わる。けれども、お祈りをしているとか賽銭を入れたとか、信仰する側の動きが逐一伝わるわけではない。だから、どう神様を崇めているのかを知るには、実際にその様子を窺う必要があるのだ。
 妖怪の山にある神社に訪れる人間は、そうそういない。博麗神社にある分社もまた同じである。
 結論から言えば。
「……何をやっている」
 はっ、と振り返る神様と巫女が見たものは、犯罪者予備軍を発見して恐れ戦いている上白沢慧音だった。神奈子と早苗は、朝っぱらから分社の観察を行っていた。上空からひっそりと眺めていればよいものを、人間と同じ目線に立ちたいからという神奈子の願いもあり、空き地の草むらに這いつくばるという過酷な環境下での参拝者調査を実施しているのであった。
 かれこれ、三時間は経っていた。
 早苗のお腹も鳴るというものである。
「こ、これには、死海より広くバイカル湖よりも深い訳が……」
 ぐぅ。
「……理由は寺子屋で訊く」
「ご、ごめんなさい! すぐに、すぐに終わりますから!」
「賽銭泥棒が?」
「なんてことを! もし全く入ってなかったらどうするんですか! 赤っ恥ですよ!」
 早苗は憤慨した。
 神奈子は、ただじっと、自身が祀られている分社を監視している。
 慧音は、真剣そのものである不審者の動向を眺め、諦めの溜め息を吐いた。
「わかった、わかったよ。別にそこで何をしていても構わないが、ただ、怪しい真似を仕出かすようなら私が止める」
「ありがとうございます。一定の理解を得られて幸いです」
「理解を得られていると思っているところが凄いけどな」
 まあいい、と慧音も空き地の草むらに分け入る。丈の高い草の中にしゃがみこむと、それだけで通行人からは完全に姿を隠すことが出来る。慧音が怪しげな二人組を発見することが出来たのは、たまたまそこいらを掃除して回っていたからである。だから、慧音の手には魔法使いが跨るような立派な箒が握られている。不審な動きをすれば、慧音は躊躇いなくその箒で神奈子と早苗を掃くだろう。それはもう容赦なく、一気呵成に里の外まで。
 面倒なことになったなぁ、と早苗は嘆息した。
「どうしたの、早苗」
「どうしたもこうしたも……。とりあえず、お腹は空きました」
「早起きは三文の神徳」
「神奈子様じゃないんですから……」
 きゅうきゅう鳴るお腹を押さえながら、早苗はぐったりとしゃがみこむ。
 居たたまれなくなった慧音が、不意に早苗の背中をさする。その優しさに早苗が涙した、ということも特に無かったのだが、カツ丼食べようか、と洒落でも言ってくれたのは嬉しかった。
 早苗はしみじみと呟く。
「三時間ですよ。早起きのおじいちゃんおばあちゃんはもうお参りしましたよ、きっと。働いているおとうさんは、仕事の帰りに手を合わせますよ。子どもだって遊び疲れた夕暮れ時には、分社の中に爆竹を仕掛けるに違いないんです」
「それは、蛙の内臓が飛び散って困るわね」
「そういうネタは空腹に辛いですから……」
 ぐぎゅう、とあまり身体的によろしくない音が響いたところで、複数の足音が遠くから聞こえて来る。誰とも無く声を殺し、動きを止め、鳴り響くのは早苗の腹の虫くらいなものであった。
 足音はふたつ、重なったり離れたりしながら、不審者三名の目の前を通り過ぎる。
 問題は、その足音が何処で止まるかである。神奈子は草むらから分社を覗き込み、慧音に訝しげな目で見られていた。足音は物の見事に分社のある一角で止まり、神奈子は小さく「よし」と言った。
「神奈子様……、本当に自信なかったんですね……」
 本当に、里の人間から信仰を得ているのかどうか。
 幻想郷に引っ越す前の世界は、神様を信じる人間は少なかった。神奈子の力は漸減し、神徳を与えることも、存在の維持すら危ぶまれるくらいだった。それを防ぐための幻想郷移転だったのだが、やはり、上手く信仰されるかどうかは正直よくわからなかった。早苗にも、おそらく神奈子にも。
 神奈子は、しみじみと言う。
「信じるものは救われるってよくいうけれど、それは信じられる側も同じなのよ。だから、誰も信じてくれない神様は、その存在を必要とされていないということ。それはとても悲しいことよ」
「……ふむ。成る程」
 慧音が納得したように呟く。この頃になると、慧音もまた神奈子がどういう存在が理解し始めていた。だからといって、放置する訳にもいかないのが難しいところである。怪しいことは怪しいのだし。
「あ」
 早苗が、不意に呟く。視線が分社に集まる。
 分社に現れたふたつの影は、お腹を膨らませた女性と、十にも満たない女の子だった。
 早苗と全く異なる理由で、膨らんだお腹を優しく撫でる女性の瞳は、淀みのない安らぎに満ちていた。女の子はつぶらな瞳を母親に向け、これはなに、と問いかけているようにも見えた。
 しゃがみこみ、懐にしまっていたお饅頭と、お守りを供える。女の子もスカートのポケットを漁り、その中に入っていた飴を神棚に置く。それから、母親がそうしているように、小さな手のひらをぴたりと合わせる。母親と違い、瞳は閉じなかった。しっかりと、母親が唱えた言葉と、その姿を瞳に刻み込む。
 一分か、それにも満たない、それくらいの短い時間だった。
 行きましょ、と母親が女の子に手を伸ばす。女の子も、うん、と頷いてその手を握る。
 足音が遠ざかる。少しずつ、それでも、確かに。
 やがて足音は通りに吹く空気の音に消え、親子の姿も見ることが出来なくなった。
 その頃になると、ようやく、神奈子は息を吐いた。草むらから這い出て、身体に付着した草をぺしぺしと払い落とす。なまじ体格が良いから、いろんなところに草が入り込んで払い尽くすのも大変そうだった。胸の谷間とかどうするんだろう、と早苗はぼんやりと思う。
 神奈子は、今はもう見えない親子の背中を眺め、ふっと頬を緩めた。
「安産祈願、か」
 それも、悪くない。
 神奈子が安産型に見えるとか子持ち疑惑があるとか髪型がどうとか、そういうことはあまり関係がないと思いたい。
「神奈子様、それっぽいですものね」
「あぁ、確かに」
「そこだけ賛同しないで頂けます?」
 笑顔で威嚇する。
 分社には、ちっぽけな安産祈願のお守りと、お饅頭と、可愛らしい薄荷の飴が供えられている。
 五穀豊穣、武の神たる八坂には少々そぐわない願掛けだが、今の神様はサービス精神が大切である。どんな願いも、一応は聞き届けてあげようじゃないか。その上で、本人が願いを叶えられるかは別問題だけれど。
 ぐぅ、ぎゅるるる。
「あ、早苗のか」
 それにしても、凄い音だ。まるで、子どもが生まれ落ちたかのような。
 神奈子はそっと自分のお腹を撫でながら、傍らにてぐったりとお腹を押さえている早苗を見て、早速あのお饅頭を食べさせてあげようかな、と悪戯っぽく微笑んだ。

 

 

 

 



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2007年9月29日 藤村流

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