Cait-Sith
【ケット・シー】

 知的な二足歩行の猫妖精。喋る。
 にゃーん。

 

 

 

 

1.


 雄の匂いがする。
 鼻の奥に忍び寄る醜悪な臭気に顔をしかめて、それでも瞳を背けることはできない。これは夢の中の出来事だという自覚はあっても、今ここで起こっている現象に抵抗しようという意志が、そもそも湧いて来なかった。
 夢だから、夢であるからこそ、いつかは覚める。何をしても、何もしなくても、目が覚めれば全てなかったことになる。拒んで、抗って、逆らって、夢の中だって無駄に疲れる必要はない。
「楽しんでいるようですね」
 第三者の声がする。楽しんでいるのは、観察者も同じようだ。
 宴の参加者は、女を挟んで男が二人。皆が裸で、布切れひとつ纏っていない。汗ばんだ肌に、男と女の体液がそれぞれに入り乱れて纏わりついている。背景は黒く、光の入らない場所なのか、昼か夜かもわからない。
 ただ、犯されているという実感だけを得る。
 感覚は十分だった。五感は全て正常に作動し、男の生殖器に触れる指先も、その屹立した造形も、鼻筋から口元に垂れる精液の臭いも、その濃厚な味も、雨粒が滴り跳ね回るようなぐちゃぐちゃに掻き回される音も、何もかも全て自覚していた。
 男の喘ぎ声が聞こえず、少しばかり寂しいと感じるのは、雰囲気に酔わされている証だろうか。けれど、自身の内側に湧いて出た衝動を否定する気にはなれなかった。
 宴は続く。
「先日、貴女が紅魔館に訪れた時……ピンと来ました。貴女には素質がある」
 女を指差し、観察者は呟く。人間は乱交に一所懸命で、聞く耳など持っていないけれど特に気にしている様子はない。
 彼女が記憶しているずっと前から、肉棒は彼女の秘部に繋がっていて、猿のように単純な動きで彼女を犯し続けている。もうひとりの男は、彼女の唇に己の逸物を擦ってみたり、手のひらに這わせてみたり、豊満な乳房に挟めてみたりと、存分に彼女の身体を堪能している。好き勝手に弄られても文句を言う気にもなれないのは、夢だからという諦めより、否定しても仕方がない、否定するほど大したことでもない、という意識が勝っているからかもしれなかった。
 愛の営みでも、快楽の暴食でも、復讐でも制裁でも単なる生殖行為でもない、ただあるのは男と女が絡み合っているというそれだけの行動である。犯したいから犯した、繋がりたいから繋がった、本能と呼ぶべきものがまだ人の中にあるのなら、この行為こそ真理なのではないかとさえ、思った。
 男が、女の中で果てる。胎内で音がする。水は水の中に混ざり、子が子を目指して女の隅々を駆け巡る。辿り着くか滅し殺されるか、何億分の一の運命の行く末は、まだ誰も知らないにせよ。
「その種……どうか、大事にしてくださいね。いずれ、大きな花を咲かせる時が来るでしょうから。――ふ、ふふ、うふふふふ」
「やかましい小悪魔」
「はわぁっ!?」
 絶頂に浸り、荒く息をする人間を前に、観察者はそれぞれの思惑を絡み合わせる。今はまだ、耳に入らない言葉の羅列でも、いずれその意味が解る時が来る。
「……イカ臭い」
「慣れると癖になりますよ。一口どうですか」
「お断り。……貴女が何をしようが勝手だけど、これ以上騒がしくしたらブッ飛ばすからね」
「怖ぇ……」
 一人が去り、一人が畏怖に震える。男たちが精を放った後、萎れた逸物を女が舐め、汚れを丁寧に吸い取る。順番を待てずに突き出された二本の剛直を、女は躊躇いもせずに咥え込む。
「幸せそう……それが、本来あるべき姿なのですよ」
 宴は、ようやく終焉を迎える。
 いずれ、目が覚めるだろう。

「……」
 胡乱な目覚めだった。
 ふと、自分が誰なのかわからなくなる。一秒と考えずに、マエリベリー・ハーンという名前があることに気付く。親しい人にはメリーとも呼ばれる。自分の部屋。独り暮らしがしたいからと親に我がままを言って、半ば強引に借りたアパートの一室。壁紙はベージュで統一されており、逢魔ヶ刻を映し出すカレンダーがアクセントになっている程度である。
 掛け布団を剥ぎ取り、身を起こす。まぶたと目の間を擦り、顔を洗わなければと思う反面、先にトイレにも行っておかなければとも思う。どちらを優先するべきか、下半身を布団の中に突っ込ませたまま、ぼんやりと考えを巡らせる。
 そういえば、今宵の夢はどのような内容だったのだろう。取りとめもなく消え去っていく夢幻の類に思いを馳せ、即、メリーは膝に額を打ち付けた。
「何してんの私……」
 夢の中の自分を叱咤する。恥ずかしさに赤面するほど初心でもないが、欲求不満なのではないかと己の精神状態を疑いそうになる。
「んん……」
 思い出したら、やはりどこか悶々とした状態に陥る。朝っぱらから何を考えているんだと、太陽の光を一身に浴びているカーテンに目をやる。
 ため息ひとつ、顔を洗おうとベッドを降りた。
「……あ、れ」
 違和感。
 座っているときには気付かなかった、下半身の異変。不自然な熱。股間から太ももを伝う生温かい雫。そして、下腹部に残存する淡く重たい痛み。愛があれば痛みや苦しみさえ喜ばしいものに変わるというのに、愛があったかどうかさえわからない行為の結果だけ取り残されても、女は戸惑うしか術を持たない。
 メリーは思った。
 やっぱり、先にトイレに行こう。

 今日が日曜で本当に助かった。もし平日なら友人にどんな顔を見せればいいのか、自分でもよくわからなかった。カレンダーも流石に空気を読まざるを得なかったか。
 お腹を擦りながら薬局のドアをくぐる。いらっしゃいませの言葉も、何か裏のある響きに聞こえてしまう。よくない傾向である。
 清潔感のある陳列棚を見渡しながら、目的の場所へ。頻繁に利用する製品が並んでいる棚でも、滅多に手に取らないものは存在する。本日、メリーがぎこちなく手を伸ばすのはそんな代物だった。
 不意に、ため息が突いて出る。
「何なのよ、本当……」
 ――妊娠検査薬。
 手のひらに乗せられた小さいな箱は予想外に軽く、重大な選択を迫るにしては頼りない重量ではあった。もう一度、深々とため息。
 夢を見たのだ。淫夢であったと思う。
 問題は、目が覚めた後だった。下腹部に違和感を覚えたメリーがトイレに向かい、入念に確認を行うと、恥部から逆流して太ももを伝う雫の正体は、あろうことか男性の精液だったのである。
 カルピスやケフィアの類を疑ったメリーであったが、その臭い、形、卑猥ながらその手触りも男のそれであることは明らかだった。非常に活きのいい精子の蠢きに触れて、強烈な喪失感を覚えたのは記憶に新しい。
 部屋は完全な密室。合鍵を持っているのは親と友人のみだが、彼女たちがメリーを襲う理由がない。仮に友人であるならばメリーの乳を揉みしだくくらいやってのけるだろうが、最低限の常識は弁えていると推定されるため、男をけしかけるはずはないとメリーは考える。
 ならば。
 直前に味わった淫夢、過去に経験のある『夢から持ち帰ったお土産』の件を鑑みて、つまりそういうことなのだろうと結論付けた。
 かといって、犯された事実が消えてなくなる訳でもなし。
「はぁ……」
 排卵抑制剤も買った方がいいのかな、と視線を泳がせる。きっと今は死んだ魚のような目をしているんだろうな、と己の境遇を最大限に嘆く。近いうちに、蓮子のカウンセリングを受けなければならないが、包み隠さず話すのはかなりの度胸がいる。バカにされるとかコケにされるとか、そんな甘ったるい弄られ方で済めば良いのだが。
「済まないわよねぇ……蓮子だもんねぇ……」
 結局、排卵抑制剤も購入することにした。万全は期すべきである。
 蓮子のみならず、他の友人やら大学関係者やらに買っているところを見られるのもよろしくないため、逃げるように、追われるようにレジに向かう。
 そのとき。
「メリー……」
 かたん、と何かが落ちる音と共に、色濃い驚愕の声が響く。
 振り向けば、予想通りというべきか、我らが宇佐見蓮子の立ち姿。落としたのは蚊取り線香で、トイレの消臭剤で、とりあえず落下しても問題なさそうなものばかりだった。というより、あらかじめ下に買い物カゴを置いてからその上に蚊取り線香を落とすあたり、陰謀の臭いがぷんぷんする。
 消臭剤仕事しろ。
「蓮子。これはね」
「お……お幸せにー!」
「ちょっと! 待ちなさいよー!」
 弁解の余地もない。
 蓮子は涙を振り払うように身を翻し、カゴを放ったらかしにして店内から走り去る。途中、店員に注意をされているあたりネタの詰めが甘い。メリーは一見、微笑ましくさえ見える光景に頬を緩め、蚊取り線香と消臭剤を元の場所に戻した。

 店の外に立たされていた蓮子を拾い、メリーは近所の公園に彼女を連れて行った。大学が休みでも構内のカフェテラスは営業しているのだが、購入した製品の性質上、あまりおおっぴらに話せる内容ではない。散歩途中の犬も飼い主も、砂場に山を築かんとする子どもの姿もなく、猥談を繰り広げるにはうってつけの環境であった。
 木製のベンチに腰かけ、肩幅の半分くらい距離を空けて。
 メリーは、一体どう切り出そうかと悩んでいた。
「えーと……」
 ちらちらと横目で蓮子を確認しながら、メリーは機会を窺う。蓮子は何故かにやにやと不気味な微笑みを浮かべるばかりで、詳細を聞き出そうという気配すら感じられない。
「……なんで笑ってるのよ」
「いやぁ、だって、ねぇ?」
 メリーの肩に手を乗せ、検査薬の入った袋を指で突っつく。咄嗟に袋を引き寄せ、卵でも護るかのようにそれを掻き抱く。その仕草さえ、蓮子には微笑ましく映ったようだ。気色悪さに拍車がかかる。
「メリーも、やることはちゃんとやってるんだなぁ、と思いましてー」
「……あのね」
「で、相手はどんなひと?」
 それしても、この蓮子ノリノリである。殴りたい。
「ほんと、そんなんじゃないから。ほんと違うから」
「排卵誘発剤は嘘をつきませんよ!」
「排卵抑制剤よ!」
 真っ昼間から卵の話を繰り広げる恥ずかしい二人組、その名を秘封倶楽部という。
「どっちにしても同じことじゃない。そういうのが必要になること自体、メリーの身にただならぬ女の悦びが満ち満ちている証拠といえるでしょう」
「……別に、悦んでた覚えはないわよ」
 お腹を押さえるように、前屈みになる。夢の中の記憶をほじくり返しても、その時に感じた痛み、喜びを拾い上げることはできなかった。
 深々と嘆息するメリーに、蓮子は他人事のように告げる。
「あら、若いのに不感症?」
「なんでそうなるのよ……変なとこ触るな」
 無防備な脇腹に触れようとする蓮子の手を払い、抱き締めていた袋を傍らに置く。いい加減、本題に入らねばなるまい。先送りにしてどうなる問題ではないのだし。
「蓮子、絶対に騒がないでよ」
「無理」
「無理かー……」
「おもむろに喉を絞めないでくれると助かるかな」
「口を塞ごうと思って、仕方なく」
「それだと口封じになっちゃうわよ」
 言い得て妙である。
「とにかく、誤解があるみたいだから言っておくけど、私は別に男のひとと付き合いがあって、こういうの買ったわけじゃないの」
「……つまり、それは」
 一転、蓮子の表情が曇り、いきなり弾かれたようにメリーの肩を掴む。
「メリー……! 私は止めないけど、火照りを冷ますためなら誰でもいいっていうのはちょっと……!」
「止めはしないのね」
「でも、もし産むってなったら応援するわ! 千円でいい!?」
「もっと奮発してよ」
 友達甲斐があるのかないのかよくわからない相棒である。メリーは何度目になるか知れない溜息を吐き、目を泳がせながら財布に手を突っ込んでいる蓮子を引き剥がす。
「あ、千円ないから五百円にするけど、いいよね」
 はい、と手渡された硬貨を蓮子の額に押しつけ、うめく相棒を制する。
「……夢、よ」
 低く、抑えた声を発すると、浮かれ調子だった蓮子もようやく落ち着きを取り戻す。財布をしまい、ずれた帽子を被り直して腰を下ろす。
「夢?」
「そう。いつか、あなたに相談したことがあったわよね。私が夢の中から持ってきてしまった、筍や、お菓子や、紙切れの件で」
 急に、蓮子の目の色が変わる。秘封倶楽部の活動に関わる内容となると、普段の態度からは考えられないほど真剣になる。それが蓮子だ。
「部屋は密室だった。あなたの悪戯も考えたけど……流石に、悪趣味が過ぎるわ。これは私が夢の中から持ち込んだ残滓よ。故に」
「メリーには、疼く身体を慰めてくれる相手がいない……」
「ほっといて」
 拗ねる。
 蓮子は適当に「ごめんごめん」とフォローを入れて、すぐさま本題に切り込む。こういう時の気持ちの切り替えは、蓮子の方がよっぽど早い。
「なるほど、カウンセリングの続きというわけね。他に持ち帰ったものはない?」
「えぇ。幸い、変な感触まで引きずってこなかったから助かったわ」
「キスとか?」
「覚えてない」
 黙秘を貫く。しつこく食い下がるかと思いきや、蓮子は思いのほかあっさりと退いてくれた。
 蓮子は腕を組み、親指で自身の下唇をなぞり、何やら思索にふける。ベンチから立ち上がり、夢遊病患者のようにうんうん唸りながらベンチの周りを練り歩く。
「メリー」
「なに」
「やっぱり、誰か適当に男でも作った方がいいと思う」
「……なんで」
 腕組みを解き、腰に手をやって佇んでいる蓮子は、非常に線が細く女性らしい立ち姿をしている。黙っていれば、静かにしていれば――という典型である。良し悪しはさておき。
「考えられるのは欲求不満。やることやってないから淫らな夢を見る。メリーもさ、見た目は綺麗なんだから適当にちゃっちゃと誑かせばいいじゃん」
「簡単に言ってくれるわね……」
「あとは、自分で慰めるとか」
「……それは」
 言葉を続けようとして、口を噤む。友人から目を逸らそうとすると、その意図を察した蓮子はすかさずメリーの視界に回りこむ。機敏な友人に構わず舌を打ち、にやにやと微笑み始めた蓮子を静かに呪う。
「ん、それは、どうしたの?」
「うるさい。なんだっていいじゃない、勝手に他人のプライベートに踏み込んでくるんじゃないわよ、いくら蓮子でも怒るわよ」
「別に自慰くらい誰だってやってるし」
「はっきり言うな!」
 にははと笑う蓮子に何を言っても無駄なのは百も承知だが、メリーは羞恥に顔を赤らめていた。頭が熱い。うら若き乙女たちが、真っ昼間から性交渉の話に耽るのもどうかと思う。切り出したのはメリーの方だが、もうちょっとオブラート的な包み方というものがあるのではなかろうか。
「うぅー……そりゃあ、最近ご無沙汰なのは否定できないけど……できないけど!」
「大人のおもちゃでも買えば」
「……持ってるからいい」
 左様ですか、と蓮子は帽子のつばを目深に下ろす。処置無しと判断されたようで、余計に恥ずかしい。
 一度、蓮子は帽子を脱いで大きく振りかぶり、宙に放り投げる。昇る太陽が帽子に隠れ、ふたりの境に小さな影を作る。
 蓮子は、束の間の静寂をおいてしみじみと告げる。
「全く、メリーはえっちだなあ」
「あんたが言わせたんでしょぉー!」
 ぎゃははと笑う蓮子に追いかけ、首を絞めて黙らせようとする。公園の中に、ふたり以外の誰もいないのが唯一の救いではあった。
 いずれにせよ、メリーにとっては何の解決にもなりはしなかったが。
 それはそれで予想から大きく外れた結果でもなく、ただ蓮子にありのままを話して、少しばかり心が軽くなれば良かったのだ。
 秘封倶楽部の休日は、平日と些かも変わらずに過ぎていく。
 閑静な住宅街に、断末魔の叫び声が上がった。

 ベッドは、朝と変わらぬ弾力でメリーの身体を包んでくれる。これから二度寝を決め込もうというわけでもあるまいに、着の身着のままぐったりと寝転んで、起き上がる気配もない。
 太ももを擦り合わせれば、部屋に衣擦れの音が響く。皺になるから早く着替えればいいのに、と他人事のように思い、それでも身体は動かない。このまま寝てしまおうかと怠惰な誘惑に堕ちようとしても、夢の続きを見せられるかもしれないと心を奮い起こす。たとえ夢でも、あんな経験をするのは二度と御免だ。
「ふー……」
 疲れた。眠った気がしない。
 蓮子に相談を持ちかけた後も、遊ぶ気力など無かったから早々に帰ってきた。送ろうかと申し出た蓮子の親切も丁寧に辞し、胡乱な頭で家路に着いた。眠りたいのに眠れない。眠りたくない、眠ればどうなるのかわからない。
 それこそ、あれ以上の悲惨な目に遭ってしまうのではないか――。
「――んっ」
 思い出そうとするたび、小さく背中が跳ねる。テーブルに目をやると、袋に入ったまま放置してある諸々の薬品が視界に入った。万が一のため、とは言うものの、それは今後も今朝のような事態に陥る前提の話である。
 どこかに、きっとまたあんなふうに犯されると確信している自分がいる。
「……いや、違うか」
 解っている。寝返りを打ち、自分の匂いが染みついた枕に顔を埋める。
 救いようの無いことに、マエリベリー・ハーンは。
 心のどこかで、またあんなふうに犯されることを期待しているのだ。
 嫌気が差す。
「でも、仕方ないじゃないの……」
 言い訳がましく呟いてみても、煩悶とした気持ちに答えが出るわけでもない。かといって、所詮自分はそういう人間なのだと諦めるのも腹立たしい。
 豊かに育った胸が重力に押し潰され、息が苦しくなる。指先がお腹の下に潜り、蓮子に触れられまいと頑なに拒んだ脇腹をくすぐる。
「ぁ」
 ――ぴんぽーん。
 間抜けな音が鳴り響き、盛り上がりの兆候を見せ始めていたメリーの頭が急速に冷めていく。圧倒的な喪失感を前に、メリーは動くこともできない。
 そこに、二度目のインターホンが鳴る。
「……あー、もう!」
 誰に対して怒りをぶつけていいか解らず、枕に拳を叩きつけた反動で一気に起き上がる。多少服が乱れていようが構うものかと覚悟を決め、それでも髪だけは適当に整えておいた。
 書留でーす、と若い男の声がドア越しに届く。正直、無視する案も脳裏をよぎったが、興が冷めれば続きをする気も起きない。一時の情動に流され、誰かからの大切なメッセージを見逃すのはあまりにも痛い。
「はーい」
 対人用に声を繕い、小走りで玄関へ。サンダルを足場にして、片手でドアを開ける。乾いた風が、メリーの一人部屋に悠然と舞いこむ。
「あ、どうもー」
 予想よりも遥かに若い、生気に溢れた快活な挨拶を聞く。
 夏の終わり、しかし肌に染み入る暑さは健在だった。配達員は、あちこち動き回っていたせいか額に汗を滲ませている。メリーと同年代、あるいは年下だろうか。髪を短くばっさり切っているせいで、実年齢より若く見えるのかもしれない。純朴、誠実、愛想笑いに終わらない笑顔も好印象である。
 ――誰か、適当に男でも作った方が。
 無責任な誰かの呟きが、胸の中に木霊する。その反響を無視して、メリーは青年が差し出してきた封筒を受け取る。
「では、こちらにサインを」
「はい」
 事務的なやり取りが続き、特別に交わす言葉もない。ただ、彼の額に溜まっていた汗の雫が、ひとつ、ふたつと流れ落ちて、三和土に落ちていくさまをメリーは見た。
「……汗」
「え」
「汗、たくさん掻いて」
「えぇ、まあ」
 サインする手を止め、メリーは他愛のない話を始める。急に話しかけられた彼も始めは戸惑っていたが、少しくらいは構わないだろうといくらか気を許してくれたようだ。
「お忙しいのですか」
「いえ、言うほどではないです。ただ、まだ新人なものですから、少しでも頑張らないと」
「真面目なのですね」
「いえ、そんなことは」
 彼は少し照れているようだった。客観的に見て、メリーは美人である。ウェーブの掛かった金の髪、豊満と表現して差し支えない姿態は、洋服越しにもその肉感が伝わってくる。なるべくその部位に視線を合わせないよう努めても、会話をしている以上、どうしてもメリーの身体に目が行く。メリーより身長が高い彼は、彼女の膨らんだ胸部を見下ろせる立場にある。
 ――ごく。
 唾を飲みこんだのは不覚だった。
「何か、お飲み物でも」
「あ、お気遣い無く。あまり時間もありませんから」
 彼は正直な意見を述べたつもりだったのだが、メリーはそれを聞き入れなかった。サインをしなければ帰れもしないだろうと、領収書を持ったまま部屋の中に引っ込む。程無く、メリーはコップ一杯の麦茶を持って戻ってきた。「どうぞ」と差し出される麦茶を受け取ろうとして、メリーが「座りませんか」と目で訴えていることに気付く。
「失礼します」
「お気遣いなく」
 ふふ、とメリーは小さく笑う。ふたりともに腰を下ろすと、扉は自然に閉まった。隔離された空間。決して息苦しくはないのに、胸が締め付けられる思いがした。
 いつの間にか、青年とメリーの距離は驚くほど近くなっていた。唾と一緒に麦茶を飲みこんで、余計なことは考えないようにする。メリーはずっと青年の方を見つめていたが、彼はその視線も丁寧に受け流そうとする。
 だが、青年はメリーよりわずかに幼かった。
「ごちそうさまでした」
 一気に麦茶を飲み干して、そそくさと立ち上がる。が、急に袖が引っ張られ、体勢を崩しかける。袖を引いているのは誰か、見ずとも理解はできたが、念のため彼はずっと目線を合わさずにいた彼女の方を向いた。
「もう、行くんですか」
 それは懇願だった。上目遣いに、彼の動向を窺う。何を望まれているか解らず、彼は言葉を躊躇う。すると、メリーは彼を誘うように舌を滑らせる。
「もうすこし、ここにいてください」
 中腰のまま、彼は身体を硬直させている。留まるべきか退けるべきか、誠実な彼にはどちらの選択肢も積極的には選べない。だからメリーは、多少なりとも強引な手段に出る必要があると心得ていた。
 袖から腕に手を絡ませて、引きずるようにもう一度、彼を玄関に座らせる。肩に手のひらを置き、彼と顔を合わせる。近い。唇の皺の数が解るくらいまで近寄って、呼吸をすればその生温かさも感じられるくらいまで迫ってようやく、彼は明確に否定の意見を述べた。
「あ……、いや、ダメです! いけません!」
 メリーの手を引き剥がし、慌てて立ち上がろうとするが、メリーも彼の腕を掴んで離さない。勢い余って、彼が玄関に尻餅を突き、受け身も取れずに仰向けに倒れた。
「ぐぅ……」
「あぁ、ごめんなさい!」
 呻く彼を気遣い、メリーは素早く彼に擦り寄る。
「いたた……」
「ごめんなさい、強く引っ張ってしまって……あの、おしり、痛みませんか」
「あ……いえ、そんなには」
 言うが早いか、メリーは彼の腰に手を回し、当該の箇所を優しく撫で回す。彼は赤面していた。が、メリーが真に心配げな表情をしているので、妙な考えを起こすことはなかった。
 それも、メリーの手付きが怪しくなると、彼も平静ではいられなくなった。
「あ、あの」
「まだ痛みますか」
「いえ、そういうことではなく」
 気が付けば、メリーの手のひらは彼の臀部から徐々に移動を始め、脇腹、太ももの付け根、下腹部、ついには股間にまで到達していた。そのまさぐり方も痛みを和らげるといったものではなく、性的な興奮を呼び覚まそうという明確な意図が感じられた。彼女の頬もわずかに紅潮し、息遣いもかすかに荒い。
「あの、すみません、そこは、違うといいますか」
「どのあたりが違うのでしょう」
「いや、そこは、その」
「でも、ここはなんだか張り詰めて痛そうですよ」
 言わずもがな、女性の柔らかな手に擦られ続けた股間は、見る見るうちに逞しく張り詰めて硬くなっていた。メリーにそれを示され、恥ずかしそうに目を逸らす。
「……ふふ、かわいい」
 微笑み、熱膨張する股間を覚ますべくチャックを開放する。
 あ、と彼が抵抗する暇もなく、滾っていた逸物が逃げ場を求めるように外界に飛び出してきた。顔に似合わず、赤黒く立派な男性器である。
 その存在感と臭気に、メリーはうっとりした。
 ――あ、あれ?
 ふと、違和感が脳裏をよぎるものの、意識と裏腹にメリーの身体は淫らな行為を継続する。
「すてき……」
 囁き声と一緒に、メリーは素手で肉棒を擦り上げる。う、と優しく柔らかい刺激に彼は呻き、抵抗しようという意志が完全に奪い去られる。
 螺旋を描くように擦り、頂点に達するとその全体を手のひらで撫でる。気持ちよさそうだ。それは尿道口から先走りの液体が漏れていることからもわかる。苦しそうに見えるのは、辛うじて彼が理性を保とうというしているゆえか。
 我慢しなくてもいいのに、とメリーは思い。
 ――ちょっと。
 隔離されたもうひとりの自分が、至極冷静に警告を促す。
「べとべとしてる……」
 だがもうひとりの淫乱なメリーはそんな警告など聞きもしないで、見ず知らずの男のペニスを躊躇いもなく頬張る。
「ん……」
 驚きか、気持ち良さからか、彼が不意にのけぞる。
 汗の臭い。フェロモンが過剰に含まれた臭いに理性を解かれ、メリーは先走りの液とみずからの唾液を丹念に絡ませる。
 徐々に、じゅぷじゅぷと卑猥な音が大きくなる。既に屹立していたペニスが、更に太く硬く膨らんでいくのを感じる。
「んぅ……ぐちゅ、ちゅる……んぷ、はぁ、もう、お口に入りきらない……」
 言いながら、べとべとになったカリ首に舌を這わせる。
 ――うわぁ……
 行動に反し、メリーの中の冷静な部分はその行為に呆れ、陶然としている。もうひとりの自分が確かに存在して、淫らな自分を客観的に観察しているのだ。
 呻くことしか出来ず、振り払うことも逃げ出すこともしない彼は、完全にメリーの手中にあった。そりゃ勝てないだろう、とメリーは我ながら思う。だって今の自分は淫乱すぎる。蜘蛛に囚われたら余程のことがない限り、ただの蝶は食われざるを得ない。どうあっても。
 だから。
「そろそろ、いいかしら……」
 片手は自然と自分の股間に伸びていて、スカートとショーツの内側にある大事なところに触れている。何故湿っているのか、今のメリーには理解できない。己の指さえ容易く突き入れられるほどぐちょぐちょになっている秘部を、スカートとショーツを取り払って易々と露にする。
 彼の眼が、当然のようにそこに釘付けになる。無理もない。
「ねぇ、いいでしょう?」
 ――なにが。
「な、なにを」
 解っているくせに。しらばっくれようとする、その浅はかさ。
 メリーはただ淫靡に笑っていた。
 晒された下半身を、星が降りるように、ゆっくりと彼のペニスに導く。溢れ出た雫がメリーの太ももを伝い、こそばゆい感覚が彼女の中に走った。
 天井を向くように添えられた男性器の先端が、彼女の入り口にわずかに触れる。くちゅり、と耳触りのよい音が響く。
「うぅ……!」
「あ、はぁ……久しぶりの、男のひと……」
 言い訳じゃないが、蓮子も男のひとと付き合った方が良いと漏らしていた。
 行きずりの男と突き合うのはどうか、とも言っていた気もするけれど。
「んんっ……!」
 ――ずちゅぅ……!
 入る。入っていく。女の膣を分け入って、男の硬く滾った性器が子宮に向けて駆け昇っていく。性交だった。これ以上ないくらいのセックスだった。
 信じられない。
「す、すごい……あなたの、すっごく硬くて、中でびくびく動いてるのぉ……!」
 手のひらを彼のお腹に置いて、深く深く、腰を落として彼の分身を包み込む。
 彼も、メリーも、湧き上がる快感に小さく震えていて、それが膣とペニスに伝播して更に打ち震える。そのせいで、ふたりはしばらく腰を振ることも出来なかった。ただ、びくびくと小刻みに震えていた。
 でも、その膠着状態も長くは続かない。
「うふふ、かわいい……」
 成す術もなく顔をしかめるばかりの彼に、上級者の余裕を見せる。腰を浮かせ、引き締めるようにペニスを絞ると、彼が苦しげに呻いた。
 ――ぷちゅ、ずりゅぅ……
 持ち上げて、カリ首のあたりで止めて、また腰を下ろす。緊張と弛緩も忘れない。水音は次第に大きくなる。お互いの股間はふたりの体液でぐちゃぐちゃになっていたが、メリーにも理性はあって幸いにも衣服は汚れずに済んでいた。
 はぁ、はぁ、と押し殺した吐息の中に喘ぎ声が混じる。
「こんな、こんな……」
 戸惑いの声。彼は泣きそうな顔をしていた。
「あぁん……もしかして、初めてだったの……?」
 彼は、質問に答えなかった。顔が赤らんでいるのは、図星を突かれたせいか、ただ性感に翻弄されているだけか。
 これも強姦に入るのかしら、とメリーは下腹部の異物感を楽しみながら思う。
「じゃあ、ここも触って……?」
 言いながら、上着をたくし上げる。豊満な乳房は、下着を引っ掛けてもまだずり落ちない。それでも落ちそうな上着は唇に引っ掛けて、メリーは彼の手をみずからの胸に導いた。
 揉みしだくというより、撫でるだけの接触。慣れない手つきに、むず痒さを覚える。でも、悪くない。乳飲み子を相手にしている錯覚を得る。愛おしい。
 また、膣の肉が締まるのを感じた。
「うっ……!」
 限界が近い。こちらはまだ昇り詰められるが、初めての彼に我慢を強いるのは厳しいか。
 乳房を掴む手の力が増し、それに合わせて腰を上下する速度を速める。ふたりの息が荒くなり、彼の腰がメリーの身体から逃れるように悶える。
 もしかしたら。
「いいのよ……このまま、中に射精しても……ね?」
 図星であることを示すように、彼は腰の動きを止める。まだ葛藤が窺えるが、それ以上に、限界が迫っているようだ。快楽の波に逆らう術はない。頂上に昇り詰めるまで、降りることを考えてはならない。
 そして。
「うぁ……! も、もう……!」
「あぁ……! いいわ、来て……!」
 がくがくと腰が震え、がむしゃらに突き上げられたペニスが、メリーのいちばん深いところに到達する。
 びくんッ、と、電流が迸った。
 ――どくっ、ずびゅるるるっ!
「……あ……!」
 思考停止。放心状態。
 大量の精液が、メリーの膣にぶちまけられる。溜まっていたのか、ペニスは小刻みに何度も何度も精液を吐き出し、そのたびに彼は呻き、メリーは己の内側が満たされていくのを感じた。
 メリーの膣に収まって余りある白濁液は、性器の繋ぎ目から逆流して淫らに零れ落ちる。その白い川を指で掬い、悪戯っぽく舌で舐め取る。
「にちゅ……んんぅ、すっごく濃いわ……」
 赤ちゃんが出来ちゃうかも、と苦笑する。実際、彼にしてみれば洒落にならない台詞ではあったが。
 名残惜しげに腰を浮かせると、萎みつつある男性器がちゅぽんと抜け落ち、女陰からごぽりと残滓が溢れ出る。鈴口から漏れる精液と相まって、事後の雰囲気を過度に醸し出している。
 もうすぐ終わろうとしている情事を巻き戻すように、メリーは彼の逸物に手を添えた。びくん、と怯えるように逸物は震えた。
「あぁ、ごめんなさい……綺麗にしないと、いけませんよね」
 言って、決して大きくはない口を広げ、愛液と唾液と先走り液、そして精液にまみれたペニスを咥えこむ。
「うあ、それは……!」
「ずずぅ、ちゅるる……」
 根元から擦り上げ、尿道に残っている精液を吸い出す。裏筋にこびりついた汚れを舐め、頬の裏の肉で亀頭を洗う。
 仕上げに、ペニスの全体をぺろぺろと舐めて磨き、玄関に置いてあったティッシュで水気を取り除く。シャワーを浴びるという選択肢は初めからない。射精が終わった今になって、再び勃起してしまっている点を除けば、ほぼ問題はないように思える。
「……気持ち、よかったですか?」
 真摯な眼差しで問われ、彼は、首がもげそうなくらい強く頷いた。
「よかった」
 メリーは微笑む。とても優しく、先程の厭らしさを微塵も感じさせず。
 だが、彼はメリーの笑みに見惚れたかと思うと、弾かれるように立ち上がろうとし、トランクスとズボンが引っ掛かって躓いて倒れかけた。
「あ、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫ですから!」
 失礼致しましたー! と逃げるように言葉を紡ぎ、彼は脱兎の如くメリーの部屋から駆け出して行った。途中、壁にぶつかり、扉にぶつかり、廊下でも誰かにぶつかって謝罪の言葉を発しているのが聞こえた。
 慌ただしいな、とメリーは他人事のように思い、まだ綺麗になっていない自分の下腹部に思考を移す。
「……なんでだろ」
 他人の熱を思い出し、頬が紅潮する。でも、悪くない。相手の容姿、包容力は問わなかった。男なら誰でもよかった、というわけでもないが、精がありそうで、自分でも押し倒せそうな相手だと思った。そんな相手が、たまたま現れたのがまずかった。
 指先を、股間に導く。
 ちゅぷ、と水気をたっぷり孕んだ音が響き、自分と他人が掛け合わさった分不相応な熱を感じる。
「んん……」
 ここは玄関で、鍵も掛けられておらず、また誰が来るのかわからないのに、メリーは自慰を止められなかった。精を吐き出されたのはいいものの、絶頂に達せなかったのがよくなかったのか。性交はどうしても他人を必要するものだから、ふたりともが同時に昇り詰められるとは限らない。
 だから、仕方がない。
「……あのー」
 とでも言えば、納得してくれるだろうか。彼女は。
「……ここ、メリーさんのお宅ですよね」
 うん、とメリーは頷いた。宇佐見蓮子に対して。
 人差し指の第二関節を、自分の肉壺に突き入れたままで。

 テーブルを間に挟み、向かい合うのは秘封倶楽部である。
 ベッドに座っているのが蓮子、カーペットに正座させられているのがメリー。後者からはほのかに石鹸の香りが漂い、ふわふわと膨らんだ金の髪からは薄く湯気が立ち上っている。お風呂上がりの魅力にも、同性の蓮子は動じる素振りすら見せない。
「すっきりしたかしら」
「ええ。とっても」
 一見、普段と変わらないメリーであるが、シャワーを浴びて来なさいと命令されたはいいものの、浴室に入れば膣の中の精液を掻き出そうとして、そのまま盛り上がってしばらくお風呂から出て来なかった経緯がある。それも二度。
 故に、浴室のドアを二度蹴り抜いた蓮子のスカートも若干濡れていた。
「結構。――それでは、釈明を聞きましょう」
 真剣に、責めるように蓮子は言う。ただ、メリーはきょとんと目を丸くしている。
「ええと……何を?」
「しらばっくれるんじゃないわよ。あなたがさっき玄関でやってたことよ。やってたことっていうか、実際やってたんだからやってたことなんだけど……」
「ごめん意味が解らないわ」
 埒が明かない。メリーがいやに冷静なのも腹立たしい。
 痺れを切らした蓮子は、ベッドから飛び降りた勢いでテーブルに手を突く。
「あーもう! なんで本当に行きずりの男とセックスしちゃうのよ! もし妊娠したらどうするの、あなた学生なのに責任持てないでしょ!?」
「……ああ、そういうこと」
「それになんでそんなに落ち着いてるのよ! これじゃあ大声出してる私が馬鹿みたいじゃない!」
「落ち着いて。あなたは正しいわ、蓮子」
「ふー……ふー……」
 ばんばんとテーブルを叩くことにも疲れ、蓮子は適当に呼吸を整える。困った子ね、と言わんばかりに微笑んで吐息を漏らすメリーは、むしろ普段より大人びて見える。
「蓮子は、どこから見ていたの」
「……メリーが配達員さんを押し倒すところ」
「ずっと覗いていたのね。いやらしい」
「どっちが」
 メリーの額を突く。彼女は甘んじて受け入れる、いつもなら不貞腐れて仕返しするはずなのに。些細な違和感が積み重なり、蓮子は目の前にいるメリーが本物かどうか疑い始めていた。
「蓮子も、見繕った方がいいって言ってたじゃない。男」
「避妊は大切に」
「だって、生の方が気持ちいいんだもの」
「常識も大切に!」
 蓮子は顔を赤らめながら憤慨する。これでは性に対する耐性がないのがバレバレである。当然、メリーの蓮子を見る眼差しは温かい。だが、蓮子にしてみれば甚だ不本意な温もりである。屈辱とすら言っていい。
「大和撫子は慎み深いものなの! いつも懐にゴムを忍ばせているものなの!」
「それは慎み深さなのかしら」
「メリーがえっちすぎるのが悪いんじゃない!」
「そうかしら」
 小首を傾げ、頬に人差し指を添える。この程度、卑猥に値しないとでも言うように、メリーは自身の行為を振り返り、過去の興奮と羞恥心を天秤に掛けているようだった。
 一部始終を見ていた蓮子は、友人の乱れっぷりに唖然とした。足も動かなかった。むしろまじまじと観察していた。参加したいと思うことのなかった自制心を褒めたい。
 だからこそ言える。メリーはどうかしている、と。
「ねえ、メリー」
「でも、蓮子みたいにその年齢で経験ないっていうのも」
「私のことは関係ないでしょ! ていうかメリーにそんなこと言った覚えないし!」
 動揺、ここに極まれり。微笑ましい。
 再び荒い呼吸を繰り返す羽目になった蓮子の回復を待ち、秘封倶楽部の会議は当初より十五分遅れて始まる。いつものことだ。
「メリーがえっちいままだと、非常に由々しき事態に陥る可能性大であります」
「どうして」
「さっきも述べました通り、妊娠、認知、出産、失踪、復讐、等々の問題を孕んでいるわけです」
「妊娠だけに孕むのね」
「もうやだ……ボケても突っ込んでくれないメリーなんて……」
「諦めちゃだめよ」
 慰めは逆効果なのだが、蓮子は無理やりテーブルから這い上がった。
 自分が何とかしなければ、本当にメリーは駄目になる。ただの淫乱小娘なら問題はないが、現実はエロ漫画のようにいくら出されても妊娠しないだの性病にならないだの、そんな都合の良いことばかりではない。気持ちいいばかりがセックスではない。認識を改めろ、子孫繁栄に思いを馳せよ、と蓮子は全人類にメッセージを送ったが、間近にいるメリーにさえ伝わっていない。ちくしょう。
「メリー。確か、変な夢を見たって言ったわよね」
「ん……あぁ、そうね。淫夢、いやらしい夢を見た記憶があるわ」
「原因があって結果がある……可能性は零じゃない、でも、本当に?」
「ええと、何の話?」
「あなたの夢の中に、あなたがやらしくなった原因があるかもしれないって話よ」
「そんなにやらしいかしら……」
 あんなに腰振っといて何を、と言いかけて、赤面しそうだからやめた。あるいは、口が半開きにでもなりそう。
「……試す価値はある、か」
 厳かに呟く。メリーはきょとんと目を丸くしている。
 テーブルに手を突き、鋭い眼差しを容疑者に送る。
「行くわよ。あなたの夢の中に」

 夢の中に行くのだから、メリーと同じ夢を見ればよい。屁理屈も屁理屈だが、現状この線で考えるしか方策がなかった。放置という案もあったが、メリーが先程のような行為を幾度となく繰り返した場合、妊娠のみならず、犯罪に巻き込まれる確率も飛躍的に上昇する。
 策を講じるには少し遅いくらいだ。が、取り返しのつかない段階ではない。このまま胡坐を掻いて呑気に構えて後悔するなら、たとえダメ元でもやれることをやり尽くしたい。途方に暮れるのは、それからでも遅くはない。
「さて、今からメリーと一緒に眠るわけだけれども」
「やだ……蓮子ったらそういう趣味が……」
「ねーわよ」
「でも、わたし、蓮子とだったら……」
「あんたは本当に何でもいいんか」
 いやんと頬に手を添えてくねくねするメリーを差し置いて、蓮子はひとりさっさとベッドに入る。普段着にしようか寝巻きにしようか迷ったが、遊びに行くわけではないから普段着にした。帽子は胸の前に置く。かさばるし熱も籠もるけれど、あまり贅沢は言っていられない。
 程無くして、構ってもらえず業を煮やしたメリーもベッドの中に滑りこんでくる。もぞもぞと蓮子の背中に這い寄り、胸に手を回し始めたあたりで蓮子の肘がメリーの鼻筋に入る。
「あらごめんなさい。うっかり肘が」
「……触って大きくしてあげようと……」
「要らん世話焼くな」
 肘鉄を受けた後も、メリーの手は蓮子の腰に巻き付いていたが、いちいち肘を喰らわせていたらメリーの顔面が凄惨な有り様になるであろうことは想像に難くない。腰より下に手が移動しなければ大目に見よう、と蓮子が嘆息した直後、スカートの中に滑り込む細い指が一本二本三本四本。
「蓮子。私は別にあなたの肘とキスをしたい訳じゃないの」
「そんなにキスしたかったら鏡に私の顔でも描いてなさい」
「いいの?」
「よくない」
 もう埒が明かないと踏んだ蓮子は、メリーを横向きに転がし、その背中を抱き締める形で彼女を拘束する。じたばたと悶え苦しむメリーだが、筋力は蓮子に分がある。優しくしてね、と冗談にも聞こえない台詞は右から左に流す。自分の腕に重ねられるメリーの指先がくすぐったく、今度はメリーの後頭部に頭突きをせねばなるまいかと唇を噛む。
「……あれ」
 だが、結局それ以上の行為には至らぬまま、メリーの息遣いだけが蓮子の耳元に届く。意外だった、といえば期待していたように思え、そんなはずはないと首を振りたくもなるけれど。
 そのうち、呼吸を整える意味合いが強かったメリーの吐息も、やがて寝息に近い静けさを帯びるようになった。わりと強めに抱き締められているというのに、よく緊張も警戒も無しに眠れるものだ。
 呆れながらもメリーを解放しようとすると、ぐっと腕を引き寄せられる。すーすー言いながら頑として手の力は緩めないあたり、メリーの執着心は並々ならぬものがあるといえよう。
「困った子ね……」
 メリーの胸の前で手を組んでいるため、否応無しに彼女の胸部が手のひらに当たる。下着は装着しているはずなのに、ぽよぽよとしたこの感触。妬ましい。もげてしまえばいいのに。
 はぁ、と得体の知れない溜息が漏れ、メリーの髪がわずかに揺れる。目の前にある金の髪は、カーテンの締め切られた薄暗い部屋の中にもきらきら光る。気を抜くと鼻の頭に毛先が掛かって、下手をすればくしゃみを浴びせかけてしまいそうで、怖い。
「ん……」
 沈みかけの船を漕ぎ続け、メリーの髪の毛に顔を埋めることにも抵抗が無くなってきた頃、ようやく夢の世界の扉が見えてきた。いい匂いだなあ、とメリーに聞こえたら押し倒されかねない隙だらけの台詞を囁き、蓮子は人知れず眠りに落ちて行った。

 

 






○ →2.

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2010年3月14日 藤村流


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