少女越冬
くちゅん、と小さなくしゃみをして、それで咲夜は目を覚ましてしまった。
首筋から肩までを冷ややかな空気に撫でられている。くすんと鼻をすすりながら、ずり下がってしまっていた毛布を引っ張り上げたが、すると今度はつま先がはみ出してしまった。思わず裸の指先をぎゅっと握る。
強い眠気に半分霧のかかったような頭で、それでも先日、妖精メイドが洗濯に失敗して毛布を縮めてくれたのだったと思い出した。溜め息。よりにもよって私のをしくじらなくっても。それとも今にして思えば、故意の悪戯だったのかもしれない。三時のおやつ一回抜き程度じゃ、罰として温かったか。
身体を丸め、膝を抱えるようにして、どうにか全身を毛布の中に収める。染み込んだぬくもりを逃がすまいとするように毛布を固く身に巻きつけ、そうしながら薄く目を開いてみると、窓辺に薄く光の寄っているのが見えた。お嬢様が起きるには早い、まだもう少し寝ていられる。薄く吐いた安堵の息が、薄明かりに白くにじんで、消えていった。
だがすぐには目を閉じず、しばらく窓を見ていた。窓外には、一分の隙もない冬の光景があった。モノクロームに閉ざされた幻想郷の姿が。
空は暗灰色の雲に覆い尽くされて日中とは思えないほどに暗く、低い位置から無数の白い綿毛が降っていた。ひどく荒れることはなく、だが飽くこともなく、淡々と。もう幾日も前から、雪はこうして降り続いている。
野を、山を。川辺を、湖畔を。白い結晶たちは無言で覆っていった。枯れ木に氷の花を咲かせ、大地を退屈な無色で塗りたくっていった。そして気が付けば、幻想郷の天地はすっかり彼らに占領されていたのである。
咲夜の住まう紅魔館も例外ではなかった。常ならば周囲の碧の景観から浮き上がってしまうほどにどぎつい紅色も、今は混じりっけなしの純白の下、すっかり目立たなくなっている。
外の世界は暖冬つづきらしいのに――以前に白黒の鼠だったかが洩らしていたことを思い出して、咲夜は嘆息した。この幻想郷にあっては、冬は当たり前に寒いもののままだ。今年はことさらに。
「寒い、なぁ」
当たり前のことを、わざわざ口に出して確かめる。低血圧っぽい、よく舌の回っていない発音だった。
その声が空気に溶け去ると、部屋に静寂がよみがえる。しんと、重く、耳に痛いほど。
急にひとりきりでいることが強く実感されて、なぜだか寂しい想いに咲夜はとらわれた。
「お嬢様、早く起きないかな……」
つぶやいて毛布を頭にひっかぶる。はみ出した足が、とても寒かった。
*
「静かなものね」
その夜半、三時のお茶の時間に、ふとレミリアが言った。
壁際、暖炉の前にしゃがみこんでいた咲夜は、その声を背中で聞いた。暖炉では炎が勢いよく踊り、食堂の空気をほどよく暖めてくれている。
燃え盛る紅蓮を瞳に映しながら、咲夜は主に応じた。
「結構なことですね」
すると、レミリアが不機嫌そうに翼を揺らす気配。部屋の空気が若干、冷たいものを帯びる。
「退屈だって暗にいってるのよ。察してよ」
「申し訳ございません」
もちろん察していた。だがそんなことおくびにも出さず、咲夜はレミリアの表情を想像すると薄く微笑んで、暖炉に新たな薪をくべる。火は一瞬、勢いを弱め、それからまたゆっくりと成長をはじめた。
しばし黙って炎の伸びていく様を観察していると、背後からはティーカップをスプーンで弾くような音が聞こえてきた。ちん、ちちん、と、そのテンポは徐々に早まっていき、さすがに咲夜も「お行儀悪いですよ」と咎めようとして、
「決めたわ」
不意に音が止んだ。代わって、ばさりと黒い翼がいっぱいに広げられる音。
「パーティしましょう」
「はい?」
「久しく宴の類に呼んだり呼ばれたりしてないじゃない。そろそろ頃合じゃない?」
頃合も何も。宴会は、しないのではなくて、できないのだ。
今冬の厳しい寒さには、活発な幻想郷の少女達をして、外出する気力を著しく減退させられていた。紅魔館の図書館が久しく魔理沙の襲撃を受けていないことからも、それは窺えよう。あの人間の魔法使い、今頃すごく着膨れしているのではないか、そう想像して咲夜はくすりと小さく笑った。
閑話休題。
とにかく、宴会を行うには現実的でない状況なのだ。絢爛豪華なご馳走を用意して誘ったとしても、連中の凍りついたように重い腰を上げさせるに至るかどうか。まして何か主題のあるパーティというのならともかくも、ただの思いつきでは。いや、いつもやってる宴会自体、ほとんどが思いつきで開催されているものではあったのだけど。
テーマといえば、と咲夜はふと思い出した。
「時期的に、クリスマスパーティあたりでしょうか」
そんな時期なのである。
レミリアは翼をばっさとひと振り、これを切って捨てた。
「なんで悪魔がそんなおめでたいものを祝わなきゃならないのよ」
「いえ、その皮肉なところが却って悪魔らしいかな、と」
「……それもそうね」
ふむ、と納得しかけた主に、咲夜は慌てて「冗談ですよ」と告げた。
「おめでたいことですし、やめておきましょう、パーティ」
「やるわよ。お題目なんてなんでもいいじゃない……そうね、『冬至祭』あたりにでもしておけば? それじゃ、手配よろしく」
抵抗むなしく決定と相成ってしまった。咲夜はこっそり溜め息をついてから、了承の意を主に伝えた。
咲夜の蒼い瞳には、暖炉の炎が赤くゆらめいている。室温に屋根の雪が融けたのだろう、どさどさと地面へ滑り落ちる音が外で響いた。
まあ、そろそろお嬢様のわがままが来るな、とは咲夜も考え、待ち構えていたのだ。今冬の強力な寒気は訪問者の足を遠ざけるだけでなく、レミリアの外出も妨げていたから。
雪は、ある面において雨よりも強い拘束力を吸血鬼に対して発揮する。積雪が紫外線を強く反射するのだ。おかげで、たまに曇天となっても、レミリアはなかなか外出できずにいた。「雪なら流れていないから平気ね」などとうそぶいていたこともあるくせに、いざ降雪時には「濡れるから」と、やっぱり出たがらない。
そんなわけで久しく館に引き篭もることを余儀なくされていたのである。さぞや鬱憤も溜まったに違いない。それがこのあたりで臨界に達するであろうことを、咲夜は長らく仕えてきた経験から推し量ることができていた。
「それにしたって、パーティとはねぇ」
内心で苦笑するのをこらえられない。レミリアも、冬に入る前は当たり前だった姦しい日々が、よほど恋しくなっていたのだろう。
長い夜が明けてレミリアが寝室に引っ込むのを見送ると、咲夜も自室に戻った。窓から忍び込む陽光はやっぱり薄く、机のランプに火を灯して影を追い払う。引き出しから便箋と封筒のセットを数ダース用意すると、招待状をしたためはじめた。
テンプレートな文をつづりながら、果たして、これを受け取ったうちのどれだけが応じてくれるものかと思案する。最低限、パーティとしての体裁を整えられるくらいの人数は集めたいものなのだが。無理やり引っ張ってくるのは骨が折れるから、なるべくやりたくないし。それとも、数より質で補うべきか。
肩が凝ってきた。大きく伸びをすると、咲夜は気分転換でもしようと部屋を出た。
紅い回廊を抜けて玄関へ。
大扉を開けてポーチに立つと、正面にはまさしく銀世界が広がっていた。相変わらず空は灰色の雲に覆われ、それでも地面を覆う雪化粧の純白は、薄暗い屋内から出てきた咲夜の目にまばゆく映った。紅魔館の紅とのコントラストがまた鮮やかで、視線を巡らせていると不意に眩暈を覚えるほどだった。脳裏に一瞬、紅白の巫女の姿がフラッシュバックする。くそ、まったくもってろくでもない。紅白がおめでたい色彩の組み合わせだなんて定めたのは誰だか知らないが、きっと頭のおかしい奴だったに違いない。
軽く首を振っていると、冷えた静寂の中に、かすかな擦過音のようなものを聞いた。遠く正門の方から聞こえてくる。そこでようやく咲夜は、玄関から門にかけての道がきれいに除雪されていることへ注意を向けた。
「ちゃんとやってくれているみたいね」
目を細めると、ポーチから足を踏み出した。じゃり、と薄く残った氷雪の膜に足跡を刻む。空からは雪がはらはらとまばらに降り落ちていたが、意に介することなく門へ向けて歩いた。
正門の周辺では防寒具を厚く着込んで達磨みたいになっている妖精メイドの一群が、ひりつくような寒さの中、頬を赤く染めながらスコップを積雪に振り下ろしていた。その中心にいた、ただひとりの妖怪少女が、咲夜のことに気付いて手を振る。そいつだけ普段とほぼ同じ緑のチャイナという格好で、防寒具といえば手袋を申し訳程度にはめているくらいのものだった。健康的というよりも、むしろ馬鹿なんじゃないかと思える。
「咲夜さん、手伝いに来てくれたんですか」
「まさか」
即座にばっさり、ひと言で切り捨てる。
「督戦に来たのよ」
「ちゃんとやってますってばぁ」
寒気でさすがに赤らんでいる顔で、美鈴は苦笑を作った。その言葉が偽りでないことを、咲夜はここまでの道のりで確認している。正門から玄関にかけては館の顔、そこを悪魔の君主の住まいとして恥ずかしくない程度に整えておきなさいと指示したのは咲夜だった。美鈴たちの仕事は、ちゃんと期待に沿ってくれていた。
「お茶を用意しておくわ。ほどほどで休憩なさいな」
「ありがとうございます」
美鈴は破顔すると、作業に戻った。スコップの刃先に気を加えて、雪の山めがけて突き刺す。鋼鉄の刃は着雪のやわらかな表層を貫き、さらには氷に近い固さの根元の部分も容易く抉りぬいた。ざっくりと切り出した雪のごつい塊を、美鈴は腰をぐりんと回転させて、背後の湖へと力任せに放り投げる。雪塊は十メートル超の距離を軽々飛翔して、見事に着水。どぼん、と高く昇る水柱。ここら辺の力技はさすが妖怪で、咲夜には到底、真似のできることではない。
感心してばかりもいられなかった。門からちょっと離れれば積雪が山を成していて、その量に咲夜はうんざりとなる。これはもうちょっとしたら、二階から出入りしなくてはならなくなるんじゃなかろうか。
「ここまで来ると異変レベルね。また背後に黒幕でもいるのかしら」
独り言のつもりだったのだが、美鈴の耳には拾われたらしい。妖怪はにこにこと口を開いた。
「いやぁ、これくらい、まだまだですよ。咲夜さん、サンパチ豪雪って知ってます?」
「私をいくつだと思ってるのよ」
咲夜は疲れたような声で睨みつける。
とにかく、この寒さはやはり厄介に過ぎた。いつぞやの終わらない冬は、長いという点で災難だったが、今期のは質的に問題である。幻想郷住人の足を縛る、寒気の檻。こんな状況下でパーティなんて、やっぱり無謀としか思えない。
途方に暮れた思いで白い息をこぼした時、「あれっ」と素っ頓狂な声が上がった。眼を向けると、湖のそばで妖精メイドがひとり、困惑顔をして立ち尽くしている。
「どうしたの」
そばに近付いていった美鈴も、すぐに不可思議そうな表情を作った。岸辺から湖を見下ろして、まばたきなどしている。
なんとなく興味を引かれてそちらへ足を向けた咲夜は、見渡す限りの湖面に厚く氷が張っているのを知った。
この湖の表面が氷結することは、さして珍しいことでもない。氷に穴を穿ってのワカサギ釣りが流行ることもあるのだ。ならば美鈴たちは何を不思議がっているのだろう――首を傾げかけたところで、遅まきながら気付いた。さっき美鈴は、除いた雪をこの湖へ、湖中へ棄てていたではないか。あれから数分しか経っていないのに、どうしてもう凍りついてしまっているのか。
「さっき割ったばかりなんだけどなあ」
美鈴はつぶやきながら、岸から湖へと足を踏み出した。震脚でもって氷を砕くつもりらしい、と咲夜は察する。
一見して無造作な、だが恐らくは充実した気を乗せているのであろう歩が、氷に触れようとした瞬間だった。いきなり美鈴の足の下で、氷が消失した。溶けた、というにはあまりに早い、瞬間的な変質だった。
「え?」
美鈴の足が宙を掻く。氷ではなく、ただの水面に、触れる。踏む。踏み抜く。
「おおおおあわぁ?」
つんのめってそのまま水中へ転落するかと見えたとき、咲夜がスペルカードを切っていた。
プライベートスクウェア。
美鈴の動きが、既に水中にいるかのような鈍いものとなる。あわあわと手で宙を掻きながら湖めがけてゆっくり倒れこんでいく彼女の襟首を、咲夜はひょいと掴んで手前へ引っ張ってやった。
「ん――お――ぉ――?」
間延びした声を吐きながらのんびりと尻餅をつく美鈴に、やれやれとかぶりを振り、咲夜は一転、厳しい眼差しを湖上へと走らせる。
「おいたはそこまでよ。出てきなさい」
するとどこに潜んでいたのか、空からの雪に紛れて、小さな影が氷色の翼を揺らしながら降りてきた。途端に切れそうなほどの冷気が、咲夜の露出している肌を襲う。目が痛い。
姿を見せた氷精、チルノは、水面に爪先立つようにした。咲夜のことを見て、
「あ、猟奇メイド」
「語彙が増えたみたいね」
咲夜は胸の前で組んだ腕、その手の先にナイフをちらりと覗かせてやる。
「せっかくだから、もう少し色々と教育してあげようかしら」
「結構よ」
あかんべーが返ってきた。可愛げのない、と憮然となる。
「まったく、こんなに寒くてもあなたは元気なのね」
青と白、まさしく氷のような色調をした妖精の姿は、この寒々とした光景に今しも溶けてしまいそうなほど似合っているのに。こうして姦しくされると、そういった感傷的なイメージなど消し飛んでしまう。
「あなたには寒さなんて関係ないんでしょう」
確信と共につぶやいた白い息は、意外にも否定の言葉で掻き消された。
「そんなことないわよ。私だって寒い時は寒いもん」
なぜか胸を張るチルノに、咲夜はまばたきする。そういえば、と氷精の姿を改めて観察した。夏場は半袖で裸足だったけれど、今は長袖に、靴まで履いている。人間からすればまだまだ薄着だが、これでも一応、冬服らしい。
氷の妖精でも過ぎた寒さは厭うものなのか、と妙な感心を覚えていると、ようやく時間遅滞の解けた美鈴が勢いよく立ち上がった。
「ちょいと、そこの氷精! もしかしなくてもあんたね、人がせっかく割った氷をまた凍らせたり、溶かしたりしたのは」
「面白かったよー」
拳を振りかざす美鈴に、チルノはきゃらきゃらと笑う。
咲夜は嘆息しつつも、ふむ、となにやら考え込むような仕草をした。美鈴の拳から逃げる氷精の姿を目で追いかけながら、いまのふたりの会話を頭の中でこねくり回している。
ややおいて、
「チビちゃん」
軽く手首を振って、指の間に挟んでいたものを投げつけた。白く鋭い軌跡が、チルノの鼻面に向けて真っ直ぐ伸びる。
「ひゃっ」
チルノは咄嗟に顔をかばおうとし、だがぶつかる寸前で、それがナイフでないことに気付いた。
白く薄いそれは、一通の手紙だった。チルノは思わず受け止めて、恐る恐る表を見ると、そこには「招待状」と書かれている。きょとんとなって裏へ引っくり返すと、赤い封蝋に、紛れもない紅魔館の印章、蝙蝠の翼を模したものが刻まれていた。
「悪戯するほど退屈してて元気があり余ってるのなら、来なさい。いいわね?
もし読めない字があったら、そこの門番ぽいのに訊くように」
呆然となっている氷精へ一方的に告げると、咲夜は美鈴を向いた。
「ちょっと出かけてくるわ。紅茶と菓子は用意しておくから、後は適当にね」
「え……出かけるって、この寒いのに? どこへ行くんです?」
問われて、咲夜は灰色の空を仰いだ。白いかけらのひとつが、右の頬に触れて、じわりと水滴に融ける。
「ちょっと、ね。黒幕を退治てくるわ」
*
紅魔館からさほど遠くもないところ、大地の不規則な隆起が連なって丘陵を成している地帯がある。その丘のひとつで、咲夜はある冬、黒幕を自称する妖怪と遭遇したことがあった。
寒気を操るというその妖怪が、この冬も同じところにいてくれているかは分からないが、他に手がかりもない。なるようになるでしょうと根拠のない希望的観測を抱いて、咲夜は黒幕との再会を期し、丘を訪れていた。
がちがちの防寒装備に身を固めている。マフラーをみっちり首から顎先まで守るように巻き、長い冬の解決に走り回った時にはしていなかった毛糸の手袋なんかもはめ、これは秘密だがスカートも丈が一寸ほど長いのにこっそり換えてきている。肩から提げているピンク色をした魔法瓶の中身はジンジャーティーだ。容器は香霖堂で見つけて瀟洒にガメてきたものだが、こういう場合になかなか重宝している。
着替えこそ持参していないものの、割に重装備である。それでも常と変わらぬ瀟洒な立ち居振る舞いで、咲夜は丘に挑んでいく。
なだらかな斜面には白い綿帽子をかぶった木々が林を成し、その中にちょうど麓から頂点へかけて道を作るかのように拓けている部分があった。それに沿って、咲夜は木々の梢よりやや高くを飛ぶ。
細かな雪を乗せた微風が顔に吹き付けてくる。睫毛に雪片が絡み、咲夜はまばたきした。
「ああもう」
あまり瀟洒とは言いがたい響きの声でぼやく。
「さっさと黒幕に登場願いたいものだわ」
あの時は、こう口にしたそばから、その「黒幕」がふらりと現れてくれたのだが。ならば今回も――とちょっとだけ期待して、咲夜はしばし宙にとどまり、待ってみた。
空が暗さを増し、肌に触れる風が冷たいのを通り越して痛みさえ感じさせるようになる。宙に舞うは雪の一群ばかりで、他には何の影を見出すこともできない。
「……期待なんて、してなかったわよ」
銀色の髪にうっすら積もりつつあった雪を払うと、咲夜はひとまず地面へ降りることにした。遮るもののない空中では風のあおりをまともに受けてしまって、寒いどころの話ではなくなりつつあった。下手をすれば凍傷も負いかねない。とりあえず地表近く、木陰で風雪をある程度凌ぎながら探索を続けるべきだろう。
斜面を覆う雪にパンプスで危なげもなく立つと、咲夜は手近な木の陰に身を寄せた。そのまますぐには歩き出さず、魔法瓶の蓋を開く。蓋を引っくり返してカップにし、そこへ中身をたっぷりと注いだ。湯気と共に生姜の苦みを含んだ紅茶の香気が立ち上って、冷え切った顔を包んでくれる。安堵を覚え、思わずほうっと息をついた。
カップに口を寄せて、暖かな液体で唇を濡らす。自分の唇が乾ききってしまっていたことに、そこで初めて気付いた。
場の静謐さが壊れるのを恐れるかのように、音を立てぬよう、紅茶を口に含む。
丘を覆う大気は、雪を含みながらも乾燥し、ひたすらに冷たく、そして耳鳴りがしそうな程に静かだった。時折、かすかな風の音が鼓膜を震わすくらいのものだ。子どもの、あるいは女性の声のようにも聞こえる、密やかなささやき。
なぜだか、昨日のベッドの中のひと時を思い出していた。ひとりきりであることを強く実感した、あの瞬間を。漠然と、ここは嫌だな、と思う。
そして考えた。こんなところに、本当にあいつはいるのだろうか。いるとしたら、ひとりきり、一体どんな心持ちでいるのだろう。
「……おーい、黒幕ー」
呼ぶともなしに呼んでいた。
すると、まるでそれに応えるかのように、咲夜の周りで大気が奇妙な動きを見せはじめた。ほとんどあるかなしかだった風が速度を強め、咲夜を中心とした渦を描きだしたのだ。
風は低い唸りと共に、地面や木の枝に積もっていた軽い雪を巻き上げて、流れる斑模様を宙に描く。渦は見る見る勢いを増していき、やがて咲夜の四方は目の回るような風雪によって真っ白に閉ざされてしまった。寄り添っていたはずの木の影すら視界から失われ、もはや前も後ろもない。
この突然の怪異の中心に置かれて、咲夜はつぶやく。
「テーブルターニング、か」
さして慌てた風もなく、まだ紅茶の残っていたカップを空にする。カップをさっと振って水気を切ると、元通り魔法瓶に蓋をした。ティーセットの優美さこそ無いものの、この保温性と収納性はまさしく機能美の極みだわね、とうっとりする余裕すらあった。
そしてまばたきを挟んだ次の瞬間、鋭い目つきとなって、周囲に首を巡らせた。高速で流れゆく白い世界、そのうちの一点に視線を定めると、
「そこね」
そちらへ向け、歩き出す。
その手にはいつの間にか一本のナイフが握られていて、その銀の刃の切っ先を、咲夜は逆巻く風に突き通すようにする。バターに熱したナイフを通すかのように、刃先はあっさりと風の渦を割いてしまった。乱れた空気の流れが咲夜の髪をなぶり、マフラーをはためかせる。咲夜はまばたきひとつせず、迷いのない足取りで乱風の中を進んでいく。
その毅然とした足取りに、風が動揺するかのような気配を見せた。不意にその流れが止み、宙に舞い上げられていた雪片が一瞬、灰色の空にふわりと浮かぶ。
風花の咲く儚げな光景に咲夜は束の間、目を細める。そして視線を空から下ろしたとき、そこにはひとりの少女がたたずんでいたのだった。雪の結晶が人の形を取ったかのような、白く冷ややかな可憐さを帯びた、そんな少女が。
「くろまく」
少女は自分のことを指差しながら、にっこりと笑った。
「黒幕ね、間違いなく」
咲夜も薄い笑みを返す。
「探したわ」
「え……私?」
なぜだか、相手は狼狽したらしかった。
「そうよ。レティ・ホワイト……なんだっけ。ほわいとくろまく? さん」
「ホワイトロック」
訂正しつつ、少女、レティは目をしばたたかせている。また自分に指を向けて、
「黒幕違いじゃないの? 私に、用事?」
「そうだってば。くどいわね」
なぜだか念を押してくる相手に、咲夜は訝りながらもうなずき返した。
するとレティは、笑みの形をかすかに変えた。
「……何のご用かしら」
「今年は普通でなく寒いじゃない?」
咲夜は手のナイフを突きつける。
「だから、ね」
「ああ、だから」
とても納得いったというように、レティはうなずいた。笑ったまま片目をわずかにすがめ、するとにこやかだった表情が、はっとするような嫣然としたものに映った。まぎれもない妖気を、そこに含んでいる。
「それで人間の妖怪退治ってわけかい。でもね、無駄よ。あなたは主と従を理解していない。私を倒したところで、この冬にはなんの影響を及ぼすこともできないの」
咲夜の体が小さく震える。レティの言葉に慄いたのではない、いつの間にか気温がさらに低下していて、身体の芯まで冷えが沁みつつあったのだ。
「逆に私は、冬が厳しいほどに力を得る。いつかのただ冗長で、終わるのを待つだけだった冬の終わりのときとは違う。冬はまだまだこれから、あなたに終わらせることなどできないわ。間の悪いときに来てしまったわね、頭のおかしいメイドさん」
レティがしゃべるのに合わせて、寒気が凶悪さをいや増していく。
「でも……理由はどうあれ、わざわざ私に会いに来てくれたのだから。全力でもてなしてあげる」
いまや骨まで凍みついたかのようで、体がひどく重い。それでも咲夜の蒼い氷色の瞳には、強い光が残っていた。
白銀のメイドはゆっくりと腕を持ち上げ、
「そうね。たまには人に接待されるのもいいかしら」
ナイフを口にくわえると、悠然たる動作で手袋を片方ずつ、脱ぎ捨てた。露わになった、雪よりも白く、細い指の狭間に、転瞬、半ダースものナイフの束が白刃の列を作る。
口のナイフもその並びに加え、ぎらりと、氷よりも冷ややかな笑みを広げた。
「行くわよ、黒幕。全力でもてなされてあげる」
丘の緩やかな斜面、咲夜はレティを見上げる位置にいる。劣位。
高さを得るべく浮かび上がろうとしたが、相手はそれを見越していたのだろう、機先を制し、頭上から弾幕をかぶせるようにしてきた。
やむなく咲夜は飛び上がるのを断念、即座、滑るようなバックステップに切り換えた。雪面にヒールで二条の鋭い線を引いて後退しながら、両手を閃かせる。風切り音を連ねてナイフの群れが寒気をすだれに切り裂く。
レティは右に飛んでこれをかわし、そのまま咲夜の側面へ回り込む機動。雪球のような白い弾幕を張りつつ、追ってくる。
咲夜は乾いた唇をなめる。予期していた以上に敵の動きが素早い。前回の遭遇時より力があるという彼女の言は、どうやらはったりなどではなかったようだ。
咲夜は背面滑走を続け、雪上に優美なシュプールを描きながら、思考を巡らせる。できれば手っ取り早くけりをつけたいのだけれど。いくら相手が冬の厳しさに比例した力を有しているといっても、実力はまだこちらの方が上であると信じていた。だがこちらは、ここまでの雪中行で少なからず疲弊している。いまこの瞬間も、強烈な寒気に体力を奪われ続けていた。長引けば、この雪の中で春まで眠る羽目となりかねない。
勝負を急ごう、そう意を決すると、咲夜は右の踵に重心を置き、ブレーキをかけた。長いコンパスで雪に半円を刻みつつ左へ身体を開き、迫りくるレティを向く。両手に新たなナイフをひと振りずつ装填、まなじりを吊り上げて敵を睨む。
レティは本能的に危機を察したらしい。咲夜の間合に飛び込む直前で急減速、自分の前に寒気を集中させた。両者の間に、目に見えるほどの強烈な寒気が、白い靄の壁をつくる。ほとんど濃霧のようなそれの向こうに、咲夜の蒼い瞳は相手の姿を見失――
「見えてるわよ」
時間を、空間を操る少女に、そんな目くらましなど無意味だった。人智を超えた空間把握能力で彼我の位置関係を過たず捉え、間合に収めるべく踏み込む。踏み足をざくりと雪に沈めて、
瞳を紅く濡らす。
「インスクライブレッドソウル」
無尽の青白い光が、冬の虚空に閃いた。
白い靄に幾筋ものひびが走ったように見えた。縦横に払われる白銀の刃が、寒気の層を千々に引き裂いていく。鋭い切っ先は、その向こうにいる敵の影をも捉え、無慈悲に刻みつけた。
咲夜は確かな手応えを覚え、
「ち」
だが舌打ち。浅い、足場が悪すぎたせいだ。
それでも痛撃を与えたのは間違いない。斬撃を止めると、元の蒼さを取り戻した眼で、前方を見据える。寒気の生み出した靄はすっかり霧散し、視界は開けていたが、そこに敵の姿はなかった。
息が弾んでいる。自分の呼気が目の前を白くぼやけさせている。咲夜は呼吸を整えながら、油断なく辺りに目を配った。把握できる範囲内に、レティの気配は感じ取れない。もしかしたら、今の一撃は自分が感じ取ったよりも重い手傷を、相手に負わせていたのだろうか。それで敵は逃げ去ったのか。
ふと、雪が止んでいることに気付いた。前髪にかすか、熱を感じたような気がして、咲夜は視線を高く持ち上げる。そしてわずかに目を見開いた。
重苦しく垂れ込めていた灰色の雲に、大きく裂け目が生じ、そこから陽光がオレンジ色に射しこんでいた。
ずいぶんと久しく思える天からの光を直視してしまって、見開いた目を反射的に細めた。気が付けば、ついさっきまで全身を苛んでくれていた寒気も、嘘みたいに弱まってしまっている。厳しい冬が不意に見せた優しさ、これはレティを倒したという証明なのだろうか。
咲夜はしばし額に手をかざして、太陽の輪郭を見上げていた。足の踏み位置を直そうとして、そこで唐突に違和感を抱く。踏みしめている雪に、さっきまでとは異なる感触を覚えたのだった。
なんだろうと、足の位置を幾度も変えてみる。さくさくと、ヒールが小気味良い音を立てて丘の白い肌に刺さる。
さく、と何度目かに踏みつけたとき、咲夜は眉をひそめた。違和感の正体がはっきりと掴めたのだ。
この一帯の積雪が緩んでいる。
今の短くも激しい戦闘による影響と、天候が急激に好転したためだ。温度差が、雪の結晶同士のつながりを緩めてしまった。
そして――そう、この自分が立っている場所。丘のほぼ全体を樹林が覆っている中で、この一帯だけ樹影がなく、道のように拓けているのは、なぜか。本来この道を通るべきなのは、何なのか。
自分が敵の術中に陥っていることを、咲夜は知った。そうだ、この天候の回復も、あるいは敵の衰弱を原因とするものではなくて……
全身の肌が粟立つような戦慄を覚えた時、斜面の上方に人影が揺れた。察知が遅れた自分の迂闊さを呪う間もなかった。
「おやすみ。良い夢を」
少女の穏やかな声を合図に、積雪はいっせいに崩壊を始めていた。白い氷雪の波と化して傾斜を滑りだす。白濁の怒涛は丘陵全体を揺さぶるほどの勢いで斜面を流れ落ち、その中途にぽつりと立つメイドの小さな影をあっという間に飲み尽くしてしまった。
*
大地を揺るがす轟音が遠く去り、丘の頂上まで届くかと見えた盛大な雪煙も風に押し流されると、場は元通り、モノクロームの静寂に浸された。
空は再び隙間なく暗色の雲に覆われて、結晶の大きな雪をこぼしはじめている。雪の落ちゆく先、斜面には、レティがひとり、立っていた。
衣服と帽子に数え切れないほどの鉤傷を作り、少なからず負傷しながらも、しっかりと二本の足で立っていた。ほんのかすか、口元を笑みのような形に歪めて、だが目を伏せがちに、咲夜が押し流された辺りの雪面を見下ろしている。
ふと、白一色と思われた世界に、何かを見出したらしい。彼女は腰をかがめ、足元の雪を手で撫でた。引かれたその指には、なにやら紐のようなものが絡んでいる。手繰ると、出てきたのはピンク色をした魔法瓶だった。何かに引っかかることもなく、持ち主を失った魔法瓶は掘り出され、別の少女の手に収まった。
レティは魔法瓶を両手で持ち、しげしげと興味深げな視線を送った。しばし考えて、おもむろに蓋を開ける。さっき咲夜がやっていたところを見ていたのか、蓋をカップにすべく、逆さにした。
逆さにしたところで、その手がぴたりと止まった。蓋の中に、一枚のトランプカードが納まっているのを見つけたからだった。
スペードのエース。漆黒の剣が、その切っ先をこちらの喉もとに向けている。
レティは目を見張り、それからそっと、息をついた。
「せめてひと口飲むくらいは、待ってほしかったなあ」
それはカードを発見するのと同時のことだった。彼女の周り、全方位に、突如として無数のナイフが出現していた。凶悪な銀の切っ先をレティに突きつけ、完全な包囲下に置いてしまっていた。
そして数歩離れた雪上に、白銀のメイドが腕を組んで立っていたのである。
「あまり良いお茶じゃなかったから。人様にお出しするようなものじゃありませんわ」
メイドは人差し指を立てて告げる。チェックメイト。
レティは肩をすくめると、魔法瓶と蓋を持ったままの両手を軽く持ち上げ、降参のポーズを取った。
雪崩の予兆を掴むのがもう一瞬でも遅れていたら、あるいは時を止めたところで無駄だったかもしれない。咲夜が窮地を脱しえたのも、実はほんの紙一重の差のことだった。少しでも身を軽くしようと魔法瓶を捨て、脱いだ手袋を回収する余裕などもちろんなく、大慌てでのしかかってくる雪津波の下から逃れたのである。
そんなこと、やっぱりおくびにも出さず、完璧なメイド長は必殺の布陣に配置したナイフを面倒くさそうに回収している。
包囲網が取り払われると、レティは名残惜しげに魔法瓶を咲夜の手へ返した。背を向け、
「じゃあね」
と残して斜面を登りはじめる。
「どこへ行くの」
「さぁ」
尋ねた咲夜を、レティは首だけで振り返った。ゆっくり歩きながら、
「でも、退治されちゃったから。そんな妖怪が、人間の前にいつまでも姿をさらしてるわけにもいかないでしょ」
「そういうものだったかしら」
首を傾ける咲夜に、冬の妖怪は笑う。何を思ったのか、足を止めて、問いかけた。
「ねえ。あなたは、冷気と寒気の違いって、知ってる?」
「なによ、いきなり」
「『冷』にはさ、割と良い意味もあるじゃない? 褒め言葉にもなるし、暑い時期には重宝されるし。でもね、『寒』はだめなの。さっぱり。なぁんにも、いいところなし」
自虐にしか聞こえないことを、むしろあっけらかんとした声で。
「ただひたすら疎まれるだけ。みんな、懸命に自分から遠ざけようとするわ。自分から近づこうなんて、よほどの酔狂でしかありえない。頭のおかしいメイドとかくらいのものね……そしてそれも、やっぱりさらに遠い果てへ追いやるためなんだわ」
レティと視線が重なって、咲夜は、
「ふうん」
と、素っ気無い声を返した。
レティは目を細め、顔を前に向けなおすと、また上へと歩きだす。
その小さな背中を、咲夜は見ていない。どこから取り出したのか、何か封筒のようなものを左手に持ち、右手はペンを構えていた。
「ホワイトロック、だったわね」
さらりと、封筒の表面にペン先が走る。それを終えてからやっと、咲夜の眼はレティを追った。
「どこへ行くのも勝手だけど。これには来てもらうわよ」
「え?」
振り返ったレティに、封筒をひらひらと振ってみせる。レティは怪訝そうな顔になりつつも、その表面にある文字を読み取ったらしい。そこに記されているのはレティの名前と、
「……招待状?」
「今度、うちでパーティやるから。私に負けたあなたは、絶対参席ね」
ぽかんと、レティは口を開いていた。わけが分からないといった顔つきの彼女に、咲夜は歩み寄っていく。
「ほら」
手に封筒を押しつける。その拍子、指がレティの掌に触れた。思いのほか、冷たくない手をしていた。
レティは、この寒さにすっかり赤くなってしまっている咲夜の指先を見つめ、ぱちくりとまばたきしている。何か問いたげに口をぱくぱくと動かし、でもそこから言葉は出てこない。よほどびっくりしているらしかった。
咲夜は肩をすくめる。
「まあ正直に話すと、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるのよ」
「……なに、を?」
「会場の寒気を、緩めてもらうわ」
「はい?」
まばたきが激しくなる。さらに混乱の度を強めたらしかったが、咲夜はお構いなしに話を進めていく。
「あなた、寒気を操れるんでしょ? なら、寒さを強めるだけじゃなくって、弱めることもできるはず。私たちが過ごしやすくなる程度にね」
「そ、そんなこと……」
「さっきもやってたじゃない。あの雪崩、寒気を弱めて、故意に引き起こしたんでしょう」
決め付けて、両の目で射すくめる。レティは言葉を詰まらせ、それで咲夜は自分の考えが正しかったことを知った。
この推測を立てたのは、紅魔館の門前でチルノの悪戯を目撃した時だ。チルノは冷気を操って、凍結と解凍の両方をこなしていた。なにも今に始まったことではない、思えばあの氷精は、普段から蛙を凍らせるだけでなく、逆に解凍もしていた。
チルノだけじゃない。咲夜自身、時間を凍りつかせるだけでなく、解凍して再び動かすことができるではないか。それらをひと括りにしての、「時間を操る能力」なのだ。
このことは、ならば他の能力にも適用されるのではないか? そう、例えば、「寒気を操る能力」にだって。
「『暖かな、くつろげる一夜を』――たったそれだけでも、この冬にあっては、客人に提供する価値が大いにあるわ。もしかしたら、結構な人数が乗ってくれるかも。そう思わない?」
それでも参加者が寡少だったなら……ま、それもいいだろう。レティという珍しい客人とその能力は、きっとレミリアの好奇心を大いにくすぐってくれるはずだ。要は、レミリアの退屈を晴らせれば、それでいいのだから。
「あなたに、今度はパーティの黒幕をやってもらおうってわけ。そのような次第だから。お待ちしておりますわ」
レティはまだ狐につままれたような顔つきでいたが、やがてくすくすと笑い出した。雪の野の静寂を、とても愉快そうな笑い声で震わせる。目尻にうっすら、涙まで浮かべて。
「なによ、それ。そんなことに働かされて、招待客なんて名前だけじゃない。それで私に何の得があるっていうの?」
つっけんどんな声を、恐らくはわざと作って。レティは何かを期待するかのような眼で、咲夜を見ている。
そうね、と咲夜はちょっと宙に目を泳がせ、それから肩に提げている魔法瓶を撫でた。いたずらっぽく目配せを投げる。
「とっておきのティーセットで、とびっきりの紅茶を好きなだけ。お菓子も添えてご馳走するわ」
「……暖かな冬と、温かなお茶とを、か。交換条件としては不釣合いすぎるような気がするけど」
けれど、とレティはもう一度笑った。招待状の封筒をぎゅっと胸に抱きしめて。いま咲夜に触れられた手に、ちらりと眼を落として。
「もちろん給仕はあなたなのよね、酔狂なメイドさん?」
「ええ。今度は私が、あなたを目いっぱいもてなしてあげる。だから、ね」
ようこそ、冬の少女。咲夜はスカートの裾をつまんでゆるりと広げ、瀟洒に一礼した。
→ 少女月刀
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