上海の人の形(後編)

 

 

 

 昔、陽の当たるピクニックテーブルの上で、アリスが言っていた。

『全ての生命は、試行錯誤という過程なのよ』

 人形達しかいない場での発言だった。
 その時は、自分の位置の裏づけにしかならなかった言葉に、今、別の見方があったことに気付く。
 種で見るか、個で見るかで、これほど違う言葉は無いなと思う。

 アリスの真意は今でも不明だ。
 どちらでもいい、気付いた奴が選べというよりは、気付くための言葉なのかもしれない。

 空は相変わらず青かったが、陽は山の方へ近付きつつあった。
 悪ガキどもの黒い羽は、森からも道からも少し逸れて、ただっ広い草原の上を飛んでいる。
 巣を近くにした、蜂の飛行に似ていた。

「おい、お前ら、ちょっといいか?」

 当たると厄介なので、遠くから声をかける。
 全然気付いてくれない。

「おいってば!」

 少しボリュームを上げたら、気の弱そうな一人の動きが止まった。

「どうした?」
「変な声、しなかった?」
「してねえよ、気のせいだろ」
「おい、気のせいじゃないっての!」
「あ、ほら、これ」

 私は腕を組んで、仁王立ちしていた。
 ドレスと頭の大きなリボンが春風に揺れるなか、私は腕を組んで三人を見下ろしていた。
 いや、立つ地面なんて、ないんだけどさ。

「なぁ、どこから声してるんだ?」
「他に仲間呼んでたっけ? お前呼んだ?」
「呼んでないよ?」
「上だよ、上! いい加減、気づけよな!」

 すっかり存在忘れられてるな、私。
 時間開き過ぎたのは、私のせいでもあるのだけど、せっかく勢いに乗ってるのに苦しい。

「人形?」
「もしかして、さっきの奴じゃない?」
「ええと、誰が喋ってるの?」
「私だよ。真っ赤なドレスもチャーミングな蓬莱人形様だ」

 ぐっと親指立てて、自分に向ける。
 やっぱりというか、当然というか、かなり引かれた。

「うっえ!?」
「マジ、呪われてるよこいつ!」
「お、おい、これ喋ってる!」
「ごちゃごちゃ五月蝿いな。現実を受け入れろ。私は喋るんだ」

 流暢に会話する人形に、恐怖と興味の混じったどよめきが収まらない。
 確かに珍しいものだとは思うが、こんな所で躓いているわけにはいかないと大声を上げた。

「シャラップ!」
「な、何だよ、何でお前、喋るとそんなに強気なんだよ、今までで何してた?」
「事情が色々あったのだ。こっちにも」
「……?」
「それで、お前等、私達に何か忘れてないか?」
「は?」
「ごめんなさい、だよ。あれだけやって何も無しってのは、世の中嘗めすぎてない?」
「いきなり、何いってんだ、こいつ」
「人形が喋る方が、世の中嘗めてるっての」
「言えてる」

 三人が笑い出す、予想通りの反応でこっちまで可笑しくなる。
 どこまでも自分達が優位だと確信してやがる。
 果たして、その余裕が何秒もつかな。

「お前らがやったのは、轢き逃げ未遂だ」
「轢き逃げ?」
「何言ってんの、当たってないだろ?」
「それが未遂なんだよ。事故を回避してやったのは誰だと思っている。あのままだと上海が潰れてるところだ、少しは反省してみせろ」
「人形一体くらい、どうだっていうのさ」
「人形にだって尊厳はあるんだよ」
「人形に? そんなもんあるのかよ? 単なる物のくせに」
「百歩譲って人権はないね。じゃあ、物としよう、誰かの所有物だ」
「は、自分で物って認めてやんの」
「それが、誰の所有物だか解るか?」
「誰のだよ?」
「森の魔女のだよ」

 アリスの名は効果があった。
 今までの、余裕の笑みとも取れる表情が、一様に曇ってくる。

「上海を壊したら、森の魔女が黙っちゃいない。百を越える人形がお前等を昼夜なく追い掛け回すぞ」
「何言ってんだ、たかが人形一体じゃねえか」
「そうだ、おおげさなんだよ」
「魔女のくせにみみっちいぞ」
「おい、器物破損って知ってるか? 本人は商売したりしないけど、アリスが作る人形は、大変に高価なんだ」

 実際の値段なんて知らないが、高いのは確かだろう。
 右手を顎に当てて、高圧的な笑みを浮かべて、嘲るように言ってやった。

「上海一体でそうだな、お前なら半年は食える」

 何もかもはったりだったが、子供のお頭には丁度良かった。
 上海は、奴等の頭の中で、想像できる範囲の、高価なものに化けてくれたらしい。

「で、でも、人形は壊してないし、レーザー当てたのだってお前じゃないか」
「だから謝罪の一言くらいないのかって、言っているのだ。お礼を言われても良いくらいだぞ。それに林檎は実際に三つも壊れた。人形と同じで、林檎もア

リスに所有権がいってるんだよ、お前らは森の魔女の林檎を潰しておいて逆切れか?」
「知るかっ、そんなの! おい、相手にするな、気色が悪い!」
「……り、林檎だってお前のレーザーが」
「二つの林檎は私が飛ばした、あれを私の林檎と仮定してやろう。それで、残る一つは誰が壊したのかね……?」

 リーダー格を睨む。
 奴に反省の色は見えない、理不尽な喧嘩に顔が燃えていた。

「林檎一つでしつけえんだよ!」
「何? 謝るか?」
「潰れかけて、どうせ食えなかっただろうが!」
「まだ、食える部分はあった」
「詭弁だ!」
「ガキが難しい言葉使うなよ。あれは上海が頑張って稼いだ林檎だ、とても重いものだったのだ。そこは絶対に退くつもりは無い」
「弁償なんて絶対にしねえぞ!?」
「理解できてないね。上海に謝れ。最初から選択肢は一つしか提示していないよ」

 反論しようと、リーダーは口は開くのだが、単発的で幼稚な罵声しか飛ばなかった。
 他の二人は、昼間からお化けにでも出会ったという感じで、黒い羽を背中で小さくさせていた。

「なぁ、いこうぜ……こんなの相手にするなよ」

 一番冷静そうな小天狗が、ガキ大将を肘で突付く。
 気弱そうな奴は二人の顔色を窺っている。
 しばらく、無言で睨み合った。

「ばーか、おままごとの相手なんてしてやらねえよ」

 それが精一杯考えた、奴の捨て台詞だったらしい。
 小天狗は背中を向け、気弱そうな奴が確保してた鞠を引っ手繰ると、ゆっくりと私から離れ始めた。
 私はその背中を睨み続けた。三対の黒い羽が私を馬鹿にするように小刻みに動く。

 謝る言葉は、まだ出ていない。
 だったら、目的を果たしてはいない。
 そうは思うけど、離れていく三人を止める言葉が出ない。

 ……悔しいが、どこかでほっとしていた。
 ここが限界ラインで、これ以上は過ぎた望みなのは頭で理解している。
 どんな言葉を並べても、身体はまだ震えていたし、天狗の実力は嫌ほど知っていた。
 アリスのいない私では、一人として太刀打ち出来る相手ではない。事実だ。

 それを相手に、十分な戦果を得た。
 言い負かし、追い返し、局地的な勝利を得ることが出来た。
 もっと早く戦闘になってもおかしくなかったのを、私の意地で追い返した。
 今までから考えたら、凄い前進に思える。
 ……そうだ。
 ここで、満足しておいた方がいい。
 これ以上は、勇気じゃなくて無謀だ。
 曲げたわけじゃないし、逃げたわけでもないんだ。
 我を張って戦闘になってしまえば、壊れた私を運ぶのは上海だろう?
 上海だって、アリスだって、壊れた私なんて見たくないだろうし、大変な手間もかけてしまう。
 それに、この戦闘に、上海が巻き込まれでもしたら大変な――。

 違う。
 上海に下がってもらっているのは、私の都合だ。
 巻き込まれたら、じゃない、巻き込まれないように下がってもらったんだ。
 こんな言い訳は絶対に通らない。

 ――いつまで、人のせいにするんだ?

「……三人とも、ちょっと待て、まだ帰るには早い」

 低い声で、呼びかけていた。

 小天狗達は止まった。
 肩越しにちらりと背後の私を一瞥した。
 私の言葉が続かないのをみて、鼻で笑ってまた私から離れていく。
 頭に言葉はあった。
 それを、声に出すまでの壁が大きい。
 私が真っ白な頭に思い浮かべたのは、潰れた三つの林檎だった。
 上海がどうして林檎を求めたのかを、強く思い出して、自分に言い聞かせた。

『ホーライ、元気にナッタ?』

 忘れるな、私が落としてしまった、三つの林檎は。

『ホーライの、ホーライの』

 私を元気にさせるために、あいつが流してきた無形の涙だ!

「最近のガキは、親の目がないと、ごめんなさいも言えないのか!?」

「……なんて言った?」

 三人の小天狗が振り返る。
 ガキ大将だけでなく、皆の目に敵意が戻っていた。
 奴らにも、天狗の誇りがある。
 親の名を出せば気に入らないだろうし、そこで退くほど馬鹿じゃない。

「お前なんか、すぐ壊せるんだぞ?」

 吐かれた言葉に、ゆとりは感じられなかった。
 壊すという、言葉は嘘でないと解った。
 今でも、胸に恐怖はある。
 しかし、恐怖よりも、想いが勝ってくれた。
 私はそれを誇り、胸を張って前を向く、微塵の後悔もいらない。

「学習しなよ」
「あ?」
「お前等はさっきまで、三対一で人形如きに口で負けるなんて思ってもいなかったはずだ」

 敵意の視線はナイフのように、私の身体を刺した。

「謝らないかぎり、私に付き合ってもらうよ。また同じ結果になるかもな」
「……こいつ、本当に壊していいか?」
「でも、高いんじゃないの?」
「証拠なんて残らないよ」

 上海から遠く離れているのを、確認する。
 この位置なら地上にたたきつけられても、巻き込む事は無い、

「上海に謝れ。叩きつけた林檎の価値も、上海の命の価値も、お前らが考えてるよりずっと重い!」
「うるせぇな……!」
「そうか、分からないガキだ。どうやら、きっつい、お仕置きが必要だな!」

 喋り終わると同時に、空気に動きがあった。
 喧嘩開始の合図は、無言で飛んで来た鋭い大弾だった。

 天狗烈風弾。
 人形一つ、これで終わったつもりだったのだろう。
 だから、奴らは勝利を確信してたし、同時にその後は隙だらけだった。
 相手には残念だが、私はこれが初見ではない、それどころか数段速いのを知っている。
 完全に見切っていた攻撃を、前に出ながら頬で掠って避けて、一番近い奴に全速力で頭突きを入れた。

「ぎゃっ!?」

 顎を逸らして、小天狗は落下していく。
 まず、一人。
 希望通りの電撃戦に持ち込めた。
 混乱する天狗達が戦闘態勢に入る前に、私はその場で回転し、次の標的に飛び出す。
 迎撃が間に合わず、飛んできたのは小粒の散弾だった、十分な回転がそれらを弾き飛ばし、私は二人目の天狗の背中に取り付く。

「さぁ、反省しろ悪ガキ!」

 慌てて振り返る天狗のほっぺに、カウンター気味のドロップキックを食らわす。
 青痣にはなっただろうか、二人目も、飛行を維持できず落下していった。
 場の流れは、私に向いている。
 嘘のように、ズムーズにいっていることを、名も知らぬ戦いの神に感謝した。
 残る一人、憎きガキ大将目掛けて飛び出すまで、一人目の天狗が土に落ちるまでの時間もかかっていない。
 懐の剣を取り出す、こいつを頭に振り下ろす音が私達の勝利の鐘だ、このまま……!

「羽虫が……! 調子に乗りやがって!」

 どうやら、私だけじゃなかった。
 奴も懐から武器を取っていた。
 天狗の葉団扇が、横に振られ、圧倒的な風の力の前に、私の視界が歪んだ。
 最高に加速に乗っていたはずなのに、網戸にしがみ付いた虫のように引っぺがされて、空に投げ出される。
 体勢を崩した所に、奴の第二陣が上から襲った。
 吹き荒ぶ風は、私を垂直に取らえ、猛スピードで私を地面へと運んでいった。

「――ガハッ!」

 腹から叩き付けられ、土にバウンドしてる間は意識が飛んだ。
 それでも剣は離してなかった。
 嵐の中、私は剣を地面に突き刺し、それを支えにして、膝立ちになる。
 風の猛威が、身体をばらばらにしようと、押さえ込んでくる。
 皮膚が割れ、ドレスが千切れ、リボンが飛んだ。
 立てた剣は土を削り、硬い大地に裂け目が広がる。
 追い込まれた。
 奇襲は届かず天狗の態勢は整い、二度と勝機がやってきそうな状況じゃない。
 しかし、私に剣の柄を離すつもりは絶対に無かった。
 倒れない私を見て、ますます風は唸りを上げる。
 私は土煙の中で目を開き、覆いかぶさるように、剣の傍に寄った。
 離さない、このまま倒れた方が楽だとしても、倒れる結末しか残されてなかったとしても。
 ここで逃げれば繰り返しだ、また、あいつを泣かせちまう。
 結果を残すんだ、自分に生まれた価値を試すんだ、勝てた負けたじゃない形を示せ、上海に、私に。

 身体は警告を出し続けていた。
 被害は甚大で、各部位が私にエラーを叫び、撤退を命じる。
 逃げる気は無いが、耐えてるだけで、全く動けないのは悔しい。
 まだ、あいつにだけ、拳が届いていない。
 もう、届きそうもない。
 せっかくなら、一発ぶん殴ってやりたかった……。

 意識が薄らいでいく。
 鈴蘭の毒で喘いでいる時よりは、ずっと楽な落ち方だった。
 諦めたくはないが、私に残された自由は目ぐらいだった。
 何かチャンスはないかと、ろくな視界じゃない地上に目を這わせたが、煙以外に何も無く、天狗達の姿さえ無かった。
 落ちていなかったか、もう上がったか、とにかく大した傷ではなかったのだろう。
 また自分の下に目を戻そうとして、小さな黄色に目が止まった。

「お前……」

 上海がいた。
 風と煙の中で、青い目が真っ直ぐに私を見ていた。
 姿が小さく見えるほど遠く離れた場所で、上海は両手で籠を抱いて立っていた。
 私の言ったとおり、手出しをしないで、籠を守っていた。
 約束守ってくれてるんだな……。
 ごめんな、お前、優しいから辛いだろうな。
 でも、手を出さないでくれよ……。
 危ないからな……。

 ごめん――。

「シャンハァァァーーイ!!!」

 聞こえたのは声ではなく、耳を貫く音波だった。
 草原を駆け、菜の花を揺らし、土煙を掻き分け、風を挫き、私の耳へと届いた音は大きかった。
 上海の目は真っ直ぐだった、歌うように大きく開いていた口が閉じられる。
 音は身体の中で反響し、上海の気持ちを私に伝えた。
 これは……ウォークライだ。
 上海の、ウォークライだ。
 戦いに臨むリトルレギオンに捧げる、上海の鬨の声だ。

 震えた。
 嬉しかった。
 倒れる未来なんてあいつは見ていない。
 約束通り、あいつは手を出さなかったけど。
 その声で、私の戦いは、私達のドールズウォーに変わった。

 切り裂くような風が少しだけ弱まる。
 首が折れそうな風圧の中、上を向いて、天狗の位置を目で捉える。
 間接が軋む、だがそれ以上に、闘志に身体が震えていた。

「……飛んでみるか?」

 皹の入った手に力が戻った。
 ぼろぼろだった身体に、毒の心臓が最後の力を送り込んだ。
 砂に苦しむ間接も、笑っている膝も、破れかけた羽も、全てがイエスと言っていた。
 飛べ。
 聞こえたろう。
 突きたてろ、剣を。
 迷い無き、一寸法師の針が、鬼だって穿つなら。
 曇り無き、リトルレギオンの剣が、天狗に届かぬはずがない!

「頼むぜ、相棒っ!」

 刀身が埋まった剣を引き抜く。
 曲がっても折れてもいなかった。
 私の酷い有様に比べ、こいつは本当にいけてる奴だ。
 伊達にアリスが用意した剣じゃない。

 空は混乱が続いていた。
 その間、土煙が私を隠してくれた。
 剣を片手に持ち替える、一度きり、片道切符の特攻飛行。
 左手にイメージしたレーザーは最大出力。
 背中の羽は生まれてから今までで最高の加速を。
 一瞬の瞬発力にかける為に、腰は落とした。
 エネルギー充電120%。
 大地を蹴る、レーザーを放つ、その二つを推進力に空に出る。
 煙の膜を突き破り、青い空に出た私を、天狗達が驚愕の表情で見下ろした。
 大砲と化した人形に、御仕置きを完了させていた二人は、悲鳴を上げながら道を開ける。

「やめろよっ! な、何をそんなに怒ってんだよ……!」

 風の中を、烈風弾が飛んでくる。
 避ける気は無かった、避けていては届かないと解っていた。

「お前は、いい加減壊れろよぉ!」

 ニ発、三発、四発目が肩を掠り、五発目は左腕に直撃した。
 球体関節の下から腕を持っていかれる。
 左手はくれてやる。
 必要ない。
 剣は右手だ。
 尚も速度を緩めない私に、小天狗は焦りの表情を浮かべた。
 横一列に赤い弾を並べると、一直線に私を狙って降ってこさせた。
 背中の羽が切り裂かれた、透明な羽は音も無く散っていった。

「ど、どうだ!?」

 笑ってやる。
 既に羽はいらない。
 奴の狙いを解った上で、私は持っていかせた。
 軌道を修正する必要はない。加速は完了している。もう逃げられる距離じゃない。
 お前が逃げなかった時点で、勝負は決した!

「やだ、やだよ……やめ……!」

 ガキ大将の顔が崩れた。
 何も出来てなかった、無防備な姿だった。
 負けたことが無いのだろう、勝ち続けてきたのだろう。
 羨ましいご身分だ。

「さぁ、林檎の重さを教えてやる!」
「ひぃぃい!!」

 ここまで近付いても、風のバリアも防御の構えもなかった。
 今なら額に剣を振り下ろせば、失神くらいはさせられる。
 私は右手を大きく振り上げた。
 迷いは無い、その為に飛んだのだから。
 上海の想い、私の想い、人形の尊厳をその額に打ち込む!

 ……だが、直前で剣は止まった。

「ご……ごめんなさい……」
「おい、反則だぜ、そういうの」
「ごめんなさい! 林檎壊してごめんなさいっ!」

 謝ってるのは奴じゃなかった。
 一番気の弱そうな奴が、間に飛び込んで来ていた。
 飛び込んで頭を抱えて震えていた。
 友達の為に泣いていた。
 助けが来るなんて、こいつも思ってなかったのだろう。
 その顔を見て驚いていたガキ大将も、やがて、わんわんと泣き始めた。
 謝りながら、涙を流した。
 ごめんなさいって、涙を。

「……いい友達持ってんな、お前」

 天狗という格が剥がれ落ちた、二人の子供が泣いていた。
 目の周りに皺を寄せて、家から閉め出された子供みたいに、必死で泣いて懇願していた。
 私は剣を投げ出した。
 目的は果たした。
 こいつを殴るより、良い結果になった。
 随分長い道だったが、ようやく満足する答えが聞けた。

「なぁ……」
「ごめんなさいっ……林檎壊して……ごめんな……さい……!」
「大切だったんだからな、林檎だけじゃなくて、お前が脅かした命も」
「知らなかった……言えなかった……! ごめん、ごめんなさい、本当に……ごめんなさいっ……!」
「強いからって、弱い奴を蔑ろにするなよ?」
「うん……! うん……!」

 身体を空に放り投げた。
 千切れた羽では、ここが限界だった。

「私はいい、上海に、下にいる上海人形に、お前は謝って来い」

 自由落下で、下に落ちていく。
 もう、飛べもしない。
 今、どんな格好だろうと、身体に手を当てた。
 頭のリボンは無かった。
 胸のリボンも無かった。
 左手も吹き飛んだ。
 泥だらけの頬には大きな傷が入っている。
 赤いドレスは破けて、下から皮膚を覗かせていた。
 やれ、無茶の代償は大きい。

 落ちていく。
 空に抜けていく。
 意識が抜けていく……身体の毒と一緒に……。
 私を地上で待っているのは、死か、消滅か。

「私はもっといい友達をもってるけどな……」

 呟きは遅すぎて、グラスアイが映す世界には、もう何も無かった。

――――

 天国に着いたなと思った。
 地面が柔らかくて、目を閉じていても辺りは眩しかった。
 こんな感触、初めてだ。

「……イ……」

 頑張れば、人形も天国に行けるのだな。
 いい時代になったなぁ……。
 アリスにも教えてやりたかったなぁ……。

「シャン……ハイ?」
「……?」
「シャンハイ!」
「おわっ!? お、お前、膝枕なんかするなよ!?」

 重い瞼を持上げたら、間近に上海の顔があった。
 顔を真っ赤にして立ち上がろうとしたが、仰向けになっていた頭が、膝の上でころんと横向きになっただけだった。
 おや? と思う。
 左側が頼りない。
 左手が無くなっていた。
 それでバランスを崩したらしい。

「お前が助けてくれたのか?」

 上海は首を縦に振った。
 そうか、私は生きているのか。
 生きるというか……こういう意識はもう戻らないと覚悟していた。
 毒は抜け落ち、穴も塞がって、毒の心臓は原動力を失くしたはずなのに。
 これで綺麗に幕を閉じると思っていたが、まだ、好きに動けるとは少々意外だった。

「むぅ、だからって膝枕はないだろー?」

 右手に頼って身体を起こす。
 赤ん坊になったみたいに、身体が不自由で、動きも不自然だった。
 転ばないように立ち上がり、少し歩いて上海と離れる。
 私の服の泥や埃は落ちていた、上海が払っていてくれたらしい。
 汚れは落ちても、身体は酷い有様だ。
 私と目の前の人形が同じ作りだといって、信じてくれる人はいるだろうか。

 しかし、ここは……と思って首を回した。
 背の高い、黄色い花に囲まれている、ぼんやりとした世界だった。
 目に入っていた砂を落とし、次に目を開くと、光の中の植物が何だか解った。
 これは、菜の花の群れだ。

「シャンハイ!」

 上海が籠を両手に抱えてやってきていた。
 籠の上には、熟れた林檎が三つ、ピラミッド上に並んでいた。
 潰れたはずの三つの林檎に、まるで時間が戻ったような錯覚を覚える。

「お前、これ?」

 上海は黙って、籠を私に近づけた。
 林檎と林檎の間に、一枚の紙切れが挟んであった。
 私はそれを摘み上げた。

『リンゴ、べんしょうします』

「そうか、あいつらが……」
「シャンハイ」

 一人、一個ずつ買ってきたのかと思うと、案外、愛らしい連中に思えてきた。
 これなら、上海に聞かなくても、上海にも謝ってくれたのは間違いなかった。
 大金星だ。

 時間の経過が良く解らなくて、空を見た。
 空はまだ青かったが、稜線の辺りが赤く染まっていた。
 そうすると、私は、結構寝ていたらしい。
 その間、上海はずっと私を見ていてくれたのか。
 上海の顔を見たが、もう泣いてはいなかった。
 お礼を言おうとして、別の事に気が付いた。

「あ、やばっ! そろそろ戻らないとアリスが――ぶべっ!?」

 道端に派手にこけた。
 そうだ、飛べないんだった。
 上海が慌てて駆け寄ってくる。
 ごめん、ごめん、と謝るが、飛べないのはずいぶん情けなかった。
 どうやって戻ろうかと考える。
 上海に籠と私の両方を運んでもらうのは、無茶だろう。

「お前だけ、先に戻るか?」

 上海は首を振った。
 それ以上、言うのは私も止めた。
 ホーライと一緒がイイ、なんてまた言い出されたら、恥ずかしくて真っ赤になってしまう。

「じゃあさ、歩く私に合わせることになるけど、いいか?」

 上海は強く頷いた。
 頷いて、籠を取りに走って戻る。
 いやいや、お前は飛んでいいんだって。

 上海の姿に笑いながら、私は不思議に思っていた。
 記憶はどんどん薄くなるが、頭は非常にはっきりしている。
 毒の心臓はまだ動いているらしい。
 何かやり残したことが、私にあったのかな?
 記憶を掘り返していくにつれ、薄らぼんやりとした記憶の底に突き当たる。

『シャンハイナンテ、大キライ』

 あ、と声が漏れた。
 ずっと昔の台詞だ、確か上海の誕生日の出来事だった。
 アリスと魔理沙から、上海に大きなリボンが与えられた。
 今まで、私だけの大きなリボンだったのに、上海にも同じ物を与えられたのが嫌だった。
 あの頃は、上海との差が激しかったから、私が上海に勝つ部分が一つでも欲しかったのだと思う。
 そんな逆恨みで、取り返しのつかない言葉を口にしてしまった。
 ここで思い出すということは、これが、私に残った最後の毒なのか……。

 籠を持って上海が戻ってくる。
 目を細めてる姿は、目一杯喜びを表現していると解った。
 この笑顔を壊すのは辛かったが、いつまで動けるか解らない。
 今のうちに謝っておこうと、私は口を開いた。

「ええと、上海……どうしたんだ、それ?」

 謝ろうとしたが、上海に変化があったので、そちらを訊くのが先かなと修正した。
 上海の髪に、かんざしのように、菜の花が挿してあった。
 金の髪に黄色という目立たない配色だったが、中々に素敵に思われた。

「へぇ、似合ってるじゃないか」

 素直に誉めたのだが、上海はそれには特に表情を変えず、私を手招きする。
 私が近付くと、上海は籠の中の菜の花を取って背伸びをした。
 私の髪に手が触れる、優しく髪を梳かれるようにして、すっと花が吸い込まれた。

「お、おお?」
「かんざし」
「あ、ああ、似合ってるかな?」
「にあってる、キレイ」

 こんな姿で、綺麗も何もないのだが、言葉にされると嬉しかった。
 上海の方は本当に綺麗だった。
 アリスは天使だって作れるんだなと思った。

「おそろいだね」
「え?」
「ホーライといっしょ!」

 上海が嬉しさを振りまいて、飛び跳ねる。
 いっしょ、という言葉を、最近、上海から頻繁に聞いている。
 上海の嬉しさの奥に、必死さが見え隠れしているような変な気持ちがした。
 あれ、そういえば、またこいつ、人形言葉から人語になってるな。
 うーん……。

『人形コトバはダメ、大切なコトなの』

 これも、大切なことなのか?
 おそろいが、いっしょであるということが?
 リボンも、かんざしも、その為の物で、容姿が一緒であるという事が大切なのか?
 良く解らないな、上海が望むなら、それでもいいけど。

 ……それは少し変だ。

 本当に最初の頃は、そうではなかった。
 私達は近づけるまでもなく、同じように扱われていた。
 同じ服を着て、同じように仕事をこなし、時間が空けば、一緒になって蝶を追いかけたり、花を摘んだりしていた。
 近付こうとしだしたのは、私が離れていこうとしてたからだ。
 それを繋ぎとめる為に、上海が選んだ方法が、私と同じ形だったんだ。
 そっくりなリボンを欲しがり、菜の花を二人で分けたのも、上海は昔の状態に憧憬を憶えていたからだ。

 私は間違っていた。
 謝りの言葉なんて、上海は欲しがっていない。
 上海が欲しがってる答えが、解った。
 手を繋いでいた頃の記憶を、取り戻した。
 それは私が欲していたものに、等しかった。
 思い出したよ、ごめんなさいなんかより、もっといい言葉があったじゃないか。

「上海、かんざし……ありがとう!」

 アクアマリンの瞳が輝いた。
 一瞬、それは涙に見えたが、悲しいものではなかった。
 上海はもっと目を細めて、私の胸に飛び込んできた。
 受け止める手が一本足らない。
 ふらついて、花畑に尻餅をつく。

「ばっか、くすぐったいって、犬みたいだなお前」
「シャンハーイ」
「開き直るなよなー、怪我人は慎重に扱って欲しいなー」
「シャンハイ、シャンハイ」

 上海は鼻から顔を、私の胸にこすり付ける。
 自分が私に受け入れられたのを、敏感に察知したのだろう。
 子供は素直で羨ましいが、私も嬉しいからお前とおんなじだ。

 毒は全て抜けた。
 上海は人形言葉に戻った。
 世界の色が変わっていく。
 菜の花畑は、幼少期に見た何処かの菜の花と一緒になっていた。
 変わっていない、世界は何も。
 突然、思い出したように上海が走り出して、白い棒のような物を持ってきたが、それは私の右腕だった。

「あ、探しておいてくれたのか。なんか自分の腕が離れてるってシュールだな……」
「シャンハイ……」
「ありがとう。たぶん、新しい腕になると思うけど、家に持って帰ろう」
「シャンハイ」

 私が手を伸ばすと、上海は首を振った。
 置いて帰るのかなと思ったら、上海は襟首をぎゅいと伸ばすと、そこから腕を突っ込んで腹に落とした。
 この収納スペースはどうだ、と言わんばかりに、上海はお腹を叩いた。

「妊婦さんみたいだぞ」
「シャンハーイ」

 上海が、両手を前に組んで、お腹を上下に撫でる。
 こんなのにノッてくるとは、上海も成長したものだ。
 私が笑ってやると、上海も微笑んだ。

「帰ろうか。私達の家へ」
「シャンハイ!」

 上海が籠を運んでくる。
 籠の取っ手を二人で分け合って、私が右手、上海は左手で、しっかりと籠を持った。
 良い持ち方だと思ったのに、いざ、持ってみると籠が大きすぎることに気が付いた。
 この持ち方だと、籠を地面で引き摺ってしまう。
 試行錯誤の末、上海と私は少し距離を取り手を伸ばし、籠の底が地面からすれすれのところをキープした。
 林檎の安定が怪しいが、これで進むことにする。

 太陽の花畑を両側に分かれ、私達はゆっくりと歩き始めた。
 懐かしさと、眩しさに、目を細める。
 片手が切り落とされていて、良かったのかも知れない。
 もう少しで、右目を擦ってしまうところだったから。

「シャンハイ?」
「大丈夫だ。こんなに晴れてるのに、涙なんて出るわけないだろ」

 力が薄れていっていた。
 調子の悪い時計のように、両足のリズムが合わない。
 籠を上海一人で運んだ方が早いのだろうけど、持って貰おうとは思わなかった。
 上海が望んだからじゃない、私がそうしたかったから、我侭を通した。

 夜中になるかもしれないな。
 アリスはなんて言うだろう。
 どうやって、怒るだろう。
 私を直すより、新しい人形を作ることを選ぶだろうか。
 私に人形作りのことは解らないが、こうも酷いと、その方が簡単に思われる。
 そうなると、上海が泣くだろうから、嫌だな……。

 森が近付いてくる。
 風に揺れる葉が、子守唄に聞こえてくる。
 上手く動かない身体を、辛抱強く前に運んだ。
 暗くなると、森の匂いがきつくなった。
 無言だったが、寂しくは無かった。
 籠で手を繋いでいるんだと思うと、睡魔に抵抗するような、嫌な感覚は消えた。
 夢を見ているようだった。
 暗いトンネルの向こうに、アリスが点けた光が待ってると信じて、私達は歩いた。
 幕はそこで下りる。

 二人が、無事、家に着いたら。
 一緒に玄関まで走って。
 あいつが好きだったように。
 私が好きだったように。

 玄関のドアを……二人で開けるんだ……。

―――――

「アリス、こりゃ一体何の真似だ?」

 白塗りの壁に箒を立てかけて振り向いた、黒白の第一声がそれだった。
 私は疲れていたので、ピクニックテーブルに突っ伏して無視したが、魔理沙が見ても解らんと詰め寄るので、天日干しだと答えてやった。

「天日干しって……これ、全部か?」
「ざっとニ百ね」
「これだけの人形を、お前一人で外に出したのか?」
「まさか。おいで、上海、蓬莱」

 開いていた窓から二つの人形が飛び出して、小鳥の声が煩い朝の森にやってくる。
 私の右肩辺りに来て、そこで滞空してお辞儀をした。

「おおっ、上海。いつも可愛いなぁ」
「シャンハーイ」
「あ、蓬莱も直ってるじゃないか! いやー、良かったな!」
「徹夜明けなんだから、静かにしてくれるかしら?」
「徹夜明けで紅茶を楽しもうとしてるお前が異常だぜ。なあ、上海」

 私は含み笑いをしながらティーカップを寄せ、顔を少し持上げて口の中を湿らす程度に紅茶を啜った。
 魔理沙はシャンハイの声の方へ手を寄せて、上機嫌に人形の頭を撫でている。

「朝から、ダメな顔してるな、アリス」
「ダメな顔、というのを具体的に問い詰めたいところだけど、そんな気力も今日は無いわね」
「言ってるじゃないか」
「さすがの私も、あの状態から蓬莱を直すのには骨を折ったわ……」
「それなのに、天日干しまでやったのか?」
「天日干しは、上海の提案なのよ。蓬莱人形復活祝いに。ま、そろそろ湿気を抜かないといけなかったから、丁度良かったということにしておいて」

 私と魔理沙は、庭の方へ顔を向けた。
 広げたシートの上からはみ出して、庭中に広がっている、夥しい数の人形、人形、人形。
 くるぶしの辺りまで髪を伸ばした、グランギニョルもその中にいた。

「グランギニョルは久しぶりだな」
「そうね……どうする? 紅茶いるの?」
「もちろん。クッキーは出るのか?」
「急に図々しくなったわね」
「わりぃ、図々しくするのを今まで忘れてた」

 クッキーぐらい取ってきてやるかと、上半身を起こしたが、起きてみてだるかったので、両肘で頬杖をつくに留まった。
 朝の光は、妖怪を眠くさせる。

「紅茶オンリーに決まりました」
「霊夢並にだらけてるな」
「失礼ね。あれはもっと酷いでしょう」
「上海を見ろよ。こんなに清々しいぜ?」
「ああ、魔理沙。それ、上海じゃなくて蓬莱だから」

 何を言うんだよ、と魔理沙はすぐに反論したが、疑問に満ちた視線を下に向けた。
 手の下で、蓬莱は笑っていた。
 笑ってから、するりと手をすり抜け、相棒の上海と合流する。
 上海と蓬莱の二人が、ピクニックテーブルの上でハイタッチを決めた。

「シャンハーイ!」
「ホラーイ!」
「だ、騙された!?」
「馬鹿な奴」
「だって、シャンハイって言ってたじゃないか」
「それを騙されたって言うんでしょう?」

 しかし、むしろ可笑しいと魔理沙は笑った。
 ティーポッドから、少しだけ冷めた紅茶を、自分のカップに注ぐ。
 一口飲んでから、魔理沙は口を開いた。

「ダージリンだな」
「カンヤム・カンニャムよ」
「解るか、そんな珍妙な葉っぱ」
「だったら黙って飲めばいいのに」
「……なぁ、蓬莱、どうしたんだ?」
「何が?」
「あいつ、変わっただろ。間違われても逃げなかったし、それどころかそれを逆手に取られてしまった」
「あの子も経験を生かして、試行錯誤してきたんでしょ」
「やっぱり変わったよ」
「いいえ、元に戻っただけ」
「ふぅむ……結局、あの実験はどうだったんだ?」
「辛うじて大成功、というところかしら?」
「何だそりゃ」
「あれはもういいでしょう。別の方法を探すわ、無理矢理な自律じゃなくても、アプローチの方法は他にもある」
「次は何をするんだ?」
「それを、これから考えるのよ」
「何だそりゃ」

 呆れ半分、期待半分の目を、魔理沙は私に向けた。
 私は頬杖をついたまま、遠い記憶に思いを馳せていた。

『試行錯誤の過程?』
『そうよ、アリスちゃん。目的があって人形を作っているのでしょう?』

「ふぅ……」
「また、ニ割り増しにダメな顔になったな。何か悩みでもあるのか?」
「悩みなんて無いわよ。創り手の感傷にひたってみただけ」
「ふーん、創り手のね」
「別にあなたに話しても、仕方のないことよ」

 先に釘を打っておく。
 根掘り葉掘り赤裸々な過去話をさせられてしまった、失敗談があったから。
 だけど、こいつは何も訊いてこなかった。
 上海と蓬莱の姿を探す。
 他の人形達と一緒になって、絵本を広げていた。

「読めるのか、あれ?」
「さあ、絵を楽しんでるだけかも」

 会話が止まる。
 小鳥の囀りと、紅茶を啜る音だけが残った。

「言いたいんだろ?」

 もう、流れただろと思っていたら、絶妙なタイミングで魔理沙が切り出した。
 本当に、いい性格してると思う。

「あなたの暇潰しに付き合わせる気?」
「どうせ今から寝る気だったんだろ。寝る前の口の運動には丁度いいぜ」
「聞いたこと無いわ。どこから出てきたのよ、その運動」
「寝ると喋られないから、私はいつもやってるが。例えば今みたいに」
「魔理沙が寝てどうする……」

 身体は疲れきっていても、頭はそうではなかった。
 気が向いたから、適当に話をしてやることにする。

「……神綺様がね」
「おう」
「全ての生命は、試行錯誤の過程だっていうのよ」
「いきなり、解らん」
「生命ってのを神の視点から見ると、あ、創り手の視点と言い換えた方がいいかな……環境に適応した生物を生み出す為に、次の発展を目指すために、前より強靭な羽を作ってみたり、前より大きな頭にしてみたりするわけじゃない? 大きな流れで見れば、それは創り手側の試行錯誤の段階であって、そしてそれに終わりは無い、と神綺様は言いたかったわけね」
「良く解らんが、続けていいぞ」
「あ、ちょっと前後が逆になっちゃった。私、この話を、人形が失敗続きで弱ってる時に聞かされたのよ。神綺様にしてみれば、私を慰める言葉だったんだと思うんだけど」
「慰める? どうしてだ?」
「試行錯誤に成功も失敗も付き物なのだから、そんなの、いちいち気にしなくても良い。ということなのよ」
「作られる側には無責任な話だな」
「そう。私もそう思って、かなりの大喧嘩をしてしまったのよね。人形達との向き合い方もそうだけど、創り手の視点ってのは、私から見た人形達だけじゃなくて、神綺様から見た私もそうじゃないの。腹が立つでしょ?」
「ああ」
「それって、私があの人にとって、試行錯誤の一部だっていうことじゃない?」
「そうだな」

 魔理沙が紅茶に手を伸ばしたので、私も話を一旦区切り紅茶を飲む。
 ソーサーにカップを置く時に音を立ててしまって、自分が興奮気味なのに気が付いた。
 もしかして、魔理沙はそれに気付いていて、さりげなく私を止めたのかも知れない。
 考えすぎか。

「お前は、神と妖怪という関係じゃなくて、母と子という一対一の関係でありたかったんだな」
「いきなり、恥ずかしいこと、言わないでくれるかしら」

 その通りなのが悔しいが……。

「それで、私。今まで以上に人形に時間を割いて、一人一人に細かな命令と、リカバリーのためのアドバイスをしていったのよ」
「ずいぶんな熱意だぜ。それは喧嘩のせいか、人形のためか?」
「どちらもね」
「うん」
「だけど、結果として私が目指す自律とは、遠くなってしまったわ」
「どうして?」
「私以外の刺激から全く反応しなくなってしまったのよ。つまり命令を聞いてるだけになる。それ以外は何があっても反応しない」
「なるほど。転んだ子にずっと手を差し伸べていては、成長が無いってことか」
「それが解ってて、神綺様は私に言ったんでしょうけどね」
「神は偉大ってわけだな」
「実際に偉大だわ。分野は違うけど、創り手としての経験も技術も比肩すべきものがない方よ」
「で、お前は、そのアドバイスに従ったのか?」
「ええ、自律人形の研究は大いに進んだわ。最小限の時間で自律を促して、最大限に研究に没頭できたからね」
「良かったな」
「でも、神綺様の台詞には納得いかなかった」
「粘るな、お前も」
「試行錯誤の段階って事は、私の経験を元にして、いつか私より優れたものが必ず生まれる。いや、既にそいつは生まれているかもしれない」
「自分の存在価値はどこにあるの? ってやつか?」
「その通り」

 話を一旦止めて、最後まで頭の中で組み立てる。
 机の下で靴をばたばた鳴らしてる魔理沙が、我慢できなくて先に口を開いた。

「その口振りじゃ、既に答えは出ているんだろ?」
「魔理沙は、アロワナって魚を知ってるかしら?」
「はあ?」
「大丈夫よ、ちゃんと答えに繋がるから」
「知ってはいるが……図鑑でしか見たことが無いな。幻想郷にもいるのか?」
「そんなにレアな魚じゃないから、何処かにいると思うけどね。ま、これは外の世界のアロワナの話なんだけど」
「そいつがどうした?」
「アロワナは、一億年以上同じ姿を保っているのよ。つまり進化に取り残された魚ってわけ」
「何でまた、そんな事になったんだ?」
「棲んでる川にライバルがいなかったの。みんな海に出て行っちゃったから、進化する必要がなくなった」
「ライバル無しで、餌が豊富だったってことか?」
「大きな口を開けて泳いでれば、勝手に餌が入ってくるのよ」
「そいつは楽だな」
「ところが、大海原で他の魚と生存競争をし、進化に進化を重ねて来た現代種が、アロワナのいる密林の川に戻ってきた」
「ほう、大変だ」
「旋回速度、スピードの切れ、持続力、何を取ってもアロワナに勝てるところは無い。一億という歳月は魚の身体の作りそのものを変えてしまった。無駄にでかく、そのくせとろいアロワナは、海の魚に餌を奪われてしまって大弱り。特に雨季になって川の水位が上がると、餌にしてる小魚が逃げる場所が多くなって、おこぼれすら貰えなくなる。このままだと100%淘汰されるわね。魔理沙なら、どうするかしら?」
「お? クイズか? よし」
「あまり引っ張るつもりもないから、先に答えを言うと、アロワナは川じゃなくて、頭上に目を付けたのよ」
「引っ張れよ……いや、頭上だって?」
「頭上の森よ、川の上の木々の昆虫」
「どうやって川魚に、川の外の昆虫を取れってんだ」
「アロワナは空に跳ねたの。巨体をくねらす姿からスネークジャンプといって、水面直下から助走なしに1メートルも跳ねるのよ」
「そんな事が出来るのか?」
「やってみて出来たのよ。一億年かけた進化と淘汰という戦争の結果を、お腹が空いたという個人的な欲望が覆した瞬間よ」
「へぇ、凄いじゃないか」

 魔理沙の表情は、明るかった。
 その顔は感心というよりは興味なのだろう。
 
「長々と話したけど、全ての生命は試行錯誤の過程ってのは、つまり、そういう事よ」
「アロワナの話がか?」
「この話、マクロな視点で見れば、変化は必ずしも進歩とは限らないという摂理。一億年だろうが過程は過程で、完全が無い限り生命に上も下もないの。これが、神綺様が言いたかった、大きな視点での見方よ。魚の石頭で一億年が跳べるのに、百年、二百年程度の進化の差で、私達が才能の順列を決め付けるなんて、非常に馬鹿馬鹿しいってわけよ」
「大きな視点って言い方は、小さな視点があるからだな?」
「マクロな視点が神なら、ミクロな視点は個人でしょう。個人で見れば、ただ、お腹が空いたアロワナがジャンプしたってだけ。誰だって生きるのに必死なわけで、そこに種だの神の意向だの考えてるわけではない。全ての生命は生きるという試行錯誤の過程。これが、神綺様が言いたかった、小きな視点での見方」
「なるほどな、お前が考えた、お前より優れてる奴がって考えは、完全に的外れだったわけだ」
「まあ、良く考えなくても、私より優れた魔法使いなんて、存在しなかったわ」
「目の前にしてよく言うぜ」

 厚顔というわけではない、魔理沙の顔は爽やかな自信に満ち溢れていた。
 このくらいで聞いてくれるから、話す方も心地が良い。

「それを踏まえて、蓬莱の首吊りと、上海の泣き真似だけどね」
「あれも能力を越えた、あいつらの試行錯誤の形なんだな?」
「やだ、ちょっと人の話を取らないでよ、どこまで引っ張ってきたと思ってるのよ」
「なに、さっきのお返しだぜ」
「大人気ないわ。感動的なオチまで用意してあげてたのに」
「感動的ねぇ……そういや、上海、泣き真似しなくなったな?」
「目的があって泣いていて、結果が出て泣き止んだのよ。あの子達は創り手の意思を越えて、前に進んでいるわ」
「寂しくないか?」
「とんでもない、研究が進んで嬉しいじゃないの」
「嬉しいのは、そこじゃないだろ」

 どこだろう、と自問してみる。
 私の嬉しさ、とは何だろうと。
 そうやって考えていると、魔理沙がテーブルに身を乗り出して、私の額を人差し指で弾いた。 

「いたっ、な、何するのよ」
「いい顔になった、三割り増しに男前になったぜ」
「それは女性を誉める台詞じゃないわ」
「綺麗に変換しとけよ」
「……バカ」
「ま、生きるにおいて大事なのは懸命さだな。そこには上も下も無いってことだ」
「上手く纏めたわね」
「要するに、余計な事で悩まず、がむしゃらに生きろってことだろ?」
「合ってるけど、間違ってるわ」
「霊夢あたりが嫌いそうなフレーズだな。がむしゃらに生きろ、って」
「また、霊夢?」
「何でお前が不快な顔をするんだよ?」
「別に……」

 沈黙が続く。
 興味がある話題は饒舌でも、それが終わると途端に話に困ってしまう。
 別に魔理沙を心配してじゃないが、喋りまくった後の沈黙は、どうにも居心地悪い。

「さて、良い話だったぜ、ごちそーさん」
「帰るの?」
「眠たいしな」
「そう」

 魔理沙は箒が立てかけてある壁に歩き出した。
 やっぱり帰るんだ。
 まあ、騒がしいのが減ってくれたら、過ごしやすくなるけど……。
 いいか、私も寝るか――。

「ちょ、ちょっと待った、あなた何処に行く気?」
「お前の家の中に決まってるだろうが」
「決まるなよ!? 何で私の家なのよ、箒に乗ってあなたの家に帰りなさいよ」
「眠い。それは面倒だ。だからソファー借りるぜ」
「私だってこれから寝るんだから、あんたみたいなのがいると大迷惑なの。ゴーホーム!」
「その辺は魔法使いのよしみで勘弁してやる」
「それは私の台詞でしょう!?」
「え、いいのか?」
「私の台詞だけど、私は言わないわよって、あー、もう!」

 魔理沙の歩みが止まらない。
 飲みかけの紅茶を放置して、私は魔理沙を追いかける。
 勝手知られた私のお家、魔理沙は一直線で目的に向かい、帽子を脱いだら足を組んで、応接セットに寝そべった。
 玄関開けてから、二十秒で就寝体勢だ。

「あ、自分で起きるからいいぜ?」
「言われなくても起こさないわよ!」
「そうか、じゃあ、お休み」
「そうじゃなくて、寝るなって、こら、寝る前提で話を進めるな! 起きろー!」

 叫んだ。
 叫んだけど、魔理沙はもう寝ていた。
 タヌキ寝入り以外に考えられない。
 私は、傍にあったピンクのクッションを取って、魔理沙の顔面に割と本気で投げつけたが、やっぱりブロックされた。

「気が利くな、アリス」

 薄目を開けてそう呟くと、掴んだクッションを頭の下に挟んで、魔理沙は本格的に寝息を立て始めた。
 寝る子は育つというが、人の家でこうも安眠できる奴が信じられない。

「っとに……あー、いいわよ、いいわよ、そんなことしなくて」

 上海と蓬莱が毛布をもってきて、魔理沙の上へかけていた。
 必要ないと静止命令を出したのに、毛布の皺まで伸ばしている。

「誰がそこまでしろって……はぁ……」
「シャンハーイ?」
「わ、私は別に喜んでないわよ!」
「ホラーイ」
「うるさい! あんた達は、他の人形達と外で遊んできなさい。私は寝るから、しばらく邪魔しないで」

 開いたままの窓を指差す。
 蓬莱と上海は顔を寄せ合い、ひそひそとナイショ話をしていたが、行動が決まったのか私にお辞儀を残して、外へ飛び出していった。
 二人に任せたのは心配だが、これも良い実験になるかもしれない。

「一つだけ、聞いていいか? アリス」
「何だ、起きてたの?」
「蓬莱を直した理由を、私に教えてくれ」
「残念ね。その理由は、あなたが既に喋っているわ」
「……?」

 魔理沙は薄目を開けた。
 私の顔を覗いて、しかし、表情では答えが解りそうにないのが解ったら、顔に手を当てて自分で考え始めた。
 十秒くらいだろうか、小さく頷いて、そして目を瞑った。

「見直したぜ」

 返事はしなかった。
 それは、魔理沙の寝言にしておいた。

 自室に戻る。
 人形のいないガランとした棚は、身体の一部をなくしたような寂しさを感じる。
 服を着たままベッドに飛び込み、仰向けに身を委ねた。

「……私が作ったんだから、私しかいないじゃないの」

 無残な人形を見たのは、一度や二度ではない。
 蓬莱や上海だけ特別なのかと言われると、全否定は出来ない。
 だが、あの時は、蓬莱の横で私を見上げる人形の瞳に、私は在りし日の私を見たのだ。
 私が望んだように、あの子達もそれを望んでいるかもしれない。
 そう思ったら、無我夢中で直していた。

 人も妖怪も、何も持って生まれてこない。
 手の平は世界を拒絶するように硬く閉じられている。
 そこに、最初の与えられる価値が、親というぬくもりだ。
 初めは、それを追いかけて手を開くのに、最後になって私が手を離したら、悲しいじゃないの。

『おはよう、アリスちゃん』
 
 生まれた時から、私が求める答えは出ていた。
 創り手として、創られた者として、その答えを伝えていきたい。
 あの人がくれた気持ちを、生涯忘れたくないから。

『――私が、あなたのママよ』

 そよぐカーテンの隙間から庭を見ると、人形達が一斉に空に上がっていく途中だった。
 先頭には、蓬莱と上海が、そして、その頭には菜の花が光っていた。
 上手くやりなさいよ、と呟く。
 努力した結果には応えてあげるわ……。

 机の上の写真立てに目をやって、おやすみ、母さん、と言ったら、私は目を閉じて眠った。

 

 

 

 

■作者からのメッセージ

つまり、アリスの遺伝で蓬莱もツンデレ。

長々とお付き合いいただき、本当に有難うございました。

(アロワナの参考:ダーウィンが来た! 第一回の放送)



前編
SS
Index

2006年5月17日 はむすた

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