第二回
東方最萌トーナメント
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・大妖精(紅魔郷2面中ボス)支援 『固い氷を溶かすもの』 ほのぼのより
・大妖精支援 『談笑』 ギャグより
・大妖精支援 『寂しがりやの妖精』 シリアスより
・宇佐見蓮子(CD蓮台野夜行・夢違科学世紀)支援 『秘封倶楽部へようこそ』
・蓮子支援 『ふと見上げた空に』
・蓮子支援 『正しい能力の使いかた』
・メリー(蓮子に同じ)支援 『そらの境界』
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『固い氷を溶かすもの』




 湖の上が私の遊び場。
 そこに比較的大きな影が飛んで来たのは、友達がヘンな人間にボコボコにされたすぐ後だったような。よく覚えてないけど。
 とにかく、私はいつものように興味本位でその飛行物体の前に立ち塞がってみる。

「ちょっと待ってー」
「……うん?」

 意外にも、待てという安易な呼びかけにも丁寧に停止してくれた影は、やたら尻尾の多いヘンな生き物だった。私が言うのも何だけど。
 その生物――見た目キツネっぽい女の人――、ふかふかしてそうな尻尾をはためかせながら、立ちはだかる私を値踏みする。

「はて、誰かに呼ばれて止まってみれば、声の主は名も知らぬ妖精かい」
「なんか残念そうね」
「あまり悠長にしている暇もないのでね。遊びたいのは山々だけれど、うちには腹を空かした子どもと大人がいるんだ」
「……じゃあ、あなたがお母さん?」
「だったら良かったんだけどねえ……。
 今は、そのお母さんを介護する毎日さ」
「……大変そう……」
「大変なんだよ。うん」

 私の同情を遮って、大変なキツネさんは私の横を通り過ぎようとする。

「あっ、やっぱりちょっと待ってー!」
「一寸は待ったよ」
「じゃ、もっと待って」
「贅沢だねえ、こんな妖艶な美女との時間を独占するとは」

 そう言いながら、介護士のキツネさんはちゃんと足を止めてくれる。やっぱり良い人だ、たぶん人でも無いんだろうけど。

「あの、お母さんのために働くって、どういう気分なの?」
「……強いて言えば、あんたも働け」
「……え?」
「いや、なんでもない。
 あれは、動きたくても動けない呪詛に掛かっている、そう思うことにした」

 うんうん、と自分を納得させるように首肯するキツネさん。
 言ってることの意味はよく判らない。

「……して、何故にそんなことを」
「うん……。あのね、私の友達が酷い怪我したの。それもなんか尋常じゃない人間に」
「で、復讐したいと」
「うん……。え? っと、その……そういうことじゃなくて……」
「相手が尋常じゃないからには、こちらも正気ではない手段で襲い掛かる必要があるな。
 たとえば……賽銭箱の中に凍った蛙を仕込んでおいて……」
「あ、あの……」
「欲深い巫女が手を突っ込んだ瞬間、その蛙がボン! と破裂して」
「……え、あぅ……」
「弾け飛んだ真っ赤な眼球が、勢いあまって巫女の鼻に……」
「……ぅ……」
「二つずつ……」

 とどめの台詞を言いかけて、私の顔が泣き出しそうに歪んでいることに気付いた。
 ……うぅ、いつもチルノちゃんがやってるの見てるけど、生々しすぎるよぅ……。

「わ、悪い。こっちもあの巫女近辺に対する私的な感情があってな、ちょっと行き過ぎたようだ」
「……あの巫女、って……。キツネのお母さんも……?」
「まあ、な。こちとら二度三度に亘って実家を荒らされたから、その憎しみも二倍三倍ではなく二乗三乗する勢いだ」
「はぁ……」
「ところで、何の話だったかな」
「……あ、そうだ。その、友達がタコ殴りにあったあと、なんか元気がないみたいで……。
 ぜんぜん大丈夫そうじゃないのに、心配しなくていいって言うし……」
「ふむ……。難しい年頃だな」
「そんなに年は変わらない……と、思うんだけど」

 なるほど、とキツネさんは腕を組んで考え込む。とはいっても、最初から長い袖の中で腕組みしてたみたいだけど。
 それより、通りすがりの妖精の話を真面目に聞いてくれるキツネさんを、私は素直に凄いと思った。
 普通、畏れを知らない子どもでもない限り、幻想郷に住む人間も妖怪も魔女も、たかだか私のような妖精に言うことなんて聞いてくれない。チルノちゃんあたりになるとそうでもないけど、だとしても逆上して返り討ちに合うのだ。
 ある程度の力を持った者は、それ以下の神秘は当たり前のこととして捉えてしまう。
 風景に溶け込んでしまうような神秘は、もう神秘じゃない。
 ただの日常なんだ。
 だから、何でもない空気からの言葉に耳を貸してくれる彼女が、本当に素敵だと思った。

「つまり、あなたはその子のことが心配で仕方ないんだね。
 でも、その子は強情っぱりで、素直にその気持ちを受け入れられない、と」
「うん……」

 キツネさんの声は、自分の子どもに語り掛ける時のように柔らかくて、優しい。お母さんというのも、あながち間違いじゃないのかも。
 キツネさんは、ふっと顔を綻ばせる。

「私もね、意地っ張りでやる気がなくて、自堕落な睡眠中毒の母親を持って、とても苦労しているよ。
 いくら尽くしても肩透かし、繋がりは確かに感じているけれど、見えないものが全てじゃないから不安にもなる。たまには『お疲れ様』の一言が欲しい時だってあるさ。
 時には、何もかも捨てて逃げ出したくなることも……。そうだね、昔はよくあった」

 しみじみと、思い出し笑いも含めながら。
 言葉では辛い辛いと口にしても、キツネさんの顔はとても嬉しそうだった。

「まあ、そんな母でも愛しいものでね。捨てることなんて出来やしない。
 大体、姥捨て山に放り投げても勝手に帰ってくるような主だから。心配するだけ損な気もする。
 でも、心配せずにはいられない。世話を焼かずにはいられない。
 それは、どうしてだと思う?」
「それ、は……」

 一瞬、言葉に詰まる。
 喉の奥まで競りあがってきた答えが、間違いなんじゃないかと疑ってしまう。
 だけど、他に言うべき言葉なんて思い付かなかった。

「……好き、だから」

 小さく、キツネさんが頷くのが判る。
 感情が命じるままに、私はどんどん話し続ける。

「私も、チルノちゃんのことが好きだから……。
 チルノちゃんのことが、心配で……。放っておいたら何をするか判らないし、勝手にちょっかい出して怪我して帰ってくるような子でも、大好きだから」

 キツネさんは、満足そうに頷いた。
 そうだね、とも、違うよ、とも言わなかった。
 私のことは私にしか判らない。私にだって判らない面もある。
 でも、この気持ちだけは嘘じゃないと思った。

「詳しいことは判らないけど、全くあの巫女はロクなことをしないね……。
 一度、本気で灸を据えた方がいいな」
「うん……。でも、チルノちゃんの件は、あの子が下手にしゃしゃり出たせいだから……」
「そうかい? 罪状は多い方が何かと罪悪感も少ないんだが」
「……やっぱりいい。というか、私よりチルノちゃんの意見を尊重するべきだと思うし。
 あの子なら、他人任せじゃなくて自分で逆襲するって言うと思うから」
「なるほど。よく判ってるじゃないか、その子のこと」
「そ……そんなこと」
「まあ、友達は大切にすることだね。
 それじゃ、私はそろそろ行くよ。主と猫が餓死するといけないから」

 キツネさんは身を翻し、形のいい尻尾を揺らしながら飛び去っていく。
 その背中に、私は精一杯の感謝を告げた。

「ありがとう!」

 返事は無かったけれど、私はキツネさんが見えなくなるまでずっとその姿を見詰めていた。
 方角からすると、湖の中央にある紅魔の館が目的地なのだろうか。
 だとすれば、やっぱりあのキツネさんは結構名の知れた方なのかもしれない。……あわわ、私なんかヘンなこと言ってなかったかな……?
 少し赤くなった顔を擦りながら、私も自分の目指すべき場所へと急ぐ。

 好きとか嫌いとか、当たり前すぎてよく判らなかったけれど、チルノちゃんは私にとって掛け替えの無いもの。
 だから心配で、世話を焼きたくなる。
 大切な気持ちも、それが日常になってしまえば目には見えなくなってしまう。
 だから今日は、この気持ちを忘れずにチルノちゃんと話してみようと思う。

 さあ、あそこで不貞寝しているのは強情っぱりな氷精。
 まずは、どんな言葉で驚かせてあげよう――。




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『談笑』




 真夏。
 私のような湖を棲家にする妖精はもちろん、チルノちゃんのような氷精にはかなりしんどい季節。
 というか、氷の精なのに夏でも溶けないなんて矛盾してると思う。
 でも、年がら年中一緒にいられるから、寂しくなくていいんだけど。
 その分、厄介ごとにもたくさん付き合わされることにもなるんだけど……。

「あー! 暑いー!」
「夏……だもんね」
「にしたって暑いわ! 限度を越えてるっつーの! 調節のつまみかなんか壊れてるんじゃないの!?」
「つまみって……」
「あーあーあー! あーつーいー!」
「チルノちゃんったら……」

 なかば気が触れたかのようにじたばたする友人を、呆れた目で眺める。
 ここは湖に程近い森の中。容赦のない太陽光線は木の葉が遮ってくれるし、何より涼しいのがいい。
 湖の上もなかなか捨てがたいのだけど、熱せられた水の上は気流の渦が大変なことになるし、何よりチルノちゃんが、

『飛びっぱなしは疲れる。暑い。死ぬ』

 とか言うもんだから、仕方なく第二のベストスポットで休憩しているのだ。
 まあ、特に仕事らしい仕事をしている訳ではないのだけど。強いて言えば、悪戯したり遊んだりすることぐらいだし。

「なんでこう、あつはなついのかな……」
「チルノちゃん……。それを言うなら、なつはあついだよ……」
「このボケを拾ってくれるのはあんただけよ……。あー、寒いこと言っても暑いー」
「私はちょっと冷えたよ……」

 雑草のベッドに寝そべり、木漏れ日に晒されながらただただ時を過ごす。
 静かで、穏やかな日。
 チルノちゃんと居ると、毎日が刺激に満ち溢れていて、飽きるって言葉も忘れてしまいそう。
 でも、落とし穴のようにぽっかりと空いた、何もない日があってもいい。

「……ねー、大ちゃん」
「大ちゃんはやめて。お願い」
「まーいいじゃん、そんなことはさー」
「良くない」

 チルノちゃんだって、ちーちゃんと呼ばれたら悪鬼のごとく怒り狂うくせに。
 こんなときだけ何でもないことのように振る舞うんだから。

「なんかさー、背筋も凍るような話してよー。ひやっとするような話ー」
「いきなりそんなこと言われても……」
「してくれないのー? けちー、りんしょくかー、ごくつぶしー」
「養ってもらってないよ……」

 ぶーぶー文句ばかり垂れるチルノちゃん。
 仕方ないので、私は妖精の本分に則って悪戯を決行することにした。今日は気温も高いから、妖精としての本領は発揮できないけれど。
 こほん、とひとつ咳払いをして、上半身を起こす。隣りには、大の字でぐったりしている氷精がいる。

「……仕様がないなあ……。
 それじゃあ、とっておきの秘密を告白するね」
「……うん?」
「実はね、私……」

 笑みが漏れ出さないようにしっかりと唇を縛り、なるだけ真剣な眼差しと口調をあつらって告白する。

「私、男だったんだ」
「…………。
 ……。
 へ?」

 目が点になっている。
 無意識の上に起き上がり、点目のまま私の頭から爪先まで舐めるように見回している。ちなみに、口は半開きのまま。
 ……チルノちゃん、動揺しすぎ。
 で、その視線がちょうど一週したあたりで、もう一度首を傾ける。その仕草がやけに可愛い。

「……へ?」
「もー、チルノちゃんったらすぐに引っ掛かるんだから。そんなの、冗談にきまって――」
「……んー、なんかよく判らないから、確かめさせてもらうとしましょーかねー」

 チルノちゃんの五指がわきわきと触手のように蠢いている。私を見る眼差しも、なんだかヘンというか悪戯っ子というか……。
 ていうか、笑ってる! チルノちゃん笑ってるよー!

「あ、ぅ、だからねチルノちゃん、これはいわゆるひとつのじょーだんで」
「えいっ」

 くにっ。
 ……くいくい。
 ふにゃ。

「んあー、やっぱり女の子だねー。私ほどじゃないにしろ、それなりに膨らんでるしー」
「……ぁ、う……」

 ごめん、お母さんとお父さん(いるか判んないけど)。
 わたし、けがされちゃった……。
 しかも、女の子に……。

「ち、ちぅ、チルノちゃ……ひゃぅ!」
「感度りょーこー」

 もうだめ。抵抗できません。
 こんなに頭が熱いのは、きっと太陽のせいじゃないと思います。無理無理。

「……ありゃ、今度はそっちが熱くなっちゃたみたいね」
「……ぷしゅー」
「こんなのじゃれあいでしょーに。耐性ないんだから、まったくー」
「ぷしゅー」

 頭から(文字通り)湯気が出ている私を尻目に、チルノちゃんは再び地面に寝転がる。
 ……ほったらかし? いや、耐性ないのは自覚あるけど、責任は取ってもらいたいような……って、ヘンな意味じゃないんだけど……。
 というか、これだけは言いたい。どんなにオーバーヒートしてても、絶対に言う。

「チルノちゃん……。
 ぜったい、私より大きくないよ……」
「…………」
「ぷしゅー」

 か細い囁きもチルノちゃんはしっかり聞きとがめていたようで、無表情のままのっそりと起き上がり、ゆっくりと冷たい視線を私に向ける。
 ピーク時よりは収まっているけど、湯気はまだ私のつむじあたりから立ち昇っていて……。

「えいえいえい」
「あぅ! ぇ、いやー! やめてー!」
「だれがだれより大きくないだって? えぇ?」
「きゃー! きゃー! きゃー!」

 私は恥ずかしさで、チルノちゃんは(現実を認めたがらない)怒りで余計に熱くなった。
 木漏れ日の下で涼んでいても、チルノちゃんと一緒ならいつもこんな感じ。
 でも。
 正直、こーいうのは勘弁してほしいと思います。

 ……チルノちゃんのえっち……。




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『寂しがりやの妖精』




 寂しがりやの妖精がひとり、湖の上で踊っている。

 妖精は子どもをからかう。その妖精も、湖に遊びに来た子どもをよくからかって遊んだ。
 子どもはいつもひとりで、友達と一緒に来たことは一回も無かった。
 だからという訳ではないが、その妖精は子どもと友達になった。
 他の妖精は、子どもが男の子だからといってふたりをからかったが、その妖精はその度に馬鹿にするなと怒っていた。
 男の子はいつも泣いていて、妖精がよく慰めた。
 湖で溺れたらすぐに助けた。
 ありがとう、と言われるたびに笑っていた。

 いつか、子どもは湖に来なくなった。
 そんなものだと妖精は思い、いつしか男の子のことを忘れてしまった。
 寂しがりやの妖精がひとり、湖の上で踊っている。

 子どもが大人になるように、ただの妖精も少しだけ大きくなった頃。
 あの日の男の子が、友達を連れて湖にやって来た。

 妖精は、いつものようにその人間たちをからかう。
 成長した人間には妖精が見えない。
 少年たちは、どこからともなく聞こえてくる笑い声に怯え、ある者は逃げ、ある者は叫んだが、声のする方へ向かってきたのはひとりだけ。
 成長した妖精は、近付いてくる少年を驚かそうと物音を立てる。
 しかし少年は怯まない。声のする方、音のする方へどんどん近寄ってくる。

 仕方ないから、妖精は少年の頭上にある枝をへし折った。
 落ちてくる樹の枝にすんでのところで気付き、少年はようやく身の危険を察知する。
 後ろから友達の声が聞こえて、少年は名残惜しそうに妖精に背を向けた。

 もしかしたら、あの人間は子どもの頃に遊んだことが――。
 確信は無いので、その妖精は考えるのも思い出すのもやめにした。
 寂しがりやの妖精がひとり、湖の上で踊っている。

 少年が大人になるように、その妖精も大妖精と呼ばれるようになった。
 ある日、湖に人間たちがやって来た。
 成長した男と女、小さい子どもがひとり。からかい甲斐のある子どもだと思って、大妖精は子どもに近付く。
 物音を鳴らし、子どもの興味を誘う。思ったとおり、音の鳴る方へ近付いてくる。
 森の中まで誘き寄せて、大妖精は自分から姿を現す。
 思い出すことはないけれど、いつかのように友達になれると思った。

「おーい!」

 遠くから、大人の声が聞こえる。子どもが振り向いて、そちらの方に帰ろうとする。

「待って!」

 伸ばした手はすんでのところで掴むことが出来ない。
 仕方ないから、大妖精は子どもの後を追う。このままだと後味が悪い。
 からかえないのは妖精じゃない。遊べないのは妖精じゃない。

 子どもは大人の男に抱きついていた。
 その甘えた表情が癪に障って、大妖精は森をざわめかせた。妖精たちに命じて笑い声も交えさせる。
 少しずつ、雲行きも怪しくなってくる。
 子どもの顔も険しくなってくる。今にも泣き出しそうに歪んでいる。
 もっと泣け、もっと怯えろ。
 大妖精は、自分でもびっくりするくらい不吉な感情に縛られていた。
 ところが。

「来るな!」

 男が叫ぶ。泣き出しそうに男の子を抱きしめて、怯えている女を庇うように立ちはだかっている。
 大人には妖精の姿が見えないはずなのに、男の目は何故か大妖精の姿をじっと捉えていた。

 そのせいで、大妖精はやる気が失せた。
 こちらは遊びでやっているのに、人間たちが真剣になってしまうと面白みがなくなる。
 妖精たちに命じて、森のざわめきを止めさせる。笑い声も聞こえなくなる。
 少しずつ雲行きは晴れ、男の子の顔も晴れてくる。

 程無くして、その家族は湖を後にした。
 最後に振り返った男の顔は、とうとう最後まで思い出せなかった。




 寂しがりやの妖精が、湖で踊るのにも飽きてきた頃。
 水辺には、ひとりの老人がやって来るようになった。
 仕方ないから、大妖精はその老人の話し相手になってあげた。
 物騒になったこの湖に、子どもが来ることは滅多にない。
 来るにしても、もうすぐ天寿をまっとうするような人間ぐらいで。

「そこにいるのは誰だい?」

 妖精だよ、という言葉はきっと聞こえない。成長した人間に妖精は見えない。
 それでも、年月を重ねた人間にはその気配ぐらいは判るのだそうだ。

「昔、ここで妖精と遊んだことがあるんだ」
「そうなの。私も、よく子どもと遊んだことがあるよ」
「ひとりぼっちだった僕にも妖精は優しくて、いつも楽しかった。泣いてばかりだったけど」
「そうね。泣いてばかりで、いつも私に甘えてばかりだった」
「楽しかった……」
「楽しかった」

 そこで、しばらく会話が途切れた。
 通じていないのに会話も何もないのだが、それでも構わないとふたりは思っていた。

「また、妖精と遊べるかな」
「いつでも」

 触れることのできない手のひらに触れて、大妖精は笑った。
 つられて、その老人も笑う。

「良かった」
「うん」

 最後に、老人は涙をこぼした。
 その涙は湖に落ちることもなく、頬の上で乾いて消えた。




 
 寂しがりやの妖精がひとり、湖の上で踊っている。
 寂しがりやの妖精がひとり、水辺の端で泣いている。

 これからはずっと一緒に遊べるんだと、とても嬉しそうに涙をこぼした。




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『秘封倶楽部へようこそ』




 挨拶くらい何処の誰だってするだろう、別に名前と顔を知らなくても。
 見知らぬ土地の名も無き町、無銘な大学の片隅でもそんな当たり前の儀式は行われる。
 尤も、今のこの国では知らない人とは口を利いちゃいけない風習があるらしいけど、その女性は明らかに他人である私にも紳士的だった。

「はじめまして。私の名前は宇佐見蓮子よ」

 シルクハットを三分の一くらいにしたような帽子を取って、その紳士な女性は小さく礼をする。
 私もそれに倣い、日本人には発音が難しいであろう自分の名と、これまた日本人には変な印象を持たれかねない帽子を外し、彼女に負けないくらい洒落っぽく一礼する。

「こちらこそ。レンコンさん
 私は、マエリベリー・ハーン」

 彼女はほんの少しだけ笑った。
 そのときは笑顔の意味がよく判らなかったが、意図が判ってもあまり気には留めなかった。
 名前なんて瑣末なこと、本当はどうでもいいんだから。

「貴方も友達がいないの?」
「まー、名も無き留学生よりは多いと思うけど」
「私も、無銘なハスの根っこよりは少なくない気もするわ」
「……だーかーらー」

 わざとやってるんでしょ、と彼女は小さく付け加える。
 当然よ、と胸を張って答える私に、彼女は苦笑を浮かべた。

「……ま、名前なんて瑣末なことは」
「どうでもいいのよ」
「そうそう」

 見知らぬ土地の名も無き町で、どうでもいい他人同士が絶妙のコンビネーションを見せる。
 結局、蓮子が私に話し掛けてきた真の理由はよく判らないけれど、彼女が霊能者を見付ける眼識を持っていたとしても、単なる勘とノリと本能で声を掛けたにしても、別に驚くことはひとつもないし、不思議に思うこともない。
 だって、この世には不思議なことなんて何もないんだから。

「ところで、こんな天気の悪い日に何か御用でも?」

 空は薄曇り、今にも泣き出しそう。
 好き好んで立ち話を続けようとする人間は、滅多に居ない。
 ただ、例外というものはいくらでもある訳で。
 それが私の目の前に立ちはだかっていても、別段驚くに値しない。

「こんなに天気が悪い日にちょろちょろしてる貴方だから、声を掛けてみたの。
 まるで、何かを避けるように遠回りして外に抜け出そうとしてるみたいだから、さ」

 鋭い。
 ほとんど学生が通りがからない大学の裏門で、私と彼女は対峙しているのだ。
 何かある、と考えるのも無理はない。友達がいないと思われるのも頷ける。
 というか、彼女の方こそこんなところに何の用なんだか。他にも学生はいるというのに、なぜ私なのか。
 とにかく、私は適当にしらばっくれることにした。本当の理由を話せるのは、まだ先だ。

「こっちの方が近道なのよ。ほら、猫属性ってあるじゃない。
 自分の家と目的地まで最短距離で帰りたいっていう、衝動的な欲望よ」
「ふーん。その割りには、ヒゲも生えてないみたいだけど」
「尻尾はあるかもしれないわよ?」
「……ま、貴方なら何本か生えていてもおかしくはないわね。なんか妖しいから」

 それは遠回しな褒め言葉なのかとも思ったが、信用はしないことにした。
 なるほどね、と蓮子は片手で回していた帽子を被り直し、不意に空を仰いでみせる。
 暗い空からは何も振ってこない。均一に塗り潰された灰色の迷彩色は、太陽と地面を永遠に切り離してしまったかのようにも見える。
 その境界を見て、私は一瞬だけ顔を歪ませた。

「もしかして、ある場所を通り抜けると背筋が寒くなる、とか?」
「……」

 唾を飲む音は、聞こえなかっただろうか。しかし、顔色を伺う私の視線には気付けたはずだ。
 核心。
 蓮子はそう読んだのだろう、私が口ごもるのをいいことに、早口で自分の言うべきことをまくし立てる。

「実はね、大学の正面入り口で奇妙な感覚に陥るっていう証言を各方面から聞いたの。
 実際、私もあそこを通ると背中が冷たくなることがあるし、何かがあると考えて間違いはないと思うのよ。
 で、後は具体的な根拠と、願わくば実働メンバーが必要な段階にあるんだけど……」
「あら、こんなことしてるうちにもう4時45分だわ。それじゃまたね」

 私も帽子を被り直し、熱弁を振るう彼女に未練も感じさせず背を向ける。

「えー、ちょっと待ってよー」
「時間は有限なのよ」

 教訓めいた言葉で彼女の懇願を振り切り、猫のように一直線に自分の棲家へと舞い戻った。
 足音のひとつも付いてくるかと思ったが、門をくぐったところでもう既に彼女は諦めたらしかった。以後、振り向くことなく足を進める。
 しかし、彼女――宇佐見蓮子の言葉はどうにも忘れがたい。
 ひとつひとつの言葉がどうというより、彼女の洞察力が胸に残っていた。あるいは熱意といっても差し支えない。
 あれもひとつのサークルの勧誘なのだろう。あまり興味という興味は惹かれなかったが。
 ただ、私の変わった能力が活かせる場所といったら、唯一あそこぐらいなのだろうと心の中で思った。
 結界の境目が見える能力なんて、一体どう活用したらいいんだか。
 賞味期限の境目が判るのなら、少しは使い道があるというものなのに。




 大学内の結界に気付いたからといって、私にできることは全くない。
 見れるからといって操れるとは限らないし、わざわざ封印されているものを暴き立てるのも無粋な感じがする。
 こういうのはたまたま現世にできてしまったカサブタのようなもので、放っておけば自然と無くなってしまうものだ。目に見える害はないのだし。
 事実、私は見えてしまった結界がいつの間にか消えているのを確認している。
 だから、私にできることはないし、する必要もない。……と、いうのに。

「……」

 その人物は、大学の正面入り口で何やら作業をしていた。手には一枚の写真、耳にはボールペン、脇には手帳を挟んでいる。
 蓮子は蓮子なりに自分のやるべきことを見付けているのだろう。羨ましいことだ。
 だが、何もできないと既に理解している私には、彼女のように振る舞える自信など欠片も持ってなかった。

「……あ」

 しゃがんだときに向いた首が、偶然に私を捉える。私は咄嗟に目を逸らし、元々の目的地へと急ぐ。
 本来なら、正面入口を利用しなくとも講堂に行くことはできるのに、どうして今日に限ってその場所に引かれてしまったのか。
 それとも、蓮子の力に私自身が惹かれているのだろうか。
 これといった確信を得られないまま、私は専攻する学部へと足を急がせた。

「待ってよ〜」

 やる気のない勧誘が遠くに聞こえる。
 やはり、以前と同じく追いかけてくる足音は聞こえてこなかった。




 後日、私の専攻する学部内の掲示板に、妙なチラシが貼ってあるのを見掛けた。
 一応、真面目な学生ということで通している私は、何でもない情報も見落とすことはできない。情報を取捨選択することは後でもできる。
 件のチラシは如何にも手作りといった風味で、コピー機の調子が悪かったのかところどころ字が霞んでいた。
 それ以前に、もうちょっと丁寧に書けなかったものか。
 最後の署名など、初めから名前を知っている人間でないと絶対に解読できまい。画数も多いし、ルビも振ってないし。

「……まあ、ね」

 名前など、どうでもいい瑣末事に過ぎないのだけど。
 確かに、忘れがたい名称ではあると思う。宇佐見蓮子なんて。
 誰もいなくなってしまった講堂を借りて、そのサークルの説明会が行われるらしい。
 講義が一通り終わったら、暇潰しにでも行ってみるとしよう。入るかどうか定かではないにしろ、有限な時間を食い潰す価値はある。
 そう決めて、私は掲示板前の人だかりから脱出した。




 ちなみに、正面入口の結界はいつの間にやら消え去ってしまっていた。
 自然消滅の可能性が最も高いのではあるが、もしかして、もしかすると彼女が関わっている可能性も否定できない。
 あるいは、完全に否定したくないのかもしれない。いつもいつも、当たり前の可能性ばかり信じていてはつまらないから。
 不思議なことはこの世にはないのかもしれないけど、向こう側にはあるのかもしれないから。
 少なくとも、彼女は面白い人間なのだし、彼女が見せてくれる世界の面白さを信じてみたい。そういうのも、たまには良い。
 私は、その第一歩とも言うべき扉を文字通りに開け放つ。幅広い黒板を背に、シルクハットを三分の一にしたような黒い帽子を被った女性が立っている。
 糊がきいてあるシャツに、栗色の髪と似た柄のネクタイを締めて、宇佐見蓮子は待ってましたとばかりに不敵な笑みを浮かべてくれた。
 彼女は靴の踵を綺麗に合わせ、いつかのように帽子を取って、いやに紳士的なお辞儀をしてみせる。

「お待ちしておりました。マエリベリー・ハーンさん」

 しっかり名前を覚えられていた。わざわざ私の学部まで足を運んだだけのことはある。発音はちょっと怪しいけれど。
 二人とも、邂逅から再会まで名前は忘れていなかったようだ。あれだけ瑣末と言っておきながら。
 まあ。他人のことは言えないのだが。
 そして彼女はゆっくりと顔を上げ、帽子を胸に固く抱きながら、私達のための開会宣言を高らかに唱えた。

「ようこそ、秘封倶楽部へ!」




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『ふと見上げた空に』




 部屋から見上げる空は狭く、私の両手でも抱え切れそうだった。
 点々と見える星の光も、電気を消さなければ目に焼き付けることも出来ない。
 そうして、まっさらな暗闇に包まれて、ガラスの枠から夜空を見るのが最近の趣味。
 星の光で現在の時間を知り、月の存在で今居る場所を知ることができる私は、夜に空を見ると決まって時間を呟く癖がある。
 小さい頃はヘンだヘンだと言われたものだが、今となっては割りと見過ごしてくれる。大人は他人に優しい。

「……0時27分……」

 時計をつける習慣もないので、その分だけ生活費は安く済んでいる。
 ただ、昼間はからっきしなので万能とは言いがたい。まあ、能力に頼りすぎるのもよくないのだが。

「0時30分ジャスト……!」

 力強く呟いても、部屋の中も外も何も変わらない。コンクリートの世界で明滅するのは、星ではなく人工の光だ。

「……さて、もう寝ますか」

 うーん、と背筋を伸ばして、見慣れた空と見飽きた蛍光灯に束の間の別れを告げる。
 メリーが見破ってくれる結界の向こう側には、これを超えるくらいの景色があるのだろうか。
 確かに、あの日に蓮台野で見た桜吹雪は、この世のものとは思えない輝きに満ちていた。それはただの人間である私にも感じ取れる。
 しかし。
 だからこそ。

「『この世のものではない』、か……」

 振り返る夜空には、雲が出始めている。
 星のない夜を見る趣味はない。時間も数えられなくなるし。
 果たして、この胸に去来したのは畏れか感動か。幻想の世界の空、そこに浮かぶ星々も私に時を示してくれるのだろうか。
 憧れと畏怖と、その境界線の上で私はいつも揺れている。
 ただひとつ言えるのは、私に叩き付けられる衝動の全てが『その神秘を追え』と命じていること。
 たとえ如何なる感情であれ、まだ知らない幻想を望み続けていることだけは明確な真実だから。

「明日はメリーと待ち合わせね……」

 時計もない部屋の中、窓に背を向けて意識を未来に飛ばす。
 博麗神社に存在するという結界も、メリーならばその存在の有無を確かめられる
 なければないで愚痴の種になるし、あったらあったでまたひとつの幻想を知ることができるのだ。行かない手はない。
 結構な遠出になるし、メリーもあまり良い顔はしないだろうが、最後には承諾してくれるだろう。
 その為に、私がしなければならないこと。

「早寝、早起きっと」

 夜になると空を見上げてしまう癖は、私を遅刻常習犯たらしめる根本的な原因になっている。
 もしそうなっても良いように、とりあえず睡眠だけは取っておこう。それだけは心に決めている。
 それでも毎度のように遅刻するから問題なのだろうが、どうしようもないことというのはよくある。

「〜〜〜っ」

 ぼふっ、と虫干ししておいた布団の上にダイブする。
 太陽の匂いに程よく包まれながら、ゆっくりと階段を上るように意識が閉ざされていく。
 願わくば、今日を越えるくらいの神秘に出会えますように――。




 翌日、私の例のごとく遅刻してしまった。
 メリーも、たかだか2分19秒の遅れに目くじらを立てることもないだろうに。
 呆れたような口調もいつも通り、私が写真を取り出して語り始めるのも、メリーが「次は何なの?」みたいな顔をするのも、秘封倶楽部の伝統的な日常だ。

「――博麗神社にある入り口を見に行かない?」

 ただひとつ異なるのは。
 私達が見付けた幻想は、そのどれも今まで味わったことのない神秘だということくらい。

「夢の世界を見れるわよ。他ならぬ、貴方自身の目でね」




−幕−
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『正しい能力の使いかた』




 カップラーメンを食べるのは夜に限る。
 ……何故か? まあ、そのあたりは追々話すとして。
 私、宇佐見蓮子は今日も夜空を背景にしながら食卓につく。とはいえ、独り暮らしだから団欒とまではいかない。
 一時期は寂しさに駆られて、秘封倶楽部のメンバーであるメリーと一緒に住もうかとも考えたが、それをぽろっと口にした瞬間に壮絶に引かれたのでどうも無理っぽい。
 お湯を注いではや一分。振り返った空の向こうに望む星々の光は、私に一瞬の煌き以外のものも恵んでくれる。

「……23時45分10秒……っと」

 それは、時間。
 何を隠そう、私は星の光で時を知り、月で自分の居場所を知ることができるのだ。
 写真を見れば、そこに星と月がある限り何処で撮られたものなのか一目瞭然。
 もし私が軟禁もしくは監禁されていても、小さな窓ひとつさえあればこの世の何処かであるかあっと言う間に判ってしまうのだ。
 まあ、錠を外したり銃弾を無効化したりはできないから、実際そんな状況に陥ったら何の役にも立たないのだけど。

「23時46分……あと少し、ね」

 綺麗に揃えた一膳の箸と、沸騰したお湯の中で今まさに目覚めんとしている麺の脈動に想いを馳せる。
 インスタント食品に特別な思い入れがある訳でもないが、それはそれ、腹が減ってはペンも持てない。夢を実現するにも先立つものがないと。

「23時46分30秒……」

 ふたの隙間から漏れてくるスープの香りが鼻をくすぐる。……ああ、私ってつくづく現代人だなあ。生ラーメンも好きだけど。
 次第に顔の筋肉が緩んでいく。それでも、夜の空から目を離すことも、時刻の呟きを止めることもしない。まだ余裕がある、20秒、10秒。
 時報のお姉さんのように時刻を口にするのは、けして好きではない。だが、癖というのはやめたいから簡単にやめられるものではない。
 三つ子の魂百まで、雀が百まで踊りを忘れないように、幼い頃からの習慣はいつの間にか私を定義付けるもののひとつに昇華していた。
 またひとつ、ぽつりと星空が教えてくれた絶対的な時を呟く。

「……23時、50分58秒……」

 吐き出した言葉と、その意味が脳に浸透するまで約数秒。

「……あああっ!?」

 慌ててカップラーメンのふたを開くと、水を得た魚だったはずの麺は既にわずかな時間で壮絶に水太りしていた。
 後悔が先に立つことはなく、麺もかつての張りを取り戻すことなくふにゃふにゃのまま。
 こんなとき、時間を逆行できる能力があれば釣り合いが取れるのに、と伸びきった麺を吊るし上げながら考える。
 詮無き妄言だとしても、それもまた人間の夢みたいなもの……じゃないか。やっぱり。

「またやっちゃったよ……」

 夜食とも、食べものとしてもレベルの低い炭水化物を啜りながら、私は恨めしそうに煌く星を見上げた。
 とりあえず、この能力はタイマー代わりに使えない。
 なにせ、使用者である私が時に翻弄されているんだから。

「うう……格好いいこと言っても全然美味しくない……」

 自業自得というのは良い言葉だなあ、となんとなく思ってしまう私だった。




−幕−
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『そらの境界』




 蓮子と私が毎度のように喫茶店で打ち合わせをしていると、知らぬ間に日が沈みかけていた。
 時が経つのも忘れるほど楽しい、という訳ではなく、ただ集中しているからそう感じるだけなのだろう、と私は思う。
 空はちょうど藍と橙を分け合い、遠くの山々には薄い陰も見える。
 ティーカップを手に添えたまま、蓮子はその様相を呆然と眺めていた。

「……綺麗ねー」

 口から零れたのはそんな言葉。もっとマシな台詞は言えないものかと心の中で呟くが、彼女がそういうからには本当に綺麗なんだろう。
 蓮子の表情に当てられたのか、私も彼女に同意する。ティーカップはちゃんと置いたが。

「全くね。時が経つのも忘れてしまいそうだわ」
「……そうかも」

 ぽけーと開いた口が面白いので、不意にある方角を指差してみる。

「あ、一番星」
「16時32分25秒」
「忘れてないじゃない」
「……」

 つっこみを入れても無反応。私は蓮子いじりを早々に諦め、冷める前に紅茶を味わうことにした。
 夜空を見上げるのが趣味である蓮子は、よく日常の隙間に飛び込んでくる情景に目を奪われてしまうことがある。
 非日常イコール神秘という訳ではない。科学者である以上、神秘を解き明かすのが先で、感情を優先するのは間違いなのかもしれない。
 ただ。

「……綺麗ねー」

 さっきと同じ言葉を繰り返す蓮子の顔はとても晴れやかで、科学者としての自分が、探求者としての自分がうんぬんと悩んでいるようには全く見えない。
 美しいものを、ただ美しいままに受け入れる。
 宇佐見蓮子という科学者にとって、感動こそが最も優先されるべき事項なのだろう。
 紅茶も無くなってしまったし、これから注文するのも蓮子に悪い気がする。
 仕方ないので、いつまでもティーカップを中途半端に持ったまま、景色に魅入っている蓮子の観察を続行する。

「ねえ、メリー」
「……うん?」

 突然、蓮子がカップをテーブルに戻す。雪が近くなってきたせいか、飲みものが冷める速度もいちだんと早い。
 成り行きで外を見ていた私は、道行く人が自分らを物珍しげに一瞥していることに気付く。
 そのことではないと思ったが、一応蓮子に尋ねてみた。

「なに、置物みたいな目で見られるのが嫌だって?」
「せめて、見世物にしてほしかったかな……動物園みたいに。生きているだけなんぼかマシだから」
「……で、結局何なの?」

 一旦正面に視線を戻した蓮子は、私が問い返すとまた淡い空合いに目をやる。
 今度は、感動よりも少しだけ冷めた感傷のような表情で。

「もしかしたら、メリーには空の境目が判るかなあとか思っただけよ」
「……それは、空と宙の意味? それとも空と地面ということ?」
「うん……。どっちも、知りたいといえば知りたいような。
 でも、自分で確かめてこそ面白いような気もするのよね。子どもの頃とか、虹の根元がどこにあるか探し回ったことあったでしょ」

 ――そして、虹の架け橋など何処にも存在しないことを知る。
 でもそれだけでは飽き足りないから、虹とは光の屈折・反射による科学現象であることまで突き止めた。
 やっぱり、蓮子は生粋の科学者だと思う。
 自分は、いつまでも虹の橋を探してしまう類の人間だから。

「じゃあ、空でも飛んで大気圏まで突き抜けてみる?」
「この世の果てまで行けるのなら」
「……残念ね。この世に果てなんかないし、そこまで貴方に付き合えないわ」

 切り捨てるように言う。
 少しは残念そうな顔をしたかと思えば、蓮子の目は空を眺めていたときよりずっと澄んでいた。

「そっか」

 自分を納得させるための言葉で、おそらくは納得したのだろう。
 最後に冷め切った紅茶を情緒もなく一気に煽り、飲み干してテーブルに添えるタイミングで私に問う。

「結局、あの空の色の境界は見えるの?」
「どこまでが藍で、どこまでが紫、あるいは橙か……ってことなら、虹の定義とおんなじよ。
 七色に見える人間には七色に、五色であると感じた人間には五色に見えるものだから。色というのはね。
 それに、私が確認できるのは結界の境目で、空の色なんか範囲外よ」
「だって、空もひとつの結界でしょう」

 当たり前のように、蓮子は言った。

「あちらからこっちを守っているのか、こっちからあちらを護っているのかは判らないけど。
 多分、そんなものなんじゃないかしら」

 ――幻想の世界はある。
 この曖昧な空の向こう側に、護るべき価値のある世界が存在している。それを私たちは知っている。
 藍なのか、紫なのか、橙なのか。
 決着を付けられなかった空は、やがて訪れる暗闇に全て飲み込まれるだろう。こうなれば、境目も何もない。

「17時ジャスト、ね。時間も時間だし、そろそろ行きましょうか」
「何処へ? ……って、愚問だったわね。貴方と私が行くところと言えば、最初から決まってる」
「そうねえ」

 にやりと不敵な笑みを浮かべ、蓮子は伝票を掴んで立ち上がる。
 それにつられて、私も帽子を片手に椅子から腰を上げる。
 これ以上ないくらい鮮やかな夕焼けが、蓮子の身体を真紅の色に染め上げる。

「この世の果ての、その向こう側よ」

 結界を解き明かす鍵は、私達の手に握られている。
 その扉を開けて、私達はどんな色を見るのだろう。
 その色を見て、私達はどんな言葉を漏らすのだろう――。




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