篠塚家の生活 3.スタンダード

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 妹の恋人が我が家に訪れるとか訪れないとか、やんごとなき事情により兄である俺は静かに彼の来訪を待っていた。
 金属バットを持って。
「祐介祐介」
「なんだ。前々から思ってたが、兄のことはお兄ちゃんなりお兄様なり好きなように呼べばいいだろ」
「愚兄ー」
「また汎用性ないのを選んだな」
「とにかく、客人を出迎えるのにバットは要らない。置け」
 ちぇ、と可愛らしく舌を打ったら後頭部を殴られた。
 おかしい。身長差があるのに何故届くのだ。
 と、思っているうちに床に倒れた。
 受け身を取った手のひらが痛い。
「あとさー、あんたは別にスーツ着なくてもいいんだよ? 何のつもりか知らないけど」
「妹に似合う男かどうか確かめるために……」
「そんな景気のいい性格してたっけ、祐介」
 腰に手を当て、小首を傾げる。
 細かな仕草がそれなりに女の子らしく、家の中でもそれなりに女の子らしさを損なわない格好をしている。だからといって兄と妹という関係が崩れることは一切なく、スキンシップという名のサブミッションが日々掛けられているのであった。
 ちなみに恋人を待つ立場の祐子は、カーディガンにスラックスと言ったカジュアルな服装を保っている。瑪瑙の髪留めがやや煌いている程度のアクセントでそれなりに見えるのは、やはり元がいいからなのだろう。
 流石は、俺の双子の妹である。
「……何よ、人の顔見てニヤニヤして、気持ち悪い」
「馬鹿め、俺を愚弄することはお前の顔面を汚すことになるぞ」
「キック!」
 蹴られた。
 動じない妹である。
 というか会話の流れが明らかにおかしい。
 のそのそと起き上がり、乱れたスーツを整える。今更髪型を七三に揃える意味もないから、今はいつもの散切り頭だ。
 ちなみに美形である。
「うわぁ……きもちわるい……」
「吐き出すように言うなよ。辛いだろ」
「いや私は辛くないし……」
 自分本位である。
 妹は鏡から去り、自分の部屋に引っ込んで行った。軽快な足音からするに、やはり恋人が来るのは楽しみなようだ。俺が先に出るかも分からんのに、無警戒というか鷹揚というか。
 金属バットを置き、台所からフライパンを担いで玄関に向かうと、何故か廊下で待ち構えていた妹に心臓を突かれた。
 呼吸が停止すると、わりと苦しい。
 どきどきである。
「……あれ、祐介ってそんなに私のこと好きだっけ?」
「いや、そんなに好きじゃないが……」
「……えぇと、ここ殴るとこ?」
 踏むな踏むな。
「じゃあ、なんで?」
「うーん、俺もなんでかよく分からんが、無性にお前らの恋路を邪魔したくなったんだ」
「踏むね」
 痛い痛い。
 そしてフライパンを担いだ妹が去り、ひんやりした床に這いつくばった男だけが取り残される。惨めなものだ。
 よっこらしょと起き上がると同時、押す者の人格が反映されたかのように弱々しくチャイムが鳴る。
 聞こえていないのか、祐子は部屋に引っ込んだまま反応がない。
 チャイムは続く。フライパンはない。
「仕方ないな……」
 俺は懐からひのきのぼうを取り出し、ゆっくりと玄関に向かった。
 レンズ越しには誰の姿もない。身を隠すのは、ある意味正当な行為だ。奴は祐子に兄がいることを知っており、何よりこの俺を敵視している。らしい。
 いきなり兄が現れてもいいよう、死角に身を潜めるのは道理だろう。
 むしろ、俺が先に出てくれば誰はばかることなく俺を仕留めることが出来る。それ以上の幸運はあるまい。
「ふ……甘く見たな、この篠塚祐介を」
 だが、所詮は恋に溺れた哀れな青年の浅はかな策謀よ。
 妹に殴られ続けた俺の動物的勘の前には嵐の前の塵に同じ!
 言ってて悲しい。
 俺は、ドアノブに手を掛け。
「どなたですかー」
 普通に開けた。
 いや特に何か技があるわけじゃなし。気を付けてればいいかなーと思ったのである。
 結局のところ、俺の不安は杞憂に終わったのだが。
「……」
「……え、えと」
 逃げも隠れもせず、そいつは立っていた。
 奴は、正装を決め込んだ俺にも負けず劣らず、糊の付いたワイシャツに蝶ネクタイという小洒落た格好をしていたのだが。
「は、はじめまして」
 挨拶された。
 薔薇の花束を抱えているところが実に気障ったらしいが、こいつに限って言えば間違っても気障などという単語は当てはめられない。
 むしろ、反対の形容詞が相応しいように思える。
「……おまえ」
「は、はい。なんでしょうか」
 やけに素直な受け答えをするこいつが、本当に俺が待ち望んでいた相手だったのだろうか。
 だとすれば、俺はこの手に握り締めているひのきのぼうをどこに打ち下ろせばいいのだろう。
 間違っても、こいつの脳天にぶち当てることは出来ない。
 多分、やったら死ぬ。
「名前は」
「し、清水浩人です。はじめまして」
 二回言った。
 ぺこりと頭を下げるところから見るに、敵意や害意は見当たらない。一応、警戒の意味を込めてひのきのぼうは硬く握り締めながら、俺は清水浩人の核心を突く。
「なぁ」
「は、はい」
 がちがちに固まっているところ悪いが、とりあえず言う。

「ちっちゃいなぁ、おまえ」

 蹴られた。

 

 

 数秒後、ヌーの大群が大挙を成して押し寄せるかのような足音と共に登場した祐子

 

 



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2006年11月2日 藤村流

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