篠塚家の生活 2.シスター
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最近、双子の妹に恋人が出来たらしいということで、時たま恋愛の相談を受けたりする。
先日に引き続き、俺の部屋にある狭いコタツで会議を執り行う。俺はやはり少年マガジンを読みながら、ペプシコーラを飲んでいる。
「おーい、そこの異常者ー」
「……」
「部屋の隅をおそるおそる観察しない」
「異常者は異常者を知ると言うが……。まさか、お前に見えるとはな」
「何がいるのよ、この部屋……」
呆れたようにため息を吐く妹の祐子は、双子だけあって俺と顔が似ている。そっくりというかぴったりというか、俺を女にしたら妹のようになるだろうし、妹を男にしたら俺のようになる、という想像が見事に合致する綺麗な対称形なのであった。
それはともかく。俺はマガジンを両開きにしたままテーブルに置く。
「そもそも、だ」
「あーん?」
「勝手に俺のコーラ飲むな」
「うるさいなー。そりゃ、ボトルに口付けてたら死んでも飲まないけど、祐介も私もグラスに移してるんだからガタガタ言わないでよ殺すよー?」
「さりげなく脅迫罪に問われそうな発言をするな」
話していると、壮大に話が逸れるのが俺らの悪い癖だ。祐子は認めないだろうが。
「俺がお前の部屋に入ったら去勢ものだと言うのに、なんでお前は俺の部屋に領域侵犯してくるんだ」
「そりゃ、祐介がプロレタリアートだから……」
憐れみに富んだ瞳で俺を睥睨する。
ちなみに、プロレタリアートとは生産手段を持たず、自分の労働力を資本家に売って生活している者を指す。賃金労働者、簡単に言うと貧乏人である。
懐かしい言葉を引っ張り出しよってからに、平然と俺のコーラをちびちび啜る妹であった。
ブルジョアめ。
「そんな大仰な態度を取っていられるのもな、今のうちだぞ……」
「ふん、なに古い悪役の台詞持ち出して粋がってんの。器が知れるわよ」
ちょっと格好良かった。
さすが、俺と似たような遺伝子を保有しているだけのことはある。
「今度、お前んとこの仕事先行って8時間程度居座るから」
「ばっ、やめてよ!」
「迷惑だぞー、吸えない煙草も禁煙席と喫煙席の中間ですげえ吸うぞー。回転率が悪くなるぞー、ドリンクバーでコーラとコーヒー混ぜて四苦八苦するぞー」
「それは……勝手にしなよ」
それもそうだ。
一戦やり終えると、二人とも一旦落ち着く。マガジンの読むべき作品も読み終えたし、素直に妹の声に耳を傾けることにしよう。こほん、とそこはかとなく威厳を漂わせながら、咳払い。
「……寿命?」
「労われよ」
「この度は、ご愁傷様でした……」
「合掌するな、骨を拾うな、『昔はよくケンカしたよね……』みたいな感傷に浸って灰色の空を見るな!」
「残念、私はもう死んだ兄のことは振り切っているのでした」
「くっ! 強い女め……!」
「だからいいじゃん、死んでも」
優しい顔で何を言うかこの小娘は。
最近、生命保険の広告に見入っている祐子の興味津々な瞳を思い返すたび、味噌汁の中に毒が混入しているのではないかと戦々恐々な日々だ。
だが、黙って殺される篠塚祐介ではない。
「いいだろう……。お前が俺を殺すのなら、俺は必ず幽霊になってお前の部屋の天井に『黒乳首』というシミを残す……」
「死ぬの前提なんだね……」
「あぁ」
兄は出来ないことはしない主義だ。
妹も立派なため息を吐いたところで、本題に入る。
「この前さ、私の彼氏が意気地なしだって話したでしょ」
「甘いな。この俺を凌駕する意気地なしなどこの世に存在し」
「意気地がないくせに、ひといちばい嫉妬心だけは強くてさあ。こないだも、私が祐介のこと話したら『今度、そいつの部屋の天井に「男根」というシミを残してやる』とか言っちゃって」
「……無視されて悲しいが、なんとなく俺と同じ匂いがするな」
俺の嫌がるポイントを確実に押さえている。というか、男だったら大概は嫌だと思うが。
祐子は、俺の発言を聞き、突いた頬杖をちょっとだけ離した。
「あ、言っておくけど顔は雲泥の差だからね」
「言っておくが、俺の容姿を罵ることは貴様の容姿を貶すことと同義だぞ」
「サルとヒトって違うでしょ?」
違うらしい。
何となく、言いたいことが分かってしまう自分が悲しかった。
「同じように、ゾウリムシと竹内結子くらい格差があるっていうかー」
「むぅ、単細胞生物を馬鹿にしよって……」
「やーいやーい、細胞分裂ー」
「だが、貴様の身体に根付いている細胞も日々分裂を繰り返し、その目まぐるしい新陳代謝がフレッシュな肉体を作り上げているんだ!」
「そうだね。で、今度うちに来るんだってさ」
物の見事にスルーされた。
鹿児島実業もびっくりだ。
「……来るって、竹内結子が?」
「来たらいいねー。まあ、あいつが浮気するといけないから、その時はレインボーブリッジ閉鎖するからいいんだけど」
そして、道路交通法違反及び公務執行妨害で現行犯逮捕される篠塚祐子であった。
とてもうちの家族っぽくて微笑ましい。
俺は、常々思っていたことを、妹の前で初めて口にする。その重々しい語り口に、妹も思わず耳を傾けた。
「思うんだが、竹内の結子さんと篠塚の祐子を有償トレード出来ないものだろうか」
「あはは、面白いこと言うねー」
こっちは金も払うぞ、と言おうとして、鼻の穴にペットボトルの先端が突き刺さる。痛い。
空っぽだったから良かったものの、炭酸が入っていたら俺の胃酸と二酸化炭素が化学反応を起こして胃酸化カルシウムとか妙な化合物を生み出していたところだ。危ない危ない、と鼻からペットボトルを一気に引き抜く。
「そういえば、その擬似俺の名前すら知らんな」
「言ってなかったっけ?」
「俺の耳が確かならば、聞いたことも言ったこともないな」
「まあ聞いてないんなら言えないわよね。というかあんた面倒くさい。縮めろ」
「無茶言うな」
「無茶じゃないわよ。モンゴル行けばちょっとは縮むでしょ」
どういう原理だ。
「お前、俺をどうしても新宿歌舞伎町二丁目に勤務させたいらしいな」
「それが嫌なら、モンゴルに定住すれば……」
「出来るか! モンゴル相撲なんて!」
「馬の世話でもしてればいいでしょ、プロレタリアートなんだから」
「懐かしい単語を引っ張り出してくるな! 忘れてたのに! 大体お前はー」
「で、清水浩人って言うんだけど、あいつの名前」
「……いや、いいけどな。モンゴル行かずに済んだし」
いつの間にか、コタツから出て立ち上がっていた自分を恥じる。
頭に血が昇り過ぎて、コタツの赤外線など要らぬわーと己の体感温度を過信していたらしい。いそいそと、コタツの中に戻る。足を伸ばせば、妹に蹴られる。だが、そこを譲っては篠塚祐介の沽券に関わる。
「その、しみずひろひと……は、いつ家に来ると?」
「暇な時だって」
また適当な宣戦布告である。
そんな適当なところも、酷く俺っぽい。
「思うんだが」
「うん、言っていいよ」
「そいつ、俺への嫉妬にかこつけて、お前の部屋に上がりたいだけなのではなかろうか」
核心を突いてみる。
俺を攻撃したいだけなら、わざわざ敵の牙城に攻め入ることもない。祐子から俺の弱点を聞き、月のない闇夜にワゴン車で金属バットとか警棒とかを使えばいいだけだ。
それをせず、直接訪問してくるというのは、つまり――。
「かも、ね」
素っ気なく、今年二十歳になるかならないかという妹は告げる。
「そうか」
なので、俺もさりげなく答える。
まあ、いつまでも俺の後ろにくっついているだけの小娘ではない、ということか。
それ以前に、俺の後ろからセミオートのエアガンを一斉掃射するような小娘ではあったが。懐かしいというか、いつかこいつの背中にドジョウとウナギの合いの子を数十匹ほど放り込んで、粛々とビデオを回したいと心から思っている。
俺の複雑な心情を知ってか知らずか、祐子がふふんと誇らしげに笑った。
「祐介さあ」
「なんだ」
祐子は、再び頬杖を突いて、薄く目を細める。その仕草が、十年前の祐子からは想像も付かないほどに艶かしく、生返事をこぼすことしか出来なくなる。
……ち、痴れ者め。
「可愛い妹が、どこの馬の骨とも知れない男に取られちゃってー」
「その絡み合いを、ビデオに撮りたいと思っている」
「……で?」
「競売に掛けるに決まってるだろうが!」
「なんで逆ギレしてんのよ!」
知るか。
なんか段々腹が立ってきた。だん、とテーブルの角に足を乗せて啖呵を切る。右手のペットボトルも、意図しない握力にべっこり凹むってなもんだ。
「つーかなんだ貴様、いまさら妹萌えとか言ってほしいのか! 言われたいのか! くそぅ、十年くらい前までは可愛いとか思ってたんだけどなー! 今じゃあもー憎らしいというか恨めしいというか忌まわしいというか!」
「嫌われてるじゃない!」
だむ、と妹もテーブルに足を掛ける。
「あぁもう、俺が女になったらお前みたいになるかと思うと、もー!」
「私だって、私が男になったら祐介みたいになるって考えたらー!」
叫ばれた。
ついでに、携帯を握り締めた拳で殴られた。やたらと腰が入っているからいやに力強い。
踏んだり蹴ったりである。
バランスを崩した俺は、予備動作なく後頭部を窓ガラスに叩き付ける。しかもロックの部分に。
全く、これだから狭い家はー……。
「はぁ、はぁ……。あ、電話しなきゃ」
荒い、妹の息遣いが聞こえる。妹よ、少なくとも握り拳で下顎を狙うのはプロの手口だ。
薄れゆく意識の中、妹が誰かに電話を掛けている姿だけ、目に焼き付いていた。
変わり身、早いなあ。
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