お天気ボックス
文矢さん 作
「嫌だな……」
その青年は思わず呟いていた。青年の名前、それはどうでもいい。青年は高校生。
青年が嫌がっているもの、それは学校だった。学校そのもの。それが、嫌で仕方がなかったのだ。
学校といえば楽しい。そんな事を思う人が大多数だろう。友達に会えて、遊べる。
下らない事を考えるのは一人ではつまらないが、友達と話すと笑いのタネになる。学校のテストで良い点をとれると嬉しい。
部活で汗を流す喜び。そうやってすぐに連想できるであろう。
だが、青年はそんな楽しさを見出せなかった。部活は運動部に所属していたが、次の練習に行きたくない。
明日も、明後日も、いつまでもある。
親しい友達は彼にいなかった。いや、いたのだ。昔。小学生ぐらいの頃まではいた。親しい友達がいた。
だが、高校は違った。高校は、一人だけレベルの高い所に入ってしまった。だから学校に友達はいない。
一人、やけにウザイ奴がつきまとってくるが、どうせ嫌がらせだろう。
テストも高い点などとれなかった。レベルの高い所に入ってしまったせいか、ついていけないところだったのだ。
学校に登校する時の道にある崖を見ると、いつも「僕はこの崖の底の部分なんだよな」とか思ってしまう。
だから青年は落ち込んでいる。限りなく。泥沼に入ってしまったかのように。
時間は午後四時。青年は今日、部活を「気持ち悪い」と嘘をついてサボってきたのだ。
青年がいたのは空き地だった。土管の中に寝転がっていた。目の前で、少年達が野球をやっている。
オレンジ色の服を着たちょっと小太りなリーダー的な男の子。黄色の服を着て眼鏡をかけているひ弱な子。青い狸の様な奴。
目の細い変な髪形の奴。
少年の名前は分かるであろう。だが、今回は触れない。皆様の想像通りの人物達だ。
「もう帰ろうぜ」
オレンジ色の服を着た少年が叫ぶと、メンバー達が散っていった。
そんな様子を青年はボーッと見ていた。青年が時計を見た時には、もう午後六時。真っ暗になっていた。
季節は冬。真っ暗。暗黒。
もう帰らなくては―― 青年はそう思い、土管から出ようとする。だが、その時土管はぬれていた。
青年のカバンの水筒が漏れていたのだが、そんな事に気づくわけがない。
「うわ!」
青年は滑って馬鹿の様に雑草の中に落下した。その時、足に何か硬い物が当たった感触がした。
「痛ててて……」
青年は足に何が当たったのか確認しようと、そっちの方を向いた。
其処にあったのは未来の秘密道具だった。
名前は、『お天気ボックス』
青年は名前とか何て知るわけがない。ただ、それには不思議な魅力があった。何か画面がついている変な箱。
近くにはカードが落ちていた。
「何だこれ?」
青年はその内の一枚を掴み、ボックスの中にセットした。するとだ、さっきまで星が見えていた空に雲が広がり、雨が降り出した。
理解できなかった。何で雨が降ったのか。天気予報じゃ夜まで快晴と言っていた。何だ何だ、何なんだ。
急いで青年は土管の中に戻った。無意識の内に、『お天気ボックス』も持っていた。
『お天気ボックス』には雨のカードが差し込まれていた。だから雨が降っているのだ。青年がその事に気づくまで数分かかった。
ボックスからカードをとると雨がピタリと止んだ。
まさか、まさか―― 青年は次は雪のカードを差し込んだ。するとだ、また雲が出てきて急に辺りが冷えてきた。
そして、ふわふわとした雪が舞い降りていく。
カードを抜くとまたピタリと止む。何回か、それを繰り返した。そして、この道具の意味を理解した。
「この道具は、天気を操作できるんだ」
独り言。だが、その言葉には不思議な力強さが宿っていた。これを使えば、これを使えば嫌なもの。
学校から逃げれるかもしれない。逃げれるかも。逃げれるかも。
青年は、こう思った。自分は特別なんだ。この手とボックスさえあれば、世界の天候を支配できる。何もかも、支配できる。
次の日。大雨だった。『お天気ボックス』で操作したのだ。
一番初め、雨は自分の半径五十メートルぐらいしか降らない事が分かった。だが、ボタンを適当に押してると範囲が変わっていき、
威力も同じように変わるという事が分かった。
だから青年は威力も最大にした。道が洪水状態になり、緊急連絡網で今日は学校中止になった。青年は、笑った。
自分は周りとは違う。雨の原因を知っている。あんな愚民共とは違うのだ。
屋根に雨が落ち、家中に轟音が響く。ボックスの輝きはそれでも変わらない。青年はうれしかった。果てしなく。
限界のところでメロスに会えたセリヌンティウスの様な、何かから開放されたようなうれしさだった。
そんな風に青年が喜びに浸っていた時、外から喧嘩する様な声が聞こえた。部屋は二階で、窓越しに少し下を見てみた。
そこには、昨日空き地で遊んでいた眼鏡の少年と青い狸の様な者がいたのだ。何か言い合っている様子だった。
青年はそれに耳を傾ける。彼らがこのボックスの鍵を握っているなんて、青年は知らないのだ。
「何でのび太はそうやって無責任かな!」
「仕方が無いじゃん! 無くなっちゃったんだからさ。もう少し探そうよ!」
その後、青い狸がため息をつき、家の前から去った。何を探しているんだろうか?
少し気になったが、青年はどうでもよかったのでほうっておいた。
それから何日か、青年はそんな風に学校を休校するようにしていった。もう二週間は通っていない。
道は常に十センチぐらいの深さの水が溜まっており、へこんでいるところだと二十センチぐらいはあった。
青年はそれを笑っていた。自分は神様だ、神だ。神だ。この世の天気は全て自分のものだ。神なんだ。
ニュースでは連日、この異常気象について報道している。
青年はそんな状況に満足していた。笑みが思わずこぼれでる。嫌な学校に行かなくていい。
だが、そんなある日、青年は『お天気ボックス』にカードを入れ忘れたことに気づいた。晴れていた。
久々の太陽で、色々な人々はありがたがった。
今までの登校時間になるまで青年は気づかず、その時に急いでカードを入れた。雪のカードだった。
青年は舌打ちをし、行く途中で休校になることを望んだ。
「いってらっしゃい」
「あ、うん」
親の声を聞いてから、玄関から飛び出した。すでに雪は降り始めていた。完全な装備をしている。
携帯電話ももっているし、大丈夫だろうと思ったのだ。
高校は練馬区内にあるが、バスに乗っていっている。青年はバスに飛び乗り、高校へと向かった。
そして、バス停から徒歩で二十分ぐらい歩く。
そして普通に歩いている時だった。青年は、崖から滑り落ちた。いつも憂鬱な気分で眺めていた崖に、落下したのだ。
「た、助け」
落ちている間に必死に叫ぼうとしたが、届かなかった。道には、人っ子一人いなかった。
青年は、崖の底に転落した。ただ、雪がたまっていたおかげか、無事だった。
無事というのはあくまでも命という事で青年の右腕の骨は折れてたし、左足も折れていた。
寒い―― 凍りつきそうなぐらい寒かった。普通なら、雪が止む事に期待するかもしれない。だが、期待できなかった。
カードは、差し込まれたままなのだ。止む筈がない。
暗くて、寒かった。携帯電話は落ちる時に落としたみたいでバックの中に見当たらなかった。
途中で休校連絡が入ったのだろうか。上からの話し声もすぐに止まっていた。
暖かいものに、触れたい。青年にそんな気持ちが強まっていた。
雪が静かに、静かにしんしんと積もっていく。子供達はこの雪に遊びを求め、若者達は雪にロマンを求め、
老人達は美しさを求める。雪が、静かに、静かに、積もる。
青年は、じっとしていた。腕と足が折れているからなるべく痛みがないように動かなくしていたのだ。そして、ボーッとしてくる。
青年の中に像が浮かんでくる。マッチ売りの少女のマッチの様に、何かを切欠にして浮かびだしたのだ。
――浮かんできたのはあのウザイ奴。やけに話しかけてくるウザイ奴。だが、やけにそいつに会いたかった。
あいつとくだらない話をしたかった。それだけで、暖かくなりそうな気がした。
――次は部活の先輩達だった。俺がミスすると叫んできたが、もう一度叫んでほしい気がした。
それだけで、また暖かくなりそうだった。
――テストももう一度受けたかった。勉強をちゃんとして、しっかりと受けたら良い点をとれるかもしれない。
そうすれば、勉強も楽しくなるのであろうか。
青年の目から、涙が零れた。
「何で、俺は馬鹿な事、してしまったんだろ……」
そこで青年の意識はきれた。意識がきれる瞬間、雪が止んだ気がした。
「ごめん下さい」
その日、青年の家に青い狸と眼鏡の少年がやって来ていた。
次に青年が目覚めたのは、病院の部屋の中だった。
体中に包帯が巻かれており、横においてあった果物にはあのウザイと思っていた奴の手紙が入っていた。
外は、晴れていた。眩い太陽が青年も、病院も、練馬も、何もかもを爽やかに照らす。
「何があったんだ……?」
その時、病室のドアが開いた。そこには青年の母親がいた。
青年の母親は、青年を見ると涙目で駆け出した。そして、思いっきり青年を抱きしめた。そしてわんわんと泣き始める。
母親は、この時を待ち望んでいた。心から。ずっと、ずっと。
そして青年の母親が去っていき、夕方になった。布団を丸くしてその中に入る。土管の様な形をしていた。暖かい。
青年は考えた。
学校に行けるようになるのはいつなのだろう。あのウザイ友達に会えるのはいつなのだろう。
先輩達に怒鳴られるのはいつなのだろう。テストを受けれるのはいつなのだろう。
あのくだらない日々をもう一度味わえるのはいつなのだろう――
終