『桜の咲く前に』02▼ |
「やばーい! 遅刻しちゃうよー!」 ようやくたどり着いた校舎の中を駆け巡りながら、今日何度目かの台詞を保科は口走っ た。せめてもの救いは卒業生は式典の準備をしない分だけ在校生よりも集合時間に余裕が あることだろうか。 それでも保科は焦燥感に襲われつつ、黒羽を後ろ手に引っ張りながら下足場から渡り廊 下を抜け、立ち止まることなく校舎の3階まで続く階段を上がっていく。 「黒羽、急いで急いで!」 その叱咤に返事はなかったが、さすがに今度ばかりは黒羽も不平を漏らさずについてき ているようだった。だが、気になって後ろを見下ろすと、あろうことか黒羽がこちらのス カートの中を食い入るように見つめていた。 「何見てるんだよ!」 「だって……学子のお尻が可愛くて、つい……」 言われて保科は自分が下に何も履いていないことを思い出した。先ほどの情事ですっか り濡れてしまった下着は履くこともできず、鞄の中にしまってある。 学校に遅れまいと焦っていたせいでそのことを忘れていたが、今の今まで無防備にスカ ートを翻していたことを教えてくれなかった黒羽に腹を立てた。 「あたしのパンツを汚しておいて、何でそういうことするんだよ!」 「だから私の替えの分を貸してあげるって言ったのに……」 「黒羽のパンツなんか恥ずかしくて履けないだろ!」 刺繍を凝らした高級感のある黒羽の下着を履いた自分を想像したが、とうてい似合わな いことを自覚させられた。それ以上に自分の貧相な尻では大きさが合わないことが予想で きて悔しかった。 「黒羽のバカバカバカ!」 「学子、ひどい……」 他人に聞かれれば呆れられるような会話をしている間に教室へたどり着いた。なだれ込 むような勢いと共に、保科は扉を開く。 「セーフ! 間に合った?」 真っ先に教壇を見たがそこに担任の姿はなく、保科は安心して胸を撫で下ろした。 級友たちへの挨拶もそこそこに保科と黒羽は自分たちの席に向かう途中で、机に頬杖を ついて、いやらしい笑みを浮かべた木束に話しかけられた。 「おいおい、またかよ。最近ふたりして遅刻ってのが多いな、お前ら?」 痛いところを突かれて保科は言葉につまった。やけに訳知り顔の木束に何か言い返した いところだったが、こういう時にうまい言い訳を考えられるほど保科は器用ではなかった。 頼みの綱の黒羽も助け舟を出してくれるどころか、木束の台詞に気恥ずかしさを覚えた 様子で、赤面したままうつむいている。 保科たちは席に座ることもできずに黙っていると、木束が隣にいるコスモをおもむろに 抱き寄せた。 「隠すこたねーって、愛し合うもの同士が求め合うのは自然なことだろ?」 「い、委員長さんは隠さなすぎです!」 木束とコスモの意味深げな言葉に、保科は何度かふたりが授業中に抜け出していたこと を思い出した。以前はその意味するところがわからなかったが、今の保科には自分たちと 同じことを木束たちも重ねてきたのだと理解できた。 だからこそ、ここは誤魔化し続けるしかない。取り立てて隠すわけではなかったが、教 室の皆にはいまだに黒羽と恋人関係になったことを知られていないつもりだったから。 「な、何のこと言ってるのかわかんないよ! ね、黒羽?」 「う……うん、私も全然、まったく、これっぽちも……」 「そーかあ? ま、いいんだけどよ。あんまり朝っぱらからよろしくやってっとバカにな るぜ?」 確実に木束には遅刻の事情を知られてはいたが、これ以上まぜっかえされて騒ぎを大き くさせたくなかった。しかし、すでに手遅れだったようで、周りを見てみると教室にいる 全員が聞き耳を立てて、盗み見るように保科たちの様子を窺っていた。 「み、みんなして何だよ!?」 「ううん、何でもない」 教室中の生徒たちから異口同音に答えられて、保科はたじろいだ。 (もしかして、バレてる?) 嫌な予感が脳裏をかすめるが、あえて考えないことにして、この話題も終りだとばかり に木束の横を通り過ぎようとした。 だがその瞬間、保科はスカートの裾を引っ張られた。 「あ、ちょっと、委員長! やめろってば!」 「なあ、保科。さっきから尻を押さえてどうしたんだよ」 慌てて木束の手を振り払おうとするが、指先がしっかりと布地を掴んで離れない。 下着を身につけていないことが不安でスカートがめくれないようにしていたが、それが かえって木束の興味を引いてしまったようだ。 「何でもない! 何でもないから離せよ!」 「何でもないなら別に困ることもないだろ。いいからちょっと見せてみろって! 悪りー ようにはしねーから!」 厚手の布地の向こう側にある様子を知ってか知らずか、執拗に木束がスカートをめくろ うとする。単純な腕力の差で負けているせいで、保科は木束を抑えつけるのにも限界があ った。 「助けて、黒羽!」 「ごめんね……学子。私、もう疲れちゃって……無理……」 一足先に自分の席に着いた黒羽が机に突っ伏して呼吸を整えているのを見て、保科は肩 を落とした。 恋人が頼りにならない以上、他に当てになりそうなのは、 「コスモちゃん、何とかして!」 「だめなんですー。いま委員長さんを止めたら、後で恐ろしいことになりますから……」 「薄情者ー!」 悲痛な叫びを上げながら保科は自力で木束を止めようとするが、膝下まであったはずの 裾がもはや太腿のつけ根近くまでめくられようとしている。 しかし、その時、保科と木束の間に割り込む者がいた。 「ミサイル!?」 「やめてー! 保科さんをいじめないで!」 他の生徒たちと一緒に保科と木束のやりとりを見守っていたミサイルだったが、真剣に 保科が困っているのを見て我慢できなくなったようだ。両腕を振り回して木束に止めにか かった。 だが、その張り切りようが災いして、勢い余ったミサイルが木束を押し倒すと、掴まれ ていたスカートごと保科も引っ張られた。 「わぁああっ!」 3人がもつれ合いながら床に倒れて埃を舞い上げる。 机や椅子も巻き込んで騒がしい音が立つのとは反対に、ざわめいていた教室内が静まり 返った。 「いたたた……。何なんだよもー」 机にぶつけた肩を擦りながら保科は身を起こすと、スカートが完全にめくりあがった状 態で自分が大股を広げているのに気がつき、 「あ」 ちょうど太腿の間に顔を収めた木束と目が合った。 「保科……お前、ノーパン派だったんだな」 「うおおおおおおおお!」 木束の一言によって教室中に歓声が響き渡る。 「違うよ! 今日はたまたまだよ!」 否定の言葉は色めきたった生徒たちの歓呼の声にむなしくかき消された。 あっという間に教室の生徒たちが「保科学子ぱんつはいてない」説に盛り上がり始める。 「まさかとは思ったけど、朝から熱烈な愛情表現を交わし合ってたみたいだなお前ら」 「大きなお世話だ!!」 恥をかいた保科が怒ったが、木束は悪びれもせずに笑いながら体を離した。そんな彼女 と入れ替わりに現れたのは、 「八重田!? 何してるんだよ!」 「いやー、せっかくだから記念に撮っておこうかと思って」 卒業式当日だけあって普段よりも凝りに凝ったコスプレ衣装を身にまとった少女が、携 帯電話を片手に保科のあられもない姿をフレームに収めようとしていた。 「そんなことしなくていいよ!!」 保科は八重田から携帯電話を奪おうとするが、打ち所が悪かったのか、ミサイルが気絶 して体の上に乗っているせいで身動きが取れない。 せめてはだけたスカートを直そうと手を伸ばしたところで、八重田が撮影ボタンを押す のが指の動きでわかった。 「終わった……」 「後でプリントアウトして保科さんにもあげるから楽しみにしててね〜」 「いるか!」 怒鳴り声にも覇気がなくなるほどに、保科が恥ずかしい写真を撮られて意気消沈してい ると、それまで黙っていた黒羽が立ち上がった。 「八重田さん!」 「な、なに?」 普段聞いたことのない黒羽の大声に、自分の席に戻ろうとした八重田が驚いて動きを止 めた。普段は飄々としている八重田だが真に迫った黒羽を前にして思わず冷や汗をかいた。 ふたりの間に流れる緊迫した雰囲気に、騒いでいた生徒たちも思わず固唾を飲んだ。 きっと保科のために黒羽が八重田から携帯電話を取り上げるのだろうと、誰もが思った ところで、先に緊張を解いたのは黒羽だった。 「その写真……後で私にちょうだいね」 「オッケー。写メで送るねー」 途端に和んだ空気に生徒全員が肩透かしを食らってずっこけるなか、保科が黒羽に猛然 と反発した。 「何言ってるんだよ! そんなものなくたって、いつでも見せてあげてるだろ!」 「うおおおおおおおお!」 保科の大胆発言に教室が再び熱気に包まれた。今度は「保科学子は見られるのがお好き」 という話題で持ちきりになる。 「し、しまった」 墓穴を掘ってしまった保科は頭を抱えていると、それまで気を失っていたミサイルがよ うやく目を覚ました。 「ミサイル? どうかした?」 瞬きひとつすることなく、ある一点を凝視しているミサイルを不審に思って声をかける が、彼女は「お、お、お」と言葉をどもらせるだけで返事をしない。 保科はミサイルの視線を辿ってみると、自分が相変わらずスカートをはだけさせたまま で、惜しげもなく股間を晒していることに気がついた。 「あー!」 焦りつつも乱れたスカートを直したがすでに遅く、 「おま、ま、ま、まんkpー:lsdf☆tgy+おp※@;!!」 判別できない単語を叫んだミサイルの顔が見る間に真っ赤に染まると、両耳から激しく 排気熱が噴出し、全身から冷却水が汗のように漏れ出した。 「うわー! ちょと待ってミサイル! お、落ち着けー!!」 思いがけず見てはいけないものを見てしまったミサイルが興奮のあまり暴走を開始した。 額からレーザーを照射し、頭部に開いた射出口から砲弾が連続して発射されるたび、教 室のあちこちに当たって爆発する。幸いにも火力は低くしてあるのか、派手に火花が散る 程度だったが、近くにいた王はたまらず逃げ出した。 「保科さん、早くミサイルを止めてよ!」 「そんな簡単にできるわけないだろ!!」 「ふたりとも危ない!」 席を立った渡瀬が保科と王に飛びついてしゃがませると、彼女たちの頭の上を一条の閃 光がかすめた。 「ふわわわわわ!」 よほど気が動転しているのか、ミサイルは目を白黒させて手当たり次第に攻撃を繰り返 している。こうなったら最後、彼女の弾薬とエネルギーが尽きるまで耐えなければならず、 それぞれ生徒たちは素直に逃げたり、得意技でもってミサイルの攻撃を防いだりするしか なかった。 その中で、たったひとりだけ教壇の上に仁王立ちして大見得を切る生徒がいた。 「ハッハッハッ! 誰が呼んだか知らないが、危機に瀕した教室を救うべく、勇気の戦士 ブレイヴレッド見参! さあみんな、ここは私にまかせて早く教室から出るんだ!」 いつもなら事態を余計に混乱させる教室一番の問題児に野次が飛ぶところだったが、 「西京! ミッソー! ミッソー!」 小型ミサイルが迂回して西京の背後から襲いかかろうとしている見て、彼女以外の全員 が叫んだ。 「ひどいぞみんな! 最後くらいブレイヴレッドと呼んでくれてもいいぎゃっ!」 「ああ! 西京がやられた!」 せっかくの警告を聞かず、後頭部に直撃を食らった西京が教壇の下に沈むと同時に、教 室の扉が開いた。 「みなしゃーん、もうしゅぐにしきがはじまりましゅから、ろうかにならんで……って、 なんでしゅかこれー!」 机や椅子が吹き飛び、ガラスは割れ、天井や床、壁を問わず焦げ目ができた惨状を目の 当たりにして、担任の鳥尾が呆然と立ち尽くした。 そこへおさげの先を焦がした日向がやって来て、困惑する鳥尾を抱きかかえた。 「ひ、ひむかいしゃん、これはいったい……?」 「気にしないでリコちゃん。それより、ここにいると危ないからお外に出ましょうねー」 「ちょっと、ひよ子! どさくさにまぎれてリコ先生に何してるの!」 不自然な勢いで鳥尾に頬擦りをする日向に、ミサイルの攻撃から必死に帽子を守ってい る椎名が詰め寄った。 埃と白煙が巻き起こる中で教室のあらゆる所で怒声や悲鳴が相次ぎ、誰が無事に残って いるのかさえわからない。 もはや収拾がつかないほど騒動が大きくなってしまったことに疲れ、保科はいつ間にか 教室の隅に隠れていた黒羽のそばまで避難して、ミサイルが落ち着くのを待つことにした。 「大変なことになっちゃったね、学子」 「まったくだよ。中学も今日で卒業だってのにいつまでも変わらず騒がしいんだから」 その騒ぎの当事者であることを忘れてため息をつく保科がおかしかったのか、黒羽は薄 く微笑んだ。 「でも……私たちらしいと思う」 それは黒羽の正直な気持ちだった。 中学生活最後の行事を迎えて涙に暮れるより、馬鹿騒ぎに興じてしんみりとした雰囲気 を吹き飛ばしてる方がずっとこの教室の個性が出ているに違いない。 「それは……うん、そうだね!」 保科もまた思うところが黒羽と同じだったから、笑って頷いた。そして、教室を見渡し てみると、同級生たちが顔を煤だらけにして、制服のあちこちを破きながらも、皆、いち 様に笑顔を浮かべて楽しそうにしていた。 そこでふと、黒羽は不安に駆られた。 「ねえ、学子。高校でもこんな賑やかな時間を過ごせるかな……?」 思い起こせば3年間の中学生活はまるで面白おかしい夢のように恵まれた特別な日々だっ た。そうして充実した時間を過ごせたのも気の知れた仲間たちと愛しい恋人がいてくれた からと思うと、卒業してほとんどの友達と離れ離れになるのが切なかった。 保科はそんな不安に揺れる黒羽のしっかりと見据えて言った。 「過ごせるよ。だいたい、あたしは黒羽がいるだけで十分楽しいし」 「あ……、私も学子がいれば……」 残りの台詞をあえて口にせず、唇でもって伝えようと黒羽は保科に顔を近づけた。保科 も黒羽の気持ちがわかったのか、ゆっくりと目を閉じた。 「これからもずっと一緒だよ……黒羽」 「うん……」 お互いの唇を重ねて、ふたりは誓い合った。 この夢のような日々をいつまでも続けるために。 (Fin)
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