呪わしきハムレット9
「最初はぶち殺してやろうと思ったけど、後で挽回しやがったから良しとしといてやるよ」
舞台袖に帰ると高崎はさっそく今さんに叩かれていた。
───まぁ、それはしょうがないよな。軽い一発で済んだのは、やはり高崎のがんばりをこの人な
りに評価しているからかもしんない。
「でも本当によく頑張ったね。ハムレット君」
ガートルード役の梁瀬さんがにこりと微笑む。
今さんに叩かれた後頭部を撫でながら、照れ笑いをする高崎。
俺はふと不思議に思い、梁瀬さんに尋ねる。
「そういえば、高崎が台詞飛んで調子くずした時、梁瀬さん高崎に何か囁いていたみたいでしたけ
ど?」
「ああ……あれね。別に何も言ってないよ?」
くすくすと笑って答える梁瀬さん。
え?
何も言ってないって??
首を傾げる俺に、高崎が耳をさすりながら答えた。
「梁瀬さん、いきなり耳に熱息吹きかけるんだもんなぁ。びっくりしたけど、あれでスイッチ入ったんだ
よな」
「ふふふ、台詞が飛んじゃった役者さんにコレやったらみんな息を吹き返すんだよ」
息を吹き返すって、そんな死んでたみたいに。
でも確かに、あの時の高崎は息を吹き返すという表現がぴったりだったかも。
「───ま、梁瀬君のみの得意技だけどね」
と傍にいた鹿島さんが付け加えた。
そっか、誰でも出来るってわけでもないのか。
でも今度誰かが台詞飛んだ時には俺もやってみよっかな……でもけっこう勇気いるよな。反対に俺
が台詞飛んだ時には誰かにやってもらうようにしよっかな。
そんなことをぐるぐる考えていた時、不意に視線を感じたので俺は右手へ目をやった。
薄暗い舞台袖の中、光る目が二つ。
え??
な、何でこの人がここに。
しかもまた散髪とひげそりを怠っているみたいで、その風貌は怪しい山男以外何者でもなかった。
彼はつかつかと俺の方に歩み寄り、両手を握りしめてくる。
「あさばくぅぅん。今回も良かったね、レアティーズ役!!」
「あ……ありがとうございます。あ、あの静麻監督ですよね?」
念のため聞いてみる。
彼以外何者でもないのだろうが、いかんせん髪の毛と髭で顔が覆われてしまっている為、素顔の
判別はできないのだ。
「もちろんだよ!僕の顔、もう忘れたのかい?」
「───いや、その顔が見えないもんだから」
俺はやや目を反らしながら、笑って答える。
「今日は君の演技を見に来たってのもあるんだけどね。実はちょっと会いたい人がいてさ」
「会いたい人?、ですか」
今さんではないみたいだな。
「君主演の映画の共演者になってもらおうと思うんだ。ほら、君の恋人役になる少年がまだ決まって
なかったじゃない?」
なかったじゃない?
と言われましても、俺、そこまでの事情は把握してないんだけど。
そうか。
俺が主演予定の“魔性”という映画。
主人公リツキは恋人を失った暗黒の高校時代を経て、母校の教師になるんだ。そして教え子であ
る“ふみし”という名の少年を恋人にするわけだけど。
俺の教え子って設定だから、俺よりも年下の役者がくるよな?
今回の舞台の最年少は、俺と高崎なんだけど───まさか高崎が? あいつは同い年だけど、童
顔な方だし。
と考えていた所。
「君!僕の映画に出てくれない!?」
そう言って猛然と駆け寄って来た先は高崎ではなかった。
俺は目をまん丸にする。
もっと目がまん丸になったのは駆け寄られた当人だろう。
「───はい?」
木村さんが自分を指さす。
「そ、君」
静麻監督が大きくうなずいた。
「………………」
恐怖に顔面を蒼白にする木村さん。
口は金魚のようにぱくぱく言わせている。
うん、至極真っ当な反応だけど。
「あの、あんた誰?」
やっとの思いで、上擦った声で尋ねる木村さんに。
「僕は静麻優斗。映画監督やってるんだよ」
そう言って木村さんの両手をぎゅっと握りしめる静麻監督。
「映画監督……静麻……って、マジ!?いや……KONに前来た時はもっと男前だったよーな」
「あ、お前がそいつ見た時、俺が散髪した後だったからな。そいつは間違いなくシズだ」
今さんが断言する。
しかし木村さんは目を白黒させ。
「……な、何かの間違いじゃないですよね?」
「間違いじゃないよ。君だったら出来るって、今回の舞台で直感したんだ。高校生役なんだけどね。君
くらい童顔なら問題ないし、浅羽君よりも背もないし」
「は!?あ、浅羽とどんな関係か」
何だか嫌な予感がしたのだろう。
顔を引きつらせて尋ねる木村さんに。
「もちろん浅羽君とのラブシ───」
「お断りします!!」
顔を真っ青にして、瞬答する木村さん。
しかし、直後、今さんに後頭部を叩かれる。
「アホか。ビッグチャンスをみすみす逃してどうすんだ、てめぇは。こいつの映画出たら、もう、ドラマ、
CM引っぱりだこ。オマケにウチの事務所も潤うってもんだ」
「い……いや、でも男とのラブシーンって。俺の元カノが読んでいたBL漫画みたいなことしなきゃいけ
ないってことでしょ?」
「BLかCLか何か知らねぇけど、役者ならどんな役でもこなすのが役者ってもんだろ。俺様だって、今
度の舞台大嫌いな野郎と濃厚なラブシーンあんだぞ。その点、てめぇはいいじゃねぇか。浅羽のこと
大嫌いじゃないだろ?」
「大嫌いではないけど───いや、でも俺、ノーマル」
「んだと?俺はアブノーマルだとでも言いたいのか?」
顔を顰めかける今さんに、木村さんはぶんぶんと首を横に振る。
「い、いや!決してそんなワケでは……」
「どう足掻いても無駄だぞ。礼子は既に快諾済みだからな」
とんとんと木村さんの背中を叩く今さん。
顔はめちゃくちゃ笑顔だけど、断ることは許さない威圧感がそこにはあった。
木村さんはというと、目と顔が紙のように白くなって、茫然としているみたいだった。
俺は、何とも言えない気分になる。
今回の兄妹役と違って、今度は男同士のラブシーンをこの人と演じるのか。
俺だって基本ノーマルだからな。
湊以外の男とそういうシーンってあり得ないんですけど。
でも好き嫌い言ってられないよなぁ。
いささか複雑ではあるけれども、初出演で初主演の映画。
木村さんも共演というのは、面白そうだけど。
うーん……この人とラブシーンねぇ。
こうして劇団KONのハムレットの初回公演は無事に終わった。
後東京公演が二回と埼玉公演が二回、大阪公演が二回残っているけど。
舞台の評判はかなり良かったみたいで、マスコミの取材も多くなった。
もちろん評論家の間ではどっちのハムレットが良かったか議論があったらしいけど、半々だったらし
い。女性の評論家は晴沢ハムレットを推していたし、お爺さんや男性の評論家は高崎ハムレットがお
気に召したようで。
ま……誰が何を言おうと知ったことじゃないけどね。
そこにいた観客達の大きな拍手、歓声が全てを物語っているわけだから。
埼玉公演を控えた、束の間のオフ。
特に出かける用事もなかったので、俺は“魔性”の台本に目を通していた。
高校教師となったリツキは、亡き恋人まゆりと出会った思い出の地で、少年“フミシ”と出会うんだ。
二人はやがて禁断の関係になり、共に暮らすようになる。
だがリツキはその一方で、復讐の対象である藤木を籠絡する為、彼とも身体の関係を持つようにな
る。
藤木には恋人であるマサコがいる。
だけど、その心は次第にリツキへ傾いて行く。
その藤木を演じるのは、湊。
湊を籠絡させるとしたら、俺はどんな風に演じたらいいのか。
俺は自身の手を見つめる。
どんな風にあいつに触れたらいいんだろう。
どんな風にあいつを見つめたら。
男の気を惹こうだなんて、生まれてこの方考えたことがない。
女の気を惹こうとすら思ったことないし。
だけど、湊相手なら。
あいつが欲しいと思うこの気持ちを、恥ずかしげもなく全面に出せたら───カメラの前でそれやん
の、かなり恥ずかしいけど。
その時。
「……っ!」
俺の目がゆっくりと見開かれる。
いつからそこに立っていたのか。
雑誌の取材から帰って来たのであろう湊が、黙ってこちらを見つめていた。
「湊、おかえり」
どきり、と胸が高鳴る。
今、俺は湊の気を惹くことを考えていた。いや、それ以上に。
リツキだとか、藤木だとかそんなの関係なく、あいつとの濡れ場シーンを想像していた自分がいた。
俺、だんだん変態になってきてんのかな。
この人が欲しくて仕方がなくなっているんだ。
「そんな目で見るな。“リツキ”を演じているのか?」
湊が歩み寄ってくる。
その歩調はいつも以上にゆっくりに感じた。
スーツを脱いで、ネクタイを外す湊に俺は息を飲む。
やばい……正直な俺の身体だ。
これがもし映画の撮影だったら、演技どころじゃなくなりそうだ。
でも、ここは何とか演じなきゃ。
「藤木先生」
俺はふわりと微笑する。
人を挑発する、蠱惑的な微笑。
人生、生まれてこのかた浮かべたことない表情だけど、鏡に向かって常に練習はしていたこの微笑
み───うまく表現出来ているだろうか。
心の隅で不安に思うものの、極力その心境は表に出さず、俺は湊に向かって手を伸ばす。
湊は面白そうに笑ったかと思うと、大きく頷いてから。
「支祐(しゆう)君」
支祐律規(しゆう りつき)という役柄の名前で俺のことを呼ぶ。
俺は湊の首に手を回す。
「先生……俺のこと抱いて」
俺は熱い吐息まじり、藤木演じる湊に囁く。
「先生が欲しい」
藤木にすがりながらも、その眼差しは蝶を駆る蜘蛛のそれ。眼差しは鋭く、笑みは酷薄なもの。
しかし藤木はそんな律規の眼差しに気づくことなく、元教え子であり、今は同じ教師となった青年の
身体を押し倒した。
つづく
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