Tokyo Sky Blue


あの頃の輝き

 





 ちーっす!

 自分は永原映のマネージャ紺野健一郎(こんの けんいちろう)といいます。

 本日は永原さんがオフということもあり、浅羽洋樹(あさば ひろき)君の練習風景を見にきていま
す。あ、本人には内緒だけどね。幸い、今さんが用事があるそうなので、午前中は来ないとか。

 鬼の居ぬ間に洗濯、久々に潤にも会いたいし。

 潤とはここの看板スター工藤潤(くどう じゅん)のこと。

 稽古場のこっそり潜入すると、ははは。浅羽くん早速指導をうけているな。部屋の隅の方だけど扇
子を持って、日本舞踊をやっているみたいだ。


「アア何とせうか どせうかいな

               わしが小まくら お手まくら」


 その舞は、まるで少女のような恥じらい、そして女性の色気をまじえた何とも言えない色っぽさがあ
る…………まてよ、舞台では確か、敦盛を踊るって聞いていたけど。あの歌詞は確か。

「ちょっと!先生、浅羽君には、藤娘じゃなくて敦盛を教えてください!!」

 怒鳴ったのは今さんに代わって演技指導をしている礼子女史。

「いや、ちょっとした気分転換ですよ。この子は何しろ飲み込みが早い。女形やっても凄く色っぽいだ
ろうなと思いまして」

 30代後半の和服を着た線の細い男性が、身を乗り出す礼子さんを、まぁ、まぁと押さえながら穏や
かな口調で言う。

「時間がないって言っているでしょ!?」

「大丈夫、大丈夫。大概のことは体にたたき込んでいますから、あとは仕上げのみですよ。あと、二
つ、三つの無駄な所作動きが完全になくなったら終わりです」

「じゃあ、とっとと仕上げてください!本来ならとっくにマスターしてなきゃいけない段階なんですから
ね!」

「あーあ、煩い人ですねぇ。これだから女性という生き物は……ねぇ、浅羽君。役者なんか止めて、い
っそのこと日本舞踊をやってみませんか。あの金髪馬鹿やこのオバさんよりは、やさしく、ゆっくりと、
じっくりと指導して差し上げますよ?」

 言いながら、この日本舞踊の先生、浅羽君の腰に手を回し、顔を近づけてくる……やばーい!浅羽
君貞操のピンチ!!

俺は猛ダッシュで二人に駆け寄り、日本舞踊の先生とかいう優男の襟首を掴み上げた。

「そういうことでしたら、まずはこちらを通してお願いします」

「な、何ですか。あなたは」

 猫のように首根っこを捕まれて、顔を蒼白にしてこっちを見る優男。

「浅羽洋樹のマネージャーですが?」

 ホントは永原さんのマネージャーだけど、あの人の弟子なんだから、俺が兼任したっていいわい、こ
の際だから。

「とにかく今は敦盛をお願いしますよ、先生」

「は……はい」

 俺が眼光光らせそいつを睨んでやると、優男は肩をすぼませて、小声で素直に頷いた。

 まったく油断も隙もないな。

 浅羽君も綺麗な顔しているから、女だけじゃなく男にも狙われている。

 本人はどこまで自覚あるのかは分からないけど、少なくとも今回は自覚があったようで。

 浅羽君は日本舞踊の先生に見つからないよう、俺に片目を閉じた。

 助けてくれてありがとう、という合図だ。

 礼子さんは、礼子さんで。

「紺野君久しぶり、あなたが居てくれて助かったわ。あの先生、泰さんがいないと、好き勝手なことし
て困っていたのよ」

「何だとぉ!?むーーー、とんでもないヤツですね。一発ぶん殴っときゃ良かった」

「ホントに浅羽君のこと気に入っちゃったみたいで。役者じゃなきゃ、絶対自分の後継者として育てる
とか言うのよ」

「隙あらば狙っているって感じですね。この前も、ホモで有名な大手プロダクションの社長が、永原さ
んに何度も浅羽君を紹介しろってしつこかったし、その前の前も、某舞台監督が、下心見え見えで、
浅羽君を主役にしたいから会わせてくれって煩かったんですよ。まぁ、そういった連中は永原さんの
ひと睨みで、
呪われましたけどね

「……最後の意味、わかんないんだけど。何、呪われたって」

「顔面蒼白にして、体もがたがた震えて、手足揃えて歩くような状態です」

「………………ふーん」

 永原さん、その気になれば人一人を,、恐怖のどん底に突き落とすような芸当はやってみせますよ。
今さんも多分、その気になればそれくらいはできると思うけどね。普段から怒鳴っているから永原さん
より効力薄かったりして。

 その時だった。

「あれー?、もしかして健ちゃん!?」

 素っ頓狂に近い声を出してこちらにやってきたのは、Tシャツとジャージ姿の工藤潤。

 相変わらずの美少女顔だ……というか、ますます綺麗になってないか?

 美少女顔が美女顔になりつつあるというか。

 潤は肩に掛けたタオルで額を拭きながら、俺にとびきりの笑顔を向ける。

「久しぶりだな、潤」

 俺は俺でクールな笑みを浮かべる。

 元役者ですから、カッコイイ自分を演出するぐらいはできますよ。

 本当はもう、顔が緩んでしまいそうなんだけど。

 だって、やっぱり可愛いよなぁ……潤。

 何で男なんだよ、男じゃなきゃ俺はとっくに告白していたのに。

「もしかして浅羽君の様子を見にここに?」

「ああ、鬼の居ぬ間にね」

「あははは!確かに。君は今さんに見つかったら半殺し間違いないもんね」

 お……おっかないこと言うなぁ。

 でも確かにそうなんだけど。

 俺は体格もデカイし、態度もデカイせいか、大概の人間はへこへこしてくるのだけど、

今さんはおっかねぇよ。役者時代、どんだけあの人に、ど突かれたことか。

「浅羽君は永原さんの愛弟子だからな。俺にとっても可愛い弟みたいなもんだし。それと、潤、お前に
も会いたかったしな」

 さりげなくプチ告白。

 だけど潤は、告白を告白と思わずごく素直に嬉しそうに笑う。

「僕も久々に君に会えて嬉しいよ!どう?マネージャーの仕事は」

「ああ、順調だよ。多分、俺には向いていた職業なんだろうな。好きな演劇にも携わることができて、
尊敬できる役者さんの役に立つこともできて」

「そっかぁ、それならいいんだけど。ねぇねぇ!今度さ、相模君も呼んで、どっか飲みに行かない?」

「え……相模は余計だろ」

「ん?」

「あ、いや、何でもない、何でもない。他の奴等も呼ぶか。銀本とか清阪とか」

「うん、うん。場所は若侍(わかざむらい)で」

 若侍とはこの近くにある居酒屋の名前で、俺が役者やっていた時に役者仲間とよく飲みに行ってい
た場所だ。

「僕は清阪さんに予定聞いてみるから、君は相模君と銀本君に連絡しておいてくれない?」

「OK」

「じゃあ、僕そろそろ行かなきゃ。次のシーンの練習があるから」

 そう言って潤はにこっと笑い、舞台の方へ走って行った。

 見れば見るほど、可愛いよなぁ……潤。


「へぇ、紺野さんって工藤さんLOVEだったんですね」


 突如、後ろから声を掛けられて、俺はびくんと肩を上下させた。

 振り返るとそこには、ペットボトルを片手に持った浅羽君がいるじゃないですか。

「い……いつの間に!?君は舞踊の練習をしていたんじゃなかったのか!?」

「もう終わりましたよ。次は殺陣の特訓ですけど、その前に一休みです」

 そう言って、浅羽君はスポーツドリンクを一口二口飲む。

「大人をからかうモンじゃない。第一何を確証に俺が潤のこと」

「もろ、顔に出てましたよ?クールに振る舞っていたかと思ったら、顔がゆるゆるになっていたり」

「そ……そうかなぁ」

「でも工藤さんはまるでピンと来てないですね。恋愛には鈍感じゃない方だと思うんだけどなぁ。自分
のことには気付かないもんなんですね」

 浅羽君は舞台の上で鬼刃を演じる潤を見ながら、もう一口スポーツドリンクを飲む。

 俺は軽くため息をついた。

「そりゃ、君だってそうでしょ?」

「え?」

「さっきの先生のように露骨なヤツならともかくとして、結構君に気がある人いるのに、君はまるでそ
れに気付いていない」

「え……マジっすか」

 ぎょっとする浅羽くん。

 本当に気付いていないんだよなぁ。

 驚いたみたいに俺のことをみたかと思うと、すぐに俯いてスポーツドリンクをまた一口飲む。

 心なしか頬が赤い。

 へぇ、こういう可愛い顔もするんだな。

 いつもクールな感じがする子だけど。

 と、その時だった。

 突如、稽古場に雷が落ちた。


「こらぁ!浅羽、そこで何をやってやがる!?」


 たちまち浅羽君の顔が蒼白になる……いや、その前に俺の顔はもっと蒼白だったに違いない。

 やばい、やばい、やばい!今泰介(いま たいすけ)氏が戻ってきた。午後から来るんじゃなかった
のか。

 あ、そうだ、この人って超がつく気まぐれだったんだ。

 今さん、言うが否やこちらに大股で近づいてきて、愛用の竹刀を浅羽君目がけて振り下ろしてき
た。

 バックステップで避ける浅羽君。お見事!

「なかなかやるじゃねぇか、こら」

 さらに横になぎ払う今さんに、浅羽君は上体を反らしかわしながらも、やや引きつってはいるが、笑
みを浮かべてみせる。

「今、本気で俺のことぶった切ろうとしましたね」

「当たり前だ、俺は怠けているヤツが大嫌いでね」

「怠けているわけじゃないです。単なる水分補給ですよ」

「誰かとしゃべっていたじゃねーか」

「単なる連絡事項です」

 す……すごい。

 殺気だった今さんを前に、冷静に会話できるなんて。

 もしかして永原さんの弟なんじゃないかって思うぐらいに、クールなトコが妙に似ているなぁ。

 ああ、そんなことより浅羽君を助けなきゃ!

「やめてください、今さん!!」

 俺は浅羽君の前に立ちはだかった。

 すると険しい今さんの眼差しはこっちに集中する。

 す……すっげぇ、怖いんですけど!!

 なまじ俳優だっただけに、かなりの美形なんだけど、それ以上に鋭く光る目と、腹の中まで響く怒
声、そして全身に漲る殺気が恐ろしすぎるのだ。動物に例えたら、豹とか、ジャガーとかそんなカンジ
だ。

「てめぇは黙れ、裏切りモン」

「何とでも言ってください。浅羽はウチの永原の弟子です。そういった無下な扱いを見過ごすわけには
いきません」

「ほう?じゃぁ、てめぇが代わりに食らうか、俺様の愛の鞭を」

「うぉ!?」

 言うが否や、竹刀を振り下ろしてきたよ。

 俺は反射的に飛び退いた。

「い、今本当にぶった切ろうとしましたね!?」

「当たり前だ!!てめぇ、元々ココの人間だったくせに、永原のトコへつきやがって」

「し、仕方がないでしょう!?事務所の意向でそうなったんですから。それに元々俺は永原さんのこと
も尊敬していましたし」

「何だと、こらぁ!?」

 今さん、今度は竹刀を縦に振り上げる。今度は避けられない、と俺は覚悟して目を閉じた。しかし、
いくらたっても竹刀は振り下ろされなかった。

 恐る恐る片目を開けてみると……あ!!……な、永原さんだぁぁ!天の助け!!

 永原さんは竹刀を持つ今さんの腕首を掴んでいた。振り上げた状態で、静止させられた今さんは、
軽く舌打ちをする。

「邪魔すんな、こら」

 今さんは永原さんの手を振り払う。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……いくら僕が憎らしくても、マネージャーに当たらないでもらえるかな」

 ため息まじりの永原さんに今さん、にやりと笑って。

「違うな。坊主憎けりゃ坊主が憎い。袈裟は袈裟で憎くたらしいってだけだ。この裏切り者が」

 今度は軽く竹刀の先で胸の真ん中を小突かれただけだった。

 ……本気で叩くつもりはなかったのかな?

「でも、何で永原さんがここに」

 首を傾げる俺に、今さんがものすんごく嫌そうな顔をして言った。

「知らねーよ、コイツがついてきたんだ」

「着いてきたんじゃない。僕は洋樹の様子を見たかったから、不本意ながら君の後ろを歩くことになっ
たんだ」

 永原さんも冷ややかに横目で今さんを見る。

 やっぱ仲悪いんだなぁ、この二人。

「おめぇが来る必要なんかねーだろ」

「そうはいかない。洋樹は僕の教え子だからね」

「もうお前の教え子じゃねぇ。俺の弟子だ」

「いいや、僕の弟子だよ。君の技術をぶんどるようにし向けているんだから」

「こいつにどれだけたたき込んでやったと思って居るんだ!?おいっ!!、浅羽、お前はどっちの弟
子な―― 」

「永原さんです」

「てめぇ、早すぎるだろ!?答えるのが。質問言い終わる前に答えんな!!」

「10秒後に答えたって一緒でしょ」

「10秒後も早すぎだ!」

「いいじゃないですか。今さんには僕という可愛い弟子がいるんですから」

「いきなり入ってくるな!工藤。自分で可愛いとかぬかしてんじゃねぇ!!」

「そんなことよりも、早く練習始めましょうよ」

 潤はやんわりした声だけど、目は監督である今さんの指示を待つべく真剣なものだ。

「ああ……そうだな」

 今さんの目も鋭いものに変わる。

 とたん、稽古場はぴんと張りつめた空気に変わった。

 今さんが大将だとすれば、潤は参謀みたいなものだ。

 ちょっと熱すると火柱が上がる今さんの気性を、鎮火させるのはいつも潤の役目だ。  

 俺はため息をつく。

 参謀、というより女房というべきか。

 別にあの二人がそういう関係というわけじゃないんだけど……あの二人には誰も入っていけない絆
のようなものを感じる。

「浅羽、舞台に上がれ。殺陣やる前に、第二幕の復習だ。昨日より質が落ちていたら、舞台からたた
き落とすからな!」

「はい!」

 浅羽君は頷いて、舞台へと上がる。

 いよいよか。

 実は彼の演技を見るのは、初めてなのだ。

 いつも付き人としての浅羽君しかみていないから。

 第二幕は、信長と鬼刃の出会いのシーンから始まる。

 帰蝶と共に、信長の帰りを待つ鬼刃。

「結婚相手が待っているというのに、野山で遊びほうけているとは……一体どういうヤツなんだ。来て
早々叩ききってやろうか」

 苛立たしげに、潤演じる鬼刃が呟いた時。

 大股で部屋に近づいてくる足音がした。

 浅羽君の登場だ。

「待たせたなっ!我が妻となる女は此処か!?」 

 朗々と響き渡る声。

 うわぁ、浅羽君って結構通る声しているんだな。

 格好こそはTシャツにジーンズだけど、ボロ着を纏った信長の姿が目に見えるようだ。

「おお、そなたが我が妻となる女か。なにやら変わっているな。男のような格好をしておるではないか
……ああ、そういう儂も女の着物を着ておるがな」

 言いながらしげしげ鬼刃の顔を見る信長。

「あ……あの」

「うむ、よう見たら美しい顔をしておるな」

 浅羽君演じる信長が、潤演じる鬼刃の顎を捕らえる。

 うわ……かなり反則的に色っぽい図だ。

「あの」

「名はなんという?」

「あの!」

「なんじゃ、先程から何か物言い足そうじゃが」

「私ではなく、こちらの姫君が信長様の妻となられる方です」

「ん?」

 テンポの良い会話だ。

 しかも自然に引き込まれる。

 話には聞いていたけど、浅羽君って存在感があるんだなぁ。あの潤を前に、信長の威厳を損なわず
に演じられるなんて。KONのメンバーだと、大概、潤の存在感に圧倒されて、台詞が空回りしたり、何
とか自分を奮い立たせようとして力んだ演技をしてしまったりして、あんな風に対等に演じることなん
て出来ないだろうな。

 俺が感心している横で。

 今さんの竹刀が浅羽君に向かって飛んだ。

 竹刀は浅羽君の目の前をすり抜け、壁にぶつかる。

「ひぃっ」とびくつく周囲のスタッフや役者さん。

 浅羽君本人は、至って平静に今さんの方を見る。

「駄目だ、駄目だぁ!浅羽ぁ!もっと早口で言え。工藤に付け入る隙を与えないぐらいに台詞をスピー
ディにいけ」

「馬鹿だな。ここは敢えてゆっくりと言った方がいいだろう?信長の悠然さを出した方がいい」

 な……なんと今さんの横で、永原さんが駄目だししてきた。

「それと工藤君。もう少し体ををこっちに。今の角度じゃ君の顔がお客さんには見えづらい」

 当然今さん、目を三角にしてこっちをぎっと睨む。ひぃー!!

「てめぇ!人の舞台に茶々入れるな」

「僕は気になる所を指摘しただけだよ」

「今の浅羽の台詞はもっと早く言うべきだろ。まくし立てるぐらいの」

「そんな忙しない信長、僕は嫌だな」

 永原さんは、そう言って、ふいっと今さんからそっぽ向いた。

 その態度に今さん竹刀を持っていない左の拳をかたく握りながら、歯ぎしり混じりに怒鳴る。

「おめぇの好き嫌いの問題じゃねぇ!悠然って言うけどな、この頃の信長は若さではちきれんばかり
なんだよ!」

「その中にも将来の大物をにおわす余裕がないと駄目だろう?」

 熱くなる今さんに対し、クールに答える永原さん。

 …………うわぁ、懐かしいや。

 二人が共演している時って、必ずこういったぶつかり合いが出てきたっけ。

「それじゃあ、やってみます」

 そう言ったのは浅羽くん。

 え!?と永原さんと今さんは同時に舞台の方を見た。

 浅羽君は潤に頷いてから、ひとまず舞台の袖に戻る。

 帰蝶と共に、婿である信長の帰りを待つ鬼刃。

「結婚相手が待っているというのに、野山で遊びほうけているとは……一体どういうヤツなんだ。来て
早々叩ききってやろうか」

 苛立たしげに、潤演じる鬼刃が呟いた時。

 先程よりも早い足音が舞台に響き渡る。

「待たせたなっ!我が妻となる女は此処か!?」

 声音も先程よりより勢いが加わった。 

 それでいて稽古場に響き渡る快活な声。

 若くも威厳のある信長がそこにはいた。

「おお、そなたが我が妻となる女か。なにやら変わっているな」

 ややテンポをゆっくりめに言いながら浅羽君はしげしげと潤を見つめる。

「男のような格好をしておるではないか……ああ、そういう儂も女の着物を着ておるがな」

 そう言って不適な笑みを深める浅羽くん。

 わお、さっきより断然に良くなっている。

 今さんの言うスピードと、永原さんのいう悠然さを見事にミックスして、自分の演技に取り入れたの
だ。

 ゆっくりと上から下まで見る信長に、鬼刃は戸惑いの声を漏らす。

「あ……あの」

「うむ、よう見たら美しい顔をしておるな」

 浅羽君演じる信長が、潤演じる鬼刃の顎を捕らえる。

 ああ……二人とも色っぽいなぁ。

 周囲のスタッフからも感嘆のため息が聞こえる。

 今さんは、ドコか面白く無さそうに。

 永原さんは満足げにその演技を見つめる。

話には聞いていたけど、浅羽君って本当に凄いんだな。

 永原さんの言葉も、今さんの言葉もちゃんと聞き入れて、自分の演技にするなんて。

 それに、普段の浅羽君も格好いいけど、舞台の上だとより輝くんだな。

 潤も相変わらず凄いけど、それに負けずとも劣らない浅羽君の存在感は本当に凄い。

 小見山の奴は、それを見て暴走しちまったんだな。

 未だに目の下や口端に残る浅羽君の痣を見ながら俺は思う。

 一ヶ月前になるのか。

 浅羽君が何者かに闇討ちにされた事件があった。

 当時は今よりも顔がもっと腫れていてひどかったのを覚えている。

 その犯人が、この劇団の小見山と聞いた時には、俺もショックだった。

 かつての演劇仲間がそんなバカなことをしでかしたのかと思うと。

 俺がまだKONの人間だったら、ボコボコにしてやった所だ。

 小見山は確かに潤がいなければ、KON随一の実力者だったと思う。

 今さんのことを崇拝に近いくらい尊敬していて、しかも潤のことを……そう、あいつも潤が好きだった
んだよな。

 潤の相手役は死んでも譲りたくないと思っていただろうな……あいつ、俺が役者時代の時、潤の相
手役に選ばれたこと、凄く憎らしい目で睨んでいたし。いや、俺はにらみ返して黙らせたけどね。

 浅羽くんを闇討ちしたのもそういった嫉妬もあったのだろうけど。

 やっぱり、奴は馬鹿だな。

 そんなことしたって、誰も自分に振り向きやしないのに。

 現に浅羽君は、顔にまだ痣が残っているけど、そんなの関係ねぇ!と言わんばかりのオーラがある
のだ。

 ああ、早く永原さんの弟子として、浅羽君を皆様にお披露目したい。

 あんな演技俺たちだけが見ているのなんて勿体ない!!


 しかし、ここからが浅羽君にとっては地獄の始まりというか。

 二幕の稽古が終わった後、彼だけは殺陣の稽古。

 専門の先生と、今さんとの二人がかりで、所作や立ち振る舞いの指導をたたき込む。

 少し間違えると今さんの竹刀で叩かれ、さらに殺陣の先生に駄目だしされては、掌で叩かれる。さら
に永原さんまで、浅羽君に姿勢の注意をして、そこで今さんが「余計な口出しするな!」と怒鳴って、
またもや口喧嘩が始まって―――まぁ、その横で殺陣の先生が、丁寧かつ厳しく浅羽君に立ち振る
舞いのあり方を教えているからいいんだろうけど。

 こちらからみたら完璧な動きでも、今さんや永原さんから見ると、全く完璧ではない。

 その辺がどうも分からない。

 だけど浅羽君は言われたらすぐにその通り実行する。先程よりも綺麗な動きになっているのを見
て、俺も初めて納得する。先程の動きが完璧ではなかったことに。

 そして改めて実感するのだ。

 やっぱり自分は役者には向いていなかったことを。

 俺は浅羽君のように、今さんや永原さんが求めるような動きは永遠に見いだせないだろう。

 言われるままに演じるのが本当に精一杯だった。

 台詞も棒読み状態、表情も硬くて、自分らしさを引き出せなかった。

 演劇を見るのが好きで、そういう仕事に携わりたいとは思っていたけど、役者にはなれない自分が
そこにはいた。

 舞台という世界はすごく引かれていた。

 だけど、俺は役者としてそこに立つことはできない。

 それならば、せめて舞台を作る人間を支える人でありたい。

 KONに退団届けを出し、俺は芸能プロダクションに再就職した。

 その際就職先で決まった担当が、なんとあの永原映だった。

 今までのマネージャーが寿退社したのだそうだ。

(俺が永原映のマネージャーになったと知ったら、今さん怒るだろうな……)

 と思いつつも、二つ返事で快諾してしまった。

 永原映も尊敬する役者の一人。

 その人の役に立てるのならば。

 何よりも一流の舞台を間近で見守ることができる。

 だったら今さんに殺されてもいいや、と思ったのだ。

 実際、本っ当に殺されかけたけどね!

「あーあ、浅羽のヤツ、大変だよなぁ」

 首に掛けたタオルで汗を拭きながら、こっちに近づいてきたのは、かつての後輩の木村だ。

 短く刈り込んだ髪を金髪に染め、丸っこい目に細い眉。鼻のとこにはそばかすがあり、愛嬌のある
顔立ちをしたヤツだ。

「なかなか精が出るな、木村」

「そりゃね。今度こそ、今さんに認めて貰って、次回作では主役貰いたいもん」

 …………コイツは、毎回毎回、次回こそ主役が口癖だ。

 正直、工藤潤がいる限りそれは無理だと思うが。

 木村は口を尖らせて、稽古場の壁により掛かる。

「小見山さんが信長降板した時は、準主役のチャンス!って、思ったんだけどなぁ。おたくの浅羽君に
取られちゃったよ」

「そうじゃなくても、お前は信長向きじゃないだろ。鬼刃よりちっこい信長はちょっとなぁ」

「背丈のことは言わないでくださいよ!ムカつきましたけどね。いくらあの永原先生の弟子だからっ
て、生意気だって思いましたけどね……でも、今の演技見ているとなぁ」

「……」

 負けを認める潔さもコイツの特徴だ。

 最初はライバル視していた潤のことも、今では尊敬の対象となっている。

小見山もそーゆーとこ見習えば良かったのに。

「浅羽のヤツ、俺たちが来るずっと前から練習して、俺たちが帰った後もずっと今さんとマンツーマン
の稽古してて、叩かれて、ボロクソ言われてさ。でも翌日には、昨日よりも成長している浅羽がいる。
認めないわけにはいかないわなぁ」

 長いため息をつく木村。

 コイツのことだから、きっと最初浅羽君が信長役に決まった時には、大反対の声を上げただろうな。

  浅羽君はKONに入ったばかりの新人だ。

 そんな子がいきなり準主役を張ることに反感を覚えた人間も多かったに違いない。

 だけど、今の浅羽君の演技に、キャストやスタッフたち全員が引き込まれている。

 全員を黙らせる圧倒的な演技力。

 木村も浅羽君の実力を認めざる得なかったわけだ。

「今回は負けましたけどね。俺は次回は負けませんよ?俺だって昨日よりは成長しているんですから
ね」

 絶対にあきらめないガッツがコイツにはある。

 俺にはなくて、コイツにはある強さかもな。

 今さんも木村のそういう所は結構気に入っている筈だ。

 いつか主役張れるようになるといいな。

 俺は応援しているぞ、木村。



 その後、浅羽君の稽古は夜中の午前二時まで続いたという。



  俺と永原さんは、夕方に仕事があったので先にKONを後にした。

 新宿の撮影スタジオに向かうべく、俺たちはタクシーに乗り込む。

「そういえば、永原さん。午前中のオフはKONに来るまでは何をされていたのですか?」

「ああ……高城(たかぎ)さんに呼ばれてね。舞台をやらないかって、監督直々にオファーがきた」

「……あ……あの高城さんですか?」

 御年80歳。

 未だ現役の舞台監督をしていて、業界では怪物と呼ばれているお方だ。

 永原さんや今さんの育て親と言っても過言ではない。

 高城監督の舞台に出たことで、あの天才二人の演技はより磨かれ、成長していったと言われてい
る。

 そういうわけで、永原さんも、あとあの今さんも、かの老人には頭が上がらない。

「……あれ?ってことは、もしかして、今さんも?」

 すると永原さん、肩をすくめて、わざとらしくため息をついて言った。

「ああ。成海にもオファーがきたってわけ」

「それで、あの時一緒にKONにやってきたんですか」

「一緒には来ていない。僕の数メートル先にあいつが歩いていただけだ……まったく、あいつと共演
なんて冗談じゃない」

「でも今さんの舞台復帰は、望んでいましたよね?」

「もちろん、演劇界においては、彼も重要な存在だから、僕的にも復活して欲しいとは思ったけど、何
も僕との共演じゃなくてもいいじゃない」

 永原さん窓の方を見ながら、さらに大きな溜息をつく。

 そ、そこまで嫌な顔しなくても。

 なんか、本当に水と油だよなぁ、この人と今さんって。

「ということは、今さん……出るんですか。高城監督の舞台」

「ああ。僕もあいつも、あの人には逆らえないからな」

 口ぶりは嫌々、と言わんばかりだけれども、目はどことなく嬉しそうに笑ったような気がした。ホント、
気がした、ぐらいに一瞬だったけど。

 二人の共演か。

 というよりも、競演になるのかな。

 もし、それが現実になるのだったら、すっげぇ楽しみだな。

 伝説の舞台、になるんじゃないだろうか。

「再来年の春公演、でいきたいそうだけど、スケジュールはどうなっている?」

 そ、そうでした!

 少なくとも今年、来年はスケジュールが詰まった状態の永原さん。

 俺は手帳を取り出し、軽く頭を掻く。

 あー、来年はもう一杯、一杯だなぁ。

 そうすると再来年の秋からはまだ弱冠予定が空いてはいるけど、今さんの都合もあったりするしな
ぁ。ああ、でも監督も80歳……寿命のことを考えるとなぁ。

「再来年の秋なら大丈夫ですが」

「それじゃあ、遅い。高城さん、もう老い先長くないって自分で言っているんだから」

「しかし、春は水森監督の舞台の予定が……」

「水森君の舞台か。仕方がない。そっちはキャンセルする」

 早!!

 あっさり水森さんから高木さんに乗り換えた!!

「水森さん、あんなに喜んでいたのに……」

 水森衛(みずもり まもる)

 若手の舞台監督としては、今さんと並ぶ実力者。同い年ということもあって、ライバル心もあったり、
またいい友達でもあるそうだ。

 永原さんとも監督と俳優という以前に、いい友達だけに断りづらい仕事なのに。

 やけにあっさり決断したなぁ。

 しかも永原さん、余裕なことにくすくすと笑いながら言った。

「仕方がないだろう?水森君は、僕と同い年。向こうは80歳だぞ。それに彼は、高城さんの弟子だ
し、すぐに分かってくれるとは思うよ。ただ、舞台を止めるわけにはいかないだろうから、別の俳優は
紹介しようかと思うけど」

「誰を紹介するんですか。あなたに代わる人間なんて、そうそういませんよ」

 永原さんに代わる俳優となると、かなりベテランの域になるぐらいの人しかいない。

 けれどもそういった人達だって、予定が埋まってしまっているはず。

「洋樹が出る舞台のチケット、まだ持っていたよね?」

 突然別の話になったのかと思い、俺は呆気にとられ、ワンテンポ遅れてから頷いた。

「あ……はい、S席でしたら、あと数枚ありましたけど」

「その内の一枚、水森君に送っておいてくれないか」

「え!?……な、永原さん。ま、まさか」

 俺はそれ以上言葉が出ず、金魚みたいに口をパクパクさせていた。

「水森君がやるのはロミオとジュリエットを戦国時代におきかえた、千秀と葉桜だ。ロミオなら若い俳
優がやった方がいいだろう」

「ですが……」

「洋樹はどんどん成長している。恐らく、村岡鬼刃の舞台が終わればあの子は一俳優として認められ
るだろう。君も知っての通り、既に彼に目を付けている奴等もいる。不純な動機なのも多いけど、それ
はそれで洋樹の魅力があってこそだ」

「ですが、だからといって、あなたの代わりには」

「僕の代わりなんか誰もいないよ。誰だってそうだ。洋樹に代わる人だっていないし、紺野君、君の代
わりだっていやしない」

「永原さん……」

 そ、そんな。

 俺に代わる人なんていない、とか言われると、かなり嬉しかったりして。

 永原さんはにこやかに笑って、更に言った。

「水森君は必ず洋樹を気に入るよ。何しろ、僕の弟子だからね」




 というわけで、翌日水森氏に謝るべく、とらやの羊羹を持って、池袋にある事務所へ向かった。

 謝罪の時の手みやげは重い物がいいんですよ。

 事務所はとっても綺麗に整頓されていて、水森氏の他に女性の社員が数人いる。

 かつて女優を目指していた人や、裏方の仕事をしていた人を雇っているそうだけど、まぁ、平たく言
うとみんな水森氏のオンナなんだけどね。

 年齢は永原さんと同い年、さして顔がいいわけじゃないのに、何でこの人がこんなにモテるのかは
分からない。

 細い目に銀縁の四角い眼鏡、ややこけた頬に、無精髭。よれよれのシャツを着ているトコからして
も、どうみたって貧乏くさい男にしか思えない。

 髪はスポーツ刈りがちょっと伸びた感じか、背中も猫背だ。

 水森氏は羊羹を差し出し、事の次第を話した俺に対しげんなりした顔をして一言。

「……………………羊羹嫌い」

 ぬお!?

 羊羹嫌いとは予想外。

 か、考えてみたら、俺もあんまり好きじゃないけど。

 いやいや、でも、とらやですよ!?とらや!!

 水森氏はデスクに左肘をつき、もう一方の手であらかじめ送っておいたチケットをひらひらさせなが
ら、眉間に皺を寄せ、口を突き出して言った。

「困るんだよねぇ。急にそんな話されても……確かにまだ、千秀と葉桜のキャストは世間にも公表さ
れてないし、今キャストが代わっても問題はなくてもだよ。こっちはあの人前提でシナリオ作っちゃっ
てんだから」

「それは重々に承知しています!!」

 俺は深々と頭たれると、頭上から重い重いため息が降りてきた。

「ま、君を責めたトコでしょうがないよね。俺が本当に責めたいのはあのジジイだよ。あー、いっそのこ
と今すぐにでもくたばってくんねーかな」

 抑揚のない口調で、毒づく水森さん。

 ジジイとは言うまでもなく、あの高城さんのことを指しているのだろうが。

 仮にも自分の師匠じゃないか。

 あんまり尊敬してないのかな。

「あーあ、永原映が出ると知って、がぜんテンションあがっていたリサコに何て言えばいいんだよ」

 は…………はぁ!?

 リサコって確か、あれだよな。

 歌手鈴本さおりの娘で、最近女優デビューした鈴本リサコ。

 じゃあ、何か、この人はその女優の機嫌をとる為に永原さんを起用したわけ!?

 あー……なるほど。永原さんやけにあっさり乗り換えたわけだ。高城氏に。

 不純な動機が見え見えだったわけね。

「で、このチケットのお芝居に出てくるヤツが、映の代わりにでもなるっての?」

「そ……それは」

「まさか工藤君を代わりに出すとか言わないよね?悪いけど、工藤君じゃリサコが潰れちゃうよ。あの
子、女優泣かせの顔しているんだから」

 確かに潤はなまじ美少女顔なんで、女優との共演は避けられがちだ。

 潤と共演するには、本当に華がある女優じゃないと駄目なのだ。

 逆に言えば潤と共演して絵になる女優は、かなりの華と力量を兼ね備えているといってもいい。彼
と共演することがステイタスだと思う女優も多いようだ。

「永原さんがあなたに見ていただきたい人は、浅羽洋樹という役者です」

「浅羽?全っ然聞いたこと無いんですけど」

 何もそこまで“全然”を強調しなくても……。

「そりゃそうですよ。公の舞台に出るのが今回が初めてなんですから」

「公の舞台が初めてって……エキストラぐらいはあるでしょ?」

「エキストラもないですねぇ。演劇部で全国大会には出たみたいですけど」

「ちなみに、この舞台ではどんな役やるの?」

「準主役の信長です」

「は……はぁ!?成海のヤツ、何考えてんだ!?そんな素人同然のヤツを起用するなんて」

 驚きの余りひらひらさせていたチケットをぽろりと落とす水森さん。

 床にすべるように落ちるチケットを拾い上げ、デスクの上に置いた俺は、やや強い口調で訴えた。

「浅羽君は確かに場数を踏んではいませんが、演技力にかけては天才ですよ。何しろ、永原先生の
弟子ですからね」

「で……弟子って。あの柴田三嗣(しばた みつぐ)を破門にして以来、二度と弟子はとらないとか言っ
ていたのに」

「浅羽君が高校の演劇大会の時に演じている姿をビデオで見て、気が変わったそうです」

「高校演劇のビデオ……」

 呟くように言ってから、親指の爪をかむ。

 何か考え込んでいるようだ……それとも思い出そうとしているのか。

 その時だった。

 事務所の電話が鳴った。

 女の子が電話を取り、何やら話している様子だったが、しばらくして。

「先生ー、お電話ですよ」

 女の子の言葉に頷いて、水森さんは自分のデスクの上にある電話のダイヤルを押して、受話器をと
った。

「もしもし?」

『お久しー、マモちゃん』

 相手の声は良く通る声なのか、あるいは受話器のボリュームが大きいのか、向こうの声もこちらに
も良く聞こえた。

 誰だろうか?

 相手の声を聞いた瞬間、水森さんの細い目はこれ以上になく、大きく見開かれた。

 そして震えた声で問いかける。

「その声…………シズさんか」

『そう』

 俺もまた、これ以上になく目がまん丸くなった。

 シズさんといったら、あのシズさんってことだよな。

 静麻優斗(しずま ゆうと)。

 若くして数々の映画祭で絶賛され、監督賞や作品賞などの賞をものにしている天才映画監督。世
界的にもその名は知られている。

 前回の作品完成記者会見の時、ドタキャンして中国へ行ってしまったことでも、最近話題になってい
る。

 ドタキャン……というよりも、素で記者会見のことを忘れていた、といった方がいいかもしれない。

 周りに何も告げず、後から各知り合いのトコに、『今中国にいます』という葉書が一枚来ただけ。

 マスコミもさんざん調べて、消息を追ったらしいが、行方を掴むことができずに。

 ここ半年、行方不明扱いになっていた。

 その人が、今受話器の向こうにいる。

「もしもし、もしもし!?あんた、今までどこへ行っていたんだ。随分心配したんだぞ」

『いやぁ、君が僕を心配なんて。東京は今大雨かい?』

「ふざけるな!!半年前、あんたが記者会見ドタキャンしたせいで、カリナに何日飲みに付き合わさ
れたと思ってんだ!?」

 カリナって、ああ、この前、静麻監督の映画に主演していた女優か。

 確か綺麗な娘だったような気がする。

 ハーフだし。何、この人あの女優とも付き合ってるわけ?

 それを堂々と社員の前で話すかなぁ。

 ココにいる人達だって、水森さんのオンナだろうに。

 俺はちらっと彼女たちの方を見ると、一人はデスクを蹴っていて、一人は黙々と書類を書いている
みたいだけど、書く度にシャーペンの芯が折れている。いやいやいや、普通正規の書類はシャーペン
で書いたりしない。しかもボキっと折れる音がここまでハッキリ聞こえるトコからしてもあれは、もしかし
てボールペンか!?

 怖っ!!

 み、見なかったことにしよ。

『なんだ……やっぱオンナがらみなのね。それが君の原動力なんだろうけど、10又も20又もかけて
いたら、いつか誰かに刺されるよ』

 受話器越しに聞こえてくる忠告に、俺は黙って何度も頷く。

 だって既に背後には殺気を感じるし。

 しかし、水森氏はふてぶてしかった。

「け、オンナに刺されるのは俺の本望なんでね。で、今あんたどこにいるんだ」

『えーっと、日暮里で降りて、それから適当に歩いている』

「何で日暮里なんだよ」

『だって“にっぽり”って響き可愛くない?いつも山手線で通るだけだし、一回でもいいからどんなトコ
か見ておこうかと思って』

「その前に行くところがあるだろ!?アホか、てめーは!?バカだ、バカ!!スペシャルバカ!!」

 それからひとしきり、水森さんの悪態が事務所に響き渡った。

 この人をこんな子供みたいに怒らせる静麻監督って一体。

 何だか浮世離れしているというイメージは前々からあったものだけど、受話器の声を聞いて、ますま
すそのイメージが確定されつつあった。

 水森さんは頭を抱えながら、大仰に息をついて静麻監督に問う。

「で……何で突然日本に帰ってきたんだ。あんたは」

『いや、久々に映ちゃんに電話したらね。ビックニュースを聞いたから』

「なんだそりゃ」

『あの子が舞台に戻ってきた』

「あの子?」

『僕がずっと前から主役にしたいと思っていた子。ああ、これでようやく映画作りができるぞ!!』

「映画作りって……今までもやってるじゃねぇか。今度だってそのために中国へ行ったんだろ?」

『ああ、それはそれ。コレはコレだよ。次回作は北京逃亡劇って映画だけど、その次にやる予定の映
画に出て欲しいの』

「その次の映画?」

『タイトルは“魔性”。学校を舞台にしたミステリーといったトコかな?』

「……魔性ねぇ。そんなタイトルに相応しい俳優つったら、映ぐらいだとは思うけど」

『映ちゃんもいいけど、もっと若い方が望ましい役なんだよ。浅羽君は僕の理想の主人公像なんだ』

「浅羽……だと?」

 水森さんが、ちらりと俺の方を見た。

 俺はその視線にこくりと頷く。

 まさに静麻監督が探していた俳優が、浅羽君のこと。

 うわぁ、これはタイミング良く電話が掛かってきたなぁ。

 がぜん、水森さんの目に輝きだしたのだ。

 浅羽君に興味を持った、ということだろう。

 ん?

 待てよ。

 確かここに電話を掛けてくる前に、静麻監督は永原さんと電話をしたとか言っていたよな。

 ということは、今の電話ももしかしたら永原さんが。

 水森さんも同じコトに気付いたらしく。

「成る程、映はよっぽど自分の弟子を俺に勧めたいらしいな。あんたに電話をかけさせるなんて」

『は?何言ってんの?帰国して真っ先に電話しろって言ったのそっちじゃない』

「その前に映のトコにかけてるんだろうが」

『映ちゃんは国際電話だもの。何だよ、海外からの電話も欲しかったの?それならそうと早く言ってく
れれば』

「……………ちげーよ、ばーか。そりゃそうだ。誰かに言われて、電話をかけるようなキャラじゃない
な。あんたは」

『今凄くバカにした?』

「してねーよ。ま、あんたが無事に帰国したのなら何よりだよ。じゃあな、俺今忙しいからまた夜にでも
電話してきてくれ」

『忘れなかったらするよ』

「ああ……忘れなかったらな」

 さして期待しているような口調じゃない。

 静麻監督が、約束事を忘れるというのは、世間でも知られている。

 記者会見のドタキャンも然り。

 静麻監督は永原さんに言われて電話したわけじゃなく、本当にたまたま水森さんに電話をしたので
あろう。

 ただ永原さん自身は、静麻監督のそう言った行動を見越していたかもしれないけれども。

 何度目かのため息をついて、水森さんは受話器を置いた。

 そしていかにも詰まらなそうに、右頬を膨らませながら俺を睨め付ける。

「浅羽洋樹か……くそ、俺はその手には乗らんぞ」

「浅羽君を起用するかは、水森さんの自由ですよ。ただ、永原さんはもう高城さんの話を受けていま
すからね」

「分かっているよ。映はあのジジイには逆らえない。俺だって逆らえないし、どうしようもないことぐらい
な。だからって、この舞台を見に行くのは、映の思惑に填っているみたいで何か面白くねぇな」

 既にすねた子供状態。

 けれども、浅羽君への興味が湧いた証拠でもある。

 きっと水森さんは舞台を見に来るだろう。

 そして浅羽君のことを気に入るに違いない。

 なにしろ永原さんと……それに今さんの弟子でもあるからね。あ、後者は口が裂けても永原さんに
は言えないけど。



 水森さんの事務所を後にし、俺はKONの稽古場に向かうことにした。

 浅羽君に静麻監督のことを知らせてやろうと思って。

 しかし、いざKONの稽古場に着いて、ドアからそっとその光景を見た瞬間、それは憚ることになる。


「てめぁら、そんなんで本番に望むつもりかぁ!!ふざけんな!!」


 激しすぎる雷鳴だった。

 そして雷が落ちた瞬間、傍にある椅子がこっちに飛んできた。

 ひぃ!!

 今さんが蹴った椅子は、俺がのぞくドアの真横の壁を直撃した。

 舞台の上には全身汗だくの浅羽君や潤……それに、疲労のためか跪いて息をしている木村、その
ほかの役者たちも皆、今さんの顔を見ていた。

 戸惑う顔もあれば、次にどうするべきか真剣な目を向ける顔、不安そうな顔。

 俺は息を飲む。

 浅羽君は俯き加減で唇を噛み、拳をきつくきつく握りしめていた。

 あんな顔をするなんて。

 俺はKONの役者だった時を思い出す。

 自分が思うように演じられず、悔しい思いをした時のことを。

 きっと浅羽君も。

「今さん……もう一度お願いします」

 浅羽君が今さんに頭をさげた。

 腕組みをしながら今さん、それをせせら笑うような口調で問いかける。

「何だ、浅羽。次はうまくやれるとでもいうのか」

「やります」

 はっきりと答える浅羽君に、跪いていた木村もぱっと立ち上がり負けじと言った。

「今さん!俺だってやります。今さんが納得いく演技を今度こそは!!」

 他の役者たちもそれに続いて「おねがいします!」「つぎはやります」と訴える。

 よく見ると、浅羽君の足はがたがたと震えていた。

 恐らく疲労からくるものだろう。

 顔色もあまり優れない。

 もう倒れるんじゃないか、と俺は思った。

 浅羽君は寝る間も惜しんで練習の日が続いているのだ。

 他のメンバーと違い、出だしが遅い分、睡眠時間も削らなきゃならない。

 だけどもう少しだ、と永原さんは言っていた。

 もう少しで浅羽君は他のメンバーに追いつくくらいに成長する。台詞の言い回しも、立ち振る舞い
も、刀裁きのような技術さえ完全に習得すれば。

 もう少しなんだ。

  浅羽君は舞台の袖へ戻る。

 そして役者達もそれぞれの位置につく。

 足音を立てて勢いよく現れる浅羽君。


「皆の者、美濃と戦じゃ!!」


 その声は稽古場の空間だけではなく、壁を隔てたこちらの胸の中にまで響き渡った。

 舞台から現れた浅羽君、疲労の様子を微塵にもうかがわせない信長がそこにはいる。

 そして信長の声に応じた兵士たちの咆哮。

 今の浅羽君の目はこれ以上になく恐ろしく輝いていた。

 敵を滅する信長の鬼神がごときの眼差し。

 俺も又あの舞台の兵士に混ざって叫びたい気持ちになった。

 ああ……俺も兵士Aでいいから舞台に立ちたいなぁ。

 って、何今更言ってんだか。

 俺はそっとKONの稽古場を離れた。

 今は、村岡鬼刃の稽古に専念するべきだろう。

 もう少し落ち着いてから知らせても遅くはない……その前に静麻監督自身が浅羽君に会いに来る
かもしれないし。

 浅羽君は、昨日よりもさらに良くなっていた。

 あんな疲労困憊の中、どうしたらあんな気迫がにじみ出るのか。

 いや、もしかしたら追い込まれた状況だったからこそ、見いだせた気迫かもしれない。

 その感覚を覚えたら、また浅羽君の役者レベルはUPするだろう。

 KONの稽古場のドアを振り返りながら、俺はふと思い出す。

 浅羽君の声に呼応した兵士たちに混じって、俺も叫びたくなったあの衝動。

 懐かしい感覚だった。

 役者をやっていた人間にしか分からないだろうな。

 あの気持ちよさは。

 俺はもう舞台には立つつもりはないけど、だけど浅羽君の姿を見て思い出したのだ。

 自分もあそこで熱くなっていた時があったことを。

 そして、一瞬、その時に戻れたらと思う自分がまだいたことを。

 俺は役者になることを夢見て東京に出た。

 潤や相模と出会い、舞台へ立つ楽しさを知った。

 だけど、同時に自分の限界も知った。

 人間が人間を演じるというのはなんという難しさなのか。

 俺は言われたままに演じるのが手一杯で。

 潤や相模のように輝きを放つような演技はできなかった。

 存在感があるようでない、とある舞台監督には言われた。

 それに気付いてしまったのだ。

 舞台は楽しいけれども、多分、それは趣味の範囲に止めておきたい、そんな楽しさだったこと。

 潤や相模のように、舞台の上で生きることもできないし、かといって死ぬことも出来やしない。

 だけど、俺は舞台という世界が好きだったから。

 大道具や美術を手伝うのも好きだったし、誰かの世話を焼くのも好きだった。

 役者だけじゃなくて、別のこともやりたいというのがどこかであった。

 俺は劇団を辞めて、新たな可能性を探すことにした。

 そして、今は永原さんのマネージャーになって二年。

 役者を辞めたことに後悔はないけど。

 あの頃にちょっと戻ってみたい自分がいた。


 あ、そうだ!

 

 役者には戻れないけど、あの頃の懐かしい話で盛り上がることは今からでも可能だ。

 ホントは潤を誘いたいけど……しゃーないな。

 あいつに電話すっか。

 俺は携帯を取り出し、さっそくある人物に電話をする。

『もしもし?』

「よ、相模。俺だよ、俺」

『その声紺野か?どうしたんだ急に』

 電話の相手は相模ひろし。

 本名は来嶋湊(きじま みなと)。

 劇団KONの人間ではないが、同い年ということもあって、役者時代よく潤とコイツとでつるんでい
た。

 浅羽君は今、コイツの家に同居中らしい。

「いやな、昨日KONに行ってきたんだけどその時潤と会ってな。今度飲まないかって話になっている
んだけど、お前ヒマな日いつ?」

『週末は大阪公演だから、来週の水曜あたりからなら予定が調整できると思うけど』

 俺は手帳に相模の予定を書き込みながら言った。

「OK。場所はいつものトコだから」

『若侍な。分かった』

 よし、来週の飲み会はひとまず相模には連絡したぞっと。

 あとは銀本か。

 まぁ、その前に。

 俺はにんまりと笑って、相模に尋ねる。

「でも今日は今日で付き合うよな?相模」

『は?』

「今日もKONに行ったんだけどさ、練習風景見ていたらあの頃のことが急に懐かしくなってさぁ。誰か
と昔話したい気分なの」

『…………あのな』

「あとで銀本にも電話して連れてくるから」

『銀本もそんなヒマじゃないだろ』

「じゃあ、六時にポンギね。ポンギ」

『相変わらず強引(ジャイアン)だな。お前』

 受話器越し、苦笑が聞こえてきた。

 どうせ浅羽君だって夜遅いのだし、問題はないだろ。

 ま、あっても強引に拉致るけど!

 その日はかつての俳優仲間銀本と相模とともに六本木へくりだした。

 今さんに怒られっぱなしだったことや、永原さんと、相模の師匠である織辺さんの話とか。


 そうこうして結局夜明けまで飲み明かすことになった俺たち。

 相模と銀本はオフだったから問題なかったけど、俺は午後から出勤してしまって、永原さんにがっつ
り怒られてしまいました。

 

                                                                                       END













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