笑う舞台6


 
 準決勝最後のコンビのコントが始まった。 俺たちは現在三位の位置にいる。
 二位の地位は、山田スタイルに持って行かれてしまった。
 とはいっても2点差。
 まだまだ分からないし。
『いいですかー、お母さん。オタクの息子が何をしたのか分かっているんですか』
『さぁ?』
『さぁ?じゃない!』
『じゃあ、言い方変えますよ。さー!!』
 そこで会場は大爆笑する。
 えーと、シロネコトマトだったけ?
 聞いたことないコンビだけど、おもしろいなぁ。
 やっぱこういう大会がないと、本当に面白い人たちって知られずに終わっていたかもしれないんだ
よなぁ。  
『そもそもオタクはどんな教育をしているんですか』
『ううう、すいません。子供には小さい頃から常に言い聞かせている言葉があるんです。やられたら倍
に返せ、奪えるモノは奪ってこい、いざというときは撲殺もやむを得な───』 
『だめだめだめだめだめ!!』
 会場はまたどっと笑う。
 ああ……どうなんだろう?
 会場の反応もだけど、審査員も気になるなぁ。
 モニター越しに見る限り、険しい顔で見ているよな。
 ん!?
 白鳥氏、微妙に笑っている。
 頬がひくひくと動いているじゃないか。
 うわぁ〜、ひょっとしてお気に入りの芸人とか!?
 この人が味方についていると、そうじゃないとじゃ大きいよな。
 会場の受けもそうだけど、やっぱり決勝に出られるかどうかは審査員のさじ加減だからなぁ。
 どうだろう?
 と、その時モニターは客席の方をうつした。
 大笑いする人々がぱっとうつされる。
 中には腹を抱えて笑う人もいて───
 すごいよなぁ、芸人って。
 あんなにヒトを笑わせるって、なかなか出来るようで出来ない。
 演劇もそうだ。
 ヒトを心から笑わせて、泣かせて。観客の喜怒哀楽を引き出す演技をしなきゃいけない。 

 今も、俺にとってここは舞台だ。
 観客が腹を抱えて笑う、そんな演技を俺はやるんだ。
 そう思うと、何だか早くもう一度あの舞台へ立ちたい気分になる。
 俺が演じることで、お客さんが爆笑する。
 そんな快感を味わいたくてうずうずしてきた。
 と、不意に。
「あれ───マジ?」
 不意に湯間さんが、手に持っていたタバコを落とした。
 まだ火をつけてない状態だから良かったものの、下はカーペットだ。
 俺はタバコを拾い上げ、湯間さんに私ながら訝しげに尋ねる。
「どうしたんですか?湯間さん」
「いや、今、おばさんがいたような───
「おばさん?」
「エンタの母さんだ」
「え……」
 俺はテレビのモニターを見るけれども、その時には画面は既にMCの顔が写っていた。
 ああ……見逃した。
「本当にいたんですか?お母さん」
「いや……俺も一瞬しか見てないから断言はできないけど」
 湯間さんはタバコをくわえ直し、煙を深く吸い込んだ。
 少し動揺しているのだろうか?
 その仕草はどことなく自分を落ち着かせようとしている感じだった。
 ああ……やっぱ言っておくべきだよな。
 湯間さんは今だお母さんに恨まれていると思っているから。
 その誤解だけは解かないと───
「湯間さん、俺」
 言いかけた時、会場がどよめいた。
 モニターには審査員が得点を出している所で。
 あの白鳥氏が50点というかつてないくらい低い得点を出しているのに会場がざわついていた。
 あれ……?
 モニターでは確か笑ってたよな、この人。
『本当は点数すらつけたくないね……あまりの素人漫才に逆に笑ってしまったけど』
 え!?
 じゃあ、あの笑いって、実は鼻で笑っていたってコト!?
 シロネコトマトって聞いたことないとは思っていたけど、素人のヒトだったのか??
 総合得点も480点という低め。
「厳しいなぁ……シロネコトマト一応芸歴8年なんだけどな」
 ぽつりと言う湯間さん。
 これで俺たちの暫定は決まったものの、容赦無く酷評される仲間の姿に複雑な気持ちだった。
 シロネコトマトの二人はがくりと項垂れて控え室に戻ってくる。
 そしてその内の一人が俺の方を睨んで。
「本物の素人が暫定かよ……」
 嫌味を言われた。
 いや、気持ちは分かるけどな。
 と、嫌味を言った奴の後ろ頭を叩く奴がいた。
 あ、山田スタイルの定だ。
「何言ってんだ!?素人かどうかなんて問題じゃないんだよ。一番面白い奴が勝ち残るのがこの大
会なんだからな。こいつは芸人じゃないけど、芸人以上の覚悟でここに来ているんだ!!」
「さ、定さん……」
 どつかれた頭がかなり痛かったのだろう。涙目を浮かべ頭をさすりながら、先輩であろう定の方を見
る。
「死んだ奴を演じる勇気がお前らにあるか?場合に寄っちゃ、どん滑りのリスク背負ってここまで勝ち
上がって来ているんだぞ。そんな泣き言言っている時点で、お前らは負けなんだよ!!」
「す、すいません!!」
 後輩二人は定に頭を下げる。
「俺に謝るな、こいつに謝れ!!」
 定に怒られて目が覚めたのか。
 俺はシロネコトマト二人に、ぺこぺこ頭を下げられた。
 ああ……でも、定の言葉は嬉しかったな。
 芸人以上の覚悟って、褒めすぎだけど。
 みんなそれぞれの覚悟をもってこの大会に臨んでいるわけだし。
 それでも、そう言われると嬉しい。
 谷澤円太を演じている甲斐があるというものだ。
 よし!
 俺はやるぞ!!
 全身全霊かけて、エンタの思いをみんなに伝えるんだ。
 そしてお客さんを笑わせて、笑わせて…………あ…………あれ?
「浅羽!?」
 不意に目眩を感じた。
 俺は湯間さんにもたれかかる形になった。
 この感覚、前にも覚えが。
 そうだ。
 今さんの舞台の時に、極度の寝不足と栄養不足でそうなったような───
 確かにここんところ寝てなかったのは否めないけど。
「おい、どうした!?浅羽」
 両肩を揺さぶり、声を掛けてくる湯間さんの声が遠く感じる。
 俺、もしかしてヤバイかも?
「おい!!もうすぐ出番だぞ、大丈夫なのか」
 定の焦る声も遠く聞こえて───
 
『ごめん……浅羽君』

 不意に声が聞こえた。
 聞いたことがある声だけど……あれ?

『最後のこの舞台だけは俺が出なきゃ』 

 誰?
 なんか、俺……気が遠くなる。


「ごめん、ちょっと目眩がしただけだよ」
 “俺”は額を押さえながら、もたれかかっていた湯間さんから離れた。
「浅羽?」
 湯間さんが訝る。
 それはそうだろう。
 普段の俺なら、そんなため口、湯間さんに言わない。
「もう出番だろ、計ちゃん、母さんが見ているからといってど緊張しないでよ」
「は!?浅羽……お前、何を言って」
「俺は浅羽じゃないよ。計ちゃん」
 くすっと笑う“俺”を湯間さんはまじまじと見る。
「え……お前……まさか……」
「はい、計ちゃんリラックス、デラックス、オイラックス〜」
 何言っているんだ?“俺”
 なんか身体や口が俺の意志に反して動いているような……いや、大丈夫俺は、ちゃんと俺の意識
もあるし。
「そのわけわからんギャグ……まさか、円太?」
「そうだよ〜、さ!楽しく漫才しましょーよ♪」
 湯間さんだけじゃなく。
 定や、その場に居合わせたシロネコトマトの面々も、あまりのことに目を白黒させていた。
「え……マジ、お前谷澤なんか?」 
 口を金魚のようにぱくぱくさせる定。
「何だよ〜、定吉、俺のこと忘れたの?」
「おい!湯間、お前コイツに俺のあだ名まで教えたのかよ!?」
「いや、教えてないけど」
 確かに俺は定のあだ名は知らない。
 知らないのに言っている。
 俺、おかしくね?
「あー、早く漫才やりたいな!漫才。もー、一番最初にやりたいね、俺は!!」
「お前───
 湯間さんは、その瞬間目から涙がこぼれ落ちた。
 よく谷澤さんが言っていた言葉だ。
 俺は、やっぱり無意識のうちにその言葉を出していて。
 本当に俺自身が谷澤さんになっちゃった気分だった。
「あー!!本番前に泣くなよ」
「な、泣いてなんかねぇ!!」
「これから漫才やるんだし、ネガティブなことは考えない〜。俺たち最後の漫才だぜ?最高に楽しまな
きゃ!!」
 “俺”は、そう言って、にっと歯を見せて笑った。
 
   湯間さんは目を擦りながら、大きく頷く。
「ああ、そうだな。お前の言うとおりだ。円太」



 決勝ステージ
 花吹雪と共に、俺たちは舞台へ出た。
「とぉ!」
 “俺”は思い切り声を上げてその場でジャンプする。
「なにやってんだ!?馬鹿」
 後ろから湯間さんに叩かれる。
「おひょ!?いきなり突っ込まないでよ」
「いきなりぼけるからだろ!?」
 その瞬間、客がどっと笑う。
 おお、何だか楽しい雰囲気になってきたぞ。
 何だろう?
 何だか本当に俺、谷澤円太になった気分だ。
 漫才が心の底から楽しくて。
 舞台で演じているあの高揚感と同じだ。
 それは湯間さんも同じなのか、今までになくテンポが軽やかで、本当に昔からの友達と話している
かのように“俺”と話していて。
 いや───
 湯間さんは多分、俺じゃなくて円太と話しているんだ。
「そのジャンプで思い出しましたけどね、最近戦隊ものにあこがれているんですよね〜」
「はぁ!?お前、それまずいだろ?」
「何でよ?」
「変態モノって、パンツでもかぶって街中歩くつもりか」
「そうなんですよ、パンツをかぶってね、宇宙人と対決……違うわ!変態モノじゃなくて戦隊モ
ノ!!」
 あははは、と会場が爆笑する。
「確かに宇宙人じゃなきゃ誰も相手しないよな、そんな奴」
「もう一回言うぞ。変態物じゃなくて、戦隊モノ!!分かるか!?」
 パコンっと湯間さんは“俺”の頭を叩く。
「洗濯物……」
「せ・ん・た・いもの!」
 湯間さんが目を三角にし、口をへの字にした状態で歯を剥く。
 会場はまだ笑いが続いている。
「で、せんたいものとは何ですか、兄さん」
「そこからかよ!戦隊モノというのは、赤、青、黄、緑、ピンクと、色分けされたマスクとスーツで武装し
───
「あ、分かった、分かった。子供の頃に見た見た。黄色のスーツ着た奴がカレー喰う話だろ」
 “俺”は、目をクリンとさせて可愛らしく笑う。
「それだけじゃねーよ。世界征服を企む悪の組織がいて、手下の怪人が悪いコトをするんですよ」
 “俺”はその瞬間。
 不意にノートに書いて会ったこと以外のフレーズを思いついてしまった。
は湯間さんに片目を閉じる。
   予定外の台詞を入れる時、いつもこれで合図を送るのだ
「おうおう、おめぇら何処めぇつけて歩いとんじゃぼけぇ。俺か?俺はデバルタ星からやってきたホトポ
ト=キェッチョリーで、職業は係長だ」
「どーゆー敵!?それ!!というか、係長って何処の係長!?」
 すぐさま湯間さんが突っ込みを入れる。さすがにこういったアドリブの対応には慣れている。
 会場がどっと揺れる。
 俺はますます楽しくなって
「それはデバルタ星にある鈴木建設という会社で……」
「待て待て待て!!何、鈴木って。それ釣り馬鹿の浜ちゃんの会社だし」
「たまたま名前が一緒なだけですよー。鈴木も良くある名字だし、建設だってよくある会社だし」
 どどっとまた笑いが起こる。
「話が脱線してる!!とにかく、その悪い奴らを退治すべく、色違いのスーツを着用した五人の戦士
が活躍するんですよ。主人公がレッドで、ブルー」
「カレーに緑にピンク!」
「カレーじゃねぇよ!いいか、お前、まずカレーから離れろ」
「いやでも、やっぱり日本の食卓にカレーは欠かせないと思いますが」
 俺はふぐのように口をぷくっと膨らまし反論する。
 会場から「うわ、マジエンタそっくり」という声が聞こえた。
 湯間さんはノリにのった口調で続ける。
「今は戦隊モノの話!で、五人戦隊が怪人をやっつけるんですよ」
「五人がかりでね。卑怯でしょう?」
「怪人も大勢の配下を引き連れて来てんだよ!!」
「ああ、そうだった、そうだった。ふはははは、現れたな。よし、お前らあの五人をやっつけてやれ」
 俺は司令官の怪人を演じ、次ぎに多数の手下を演じる。
「ヒーヒー!!  ヒーヒー!!」
「そう、そう。こんな感じで出てくるんですよ」
「シャーシャー!!シャーシャー!!」
「……ま、多数ですからね、中には妙な声をする奴も居たりして」
「ひゃっほーい!!ひょごごごごごご!!」
「それはないから。手下役はもういいから」
「えー、これから良いとこだったのにー」
「そろそろ五人戦隊を出させろ。とにかく雑魚を蹴散らして、怪人をやっつけたものの、そこで簡単に
は倒れない。巨大化して今度は町を荒らしだすんですよ」
「最初から巨大化してりゃいいのに」
「ソレを言ったらおしまいだろ。で、五人戦隊もそれに対抗して巨大ロボに乗るんですね」
「最初からロボに乗って、怪人踏みつぶせば良かったんじゃね?」
「だから、それを言うなって!!で、そのロボットの必殺技で怪人をやっつけるわけですね」
「恐らくその攻撃に巻き込まれ、住人たちもも……」
「それはないから」
「それはないとお前よく言い切れるな!あの必殺技にどれぐらいのエネルギーがかかると思っている
んだ?自衛隊の最高装備をもってしても敵わない巨大怪人を一撃でやっつけてしまうんだぞ?周辺
住人に影響がないわけないだろう?ああ!30年ローンで買った俺たちの家がぁぁぁ!誰が保証して
くれるんだよ!?今のはどっちの攻撃だ!?怪人かそれともブレクファーストマンの仕業か!?どっ
ちに損害賠償請求をしたらいいんだ!?仕方がない、怪人は宇宙人で日本語話せないだろうから、
話しやすいブレクファーストマンの方に請求をした方がよさそうだな。まずは弁護士に相談……いや
弁護士も金は掛かるからなぁ。まずは金の調達から始めないと。ここは隣の金持ちの坊やを誘拐し
て、金を貰ったら北斗星に乗って逃避行するという算段で」
「突っ込みどころは他にも満載だが───何、ブレクファーストマンって」
「五人戦隊の名前」
「勝手に名付けるなよ!」
「朝飯戦隊ブレクファーストマン!!トマトレッド、コーヒーブラック、ブロッコリーグリーンに、たまごイエ
ロー、ピーチピンク」
「旨いこと言うな。イエローはカレーじゃないんだ?」
「あ!しまった。前言撤回。カレーイエローってことでヨロシク!!」
 “俺”はしゅたっと客に向かって敬礼をする。
 そこで湯間さんがまた後ろ頭を叩いて突っ込む。
「どうでも良いわ!まぁ、こうして五人戦隊のおかげで怪人はやっつけられるわけなんですよ。そんな
正義の味方役を演じたいんですよねぇ」
「じゃあ、俺レッドやる。お前ブルーな」
「勝手に決めるなよ!そもそも怪人役は!?」
「あのジジイでいいだろ」
 本当はお客さんを適当にさして、「あいつでいいだろ」というところを、“俺”は、白鳥カオル氏を指さし
て言ってやった。
「もういいわ!どうもありがとうございました」
 “俺”と湯間さんは深々とお客さんに頭を下げた。
 会場がその瞬間、笑い声と拍手で一杯になる。
 ああ……終わってしまった。
 楽しいことって、なんてあっという間なんだろう。
 
 ───もっと漫才続けたかったなぁ。


「円太!?」
 会場を後にした瞬間。
 “俺”は、がくりと膝を着く。
 そして駆け寄る湯間さんに、顔を上げにかっと笑って言った。
「楽しかったね、計ちゃん」
「円太……」
「計ちゃんと漫才やった10年間、本当に楽しかったよ」
「何言ってんだ。そりゃ俺だってそうだよ」
 堪えきれず、涙をぼろぼろこぼしながらも湯間さんも笑みを返す。
「母さんも、見に来てくれてありがとう」
「……っ!?」
 湯間さんがはっとして、円太の視線の先、背後を振り返る。
 そこには定に連れられて舞台袖に来ていた、谷澤さんの母親と妹が立っていた。
 彼女はそっと“俺”に歩み寄る。
 そしてその身体を抱きしめた。
「円太、面白かったわ。今回の漫才」
「母さん……」
「今までで最高の出来よ。例え優勝しなくても、私の中ではあなたが一番よ」
───ありがとう」
 “俺”はゆっくり目を閉じる。
 よかった、これで思い残すことはない。
 最後に優勝かどうかは気になるけど───もう、行かなきゃいけない。
 ……。
 ……。
 ……。
 ……。
 ……。
 ……いや、いや。
 行くって、何処に行く!?俺。
 俺は別に何処にも行く必要はないし。
 ただ……

『ありがとう、浅羽君』


どこからとなくそんな声が聞こえたような気がした。


 そして山田スタイル、サンドラ、と決勝に残ったコンビの漫才も爆笑の中終了した。
 誰が優勝してもおかしくない。
 俺と湯間さんは山田スタイルと共に、最後に漫才をしたサンドラが立つ舞台へ出た。
 そして準決勝の面々も舞台に。
 あとは審査員の判定のみ。
 今度はどのチームが最も良かったか札があがるというシステムだ。
『漫才の頂点に立つのは誰か!?審査員の方、お願いします』
 MCが言うと、審査員が札を上げた。
 サンドラ、エンタ☆ケイタ 山田スタイル。
 問題の白鳥氏は……おお、エンタ☆ケイタの札上げてる!?
 他は山田スタイル、エンタ☆ケイタ、エンタ☆ケイタ。
 うわ!?
 これはもしかして、もしかすると!?

『決まりました!!優勝エンタ☆ケイタです!!』

 一瞬目の前が真っ白になったかと思うと、無数の紙吹雪が視界を覆った。
 スポットライトが一斉にここに集中したのだ。
「やった!やった、やった、やった、やったぁぁぁ!!エンタぁぁぁ!!やったぜ!!」
 湯間さんがひしっと俺に抱きついて、号泣した。
 いや、俺という寄り、俺を介して谷澤さんにだきついているんだろう。
「ちくしょう!!また負けたぜ、この野郎!!」
 何故か山田スタイルの定まで、泣きながら俺に抱きついてきた。
 会場は一斉に拍手とエンタコールがわき起こる。

 エンタ!!
 エンタ!!
 エンタ!!

『審査員の方に話を伺います。白鳥師匠、どうでしたか、今回の漫才王は』
 MCの問いかけに、白鳥氏はにやっと笑い。
「今回はやられたね、そこのお笑いど素人の小僧に。他の奴ら!!まだまだなっとらんぞ!!このば
かもんが!!」
 毎年、喝を入れたコメントがこの人のお約束だ。
 その隣の若い審査員は真逆に、穏やかな声で言った。
「きっと谷澤君が生きてたら、そんな風に演じていたんだろうな……って思うとね。漫才は可笑しくて
仕方がないのに、何だか泣けてきたよ。泣いちゃいけない大会なんだけどね」
 涙ぐみながら言った。
 客の中にもエンタを偲び、泣き出す人もいた。
 本当に沢山の人たちから愛されていたんだな。
 谷澤さん……
 貴方を演じられたこと。
 俺は生涯誇りに思います。
 ああ、でも出来ることなら───

 そんな谷澤円太という人に、俺も会いたかったな。

 
 



 それから。
 マスコミはもっぱら、円太を演じていたのは誰だったのか!?
 という話題で持ちきりだった。
 今日もドラマの撮影場であるスタジオにマスコミが張り付いていて。
 ワンシーン終わる度に。
「谷澤円太を演じていた人って誰なんですか?」
 と飛びついてくる始末。
 撮影の邪魔になるから、といってその記者はつまみ出されたけれども、それでもまたワンシーンが
終わったら同じ記者がこっちへやってきて。
「いいじゃないですか、教えてくださいよ〜」
 と、こびるように言う。
 あの……目の前にいるんですけどね。
 そしてまたその記者は巨漢なスタッフによって今度は肩に担がれて、スタジオから追い出された。
 そんな様子を見ながら、湯間さんは俺に問う。
「良かったのか?これで」
「ええ」
 俺は頷いた。
 俺自身の希望もあり、浅羽洋樹の名前は公表しないように湯間さんに頼んでいた。
「公表すりゃ、一躍スターになるのにか?」
 苦笑する湯間さんに、俺は首を横に振った。
「決勝の舞台、あそこに立っていたのは、まぎれもなく俺じゃなくて、谷澤円太だったんです」
「……」
 それにファンにとっても、そうあって欲しいと思っている人は沢山いるはずだ。
 俺の名前を出すと、あそこにいたのは谷澤円太ではなくなってしまう。
 だから出来る限り、演じていた俺の名は伏せておこう、と心に決めていた。
「それに賞金も半分貰ってますから、それで十分ですよ」
 そうそう。
 漫才王のキングには賞金一千万が渡されるのだ。
 その内の半額を俺は貰っている。
 500万……何に使おうかな。
 家に仕送り……するほどお金にも困ってないしな。
 うーん、お互い時間が出来たら、湊と温泉旅行にでも行こうかな。
  ドラマの撮影が終わると今度は。
「あらん、待っていたわよ。湯間ちゃん」
 スタジオのエントランスで、腰をくねくねさせながらすり寄ってきたのはムーンライト社の小賀間さん
だ。
「ああ……あんたね」
 湯間さんはげんなりする。
「何、そのつれない返事。今度こそ返事を聞かせて貰うわよ。あなた俳優一本でやっていく気はない
の」
「ないっつーの」
「でも……相方さんは気の毒なことにはなったけれども……あなた一人でやっていくつもりなの?お
笑い」
「ま、俺一人じゃ無理だな」
「だったら───」
 小賀間さんがそう言いかけた時。
 スタジオの自動ドアからハイな声が響き渡った。
「湯間ちゃーん、迎えに来ちゃった−」
「ああ、イトちゃん!」
 湯間さんがしゅたっと手を挙げる。
 ああ、物まねのイトマキさんだ。
 彼は軽やかな足取りでこっちに駆け寄って言った。
「早く行こうぜ〜!!もう、俺、胸がばくばくして、落ち着かねーんだ!!」
───いや、落ち着けよ。頼むから」
「だって漫才なんて何年ぶりだか」
「そうだな、お前数年前に相方に逃げられたもんな」
「それ言うなって!!」
 そんなやりとりに俺は湯間さんとイトマキさんを交互に見、小賀間さんはメガネを押し上げまじまじと
そんな様子を見る。
「あ、あの湯間さん……?」
「ああ、よーするにそう言うこと。会社命令でな、イトちゃんと組むよう言われたんだ」
「会社命令って……」
「どうもイトちゃん、漫才をやりたがっていたみたいでな。だけど相方が見つからないし、お前がとりあ
えず助けてやれって、社長からの命令」
 肩をすくめる湯間さんに、小賀間さん、ハンカチを噛んできーっと叫ぶ。
「そんな命令無視しなさいよ、無視!!」
「一応社長には、食えないときメシ奢ってくれた恩があるんでね。じゃ!」
 そういうと湯間さんはイトマキさんと共に走ってスタジオを出て行った。
 俺はそんな二人の後ろ姿を見てふと思い出す。
 
『じゃ、行こうか。東京に』
『うん』
『住む場所はもう決めてあるんだ。そこでバイトしなが暫く頑張ろうぜ』
『俺、早く漫才やりたいなぁ』
『だよな。俺、考えたんだけどさ。今度住むアパートの近くに公園があるんだ。そこでストリートライブ
やらね?』
『すとりーとらいぶ?』
『路上で漫才やるんだよ。通行人がお客さん。漫才の稽古にもなるしさ』
『うん、やるやる!!』
 
 そうして二人は、希望を抱いて東京へ走り出した
 俺が福岡に行った時に見たあの夢は、実は谷澤さんが見せてくれたのだろうか。
 なんかそんな気がしてならない。

 きっとこれからも湯間さんは、あの笑う舞台に立ち続けるのだろう。

「ところであなた!」
 不意に、気持ち悪いおっさんの顔が目の前に。
 うお!?
 小賀間さん!
 近い、顔が近すぎ!!
「な、何ですか」
 後ずさりする俺に、ずずいと迫る小賀間さん。
「あなたさっき良い演技してたわね。それにメガネ外したら、高崎なんかよりよっぽど綺麗じゃない」
 高崎は長台詞を覚えられないという致命傷があるのだが、良い演技はするんですよ。
 それに一応メル友だしな。
「あ、あの……何か」
「今、何処の事務所にいるの、あなた」
「え……凪プロですけど」
「あそこより倍の給料出すわよ!ムーンライト社に来なさい」
 命令形だし!!
「いや、俺の一存で返事は。社長に直接掛け合ってください」
 俺は顔を真っ青にしながら、笑顔のまま走り出した。
 逃げなければ!
「可愛くない返答ね!!でもそこもまたキュートだわ」
 後ろからそんな声が。
 変な人に目をつけられたなぁ。
 一応永原さんの紹介で所属することになった事務所だ。
 そうそう簡単には変われやしない。
 それに別にそんなに金銭的にも逼迫してないし。
 賞金もらったしね。
 そんなこんなで。
 世間に俺の名前が公表されることはなかったけれども。
 後に親から電話が掛かってきて。
『洋樹!私は役者になることは認めたけれども、芸人になることは認めてないわよ!!』
 と久しぶりのヒスがかった母親の声を聞く羽目になったり。
 KONに行ったら行ったで。
『てめぇ、漫才師になるんだってなぁ!!』
『浅羽君嘘でしょ!?』
 今さんに怒鳴られたり、工藤さんに泣かれたり。
 誤解を解くのに結構時間がかかったのだった。


 一週間後


 俺と湯間さんは福岡にいた。
 空港を出るとすぐにタクシーに乗り、谷澤さんのお墓があるお寺へ向かう。
 湯間さんの手には漫才王の称号であるトロフィーが。
 座高の高さぐらいはあるそれを、飛行機の中まで持ち込んだので結構目立つんだよなぁ。その間に
も湯間さんに声を掛けてくるファンもいたりで、俺は湯間さんに話しておきたいことがあるのに、なか
なか話せずにここまで来てしまった。
「エンタの母さんも来てるだろうな」
「……」
 今日は谷澤さんの49日だ。
 法事は既に親族の間だけで済ましているそうだが、今日は今日で多分お墓参りに来るだろうと、湯
間さんは言った。
「湯間さん、あの俺、前々から話そうと思っていたんですけど、実は一回来ているんですよね、福岡
に」
「ふうん、何し?」
「谷澤さんのお母さんに会いに」
「へぇ、そうな……何だとぉ!?」
 タクシーの中、素っ頓狂な声を上げるモノだから運転手のオジサンはびっくりして、急ブレーキをか
けた。
 俺たち以外車通りのない車道だったから良かったけど。
「いきなり大きな声ば出さなかでくれんね!!」
 運転手さんに怒られ、すいませんと謝ってから、湯間さんは俺の耳をひっつかんで小声で問う。
「どーいうことだよ、そりゃ」
「あいたたた、いや……少しでも谷澤さんの気持ちを理解しようと思って。気づいたらここに来ていた
というか」
「気づいたらって……お前、アホか!?」
 怒鳴られて漫才のノリで後ろ頭を叩かれたのだった。
 それから谷澤さんのお母さんが湯間さんに謝っていたことも話した。
 それについては。
「んなの気にしなくても良いのになぁ……」
 軽く笑って肩をすくめてから、窓の方をみた。
 自分はまったく気にしてないように振る舞っているけど、湯間さん自身も心配だったんだろうな。お
母さんのことは。
 それから小一時間後。
 近くの花屋の前でタクシーは止まった。そこで花束を買ってから、墓地へと向かう。
 水汲み場でひしゃくと水を入れたバケツを持って、谷澤さんのお墓の方へ行くと……あれ?
 俺たちの前に、手を合わせている人がいる。
 ファンの人かな?それとも親族の人か……。
 でもどっかで見たことがあるよーなシルエット。
 年は初老過ぎた感じで、メガネをかけて───え?
 何で?
 何でこの人が福岡にいるわけ?
 いやいや。
 福岡にいる以前に、何で谷澤さんのお墓の前で手を合わせているの??
 その人は俺たちの存在に気づくと「あ!」っと声を上げる。
 いや、この人が声を上げる姿、俺生まれて初めて見たかも。
「洋樹……」
「父さん、どうしてここに?」
 俺の言葉にぎょっとしたのは湯間さんだ。
 予想もしなかった人物だもんな。
 そりゃ俺だって全く予想してないよ、身内とこんなトコで会うなんてさ。
「……えーと、それは、その」
 何だか口ごもっている。
 父さんらしくないぞ。
 その時だった。
「浅羽さん!!」
 喪服を着た少女が、母親と共にこちらに歩み寄ってきた。
 あ、少女じゃなくて女性だった。
「輪香さん……それにお母さんも」
 湯間さんも軽く二人に会釈する。どこかぎこちない笑みを二人に浮かべ。
 しかし輪香さんはそんなのはお構いなしに。
「計ちゃん、お久しぶり〜」
 ほんわかとした口調で、声をかける。
「輪ちゃん、全然変わってないな」
「何それ〜、童顔って言いたいんでしょ、どうせ」
 まるで兄妹のようなやりとりだ。
 実際彼らはそんな間柄なのであろう。
 そして、谷澤さんのお母さんもどこか複雑な笑みをうかべながら湯間さんに言った。
「湯間君、あの時は……」
「ああ!もう、そういう辛気くさいことはナシにしましょ!!円太も困ってしまいますよ」
 湯間さんはお母さんに何も言わせまいと、首と手をぶんぶん横に振った。
 そして話を変えるように俺の後ろ頭をひっぱたいて。
「それよりも!この前は、こいつがいきなりお邪魔したみたいで」
「本当に、あの時はびっくりしましたよ。あの浅羽さんが福岡にあるウチまで来てくださるんですもの
ー」
「行くんだったら俺も誘えよ!暫く里帰りしてなかったし、それに俺とエンタの思い出の場所も案内し
たのによ」
 ぶつぶつぶつぶつ、口を尖らせて文句をたれる湯間さんに母娘はくすくすと笑う。
「でも、本当に驚いたわ。あなたが息子を演じた時には……」
 彼女はそう言って俺にふわりと微笑みかけた。
 うわ。
 ウチの母さんより年上なんだろうけど、本当に綺麗な人だなぁ。
 こんな人と知り合いの父さんって、結構隅に置けないかも。
「おかげで、息子に言えなかったことを、伝えることが出来たもの。本当はね、あの子が漫才王で優
勝した時、私思い切り褒めてあげようって思ったの。あの子が医者の勉強してた時、私“がんばれ”と
は言ったけど、“よくやった”とは言ってなかったなって思って」
 ああ……
 だからあの時、俺のことを抱きしめて。

“今までで最高の出来よ。例え優勝しなくても、私の中ではあなたが一番よ”

 って言ってくれたのか。
 うん、多分谷澤さんにもその思いは伝わっていると思う。
 何となくそんな気がするのだ。
 すると湯間さんが俺の首に腕を回し。
「いや、おばさん。俺はね、あの時コイツに円太が憑依していたと思うんですよ」
「まぁ、湯間君もそう思った?」
「だって俺と円太しか知らないことまで言い出したんですよ!」
「まぁ!!本当に!?」
 驚きと感激に目を輝かせるお母さんに俺は、なんか否定しづらくなる。
 いや、実際に俺自身もなんとなくそんな感じがしてしょうがないのだ。
 あれは俺が円太になりきっていたのか。
 それとも尋常ならざる力が働いて、俺が円太になってしまったのか。
「でも、本当にありがとうね。浅羽君。あの人にもよろしく言っておいてね」
「あの人って?」
「あなたのお父さんよ」
「ああ……」
 あの人呼ばわりするから、誰かと思っちゃったよ。
 つーか、本人そこにいるんですけど。
 俺は黙って後ろに隠れるようにして突っ立ている父親を指さした。
「まぁ、浅羽君!」
「……お久しぶりです、先輩」
 うわあ……父さんがへこへこしてるし。
 学生時代、この人に頭が上がらなかったんだろうな。
「おばさん、浅羽の父さんと知り合いなんですか?」
 尋ねる湯間さんにお母さんは頷く。
「ええ、大学の後輩なの」
「へぇ、意外な共通点。医者の業界って結構狭いんだなぁ」
 感心する湯間さんだけど、俺はどうも納得できない。
 お世話になった先輩なのかもしれないけど、だからといってその息子に墓参りにわざわざ福岡から
来るかな?
 父さん大体忙しいはずなのに───
「父さん、本当に大学の先輩と後輩という間柄なの?」
 念のため聞いてみる。
 すると父さんはがっくりと項垂れて。
「いや、いつか話さなきゃいけないとは思っていたんだが……実は洋樹。お前には兄と姉がいるかも
しれないんだ。あ、正確に言えば今は姉だけになってしまったが」
「は!?」
「実はそこにいる輪香さんと、それから円太君は私と先輩の」
「浅羽君、それはないって言ったでしょ!」
 全て言い終わる前に、鋭いお母さんの声が響く。
「で、ですが、先輩。どう考えても、この子たちはあの時に出来たとしか───
「だーかーら!違うって言っているでしょ。この子たちは教授の子で、あなたとはあの一夜限りだった
じゃない。確率として低いわよ、低い!」
「しかしなぁ、テレビで洋樹が円太君を演じた時、私はやっぱりこの二人は兄弟だとしか思えなくて」
「何言ってるの。洋樹君は100%母親似じゃないの。似たのはたまたまよ!!」
  周囲をほっといて言い合う二人だけど。
 話を整理してみよう。
 谷澤さんのお母さんはどうも、教授クラスの人物とお付き合いをしていた。(多分不倫)
 でも何かしらの理由で、父さんとむにゃむにゃな関係になって。
 それから程なくして、谷澤さんと輪香さんが出来たってことか。
 谷澤さんのお母さんは真っ向から否定はしているけど。
 少なくとも父さんは、谷澤さんたちを自分の子供だと思っているわけだ。

 ……って、ええええええええ!?

 それがホントなら、俺と谷澤さん……それに輪香さんとも兄弟ってことになるじゃないか。
 でも産んだ本人は違うって言ってるし。
 いや、でもひとつ引っかかっていたことがあるんだよなぁ。
 俺が医者を継がずに、役者になったという話を聞いて、この人今一度谷澤さんを医者になるよう説
得しにいってんだよな。
 何で俺が医者継がなかったからって、谷澤さんを説得しに行く必要があるんだ??
 とは思ったんだけど、俺と谷澤さんがもしホントに兄弟だったら納得できる。
 跡継ぎがいなくなってしまった父を可愛そうにおもった、谷澤さんのお母さんが、今一度自分の息子
を医者になるよう説得して、ゆくゆくは浅羽医院の跡継ぎにって考えたのかも知れない。大体、自分
トコの病院には輪香さんという立派な跡継ぎがいるわけだし。
 俺はちらっとお墓の方を見た。
 もしかしたら、もしかするかもだけど。
 そう思うと、俺は無性に谷澤円太に永久に会えないことが悔しく思えた。
 本当に生きている時に会いたかった。
 会って話がしたかったな。
 舞台の話とか。
 お笑いの話とか
「せっかくだからみんなでご飯食べに行きましょうよ」
 輪香さんがほんわかとした笑顔で言った。
 難しいことは考えない、というのが彼女の主義らしい。
 湯間さんがはいっと手を挙げた。
「あ、じゃあ俺奢りますよ」
「あら、年長の私が奢るわよ」
 谷澤さんのお母さんが片目を閉じる。
「何言っているんですか、此処は男である俺が……」
「だったら、年長で男である私が」
 手を挙げかける父さんを、谷澤さんのお母さんはきっと睨む。
「あんたは私の後輩でしょ、黙ってなさい」
「……はい」
 父さん、本当に頭上がらないんだな、この人に。
 そんなやりとりをする父さんと湯間さんとお母さんに。

『あはははは……』

 どこからともなく、軽やかな笑い声が聞こえたような気がした。


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