笑う舞台5




漫才王グランプリは数多くの芸人コンビが競い、予選に勝ち残り、準決勝へ勝ち上がった人間だけが
OAされる決勝に出ることが出来る。 売れない芸人にとっては、自分たちの存在を知って貰うチャン
スであり
 既に売れている芸人にとっても、自分たちのステイタスを高める場でもあるのだ。
 ちなみに予選は9月から12月にかけて、東京や大阪の他に北は札幌南は福岡などの各地で予選
が行われる。
 その中の1回戦、2回戦と勝ち抜いた人間だけが、この東京にある準決勝の会場に来られる訳だ
が、エンタ☆ケイタは、エンタが亡くなる前に既に準決勝の切符を掴んでいたので、俺は初の漫才で
いきなり準決勝の舞台を踏むことになる。
 準決勝の審査は観客。
 どのコンビが最も面白かったか、観客の投票数が多かった者たちが決勝戦に出られる。
会場は、東京シーサイドパーク
 公園の中心にもうけられた野外ステージは、冷たい海風が吹いているにも関わらず、人々の熱気
にあふれていた。
『次は、今やテレビでもおなじみ、ホカパカブラザース!』
 兄弟漫才で有名なかのコンビが終わったら、俺たちの出番だ。
 ……谷澤さんのお母さんは、あの観客の中にいるだろうか。
 それが少し気になった。
 会場からはどっと笑いが聞こえる。
 さすが第一線で活躍している芸人だけに、安定したしゃべりだ。
 兄の方がおどけると、弟がすかさず突っ込む。
「もういいよ、いい加減にしろ!どうもありがとうございました」
 最後に兄弟そろって深くお辞儀をして、漫才が終わった。 
 湯間さんが俺の肩を叩く。
「行くぞ」
 俺は頷く。
 誰がなんと言おうと、俺は今谷澤円太その人だ。
『次はお笑いZでも活躍!エンタ☆ケイタの二人でっす』
 芸人である司会者が、エンタの挨拶を物真似て紹介する。
 エンタがもはやこの世にいないことはみんな知っている。だけど司会者はその点は何事もないかの
ように、いつものように俺たちを紹介する。
 だけど観客たちはそうはいかない。
 エンタという名前を聞き、響めきが生じる。
『だって……エンタって確か』
『そうだよ、事故で死んだって』
『じゃあ、アレ誰だよ』
 興味津々な目もあれば、訝る目もある。そして反発の目も───
 人を笑わせるには、あまりにも不利な空気だ。
 だけど、誰がなんと言おうと、俺は俺の演技を貫くだけだ。
「はい、どうもこんにちはー」
「皆さん、いえいえ皆様。こんにちは。いやいや今晩わ。今宵、このエンタめ、現世に舞い戻ってまい
りました」
 そこで湯間さんが一瞬、ぎょっとした表情になる。そうなんだ、この台詞は俺自身がアドリブで言っ
ているのだ。だってもし俺がエンタなら自分の状況を笑いに変えようとするだろうから。 
「おおっと、そこのあなた、こんなワタクシめに惚れてはいけませぬ。ワタクシめは皆のもの、国民的
スーパーアイドル漫才師。お年寄りから子供まで俺様の瞳にいちころ。ウィンク一つでノックダウン。
美声はまさに京の西陣織、人々は俺様をあるときは蒼い風、あるときは赤い炎、あるときは黄色いカ
レーと例える、そんなさすらいの吟遊詩人エンタ・ケイタ……でっす☆」
「訳分からな過ぎるわ、ぼけ!」
 すかさず湯間さんが俺の頭を叩く。
 そこで観客たちはどっと笑う。
「突っ込みどころが多すぎてどっから突っ込んでいいか分からんわ!」
「ワタクシめの完璧な挨拶のどこが不満じゃというのじゃ」
「それ!最初はワタクシめとか言いながら、途中で俺様になってだだろ!?」
「何のことじゃ?」
「あとワタクシめと言いつつその不遜な物言い。お前は平安貴族か!?」
「なんじゃ!?そちは平安貴族とやらに会うたことがあるのかえ?」
「ねーよ!」
「会うたこともないくせによくもそのようなことを……おほほほほほ」
「気持ちワル!その言い方やめろ」
「ところで俺、最近刑事ドラマにはまっているんだよね」
───ホントに止めやがった。つーか切り替え早!」
 先ほどから部分部分、笑いの波が起きていたけれども、そこでまた大きな波が起きる。
 これだけ笑ってくれると気持ちいいな。
 なんかエンタがお笑いにはまる理由もよく分かる。
「あれ見ていたら、俺犯人役やりたくなったんだよね」
「刑事じゃなくて犯人か?」
「というわけで、そちは刑事じゃ」
───また平安口調に戻った。おい、お前ここからは、平安口調でしゃべるんじゃねーぞ」
「じゃ、始めるぞ。ふはははは、ばれちゃあ仕方がねぇ。確かに俺が奴を縛り上げてむしろで太巻きに
して隅田川の河川敷に捨てたのよ」
───確かに平安口調じゃなくなったけどな。しかも説明くさい自白だな」
「だけど証拠がねぇよなぁ。金さんとやらもいないしなぁ。お奉行様よ、なんならあんたが金さんを連れ
てきたらどうだい!?あははははははは」
「それ、刑事ドラマじゃねぇだろ!?」
 どっと笑いが起こる。
 ああ……何か楽しくなってきたぞ。
 演じていることが楽しいのか。
 それとも漫才をやっているのが楽しいのか。
 あるいは両方か。
「もういい。俺が犯人役やるから、お前刑事やれ」
「ヤダ」
「ええ!?ヤダじゃねぇだろ!!お前犯人役出来てないんだから、刑事役に回れよ」
「仕方がないな。じゃ!Um criminoso e o senhor!」      
「は!?」
「Um criminoso e o senhor!」
「何それ」
「ポルトガル語で犯人はお前だって言ったんだ」
「何でポルトガル語で言うんだよ!?日本語で言え」
「ハンニンハオマエダ」
「何でロボット口調なんだよ……まいいや……参りましたね。いきなり犯人と言われても。証拠はある
んですか?刑事さん」
「モクゲキシャ、イル」
「そのロボット口調止めろ。目撃者って誰だよ。まさか金さんとか言うんじゃねぇよな?」
 胸倉を掴む湯間さんに、俺はばれたと言わんばかりに目と口を丸くする。
 埴輪みたいな顔つきになった俺に、会場から大笑いが聞こえた。
「やっぱりそのつもりか!目撃者じゃなくて証拠を言え、刑事さんよ」
「公務執行妨害で逮捕する」
「ええ!?もういいわ、どうもありがとうございました」
 俺と湯間さんは深々と頭を下げて会場を後にする。
 会場は先ほどの異様な空気とは一変して、笑い一色に染まっていた。
 うんいい感じ───
 と、そこに湯間さんが俺の後頭部をぱこんと叩いた。
「あ痛!」
 頭を押さえて振り返ると、湯間さんが腕組みをしてこっちを見下ろしていた。
 あ、怒ってる。
「あ、あの湯間さん??」
「お前、最初のアレは何だ!?」
「最初のアレって?」
「自分で言っておいて忘れたのかよ!?現世に舞い戻って来たとかいう下りだ!!あんな台詞言う
から、客がどん引きしてたじゃねーか」
「あ……」
 そうだった。
 そういや最初は結構微妙な空気だった。
 そうか、あれがいわゆる『すべる』という状況なんだな。
 俺は頬を?いて、言い訳をする。
「い、いやあ……何となく谷澤さんだったら、そう言うかなって思って」
「……」
「殆ど無意識だったんで、俺も何であんな台詞がでちゃったのかよく分からないんですよ。演技の調
子が絶好調だと、そういう感覚になったりするんですけどねぇ」
 やっぱそこが演劇と漫才の違いなのか。
 笑わせることが全てであるお笑いの世界で、そういったリアリティは不要だったかも。
 湯間さんは、額を押さえ「はぁ……」と大きなため息をつく。
 そうだよな、考えてみたら俺たち漫才王になるために戦っているんだから、不利になるような状況
は避けなきゃいけないよな。
 しまったなぁ……
───確かに、あいつだったら言うだろうな。もし、今この舞台に立っていたら、自分の今の状況を
お笑いに変えようとして」
「……」
「でもって、さっきみたいにすべるんだろうな……そうそう、あいつはそういうトコがあったっけ」
 突然、怒り肩だった湯間さんの肩が小刻みに震える。
 笑いを堪えている見たいだった。
 そして、俺の肩を叩いて言う。
「確かにお前は今、これ以上になくエンタだよ。エンタを演じきってやがる」
「湯間さん……」
「いいわ。お前、今のままでいけ。お前はあくまでエンタを演じる役者だ。お前が客を笑わすわけじゃ
ない。お前が演じているエンタが客を笑わすんだ。分かるよな?」
 俺は頷いた。
 ようは客を笑わそう、笑わそうと思い込むなと言いたいのだろう。
 俺がエンタを演じている限り、客は必然と笑いの渦に引き込まれる。
 それでいいのだ。
 俺は芸人じゃない。やっぱり役者なのだから。



 問題はこの準決勝の中から、決勝に選ばれるかどうかだ。
 残ったコンビは約70組。
 その中で選ばれるのは、10組である。
 最初、客がどん引きしていただけに、かなり不利な状況だ。
 結果発表がでるまで、コンビは会場の控え室で待っている。
 パイプ椅子が並べられただけのその場所にいてもたってもいられず周囲をうろうろしたり、空いてい
るスペースで腕立て伏せをしていたり、友達なのであろう他のコンビと話をしていたり。
 この場所は特別喫煙が許されているので、湯間さんはジャケットの胸ポケットからタバコを取り出
し、それをいっぽんくわえる。
 何だか俺も久しぶりに吸いたい……柄にもなく緊張してるからかな。
 とにかく10組に選出されなきゃ始まらないのだから。
「よぉ、湯間」
「ん?……ああ、定っち」
 声を掛けてきたのは、どっかで見たことあるぞ。
 えーと山田スタイルの山田定と山田和実だ。丸坊主の方が定で、背がちっこくてアフロの方が和
実。
 オンエアバトルで確かでてた!定の突っ込みは掌を鶴みたいに尖らせて構え突くのが特徴だ。
「なぁ、そいつ誰なの?」
 俺の方を見て、定が尋ねる。
 湯間さんはタバコに火をつけて、一息ついてからニッと笑ってから一言答えた。
「企業秘密」
「あ、そう。いや、いいんだけどさ。別に。ただすっげーびっくりしたからさ」
「ん?」
 定は顎のあたりを指で掻きながら、俺の方をちらちら見ながら言った。
「みんな口では言わないけどな。正直びびってんだ。アイツが帰ってきたみたいだって」
「……」
 アイツとは言わずもがな、谷澤さんのことだろう。
 確かにそれとなく、他のコンビからの視線を感じることはあった。
 なんかお化けでも見るよーな目で見られている感じだとは思っていたけれど。
 湯間さんはにやっと笑って、定の胸を指さした。
「そ。実際エンタはここに帰って来てんだ。いいか、今年こそキングの座は俺たちが頂くからな」
 すると、定もむっとしたように口をへの字に曲げ。
「そ……それは俺らだってそうだ。前回は惜しくも二位だったけどな。今回こそは───
「アホ、二位はスロウ店舗だろ」
「たったの1点差だ。ほぼ同点じゃねぇか。だから誰がなんと言おうと去年の俺たちは第二位なんだ
よ!」
 普段は軽口をたたき合う芸人仲間。
 だけどこの場においてはライバル以外何者でもない。
 お互いに譲れないし、負けられない。
 その時、会場内がざわついた。
 今や中堅で、TVの司会もこなす芸人中里さんがメモ用紙らしき紙をもってやってきたのだ。
 そして俺たちが固唾をのんで見守る中、メモ用紙を凝視し、そして俺たちの顔をじっと見回す。
 一瞬。
 俺と目があった瞬間、中里さんがにやっと笑ったのは気のせいか。
「あ、今俺の目をみて中里さんにやって笑ったぜ」
「いや、あんのニヤはワシらに向けたもんや」
 …………気のせいだったらしい。
 そうだよな、俺の後ろにいる人間とも当然目が合ってるわけだし。
「じゃ言うで。決勝戦進出者は、シロネコトマト」
 聞いたことがないコンビ名が上がったなと思った瞬間。
 会場の隅でわっと歓声があがった。そちらの方をみると、コンビ同士抱き合って泣いている姿があ
った。
「あと、まとまる星人、こーでぃねーたー、サンドラ……」
 名前が次々呼ばれ、そのたびに落胆のため息が。
 いや、俺もそうなんだけど。
 ああ……これから演劇のオーディションとか受ける時もこんな気分を味わうんだろうな。
 なかなか呼ばれないなぁ。
 俺たちの背後にいるコンビも、小声で「よしっ」と歓喜を抑えた声をあげる。
 中里さんと目があったのは後ろの人たちだったのかも。
 やっぱ、最初にどん引きさせちゃったのがまずかったかなぁ。
 せめて戦隊もののコントをお母さんに見て貰いたいのに……というか、来てるのかなぁ。谷澤さんの
お母さん。 
 ───なかなか呼ばれないなぁ。
「おい、浅羽」
「はい?」
「お前もっと嬉しそうなリアクションしろよ」
「何のことですか?」
「アホ!聞いてなかったのかよ、名前呼ばれただろ!?」
 頭を叩かれる。
 湯間さんのその言葉に、俺は何度か瞬きしてから、ぎょぎょっとした。
「いつ!?」
「今さっきだよ。何ぼーっとしてんだ」
 あ、あれ??
 だって俺の名前呼ばれて……あ、そうだった!今はエンタ☆ケイタってコンビ名で此処にでてるん
だった。
 なんか演劇のオーディションに出ている時の気分を思い出していたから、名前も浅羽洋樹って呼ば
れると思い込んでいた。何やってんだか。
 湯間さんは、そんな俺を見て苦笑する。
───ま、いいけどな。何心配してんだか知らねぇけど、今はエンタを演じることだけに集中しとけ
よ」
「はい」
 湯間さんには、谷澤さんのお母さんが来るかも知れないということは言ってなかった。
 言う必要もないし、それに、もし言ったことで動揺されても困るし……まぁ湯間さんに限ってそう言う
ことはないとは思うけど。これはあくまでエンタを演じる俺自身の問題だから。


「いや、俺最近婚活というものが気になってまして」
 湯間さんの言葉に、俺は腕組みをしてふむふむと頷く。
「ほほぉ、いいんじゃないですか。もういい年ですしねー」
「でも、こう、お見合いってやったことないから、ちょっと練習したいんですよね」
「OKOK、じゃあ、俺男役やるからお前女役な」
 さらっと言う俺に対しぎょっとする湯間さん。
「おい、今の場合、提案した俺が男役だろ?俺が婚活するのよ!?」
「とか言いながら、もう女口調だ」
「今のは弾みだよ!いいから、お前女役でいけ!」
 あははは、と客席から笑い声。
 揺れてきた会場の波に、俺もうきうきとした気分になる。
 演技が乗ってきたぞ。
「しかたないなー。じゃあ、初めまして。ワタクシ大門寺=ジェシカ=ゴールドバーグ=寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子パイポパイポ パイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダ
イのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長子でございます」
 言うまでもないが後半は寿限無をそのまんま言っている。唯一違うのが一番最後が長助じゃなくて
長子って所だ。ま、女性という設定だからね。
「長!どんだけ長い名前なんだよ。ちょっとぉ、普通の名前にしてくれない?」
「しかたがないなー。ワタクシ李凛凛言うよ。ヨロシク」
 敬礼をして自己紹介。
 会場はまたどっと笑う。
「いきなり中国人って設定?まぁいいや、えー、私は山田太郎といいます」
「何のひねりもないネ、名前」
「全国の山田太郎氏に謝れ」
「で、ぶっちゃけ年収はいくらよ?」
「ぶっちゃけすぎ!」
「まぁ、年収なくてもいいよ。私もうすぐビザ切れる。とりあえず結婚しろ」
「ヤダよ!何それ!?明らかに国籍目当てじゃん。そーゆー女の子はお断りだ!!」
「しかたがないなー。じゃあ、日本人って設定にするよ。はーい、あたしの名前は、山田花子。よろしく
ね」
「同じ名字なんですね。私も山田というんです。山田太郎」
「まぁ、なんのひねりもない名前なのね」
「お前もな」
「あらん、全国の山田花子さんにあやまりなさいよー☆」
「いらっとくるな。コイツはいちいちいちいち。まぁいい。花子さん、趣味はなんですか」
「趣味は骨収集……あ、英語ではボーンコレクター」
「怖!」
「という映画を見ることです」
「あ……なんだ。ボーンコレクターって映画あったもんな。というかそれしか見ないんですか?映画」
「はい」
───それも相当怖いけど」
「で、ジーローラモンの趣味は?」
「ジーローラモンって誰よ!?俺、そんな名前名乗ってないだろ」
「あ……ごめんなさい。ちょっと過去のことが」
「む……触れてはいけない傷だったのか。じゃ聞かなかった振りをして。えーと私の趣味はテニスで
す」
「テニス……はぁ、テニスですか」
「む……食いつき悪いなぁ。テニスは楽しいですよ。良い運動になりますし、今度一緒に」
「テニスとはネット越しにボールをラケットで打ち合う球技。複数の人間が1つの球を互いに打ち合うと
いう形態の球技の起源は、紀元前にまで遡ることが出来る。エジプトでは宗教的な行為のひとつとし
てこのような球技が行われていた」
 ここはエンタの得意技の早口だ。
 もう俺のMAX が5倍速だとしたら、今の台詞は6倍速であろうくらいのスピード感。
 そんなんじゃ周囲は聞き取れないだろうけど、話の内容なんぞどうでもいいのだ。ここではエンタが
早口で、どうでも良いことを言って周囲を圧倒させるのが狙いだ。
「あの花子さん??」
「エジプトに存在したこの球技は、古代ローマ帝国にもレクリエーションの1種類として引き継がれた
が、現在のテニスの直接の祖先に当たる球技は、8世紀ごろにフランスで発生し、当初はラ・ソーユ 、
フランス貴族の遊戯として定着をはじめた16世紀以降にはジュ・ドゥ・ポームと呼ばれた。
フランスでこの球技が盛んになった理由としては、ローマ時代の直接の影響よりも、8世紀から11世
紀まで、イベリア半島から南フランスまで進出していたイスラム教徒(ウマイヤ朝)が、エジプト時代と
同様に、宗教的行為として行っていたものに、キリスト教の僧侶が興味を持ち模倣したことからはじま
ったと言われている。現代のローンテニスに対して、初期のテニスは普通単に「テニス」と呼ぶが、こ
のことはあまり知られていない。「テニス」の名称は「トゥネ」という言葉に由来する。基本的なルール
やスコアリング方式はローンテニスと似ている部分もあり、ファイブズ (fives)、ペロタ (Pelota) などの
ハンドボールから発達した──────という競技ですよね。素敵です」
 笑いに紛れて拍手も起こる。
 これがまたエンタの芸でもあるのだ。
「いやいやいやいや……何、偉く詳しいじゃないですか。花子さん」
「いえいえいえいえ……ウィキペディアにそんなことが書かれていたなぁってことを思い出したんです
よ」
「いやいやいやいや……普通はそんなに覚えられないでしょう」
「いえいえいえいえ」
「いやいやいやいや」
「いえいえいえいえ」
「いやいやいや……っって、もういい!今度俺が女役やるから、一回お前男役やれ」
「しょうがないなー。初めまして、僕は大門寺=ジョンソン=ゴールドバーグ=寿限無、寿限無五劫の
───
「もういいわ!どうもありがとうございましたー」
  俺と湯間さんは深々と頭を下げる。
 会場は笑いと歓声が飛び交う。
 手応えは十分あった。だけど、此処まで勝ち上がってきた人間は、それぐらいの笑いはとって当たり
前だ。
 あとは審査員の点数待ち。
「いやいや、お疲れ様です」
 MCの芸人加古さんがにこやかに声を掛ける。
 そして俺の方にマイクを向けた。
「随分乗ってたみたいじゃない?“エンタ”君」
 事情を知る加古さん、俺のことはあくまでエンタとして接している。
 なので俺もあくまでエンタとして答える。
「はい、楽しかったですよ〜」
 瞬間。
 周囲はざわりとする。
『え……本物??』
『そんなわけないじゃん。だって谷澤円太は死んだって』
『でも……じゃあ、あれ誰だよ!?』
 一応、イトマキさんの物まねを研究して、俺なりに声も本人に近づけるよう口調や息づかいも変えて
いる。
 審査員の人もエンタをよく知る人は、目を擦ってまじまじとこっちを見ていた。
「本当にびっくりしたね。本物かと思ったよ」
 肩を震わせて笑うのは、お笑い界の重鎮である白鳥カオル氏だ。金髪に染めた7分刈りの頭、丸め
がねのサングラス。その下は淡いピンクの着物に薄紫の羽織。確か、御年80歳であの高城幸甚先
生とはマブタチとかいう噂だ。
「誰か分からないけど、よく演じていると思うよ。実際。でも正直芸人じゃあない人間はこの舞台には
上がって欲しくなかったね」
───
 湯間さんは僅かに目を見開いた。
 隣に座る比較的若手の審査員も、驚いた表情を老人に向ける。
 中には面白くなってきたと言わんばかりのベテランの審査員や、白鳥氏と同感だと言わんばかりに
頷く審査員もいたり。
 そして俺は。
 じっとこっちを見つめる老人の厳しい視線をしっかり受け止める。
 正直、そんな言葉が来るであろうことは予測していたから。
 俺ははっきりとした口調で答える。

「少なくとも、今此処に立っている俺は芸人ですよ」
 
 にこにこと邪気のない笑み。
 口調、声音はあくまで谷澤円太のそれ。
 そうなのだ、俺はあくまで谷澤円太を演じきること全力を注いでいるのだから、ここでの質問もあくま
で谷澤円太として答える。
 どんなお偉いさんが揺さぶりを掛けても、浅羽洋樹という人格を表に出すわけにはいかない。
「谷澤円太を演じている役者じゃないの?君」
「何のことですか、ジジイ」
 そこで客がどっと受ける。
 そうなんだ、エンタは大先輩に対してぼそっと失礼なことを言うのがお約束。
「あくまでしらを切るんだね」
「いえいえしらを切るも何も───いいから黙っとけ、クソジジイ」
 そこで客がまた笑い出す。
「おいこら!いい加減にしろ、仮にも大御所だぞ!あのジジイは」
 湯間さんが俺の頭を叩いて、突っ込むとさらに客が笑った。
 突っ込み自身もまた失礼なことを言うのがお約束。
「じじい、じじい言うんじゃないよ!まぁ、いい……お前さんがどこまで谷澤円太を演じきるのかとくと拝
見させてもらうよ」
 ジジイは……いやいや、白鳥氏はそう言ってにっと白い歯を見せて笑った。ただし右の八重歯が抜
けているので多少間が抜けている。あえて差し歯にしないのは、その方が受けるからという本人のこ
だわりがある。
『それでは審査員の方、点数をお願いします!』
 MCの言葉に、審査員は一斉にボタンを押す。
 電光掲示板には89、93、89……白鳥氏は75……98、96、80。
 むむむ、やっぱ白鳥氏は厳しいか。
 というか、このジジイ……じゃなくてお爺さん、毎年誰にでも厳しいんだけどね。
 総合得点は620点。
 おおおおお、今の所トップと5点差の二位だ。
 残ったコンビはあと三組。
 とにかく三位までに入らないと、決勝にいけない。
 どうにかこのままの順位でいてくれたらいいんだけど───
 俺たちはとりあえず舞台を後にした。
 そして控えの間の席につく。
 部屋にはモニターが設置してあり、次のコンビがコントを始めていた。
 あ、山田スタイルだ。
『最近俺好きな子できてん』
 山田和実は間抜けな口調で自分を指さして言った。
『ふーん、どんな子なん』
 腕組みをして頷く定。
『えーと性別は女でな』
『そらそーやろ。いや、男好きな人もおるけどな』
 ───ちょっとどきっとしたぜ。今の下りは。
 何せ俺自身、男と付き合ってるし。
 いや、基本俺だって女の子好きよ?
 でもたまたま本気になっちゃったのが男だったわけで
 そんなことをもんもん考えていた時。 
『で、生物学的にはサル目ヒト科ヒト属に所属して……』
『分かっとるわ!』
 定がキツツキのような手で、山田和実の頭を突っ込んだ。
 会場はどっかんどっかんと受けている。
 うわぁ、あのコンビかなり面白いかも。
 俺たち生き残れるだろうか?
 戦隊モノは最後にやりたいと湯間さんが言ってたから、今まで温めてきたものの、ここで三位以下
になったらそれができなくなる。
 もちろん優勝することが最大の目的だけど、それ以前に俺は戦隊モノのコントをお母さんに見て欲し
いというのがあった。
 いや!
 俺はぶんぶんと首を横に振った。
 ここで弱気になったらいけない。
 俺たちはいける。
 絶対決勝までいける。
 だから、戦隊モノのコントはやっぱり最後の最後に出すべきだと思うのだ。
 あれはエンタの遺作でもあるのだから。



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