春来3


 



 「エドヴァンズ=ポーランです、国王陛下」

 俺は跪き、恭しく頭たれた。

 その瞬間、大きな溜息が聞こえる。

 王妃がまず食い入るようにこちらを見詰めている。

 そして一の姫であるスザーナ。

    ニの姫であるマドレア。

 その場にいる貴族の娘たちも、エドヴァンズこと、エドン侯爵の容貌に魅入られていた。

 いかに、周囲の女性を虜にさせるか。

 気心知れた演劇部の女子を、本気で引き付けるほどの演技をしなければならない。

 どこか憂いを讃えた伏し目がちな目。

 それがそそるのだ、と水端さんに言われて、その部分はかなり自主稽古をしたけれども。

 あのスポットライトの下では、それがナチュラルに出来た。

 有りとあらゆる人間の食い入る視線を感じながらも、俺は国王の挨拶を滞りなく終わらせた。

 俺が演じたエドン侯爵。

 あれは、自分でも上出来の演技だった。

 その上出来をもっと演じたい。

 上出来が自然に出て当たり前の状態でありたい。

 その時の俺はそう思った。

 会場の大きな拍手を貰い、優勝のトロフィーも貰った。

 新千葉高校初の快挙とも讃えられたけれども。

 俺の中ではもっと演じたいという渇望が生まれていた。

 そう。

 きっと、あの瞬間から俺はもう舞台の上でしか生きられない人間になっていたのかもしれない。









 劇団KON

 稽古場の入り口をくぐった俺は、そこでスーツを着用した小太りの男と話をしている大見麻弥(おお
み まや)と出会った。

「あら、浅羽君」

 彼女はとても上機嫌で、“浅羽君”と俺のことを呼んだ。普段は「あんた」とか「浅羽」呼ばわりなの
に。

「やぁ、どうしたんだ?いつになく愛想がいいじゃな……」

 次の瞬間、俺は足を思い切り踏んづけられて、言葉が出なかった。

 彼女はころころと笑い、そばにいるスーツの男を見ながら言う。

「おほほほほ、何言っているの。あたし、いつもこんなものじゃない。やーね、浅羽君」

「は……はい」

 にっこりと可愛らしい笑みの下、ぐりぐりと足を踏んづける大見麻弥に、俺は涙目を浮かべながらかく
かく頷いた。

「で、この方は?」

「大手芸能プロダクション真月の河野さんよ。有名雑誌のモデルとしてスカウトされているの」

「いいじゃん!モデルなら、静止写真だろ?お前のどろどろした腹黒さが言動に出ることもなくていい
……」

「やだ、浅羽君ったら冗談きつーい」

 きゃはきゃは可愛らしく笑いながら、大見麻弥は俺の足をさらにぐりぐりと踏んづけていた。

 その痛さに耐えながら、俺は心の中で叫んでいた。

 お、お前なんか一生モデルやってやがれ!!

「………………ところで、あんたの後ろにいるのは何?雪男」

 麻弥に言われて、俺ははっとして振り返った。

 そ、そうだった。静麻監督も一緒に着いてきたんだった。

 監督は今髭も前髪も綺麗なストレートロングに伸びていて、目も鼻も完全に隠れた状態。後ろ頭が
正面に来ているような異様さがあった。

 麻弥と河野さんはあっけにとられて監督の姿を見つめていた。

「や!河ちゃんじゃない。お久しー」

 雪男に声をかけられびくりと河野は飛び上がったが、まじまじとその姿を上から下までみた。

「え……!?ま、まさかその声、静麻先生ですか!?」

「そう」

「嘘……静麻って、映画監督の……し、失礼しました。雪男だなんて」

 顔を真っ赤にしてぺこぺこ頭を下げながら大見麻弥、さらに俺の臑を蹴った。何で教えてくれなかっ
たのだ!?と言わんばかりに。

「あはははは、君。面白いね」

 そんな彼女を静麻監督は面白いモノを見るかのように笑っていた。

 河野が目を白黒させながら言う。

「か、監督。日本へ戻って来られていたのですね。今日は何故こちらに?」

「それは……」

 監督が何か言いかけた時だった。


「浅羽ぁ!!そこで何してやがる」


 鋭い声に俺たちは全員びくりと肩を上下させた。

 こ……この声は、我が鬼監督。

 今泰介(いま たいすけ)。

 現在稽古をしている村岡鬼刃(むらおか きじん)の演出家であり、劇団KONの主宰者だ。

 長く伸びた金色に染めた髪を後ろに縛り、耳にはピアス。

 切れ長の目、整った鼻梁といい、均整とれた体躯といい、元俳優だけにかなりの美男子だ。

 しかし、目つきは尋常じゃなく鋭く、声もでかい。

 気に入らなかったらすぐに手が出て足が出る。

 容姿の秀麗さよりも、怖いというイメージが先行する鬼監督だ。

 そ、そうか。

 俺、時間ぎりぎりにここに来ていたんだった。

 静麻監督と話をしていたり、それから大見麻弥たちと何だかんだとやり取りしているうちに、時刻は
定刻を過ぎていたんだ。

「すいませんでした。すぐに行きます」

「当たり前だ!!それに河野、用が済んだらとっとと帰れ!」

「は、はい」

 河野は飛び上がって、小太りながらも素早い動きで脱兎のごとくKONの玄関を後にした。

「で、大見は何だ?俺を裏切って、大手に鞍替えか?あーん?」

 竹刀を肩たたき代わりに叩きながら、にやにや笑って問いかける。

 大見麻弥は顔を蒼白にし、ぶんぶんと首を横に振る。

 鬼監督の前では、さすがの彼女もぶりっこする余裕もなく、子羊のごとくぶるぶる震え上がる有様
だ。

「んで、浅羽の後ろにいるヒバゴンは何だ?」

「ひ……ヒバゴンとは何だ!酷いなぁ、十年来の友達に向かってそれは無いんじゃないの!?」

 前面ロングストレートヘアーの下、避難めいた声を漏らす監督に、今さんは目を見開く。

「その声、シズか?」

 いぶかしげに、問いかける。

 静麻監督は嬉しそうに何度も首を縦に振って、両手を広げ今さんに駆け寄る。

「そう!成海ちゃんひさしぶっ……」

 静麻監督、今さんに抱きつこうとしたが、その前に今さんのストレートがブロウに決まった。

 蹲る監督に今さんは声を荒げて言った。

「成海ちゃんと呼ぶんじゃねぇ!」

「し……しどい。何も腹にパンチ入れなくても」

「てめぇはなんてザマだよ!!散髪したら来いっていっつも言ってんだろ!?」

「お」

 言うが否や、今さんは監督の首根っこを掴み、そのまんま引きずっていく。

 しかし途中でぴたりと立ち止まり、俺の方を見て言った。

「あにやってんだ。とっと用意しろ!!」

 

 


 

 尾張の戦国大名、織田信秀の嫡子として生まれた信長。

 二歳にして那古屋城の主となったが、幼少の頃より奇行が目立っていたが故、人々からは「おおう
つけ」と呼ばれていた。

 一方、信長の教育係であった平手政秀は、宿敵だった美濃国斎藤道三との和睦を成立させ、その
際、信長の道三の愛姫との婚約を取り纏めた。

 道三は、見るからに人がよい政秀を、まんまとやりこめたと一人ほくそ笑んだ。

 そして織田家に嫁ぐ娘に懐剣を手渡し、彼はこう命じた。

「あの尾張のおおうつけの首を取って参れ」と。


 舞台のシーンは、道三の娘と信長の会話シーン。

 俺が演じるのは、若君らしからぬぼろぼろの着物をまとった信長。足を崩し、どっかりと肘掛けにより
かかる。

 その向かいには蝶模様の鮮やかな着物を身にまとった姫がいる。

 劇団KONの看板女優、二名瀬美希(になせ みき)さんだ。

 俺よりも二つ年上。

 美少女顔の工藤さんと唯一張り合える程の美人だ。しかも演技もうまい。KONの女優陣の中では
一番だ。

 彼女、本当は永原さんの奥さんに弟子入りを志願したらしいのだけど、「自分はあんまり教える自信
がないから」と言って、彼女にここを紹介したとか。

 既にTVに出るようになっている工藤さんに続いて、彼女もドラマのオファーがあるらしい。

 二名瀬さんは大きな目をまっすぐこちらに向けていた。

「名前は?」

 俺は、すっと目を細め、問いかける。

 姫はその瞬間、はっと息をのみ、手をついて頭たれた。

「き……きちょうでございます」

「“きちょう”?ふむ……何と書いて“きちょう”と読むのだ?」

 信長の問いかけに、姫はびくりと体を震わせる。

 こちらにも伝わる、少女の緊張感。

 彼女はとっさに答えた。

「奇妙の奇に、蝶々の蝶でございます」 

 実際演じているのは二十歳の女優だ。

 けれども少女らしい愛くるしい仕草や、幼いながらも懸命に動揺を隠そうとする微妙な表情を見事に
演じている。

「ほほぉ、奇妙の奇とな。あっはっはっは、儂はのう。将来、我が子には奇妙と付けようとおもっておっ
た。これも何かの縁かのう」

 さも愉快そうに笑う信長だが、ふと笑うのを止め、鋭い眼差しを姫に向ける。

 相手が更に恐れおののいているのが手に取るように分かる。

「儂が道三ならば、帰る蝶と書いて、帰蝶と読ませるがな」

「!」

 目を見開く姫に、信長はにんまりと笑みを浮かべる。

 そして勢いよく立ち上がり、空を仰ぎ両手を広げて言った。

「この尾張のおおうつけの首をとって、早う帰って参れ!美しき蝶よ───あの蝮が考えそうなこと
だ」

 信長は姫……帰蝶に歩み寄り、その顎を捕らえた。

「そなたのお父上は、お人好しの平手政秀を丸め込み、お前を儂の元へ送り込むことができたとお思
いであろうが、じいは、ああ見えて大狸なのじゃ。こちらから言わせれば、斉藤家の家宝をまんまと手
に入れたようなもの。そう簡単には帰さぬぞ」


 暗転


 その間に大道具がすばやく舞台の背景をチェンジする。

 次のシーンは工藤さん演じる村岡鬼刃と、帰蝶のシーンなので、俺は少しひとやすみとなる。

 舞台の袖、拍手をする人物が約一名いた。

 背の高い、三〇代半ばか……、いやそれより上かもしれない。

 無造作に短く切った髪に、細面の顔。

 大きな目の中、鋭い輝きがあるその人は、他のスタッフと明らかに何かが違う。

 どこかの劇団の俳優だろうか。

 見たことがある顔なんだけど、とりあえず拍手を頂いたのでお礼を言うことにした。

「あ……ありがとうございます」

 俺がその人に軽く会釈した時、後ろから竹刀で頭を叩かれた。

 振り返ると今さんが、竹刀を肩たたきにしながら仁王立ちしている。

「あ……今さん」

「最後の台詞。少し嫌らしさを入れろ。あれじゃあ、信長がかっこよすぎるじゃねぇか。主人公は工藤
なんだぞ。主役を食ってどうすんだ」

「嫌らしさですか?」

「エロ親父の嫌らしさがあるだろ?あれだ」

 何故か、何かをもむような仕草で左手を動かす今さん。

 確かにその仕草、オヤジくさい。

「しかし信長は一五歳ですよ?そんな親父くさくていいんですか?」

「若いながらにも、親父の嫌らしさをかもしだすんだ!分からないか!?わかんねぇだろうなぁ」

 ふふん、と妙に得意げな今さん。

 俺は出来るんだぜ、と言わんばかりだ。

 若いオヤジ臭さ?分かるような……分からないような。って分かるか!!

 む……まぁ、でも俺なりにその辺は考えないとな。

 信長役である俺はあくまで脇役。

 主人公を引き立たせる存在じゃないといけないのだから。

「でも良かったよー。前より演技に磨きがかかってるじゃない」

 拍手をくれた人物の声を聞いて、俺は目を丸くする。

「え!?あ……あれ?その声、静麻監督ですか」

「そう」

 にこにこ笑って頷く静麻監督。

 う……嘘。

 こんな男前な人だったんだ。一年前に素顔で、出会ったことあるけど、こんな俳優みたいに格好い
い人だったけ?

「い……いつの間に散髪を」

「さっき、成海……じゃなくて今君に切ってもらったの。仕上げは礼子さんにしてもらったけどね」

「んっとに世話がかかるやろうだぜ。てめぇは」

 い……今さんが散髪。

 えらく世話女房みたいなことするな、この人って。

「所作も凄く綺麗だよね。どこで習ったの?」

「此処に決まってんだろ!!」

 今さん、額に米の字が浮き上がる。

「ええ?ガサツな君がそんなこと教えられるのかい」

「それは昔の話だろ!!そうさ、俺が教えたんだよ、一から千までたたき込んでやったさ」

 ……………………そのことに関しては、もう思い出したくもないが、所作たちふるまいは、細部まで
厳しく指導された。特に信長は能の敦盛が十八番だったことでも有名だ。

 故に日本舞踊の先生に夜遅くまで指導してもらったこともあるし、殺陣の演出家にも来てもらって、
今さんとタッグになってたたき込まれたこともあった。

 それに練習風景を見に来た永原さんからもだめ出しをくらい、その駄目だしに、さらに文句をいう今
さん。

 一触即発の二人にも気を遣うし、アパートへ帰ったら帰ったで、一人練習をしていたら後ろから来島
に駄目だしされ。

 本当に休まる日が全くなかったさ、ここまで来るのに!!

 最初は俺が突然信長をやるということに反感を持っていた団員もいたけど、尋常じゃないたたき込
まれようを見ている内に、そんな人たちにさえ、だんだん同情されるようになっていた。

 本来信長役だった小宮山さん。

 彼は事件を起こした故に、劇団を出て行った。

 その人に代わって俺が信長をやることになったのだ。

 今まで小宮山さんが覚えてやってきたことを、俺はまた一から覚えなければならない。

 信長だけは振り出しに戻った状態だ。

 だから余計、普段以上の厳しさがそこにはある。一刻も早く他の役者さんに追いつかないといけな
かったから。

「聞いたよ。信長は本来小宮山君がやるんだったんだってね」

「ああ……だけど、あいつは精神的に弱かった。浅羽の演技を見て、あいつは暴走しちまったんだ」

「暴走?」

「信長役を取られると思ったあいつは、浅羽を潰そうとした」

「!」

 監督のつばを飲む音が聞こえた。

 そう、本来信長は小宮山さんという、このKONにおいても実力者だった俳優さんが演じるはずだっ
た。

 俺はたまたまKONの練習風景を見学していただけだったのだ。

 そこにここの看板スターである工藤さんに声をかけられて、抜き稽古の間、練習相手になって欲し
いと頼まれた。

 信長を演じたり、帰蝶を演じたり。

 工藤さんにからむあらゆるシーンを演じさせてもらって、楽しかったんだよな。

 そんな俺にまで今さんは駄目だしをしていて。

 普通なら歯牙にもかけられない、ぺーぺーに過ぎない俺だ。

 しかも舞台に出るワケじゃない新米で見習いの役者。

 本当なら演出家に構って貰えるなどあり得ない。

 多くの役者さんは今さんの雷が俺の方に落ちてくれて助かったと、思っていたようだけど、信長を演
じるはずだった小宮山さんはそれを快く思っていなかった。

 それどころか信長役を取られると思い詰めていたらしい。

 しかもここの看板役者工藤さんにも俺は目を掛けられていて。

 工藤さんに尊敬の念以上の感情を抱いていた小見山さん。

 嫉妬と焦燥感。

 それは憎しみとなって“闇討ち”という形で俺にぶつけられた。

「あいつは闇討ちを嗾けて浅羽を消そうとした。今は殆どまともな面になったけどな、顔をぼこぼこにさ
れて、そりゃもう化け物みたいだったんだぜ?」

「……そうか、小宮山君が」

 とても残念そうに息をつく静麻監督。

 そしてじっと俺の方を見て、呟くようにして言った。

「小宮山君の魔をかき立てる何かが、君にはあったんだろうね。因果な商売だけどね、浅羽君、それ
が役者ってものなんだよ」

 俺は監督の言葉に深く頷いた。

 これから先、俺はまたあらゆる人間の感情の壁にぶつかることになるのだろう。

 だけど、そうすることによって、俺は俺という役者になり得るのだろう。

 今は自分を信じて進むことしかできない。

 俺はもう役者なのだから。



 


 

 稽古が終わった後、俺は今さんの事務所に呼ばれた。

 事務所の中にある応接セットのソファーには静麻監督が腰を掛けている。

 今さんはいつものように書類や資料だらけのデスクに足をかけ、膝にレポート用紙を立てかけて、
何やら走り書きをしている。

 ちらっと見たところ、第一章の後半の木村台詞変更。 第二章の中盤の山野辺注意など、修正した
い部分をメモっているようだ。

 明日からはいよいよ劇場入りだ。

 スタッフは今も忙しなく動き回っている。

 俺も本来なら手伝わなきゃいけないのだけど、静麻監督から話があるというので、礼子さんの計ら
いでここに呼ばれた。

「浅羽君、どーぞ座って」

「てめーの家じゃねーだろ。ここは」

 席を勧める静麻監督に、メモをしながら今さんが突っ込む。

 苛々している様子で、後ろ頭を掻きながら眉間に皺を寄せていた。

「失礼します」

 俺は静麻監督に軽くお辞儀をしてから、ソファーに腰掛けた。

 改めてみると、静麻優斗という人物は、本当に俳優のような人だ。

 大きい目は鋭い輝きがあり、鼻も外国人並みに高い。

 後で聞いた話、曾おじいさんがフランス人らしい。

「見れば見るほど、綺麗だよね。浅羽君って」

 こっちが男前だなぁ、と思っている傍で、静麻監督はにこやかに笑って言う。

 もしかしたら思ったことがすぐ、言葉に出るタイプなのかも知れない。

「あ……ありがとうございます」

「うん、若い頃の映ちゃんと張り合えるよね」

「俺様はどーなんだ、シズ」

 いきなり会話に入ってくる今さん。

「君はカテゴリーが違う」

「なんじゃそりゃ!?」

「豹と白鳥、どっちが好き?、と言われているようなもんさ」

 …………何か違うよーな気もするが、言いたいことは分からないでもない。

 今さんは美形には違いないけど、永原さんとは真反対のタイプだ。どっちがいい?、と言われても優
劣は付けがたい。あとは好みの問題、になってくるのだ。

「いくら煮詰まっているからって、こっちの会話に入ってこないでよ」

「黙れ、誰がその会話の場所提供してやってると思ってんだ!?」

「礼子さんでしょ?」

「俺だ!!」

 今さんは歯を剥いて、きっと目をつり上げる。

「そうなんだ?それは、ありがとね」

「それだけかよ!?」

「なんだ、長いお礼状でも欲しいワケ?」

「いるか、んなもん!」

 今さんはくるっと椅子を回し、俺たちに背を向けた。

 …………拗ねたのかな?

「ごめんね、話が逸れて」

「いや……いいんですけど」

 礼子さんが、お茶を持ってきてくれた。

 静麻監督の前にお茶を置き、俺の分も淹れてくれた。

 あと今さんの分も。

「お、浅羽君。茶柱立ってるよ、茶柱!」

 監督は子供みたいに、無邪気な笑みを浮かべ、湯飲みをのぞき込んでいる。

 実際に、この人は子供みたいな部分があるのだろう。

 だから周りも放っておけない。今さんですら世話女房と化してしまう。

 こんな人と、映画を撮るのってどんな気分なんだろうな。

「じゃあ早速映画の話するね。僕が今度手掛ける映画は“魔性”というタイトルなんだ」

 そう言って静麻監督は一冊の台本をテーブルの上に出した。

 表紙には魔性という二文字が書かれている。

「遠田直人の小説が原作。彼にしては異色な物語でね、評論家も賛否両論に別れている問題作でも
ある」

「問題作……」

 俺は息を飲んだ。

 そう聞くと表紙の魔性という二文字も何だかおどろおどろしく見える。

「君に演じて貰うのは、この物語の主人公、リツキだ」

「主人公……」

 ということは主役!?

 いや……そりゃ、スカウトされるぐらいだから、重要な役を頂けるのだろうな、と期待はしていたけ
ど。

 まさか、いきなり主役なんて。

 でも、昨日まで素人だった人物が映画の主人公になることもあったりするし。

 けれども、まさか自分がそうなんて。

「おーい、浅羽君、聞いてる?」

「………………え?」

「大丈夫?稽古の疲れかな、ぼーっとしているみたいだけど??」

「あんまり突拍子もない話が降ってきたから、びびってんだろ」

 今さん、正解。

 そりゃ、いくら何でもびっくりするに決まっている。

 映画の主役をやってくれ、だなんて。

「そうかなぁ?そんなに驚いているようには見えないけど」

 俺の場合、驚くという感情は、表にはそんなに出ない。

 まぁ、この監督に再会した時が、ここ最近一番のびっくりで、流石に顔にも出たけどね。

「……本当に俺なんかでいいんでしょうか?」

 ひょっとしたら誰かと勘違いしているのかも。

 と思い、俺は念のために聞いてみる。

「君がいいんだよ。君しかいないと思っている」

 力強く答える監督。

「けれど、何故俺なんですか?」

 最も疑問に思うことを俺は口にしていた。

 他にも有能な俳優はごまんといるはずだ。

 魔性という話がどんな話かは分からないけど。

「全国高校演劇大会」

 静麻監督の言葉に、俺は目を見開いた。

「僕が映ちゃんの家に遊びに行った時にさ、相模君から借りたビデオなんだけど、暇つぶしにみる?
って言われたから、見るって答えたの。そうしたら、君が映っていたわけ」

「……」

「君が演じるエドン侯爵は、永原映が高校時代に演じた役と同じだ。本当にね、驚いたよ。

映ちゃんほどエドンが似合う役はいない、と思ったのに、そのビデオでそれが覆されたんだもの」

「そんな……」

 確かに永原さんはエドン侯爵を演じていた。

 高校時代じゃなくて、二十代の時だったと思うけど。

 奇跡の舞台と呼ばれる伝説の舞台だ。

 ヒロインマドレアは、奥さんが演じていたことでも有名だ。

 この舞台を機に、二人は結婚している。

 でも高校時代にもエドンを演じていたなんて。

「このエドン侯爵は、恋人であるマドレアだけではなく、あまたの女性がその美しさに魅入られる程の
魔性を兼ね備えていた。不幸なことに王妃までも、その美しさの虜になった……そういった役柄だ。
君はその役を演じたことにより、周囲の人間を瞬く間に虜にしてしまった。ヒロインを初め王妃役、ヒロ
インの姉役である少女も、舞台の上では君に恋をしていた」

「え……」

 静麻監督の大きな目が、じっとこっちを見ている。

 本当に格好いい人なんだけど、その眼光はやっぱり強烈で、どこか人間離れしている。

「さらに審査をする先生方まで君に魅入られていた。魔性というのはね、演技のみで出来上がるもの
じゃない。持ち前の雰囲気がどうしても必要になってくる。そう、君自身に天性の魔性がそなわってい
るんだ」

「俺が……魔性?」

「うん。さっきの小見山君の件を聞いた時、驚いたけどね。同時に納得もしたよ。君は人を引き付ける
何かがある。同時に人を恐れさせる何かもある。それは人間の中にある魔をかき立てるものでもあ
る」

「人間の中の魔……ですか」

「うん。嫉妬や憎悪もあれば、君を求めようとする欲もある。特に君の恋人になった人は……君を独
占したがるかもしんないね」

「そういや今まで付き合ってきた女の子は嫉妬深い子が多かったよーな」

 俺も何人かお付き合いした女の子はいたけれども。

 演劇部で、俺がラブシーンを演じていたら烈火のように怒って。

 で、俺もそんなことでいちいち腹を立てられたら叶わないので、「も、別れよっか」と、切り出すのが
パターンだった。

「ふふふ、君の魔性がそうさせたのかもしれないよ」

「そうかなぁ……そんな魔性って柄でもないよーな気がするんだけどな」

「君は自分自身の魔性に早く気づくべきだよ。自分の知らない所で、とんでもない人間を引き付けて
いるかもしれないからね」

「とんでもない人間……って、例えば?」

「うーん、例えば、兄弟とか姉妹とか」

「俺、一人っ子ですから」

「じゃあ、大丈夫か」

「というか、兄弟でそういう感情はあり得ないでしょ?」

「あり得ないねー。でも、そういったあり得ない話を映画にすると面白いんだよねー」

「……」

 静麻優斗監督は、何だかよく分からない人間だ。

 俺をどうして主役に選んだのかも結局、はっきりした理由はよく分からない。

 敢えて言うなら俺の中にある“魔性”らしいけど。

 魔性って何なのだろう?

 よく魔性の女、とかいうけどなぁ。

 色っぽい女優さんに対しては、そんなことを言ったりもするけど。

 俺、色っぽいか?

 ────うーん。

「まだ大分先の話しだけど、でも映画のこと考えておいてね」

静麻監督はそう言って、台本を俺に渡してきた。

「……はい」

 俺は緊張した面持ちでそれを受け取る。

 初の映画出演。

 それでいて初の主役。

 その台本は今までに持ったどの台本よりも重く感じた。




つづく     

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