春来




  俺が元々通っていた高校の演劇部が、学校内で活躍できる場は、定期的な公演会と、文化祭だ
けだった。

 公演会は三ヶ月に一度、体育館を貸し切って、四時からの公演。入部したての当初は、見に来る生
徒が数人しかいなかったけど、だんだん人数が増えて、俺が部活を辞める前には体育館いっぱいの
客でうまった。生徒全員が来たわけじゃなくて、近所のおばさんや、生徒の親兄弟も評判を聞きつけ
て見に来てくれたらしい。

 今は卒業生の餞を兼ねた公演会に向けて、部員達は体育館の舞台で練習をしている。

「砲撃が始まったぞ!!……おわ!?」

 突然、どこからともなく飛んでくるバレーボールに驚く演劇部の後輩。

 戦場の設定だけに今のリアクションはリアリティがあったけど。

 他にもバスケ部やバレー部が体育館で練習しているので、流れ弾が飛んできたりもする。 場所も
騒々しいし演劇の練習場所にはあんまり向いていない。

 けれども、場所がここしかないから仕方がない。

「本当に、あんたが部を辞めたのは、我が校の痛手だったわね」

 苦笑混じりに言うのは、新しく顧問になったばかり山西女史だった。国語教師でベリーショートが似
合うなかなかの美人だけど、丸眼鏡の下一重の細い目は鋭くつり上がっている。きつめの美貌の見
かけ通り、スパルタ教育で有名だ。教師になる前は進学塾の講師もやっていたとか。

 勉強はスパルタだけど、服装は開襟シャツにミニスカ……教育に悪いですぜ、そりゃと言いたいが、
でもミニスカみたさに言いたくない。揺れる男子心をくすぐる、それが山西女史だ。

 前の顧問だった小池先生は、どうも入院しているらしい。前からちょっと病気がちで、部にも顔を出
すことは少なかったけど。だいたい見に来ていたのは副顧問だったこの山西女史だった。

 彼女は舞台の前にパイプ椅子を置いて、逐一生徒達の演じぶりを鋭い眼差しで見守っている。こう
して見ていると今さん女版という感じがするなぁ。あの人ほど無茶言わないけど。

 俺はその隣に設置してあるパイプ椅子に腰掛けて、後輩の演技を見守りながら女史の話を聞いて
いた。 

「あんたがいなくなってから、だんだん活気が無くなってきたのよ?定期的な発表会にもお客さん来
なくなっちゃったし」

「え……そうなんですか?」

 俺は演劇部を辞めてから、一度も発表会にはいかなかった。あの頃は親の言うまま、医者を目指す
べく勉強をしていて、発表会なんかに行ったりしたらまた、演劇をやりたくなる衝動に駆られると思っ
ていたから。

 山西女史は、厚めの赤い唇をつり上げてくすりと笑って言った。

「そ。つまり、殆どの生徒や客はあんたを見ていたのよね。吉田は、そうは思っていなかったみたいだ
けど」

 吉田……?

 その名前を聞いて、俺の中でたちまち苦い思い出が蘇る。



『今日から、お前は部活に来るな』

いきなり職員室に呼び出され、当時部長だった吉田にそう言われた時には、何が起こったのか分か
らなかった。

 隣には前顧問の小池先生がいて、ハラハラしながら俺と吉田を交互に見ていた。

『お前が演劇部を辞めないと、演劇部は潰されるんだ』

 まだ何のことか、その時には分からなかった。

『よ、吉田くん!それを言ったら……』

 狼狽える小池先生。

 しかしそれを抑えつけるかのように、強い口調で吉田は言ったのだ

『先生、こいつははっきり言ってやらないと、納得なんかしません。お前の親が理事やっているだ
ろ? それをいいことに圧力をかけてきたんだよ。お前に演劇を続けさせたら、ウチの部を潰すって』



 そして俺は大好きだった演劇部をやめた……あの時は初めてタイトルロール(演演劇・映画など
で、作品の題名になっている役柄“マクベス”“ハムレット”等)演じるはずだったんだけどな。

 吉田は部を守るために、部長として当然のことをしたまでだ。自分が部長ならやはり断腸の思いで
後輩に部を去って欲しいと頼んだに違いない。

「あんたさぁ、吉田のこと恨んでる?」

「え?」

「引導言い渡したの、当時部長だった彼じゃない?恨んでいるのかなぁって思って」

 山西女史は丸眼鏡の下、細い目を孤に描き悪戯っぽい口調で尋ねる。この人は悪女を演じたら天
下一品かも知れない。

 俺はちょっと考え込むように腕を組んで、それからぽりぽり頭を指で掻いた。

「いや、別に恨みはないですけどね。でもその名前を聞いたら、なんですかね。演技が出来なくなった
あの絶望感が蘇ってくるんですよねぇ」

「あははは!なるほどねぇ。まぁ、無理もないわね。でも恨んでないだけ偉い、偉い」

「いや、あの時はどっちかというと、部長よりも親を恨んでましたから。部長ははっきり言ってくれただ
け偉いと思ってますよ。正直、あの人嫌だったけどさ」  

 俺は口を尖らせながら、苦手な牡蠣を食べる時のような顔を浮かべた。

「あら、どうして嫌だったの?」

 興味津々、女史は俺の顔をのぞき込む。

「俺より背が高い」

「あはははは」

 女史は声を立てて、腹を抱えて笑った。

 普段は厳しい顔つきで、人を寄せ付けない雰囲気のある先生なんだけど、話をしてみると結構なん
でもないことでもすぐ笑う笑い上戸だった。演劇部にいた時からなんだか馬の合う先生で、俺の進路
先も唯一理解してくれた人だ。……あ、来嶋もそうだったけどね。来嶋も。

「みんな、あんたがいなくなった分まで、必死でがんばったんだけどねぇ……でもあんたがいなくなっ
た穴は、それだけ大きかったのよ。今年の大会も県大会止まりだったし」

 全国高校演劇大会。

 全国から集まった演劇部のインターハイみたいなもんだ。15分ほどの寸劇を演じ、どの高校が素晴
らしいか評価する。全国レベルになると、今度は寸劇じゃなくて、少し長い演劇で競うようになる。選
ばれた所は、どの高校も、芸能界にスカウトにもなりうるほど、プロ並みの演技力だ。

全国大会に出るにはスポーツと同じで、まずは県大会を勝ち抜かなければならなかった。

 そっか、うちの学校今年も県大会止まりだったんだ。

「吉田はねぇ、確かに長身で、結構顔も良かったけど。演技は今ひとつだったわねぇ。だいぶあんた
に助けられた演技していたもの。でもなまじ顔が良くて、女の子にもモテていたじゃない?……ちょっ
と過信していた部分があったのかもしれないわね。あんたがいなくなった分の穴を埋められるという
過信がね」

「……」

 吉田は卒業後、タレント事務所に入ったと聞いた。

 その後どうしているのかは知らないし、興味もない。

 演劇の雑誌には、吉田らしき人間が載っているのは見たこと無いから、そっち方面には進まなかっ
たのかもしれない。

「ところで来嶋君は元気にしているの?」

 来嶋君……って、ああ、そっか。来嶋と女史は同僚になるのかな。

 何か変な気分だな。

 女史が君付け呼ばわりって。

「……あ、はい。元気ですよ。舞台が終わってから、あちこちオファーが来ているみたいで、忙しくやっ
ているみたいです」

「ふーん、なら良かった。まぁ、あれだけの舞台を成功させたら実績を買われて、仕事が来るとは踏ん
でいたみたいだけどね。それでも役者ってのは、不安定な商売だから。学校辞めるの、ずいぶん悩ん
でいたみたいだったし」

 来嶋と女史、結構親しかったんだな。

 あ、そういえば来嶋は顧問を通して、俺たちに演劇のノウハウを教えていたって言っていたけど。そ
れは小池先生じゃなく山西女史を通してだったんだな。だって、小池先生からは何も教わってなかっ
たし。

「先生と来嶋さん、もしかして付き合っていたとか?」

「気になる?」

 くすりと意味深な笑みを浮かべ、逆に尋ねられて俺はどきりとした。

 そりゃ気になるから聞いているんであって。

 山西女史は本当に綺麗な人だ。

 来島とだったらお似合いだろうなって、ふと思っただけであって。

「あたしはねぇ。満更でもなかったよ。来嶋君とだったらいいかな?って思っていたけど、向こうはそう
でもなかったみたいね。好きな人、いたみたい」

────

 好きな人。

 山西女史からその言葉が出てきたとき、俺は何故だろうか。

 凄く嫌な気持ちになった。

 来嶋の好きな人。

 俺はそんなこと聞いたこともなかった。

 あいつは家族みたいに俺のことを接してくれている。何より一緒に暮らして居るんだし、そういう会
話があっても良かったんじゃないかって思う。

 何だろうな。

 山西女史は知っていて、俺には知らない来島がいる。

 それは何だかとても気持ちが悪いカンジがして、俺はつかの間めまいを覚えた。

「さてと。まぁそんな長話もできないわね。あんたも時間が限られていることだし」

 言いながら女史はパイプ椅子から立ち上がった。

 そしてぱんぱんと手を叩き「そこまで!」と良く通る声で言った。

 ふうっと緊張感から解放された溜息が、あちらこちらから聞こえてくる。相変わらずこの女史の厳し
い目に、後輩達もぴりぴりした状態のようだ。

 そこに舞台にいた一人が、俺の方に気づいたみたいで、驚いた表情をうかべた。次に慌ててこちら
に走り寄ろうとして、そこが舞台であることを忘れて

 

 どが!!


 …………舞台からおっこちた。

 おいおいおいおい。大丈夫かよ!?

 そそっかしい後輩だが、今や演劇部を纏める部長の杉本だ。

 幸い足から着地し、それから尻餅をついたので軽く尻は打っているだろうが怪我はなし。

 相変わらず冷や冷やさせる奴。

 杉本は腰をさすりながら、俺の方に歩み寄ってきた。

「先輩!うそ……マジ、先輩!?」

 上から下まで信じられない目で見る後輩。

 そして目を輝かせて弾んだ声で言った。

「いつ学校に戻ってきたんですか!?確か自主退学したって……あ!また復学したんですね!?で
もこのままじゃ卒業できないし、ひょっとして留年!?」

 先走るな、こら。

「…………いや、復学してないから」

「うっそー!だって制服着てるじゃないっすか」

 確かに今、俺は母校だった制服を着ている。

「いや、制服着て生徒の振りをしてるだけ。一般人として学校入るのって、手続きが必要で面倒だし」

「えー、えー!?じゃあ、何の用事でこちらに」

 いちいちオーバーな返事をする生徒に、片耳を塞ぎながら女史が言った。

「私が呼んだのよ」

「えー!?何でっすか!?」

「あんたが演技に行き詰まってるから、浅羽に頼んだのよ。あんた、ずーっと浅羽のように演じたい言
ってたじゃない。だったら、現物を見せてやろうと思ってな」

「嘘!?!?」

 少女漫画のように、目を輝かせる杉本。

 そういえば、こいつにはやたらに懐かれていたっけ。俺。

「ほら、あんたが昔、公演会で演じた『桜並木』よ。五年間ずっと待ってくれている恋人に会いに行く男
の役やったじゃない」

「ああ……」

 そうだ。

 舞台は戦時中の日本。

 主人公は桜子という名の女性。

 桜並木で、一人の青年将校に出会う。 

 一瞬で恋に落ちる二人。

 二人は、たびたび桜並木で逢瀬を重ねるようになる。

 そしていつしか。

「結婚しよう」青年そう言って、桜子の手を堅く握った。

「喜んで」嬉しそうに頷く桜子。

 しかし青年将校は半年後、戦地へ赴く

 桜子はそんな彼をずっと待ち続けるのだ。

 ずっと。

 5年後。

 周囲の見合いをかたくなに拒み、ついに家を飛び出した桜子は青年と出会った桜並木へ。

 するとそこには、待ち続けていた青年が、ぼろぼろの服の姿で立っていた。

 自分は全てを失った、それでも着いてきてくれるか?と尋ねる青年に、桜子は嬉しそうに笑って頷
いた。

「喜んで」、と。

 新進気鋭の作家、遠田直人原作の短編を、脚本化したものだ。

 桜の季節を先取り、桜にちなんだ話を毎年やるのだけど。

「この青年将校が今ひとつなんすよ、俺。どう演じても将校になれないというか」

 たこのように口を突き出し、杉本は眉間に皺を寄せる。

「一応やっては見るけど、俺の演技を見て、お前なりの青年将校を演じること。物まねをするんじゃな
いんだからな」

 ……なんて偉そうに言ってしまったが、つい最近の俺がまさにそうだったのだ。

 永原映(ながはら えい)。

 俺の師匠であり、誰よりも尊敬してやまない役者だ。

 あの人のように演じたくて、俺はあの人の物まねをしていた。

 自分の持ち味を生かせていなかったのだ。

 台本を山西女史から受け取った俺は、ざっと台本を読む。……懐かしいなぁ。俺が青年将校やった
時、桜子は学年一美人の水端(みずはた)さんだったけ。そういや、その水端さんは吉田と付き合っ
ていたらしいけど。

 俺は台本を読み終え、椅子から立ち上がった。

「え!?先輩もう覚えちゃったんですか」

「そりゃお前、前に俺がやった役だぜ」

「で、でもそんなすぐ覚えられないっすよ」

 そうだろうか?

 まぁいいや。

 俺は舞台に上がると、桜子役をはじめ後輩達がざわめいた。

「嘘」

「マジ!?……浅羽先輩」

「浅羽って、あの伝説の」

 で……伝説!?

 俺、伝説になってんのか。

 まぁ、いきなり自主退学してるしなぁ。学校のみんなはびっくりしていたとは思うけど。

 桜子役らしき後輩……見たことが無い子だ。一年生だろう。

 小顔のかわいらしい女の子だ。俺は彼女に歩み寄る。

「桜子と青年将校の再会のシーンをやってみようか」

「は、はい!」

 彼女はびっくりしたように俺を見たけれども、すぐに大きく頷いてくれた。

 どこか緊張混じりの可愛らしい声。

 具体的な花にたとえたら、きっとこの娘は、スミレだろう。

 水端さんは、白い薔薇だったけど。

 まぁ俺はスミレも薔薇も好きだから……って、何考えてんだ、俺。

 南国の戦地から帰還したものの、現地において病にかかり長い闘病生活を送っていた青年将校。

 もはや彼女は待っては居まい。

 諦めながらも、退院後知らず知らずのうちに足は実家よりも、少女と出会ったあの桜並木に向かっ
ていたのだ。

 そして彼は、一人佇む桜子の姿を見いだす。

 花に吸い寄せられる蝶のように、俺は彼女に更に歩み寄る。

「桜子」

「あ……」

 ゆっくりと目を見開く少女。信じられないものを見るかのように俺を見る。

 うんいい感じ。

 桜並木の世界に入ってきたぞ。

 小さな唇は声にもならない声で青年将校の名を呼んでいた。

 ずっと待っていてくれた……そんな愛しい存在を俺は抱きしめる。

 ゆっくり、ゆっくりその存在を確かめるかのように──── さ、桜子ちゃん、ちょっと早く抱きつきす
ぎかな。彼女の細い腕は俺の腰の方に回り、きつくきつくきつく抱きついていた。

「もう離しません!!」

 桜子、違う。

「もう離れません」だろ?今の台詞は。

「全てを失ってしまった……将校としての地位も財産も。今や俺は何もないただの男だ。それでも一
緒になってくれるか?」

「もちろんです!」

 ……桜子、台詞に力が入りすぎ。

 とは思ったけど、気にせずに彼女の両頬をそっと両手で挟み、静かな声で言った。

「結婚して欲しい」

「はい!もう!喜んでーー!!」

「!?」

 俺は桜子にタックルされるかのように抱きつかれ、そのまま押し倒された。

 な、何だ!?

 お、おい!!桜子!?桜子さーん!!

 俺は桜子に押し倒されたまま、そのままきつく抱きしめられていた。

「こら!中江、ふざけてんじゃないよ。あんたは!!」

 山西女史の叱咤に、桜子を演じていた一年生はがばっと起きあがり、頬をふくらませた。

「先生、あたし、大真面目ですよ。だってこの人、超かっこいいじゃないですか。ここでゲットしとかなき
ゃ」

 握り拳に力が入る桜子演じていた中江さん。見かけによらず大胆なのね。

 山西女史、額を押さえながら、ため息混じりに言った。

「………………ゲットすんなら余所でやれ」

 俺はやんわりと、中江さんにどいてもらうように頼み、起きあがった。そして後頭部を軽く打った部分
をさすりながら、杉本に尋ねる。

「どう?なんかカンジつかめた」

「はい……」

 杉本は杉本で惚けたようにこっちを見ていた。とても何かをつかめたような顔をしているようには見
えないのだけど。

 彼ははっと我に返り、大きく息をついて言った。

「や……やっぱり浅羽先輩って違う」

「うん?」

「吉田部長なんて話にならないっすよ。水端先輩が心変わりしたわけだ」

「……え」

 杉本の言葉に、俺は目を見開いた。

「水端先輩、浅羽先輩のこと好きだったんすよ?知らなかったんですか」

 知らなかったさ、そんな美味しい……いやいや素敵な話。

 うー、水端さん、何で言ってくれなかったんだ?───つーか、俺が気づくべきだったのか?でも舞
台の上では演技だったろうし、それ以外の場所でも、桜子みたいな目で俺を見るなぁ。やっぱ普段か
ら練習してんだなって思っていたけど、まてまて、じゃああの熱視線はひょっとして本当に俺のこと
を?

 

『あんたって本当に役者馬鹿よね』


 不意に劇団KONの団員である大見麻弥の台詞を思い出した。

 その通りかもしれない。俺は馬鹿だ……あの水端さんの熱い眼差しを演技だと思いこんでいたん
だ。学年一の美女とお付き合いするチャンスをみすみす逃していたなんて!!

 俺は長いため息をつき、後ろ頭をかきながら、立ち上がった。

「それを知った吉田部長、ずいぶんと浅羽先輩のこと恨んでましたからねぇ」

 恨めしや〜と言いながら、杉本は幽霊のまねをしながら舞台へ上り、俺に歩み寄る。

 そして山西女史には聞こえぬよう、小声で耳元にささやいた。

「浅羽先輩が演劇部を辞めさせるよう画策したのも吉田部長なんですよ。浅羽先輩のご両親にも協
力を求めてね」

「!?」

 驚愕に目を見張る俺に、杉本は苦々しい表情を浮かべて更に言った。

「浅羽先輩の両親に電話をしている吉田部長を見た水端先輩が、どういうことなのか問いつめたら、
吉田部長が吐いたそうです。「あいつさえいなければ、すべてうまくいく」って。……でも、結局二人の
仲はそれで完全にこじれちゃって、その上演劇大会も歴代最下位。部長はさらし者になってしまった
んですけどね」

「……」

 そっか。

 俺が部活を辞める羽目に陥ったのは、そんな裏があったんだ。

 だからといって、演劇部を辞めてしまったのは、やはり俺の失敗だった。

 まだ演劇に対する情熱が足りなかった……あのとき、もっと親にくってかかって、辞めないように努
力するべきだった。

 吉田よりも、部活を辞めることを選んだ自分が一番呪わしかった。

 あのときの自分は、今よりももっと、不甲斐なかったんだ。

「杉本」

 俺は後輩の名前を呼んだ。

「は、はい」

 いきなり名前を呼ばれ驚く杉本に、俺は笑って言った。

「もう一回、ラストの所を演じてみろ。俺が今度は桜子をやるから」

「ええ!?せ、先輩が桜子をっすか!?」

 杉本は顔を真っ赤にしながらも、何度も首を縦に振った。

 演劇部には本当にお世話になった。

 なのに途中で辞めてしまったことで、大きな穴を開けてしまっていた。

 みんなにも迷惑をかけて。

 だから、出来るだけこの部のために何かをしてやりたいと思う。

 俺に出来ることなら───

「それじゃあ、さっきのラストシーンから」





 お世話になった、といえば、うちの両親……初回公演のチケット郵送したものの、見に来ねーだろう
な。父さんは置いておいて、特に母さんは。

 父親とは時々電話するようにはなっていた。元々俺が役者になることに、そこまで反対はしていな
かったのだ。むしろ母さんに押されて、自分も仕方なく反対といったカンジだったから。でも父さんも忙
しいだろうから、多分来られないだろう。

 校舎を出たら冬の名残か、冷たい風が頬をかする。

 学校の桜の木は、もうすぐ花が咲くか咲かないくらいか。

 つぼみがふくらみかけていた。

 季節は春。

 日中の陽射しは暖かいものだ。

 朝夕はまだ冷えるけどね。

 俺はゆっくり家路を歩いていた。

 今日は久々の休日だった。

 劇団KONの稽古が夕方から少しあるだけで。

 永原さんも千秋楽を終えて現在休暇中。奥さんと一緒にドバイへ行くのだそうだ。

 ドバイといや アラビア半島のペルシア湾岸に位置する都市、超がつくリゾートホテルや超がつく巨大
なショッピングセンター、観光地として現在も人工島を建設中というとてつもない金持ち都市だ。そこ
の友人宅へ泊まりに行くとのことだけど……ドバイに住んでいる先生の友人って一体。

「……?」

 不意に、誰かに後を付けられているような気配がして俺は振り返った。

 電信柱の陰、長い髪の男がこっちを伺っている。男……だよな。女にしては背も高いし、体ががっち
りしているし。

 長いのは髪だけじゃなくて、前髪から髭まで胸の前にかかるくらいストレートに長い。一見長い髪の
後ろ頭が180度回転して正面にきたのかと思った。

 そんな妖怪めいたヤツが今俺の方を見ている。髪の毛に覆われて目は良く見えないんだけど、で
も、明らかに俺の方見ている。

 俺は───

 見なかったことにしようと思い、足早に歩き始めた。

 妖怪は、やっぱり俺の後をついてくる。

 やばい……やばい。

 背中につうっと冷たい汗が伝う。

 何なんだ?あの妖怪。何故俺の後を付けてくる。

 何とかして引き離さないと。

 このままでは、このままでは劇団KONまで着いて来かねない。

 ついに俺は早足から、ダッシュに変わった。

 走るのは結構自身がある。

 たばこを吸うまでは陸上部と張り合っていたくらいに俊足…………って、妖怪、早!!

 長い髪を振り乱し、それでも陸上をやっていたのか、走る姿勢が教科書の見本かのごとく、背筋を
伸ばし、高く足をあげ、両手を揃えて手を振っている。

 って何?

 何なの!?この妖怪。

 ついに俺は妖怪に追いつかれ、肘をがしっととらえられた。

 か、神様っ!!

 その瞬間、俺の信仰心ボルテージは最高潮に達した。

「やっと捕まえたよ、君ぃぃ」

 長い髪の下、きらりと光る眼光。

 怖!!怖すぎる。

「な、何なんだ!?あんたは」

 たいがい何があっても冷静でいられる自信がある俺も、この時ばかりは驚きのあまり声が掠れた。

「俺だよ、俺!覚えてない。前に君をスカウトした」

「知らないよ、あんたみたいな妖怪!!」

「よ、妖怪とは失敬だな。あ、そうか。君と最初に出会ったときには、珍しく散髪をした日だったから
ね。今とは印象違うカンジだったかもしれないけど」

「え……前に出会った」

 そういえばスカウトって、去年の今頃くらいだったか。

 この辺で声をかけらたことがあった。

『僕が監督する映画に出ないか』、と。

 確か四十くらいだったかな。あの時は髪もこざっぱりとしていて、目が……そう大きな目が鋭く輝い
ているのがとても印象的だった。

「さっきも体育館ごしに君の声を聞いていた……演劇また始めたんだね」

「はい」

 俺は大きく頷いた。

 やっぱりそうだ。

 確か今さんが言っていた。

 この人の名前は。

「あなたは静麻優斗(しずま ゆうと)監督……ですか?」

 静麻優斗と呼ばれた男は、何度も首を縦に振っていた。






   

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春来2

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