今日は朝から仕事だ。 おれの本職は、まあ良くある電気関係の製造業のデスクワーク。そこそこ名の知れたメーカーだ。 担当は基本的にはその部署の庶務なのだが、割と数字や電算機関係に強いので、料金担当の一部も 兼ねている。でもって、今日はそのひとつで一番面倒なやつだ。 毎月一回、数日間に渡って月次作業と呼ばれるルーチンワークがあり、仕入額や人件費等を積み上げて 原価を計算し、それに利益を何パーセントか乗せて売価や売り上げを決定したり…とか、原価総額に 対して売り上げ額と比較して収支報告を上げて…なんていうものなのだが、これが結構な件数で、 しかもこれが出来ないと、請求額を出したりとか、月の締めが出来ないときている。 従って、この期間で総て終わらせなくてはならず、帰りは終電か、マイカーでと言う事になる。 ちなみにこの数日間は『地獄の五日間』と呼ばれるのだが…その裏で『参観日』という名もついている。 「全部積んだか?」 おれの愛用の銀のクーペのトランクが開けられ、巴が中をごそごそとやっている。 車高が低いので、例によってえらくお尻を突き出した格好になっていて、思わずごくりと唾を飲む。 …昨日、あれだけシてもらったのに、おれも節操ないな…。 思わず苦笑しながら運転席のドアを開けると、顔を上げた巴が、敬礼に似た会釈をした。 「えと…終わりましたぁ」 今日は紺色のワンピース姿…但し、メイドのヘッドドレスはつけている。 流石、メイドロイド…と、ちょっと感心する。 「じゃ、行くか…またアタマ、ぶつけるなよ」 「はいです」 巴は慎重にトランクを閉じた。 月曜の朝は澄み切った晴天だった。 陽光の降り注ぐ中…住宅街の続く中の幹線道路。 まだ渋滞の少し前なので、他のクルマも殆どなく、おれたちのクーペは気持ち良く街道を走り続ける。 「…バンたち、今頃、どうしてるだろうなぁ」 ちらとミラーを見ながら、ペダルを踏み、シフトチェンジする。 助手席にはシートベルトをつけてかしこまった姿の巴。 大きくて…座高も当然高いので、シートを目一杯下げて、リクライニングもある程度倒しているのだが、 それでもおれのクルマは車高が低すぎて、巴には窮屈なようだ。 それでも…おれの隣に居られるのは嬉しい…と毎度の事ながら、こそばゆい事を言ってくれる。 「そうですねえ…」 ちらと見ると、巴は腕組みしながら中空を見つめ、う〜ん…と、可愛らしく咽喉で声を上げた。 「本部って事は、どこかに、対策本部とか、設けてあるのでしょうかね〜」 「それも表向き休暇中ってことは…当然、おおっぴらに公表されてないんだろうな」 「そうですねえ…わたしたちに念押ししたのも…だからでしょうしねえ…」 例によって、まったりぽやぽやな巴だが、これでなかなか鋭い。 「そうだな…」 赤信号が見え、おれはシフトダウンさせながらブレーキを踏んだ。 タコメータの回転がその都度一瞬上がり、エンジン音が低くなる。 横断歩道が近づいてきて、その前の停止白線に合わせてすっと停め、小さく息をついた。 …と、ふいに、横から小さくクラクションを鳴らされ左を向く。 見慣れた赤いワゴンが止まり、運転席の窓が開く。 おれも助手席の窓をリモコンで開けて直ぐに怒鳴った。 「よう!早いじゃないか」 「おまえこそな」 茶髪で童顔の同僚…にして、今一番の「悪友」が真っ白な歯を見せた。 「トモちゃん、おはよう!」 我が悪友が片目をつぶって、キザったらしく親指を立ててみせる。 巴はにっこり笑った。 「おはようございます〜」 なんだい、おれにゃきちんとした挨拶は無しかい。 って、おれもだけどな。 すると助手席から、長めのおかっぱ頭が見え、軽く手が挙げられた。 「天野さんも一緒かい」 「今日から4日は天岩戸入りだからな…色々準備があるって言うんで、乗ってもらった」 「おう…さすがは彼女を大事にしてるな」 「おうよ!」 悪友こと木下秀一は小さく胸をそらした。 「もっとも、おかげで、ちょっとしたファミリー状態だがな」 そう言って、ちょいちょいと後席を指差すと、こちらを見る幾つかの人影…。 フイルムが張られてあるので、人相が良く判らないが影はみっつ。 「皆、おはようです〜」 巴の挨拶にワゴンの後席の窓が開いた。 「おはようございます」 見ると、二人の美女に、おとなしそうな美形の青年がひとり。 …いずれも、巴と同じドロイドたちだ。 「みなさま、おはようございます」 「今回も、どうぞよしなに…」 「え…と、どうかお手柔らかに願います」 美女たちは秀一…ヒデのメイドロイド。 二人とも艶やかな長い黒髪で、楚々とした雰囲気の、双子のように似た外見だが、中は 一世代違っていて、それぞれ「ネネ」と「チャチャ」と呼ばれている。 名前の由来は、木下藤吉郎こと豊臣秀吉の正妻ねね(おね、または政所)と、側室の茶々 (お茶々、または淀君とも言う)から来ていて…史実ではあまり仲が良くなかったそうだが、 その名を持つこのふたりは、性格こそ確かに正反対だが、史実の二人とは真逆に、 双子の姉妹の様に、とても仲が良い。 むしろ、時々一緒になって、マスターである秀一をツッコむほどで、秀一も二人を信頼し、 かつ、とても大切にしている。 もうひとりの、優しげな美形の青年は天野さんのサーヴァントロイド、シロー。 名前の由来は天草四郎からで、おとなしい天野さんを、いつもそっとサポートしている。 余談だが、以前はメイドロイドを連れていると、やっかみ半分なのか、色々とあらぬ詮索をして 囃し立てたり、陰口を叩くものがいたらしく、特に秀一など二人も所有しているので槍玉に 挙げられ…本人は気にしていない…と言っていたが…とても酷いものもあったらしい。 だが、そんなヒデの前で、才媛かつ美人で知られる天野さんがおおっぴらに「彼女宣言」をし、 しかも彼女自身サーヴァントロイドを持っていると告白した事で、急速に悪評が消えてしまった。 また、それがきっかけで、次第に自分のところにもドロイドがいる…とカミングアウトする者が 増え、逆に導入する者も現れ、むしろ今ではドロイドに対して、好意的な感情を持つ者が多い。 その彼らに、おれと巴が加わって七人が、4日間、チームを組んで仕事に当たるのだ。 しかも、この期間はドロイドのメンバーもれっきとした契約社員扱いとなる。 そう、「参観日」とは彼らが加わる期間を言うのだ。 ここ一年ほど、業務が逼迫しているのに、経費節減と効率の良い人的資源の活用…などと 言われて、おれたちの部署は人手が減らされてしまった。 一応、繁忙期は、人材派遣会社から五〜六人やってきて助勤に就いたが、ルーチンワークとは 言え、一度や二度で覚えきれるものではないし、その上、個々の契約について色々と条件が 違っていたりで、請求額の間違いを連発してしまい、却って厄介な問題が多発してしまった。 彼らも一生懸命だったが、あまりに細かい内容が多いので、終いには音を上げてしまった。 …おれだって、人手が多かった頃、教えてもらいながらで、半年以上かかったのだ。 まして、実情を知らないで来た人には、初めから無理だったのだ。 ある日、処理が終わらず、仕方なく終電で帰った後、自宅でも出来る作業を続けていた時、 暫く見ていた巴が計算作業を手伝ってくれて、その上、個々の細かい仕様の違いも覚えて、完璧に 処理してくれたことがあった。 パソコンが無くても、当然の如く、計算は絶対間違えないし、特記事項については、一度説明すれば、 以後決して忘れないのでとてもやり易い。 そこで思い切って、秀一と天野さんにその事を話した所、彼らもテストして、その結果も良かったので、 どうせならば、正式に助勤の為に雇ってもらったら…と、上司に話を持って行った。 年配の部長など、最初はやや懐疑的だったが、派遣会社の方から、あまりの激務に正式に手を 引きたいと言ってきたので、ともかく一度テストしてみようということになった。 その結果は…実に満足いくもので、ともかくおれたちに説明すれば、彼らにも伝わるので意思伝達が 実にスムースに行く。 ただし、彼らには、本来のハウスキーパーとしての役割があり、そちらが優先なので、繁忙期、予算 ・決算の時期のみ…しかも無理はさせない…という条件付ではあったが…。 それでも、派遣会社の人間を雇うよりは単価も若干安いし、逆にひと月における雇用期間が短いので 総額からすればケタ外れに安く済む。 そんなわけで、彼らはもうすっかり、おれの勤め先では、お馴染みの面々となっていた。 長い信号が青に変わった。 「じゃ、いくぜ」 秀一がそう言うや、赤のワゴンが滑るように走り出す。 おれも半クラッチからギヤを入れ、素早くアクセルを踏み込んだ。 本社前に着いたのは七時半。 地下駐車場の入り口の左右には、「シュワちゃん」「スタちゃん」のニックネームを付けられた屈強そうな 身体つきのガードドロイドが待機しており、おれたちの方に向かって、笑顔で敬礼してくれた。 毎月、この時期には早朝から深夜まで詰めっぱなしなので、すっかりお馴染みだ。 秀一のワゴンが先に入り、おれのクーペがそれに続く。 受付でカギを借りて、おれたちは六階の職場に入った。 ドアを開けると、広いオフィスルームはひんやりとした空気に包まれている。 壁のスイッチに触れると、天井の蛍光灯群が一斉に点灯し、おれたちはデスクに向かった。 両手にそれぞれ荷物を抱えているが、これから四日間入用なものばかりだ。 「マシンを立ち上げてきます」 自分のデスクに資料の束を置き、天野さんが奥のパーテーションの裏の電算ルームに向かった。 その後をバインダーを持った執事姿のシローが付いていく。 おれが自分のデスクについて引き出しを開けると、巴がノートパソコンを二台抱えて、すぐ脇の 袖机に置いて、素早くセッティングしてくれた。 「ぼっちゃま…二台ともすぐ使えますよ〜」 「お、サンキュー…」 「コーヒー…淹れますね」 「ん、頼むよ」 廊下に出て行く、いつもと違うOLっぽい服装の巴も中々良い。 紺のワンピースが逆に長身を引き立て、すらりとした、かつ柔らかで出る所の出た曲線を描く。 ショールーム・モデルだった頃はこんな感じだったのかな…と、ふと思う。 一方、秀一は、白のスーツのネネとチャチャに、事細かに作業内容を指示していたが、ふと 電話の前のメモに気付いて、右手を向けた。 「…あ、マズイなぁ」 さっと目を通した秀一が小さく呟き、それをおれに向けてひらひらと振った。 「どうした?何かよからぬことか?」 「昨日の午後…アルファ電気からの請求明細一式が、今日中には出来ないと連絡があったそうだ」 「え…それ…本当か?」 おれはばりばりと頭をかきながらメモを受け取った。 「水曜の朝に連絡した時点じゃ、月曜の朝には余裕で出来るって言ってたんだぜ…」 この取引先は、今まで…少なくともおれが知る限り、四年前から一度として刻限を破った事は無いのだ。 「なんでも、その晩に、集約作業の時点でトラブルがあってリテイクになった…とある…」 秀一も、やはり判然としない様子の顔だ。 「でも妙だな…あそこ、ドロイドを大勢入れてたろ?処理がトラブったなんて、今まであったかい?」 そういわれて見れば、他所はあったが…確かにあそこは今まで一度も無かった。 「いや、確かに記憶に無いな…」 「…なんかヤな予感がするな」 「おいおい、縁起でもな…」 そう言い掛けると、奥の給湯室から、いきなり、がちゃん…という何かが落ちる音に続いて、 どが〜〜〜んという轟音と共に「ひゃん!いったぁい…!」という聞きなれた悲鳴が…。 「あちゃあ…」 秀一が軽く顔をしかめ、おれも右手で顔を覆った。 ネネとチャチャがくすっと笑う。 「前途は厳しいか…」 「……久しぶりに聞いたよ、トモちゃんのヘッドバッドの音 秀一がくっくと咽喉で笑った…。 長い信号が青に変わった。 「じゃ、いくぜ」 秀一がそう言うや、赤のワゴンが滑るように走り出す。 おれも半クラッチからギヤを入れ、素早くアクセルを踏み込んだ。 本社前に着いたのは七時半。 地下駐車場の入り口の左右には、「シュワちゃん」「スタちゃん」のニックネームを付けられた屈強そうな 身体つきのガードドロイドが待機しており、おれたちの方に向かって、笑顔で敬礼してくれた。 毎月、この時期には早朝から深夜まで詰めっぱなしなので、すっかりお馴染みだ。 秀一のワゴンが先に入り、おれのクーペがそれに続く。 受付でカギを借りて、おれたちは六階の職場に入った。 ドアを開けると、広いオフィスルームはひんやりとした空気に包まれている。 壁のスイッチに触れると、天井の蛍光灯群が一斉に点灯し、おれたちはデスクに向かった。 両手にそれぞれ荷物を抱えているが、これから四日間入用なものばかりだ。 「マシンを立ち上げてきます」 自分のデスクに資料の束を置き、天野さんが奥のパーテーションの裏の電算ルームに向かった。 その後をバインダーを持った執事姿のシローが付いていく。 おれが自分のデスクについて引き出しを開けると、巴がノートパソコンを二台抱えて、すぐ脇の 袖机に置いて、素早くセッティングしてくれた。 「ぼっちゃま…二台ともすぐ使えますよ〜」 「お、サンキュー…」 「コーヒー…淹れますね」 「ん、頼むよ」 廊下に出て行く、いつもと違うOLっぽい服装の巴も中々良い。 紺のワンピースが逆に長身を引き立て、すらりとした、かつ柔らかで出る所の出た曲線を描く。 ショールーム・モデルだった頃はこんな感じだったのかな…と、ふと思う。 一方、秀一は、白のスーツのネネとチャチャに、事細かに作業内容を指示していたが、ふと 電話の前のメモに気付いて、右手を向けた。 「…あ、マズイなぁ」 さっと目を通した秀一が小さく呟き、それをおれに向けてひらひらと振った。 「どうした?何かよからぬことか?」 「昨日の午後…アルファ電気からの請求明細一式が、今日中には出来ないと連絡があったそうだ」 「え…それ…本当か?」 おれはばりばりと頭をかきながらメモを受け取った。 「水曜の朝に連絡した時点じゃ、月曜の朝には余裕で出来るって言ってたんだぜ…」 この取引先は、今まで…少なくともおれが知る限り、四年前から一度として刻限を破った事は無いのだ。 「なんでも、その晩に、集約作業の時点でトラブルがあってリテイクになった…とある…」 秀一も、やはり判然としない様子の顔だ。 「でも妙だな…あそこ、ドロイドを大勢入れてたろ?処理がトラブったなんて、今まであったかい?」 そういわれて見れば、他所はあったが…確かにあそこは今まで一度も無かった。 「いや、確かに記憶に無いな…」 「…なんかヤな予感がするな」 「おいおい、縁起でもな…」 そう言い掛けると、奥の給湯室から、いきなり、がちゃん…という何かが落ちる音に続いて、 どが〜〜〜んという轟音と共に「ひゃん!いったぁい…!」という聞きなれた悲鳴が…。 「あちゃあ…」 秀一が軽く顔をしかめ、おれも右手で顔を覆った。 ネネとチャチャがくすっと笑う。 「前途は厳しいか…」 「……久しぶりに聞いたよ、トモちゃんのヘッドバッドの音 秀一がくっくと咽喉で笑った…。 念のため、様子を見に給湯室に行くと、流しの周りが散らかったままになっていて、巴は例によって 身を屈め、お尻を高く突き上げた格好で食器洗いに奮闘していた。 「なんだ…おい、随分派手に散らかしたな」 巴の横に行き、中を覗き込んで呆れ気味に声を掛けると、巴は振り返り、きょとんとした顔で首を振った。 「はい?…これはわたしじゃありませんけど〜」 「…だって、今、頭ぶっけたろ?」 おれが自分のこめかみに指を立てて訊ねると、巴は一瞬小さく舌を出したものの、そっと首を振った。 「食器を落として…拾おうとして頭をぶつけましたけど…でも…食器棚はカラでしたよ〜」 確かに、流し台の上に金属棒で吊り下げられた、軽金属製の細長い食器棚が僅かに歪んでいるものの、 何かが載っていた形跡はない…。 と言うか、巴が何度かぶつけて中身を落として破壊して以来、食器を洗った後、一時的に水切りと乾燥に 使う程度で、基本的には脇の食器入れに仕舞う事になっている。 それに…確かに良く見ると、置かれてある食器は使用済みの物ばかりだ。 コップも皿もあるし、弁当箱らしきものまである。 …ふと、疑問に思った。 「昨日出た連中、片付けないで帰ったのかな?」 「そうみたいですね〜」 前を向き直して、巴は再び洗いはじめ…それから僅かに首を傾げた。 「でも、変ですねえ…いつもならドロイドの誰かが、必ず最後に片付けておくのですけどね〜」 おれも、その点はちょっと引っかかった。 結局、おれも巴の洗い物を片付ける手伝いをするハメになった。 そして終わってから、サイホンで入れたコーヒーを淹れ、それぞれのマグカップに注いでお盆に載せ、 オフィスのフロアーに入ると、秀一が血相を変えて飛んできた。 「おい…なんかやばいことになりそうだぞ」 って、いきなり何を言い出すのやら…。 「どうしたんだよ?出し抜けに…」 「昨日、休日出勤した連中が、軒並み休むと言ってきてるらしいよ」 自分のマグカップを手にしながら、課長席を指差す。 長い柔らかな黒髪と黒のシルクのスーツが見え、おれは小さく会釈する。 右耳に受話器を付けたまま、課長…別名・お局さまこと、春日課長がこちらに気付いて手を挙げた。 「あれ…課長、今日はまた早いな…」 「何でも隣の課長から、今日はどうしても行けないのでフォローしてくれと言ってきたそうだ」 「…え?…しかし、おれたちだって、手一杯だぜ。第一…営業なんて」 「ああ、来たわね」 春日課長が受話器を置きながら、おれたちを手招きした。 彼女は春日千代…下の名がやや古風な感じの、当社きっての切れ者の女課長だ。 必要とあれば率先して色々乗り出すが、不要と判断したら容赦無くばっさり切る。 部長たちですら、時々たじたじとなるほどであり、このため『春日局』に引っ掛けて「お局さま」と 裏で呼ばれていたりする。 ちなみに、巴たちのヘルプに真っ先に賛意を示したのは彼女である。 端正な顔立ちに困惑気味な苦笑を浮かべ、銀縁の眼鏡を外す。 …気心知れたおれたち以外には滅多に見せない、優しい素顔の笑顔の素敵な美人だ。 このひとを見ると、時々、ともねえを思い出す事がある。 そして素顔の時の課長を、おれたちは「お千代さん」と呼んでいる。 「おはようございます、課長」 「おはよう…」 お千代さんは頷き、おれたちの後ろにやってきた巴とネネ、チャチャにも会釈した。 そして、おれと秀一を見上げ、申し訳なさそうに口を開いた。 「早速で済まないのだけど…今日の業務…巴さんたちには、主に電話番をしてもらいたいの」 「え?…今のこの一番忙しい時に…ですか?」 「そうなのよ…あたしもね、本当は一度断ったのだけど…」 「何があったんです?」 お千代さんが眼鏡を掛け直し、課長の表情に戻る。 「…その分だと、まだニュースを見ていないみたいね」 おれと秀一は顔を見合わせ、シローを従えて遅れてやってきた天野さんの方を向いた。 彼女も判然としない顔でそっと首を振る。 皆、朝もそこそこに飛び出してきたのだ。 春日課長はリモコンを手にしてスイッチを入れた。 課長席の後ろに置かれた液晶テレビに光が入り、おれたちはそちらを向いた。 『…この為、家庭から各省庁、企業に至るまで、推定では都市部のドロイドのかなりな数が 原因不明の機能不全状態煮に陥っているとの報告が入っており…』 テレビには、眠るように倒れていたり、ぐったりした様子のドロイドたちが映っている。 ファミレスではウェイトレス姿の娘が、宅配業者の制服の少年が、そしてメイド服の娘が…。 皆、動けなくなって倒れていたり、イスに腰掛けたまま微動だにしなかったり…。 『政府は準特別厳戒態勢を宣言、各方面に対して協力を要請すると共に、ドロイドメーカーに 対し、早急の原因究明と対策を講じるよう通達しました』 ビル街で「具合の悪くなった」ドロイドを介抱しようとるす中年の女性と、それを制して収容 しようとする機動隊員の姿が映り…次の瞬間、おれは見覚えのある人物たちの姿を見出して、 思わずあっとく声を上げそうになった。 <ぼっちゃま…あれ!> 小さく鋭く巴が囁き、おれも微かにうなずいてみせた。 …機動隊員に混じって、バンとジェーンの姿が見えたのだ。 まさか、呼び出しっていうのは…このことなのか? 「…と、まあこんな訳なのよ」 リモコンのスイッチを押し、テレビを消しながら春日課長は首を振った。 そして改めておれたちを見渡した後、巴たちの方を見、溜息をついた。 「昨日の晩から、日本中のドロイドの3割ほどが、機能停止か機能不全に陥っているのよ」 「何ですって?」 おれは巴をちらと見たが、巴も驚きに目を丸くしたままだ。 「…おかげで、各家庭のヘルパーやら各種業種、業務に色々と支障をきたしていて…」 「それじゃ、頼んであった請求が来ないのも」 「流しのお片づけがされてなかったのも…そのためですね」 巴がおれの後を受けて言い、課長は困惑し切った顔で頷く。 「昨日の休出のメンバーの話だと、昨日の昼までは支障が無かったそうだけど」 昨日の昼というと、おれと巴が商店街を歩いていた頃だ。 「午後に差し掛かった辺りで、急に『めまいがする』と言い出したドロイドがいて、それから 自力で動けないドロイドが続発したそうなのよ…」 「めまい…って、ドロイドがですか?」 「…なあ…おね、お茶々…お前達、そんな事あったかい?」 秀一が自分のパートナーたちに向き直る。 双子の様なメイドロイドの二人は、艶やかな黒髪を靡かせ、同時に顔を見合わせた。 「いいえ…わたくしは何も」おっとりした口調のネネ「淀ちゃんは、なにか感じました?」 「昨日でしょ?…その頃って、マスターとおねえちゃんと一緒だったじゃない」 チャチャが両手を開いて、小首を傾げて見せる。 要は何もなかったということだ。 「天野さんたちは?」 「いいえ…わたしも特に何も」 天野さんはシローの方を向いた。 すると、穏やかな少年の顔立ちをした彼女の執事は、一瞬何事か考え、こう言った。 「そうですね……強いて言えば…ちょっとですが…磁気を感じた様な気がします」 シローの言葉に、春日課長の顔色が変わった。 「それ…うちのアオイも言ってたのよ」 「アオイ…ああ、最近お迎えされた、最新の娘さんですね」 秀一が独特の言い回しで聞き返す。 元々はドールファンから始まった言い方だが「物」扱いで無い表現なので最近良く使われる。 「第八世代…でしたよね。……って事は、課長のお宅でも?」 「ええ」 課長は両手を合わせ、それから顔を覆った。 「同じよ…何か磁場の様なものを感じる…と言って、そのまま眠るように活動休止したわ」 「…磁場ですか」 おれは巴を見、それからネネとチャチャと見たが、三人とも微かに首をすくめるばかりだった。 ここで、現在、世間一般で活動しているドロイドについてちょっと補足する。 基本的にAI本体の基本的な構成は、確立された黎明期からそれほど変わっていないが、 ドロイド本体の構造、材質的な部分は年々改良され、サイズや動作の滑らかさ、反応速度などが より日進月歩で向上し、現在は第八世代まで達している。 もちろん、十数年前に誕生した「大きな隣人」と呼ばれた第一世代も、アップデートされて 現役で活動している者もいるが、中にはより新しい身体に載せ換えられているケースも多い。 巴はそれからは大分小さくなった第二世代…型番から言えばかなり旧式である。 もっとも親父たちの手で中身はかなり手を加えられ、アップデートしてはいるが… 少なくともデカいままだし。 ちなみに、ネネはAIの処理速度を上げた第四世代の後期型、チャチャが躯体の運動性能を 上げた第五世代、そしてシローがサイズを更にコンパクトにまとめた第六世代である。 本格的に一般家庭に普及し始めたのは第五世代末期からで、特に第七世代の普及率は 40パーセント以上と言われ、ヒデによれば、お年寄りでも子供でも扱える簡単さだと言う。 もっと正確に言うと、来て間もないドロイドが未熟なマスターの下に来ても、ドロイドの側が マスターに合わせて行動できると言い、その為、常時、必要な情報をマルチサーバーからの リンクを経由して、人間で言う「経験値」を瞬時にダウンロードできるのだという。 もっとも、うちの巴やネネ・チャチャは大分前のタイプなので、システムを増設していないが…。 「ともかく…このスタッフは健在ですから、できる限りのことをしましょう」 再び眼鏡を外して、お千代さんがにこっと笑う。 …この笑顔がまた曲者なのだが、まあ、おれたちに対する信頼の証だ。 決して悪い気はしない。 「では〜…わたしたちのお千代さんの為にも、みなさん、がんばりましょう〜」 巴が例によって元気良く…と言っても、少々まったりだが…小さく拳を固めて振り上げる。 春日課長は片目をつぶって、おれたちに「よろしくね」という笑顔を浮かべた。 おれは秀一と顔を見合わせ、ちょっと渋い顔のまま笑った。 …結局、今日も遅くまで帰れそうにない…。