「……電気化学工業でございます」 凛と澄んだ巴の声が、広いフロアーに響く。 「はい…はい、左様でございますか…はい…いえ、当社は営業は致しておりますが、 営業三課の者は現在、ニュース等で問題に挙げられている件の影響で、本日 お休みを頂いておりまして…」 おれの真正面のデスクについた巴が、きりりと引き締まった表情で電話の応対を している。 いつもの、まったりぽやぽやな様子は微塵も感じられない。 「はい…当課の課長の春日ならおりますが…はい、少々お待ちくださいませ」 席を立ち、奥のマシンルームに向かう巴…。 プロフェッショナルなオフィスレディの雰囲気を醸し出していて、凛々しくも美しく 見えるのだが、それに加えてポニーテールを真っ赤で大きな長いリボンで結んで いて、それが長い黒髪の左右に揺れ、同時に愛らしさも醸し出している辺りが…。 思わずちょっとぐっときて、暫し見とれてしまった。 あ〜!いかんいかん…仕事せねば。 と、途端に右から肘で小突かれ、ハッと我に返った。 秀一がニヤリと人の悪い笑いを浮かべている。 「…改めて惚れ直したか?」 「うるせ〜」 慌ててノートパソコンのモニターに視線を落とした。 「おれは元から一筋だ」 「ナニ?」 秀一がモニターから顔を上げ、意外そうな声を上げた。 「ほぉ…それは新しい発言だな」 …しまった…。 「ほ〜…遂にそこまで言う様になったか!」 秀一は、なおもぐりぐりとおれのわき腹を肘で小突く。 「痛ててて…!このボケ…やめんか!」 「元から一筋とは…目覚めたなおヌシ」 「余計なお世話だサル」 「ほっほっほ…図星指されて動揺しとるな…で、どこまでいったんだ?おい」 「こンの野郎…ぶっコロスぞ…」 おれが拳を振り上げようとした時、出し抜けにバインダーのびたーん!という 派手な音が隣で聞こえ、 「うぎゃ!」という奇声を上げて秀一はその場で頭を抱えた。 「マ・ス・ター…!?」 振り返ると両手を腰に当てて苦笑いのネネと、バインダー手に、腕組みしている チャチャの二人。 「…お…お茶々…角はよせ、角は…」 完全に意表を突かれてうろたえている秀一を、チャチャはジト目で睨み、それから おれの方を向くや、申し訳なさそうににっこり笑ってぺこりと頭を下げた。 少し遅れてネネも丁寧に一礼する。 「済みません…本当に済みません!」 「本当に…おばかなマスターで、ご迷惑をお掛けします…」 「お茶々…そりゃないぜ…」 口を尖らせて秀一が抗議する。 「おれはこの場を和ませようとだな…」 「却下です…マスターのそれは…明らかに野次馬根性丸出しです」 …だが、チャチャの表情には微かに笑みが浮かんでいる。 見守るネネはあくまでおっとりして楚々としたもので、苦笑混じりだが、やはり どこか楽しそうだ。 「…なんでぇ…そっちこそお尻に敷かれてるじゃないの」 二人が後ろのデスクにつくや、おれは小声で突っ込んだ。 途端に秀一はバツの悪そうな顔で慌ててモニターに向き直る。 「メイドロイドに頭の上がらないマスターってのも…あやしいねえ…ヒデちゃんよ」 「う、うるせ〜」 「その慌てよう…そっちこそ、ナニかしたのかなぁ?」 「………あ……あぁ…ま…な」 歯切れ悪く言葉を濁す秀一。 「ほ〜…こりゃ図星か」 なんてこったい…てことは…こいつもかぁ…? こいつは人には突っ込む癖に、突っ込まれると案外弱いのだ。ざまあみろ。 しかしそうかぁ…って、どっちか?と、思わず苦笑いしながら、ネネとチャチャを 見ると、ちらとお互いの顔を見合わせ、口元に手を当て真っ赤な顔でふふふと 笑っている。 思わずピンときた。 あ〜そうですか…どちらもねえ…。 でも…ちょっと引っかかったので、小声で囁いた。 「でも…彼女は良いのか?」 「ん?…どっちの彼女だ?」 違うだろが、そっちじゃないよ。 「ばぁか……」思わずひそひそ声で言った。「天野さんだよ」 「あ…彼女な」 秀一はモニターから顔を上げ、ちらと奥のマシンルームの方に目をやった。 「もちろん公認さ」 「へえ…」 おれはちょっと意外な気がした。 長めのおかっぱ髪…というかボブカットの才媛、わが課の誇るアイドル天野さん …優奈さんは、とても穏やかで心優しい女性だが、以前は、多少生真面目で 潔癖症に思われていたのだ。 実際に話してみると、もっと気さくでお茶目…かつユーモアも解する女性で、 確かにあの秀一の彼女を宣言する程だから、その位の理解はあるのかも 知れないが…。 「……お前だけには教えるがな……彼女とシローも…な」 秀一はそう言って、静かに笑った。 「だからさ…おれたち、基本的には、結婚するまでキスか…ペッティング止まりの 約束なんだ」 あ…!そ、そうなのか。 おれもこれにはちょっと意表を突かれた。 そして、今朝、どうして秀一が『ちょっとしたファミリー状態』などと言ったのか 改めて理解できた。 しかも、二人ともドロイドのパートナーとイタす事で、婚前交渉無しという潔さ。 「…それにな…」 さらに声を落として秀一が言う。 「シローは元々、どちらにもなれる仕様なんだ…この意味、わかるか?」 おいこら、ちょっとまてぃ!ってことは何ですか、あんたまさか…。 いや確かに、シローは顔立ちが可愛いですよ。 メイクを落としたら、長めのショートヘアの女の子みたいで、声だって女性声優が 演じている少年キャラみたいな綺麗な凛々しい声ですからね。 胸だって今は簡単に直せるし…。 でも…男の子の設定でしょう? 流石にこれには呆れて何か言いかけようとしたが、秀一は至って大真面目である。 「…まあ、モノは付いてるが、別のモノも付けられるし…なんと言っても性格が良い」 「まさか…お前…両方つけて…」 秀一は苦笑し、小さく首を振った。 「そこまではしないさ…まあ、考えた事もあるし、これからその可能性がまったく無い 訳じゃないがな」 おいおいおい…。 だが秀一の顔は至って真面目だ。 「いや、半分は冗談だがな…なんて言うか、おれ、あいつも好きなんだよ…天野さんを …優奈の事をいつでも気遣って、おれとの連絡役を進んで買って出てくれたりしてさ、 一生懸命で健気だしさ」 …秀一はなおも続けた。 「シローは…天野さんの大切なドロイドで、彼女に言わせると、弟か妹みたいな位置 づけだし…なんて言うかさ、おれも、あの子は彼女の一部みたいな気もするんだ。 そう考えると、何か愛おしくてさ…」 「…彼女の一部か…」 「だから彼女とひとつになる時は…シローもネネもチャチャも一緒で…と本気で思ってる」 「おまえ…性別とか…種別とか超えちまってるなぁ…」 「かもしれないな…まぁ、人間の男と…っていうのだけは、絶対無いけどさ。」 「あたりまえだ。そうなったらおれは、おまえとは永久に国交断絶するぞ」 「おれも、おまえとだけは願い下げだ」 秀一はニヤリと笑い、おれも思わず吹き出し、それからモニターを指差した。 「…さて…雑談もこの辺で切り上げて…仕上げるか」 「おう…そろそろ一度締めないとな…」 ふと気が付くと、奥のマシンルームから戻ってきた巴が、右手を軽く挙げて会釈し、 小首を傾げてにこっと笑いかけてきた。 おれも右手を挙げ、親指を一本立てて合図して返す。 「…おまえらも、なかなか良いカップルだよ」 秀一が静かに笑った。 …午後九時…外がすっかり暗くなる中、このフロアーの蛍光灯群だけが煌々と輝き、 その中で、おれたち営業二課の面々はひとやすみしていた。 各種の入力処理はアルファ電気の請求額以外、総て終わった。 厳密に言うと近い額をダミーで入れてあるので、処理としては完了。 後はチェックリストさえ出せば、今日の処理は終了だ。 とりあえず状況が状況なので、大体の額を聞いて概算額を入力して、後で修正するより 手が無いのだが、この為、こちらからの請求額に誤差が出てしまう。 「この部分に関しては実費精算が原則ですから…請求先に説明して理解を頂くより他に 手は無いでしょうね」 お千代さんが湯のみを手にして、巴に小さく会釈しながら言った。 「…ここ数ヶ月の額と昨年同月の額から…そうは違わないとは思うのですが」 湯のみを左手に持ち、ネネの手にしている器から煎餅を取った秀一が口を開いた。 「ただ、細かい事を言う会社もありますからね」 「先に大目に頂いて、来月の請求額から減額するのが無難そうですね」 そう言ったおれの横に、お盆を持ったままの巴がちょこんと腰掛ける。 言うまでも無く大柄なのだが、控えめな仕草がなかなか可愛らしい。 「それに…巴さんたちのおかげで、関係各所への電話説明は終わりました」 天野さんがそっと口を開いた。 その横には寄り添うようなシローの姿がある。 「どこも似たような状況のようですね」 「幸い、どの会社からもクレームはありませんでした」 シローはそう言いながら、天野さんに湯のみを差し出した。 「むしろ、こちらから状況説明をしたのは、好判断だったかと思います」 「…あの〜…逆に請求日を守る事で、色々ご迷惑をお掛けします…ってありました」 巴がちらとおれの方を見ながら口を開いた。 「こちらから先にお話ししたの…結果的には…良かったみたいです〜」 「最初、ともちゃんから提案された時は…良いのかな?…って思ったんですけどね」 チャチャが巴の首に腕を巻きつけて身を寄せながら、悪戯っぽく笑った。 ストレートな黒髪が軽く巴の肩にかかる。 「まだ、正当な請求額が出る可能性もあったし、初めから間違った額です…って相手様に 知らせるの…切り出しにくいし、印象も悪くなりそうで…どうかなぁ…って」 「ん…まぁ…そうなんですけど〜…会計処理って…時期が〜厳守ですからね〜」 「そうなのよね…向こうも経理の人が、えらく苦労して大変だって言ってたし」 「はい…後で直せる程度なら、とり合えず…金額を出してもらえると助かります〜って」 「ともちゃんの機転のおかげね」 利発そうな瞳で巴に笑いかけるチャチャ。 横で笑顔で頷くネネも、静かに微笑んで見つめるシローも、無事に役目を果たせて安堵 している様子だ。 …こうしてみると、ドロイドが四人とも、今はこの職場にも無くてはならない存在になっている ことに気付いて、何となく頼もしく…そして嬉しく思えた。 「…みんな…本当にありがとうね」 春日課長が感極まった様子で眼鏡を取り、静かに頭を下げた。 「なんとかこれで、あと3日…乗り切れそうな自信が出てきたわ」 午前零時…フロアーの電気が消され、おれはドアを閉じ、カギを掛けた。 天野さんと課長が少し遠方なので先に上がってもらい、おれと巴だけが最後に残っていた。 「ぼっちゃま…おつかれさまでした〜」 巴がにっこり笑って小首を小さく傾げる。 「お疲れさん…今日は大活躍だったなぁ…きっちりOLさんか秘書さんしてたぞ」 「昔取ったなんとか…みたいです〜」 巴はえへっと小さく舌を出した。 「それに…その服だと大きさが目立たないしな…」 途端に巴は小さくぷっとふくれた。 「あ〜ん…それは無いです〜」 「ん…そうじゃなくてさ」思わず巴の頬に手を当てた。「その格好…似合ってるからさ」 巴は一瞬、きょとんとした顔をしたが…それからはっとした顔になり…やがてニコ〜っと 笑うと、両手を口にあてて照れた表情を見せた。 …どんなに疲れていても、この笑顔には本当に癒される。 本当に、まったりぽやぽな…鋼鉄の女神さまだ。 受付にカギを預けようと覗き込んだところ、例の『シュワちゃん』がふいに脇からやってきた。 「あ…済みません」 巨漢で一見こわもてだが、白い歯が見え、いつもの事ながら、その落差にちょっと笑いが こみあがるが、考えてみると巴よりは背が低かったりする。 「ちょっと裏でトラブルがありましたもので」 カギをおれから受け取り、シュワ氏が頭を掻きながら軽く一礼した。 「ケンカか何かかい?」 「いえ…クルマを運転していたドロイドが急に倒れたそうで」 「…そいつは怖いな」 「運転代行会社と、ドロイド・サービスセンターに連絡したので事なきを得たのですが… たぶん…今朝からの続きかと」 「そういえば、ドロイドのトラブルは、その後、どうなったんだい?」 おれの問いに、シュワ氏は複雑な表情を浮かべて首を振った。 「依然として改善されていません」 「…君たちは…無事なようだが」 「はい…幸いにも我々には何の兆候も無いので、大丈夫だろうと言われてますが…」 そう言いながら彼は巴を見上げた。 「どうやら貴女も大丈夫そうですね」 「はい…全然問題ありませんですよ〜」 巴の様子に、何を思ったかシュワちゃんはほっとした様な顔をした。 「…それは良かったです…」 「何かあったのかい?」 「現在…市井の40パーセント以上のドロイドたちが、機能不全に陥ってまして…ここの 明日の業務も、大半が半身不随なままになりそうでして…」 「そういえば…ここで働いているドロイドたちは?」 「同じです…営業補佐と清掃関係のドロイドたちが軒並みダウンしていまして、我々も これから夜間清掃の手伝いに就くことになっています」 「そりゃ、大変だなぁ…」 シュワちゃんはニャッと人懐っこい笑みを浮かべた。 「いえ…我々には大したことはありませんし、頼りにしてもらえるのは嬉しいものですよ」 そう言いながら、だが彼は少し表情を曇らせながら続けた。 「ただ…一刻も早く事態が収拾されて欲しいものですね」 帰りのクルマの中で、おれは昨日からの出来事を思い返していた。 ドロイドの違法改造ショップのこと。 そこで出会ったFBI捜査官のバンとジェーン。 彼らから聞いたシンクロイド・システムのこと。 そして今朝から起きているという、一連のドロイドの機能不全事件とバンたちの行動。 これらには何か深い関わりがあるのではないか? …それに…。 何故、巴やネネ、チャチャ、シローたちには全く影響が出ていないのか? これらが…何故かおれには、一本の『線』で繋がっているように思えてならない。 理由は判らない…だが…。 取り分け…シンクロイド・システムという言葉が、いつしか頭の片隅に引っ掛かっていた。