学校らしい所に行く。そう言ったケイスケの後をついて校舎の階段を上っていくと、やがて一つの扉が見えた。
屋上のことだったのか。
確かにらしい場所といえばそうかもしれない。アキラはそんな風に思いながらケイスケに続いて外に出る。
「……っ」
少し薄暗かった校舎内から一気に明るい場所に出たせいか、光が眩しくて反射的に瞳を細めた。
「アキラ、見て?」
その言葉と共に腕を軽く引かれ、よろめくように足が動く。
やがてゆっくりと視界が明るさに慣れて、白がかった世界が色を取り戻していった。
「この学校、高台にあるから景色いいって聞いたんだ」
工場はあっちの方かな。と呟きながらケイスケが指を差したさらに先に、水平線が微かに見える。
「結構遠くまで見渡せるんだな」
「うん。学校内で一番人気の場所なんだって」
そう言われてアキラは景色のことには納得したが、別のことに少し違和感を覚えた。
人気の場所なら、自分達の他に誰かいてもおかしくない。しかし、今ここは下の賑わいから遮断されたかのように静まり返っている。誰かが来る気配すらない。
ケイスケが座ったベンチにアキラも座り、それを問いかけると、見て? と今度は別の場所を指差した。
「もうすぐ体育館でライブがはじまるんだよ」
「ライブ?」
「うん。お笑いの人とか、アーティストとか、有名な人が来るって言ってたよ」
こうして上から見ると明らかだが、言葉通り大勢の人が体育館に向かって流れ込んでいた。
「普段が人気の場所だから、こういう時は逆に穴場になるんだろうね」
納得がいって頷いたアキラに、ケイスケはさらに続ける。
「ライブもいいかなって考えたんだけど、アキラはこういう場所嫌いじゃないかなって思って」
そんな話をあの青年にして、ここを教えてもらったようだ。
確かにこういう場所は嫌いじゃない。
ライブに全く興味がなかったわけでもないが、人混みの中を歩くことに慣れていないせいもあって少し疲れを感じていた。もちろんケイスケがそれを見通したわけではないとしても、屋上を選んでくれたのは嬉しく思う。
「制服着てこういう場所に来れるチャンスなんかないだろうし、いいかなって思って」
「あぁ、そうだな」
同意する返事に視線の先に見える表情が優しく微笑んだ。
それを見ると、やはりさっきの顔が嘘のように思える。考えながら気がつかないうちにじっと見つめていたらしく、急に目の前のケイスケがそわそわしはじめた。
「どうした?」
「どうしたって、あの」
「ん?」
「アキラ、やっぱり制服似合ってるなぁ……って」
そう言ったケイスケの視線に熱が宿ったのがわかる。アキラがしまったと思った時にはもう遅く、手首を掴まれて腕の中へと引き込まれていた。
「ちょっと……待てって」
耳元に感じる熱がこもった吐息に首をすくめ、ブレザーを掴んで押し返す。それでもかなり近づいた距離に息を飲んだ。
「アキラ……」
もう一度抱きすくめられ、ケイスケの片手が今度はネクタイへとかけられる。
「こら、いい加減にしろ。ここは外だ……っ」
いつ誰が来るかもわからない場所で、これ以上流されるわけにはいかない。強く押し返しながら、怒るぞ。と言葉にして睨み付ける。
「だって――」
「だってじゃない」
「じゃあ」
――キスだけ。
そう囁かれてすぐにアキラの唇が塞がれる。
「……ん、っ」
舌を誘うように軽く吸い上げられて、体に熱が走った。深くなるキスに苦しくなって今度はブレザーにしがみつく。
今屋上の扉が開いたりしたら、効くかどうかはわからないがケイスケに本気でパンチを入れるだろう。しかし、運がいいのか悪いのか誰も扉を開けることはなく、しばらくして唇がゆっくりと解放された。
「……」
「ごめんなさい……」
むっと頬を膨らませて睨み付けた視線の先で、しゅんとなったケイスケがベンチの上に正座して頭を下げる。
「謝るくらいなら最初からするな」
「だって……」
「まだ言うか」
「う……ごめん」
反省しているのはわかっているが、暴走されるとアキラは力でかなわなくなってしまうため、もう一度だけ釘をさしてから視線を空へ向けた。
なんなんだよ。と思いながら見上げた空は下り坂という予報も外れ綺麗に晴れ渡っている。ケイスケもいつの間にか正座を止めてアキラと同じように空へと目を向けているようだった。
「ね、アキラ」
「何だ?」
「今日の空って……あの日の空に似てると思わない?」
さっきまでのはしゃいでいたトーンとは一転した声に、アキラは答える前にケイスケの方に顔を向けた。
「あの日?」
「うん。トシマから出て、アキラと二人で一番最初に見た青空……覚えてる?」
もう一度、今度はその日の空を思い出すように仰ぎ見る。
それまで見上げた先にある空はいつも灰色だった。実際にはそうでなくても、アキラには灰色にしか見えなかった。だからあの日の空を見た時はやけに眩しかったのを覚えている。
「……確かに似てるかもな」
頷きながらアキラがそう返すと、ケイスケが嬉しそうに笑って空に向かって手を伸ばした。
「今日ここに来てからずっと考えてたんだ。もし、俺とアキラがこうやって普通に学校に行ってたら、どうなってたのかなーって」
そう言いながらゆっくりと降りていく手を、アキラは視線で追う。
「俺はアキラにとってどんな存在になってたんだろう……とか」
ぶらりと落ちるように降りた手が、そっとアキラの手を握った。
「また勝手に一人でもやもやしてたのかな……とか。色々」
「……ケイスケ」
少し苦しそうな表情が、さっきクレープ屋に並んでいた時の顔と重なる。
「だからあんな顔をしてたのか?」
「えっ?」
「クレープ屋に並んでいる時。お前すごく複雑な顔をしてた」
「あ……はは、見られちゃってたんだ」
そう言いながら笑って、もしもの話なんて良いことも悪いことも考えられるのにね。と、呟いた言葉に自嘲が混じったのがわかった。
「あの時は、アキラが好きだって気がついた時を思い出してた」
深呼吸をするように息を大きく吐いて、握った手にそっと指を絡める。
「こうやって気持ちを伝えられるなんて思ってなかったから、気がついた時は苦しかったんだ……すごく」
その時を思い出すように眉を寄せる。あまりにも苦しそうに見えて少し心配になった。名前を呼んで指を絡め返すと、大丈夫と言いたげに笑った。
「でもね、もし、自分の気持ちに気がつけなかったら……、気がついてもそれを否定してたらって思うと、それはすごく嫌なんだ」
わがままなのかもしれないけど。と呟いたケイスケはアキラの瞳を覗くように見た。
「俺……苦しくても、一生背負っていくものがあっても、今に繋がる道を選べてよかったって思うよ」
一生背負っていくもの。それはトシマでの出来事全てだろう。それを忘れないために望んで見る罪と向き合うために見る悪夢も記憶も……全て。
強い眼差しに、アキラの鼓動が高鳴る。制服を着ていてもその表情が大人びて見えて、少しだけケイスケが遠くにいるように見えた。
「それに普通に学校に行ってても、俺はやっぱりアキラを好きになってたと思うし」
「なんだよ……それ」
「だって、俺にとってアキラは特別なんだから」
さらりととんでもないことを言われ、軽く拍子抜けしながら言葉を返す。すると、そんな様子が伝わったのか、くすくすと笑いをこぼしてケイスケが繋いでいた手を軽く引き寄せた。
「お前、また……っ」
「今度は、本当にこれだけ」
急に抱きしめたくなっちゃって。と囁かれた声に、まったく……、と呟きながらも鼓動がまた強くなる。
そして肩越しに広がる空を見て、今に繋がる道を選べてよかったと言うケイスケの気持ちがとても近くに感じれられる気がした。そのせいかさっき抱きしめられた時とは何かが違って感じられて、体中に広がる心地よさに瞳を閉じそうになる。
「――わっ」
「……っ」
しかし、その時屋上の扉が開いて人がやってきてしまったため、二人は慌てて体を離す。
「あ、ライブ終わっちゃったみたいだね」
そう言われて体育館の方へ視線をやると、さっき見た時とは逆に人が外へと溢れ出している。
終わってすぐに人が来るなんて、やはり人気の場所というのは本当なんだな。と改めて思った。
「見たいものはほとんど見れたし、遅くならないうちにそろそろ帰る?」
「そうだな」
「じゃあ、制服返しに行こっか」
「あぁ」
ようやくこの制服が脱げるのか。
そんな風に思ったが、朝これを着せられた時に比べれば慣れてしまっている自分に気がつき、歩きながら苦笑いを漏らす。
しかし、隣を歩くケイスケから、ずっと着てたいなぁ……。と呟く声が聞こえると、アキラは心底レンタルでよかったと思ったのだった。
「あれ……?」
「何かあったのか?」
二人が一番最初に訪れた教室の近くに戻ってくると、何やら人だかりができていた。アキラはケイスケと顔を合わせ、その教室へと近づいてみる。
「……っ」
「わっ。なんだこれ」
来たときに見た様子とは一転、天井からポタポタと水が垂れ、床には水たまりができてしまっている。まるでこの教室にだけ台風でも来たのではないかという状況に、驚いて声をあげた。
「なんでもタバコを吸った人がいて、スプリンクラーが作動したらしいですよ」
二人と同じように中を覗いていた人が、近くの誰かに話しているのが聞こえてくる。
「ひどいね……」
声をひそめてケイスケが呟く。アキラもそれに同意するように頷いた。
しかしこれだけ水浸しになっていて、預けておいた洋服は平気なのだろうか……。
そう思ったアキラの隣で、ケイスケが何かを探すようにキョロキョロと中を見回している。
「あ、あの!」
声をあげて二人の元に駆け寄ってきたのは、朝話をした青年だった。
「そろそろ戻ってくると思って、探してたんですよ」
「あの、スプリンクラーが作動したって聞いて……」
ケイスケの問いに困った表情を見せた青年は、二人に向かって頭を下げる。そして、タバコを吸った人がいてスプリンクラーが作動したことと、それによってアキラ達が預けていた服が濡れてしまったことを説明した。
「こちらの管理不足で……本当にすみません」
申し訳なさそうに頭を下げた青年に、ケイスケは首を振って頭を上げるように言う。アキラもそれに同意して頷いた。
「それで、今教師と相談したんですけど、クリーニング代か制服プレゼントを選んでもらう形にしようってことになって……」
「制服プレゼント……って、そんなことをして平気なのか?」
アキラの問いに青年は頷いて、どうせ今年の四月から制服が新しいものに変わるんで、残しておく予備は少なくていいんです。と、説明する。
すると、なぜかケイスケが嬉しそうに「制服プレゼントかぁ」と呟いたのが聞こえてきた。
その言葉にものすごく嫌な予感がする。
朝にも似たような気持ちを感じたのを思い出し、小さく首を振る。そしてどっちにするべきかを考えることに意識を集中させた。
濡れたものを着て帰らないで済むのは魅力的だが、貰っても他に使い道もない。だから多少寒い思いをして帰っても、クリーニング代を貰う方が得策のように思える。
「どちらも一応連絡先を記入していただかなきゃいけないんですけど……どうします?」
「じゃあ……」
「クリーニング代で」
「制服プレゼントで」
同時にケイスケからも言葉が発せられたが、アキラの答えとは違っていた。
何でだよ。
嫌な予感の正体はこれかとため息を吐いて、対抗意見を発したケイスケを勢いよく見る。
「だ、だって風邪ひいたら大変でしょ? これから夕方なんだから……冷えるし」
「……本当にそれだけが理由か?」
「え、えー?」
そらされそうになる視線を、ネクタイを引っ張ることで強引に戻した。
「う、く、苦しいっ!」
「本当にそれだけなのかって聞いてるんだ」
「そ、それだけだよ……っ。多分」
「多分ってなんだ」
すると、そんな二人のやり取りを見ていた青年が、思いきり吹き出して笑いはじめる。
その声でアキラは自分達がすっかり注目を浴びてしまっていることに気がついて、慌ててネクタイを離した。
「う……苦しかった……。と、とにかく風邪をひいたら大変って言うのは本当だよ」
数回咳き込んで深呼吸し復活したケイスケは、身振り手振りでそう言う。
だったらさっきのにやけた顔はなんだ。と思うが、青年が答えを待っているのと、また注目を浴びるのは困るため仕方なく折れることにした。
「それじゃあ、向こうで記入をお願いします」
「アキラ、俺は着てきた洋服を袋に入れてきちゃうね」
「……あぁ」
嬉しそうに駆け出したケイスケを見送り、アキラは青年に続いて机がある方に向かった。
「連絡先と名前だけ書いてもらえればオッケーですよ」
「わかった」
制服がいいと言ったのはケイスケなのだから、と名前欄にはケイスケの名前を書き、連絡先も書き込む。すると、その様子を見ていた青年が終わるのを見計らったように声をかけてきた。
「創立祭、楽しんでもらえました?」
ペンを置いて書き終わった紙を渡しながら、アキラは問いかけられたことを考える。ケイスケに対しては言いたいことが山ほどあるが、結局最後は、自分が制服を着ていることを忘れるくらい自然な気持ちでいられた。なんだかんだで楽しんでいたと思い大きく頷いた。
「よかったぁ」
その答えに心底安心した笑顔が返ってくる。そして続けて何かを言おうと青年が口を開いた瞬間、近くのドアが勢いよく開いた。
「会長! 今度は向こうの列捌いてもらっていいですか!」
「オッケー、すぐに行くよ」
呼ばれた青年は改めてアキラに向き直って、今日は本当にありがとうございました。と頭を下げると、慌てた様子で教室を出ていった。
生徒会長だったのか。
チラシ配りに列捌き、本当によく動く会長だと思いながら出て行った方を見ていると、ケイスケが戻ってくる。
「アキラー。お待たせ。あれ、あの人は?」
「呼ばれて出ていった」
「そっか、お礼を言いたかったんだけどなぁ」
「生徒会長だから忙しいんだろ」
「へぇ、生徒会長だったんだ」
ケイスケも自分と同じような反応を見せて、残念だけど忙しいなら仕方ないか……。と呟くと、アキラに視線を向けて「帰ろうか」と言ってくる。
それに頷き、二人は名残惜しさを感じつつもまだ賑やかさを失っていない学校を後にしたのだった。
「楽しかったねー。創立祭」
「そうだな」
昼間はあんなに真っ青だった空が、いつの間にか夕日によって真っ赤に染まっている。
並んで隣を歩くケイスケを見ると、ふと屋上で見た少し大人びた表情を思い出して思わず顔が熱くなった。
なんだ? 今の。
再び鼓動が高鳴っているのがわかり、アキラは首を振る。
「アキラ?」
「……なんでもない」
「でも」
「なんでもない。いいから帰るぞ」
胸が高鳴っていることも、顔が赤くなっていることも、絶対に気づかれたくない。そう思ったアキラは、覗き込んできたケイスケから顔をそむけて、その手を引くと早足で歩き出した。
一瞬その行動に不思議そうな顔をしたケイスケも、握った手にしっかりと指を絡めて歩き出した。
終わり
⇒IF...(おまけ)
※18禁描写ありです。時間軸はこの続きですが、あくまでもおまけとして読んでいただければ本望です。
*あとがき*
途中すっごく悩んで投げようかと思ったんですが、なんとか書き終わりました。
他サイト様の学園パロを見てて、そこでもケイスケがアキラにまっしぐらだったのを見て、そういう話を二人でするのもいいなー。
とか思って書き始めたんですが、ケイスケの言葉に気を使いすぎてかっつかつでした(笑)
でも、ドラマCDで、全てを背負って歩いていくって感じだったので、前向きでもいいか。と。あんな感じに。
おまけは、ノリです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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