「ゼロの使い魔」二次創作短編(ifもの)
(2013年 9月 投稿分)

『ゼロのルイズ、ハルケギニアに立つ!!』
もしも「機動戦士ガンダム」みたいな世界だったら
『虚無(あくま)の力を身につけて』
もしも「デビルマン(アニメ版)」みたいな世界だったら
『ガリア空賊 クロスタクト・バンガード』
もしも「機動戦士クロスボーン・ガンダム」みたいな世界だったら
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『ゼロのルイズ、ハルケギニアに立つ!!』

 始祖ブリミルが『聖地』に降臨してから、すでに数千年以上が過ぎていた。始祖ブリミルの三人の子供と一人の弟子が、それぞれアルビオン王国・ガリア王国・トリステイン王国・ロマリア連合皇国を興し、それらの王国を中心とした諸国で人々は、子を産み、育て、そして死んでいった。

 始祖暦6242年、他の国々とは地続きでない浮遊大陸、アルビオン王国にて革命が起こった。革命軍はレコン・キスタを名乗り、アルビオン王家を廃して、神聖アルビオン共和国を設立した。

 続いてレコン・キスタは近隣の国々へ攻め込むのではないか......。そのようにトリステイン王国の人々は恐怖した。伝統こそあるものの実質的には小国に過ぎないトリステイン王国は、大国ゲルマニアとの婚姻による同盟を計ったが、一通の恋文を証拠とする醜聞が発覚したことで、アンリエッタ王女とゲルマニア皇帝との婚約は破談。国際的にも孤立無援の状態となり、国民の不安が現実になるのも時間の問題という状態だった。

 そして、ついに神聖アルビオン共和国はトリステイン王国に対して宣戦布告し、港街ラ・ロシェール近くの草原地帯に侵攻を開始した......。





   ゼロのルイズ、ハルケギニアに立つ!!





「隊長、学生たちがいる教室は右奥の建物のようです」

 抜けるような青空をバックに、メンヌヴィルの隣にいる男が言った。メンヌヴィル同様、男も腹這いで寝そべっている。彼は今回の任務に同行する部下であり、セレスタンという名前の傭兵だった。
 メンヌヴィルは表情を変えぬまま、セレスタンに言葉を返す。

「そうか。そろそろ授業も始まった時間帯だろうからな」

 二人は豊かな草原に囲まれていた。ここはトリステイン魔法学院から少しだけ離れた小高い丘であり、二人は極秘任務のため、それぞれ竜を与えられて、この地に来ていた。二人をアルビオンからトリステインへと運んできたフリゲート艦は、百メイルほど離れた場所で待機している。
 セレスタンは望遠鏡で、魔法学院の内部を観察していた。魔法で性能を何倍にも高めた望遠鏡であり、この距離でも中の様子が手に取るようにわかる。

「授業時間のはずですが、まだ廊下を歩いてる奴もいるかもしれませんぜ......。いました、生徒ではなく教師のようです」

「......教師?」

 それが誰なのか特に気にもせず、ただ反射的にメンヌヴィルは聞き返した。

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「ミス・ヴァリエール!」

 大きな木の杖を持ち、真っ黒なローブに身を包んだ中年男性......。この学院の教師であるコルベールが、学生寮の一室の扉を叩きながら、その部屋の主を呼んでいた。
 彼女の名前は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。二年生に進級する際に行われる使い魔召喚の儀式において、使い魔を呼び出せないという大失態を演じ、以後、部屋に引きこもるようになってしまった少女である。
 もともと魔法の実践は苦手な少女であり、どんな呪文を唱えても爆発してしまうという、可哀想なメイジだった。だが、それを補うかのように座学は優秀。そんな彼女の才能を惜しんで、また、純粋に少女の身を心配して、コルベールは時々こうして様子を見にくるようになっていた。
 いくらドアをノックしても返事がない。鍵もかかっていないようだ。

「失礼......」

 小さくつぶやきながら、彼はドアを開けて室内に入っていった。

「ミス・ヴァリエール......」

 ルイズは書物の山に埋もれながら、必死に勉強をしていた。いくら魔法に関する知識を増やしても、魔法そのものが成功しないのでは意味がないのに......。

「あら、ミスタ・コルベール。......この本を読み終わるまで、待ってくださいね」

 コルベールの入室に気づいて、ルイズは一瞬だけ顔を上げたが、また本に視線を戻した。コルベールはルイズの手から、彼女が勉強していた本を取り上げてしまう。

「『待ってくださいね』ではないだろう。ミス・ヴァリエール、君は今朝も食堂に来なかったそうだね」

「食事なら、ちゃんととってますわ。......部屋まで運ばせて」

 ルイズの反論に、コルベールは首を左右に振って応えた。
 トリステイン魔法学院で教えるのは、魔法そのものだけではない。『貴族は魔法をもってその精神となす』のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受けるのだ。だから食堂での朝食も、マナーや礼儀作法を学ぶための、大事な貴族教育の場である。
 しかし、もちろんルイズとて、それくらい頭では理解しているはずだろう。それでも部屋に引きこもって独学で勉強している彼女に、今さら貴族たるべき教育の本質を説いたところで始まらない。それよりも......。

「ミス・ヴァリエール。支度は出来たのかね?」

「支度......? 何の支度です......?」

「......あきれた。避難命令を聞いていないのか」

 アルビオンの宣戦布告というニュースは、すでに学院内を駆け回っているはずだった。タルブの草原が火の海になったという噂まであり、一連の軍事衝突に対して『タルブ事変』という呼び名まで定着しているらしい。
 この魔法学院まで今すぐ戦火が及ぶとは思えないが、それでも大事をとって今日、避難することになっていた。

「避難ですって......! ここは安全な学び舎、トリステイン魔法学院のはずでしょう?」

「......う」

 そう言われると、学院の教師としては返す言葉がなかった。だが今日は王都から銃士隊という近衛兵の一団まで派遣されてきており、もはやコルベールの一存ではどうしようもない状況になっていた。

「と、とにかく......急ぎなさい。時間がないのだ」

 そう口に出した瞬間、コルベールは、言い知れぬ不安な予感を覚えた。もしかしたら事態は、コルベールが思っていたよりずっと悪くなっていたのかもしれない。学生の避難は間に合っても、教師たち大人まで避難する時間はないのかもしれない......。

「......ミス・ヴァリエール。万一に備えて、これを預かっていて欲しい」

「なんですか、これ?」

 突然の悪い予感に従って、コルベールが懐から取り出して、ルイズに託したもの。それは真っ赤なルビーの指輪だった。

「......二十年前、ダングルテールの村で命を落としたヴィットーリアという女性の形見だ......」

 ルイズは顔をしかめた。『命を落とした』と言った際にコルベールが見せた苦渋の表情は、ルイズが今まで見たことのないものだった、何かよほど深い事情が背景に横たわっているに違いない。

「私は命を賭してでも、この形見を彼女のゆかりの者に渡さねばならない。だから、もしも私の身に何か起きた場合は......」

「......わかりました。このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが、責任を持ってその任を代行しましょう」

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「......ふう」

 ルイズの部屋を出たコルベールは、小さくため息をついた。万一の場合の最終避難経路として、特別な空船『オストラント』号が研究室の地下にあることまで伝えたので、ルイズが無事に逃げ仰せる確率は高いだろう。これで何があっても、あの指輪は大丈夫だ......。
 そんなコルベールの思索を遮るかのように、彼の前を人影が通り過ぎた。使い魔のサラマンダーを連れた、燃えるような赤い髪の女子生徒。ルイズの隣の部屋で暮らしている、キュルケである。
 彫りが深い顔に、突き出たバストが艶かしい。その上、自身の特徴を強調するかのように、上から二番目までのブラウスのボタンを外し、胸元を覗かせている。若い男性ならばむせかえるような色気に当てられてしまうかもしれないが、中年のコルベールは動じることなく、冷静に声をかけた。

「ミス・ツェルプストー。ちょっと待ちなさい」

「......あら。誰かと思えば、ミスタ・コルベールじゃないですか。こんなところで、いったい何をしているのかしら?」

 たしかに、ここは女子寮の廊下である。教師とはいえ、男性であるコルベールが朝、立っているには相応しくない場所だ。だが彼は、やましい目的で来たわけではないし、それはキュルケだって理解しているはず。理解している上でコルベールをからかっているのだ。
 だからコルベールは、キュルケの質問は無視して、ずばり用件を口にした。

「駄目じゃないか。お隣さんなんだから、ミス・ヴァリエールに教えてあげないと......」

「ああ、避難命令のこと? でもあたし、あの子の面倒見る義務なんてなくてよ」

「......君!」

 にやっと笑っていたキュルケは突然、厳しい表情をして、

「だいたい、みんなルイズを特別あつかいし過ぎじゃないかしら。使い魔召喚に失敗したんだから、落第させるなり、退学させるなりするのが普通じゃないの?」

「......それは厳し過ぎるだろう。それに......ミス・ヴァリエールはその分、座学を頑張って......」

「でも、それを口実にして、ああやって部屋に閉じこもっちゃって......。そんなのを許してる時点で、あなた達は甘すぎるのよ。どうせルイズが公爵令嬢だから手荒な真似は出来ない、ってことなんでしょう?」

 彼女の家柄は関係ない。そう反論しようとしたが、コルベールが口を開くより早く、キュルケは話題を変更していた。

「そうそう、義務と言えば......。ミスタ・コルベール、戦争が始まったのだから、あなたも戦場に行くべきじゃないかしら」

「いや、私は教師だ。戦争だからこそ我々は学ばねばならぬ。学んで戦の愚かさを、『火』を破壊に使う愚を悟らねばならぬ」

 巨大な炎を操る男だからこそ、過去に数多の命を焼き尽くしてきたからこそ、口に出来る言葉だった。
 しかし、コルベールの目の間にいるのは、同じ『火』系統のメイジでありながら、まだうら若き少女に過ぎなかった。本当の炎の恐ろしさを知らないからこそ、火の本領は情熱と破壊だと信じて疑わぬ、経験の浅いメイジだった。
 だから彼女は、小馬鹿にした調子で言い放つ。

「戦が恐いんでしょ」

「そうだ。私は戦が怖い。臆病者だ」

 頷くコルベールを見て、それ以上キュルケは何も言わなかった。言葉だけでは、彼女に彼の真意は伝わらない。歩き去るキュルケを、コルベールは、ただ黙って見つめていた。

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 トリステイン魔法学院、本塔の最上階には、学院長室がある。学院長を務めるオールド・オスマンは、白い口ひげと髪を揺らし、重厚なつくりのセコイアテーブルに肘をついて、珍しく憂鬱な表情を見せていた。
 今日は彼の魔法学院に、王室から近衛兵の一団が派遣されてきているのだ。別に彼らは我がもの顔に振る舞っているわけではないが、それでも神聖な貴族の子弟の学び舎が、軍務に冒されるかと思えば、あまりいい気はしない。

「ううむ......」

 近衛兵たちを率いていた女性の姿を、ふと思い出す。そう、王宮から来たのは、昔からの魔法衛士隊ではなく、最近新設された銃士隊という女性だけの部隊だった。当然、リーダーも女性である。
 オールド・オスマンも新設された女性部隊の噂は聞いたことがあった。過去の醜聞が明るみに出たことで落ち込み、また周囲の貴族にも不信感を抱き始めたアンリエッタ王女のために、平民女性を近衛兵として登用した......という噂だった。ならば『銃士隊』などといういかつい名称も名ばかりで、実際は王女の話し相手みたいなものに違いない......。
 女性への関心は老いてなお盛んなオールド・オスマンのこと、実際に銃士隊を目にするのを幾分楽しみにすらしていた。だが、いざ見てみれば、まるで想像とは異なっていた。
 短く切った金髪の下、澄みきった青い目が泳ぐ、凛々しい女性。黙っていればボーイッシュな美人で通るだろうに......。

『......焦げ臭い、嫌な臭いがマントから漂ってくるぞ。教えてやる、私はメイジが嫌いだ。特に「炎」を使うメイジが嫌いだ』

 そう言いながら彼女は、学院の教師の一人を睨みつけていた。そんな姿を見てしまえば、さすがのオールド・オスマンも、彼女の尻を撫でようという気分が失せてしまうのであった......。

 トン、トン。

 ドアをノックする音が、オールド・オスマンの回想をストップさせた。入室を促すと、入ってきたのは頭の禿げ上がった中年教師だった。

「生徒たちは全員、教室に集合しました。......ほぼ全員、ですが」

「ん、了解した」

「オールド・オスマン、以前お話ししたように......『オストラント』号の艦橋まで一度おいでいただけませんか? 万一の場合は、オールド・オスマンに艦長役をお願いしたいのです。何といっても、この魔法学院の代表なのですから」

「ミスタ・コルベール......といったかな?」

「はい」

「何ヶ月になるね? 教師になって」

 とんちんかんな質問だった。コルベールがトリステイン魔法学院に務めてからの年月は『何ヶ月』などという短い期間ではない。
 だが、コルベールは知っていた。オールド・オスマンは時々、ひとの名前などを忘れたり間違えたりというふりをするのだ。これも、その一種に違いない。

「......冗談はおやめください。こんなときに」

 オールド・オスマンは、コルベールの言葉には応えなかった。代わりに、

「始祖ブリミルのお導きがあれば、学生のような若者が実戦に出なくとも戦争は終わろう」

「......?」

「魔法学院の生徒くらいの歳の子が前線に出ているとの噂も聞くが、本当かね?」

 コルベールは一瞬、躊躇した。現在の戦況について王宮から伝わってくる噂ならば、コルベールよりもオールド・オスマンの方が詳しいはずだ。それでも敢えて尋ねたのは、コルベールの方が経歴上、軍やら戦場やらの常識を知っているはずだからであろう。

「......はい、事実でしょうね。戦争というものは、そういうものです。いつの時代も」

「嫌じゃのう」

 長い時を刻んだオールド・オスマンの瞳に、コルベールは、時の涙とでも表現すべきものを見たような気がした。

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「どうだ、セレスタン。目的のものは見つかったか?」

 トリステイン魔法学院から少しだけ離れた小高い丘では、相変わらず二人の男が、腹這いで草原に横たわっていた。

「......無理ですぜ、隊長。こんなんじゃあ見つかりっこありません」

 トリステイン魔法学院に『始祖の祈祷書』がある......。その情報の真偽を確かめることが、彼らの任務だった。
 そもそも『始祖の祈祷書』のような『伝説』の品には、常に偽物の存在がついて回る。実際、一冊しかないはずの『始祖の祈祷書』は各地で保管されていた。金持ちの貴族、寺院の司祭、各小国の王室......いずれもが自分の『始祖の祈祷書』こそ本物であると主張しており、それらを集めただけで図書館ができると言われているくらいだ。
 そんな中。レコン・キスタ幹部は、このトリステイン魔法学院の『始祖の祈祷書』こそが本物だと信じているらしく、そのために彼らは派遣されてきたのだった。もちろん、存在の真偽を確かめるだけでなく、それを手に入れることが出来れば大手柄になるであろうが......。
 セレスタンが言外に匂わせている真意を先回りして、メンヌヴィルは言った。

「我々は偵察が任務だ」

「ですが隊長、遠くから見てても、わからんのですから」

「手柄のないのを焦ることはない」

「......」

 これ以上は何を言っても無駄と悟ったのか。セレスタンは無言で、望遠鏡を懐にしまい、立ち上がった。
 戦闘用の火竜へと向かい、騎乗しようとするセレスタン。そんな彼に、メンヌヴィルは慌てて声をかけた。

「おい、セレスタン! 何をするつもりだ!?」

「『白い閃光』だって、戦場で手柄をあげて出世したんだ」

 メンヌヴィルはセレスタンから『隊長』と呼ばれていたが、あくまでも傭兵部隊の隊長に過ぎず、この作戦全体の指揮官ではない。今回の任務を指揮する男は、フリゲート艦の中で待っており......その作戦指揮官こそが、セレスタンのいう『白の閃光』だった。
 通称『白い閃光』、あるいは白い仮面の『閃光』。いつも白い仮面で顔を隠しており、その素顔を知る者はいない。素性のわからぬ胡散臭い連中の多いレコン・キスタの中でも、いっそう怪しい男だった。メイジとしての二つ名は『閃光』だが、その仮面姿ゆえにむしろ『白の閃光』と呼ばれることのほうが多い......。

「......それは違うぞ......」

 メンヌヴィルは小声でつぶやいた。
 たしかに『白い閃光』は、タルブ事変において多大な戦功をあげた。それまで誰にも知られていなかったような男が突然レコン・キスタの指揮官クラスに抜擢されたのも、タルブ事変での戦果ゆえだと思われている。
 だが実際のところ『白い閃光』は、以前からトリステイン国内でレコン・キスタのスパイとして暗躍していたのだ。トリステインとゲルマニアの同盟破棄の原因となった恋文を手に入れたのも、彼の活躍があってこそだ。
 一般の兵士たちは知らずとも、さすがにメンヌヴィルは、そのあたりの裏事情に精通していた。しかし今、セレスタンを説得するために長々と真相を説明している余裕はなかった。

「セレスタン! 貴様、命令違反を犯すのか? やめろ、セレスタン!」

「傭兵屋本来の手荒いやりかたでいきましょうや、隊長。その方が隊長だって嬉しいでしょう? ......学院の連中を人質にして、『始祖の祈祷書』と交換するんでさあ」

 それはメンヌヴィルも一度は考えた戦法だった。だが、それでは事が表沙汰になってしまう。秘密裏に『始祖の祈祷書』について探る、という命令には明らかに違反する。
 それに......。
 メンヌヴィルは、ただ荒っぽい策がとれれば満足、というわけではない。メンヌヴィルは、人間を焼きたいのだ。人を焼く際の、己の炎がかもしだす匂い......。その匂いだけが彼を興奮させるのだ。
 だが、人質作戦では、思う存分焼き殺すことは出来ない。生かしておかねば人質の意味がない。そんなお預けを食らうような作戦は、メンヌヴィルの意には沿わない。命令違反を犯してまで実行する意味はなかった。

「ふん、手柄を立てちまえばこっちのもんってね。......先に行きますぜ、隊長!」

 メンヌヴィルが同意したものと誤解して、セレスタンは火竜で飛び立っていく。

「......ちっ」

 やむを得ず、メンヌヴィルも竜に騎乗して、あとを追った。
 ......まあ、いい。人質をとるにしても、まずはこちらの力を見せつける必要があるだろう。その際、多少の犠牲は仕方がない話だ。いや、そもそも人質なんて数人もいれば十分ではないか。残りは焼き尽くしても構わないのでないか......。

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 そしてトリステイン魔法学院に、攻撃魔法の雨が降りそそぐ。
 メイジの駆る、たった二匹の火竜により......。
 恐るべき虐殺劇の幕が切って落とされた。
 広場の芝生が、業火の海に変わる。建物に炎を吐きかけられ、窓ガラスが割れて室内に飛び散る。学院全体が、燃え盛る炎と怒号と悲鳴とに彩られていく......。

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「『白炎』メンヌヴィルに、部下の傭兵が押さえられんとはな......」

 連絡を受けたフリゲート艦の艦橋では、作戦指揮官の『白い閃光』が、しかるべき対処を思索していた。だが熟考している時間はない。彼は速やかに判断を下す。

「私が出るしかないだろう。風竜を一匹、用意してくれ。そして船を魔法学院に近づけろ」

「はっ」

 ......『白い閃光』が出撃する......!
 艦内の者たちの間に、緊張が走った。

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「......なんてありさま......」

 寮塔から一歩出た途端、視界に飛び込んできたのは荒れ果てた広場だった。さきほどまでは騒音を不思議に思っていたルイズだが、さすがに状況を理解した。魔法学院に敵が攻めて来たのだ。
 仰ぎ見れば、授業をおこなっていたはずの建物も半壊している。中にいた生徒たちは無事であろうか......。

「こら、何をやっている!」

 突然の声にルイズが振り返れば、そこにいたのは、教師の一人だった。長い黒髪に、漆黒のマントをまとったその姿は、不気味で冷たい雰囲気を漂わせており、生徒たちに人気がない。
 彼の二つ名は『疾風』。風を操るメイジ、『疾風』のギトーだ。

「何って......私は避難を......」

「生徒たちは教室に集合している時間だ! そこから集団で避難するのだ!」

 この男は状況を理解しているのであろうか? ルイズは崩壊した建物を指さしながら言った。

「ミスタ・ギトー、あなたのおっしゃる集合場所とは......あそこのことですか? あれじゃかえって危ないじゃないですか!」

「だが、それが定められた場所だ。生徒は勝手なことをせず、言われたとおりにしておればよい。今はそういう状況なのだ!」

 なんという頭でっかちな堅物だろう! ルイズは思い出した、ギトーには自信過剰の傾向があったことを。日頃「『風』は最強!」と誇っていたことを。

「ミスタ・ギトー。あなたこそ何をしているのです? もしかして......生徒たちをほっぽり出して、自分一人で逃げようっていうんじゃ......」

「バカを言うな!」

 激昂した口調で、ギトーはルイズの言葉を遮った。

「私には大切な使命がある。オールド・オスマンの密命で......これを安全に王宮まで届けねばならんのだ」

 ギトーは懐から一冊の書物を取り出しながら答えた。

「ミスタ・ギトー! あなたは生徒よりも、そんな古ぼけた本の方が大切なんですか?」

「これは特別なものだ。これは......いいものだ」

 ......なんだ、やっぱり一人で先に逃げるんじゃないか......。
 ルイズは思った。そもそも、その書物が本当に大切なものなら、こうやって取り出してみせるのは軽率な行為だ。
 しかし、それを口に出して指摘する暇はなかった。

 ドンッ!

 鼓膜が破れるかというくらいの轟音が、近くで鳴り響いた。攻撃魔法の一撃が、二人のすぐそばの地面を穿ったのだ。
 思わず地面に伏せたルイズが、埃まみれの顔を上げた時......。
 彼女の目に映ったのは、爆風で飛ばされていくギトーの姿だった。

「......風のメイジであるミスタ・ギトーが......風は最強と謳っていたミスタ・ギトーが、風でどこかに飛ばされていく......」

 なんという皮肉だろう。
 そして、ふと視線を下に向ければ、例の書物がルイズの手の届く範囲に落ちていた。あれだけ大切だと言っていたのに、最期の最期の瞬間、ギトーは手放してしまったらしい。
 何の気なしに拾い上げて、彼女は驚いた。

「こ、これは......『始祖の祈祷書』!?」

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 序文。
 これより我が知りし真実をこの書に記す。この世のすべての物質は......。

 ルイズは夢中になってページをめくっていた。自分の指にはめた指輪が光っていることに気づきもせずに。
 そう、この時ルイズは、コルベールから預かった指輪をすでに装着していた。大切な指輪なので紛失してはならない、ポケットに入れておいたら落としてしまうかもしれない、だから指にはめておくのが確実......という考えで。
 ルイズは知らなかった。この指輪こそが始祖の秘宝の一つ、『炎のルビー』であるということを。そして本物の『始祖の祈祷書』を読むためには、その資格のある者が始祖の指輪をはめなければならない、ということを。
 ......知らぬまま、ルイズは読み続けていた。

 ......四にあらざれば零。零すなわちこれ『虚無』。我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。

「虚無の系統......。伝説じゃないの。伝説の系統じゃないの!」

 あまりに興奮していたため、ルイズは周囲に気を配っていなかった。だから避難する学生たちの一団が視界の隅を通りかかっても、まったく気がつかなかった。
 学生たちの方ではルイズに気づいただろうが、自分たちが逃げるのに必死で、ルイズに声をかけようとはしなかった。その中でただ一人キュルケだけは、先ほどコルベールに言われたのが頭に残っていたせいか、少しルイズを心配したようだった。キュルケは学生たちの集団から離れて、使い魔のサラマンダーを連れて、ルイズに歩み寄る。

「ルイズ、何をしてるの」

「あら、キュルケ! すごいのよ、これ......」

 興奮で紅潮した顔を上げて、ルイズが『始祖の祈祷書』について告げようとした時。

 ドワッ!

 強烈な攻撃魔法の一撃が直撃した。
 つい先ほどまでキュルケが立っていた場所に。

「きゃあっ!?」

 直撃こそ食らわなかったものの、爆風でキュルケはルイズの方へ飛ばされてきた。同時に、石畳の破片も飛んでくる。大きな石の塊の一つが、キュルケの頭にぶつかったように見えた。

「キュルケ!」

 もうもうと立ちこめる土煙の中、ルイズは起き上がってキュルケに手を伸ばした。
 使い魔のサラマンダーが主人を守るかのように覆いかぶさった状態で、その体躯の下で、キュルケはわずかに動いた。

「キュルケ、しっかりしなさい」

「......ル、ルイズ......」

「立てる?」

「ええ......」

 少しずつ爆煙が晴れて、二人の視界もはっきりしてきた。状況を理解して、二人の少女は愕然とする。

「み......みんな......!」

 免れたのはルイズとキュルケだけだった。
 攻撃魔法で抉られた爆心地には、かつて同じ教室で学んだ友人たちが大勢、横たわっていた。近寄ってみるまでもなく、事切れているのは明白だった。
 そして。
 亡くなったのは、人間だけではなかった。

「......フ、フレイム......?」

 信じられないという顔で、つぶやくキュルケ。キュルケの使い魔は、飛んできた岩塊から主人をかばって、代わりに犠牲になっていた。
 ルイズも、何も言えない。

「......」

「あ、あ、フレイム......。フレイム、フレイム......」

 キュルケはただ、失われた使い魔の名前を連呼することしか出来ない。彼女の肩を、ルイズは激しく揺さぶった。

「キュルケ、あんたまでやられるわ。逃げるのよ、キュルケ」

「嫌よ......」

「しっかりなさい!」

 使い魔の遺骸を抱きしめるキュルケの頬を、ルイズは平手で叩いた。彼女を現実に立ち返らせるために。

「......あんたは強い女の子じゃないの!」

「ううっ......」

 だが、逃げるといっても、どこへ逃げればよいのか。集団避難の一団までやられてしまった今、ルイズの頭の中にあったのは、コルベールから聞いた話だった。

「キュルケ、よく聞いて。ミスタ・コルベールの研究室に、みんなで脱出できるくらいの、大きな空船があるわ」

「......ミスタ・コルベールの......?」

「そう。そこまで走るのよ。走れるわね、キュルケ?」

「......」

「あとから私も行くわ。先に行って!」

 よろよろとキュルケは立ち上がった。その足取りは重い。

「走りなさい、キュルケ!」

 コルベールの研究室は、本塔と火の塔に挟まれた一画にある。キュルケは泣きながら、そちらに向かって進んでいた。

「そうよ、キュルケ。いいわ、その調子よ......」

 キュルケの後ろ姿を見るうちに、ふとルイズは思った。そういえばキュルケの涙を見たのは初めてだったかもしれない、と。
 いつのまにか、ルイズの瞳からも涙が溢れていた。

########################

 コルベールが研究室の地下で建造していた『オストラント』号は、特殊な空船だ。通常のフネの三倍はあろうかという長大な翼は、木材を支柱として帆布を張ったものではなく、強度を得るために木材の代わりに長い鉄のパイプが使われている。翼の中間には巨大なプロペラがあり、その動力には、コルベールが開発した水蒸気機関が用いられていた。
 元々は遠く東方へ冒険するために造ったフネだったが、それがこうして戦時の脱出艇になる......。世の中、何が幸いするかわからないものだ。
 様々な感慨を胸に、『オストラント』号の艦橋に辿り着いたコルベールは、想像以上に悪化した事態に愕然とする。

「オ、オールド・オスマン......!」

 艦長役を任せるはずだったオールド・オスマンは、重傷を負っていた。艦長席の横には簡易ベッドが即席で用意され、そこに彼は括りつけられていた。動かすのも危険な、絶対安静の状態だ。
 だが、命を取り留めただけ、彼は運がよかったのかもしれない。既に多くの教師が亡くなっており、その場にいるのは学生ばかりだった。

「そうか......。操艦はミセス・シュヴルーズあたりにお願いするつもりだったが......」

 フネの運転は子供ではなく大人に任せようと、コルベールは予定していた。もはやそれも不可能となったが、コルベールの嘆きを聞き止めた学生が、代役を買って出た。

「あ、あの......。同じフネとはいえ、湖でボートを漕いだくらいの経験が役に立つとは思いませんが......僕でよければ......」

「君は......」

 何度も教室で見た顔だったのに、とっさに名前が出てこなかった。口ごもるコルベールに対して、少年は名乗る。

「マリコルヌ・ド・グランドプレです」

「......そうか、あのグランドプレ家の」

 別にグランドプレ家は、政治的にも軍事的にも大した家柄ではないが、コルベールは御世辞でそう言っておいた。少年の名前を失念した詫びの意味で、少しくらい持ち上げておくのは悪くないと思ったのだ。

「わかった。では君にお願いする」

「はい、まかせてください! ......僕は勇気を身につけたいんです」

「勇気?」

 ぽつりとマリコルヌがつけくわえた一言に、コルベールは少し混乱して、聞き返した。

「そう、いざというときの勇気です。こんな大きなフネを一人で動かしたら、どんな時にも逃げ出さない勇気が手に入りそうで......。そんな勇気があったら、モテるかもしれないでしょう?」

 少年の動機を聞いて、コルベールは不安になった。だが、彼が何か返すより早く、計器板を覗き込んでいた少年が、コルベールに叫んできた。

「ミスタ・コルベール! また一騎、魔法学院の方に竜騎兵が飛んで来るようです!」

 眼鏡をかけた少年だ。たしか名前はレイナールといって、マリコルヌなどとは違って、冷静で真面目な学生だったはず。しっかりとした生徒も艦橋にいると知って、コルベールは少しだけ不安が和らいだ。
 だが、肝心のレイナールは、不審げに顔をしかめている。

「でも、変ですねえ......。この計器を信じるなら......なんだか速すぎるような......」

「私の『オストラント』号の計器が信用できないのかね?」

「で、でもミスタ・コルベール、このスピードで迫れる竜なんてありはしません。いくら最速の風竜だとしても......」

「そんなに速いのか?」

「はい。ざっと見た感じ......通常の三倍のスピードで接近してます」

 その時だった。『通常の三倍のスピード』という言葉に反応して、ベッドに括りつけられていたオールド・オスマンが突然、身をよじって、呻いた。

「し、白い閃光だ、し、白い仮面の......」

「は? オールド・オスマン、何か?」

 オールド・オスマンは、何か最新の軍事情報を王宮から聞いているのだろう。そう思ってコルベールは、重体の老人の口元に、耳を寄せた。老人の表情は引きつっていた。

「......白い仮面の『閃光』......『白い閃光』......。『白い閃光』が駆る風竜一匹のために......タルブ事変では一瞬のうちに五隻の軍艦が撃沈されたんじゃ。......に、逃げろ」

########################

 まだ竜騎兵が学院を荒らしているらしく、遠くで爆音が聞こえる......。

「......」

 一度は『オストラント』号に逃げ込んだタバサだったが、そこから彼女は降りて、今、コルベールの研究室から外に出るところだった。
 逃げ遅れて学院に残っている生徒たちの中には、『オストラント』号の存在を知らない者も多いはず。一人でも多くの学生たちを救助するためには、『オストラント』号で脱出できることを彼らに伝えねばならない。危険な仕事ではあるが、それをタバサは進んで引き受けて、こうして学院の建物に戻ろうとしていた。
 入り口のところで、ちょうど研究室に飛び込もうとしていた男女二人組とすれ違う。その女性の方が、タバサに声をかけた。

「ちょっと、あなた! そっちは危ないわよ!」

 タバサは彼女に視線を向けた。
 同じ授業を受けたことのある生徒だ。見事な巻き髪とそばかすが特徴の少女だが、どちらも今は、煤で汚れていた。
 少女は親切で言ってくれているのだろう。いつも口数の少ないタバサだが、この場合は説明の必要を感じた。

「逃げ遅れた人を探しに行く」

「まあ......!」

「どこかにまだ誰かいた?」

 タバサが尋ねると、少女は小首を傾げた。連れの少年の方に首を向けると、彼は肩をすくめてみせた。

「知らないね。僕たちだって、攻撃の跡をよけながら、ようやく辿り着いたんだ。他人のことまで気にかけてる余裕はなかったよ」

「......ギーシュ、そんな言い方は......」

 少年の無責任な物言いに、そばかすの少女は咎めるような声を出した。すると少年は、言い訳がましく、言葉を続ける。

「だって、そうだろう? 君も知っているように、この僕の生存こそが最優先なのだよ。多くのレディを楽しませるために咲いている薔薇は、けっして枯れてはいけないのだからね」

 自分を薔薇に例えて、キザったらしく軽口を叩くナルシストだった。こういう言い方をするのは彼の性格であり、特に彼が自己中心的すぎるというわけでもないのだが......。

 パシンッ!

 冷静なタバサにしては珍しく、考えるより先に手が動いていた。

「な、何するの!?」

 突然の平手打ちに茫然とする少年の代わりに、傍らの少女が抗議の声をあげる。
 だがタバサにしても、どう説明していいものか、わからなかった。
 ......外では、大勢の生徒が死んでいるのだ。そうした場には、それに相応しい言動というものがあるべきだ......。
 おそらく、若くしてガリア北花壇騎士という汚れ仕事にも従事して『死』を肌で感じてきたタバサと、魔法学院という平和な環境で大人たちの庇護のもと甘やかされて育った貴族の子弟とでは、価値観にも大きな隔たりがあるのだろう。だが、そうした諸々を頭で考えるより先に、気づいたらタバサは少年の頬を叩いていたのだ。

「......軟弱者」

 そう吐き捨てて、二人をその場に置き去りにして。
 タバサは歩き出した。ひとつでも多くの命を救うために。

########################

「......ひどいありさまだな......」

 眼下に見える魔法学院の広場は、すっかり荒れ果てていた。平和だった頃のトリステイン魔法学院には、彼も来たことがあったのだが、今や在りし日の面影は皆無だった。
 焼け焦げた芝生の跡地に、風竜を着陸させる。白い仮面越しに周囲をぐるりと見渡してから、彼はぽつりとつぶやいた。

「これでは......かえって探し物は見つかりにくいぞ......」

 ともかく、目的の物が焼け野原に落ちているとは思えない。探索のため、半ば崩れた建物の一つに入ろうとした時、背中越しに彼を呼び止める声があった。

「止まりなさい!」

 白い『閃光』は、ゆっくりと振り返る。
 見れば、少女が一人、彼に杖を向けて立っていた。背格好から考えるに、この学院の生徒らしい。

「両手を上げて、杖を捨てなさい!」

 少女の表情は憤怒に満ちていたが、その身のこなしには、素人特有の隙があった。『閃光』は余裕を持って答える。

「勇敢だな。貴族軍人とも平民兵とも思えんが」

「杖を捨てろって言ったでしょ! 言うとおりにしないと、魔法を撃つわよ!」

 この時、ようやく彼は気づいた。煤まみれだったのでわかりにくかったが、目の前の少女は、ピンクブロンドの髪をしている。それは彼の婚約者と同じ色だった。そういえば、どことなく顔立ちも......。

「に、似ている」

「何か言った? あんたは私の命令に従いなさい! ......あと杖だけじゃなくて、その仮面も外しなさい。顔を隠したまま貴族と相対するなんて、失礼でしょ!」

 彼は言われるがまま手を上げはしたが、しかし杖を捨てようともせず、また、白い仮面を外そうともしなかった。
 代わりに、彼は思い出していた。捨て去った祖国での、遠い昔のことを。婚約者の屋敷を訪問していた頃のことを。
 彼の婚約者は幼く、魔法が苦手だった。できのいい姉たちと魔法の成績を比べられ、物覚えが悪いと母親に叱られては、中庭の池まで逃げて、そこに浮かぶ小舟に隠れていた。そんな幼い婚約者に助けの手を差し伸べるのは、いつも彼の役割だった。

『泣いているのかい、ルイズ?』

『子爵さま......』

『ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじき晩餐会が始まるよ』

 そこで彼は回想を打ち切り、頭の中の霧を払うかのように、小さく首を横に振った。目の前の少女は、彼の記憶にある婚約者と、姿形こそ似ているが......。

「し、しかし......僕の小さなルイズにしては、つ、強過ぎる。むしろ、これでは......噂に聞く『烈風』みたいだ......」

 それは小声で発せられた独り言であり、ルイズの耳には届いていなかった。
 いや、そもそもルイズは聞いていなかったのだ。ルイズの方でも、男の仮面の下からはみ出た長い口ひげに、見覚えがあるような気がしていた。誰だろう、と考えこんでしまい、やや注意が散漫になっていた。
 その時。

「『白い閃光』どの! 今お助けしますぜ!」

 空中からの声に、ルイズと『閃光』は、二人そろって同時にハッと視線を上に向けた。
 杖を突きつけたルイズの態度から『閃光』のピンチと判断したのだろう、火竜に乗ったセレスタンが、二人の方に急降下していた。

「......奴に任せよう」

 魔法学院の女性徒一人を、二人がかりで痛めつける必要もあるまい。桃髪の少女はセレスタンに相手させることにして、『閃光』は近くの建物に飛び込んだ。本来の任務のために......『始祖の祈祷書』を探すために。
 まさか目の前のルイズがその『始祖の祈祷書』を持っていようとは思いもよらぬ、白い『閃光』であった。

########################

「あ、待ちなさい!」

 少女は『閃光』に向かって叫んでいたが、もちろん無駄だった。『閃光』が校舎に駆け込むのは、上空のセレスタンにも見えた。
 諦めて、少女はターゲットをセレスタンに変えたようだ。彼女は杖をこちらに向けて、呪文を唱え始めた。
 セレスタンとて歴戦の傭兵メイジだ。風にのって聞こえてくる詠唱の端々から、相手の唱えているのが『レビテーション』であると即座に見抜いた。

「俺と空中戦をやろうってのかい」

 メイジが魔法で飛べるのは事実だが、しかし竜の速度には及ばない。竜に騎乗したメイジ相手に生身で空中戦など、愚の骨頂だ。それもわからぬとは、しょせん学生メイジ......。
 セレスタンは、眼下の少女メイジの戦術を鼻で笑っていた。だが、次の瞬間。

 ボンッ!

 少女の杖の先から飛び出た魔法が、セレスタンの竜の翼に直撃した。少女自身が飛行してくると想定していたセレスタンは、素人の攻撃を避けられなかったのだ。

「ちっ!」

 羽をもがれて落下する竜の上で、セレスタンは混乱していた。
 さきほどの呪文は、たしかに『レビテーション』だったはず......。だが発動したのは攻撃魔法、それも何らかの爆発魔法だったようだ。火竜の喉にはブレスのために、燃焼性の高い油の入った袋があるが、そこに引火したわけでもないのに、翼の部位で爆発が起こったのだ。

「わけわからねえ!」

 竜は頭から地面に激突して息絶えたが、さっとセレスタンは飛び降りて、身軽に着地した。
 目の前の少女を睨みつける。
 ......よくわからないが、なめてかかれる相手ではない......。
 セレスタンは今、本気になった。

########################

「な、何よ......!?」

 ルイズの口から、怯えのつぶやきが漏れる。
 たしかに、相手の竜を撃破して、敵を地上に引きずり降ろすことには成功した。どんな呪文を唱えても爆発してしまうという失敗の特性を活かして、相手の不意をついたのだ。
 だが、二度と同じ戦法は通じない。
 ......しかも、敵を本気にさせてしまった......。

「......!」

 ぞっとして、ルイズは体を震わせていた。
 初めての戦場で、初めての殺気......。それは彼女の肌を突き刺すかのようにすら感じられた。
 敵の背後で、殺気や呪いといった悪意が霧のように吹き出して、形を成していく。目に見えないものが形を示すなどあり得ないというのに......。

「ば、ばけもの......」

 物の怪の形があるとすれば、このような形であろうと思えた。ルイズを見据えるように黒い霧の形に双眼が輝いて、拡散したのだ。その黒い影が「やられはせん。やられはせんぞ、貴様ごときに。やられはせん」と言っているように......そんな幻聴まで聞こえてくるくらいだった。

「......わ、私は逃げないわ......。敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶのよ......!」

 ルイズは自分に言い聞かせたが、それでも正面を直視できなかった。殺意の塊から目を逸らしたくて、懐から『始祖の祈祷書』を取り出し、ぱらぱらとページをめくる。

 ......以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。
 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン』......。

 そのあとに続く古代語の呪文を、ルイズは必死になって読んだ。

「エオルー・スーヌ・フィル・ ヤルンサクサ......」

 ルイズの目の前では、敵が杖を振って攻撃魔法を放とうとしていた。
 とても最後まで詠唱している余裕はない。この最初の一節だけでも、発動させるしかない......!
 体の中に生まれた、力の波。まだまだ小さなものだと自覚しながら、ルイズは杖を振り下ろした。

########################

 セレスタンは、信じられない光景を目の当たりにした。自分のすぐ目の前に、光の球が現れたのだ。

「......!?」

 まるで小型の太陽だった。
 フル詠唱ではない分、『エクスプロージョン』にしては小さな光球であったが、しかし人間一人を呑み込むには十分の大きさと威力を兼ね備えていた。
 何に意識を刈り取られたのか、まったく理解できないまま......。
 セレスタンは光に包まれて、ハルケギニアから消滅した。

########################

「......ん?」

 半壊した建物の中で探索していた仮面の男は、その動きを止めた。窓から射し込む光により、突然、真夏の正午のように室内が明るく照らされたのだ。それは彼の二つ名『閃光』のお株を奪うかのような、一瞬ではあるが衝撃的な明るさだった。

「何が起こったというのだ......?」
 
 その光こそがセレスタンを呑み込んだ『エクスプロージョン』なのだが、そこまで彼にはわからない。ただ好奇心から、彼は捜索の手を休めて、窓の方へと歩み寄った。窓から身を乗り出すようにして、外の様子を眺めて......。
 そして、再び驚かされることになる。

########################

 ゴォォォ......。

 メンヌヴィルの業火が、また一つ、誰かの命を燃やし尽くした。
 学院の教師や学生ではなく、駐屯していた銃士だった。まだ若い女性らしい。もしも好色な部下ならば、ただ殺すのではなく、別の意味で天国に送ったかもしれないが......。
 メンヌヴィルに、そのような趣味はない。彼は男女差別することなく、平等に死を与えてやるのだ。学院の生徒や教師を人質にとるという作戦すら、すでに忘れているようだった。

「......つまらん相手ばかりだ......。だが......」

 銃兵など一個連隊来ようが、ものの数ではない。学生たちよりはマシとはいえ、『白炎』メンヌヴィルにとっては、物足りない相手ばかりだった。

「......もっと嗅ぎたい。人の焼ける香りが、嗅ぎたい......」

 彼が本当に焼きたいのは、かつて『魔法研究所(アカデミー)実験小隊』という部隊にいた頃の隊長だった。顔色一つ変えずに敵を焼き殺すその姿は惚れ惚れするくらいであり、いつか彼に再会したいと願って、傭兵稼業を続けてきたのだ......。

「......ん?」

 遠くで何かが光ったのを、メンヌヴィルは感じた。彼は視力を失っていたが、代わりに温度で物事を『見る』すべを身につけていた。その彼の感覚が、強敵の存在を感知したのだ。

「いるんじゃねえか......。ちっとは面白そうな獲物が......」

 あの『隊長』には及ばずとも、少しは楽しめるかもしれない。
 本能に従って、メンヌヴィルは、そちらに足を向けた。

########################

「......はあ......はあ......」

 強烈な虚脱感が、ルイズの全身を襲う。
 さすがに虚無魔法だけあって、『エクスプロージョン』による精神力の消耗は凄まじかった。ほんの一節だけ詠唱して放ったというのに、これまでの失敗爆発魔法とは比べものにならなかった。
 そんなルイズの前に......。
 新たな敵が現れた。

「セレスタンをやったのは......お前だな?」

 目元に大きな火傷のあとがある男......。革のコートは激しく汚れ、いかにも歴戦の傭兵という雰囲気を纏っている。さきほどのメイジとは、明らかに格が違っていた。

「嗅ぎたい」

「え?」

「お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」

 ルイズは震えた。もしも相手が「ええい、よくもセレスタンを」とでも言いながら向かって来るのなら、まだルイズにも理解できる。だが目の前の男の言葉は完全に理解不能であり、その彼の狂気が、彼女の恐怖を倍加させていた。

「今まで何を屠ってきた? 不思議な魔法の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」

 言われて、ルイズは慌てて『始祖の祈祷書』を開いた。

「......今度あれを放ったら、私の精神力がなくなっちゃう......」

 だが、今のルイズには『エクスプロージョン』しかない。ルイズは呪文を唱え始めた。

「エオルー・スーヌ・フィル・ ヤルンサクサ......」

 敵は余裕の表情で、呪文詠唱するルイズの様子を見ている。とにかく、ルイズは続けた。

「......オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド......ベオーズス・ユル・スヴュエル カノ・オシェラ......」

 体の中に先ほど以上の波が生まれ、さらに大きくうねっていく。
 これ以上は精神力が保たない。ルイズは限界を悟った。ここで魔法を解き放つしかない......!
 ルイズは杖を振り下ろした。

########################

 少女の詠唱する呪文は、メンヌヴィルの聞いたことないものだった。だが恐れることはなく、だからこそ焼いて楽しい獲物だと思えた。
 簡単に燃やしてしまっては、面白くない。相手に魔法を撃たせて、その魔法ごと焼き尽くしてやろう......。
 少女が杖を振り下ろす。

「......今だ」

 相手の魔法を避けるつもりで、メンヌヴィルは横に跳んだ。そして同時に、彼も杖を振り下ろした。
 メンヌヴィルの杖の先から、炎が巻き起こる。それが少女を包み込むことを、彼は信じて疑わなかった。
 しかし。
 その炎は、巨大な光球によって押し戻されていた。

「......なっ!」

 恐るべき大きさの光だった。横に跳んで避けたはずなのに、避けきれない。彼の炎だけでなく、光は彼そのものを包み込み......。

「......隊長どの! いつかあんたを焼くまでは、俺は......」

 その絶叫を最期に。
 彼の想い焦がれた『隊長』がトリステイン魔法学院にいたことも知らずに。
 光の中で......『白炎』メンヌヴィルは消滅した。

########################

「......」

 校舎の窓越しに、仮面の男『閃光』は、メンヌヴィルの最期を目撃した。
 セレスタンのときよりもいっそう大きな、強烈な光の輝きだった。
 しばらく彼は動くことすら出来ず、ただ黙って立ちすくんでいた。
 ようやく口を開いた時、彼は現実を理解した。

「なんということだ......。あの少女は、伝説級の魔法を放てるのか」

 彼は直感した。あれこそが『始祖の祈祷書』による魔法だ。これ以上、ここで『始祖の祈祷書』を探しても無駄であり、この場に留まるのは危険なだけだ......。
 任務の失敗を悟り、『白い閃光』は撤退を決意した。

########################

 戦いが終わり......。
 コルベールの研究室まで辿り着き、『オストラント』号に乗り込んだルイズは、コルベールが艦橋にいると聞いて、そちらに向かった。
 艦橋の入り口ではギーシュが壁にもたれかかっており、入ってくるルイズを見て、声をかけてきた。

「ようよう、女戦士の御帰還だね」

 ルイズが敵を倒したというニュースは、すでに伝わっていたらしい。
 その上で、その場の面々は、『オストラント』号で王都に向かうことを相談しているようだった。瓦礫の山と化した魔法学院に残っても仕方がない、ということだろう。

「ミス・ヴァリエール......」

 戦いの功労者を迎えるにしては、コルベールの表情は暗かった。

「君は強大すぎる力を手にしてしまった。これから十分、注意するように......」

 彼の口調は、ルイズには不愉快だった。敵を倒して褒められるどころか、むしろ叱責されているように感じられた。

「ミスタ・コルベール、あなたは私を叱ってるのですか? みんなを守った、この私を!?」

 ルイズは感情を爆発させて、叫んだ。

「......ひどいわ! 私、母さまにだって怒られたことないのに!」

 それは事実ではなかった。ただ勢いで、口からでまかせが出てしまったのだ。
 魔法の苦手なルイズは、小さい頃から怒られてばかり。魔法学院でも『ゼロ』のルイズと呼ばれていたくらいだ。
 その場の誰もがルイズの『嘘』に気づいたが、コルベールは敢えて指摘しなかった。ただルイズの言葉が本当であるかのように続けた。

「私は教師だ。生徒を叱るのは、教師の仕事のうちだ。......叱って何が悪い? 叱られもせずに一人前になるメイジなど、どこにもいないのだよ」

 ルイズは、何も言わなかった。

########################

 同じ頃。
 アルビオンへと戻るフリゲート艦の中で、白い仮面の『閃光』は、つぶやいていた。

「認めたくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを......」




(「ゼロのルイズ、ハルケギニアに立つ!!」完)

(初出;「Arcadia」様のコンテンツ「チラシの裏SS投稿掲示板」[2013年9月])

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『虚無(あくま)の力を身につけて』

   あくま
   虚無の力を身につけて





 ハルケギニアの東には、砂漠がある。
 広大な砂漠ではあるが、無限の砂漠ではない。
 どこまでも続くかのように感じられる砂の海を、ひたすら東に進み続ければ、やがて本物の海が見えてくる。その海岸に突き出る形で位置しているのが、エルフの国ネフテスの首都アディールであった。
 今。
 エルフの若者アリィーが、風竜に乗って、アディールの空を飛んでいた。中心にある『カスバ』という建物が視界に入ったところで、彼は高度を落とす。『カスバ』は、ネフテスを動かす評議会が置かれた建物であり、彼は、その評議会に呼ばれているのだった。
 アリィーが屋上に着陸すると、仲間のエルフの軽口が彼を出迎える。

「よう、アリィー! 今日も、いつものオアシスに行って来たのかい?」

「いや、今日はまだだよ」

 適当に相手して、さっと切り上げた。冗談に構っているひまはない。
 アリィーは階段を下りて、目的の部屋へ向かった。
 評議員エスマーイルの執務室......。
 エスマーイルは評議会の一員であるが、軍部の強硬派『鉄血団結党』を率いている男でもある。評議会の中でも比較的穏健派であるビダーシャルと親しくしているアリィーにとっては、疎遠な相手のはずだった。
 緊張の面持ちで扉をノックし、エスマーイルの執務室に入る。

「お待たせしました、エスマーイル様」

「ようやく来たか、アリィー同志」

 窓の外を眺めていたエスマーイルが、アリィーに向き直った。
 名前に『同志』と付ける、エスマーイルの呼びかけ方は、『鉄血団結党』の党員たちの間で用いられるそれであり、アリィーに対して使われるのは適切ではない。『鉄血団結党』に入った覚えなどない、とアリィーは不愉快に思った。

「君はその年で『ファーリス(騎士)』の称号を得るほどの、優秀なエルフだったね。アリィー同志」

 エスマーイルは笑みを浮かべて、切り出した。

「君ならば知っていよう。今は......悪魔の復活の時代なのだ。我々は一致団結して、これに当たらねばならぬ」

「はい。蛮人どもの中に『悪魔の力』を得た連中が生まれてきている......という件でしたら、私も聞いております。そのためにビダーシャル様みずから蛮人世界に向かった、という話も」

「そういえば君は、ビダーシャル殿の姪と婚約してるんだったな」

「はい。ルクシャナは......良い娘です」

 どう返すべきかわからず、アリィーは適当に誤摩化した。別にエスマーイルだって、ルクシャナについて話したくて自分を呼び出したわけではあるまい。
 アリィーは、話題を戻す意味で、

「ビダーシャル様は、ただ蛮人世界の様子を偵察に行ったわけではありません。蛮人の国の王と交渉しに行ったのです。ですからビダーシャル様に任せておけば、悪魔のことは大丈夫でしょう」

「......そうかな?」

 エスマーイルは、アリィーの言葉に疑念を挟んでみせた。

「交渉などという生温い方法で、本当に、この問題が解決すると思うか? アリィー同志」

「それは......。正直、私には何とも言いようがありません。しかしビダーシャル様の交渉は、ビダーシャル様の一存ではなく、評議会の決定で行われていること。その評議会の決定に疑問を抱くつもりはありません」

「ふむ。しかし......『もしも』の場合の準備もしておくべきだと思わんかね?」

 聡明なアリィーには、会話の行く先が見えていた。だから敢えて、肯定も否定もしなかった。
 アリィーが何も言わないのを見て、

「ともかく、今が悪魔復活の時代だということは、深く心に刻んでおいて欲しい。近いうちに、君にも蛮人世界まで出向いてもらうことになるだろう」

 そう言って、エスマーイルは話を締めくくった。

########################

 アリィーが仲間から言われた『いつものオアシス』とは、広大な砂漠のど真ん中にある。
 周りをちょっとした森に囲まれた泉のほとりに、白い塗り壁で造られた正立方体の小屋。直径百メイルほどのオアシスであったが、風石と水石という先住の結晶を使った魔法装置により、オアシスを包む空気は余計な日光を遮断し、快適な湿度と温度を保っているのだった。

「ふっ......」

 オアシスの領空内に入っただけで、外の熱気が嘘のようだ。アリィーは泉に向けて、風竜を降下させた。
 泉と言っても、ちょっとした池か小さな湖くらいの大きさはあり、中程まで小屋の前から桟橋が延びている。
 風竜を桟橋の近くに着水させた。派手な水しぶきが上がり、その音が静かなオアシスに響く。それでアリィーの到着に気づいたらしく、中から彼の婚約者ルクシャナが出てくる。

「また、そんな格好をして......」

 彼女を一目見て、アリィーはそう言った。
 ルクシャナは美しいエルフだ。つり上がった切れ長の瞳に、無造作に切りそろえられた長い金髪。細い体は少年っぽくも見えるが、透き通るような金髪がすんなりと伸びた手足によく映えて、健やかな色気と妖精のような雰囲気を与えていた。
 少し前まで泉で水浴びをしていたらしい。濡れた体にタオル一枚まとっただけという状態で、タオルの隙間からは、緩やかな胸の双丘さえ垣間見えていた。

「あら、いいじゃないの。ここは私の家よ。せいぜいあなたぐらいしか来ないわ」

「僕たちはまだ婚姻前だぞ」

「頭かたいわね」

 ルクシャナは、きょとんとした顔で返した。両手を顔の横で広げ、ニコッと笑う。
 それが蛮人の世界における『あきれた』という仕草であることを、アリィーは思い出していた。蛮人かぶれのルクシャナと付き合ううちに、自然と覚えた知識だった。

「......いいから早く服を着ろ」

 ルクシャナが体を拭いて、彼女のローブを羽織る間。
 アリィーは視線と意識を、ルクシャナそのものではなく、彼女の部屋へと向けていた。
 ルクシャナは趣味で蛮人の研究をしている学者であり、彼女の部屋も蛮人たちの雑貨であふれている。
 彼女とは違って普通のエルフであるアリィーは蛮人を蔑視しており、ルクシャナの蛮人趣味もいつもは鬱陶しいだけだが、今日は違う。今すぐではないにしろ、蛮人の世界へ行けと言われた以上、その下調べをしようと思ったら、ルクシャナの部屋は最適の場所だった。

「ちょっと見せてもらうよ」

 軽くルクシャナにことわってから、アリィーは、奥の壁の本棚へと向かう。そこにもエルフの図鑑や歴史書は少なく、むしろ『人間世界(ハルケギニア)』で書かれた雑多な書物が大量にあった。そのうち一冊を手にとって、パラパラとめくる。アリィーは知らないが、それはハルケギニアで流行の『バタフライ夫人』シリーズと呼ばれる通俗小説だった。

「あら? アリィーが蛮人の書物に興味もつなんて、珍しいわね」

「うん。必要に迫られてね」

「必要に迫られて......?」

「ああ。僕もビダーシャル様のように......蛮人の世界に行くことになりそうだ」

「ええっ!?」

 ルクシャナの叫びを聞いて、アリィーは自らの失言を悟った。彼女は目をキラキラさせて、彼に抱きついてくる。

「私も連れてって! いいでしょう?」

「駄目に決まってるじゃないか! 遊びじゃない、仕事なんだ。評議会からの仕事! ......エスマーイル様からの」

 アリィーは敢えてエスマーイルの名前を出した。ルクシャナの叔父ビダーシャルの、いわば政敵であり、アリィーとしても親しく付き合いたくない相手だった。

「......僕だって本当は行きたくないんだ。わがまま言わないでくれ」

 なまじエスマーイルとは親しくないからこそ、迂闊に彼の命令を断れないのだ。もしもこれがビダーシャルに言われたことなら、少なくとも一度は『断固拒否します』と言っていたはずだった。

「アリィーが行きたくないなら、それこそ代わりに私が......」

「君は学者であって戦士じゃないだろう? そういう仕事じゃないんだよ」

 アリィーは暗に、荒事であることをほのめかした。

「そう。じゃあ......」

 ルクシャナは腕を組んで、そっぽを向いた。

「......それなら、あなたとの婚約は解消ね。恋人の頼みもきけない男なんて、私の婚約者たる資格もないから」

「な、なんだって!」

 アリィーは唖然として、

「無茶を言うなよ! もしもこれがビダーシャル様からの命令なら、君を連れて行くくらいは出来るけど......。状況が違うじゃないか。ビダーシャル様の姪である君を同行させたら、エスマーイル様に、変に勘繰られるぞ?」

「ぶぅ」

 これも蛮人のやり方らしくてアリィーにはわかりにくいが、ルクシャナは不満の声を上げたようだった。

「機嫌なおしてくれよ、ルクシャナ」

「嫌よ。婚約解消よ」

 ルクシャナは、そっぽを向いたまま言う。彼女の機嫌をとるつもりで、

「......ほーら、ルクシャナの大好きな蛮人だぞ〜!」

 アリィーは『変化』で蛮人に化けてみせた。誇り高いエルフにとって、顔かたちまで蛮人になりきるというのは、相当の抵抗があるというのに。
 しかし、

「それくらいじゃ誤摩化されないわよ」

 まだ足りないらしい。
 困った顔で周囲を見回したアリィーは、ちょうど顔を向けた先、すなわち彼のすぐ横の壁に、見慣れぬ鏡らしき物体が浮いていることに気づいた。

「おや? これは......新しく手に入れた蛮人の雑貨かい? きれいな鏡だねえ!」

 蛮人の鏡であるなら、手に入れるにあたって一苦労あったかもしれない。それを褒めることは、彼女の機嫌をとる上でプラスになるだろう。
 そう思ってアリィーは、鏡について言及したのだが......。

「鏡? 鏡なんて......」

 不思議そうな声と共に、ルクシャナはこちらを向いてくれた。

「あら。おかしいわね。そんなもの買ってきた覚えないのに」

「でも、ここは君の家で、僕以外には誰も訪れないだろう?」

「そうだけど......」

「それとも何かい、この鏡が自然発生したとでも言うのかい?」

 アリィーは再び鏡に着目した。
 自然発生は冗談としても、たしかに普通の鏡ではないようだった。
 高さは二メイルほど、幅は一メイルほどの楕円形をしている。厚みはなく、よく見ると、ほんのわずか宙に浮いていた。
 ルクシャナも、その異常性に気づいたらしい。

「表面は......やっぱり滑らかなのかしら? ちょっと触って確かめてみて」

 当然のように彼女は、アリィーに命じた。
 基本的にアリィーは、ルクシャナの言うことには逆らえない。いわゆる『尻に敷かれている』男だった。だから言われるがまま、鏡面らしき部分に手をのばした。

「......えっ?」

 物理的な抵抗が一切なかった。彼の手は鏡の中に消えていた。手だけでなく、腕も鏡に飲み込まれていく。
 まさか手応えがないとは予想していなかったため、彼は体のバランスを崩した。その勢いで、腕だけでなく、アリィーの体全体が鏡の中に消えてしまった。

「アリィー!?」

 ルクシャナが叫んでいるが、アリィーには、もう聞こえなかった。
 鏡の中を通過する際、激しいショックに襲われたからである。子供の頃、魔法の訓練中に誤って、強烈な電撃を浴びせられた感覚に似ていた。
 アリィーは気絶した。そして目を覚ますと......。

########################

「ルイズが『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出したぞ!」

 抜けるような青空をバックに、周りの喧噪が耳に響いた。
 サモン・サーヴァント......。その言葉は、アリィーの知識の中にあった。たしか蛮人たちが使う魔法の一種だ。蛮人たちは下等な生き物のくせに、『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』という魔法を用いて、ほかの生き物を『使い魔』と称して使役するという。
 ならば......。

「あんた誰?」

「......僕はアリィー」

 考えごとをしていたアリィーは、聞かれて素直に、反射的に答えていた。
 視線をそちらに向ける。
 アリィーに尋ねてきたのは、蛮人の少女だった。
 彼女はメイジであり、特徴的な黒いマントに、手には小さな杖を持っていた。すでに『サモン・サーヴァント』という言葉から想像していたので、蛮人のメイジであること自体は驚くには値しなかったのだが......。

「......!」

 少女の顔を一目見て、アリィーはハッとした。
 桃色がかったブロンドの髪と透き通るような白い肌を舞台に、くりくりと鳶色の目が踊っている。その意志の強そうな顔立ちは、なぜかルクシャナを思い出させた。
 蛮人とは思えぬほど、美しい少女だった。エルフにだって、彼女ほど美しい顔立ちをした者は滅多にいない。

「ミスタ・コルベール!」

 少女が別のメイジに呼びかけて、何やら会話を始めたが、アリィーは聞いていなかった。彼の視線は、ただひたすら、ルイズと呼ばれた少女を追っていた。
 周りにも大勢の蛮人メイジがいるようだが、彼の目には入っていなかった。何も考えられずに、じーっとルイズを見つめて......。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に......」

 少女が何やら唱えてから顔を近づけてきた時も、彼は微動だにしなかった。
 ルクシャナの本で読んだ『コントラクト・サーヴァント』の儀式を思い起こしているうちに......。
 アリィーはルイズにキスされて、ルイズの使い魔になってしまった。

########################

「これはこれで......ちょうどいい機会かもしれない」

 アリィーは考えた。
 どういう理屈か知らないが、あの鏡のようなものを通して蛮人の世界に来てしまったことは間違いないようだ。
 想定外の事態とはいえ、どうせ近々蛮人の国に来るつもりだったのだ。おそらく本気ではなかったと思うが、ルクシャナからは婚約解消まで申し渡されたところだったのだ。ならば、この機会に、しばらく蛮人の世界で暮らせばいいではないか。先行偵察だと思えばいいではないか。
 あのルイズという少女によれば、ここはトリステインという国の学校......魔法学院だそうだ。
 ちょうどアリィーはルクシャナの歓心を得ようと蛮人に『変化』しているところだったので、ルイズも他の学院生徒たちも、アリィーがエルフであるとは気づいていない。ただの蛮人だと思っている。杖ではなく腰には曲刀をさしており、マントも羽織っていないため、アリィーのことを蛮人の平民だと思っている。
 下等な蛮人から、『平民』などと見下されるのは、エルフとしてのプライドが許さないが......。

「あのルイズって少女に言われても、なぜか腹が立たないな。不思議だ。これが『使い魔になる』ってことなのか......?」

 左手に刻まれた使い魔のルーンを見つめながら、アリィーは小首を傾げた。

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「何をモタモタ歩いてるの! あんたのせいで、授業に遅れちゃうわ」

 朝の廊下に、ルイズの叱責の声が響き渡る。彼女に続いて食堂を出ながら、アリィーは、つい口答えしてしまった。

「ゆっくりしてたのは僕じゃなくて、ルイズの方じゃないか」

「『ルイズ』じゃなくて『御主人さま』でしょ! この......生意気な口!」

 ルイズはアリィーの口をつねりながら引っ張った。
 彼の言うとおり、朝食に時間をかけていたのはアリィーではなく、ルイズの方である。そもそもアリィーのメニューは、ルイズたち貴族のものとは異なり、ほとんど具のないスープと硬いパンが二切れのみ。時間などかかるわけもなかった。
 しかしルイズにしてみれば、やっぱり『アリィーのせい』なのだ。いつもより食べるのに時間かかったのは、使い魔のアリィーに色々と説明してあげたせいなのだから。

「はい、はい。それじゃ......遅れないように、僕が馬になりますよ。御主人さま」

「え? 馬って、それはどういう意味......」

 ルイズの返事を聞くより早く。
 アリィーは彼女を背中におぶって、猛スピードで走り出した。

「うわっ、速っ」

 なるほど、これなら授業にも間に合いそうだ。

「さすが私の使い魔ね」

「どういたしまして」

 もちろんルイズは気づいていないのだが、こっそりアリィーは、先住の魔法を使っている。自分の周囲に風をまとって、その風に後押しさせる形で、速度を増しているのだ。
 しかし......。
 アリィー自身も想定していなかったくらい、これは効果的だった。
 体が羽のように軽い。まるで飛べそうだ。
 この時、ルイズを背負うためにアリィーは両手を後ろに回していたので、まったく気がつかなかったのだが......。実は、アリィーの左手のルーンが光っていた。
 ともかく。
 あっというまに教室が見えてきた。

「一時間目の先生は?」

「ミスタ・ギトー......『疾風』のギトーよ」

 長い黒髪に、漆黒のマントをまとうギトーの姿は、不気味で冷たい雰囲気を漂わせており、生徒たちの間では人気がない。
 ちょうど、その漆黒の姿が教室に入ろうとしているのが、二人にも見えた。
 ......教師より生徒が遅れて教室に入っては、遅刻ということになるのではないか......?
 そう思ってアリィーは、さらにスピードを上げた。そのまま入り口に突進して......。

「な、何をする貴様らぁぁぁっ!」

 アリィーに激突されて、ギトーは悲鳴を上げながら吹っ飛んでいった。

「なるほど。『疾風』の名に恥じぬ、風のような吹っ飛び方だね」

 冗談を言いながら、アリィーはルイズを背中から降ろし、

「先生が消えちゃったから......これで一時間目は休講だね。もう遅刻の心配もいらないよ」

「この......バカ犬!」

 彼は面食らった。ルイズに引っぱたかれたのだ。

「学院の教師を突き飛ばすなんて! なんて乱暴なまねするの!」

「乱暴......?」

 思わず聞き返すアリィー。
 学院の教師とはいえ、しょせんは蛮人だ。蛮人を突き飛ばしたところで、それが乱暴な行為だとは、アリィーには思えなかった。

「まったく! これだから平民ってやつは!」

 ぷんぷん怒りながら、ルイズはアリィーを置き去りにして、一人で教室に入っていく。
 少し待ってから、彼は無言でルイズのあとを追った。

########################

 夜。
 空に上った二つの月が、魔法学院の本塔の外壁を照らす頃。
 その外壁に面した中庭に、数人の少年少女が現れた。
 ルイズと使い魔のアリィー、ルイズの隣人キュルケ、そしてキュルケの友人タバサだ。

「いいの、『ゼロ』のルイズ? 魔法で決闘で、大丈夫なの?」

「もちろんよ! 誰が負けるもんですか!」

 小馬鹿にした調子のキュルケに対して、ルイズが空元気で返した。
 横で見ているだけのアリィーは、少し心配に思う。
 なにしろ、ルイズは魔法が駄目なのだ。『ゼロ』という二つ名が示すとおり、成功したためしがない。どんな魔法を唱えても、ボンッと爆発してしまう。
 それなのに......。
 プライドだけは高いルイズは、些細な原因で隣人キュルケと喧嘩になり、こうして魔法勝負をする羽目に陥っていた。

「危ないからやめろよ......」

 アリィーのつぶやきは、少女たちには届かなかった。
 見れば、タバサがキュルケとルイズに何か耳打ちをしている。

「あ、それはいいわ」

 どうやら、危険度の低いルールを定めたらしい。
 お互いに魔法を撃ち合って、その威力が高い方が勝ち、というルールだ。
 なるほど、これなら、爆発魔法しか放てないルイズでも、それなりに渡り合えるかもしれない。少しでも公平を期す意味で、タバサが提唱したルールのようだった。
 そして。

「いい? いくわよ!」

 キュルケの『フレイム・ボール』と、ルイズのよくわからない爆発魔法。二人の魔法が炸裂して......。
 結果。
 後ろの壁が爆発した。

「......」

 言葉をなくす一同。
 本塔の五階には宝物庫もあるため、その外壁は強力な『固定化』の呪文で保護されており、ちょっとやそっとでは壊れない構造になっているはずだった。
 ところが今、ちょうどその宝物庫の辺りまでヒビが入っており、これでは賊の侵入も容易という状態に変わってしまっていた。
 タバサのつぶやきが、一同の静寂を破る。

「......逃げた方がいい」

 ルイズはハッとして、

「きょきょ今日のところは、これくらいにしといてあげるわ」

「そ、そうね。引き分けってことかしら」

 キュルケもルイズに同意して、みんな早足で寮塔へと戻る。
 もはや勝ち負けは、どうでもいいようだった。
 しかし......。
 本当に『引き分け』でいいのだろうか。勝者はルイズなのではないか。アリィーは、そう思った。。

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 ルイズの寝息が聞こえる。
 御主人さまであるルイズが寝静まったのを確認してから、アリィーは、むくりと起き上がった。
 アリィーの寝所はルイズの部屋の片隅であり、満足な寝具もない。戦士でもあったアリィーは硬いベッドで寝ることも平気だったから、こうして床に直接寝ることも、それほど苦痛ではない。
 ただ、自然を尊重するエルフにとって、ずっと人間の建築物の中にいるのは、息が詰まるような気がするのだった。少しでも自然に触れたくて彼は、夜の散歩に出た。

「......」

 双月を見上げながら、魔法学院の中庭を歩く。
 砂漠のエルフの国でも、蛮人世界のトリステインでも、夜の空に浮かぶ月は同じだ。
 さきほどの『決闘』の場所からは離れた辺りを歩いていたが、視界の片隅に本塔外壁がチラッと見えた。自然、あの時の様子を思い返す。

「あの破壊力......」

 いくらキュルケがトライアングル・クラスとはいえ、しょせん学生メイジの炎魔法である。そんな一般的な『フレイム・ボール』くらいで、強固に保護された宝物庫外壁が壊れるはずはない。
 ならば。
 結局のところ、あの想定外の破壊力は、ルイズの爆発魔法によるものなのだろう。

「正体不明の爆発魔法......か。『ゼロ』のルイズと呼ばれるほど、魔法が苦手な少女による爆発魔法......」

 アリィーの頭の片隅で、ふと何かが引っかかった。
 ......そうだ。蛮人の言葉で『ゼロ』とは零の意味だが......たしか『虚無』という意味もあったのではないか......?


「......虚無......」

 伝説の系統『虚無』。始祖ブリミルが用いたとされる魔法『虚無』は、人間の間では神格化された伝説であるが、アリィーたちエルフの間では、忌み嫌われた現実的な脅威だ。ビダーシャルもエスマーイルも『虚無(あくま)』の復活を事実として断言したくらいだった。

「まさか......あの爆発魔法こそが『虚無(ゼロ)』......?」

 そこまでアリィーが考えた時。
 ふと彼は、周囲の様子に違和感を覚えた。

「......おや?」

 確かに彼は、魔法学院の敷地の中でも緑の多い地域を選んで歩いていたはずだ。
 そして今は夜、景色の見え方が少しくらい昼と違っていても不思議ではない。
 だが......。
 さすがにこれはおかしい。彼の周囲の樹々や草花は、蛮人世界(ハルケギニア)というより、むしろエルフの世界で見られるものに酷似していた。

「......つまり現実ではないということか。誰かが魔法で、姿かたちを変えている......」

「よくぞ見抜いた。さすがはアリィー......。若くして『ファーリス(騎士)』の称号を得るだけのことはある」

 アリィーの独り言に対して、返事があった。
 周囲を見渡しても誰の姿も見えないが、確かに誰かがいるのだ。しかも発言の内容からして、相手はエルフだ。この魔法学院の蛮人たちは、アリィーがエルフであることすら知らないはずなのだから。

「聞け、アリィー。エスマーイル様がご立腹だぞ」

「おい、お前は誰だ!?」

「裏切り者め! 貴様などに名乗る名前はない! ......そうだな、『変化』とでも呼んでもらおうか」

 相手は皮肉っぽく言った。
 周囲の全体を先住魔法『変化』で変えたくらいなのだから、この謎のエルフは、本当に『変化』が得意なのだろう。しかしエルフには自分の特技でもって二つ名を名乗る習慣などない。それは、むしろ蛮人のメイジのやり方だ。この自称『変化』は、わざと蛮人の流儀に従っている......。
 いや、それよりも。
 もっと大切なことが、確認すべきことがあった。
 アリィーは聞き返す。

「裏切り者だと!? どういう意味だ!」

「文字どおりの意味だ! エルフのファーリス(騎士)ともあろう者が、よりにもよって『悪魔』の守り手になるとは......。恥を知れ!」

 エルフの言うところの『悪魔』の守り手とは、つまり蛮人の言葉で『虚無』の使い魔のことだ。
 アリィーは、自分の想像が正しかったことを、あらためて知った。
 やはり......ルイズこそが『虚無』の担い手の一人なのだ!

「彼女は特別なんだ!」

「そりゃあ特別だろう、なんたって『悪魔』なんだからな」

「そうじゃない! 一人の女の子として......彼女は特別なんだ!」

 そう。
 アリィーにとって、ルイズは、他の蛮人とは明らかに違う少女だった。
 ルイズはプライドが高くて横暴でわがままで、アリィーを下僕のようにこき使う。しかし彼女からそうした扱いを受けても、彼は不快には思わない。むしろ、どこか懐かしいような、心地よさすら感じてしまう。
 ......これまでルクシャナにいいように振り回されてきた男の、悲しいさがであった。

「蛮人などに懸想するとは......貴様、エルフとしての誇りもなくしたか!?」

 そういう意味ではない。......と反論しても無駄であろう。アリィーは話題を少し変えて、

「どうせ僕は蛮人の国に送りこまれることになっていたんだ。だから今やっているのも、いわば先行偵察のようなもの。けしてネフテスの利益に反することではない」

 しかし。

「先行偵察だと!? 何を悠長なことを言っておるのだ! 蛮人は殺せ、悪魔は抹殺せよ! ......我ら鉄の団結を誇る砂漠の民は、悪魔を滅ぼし続けるのだ。復活するというなら、何度でも。それこそが『大いなる意志』の御心に沿うことではないか!」

 その『我ら鉄の団結を誇る砂漠の民』という言い回しが、自称『変化』の所属を明らかにしていた。同時に、その表現は、アリィーの気に障るものだった。別に『砂漠の民』すべてが『鉄の団結を誇』っているわけではないのだから。

「ふん。エスマーイル様のことは評議会のメンバーとしては尊敬しているけど......。だからといって、『鉄血団結党』のような、エスマーイル様の私兵集団に入った覚えはないね」

「き、貴様! 我ら『鉄血団結党』を愚弄する気か!?」

 会話の方向は、ますますねじれていく。姿は見えずとも、言葉の端々から、自称『変化』の怒りが伝わってくる。

「覚えておれ! その暴言の代償......必ず支払ってもらうぞ!」

 捨てゼリフを吐き捨てて。
 自称『変化』は去っていたらしい。周囲の樹々の景色が、普通の蛮人世界のものへと戻る。

「少し言い過ぎたかな......? いや、かまうもんか」

 少しの間、アリィーはその場に立ちすくんでいた。
 頬にあたる夜風が、ひんやりと気持ちよかった。

########################

 その日。
 午後の食堂では、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。

「弱いものいじめはやめたまえ、君!」

 眼鏡をかけた学生がアリィーに、叱責の言葉を投げかける。

「君のせいで、ギーシュは気の毒な立場にある。浮気相手のケティには頬をひっぱたかれ、本命のモンモランシーには頭からワインをかけられ......。立つ瀬のないギーシュをいたわるのは、僕ら友人の義務ではないかね?」

 眼鏡の少年の言葉は続くが......。

「......蛮人と友達になった覚えなどないぞ......」

 周囲には聞こえぬよう、小声でつぶやくアリィー。
 蛮人一般に対する感情は抜きにしても、正直なところ、どう対応していいのか、わからなかった。なにしろ、彼は『弱いものいじめ』をしたつもりなどないのだから。
 ただ彼は、近くにいた金髪の学生のポケットから小さな香水ビンが落ちたのを見て、拾ってあげただけだ。それが金髪少年の恋人からのプレゼントだったことも、偶然その場に浮気相手と本命の少女両方が居合わせたことも、その結果浮気がバレて金髪少年が二人から責められたことも、別にアリィーの罪ではなかった。
 むしろ『弱いものいじめ』というなら、この眼鏡の少年のやっていることのほうが、よっぽど『弱いものいじめ』だ。形の上では友人の擁護をしているようではあるが、実際には、『二股をかけていた』という状況をはっきりした言葉で再認識させているだけであり、かえって騒ぎが大きくなる原因となっていた。
 ようやく金髪少年本人も、そのことに気づいたらしい。

「もういいよ、レイナール。変に噂が広まるから、もう黙っててくれ......」

「このままでいいのかい、ギーシュ?」

「ふっ。あの二人のレディは、薔薇の存在の意味を理解していなかったようだ」

 芝居がかった仕草で言うが、頭からワインを滴らせていては、さまにならなかった。
 周囲の学生たちも失笑している。
 だが、とにかくこれで事態は収拾したらしい。そう思ってアリィーは立ち去ろうとしたが、

「待ちたまえ、君!」

 金髪少年がアリィーを呼び止めた。眼鏡の少年に何か吹き込まれたのかもしれない。

「何だ?」

「君に悪気がなかったことは認めよう。しかし、よけいなおせっかいであったことは事実であろう。君が軽率に香水のビンなんかを拾い上げてくれたおかげで、二人のレディの名誉に傷がついたのだからね」

 言いがかりだ。
 そう思ったアリィーの右手が、自然に、腰の曲刀へと動く。
 その動きに気づいて、金髪少年は顔をしかめつつ、目を光らせた。

「どうやら、君は貴族に対する礼儀を知らないようだね。よかろう、君に礼儀を教えて......」

 金髪少年の言葉は、突然の乱入者によって遮られた。食堂にルイズが飛び込んできたのだ。

「何をやってんの、あんたは!」

 この『あんた』とは、もちろん金髪少年の方ではなく、使い魔アリィーに向けられたもの。
 アリィーは急いで振り返ったが......。
 遅かった。
 ルイズの叱責は、言葉だけではなく、お仕置きの意味での攻撃魔法を伴っていたのだ。

 ボンッ!

 ルイズの爆発魔法に直撃されて、アリィーは気を失った。

########################

「......というわけで、あなたの使い魔は悪くないの。悪いのはギーシュの方なの」

「わかったわ。......じゃあ、この秘薬は迷惑料ってことで」

「それとこれとは話が別! 高いんだから! ......あとでちゃんと払ってよね!」

 少女たちの話し声で、アリィーは目を覚ました。
 彼は白い清潔なベッドに寝かされていた。横を見れば、同じようなベッドが並んでいる。どうやら魔法学院の医務室のようだった。

「あら。ルイズの使い魔、気がついたみたいよ」

 友人に促されて、ルイズがアリィーの方を向いた。ルイズにしては珍しく、神妙な顔つきをしている。

「......大丈夫、アリィー?」

「うん。いったい......なんで僕はこんなところに......?」

「それは私が説明してあげるわ」

 そう言ったのは、先ほどまでルイズと話をしていた少女。大きな赤いリボンと金髪の巻き髪が特徴的な少女だ。名前は確かモンモランシーといったかな、とアリィーは思い出していた。

「理不尽なギーシュのわがままから、ギーシュとあなたが決闘を始めそうになってたの。そこにルイズが止めに入ったんだけど......」

 モンモランシーは、ルイズをチラッと見て笑いながら、

「その『止め方』がいけなかったのよねえ。ルイズの魔法で爆発しちゃって、あなた、大怪我しちゃったのよ。私のとっておきの秘薬を使わないと『治癒』も難しいくらいに」

 なるほど、まだ学院の者たちは気づいていないようだが、ルイズの爆発魔法は『虚無』なのだ。そんなものを食らっては、いくらエルフのファーリス(騎士)とはいえ怪我しても仕方あるまい。そうアリィーは自分を納得させた。

「ともかく......。済んだみたいだから、私はこれで......」

 モンモランシーは医務室から去ろうとしたが、ふと壁の鏡を見て、

「きゃあぁぁぁっ!?」

 寝ていたアリィーも飛び起きるほど、大きな悲鳴だった。気になって尋ねる。

「どうしましたか、『洪水』のモンモランシーさま?」

 彼女は怪我を治すための薬をもってきてくれた人なので、アリィーとしては丁寧に、二つ名まで付けて呼びかけた。ルイズが話していた『洪水』という二つ名を思い出したのだ。
 しかし、

「誰が『洪水』ですって! 私は『香水』のモンモランシーよ!」

 ルイズから教わった知識は間違っていたらしい。

「失礼いたしました。......では『香水』のモンモランシーさま。あらためて。いったい何があったのです?」

「そ、そう! こ、こ、これよ!」

 モンモランシーは鏡を指さしていた。ルイズも興味を示して、鏡に歩み寄り、覗き込んだが、

「何もないじゃないの」

「そんなはずないわ。変な顔が覗いてたのよ!」

「変な顔って......モンモランシーの顔のこと?」

「ルイズ......。それ、どういう意味!?」

 アリィーのベッド横へと戻ったルイズは放って、モンモランシーは再び鏡に向き直った。
 すると。
 やはり......いた! 鏡の中には異形の顔が浮かんでおり、しかも今度は、鏡の外まで舌をのばしてきて、モンモランシーの顔をペロリと舐め上げた。

「ぎゃあぁぁぁっ!」

 モンモランシーは腰が抜けたようで、へなりとその場に座り込んでしまう。

「もう駄目......」

 あまりの恐怖に失禁までしたようで、股の間あたりのスカートがぐっしょり濡れていた。
 彼女が『香水』ではなく『洪水』と間違って呼ばれる理由を、アリィーも理解した気になったが......。今は、それどころではない。
 ベッドから起き上がったアリィーは、ルイズと共に、問題の鏡に駆け寄った。
 鏡の中から、今度は白い腕がのびてきて、ルイズの喉を締めようとした。

「ルイズっ!」

 アリィーがチョップで払いのけると、腕は鏡の中へと帰り、鏡も一見平凡な鏡に戻ったようだが......。
 アリィーは悟った。これはきっと、先日のエルフの仕業だ。

「ちょくしょう、『変化』め......」

「ヘンゲ?」

 彼のつぶやきに気づいて、ルイズが聞き返してきたので、アリィーは慌てて誤摩化す。

「いや、何でもない。......とにかくバケモノだ。気をつけろ、まだその辺にいるぞ」

「お、おどかさないでよ!」

 モンモランシーが叫ぶ。濡れたスカートと下着を拭きながら、まだ腰が抜けて座り込んだままで。
 まるで彼女の叫びが合図であったかのように、医務室全体が揺れ始めた。

「今度は何!?」

 壁際の薬品棚の影がスーッと伸びて、影の中から人型の何かが浮かび上がる。
 両手を広げて威嚇する、実体を持つ人型の影......。
 逃げるように走り出したルイズやモンモランシーを嘲笑うかのように、ルイズの目の前では花瓶が炎を吹き上げ、モンモランシーに対してはカーテンが蛇に変化して彼女の体に絡みつく。

「もう駄目......。またもれちゃう......」

 一方アリィーは、異様な影と対峙していた。

「ここから出てけ!」

「へっへっへ......。あんな悪魔の小娘にまいっているとは、頭の芯まで尻に敷かれおったか。アリィー! この『変化』が、その腐りきった性根を叩き治してやる!」

 アリィーが殴りかかったら影は消えたが、今の『変化』の言葉から考えて、これで終わったとは思えない。

「ルイズ、逃げるんだ。ここは危険だ」

 そう言っている間にも、壁の薬品ビンが飛んできたり、置物のはずのタカが襲ってきたり......。
 アリィーはルイズの手を掴んで、走り出した。

########################

 魔法学院の医務室は、水の塔という建物の中にあり、三階から六階のフロアを利用して設けられている。アリィーが寝かされていたのは三階だったが、彼はルイズを連れて、一気に一階まで駆け下りていた。
 狭い屋内では危険だと判断し、建物から中庭へと飛び出す。

「もう走れないわ。ちょっと休ませて」

「さっきの鷹が、まだ追ってくる。もっと広いところへ......」

 しかしルイズは一息つこうとして、アリィーの手を放して、その場にしゃがみ込む。
 この隙を逃す追跡者ではなかった。ルイズの背後から、灰色の長い物体がのびてきて、彼女の腰に巻きついた。

「きゃあ!?」

 いつのまにか追跡者は、鷹から別の生き物へと変身していた。白い牙と広い耳と長い鼻をもつ、四つ脚の巨体......。

「今度はゾウか!」

 アリィーは図鑑で見たことがあった。砂漠を越えてさらに東へと進み、それから南下すれば、ゾウの生息地帯に出くわすという。詳細はともかく、普通に蛮人世界(ハルケギニア)で見られる動物ではない。

「あれは何!?」

「何だ、あのバケモノは!?」

 見慣れぬ巨大な動物が突然出現したので、中庭にいた生徒たちも、遠巻きに見守るばかり。ゾウはその長い鼻でルイズを抱えて、高々と掲げているというのに、誰も助けに行こうとはしない。
 いや。
 一人いた。

「婦女子の危機に、黙って見ているのは騎士の恥。このギーシュ・ド・グラモンが、いざ、救出に参る!」

 金髪少年が数体の『青銅』ゴーレムを連れてゾウに向かって行ったが......。

 ぺしっ。

 ゴーレム共々、ゾウの前足ではたかれて、一撃でノビてしまった。

「けっ。ルイズのことは僕に任せておけばいいんだ。みんな、余計な手出しはしないでくれ!」

 アリィーはルイズの使い魔なので、彼がルイズを助けるのは、使い魔として当然の義務......。魔法学院の生徒たちの目には、そのように映った。
 しかし。

「......エルフ本来の力で戦わないと勝ち目はない。でも、ここで先住の魔法を使ったら、僕がエルフだということが知られてしまう。どうする......?」

 周囲の目を気にして、苦悩するアリィー。
 そんなアリィーに対して、巨ゾウが語りかける。

「裏切り者め! まだその腐った根性は治らんのか!? ならば......見ろ!」

 ゾウは鼻で、ルイズを空高く放り上げた。落ちてくるルイズ目がけて、その牙を突き出し......。

「やめろ!」

 アリィーが叫ぶが、間に合わない。
 白い牙の先端がキラリと光って、ルイズの衣服を切り裂いた。
 ......そう、ゾウの牙はルイズの体を貫くのではなく、器用に着ているものだけを切ってみせたのだ。
 頭から落ちてきたルイズは、胸から腰の辺りまでシャツを裂かれ、白い柔肌をあらわにしていた。残ったスカートが牙に引っかかる形で、ぶらぶらと吊るされている。
 どうやら『変化』は、ひと思いにルイズを殺すことより、彼女に辱めを与える方を選んだらしい。だが肝心のルイズは、すでに恐怖から気を失っており、悲鳴一つ上げられない状態だった。

「ふっふっふ。まだ終わりではないぞ」

 巨ゾウはルイズをぶら下げたまま、大きな耳を翼のようにパタパタと動かし、空へ飛び上がった。

「待て!」

 このままルイズを連れ去られてはたまらない。
 アリィーはジャンプして、ゾウの後ろ足にしがみついた。

「そうか。ならば共に来るがよい!」

 ゾウはルイズとアリィーを連れて、西の空へと飛んでいく......。

########################

「ここらで決着をつけようか、アリィー」

 魔法学院から少し離れたところ......小さな湖のほとりに、ゾウは降り立った。
 そのままでは踏みつぶされてしまうので、ゾウの足が着地する前に、アリィーはバッと跳びのいた。
 さっと周囲を見回す。誰もいない。ここならば......エルフの力を使える!

「エ〜ル〜〜フッ!」

 まるでエルフ本来の力を解放するかのように叫び、アリィーは『変化』を解いた。元の姿に戻ったわけだが、ずっと蛮人の姿で暮らしてきた今となっては、このエルフの姿の方が、むしろ『変身』したような気分だった。

「いくぞ、『変化』!」

 だが、いくらアリィーがエルフの力を存分にふるえるようになったとはいえ、敵はルイズをぶら下げたままだ。ルイズを人質にとられているようなもので、これでは戦いにくい。

「ふふふ......。どうする、アリィー?」

 向こうも、その優位性は理解しているらしい。誇示するかのように、ぶら下げたルイズをゆすってみせた。

「エルフカッター!」

 叫んでアリィーは、隠し持っていた小型の刃物を投げつけた。彼の曲刀一本では武器が足りないと思って、医務室からくすねてきた医療用メスだ。

「馬鹿め!」

 敵はルイズを盾として、前面に押し出した。まっすぐナイフが飛んでいけば、ルイズに突き刺さってしまうところだが......。

「何ッ!?」

 驚きの声を上げたのは、ゾウの方だった。
 アリィーの投げた小さな刃物は、蝶のように舞ってルイズを回避し、ゾウの鼻の根元に突き立ったのだ。

「くそっ。貴様、あじなまねを......」

 アリィー得意の『意志剣』という戦い方だ。精霊の力を借りて、まるで意志があるかのように、それぞれ武器に勝手に動いてもらうのだ。
 本来ならば普通の曲刀数本に『意志』を付加するもので、その場合、相手は同時に数人もの手だれの剣士と戦うような状態に陥るのだが......。
 いかんせん今回は、しょせん医療用メスに即席で『意志』を加えただけの、ちゃちな『意志剣』だった。ゾウは力任せにナイフを引き抜き、バシッと二つに折ってしまう。
 アリィーの『意志剣』は、あっさり敗北したのだ。だが、十二分にその役目を果たしてくれた。この隙にアリィーは、敵の懐に飛び込んで、ルイズを奪還することに成功したのだから。

「ルイズ......」

 少し汚れた少女の頬を軽く拭いながら、アリィーはルイズを、少し離れた木陰に横たえた。そこならば戦闘の邪魔にはならないと判断した場所だ。
 いまだルイズは気を失っているが、彼女の寝顔を鑑賞している余裕はない。アリィーは再び、敵と対峙する。

「どうだ! もう人質もいなくなったぞ、『変化』!」

「そんなものなくとも......。悪魔に魂を売った貴様なぞに、負けはせんわ!」

「どうだか!」

 アリィーは腰から円曲した剣を引き抜いて、豪語する『変化』に対して斬り掛かった。
 しかし『変化』は、ゾウの姿という巨体に似合わず、ひらりと飛んでかわし、空へ舞う。
 アリィーが見上げれば、『変化』は、もはやゾウではなくなっていた。瞬時のうちに姿を変えて、今度は小型の風竜となっていた。
 悠々と空を舞う風竜の『変化』に対しては、飛び道具がなければ不利だ。アリィーは、サッと周囲に目を配って、目的のものを発見して......。

「エルフアロー!」

 近くに落ちていた木の枝が何本も、矢のように『変化』に襲いかかる。
 これもアリィーが得意とする呪文だった。『枝矢(ブランチ)』は単純だが、それゆえに扱いやすく強力な呪文だ。飛んでくる木の枝は方向が読めないので、死角を狙うと対処できないからだ。
 だが、敵もさるもの。

「ふん! 蛮人ならいざ知らず、エルフの俺さまに、その程度の呪文が通用するものか!」

 風竜の『変化』は、竜のブレスで、飛んでくる木の枝を迎撃した。それでもアリィーの『枝矢(ブランチ)』は想定以上だったようで、全てを叩き落とすことは出来ず、一本の矢が右の翼を貫いた。

「くっ!」

 痛みに表情を歪める風竜『変化』。とはいえ、片翼にダメージを負ったにも関わらず、『変化』の飛行する様子を変わらない。
 これを見て、アリィーが気づいた。

「そうか! あいつ......翼で飛んでるわけじゃなかったのか!」

 考えてみれば。
 さきほど『変化』は、ゾウの姿のときも、耳をパタパタさせて空を飛んでみせた。たしかにゾウの耳は翼と見間違えるくらいに大きいが、実際のゾウは耳で飛行することはできない。
 ならば、あの時『変化』が飛んでみせたのは、ゾウの機能とは無関係......。

「そういうことなら......『変化』に出来るなら、僕にだって......」

 きっと『変化』は、精霊に呼びかけて、風の力で空に運んでもらっているに違いない。
 先住の魔法『変化』は、その呪文が「我を纏う風よ。我の姿を変えよ」であることからもわかるように、風の力を借りて行われる。だから『変化』を二つ名として自称するくらいのエルフなら、風を得意とする行使手なのだろう。
 アリィーは日頃、空を飛ぶ際は竜に騎乗しているが、同じエルフである『変化』が竜なしで飛べるというなら、アリィーにだって不可能なはずはない。

「エルフウイング!」

 実際に背中から翼が生えたわけではないが、それでも。
 アリィーも『変化』同様、まるで羽が生えたかのように、空へと飛び立った。

「ほう。風竜となった俺に、空中戦を挑もうというのか!?」

 余裕の『変化』に対して、アリィーは曲刀を構えて突進する。
 不思議なことに、いつもよりも体中に力がみなぎって来るような気がしていた。使い魔として御主人さまであるルイズを守るための戦いだからであろうか。
 実はこの時、アリィーの左手のルーンは光を発していたのだが......。戦闘に意識を集中していたアリィーは、そこまで気づいていなかった。

「これで終わりだ、『変化』!」

「生意気な!」

 アリィーの曲刀と。
 風竜『変化』の竜爪とが。
 空中で激突する!

 ガキンッ!

 勝ったのは『変化』の方だった。

「うわああああああああああ」

 深手を負うことは免れたものの、曲刀を弾き飛ばされ、アリィーは真っ逆さまに落ちていく。
 さいわい、真下は土の地面ではなく湖の水面だった。
 水がクッションとなり、落下の衝撃を和らげてくれた。
 湖の中で、すぐにアリィーは立ち上がる。腰のあたりまでは水に浸かるくらいの深さだが、これならば、歩けないほどではない。

「運のいい奴め! しかし......もう貴様の負けだ!」

 勝利を確信して、風竜の『変化』は降りてきた。

「ふふふ。水の中が貴様の墓場というなら......この姿で、とどめをさしてやろう!」

 また『変化』は姿を変える。今度は......。
 水竜のような巨大な胴体からうねうねと生えた、蛇のような五つの頭。沼地などに生息する怪物、ヒュドラの姿だった。

「息の根が止まるまで......たっぷりと苦しむがよい!」

 ヒュドラの太く長い首が、アリィーの体に巻きつき、ぎゅうぎゅうと締め上げる。

「う......」

 アリィーの全身が悲鳴を上げていた。肉のねじれる音、骨の軋む音も聞こえるような気がした。
 裏切り者のアリィーを殺すにあたって、ラクには死なせないというつもりなのだろう。
 今のアリィーには、もう武器はない。そして素手で戦うのは、得意ではなかった。
 しかし......。
 裏切り者と呼ばれても、アリィーはエルフだ。エルフには......精霊の力を借りた呪文がある!
 かろうじて動く右手を、アリィーは天に向かって差し伸ばした。

「エルフビーム!」

 バチバチバチと強烈な電撃が爆ぜる。
 先住魔法『稲妻(ライトニング)』だ。
 敵である『変化』と体を密着させていたため、アリィー自身にも痺れは来たが、頑張って耐える。
 一方、直撃を食らった『変化』は......。

「ぎゃあああああああああ」

 その全身で、ほとばしる電流が青白く瞬く。
 したたかに電流を流しこまれた『変化』は、気絶して白目を剥いた。ゆっくりと水面に崩れ落ち、派手な水しぶきが上がる。
 それに背を向け、アリィーは歩き出し......。

「......」

 湖岸に上がる前に、最後にもう一度だけ、激闘を繰り広げた相手を一瞥した。
 いくら『変化』魔法が得意とはいえ、さすがにこの状態では変身も解けてしまったらしい。そこには、仰向けで湖に横たわる中年エルフの姿があった。

########################

 翌日。
 夕方、中庭に散歩に出たアリィーは、部屋に戻ったところでルイズに怒鳴られた。

「どこ行ってたのよ!」

「どこって......ちょっと散歩を......」

「ここにいなきゃ駄目でしょ! 昨日の今日なんだから」

 昨日は怪物の襲撃もあったのだ。ずっとそばにいて自分を守れ......。ルイズはそう言っているのだと、アリィーは最初、思ったのだが、

「......昨日は大怪我もしたんだし。私のせいで」

 どうやら、少しニュアンスが違うらしい。ルイズの頬は、わずかに赤くなっている。

「あれ? 御主人さま、もしかして僕を心配してるんですか?」

 ルイズは一瞬、言葉に詰まった。頬の紅潮も、幾分はっきりとしてきた。だが、すぐに自分を取り戻して、

「そ、そうよ! 心配して何が悪いっていうの! だって......あんたは私の使い魔なんだからね!」

「はい、はい。そうですね、僕は......御主人さまの使い魔ですからね」

 そしてアリィーは、心の中で宣言するのだった。

「......だから、いつまでもルイズのそばにいて、エルフからルイズを守ってやるんだ!」

########################

 その頃。
 エルフの国ネフテスでは......。

「アリィー同志が、こともあろうに我ら『鉄血団結党』を裏切った。ルクシャナ同志、信じられるか、この報せが?」

 何を言ってるんだろう、とルクシャナは思った。アリィーもルクシャナもネフテスの民ではあるが、『鉄血団結党』などというタカ派の一員になった覚えはない。
 だが、とりあえずは相手にあわせて、

「お言葉ですが......。これでも私は学者ですから、自分の目で見たもの以外、一切信じません」

「そうであったな。報告によれば、アリィーは蛮人の少女に心を奪われたそうな」

「あのアリィーが!?」

 それこそ信じられない話だった。アリィーはルクシャナの婚約者であり、彼女のわがままを何でも聞き入れるくらい、ぞっこん彼女に惚れ込んでいるはずだった。
 いくらルクシャナが蛮人を研究している学者であり、蛮人に好意的な興味を持っているとはいえ、研究対象であるはずの蛮人に自分の男を奪われるというのは許せない。エルフとしてのプライドが大いに傷つけられてしまう。

「ならばルクシャナ、蛮人の国へ行け。行って真相を確かめてくるがいい」

「はい。もしもアリィーが、本当に私を裏切ったなら......その時は......」

「あとの始末は任せたぞ、ルクシャナ」

 このように恐るべき第二の刺客が迫りつつあることを、アリィーはまだ知らない......。

########################

 こうして。
 アリィーの戦いの日々が始まった。
 裏切り者の名を受けて、すべてを捨てて戦うエルフ。
 初めて知った蛮人の愛、そのやさしさ(?)に目覚めたエルフ。
 ハルケギニアのヒーロー......エルフマン! 今日もどこかでエルフマン!




(「虚無(あくま)の力を身につけて」完)

(初出;「Arcadia」様のコンテンツ「チラシの裏SS投稿掲示板」[2013年9月])

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『ガリア空賊 クロスタクト・バンガード』

「父上!」

 リュティスの郊外、ヴェルサルテイル宮殿のジョゼフの部屋に......。
 大股で入ってきたのは、娘であり、王女であるイザベラだった。彼女は国外旅行を楽しんでいたのだが、のんびりと「次は戦争が終わったばかりのアルビオンにでも行ってみようかしら」などと考えていたところで、配下である北花壇騎士団から驚くべき報せを受けて、慌てて飛んで帰ってきたのだ。
 王族ゆかりの長い青髪をなびかせてはいるが、いつも意地が悪そうな笑みを浮かべていた顔は、いまや蒼白に歪んでいる。

「いったい、何があったというのですか? トリステイン・ゲルマニア連合軍とアルビオンとの戦争に横から割り込んだかと思ったら、今度は、そのトリステインやゲルマニアとも戦うつもりだなんて......。これでは国内の貴族たちが離反してしまいます!」

「それがどうした?」

「......『それがどうした』ですって? 父上はエルフどもと手を組んだなどと噂する輩もおりますが、まさか事実ではないでしょうね?」

「誰と手を組もうが俺の勝手だろう。というか、よほどあの長耳どもの方が、うちの貴族たちよりまともな考えを持っているぞ」

 はっきりと断言されたわけではないが、ジョゼフの返答は、イザベラが聞いた噂を肯定する口調だった。
 父王の態度に、イザベラは恐怖した。だが彼女の恐怖は、まだほんの序の口だった。

「......いったい、父上は何をお考えなのですか? どうするおつもりですか?」

「お前に話してやる義務などないが......。よかろう。そこまで言うなら、教えてやろう」

 ジョゼフの顔に、不気味な笑いが浮かぶ。

「俺が真に願ってやまぬものは、ただ一つ! 紅蓮の炎に焼かれて消える、ハルケギニアそのものだ!」

 イザベラは物心ついた頃より、ほとんどこの父と話したことがなく、そのため父という人間を今まで理解できなかったのだが......。
 今この瞬間、わかったような気がした。
 父王ジョゼフは......心が歪んだだけの、ただの人間だ。

「ふはははは......。すでに俺の脳内では、その光景が思い描かれているぞ。見ろ!」

 彼には幻が見えているらしい。熱を帯びた目で、ただただ宙の一点を見つめ、うわごとのようにジョゼフはつぶやく。

「ハルケギニアが燃えるぞ......。すべてが消えゆく。ふ、ふはは......。あはははは......」

「父上......」

 ガリアという由緒ある王国の王女として。
 イザベラは、小さくつぶやいた。

「たとえ幻でも......あなたにそれを見せるわけにはいきません」

 ただし、これは完全に独り言だった。父王に聞こえるように、堂々と宣言するだけの勇気はなかった。また、そうやって口に出してみると、とても実現不可能なことに思えてきた。
 イザベラは、ガチガチと震えていた。父王を止めるのが無理だとしても、少なくとも、もう父王についていけないというのは間違いなかった。 
  ちょうど、熱に浮かれていたジョゼフも、ふと我に返ったらしい。何の抑揚もない声で、彼はイザベラに告げる。

「去れ。お前を見ていると、自分を見ているようで不愉快になる」

 さきほどまでとはうってかわった冷たい声に、イザベラの恐怖は、いやが上にも増してゆく。
 彼女は、ガリアを出奔することを決意して......。
 あたふたと、父王の部屋を飛び出した。





   ガリア空賊 クロスタクト・バンガード





「おおおおおお! 来た! 来た来た来た来た来た! 来たぞ、ガリアだ!」

 船室の窓から外を眺めて、感激してマリコルヌは叫んでいた。
 ガリアの港サン・マロン。本来ここは、一般向けの港ではなく軍港である。そこに迎えられたというのは、それだけ彼らが歓迎されているという意味なのかもしれない。
 海に面した桟橋や、地上に造られた鉄塔には、ガリア自慢の大艦隊が、事あればハルケギニアの空と海とを制するべく帆を休めている。その様は、ハルケギニア最強と恐れられる、大国ガリアの、力の象徴でもあった。

「ガリアにも......かわいい女の子いるかな?」

 マリコルヌは、実際にはガリア軍港の壮大さに感激しているわけではなく、ただ新天地に着いたことが嬉しかったのだ。マリコルヌにとって、これは新しい出会いの可能性であった。
 きたるべきバラ色の未来に、彼は想いを馳せる。

「......生まれてこのかた十七年、女の子から一度だって詩の一節すら贈ってもらったことないこの僕にも、今度こそ女の子が......。僕でもいいって子、いやむしろ、僕がいいって子、僕じゃなきゃダメって言い張る子が......」

 そもそも。
 事の発端は、アルビオンの戦争だった。
 トリステイン・ゲルマニア連合軍とアルビオンとの間で行われていたはずの戦争は、横槍を入れてきたガリアがアルビオンの司令部を壊滅させる、という形で集結した。
 ガリアは正式に連合に加わっていた国家ではないため、戦後アルビオンを共同で支配するにあたって、国家間に不和が生じかねない。そこで互いに信頼し合うための事業の一環として、魔法学院どうしで交換留学を行う、という話が持ち上がったのだった。
 トリステイン魔法学院からも、リュティス魔法学院に生徒を派遣することとなり......。
 それにマリコルヌは志願した。

『僕は勇気を身につけたいんだ』

 ギーシュや才人といった友人たちに対して、マリコルヌは、そう説明した。

『勇気?』

『ああ。いざというときの勇気が欲しくてさ。戦争にも行ってみたけど......。僕は震えてただけだった』

『それと交換留学に、どんな関係が?』

『ほら、友人も家族もいない、まったく新しい場所で新しい生活を始めるのって、ちょっと勇気がいるだろ? せめて、それくらいの勇気は欲しいのさ』

『そっか......』

 マリコルヌらしからぬ言葉に、友人たちは、しんみりとしてしまった。しかし、最後にマリコルヌがつけ加えた一言で、しんみりは台無しになった。

『それに......異国の女の子が相手なら、僕もモテるかもしれないだろ?』

########################

 マリコルヌは船室から出て、甲板へと向かった。船室の小さな窓より、こちらの方が、外の景色もよく見える。
 同じように考える者も多いらしく、甲板には、他にも交換留学生たちが出てきていた。お菓子をつまんでいた学生を見て、ふと、トリステインの仲間たちのことを思い出す。

「ギーシュや才人......水精霊騎士隊のみんな、今頃どうしてるかな」

 マリコルヌ以外の水精霊騎士隊メンバーは、女の子から何度か手作りクッキーをもらっていた。メイドから聞いた話によると、厨房では以下のような会話があったらしい。

『......コック長』

 栗色のストレートの長髪を揺らして、少女がひょこっと厨房に顔を出す。

『おや? 貴族のお嬢さまが、どうしたんですか』

『ええ。あのね。......クッキー焼いていい?』

『ああ......。そりゃかまいませんが』

『それじゃ失礼して! ......よーし』

 腕まくりしてクッキーの生地をこね始める、栗毛の少女。
 そんな光景を、一人のメイドが不思議そうに見ていた。

『え? ええ? 貴族の娘さんが? 厨房でクッキーを?』

『ああ、あなたは新入りだから知らないのね』

 親切な同僚が説明する。

『あれは彼女の趣味みたいなもの。口説き落としたい男子生徒がいるのに口説き落とせなくて、ストレスがたまると、あんなことを始めるのよ』

『へえ。少し......私は貴族のこと誤解してたみたいです......』

『まあ貴族だって無理してるからね。この魔法学院で働く以上、私たちも貴族のこと、わかってやってあげないと』

########################

「ちくしょう。差し入れもらってたのは、ギーシュたちばかりじゃないか」

 マリコルヌは頭を左右に振って、回想を払いのけた。
 青い空の下、ガリアへの交換留学生を運ぶフネの甲板に、彼は立っているのだ。そうした現実に、意識を向け直す。すると、近くにいた二人組の会話が耳に入ってきた。

「これでみんなともお別れかと思うと、ちょっとさみしいわね」

 少女の言葉に、少年が頷く。

「みんな着いた先では寄宿先が違うからな」

 このフネに乗っているのは、トリステイン魔法学院の生徒ばかりではない。他の小さな学院からの生徒もおり、来た学院が異なれば、当然、派遣先の学院も異なってくる。この二人だって、旅の間に知り合って親しくなった間柄なのだろう。
 マリコルヌは、男の顔など意識していなかったが、女の方には見覚えがあった。彼が自己紹介しようとしたら、目を合わせただけで、ぷ、とか笑われたのをハッキリ覚えていたのだ。

「ふん。僕は、さみしくも何ともないやい」

 いちゃいちゃカップルの話など聞いていても憎悪しか湧かないので、彼は、他の会話に耳を向けた。
 甲板でくつろぐ学生たちの中には、先日のアルビオン戦役について噂している者もいる。

「レコンキスタの親玉だったクロムウェルってやつ、あれは虚無の魔法を使った、って話だぜ。死んだ者を生きかえらせたんだってさ」

「ひゃー! おっかねえっ! ......でも、それ本当か? どうせ平民たちが言い出したデマじゃないのか?」

「かもしれないな。あいつらメイジのことなんてよく知らんから......。目が二つついてて、杖持ってて、不思議な魔法を使ったら、みんな虚無のメイジにしちまうのさ。バカのひとつおぼえだよ」

 そうして笑う連中を見て......。
 なんと愚かな話だろう、とマリコルヌは思った。メイジだって人間なのだから『目が二つついてて、杖持ってて』というのは、誰にでも当てはまる条件だ。それに『不思議な魔法を使ったら』というのであれば、魔法学院で級友だったルイズだって、虚無魔法の使い手ということになるではないか。

「あの『ゼロ』のルイズが......? はっ。それこそ笑い話だ。そりゃあ、ルイズたちが戦争で活躍したのは聞いてるけど......」

 実は彼の考えは、彼も知らぬうちに核心を突いていたのだが、それ以上マリコルヌは深く考えなかった。ちょうど、フネが下降を始めたからだ。
 いよいよ、ガリアの大地に着陸である。

########################

 その頃。
 一人の『風』メイジが、ガリア王ジョゼフのもとを訪れていた。
 男は風系統のスクウェア魔法『偏在』を操るほどの実力者であり、ジョゼフに自分を売り込もうと思ってガリアまで来たのだが......。トリステインの近衛の一部隊の隊長でありながらレコンキスタに内通し、開戦前にアルビオンへと出奔し、アルビオン戦役ではアルビオン側で戦った男である。まったく信頼に値しない忠誠心の持ち主であった。

「うううう......」

 そのため彼は、拘束されて拷問部屋へと送りこまれていた。
 暗い部屋の中で。
 天井からの鎖で両腕を縛られ、吊るされて、服も剥かれて、男は上半身裸で拷問されていた。
 彼を攻め立てるのは、シェフィールドが操るガーゴイルたち。ガーゴイルには意志がない分、同情で手を抜くこともなく、その攻めは過酷だった。
 拷問を取り仕切るシェフィールドが、男に尋ねる。

「どうだい? 少しは本当のことを話す気になったかい? お前の目的は何だ、ワルド子爵?」

「わ......私の目的は......ジョゼフ様にお仕えすること......」

 ガーゴイルがバシッと男を叩く。シェフィールドが、男の言葉を嘘と断定したのだ。
 しかし男は続ける。

「ジョゼフ様に仕えることこそが......私の目的に最も近く......。わ......私はそれを......実現するため......に......っ!」

「信じれないね。お前はレコンキスタに......『聖地』奪還という話に、賛同していたのであろう? ならば、お前にとってエルフは敵だ。そのエルフと手を組んだジョゼフ様は......お前の敵だ」

「ち......違う......。俺は......レコンキスタに賛同などしておらん......」

 男は声を絞り出していた。いつにまにか一人称が『私』から『俺』に変わっている。体裁を繕う余裕がなくなった証であった。

「俺は......『聖地』に行きたかっただけだ......。『聖地』に行って......この目で確かめたいことがある......。エルフなど......敵でも味方でもかまわない......」

「なるほど。それで今度は、ジョゼフ様のところへ来たっていうのかい。『聖地』を押さえているエルフと組んだ、ジョゼフ様のところに。ジョゼフ様を介して、エルフと交渉できると信じて」

 筋は一応、通っている。シェフィールドは、そう思ったが......。
 ちょうどその時。
 ジョゼフが、拷問部屋の様子を見に来た。

「どうだ? 子爵は使えそうか?」

「わかりませぬ。こいつの本当の考えを引き出すまでは、ジョゼフ様のおそばに近づけるのは危険ですから」

「だが、この子爵は、あのガンダールヴとも、やり合った男なのだろう? 利用価値はありそうではないか」

 ガンダールヴ。
 その言葉に反応して、男は、うなだれていた顔を上げる。

「そうだ......。ガンダールヴだ......。俺がレコンキスタの......ガンダールヴがトリステインのエースとして......何度か戦ったこともある......」

 実際には、誰も『エース』扱いなどしていないし、『何度か』というのも大げさだった。
 そもそも、彼の風竜とガンダールヴの『鉄の竜』とがタルブ上空で戦った際には、彼の方ではガンダールヴをはっきり意識していたが、ガンダールヴの方では単なる一騎の竜騎兵としか認識していなかった可能性もあるくらいだ。

「そうか。では子爵とガンダールヴを戦わせてみるのも一興か......」

 ジョゼフのつぶやきに、男は再び反応した。

「俺をガンダールヴと戦わせる......? それは無理だ。ガンダールヴはアルビオンで死んだ。七万の大軍に討たれて」

「死んでないぞ、子爵。余のミューズが、その目で確認しておる」

 ジョゼフの言葉に、シェフィールドは頷いた。
 しかし、男はそれを信じなかった。

「ガンダールヴ......サイト・ヒラガが? また......俺の前に立ちふさがる? いや、奴は死んだんだぞ! 駄目じゃないか、死んだ奴が出てきちゃ! 死んでなきゃああああ」

 男の口調は、まともではなかった。過酷な拷問に耐えかねて、すでに精神に異常をきたしていたのかもしれない......。

########################

「リュティスまでの道中、よろしくおねがいします」

 サン・マロンの港で、それぞれの行く先に応じて別れて、学生たちは小型のフネに乗りかえた。マリコルヌの乗ったフネはリュティス魔法学院へ向かう便であるが、首都の魔法学院だけあって扱いも別格らしく、案内役としてガリアの男爵が同乗していた。

「なーに、わしは大したことはせんよ。とりあえず、くつろいでくれたまえ。短い船旅だがね」

 ミスコール男爵は、頭の禿げ上がった四十過ぎの貴族であり、いかにも好色そうな雰囲気を漂わせている。男爵の方でも直感的にマリコルヌの好色性に気づいたらしく、マリコルヌにとっては話が合いそうな相手だった。

「わしにとっても、これは良い息抜きになりそうな仕事でな。なにしろ次の任務では、アーハンブラの廃城に赴任することになっており......」

 ミスコール男爵がそこまで告げた時。
 女子生徒の船室から、悲鳴が聞こえてきた。

「きゃあっ! のぞきよっ!」

 のぞき。
 その単語に反応して、マリコルヌとミスコール男爵は、猛スピードで現場に駆けつけた。
 船室の外の廊下で、犯人とおぼしき者が、近くの部屋の女性たちに押さえつけられている。被害者の女性は水浴びをしていたところのようで、バスタオル一枚を体に巻きつけただけの姿で廊下に出ていたが、マリコルヌたちに気づくと、サッと部屋に入ってしまった。体は扉の影に隠し、顔だけ出して、様子を伺っている。

「惜しいっ! でも......。ふふふ、この一瞬でバッチリ目に焼きつけたぞ!」

 マリコルヌが心の中で万歳している間に、ミスコール男爵は犯人を詰問していた。

「のぞきだなんて、なんと羨ましい......じゃなくて、けしからん! よくやった......じゃなくて、なんて破廉恥なことをしでかしたんだ!」

 ところどころ本音が漏れ出ているようだが......。
 苦笑しながらマリコルヌは、犯人に目を向けて、そして驚いた。
 犯人は、マリコルヌやミスコール男爵のような男ではなく、女だったのだ。まだ若い女の子だ。マリコルヌと同じくらいの年齢だろう。
 しかも......。

「か、かわいい......!」

 長く青い髪が、すらりと伸びた肢体に、よく映えていた。ぽってりと艶かしいつやを放つ唇、常人よりも広めの滑らかな額、いかにも冷酷そうな目鼻立ち......。こうして個々のパーツについて描写していけば、けして美辞麗句ばかりとはならないが、それでも十分美人と形容できるほどの顔立ちだった。
 何より、どことなく高貴な雰囲気が、全身から漂っていた。また、のぞき扱いされて今は怯えているようだが、その怯えの下には、生来の意地悪そうな表情が隠れていた。少しでもMっ気のある男にとってはたまらない表情だ。

「違うわ! のぞきなんてしてないから! 私は......ただ隠れるところを探してただけよ!」

 少女は抗弁するが、それはそれで、問題のある発言だった。
 ミスコール男爵が追求する。

「隠れるところ......? では貴様、密航者か!」

「違うったら! ただ......ガリアから出たくて、このフネに......」

「......潜り込んだというのか? やはり密航者ではないか!」

 ミスコール男爵は青髪少女の言葉をバッサリ切り捨ててから、わずかに憐れむような目で、

「......だいたい、これはリュティス行きの便だぞ。このフネでは、ガリアから出ることはできん」

「そうだよ。トリステイン魔法学院からリュティス魔法学院への交換留学生を運んでるんだ」

 会話に参加したくて、マリコルヌが口を挟んだ。
 青髪少女は、マリコルヌとミスコール男爵を見比べつつ、

「え? う......嘘でしょ?」

「嘘なもんか。本当に、これはリュティスに行くフネだよ」

 マリコルヌは、表面上は素知らぬ顔で対応しながら、心の中では喝采をあげていた。
 ......この少女はドジっこ属性まで身につけているというのか? パーフェクトだ......!

「行き先を間違えたにせよ、密航者は密航者だ。さて......」

 少女を睨みつけていたミスコール男爵は、突然、相好を崩して、

「......では取り調べをせねばならんなあ。若い女性に手荒なまねはしたくないが、いや何、これも仕事でな。問題のある人物は、わしが隅から隅まで調べることになっておるのだ。そう、隅から隅までだ」

 その舐め回すような視線を見れば、彼の意図は明白だった。彼の『取り調べ』に自分も参加させてもらいたい、とマリコルヌは切に願う。
 青髪少女は慌てて、腕をバタバタさせて、

「じょ、冗談よ! 今のは全て冗談! 私は、のぞきでも密航者でも王女でも何でもないわ。私も学生。その、トリステイン魔法学院......だっけ? そこから来た生徒よ!」

 あからさまな嘘だった。そのような嘘でこの場を取り繕えると考えるほど、彼女は世間知らずなのであろうか。
 じっとマリコルヌが少女を見つめるうちに、ふと、目があった。彼女は彼に、すがるような視線を向けている。
 マリコルヌは突然、少女をかばってあげよう、と思い立った。そもそも『勇気』が欲しくてガリアまで来た彼なのだ。ここで少女の味方をすることこそ、『勇気』を示すことになるのではないか?
 それに......。
 ミスコール側に立ったところで『取り調べ』に参加できるとは限らないが、少女の唯一の味方になれたら、自分こそが少女の命綱。あとで色々とお礼をしてもらえるはずだ。
 結局のところ、下心から立場を決めるマリコルヌであった。

「そうです、彼女はトリステイン魔法学院の一員です」

「本当か?」

 少女をかばう格好で立ちふさがったマリコルヌに対して、怪訝な目を向けるミスコール男爵。

「......ならば貴殿の知り合いか? 同じ学院から来た者ならば、少なくとも名前くらいは知っていよう」

「もちろん知っています。彼女の名前は......」

 マリコルヌは適当にデタラメを言うつもりだったが、彼の背後で、彼だけに聞こえるくらいの小声で、少女がつぶやく。
 イザベラ、と。

「......イザベラです。かわいい名前でしょ」

「そうなのか? かわいい名前というより、むしろガリアでは恐れ多い名前だが......」

 まだミスコール男爵の疑いは晴れぬようだ。しかしここで、新たな騒動が勃発する。甲板から悲鳴が聞こえてきたのだ。

「空賊だ! 空賊が出たぞ!」

 もはや、のぞき騒ぎどころではなかった。
 まだサン・マロンを飛び立って間もないというのに、次から次へと......。
 大変なフネに乗り込んでしまったものだ。マリコルヌは頭を抱えた。

########################

 甲板に出ると、異様なフネが迫りつつあった。
 空賊のフネは、見るからに巨大なフネであった。
 翼の差し渡しは約百五十メイルもあり、木材を支柱として帆布を張ったものではなく、強度を得るために木材の代わりに長い鉄のパイプが使われているようだ。船体部分そのものは一見おかしくはないが、後ろに巨大なプロペラが取りつけられている点が、一般的なハルケギニアのフネと異なっていた。プロペラは、左右に伸びた翼にも一つずつつけられている。

「お......おっきい......」

 マリコルヌの横では、イザベラと名乗った少女も驚愕していた。
 だが、脅威は空賊のフネだけではなかった。空賊のフネからは、一騎の竜騎兵らしきものも飛び立って、ガリアの空を悠々と舞っていた。
 フネが一般のフネとは異なるのと同様、その『竜騎兵らしきもの』は、一般的な火竜とも風竜とも違う。緑色の硬質そうな、その体は......。マリコルヌには、どこか懐かしく思えた。

「あれは......サイトの『鉄の竜』......?」

 そう。それは、サイトが『ゼロなんとか』と呼び、かげでハルケギニアの者たちから『鉄の竜』と呼ばれていた機体と、酷似していた。
 しかし......。
 そんなはずはない。サイトがガリアにいるわけがない。平民出身とはいえ今では貴族の称号も得たサイトなのだから、空賊に身をやつしているなど、考えられない。
 そうだ、あれは別の『鉄の竜』だ。この世に『鉄の竜』が一騎だけとは限らない。あれはサイトの『鉄の竜』とは違う機体、ならば『鉄の竜・2号機』と呼ぼう......。

「......あんた、どうするつもり?」

 すぐそばからの声でマリコルヌは我に返り、サイトのことを忘れた。
 見れば、イザベラが不審そうな声でマリコルヌを見ている。そういえば、のぞき騒動の現場から彼女の手を引いて甲板に出てきたので、いまだにイザベラの手を握ったままだった。
 少女の手の滑らかさを意識して、じとっと汗ばむ。手が汗でぬるぬるになって気持ち悪がられる前に、マリコルヌは、慌てて手を放した。

「どうするって......」

 マリコルヌは、仮称『鉄の竜・2号機』を再び見つめた。マリコルヌたちのフネにはメイジが大勢乗っているため、すでに甲板からは仮称『鉄の竜・2号機』に対して攻撃魔法も放たれていた。

「僕も戦うよ!」

 かっこいいところを見せたくて、マリコルヌはイザベラに宣言した。だが彼女は、鼻で笑いながら、

「戦うですって? あんたが? ......あれと? 無理よ、やめときなさい」

「無理なもんか! こう見えても僕は......アルビオン戦役では空軍の一員として戦ったんだ。トリステインの士官候補生として」

「へえ。でも『士官』じゃなくて、しょせん『士官候補生』なのね」

「う......」

 敵と戦う前から女の子に言い負かされていては先が思いやられる。彼はシャキッとして、

「実戦をくぐり抜けた男の姿を......君に見せてやる!」

 黒色火薬の爆発による煙がもうもうと立ちこめるあの戦場と比べれば、この程度はどうってことない。
 マリコルヌは杖を構えて、仮称『鉄の竜・2号機』めがけて冷静に呪文を詠唱し始めた。

########################

「な? あたっている? のに? 魔法が命中してるのに? なんで?」

 マリコルヌの攻撃魔法は、まったく効いていなかった。彼の『風』などそよ風に過ぎんといわんばかりに、仮称『鉄の竜・2号機』は、飄々と空を飛んでいる。
 どうやら仮称『鉄の竜・2号機』は、非情に硬質な素材で出来ているらしい。そういえば才人の『鉄の竜』も同じだったな、とマリコルヌは今さらのように思い出していた。
 そんなマリコルヌを、

「ほら、みなさい。やっぱり、あんたじゃ無理だったじゃないの」

 イザベラが嘲笑う。彼女自身のぽってりとした唇を、舌でペロッと拭いながら。
 その仕草に、マリコルヌはハッとした。おそらくそれは彼女の癖のようなものであり、イザベラ自身は意識せずに行ったに違いない。だがそれは、見る者が見れば妖艶な仕草であり、若く多感なマリコルヌの脳髄を直撃したのだった。
 その瞬間、マリコルヌは強く思う。死にたくない、と。このまま童貞のまま死ぬわけにはいかない、と。

「......逃げよう」

 マリコルヌはイザベラの手を取って、甲板から船内へと駆け出した。

########################

「ここ、どこよ?」

「貨物室......かな?」

 周囲の様子からマリコルヌは、そう判断した。
 イザベラはジトッとした目つきで、呆れたように、

「あんた......。こんなところに私を連れ込んで、どういうつもり? こんな時だっていうのに!」

「......?」

 一瞬マリコルヌは戸惑ったが、すぐにイザベラの言っている意味に気づいて、慌てて手を振った。

「違う、違う! とにかく逃げ隠れなきゃ、と思ったら......たまたまここに辿り着いただけ!」

 もしかしたら、女の子を暗い部屋に連れ込むのは男の本能だったのかもしれないが、少なくともマリコルヌとしては意識してやったつもりはない。あくまでも偶然だった。

「......まあ、いいわ。今は信じてあげる。それにしても......」

 イザベラは、ブルッと体を震わせた。

「この部屋、ずいぶんと寒くない?」

 言われてみれば。
 まるで真冬のような寒さだった。

「じゃあ僕が体で温めてあげ......。うげっ!」

 イザベラの拳がマリコルヌの腹にめりこみ、彼を黙らせる。

「そうじゃなくて! 部屋が寒いなら、その寒さの原因を取り除こう、って考えるのが普通でしょ!?」

 寒さの原因。
 そう意識してみると、『寒さ』のくせに、妙に方向性があった。まるで何かが周りの熱を吸い取っているかのように......。
 二人は顔を見合わせて、冷気の中心地へと向かう。そこには手のひらサイズの小箱があった。

「これ......かしら?」

「開けてみよう」

 マリコルヌが蓋に手をかける。一応、施錠されていたようだが、『アンロック』の呪文で簡単に開いた。
 中に入っていたのは......。

「赤い石?」

 彼の形容は、やや的外れだったかもしれない。赤いというより、透明な球の中に炎を閉じ込めたような、不思議な光彩を放っている。

「まあ! 『火石』じゃないの、これ!」

「『火石』?」

 イザベラの叫びは尋常ではなく、マリコルヌは思わず聞き返した。彼女は頷き、

「そう、『火石』よ。『風石』は風の力の結晶で、『火石』は火の力の結晶......」

 本来『火石』は地中の奥底で精製される。人間が掘り起こすのは不可能な深さなので、ハルケギニアの民が実物を目にすることはなかった。

「火の......結晶? それなら寒いんじゃなく、熱いんじゃない?」

「違うわ。『火石』は、周りの熱を吸い取って、凝縮するものなの。だから周囲は、すごぉく寒くなるんだわ」

「イザベラって、すいぶん物知りなんだね」

 深い意味はなく、マリコルヌはつぶやいた。イザベラが、本来知り得ぬはずの知識を持っているのは、ガリアの汚れ仕事を一手に引き受ける北花壇騎士団のトップだったからなのだが......。まさか出会ったばかりのマリコルヌに、それを告げるわけにもいかぬ。

「ちょっと......とある筋からの情報でね......」

「ふーん。でも、どういうことなんだろう? どうして留学生を運ぶフネに、そんなものが積んであるんだ?」

 マリコルヌが首をかしげた時。

「留学生の運搬など、しょせん口実のようなもの。サン・マロンの『実験農場』で造られた『火石』の試作品を、リュティスのジョゼフ王のもとまで届けることこそ、わしの本当の任務だったのだ」

 二人の背後で声がした。
 振り返ると。
 いつのまにか、ミスコール男爵が杖を構えて立っていた。

########################

「いやあ......すいぶんと御親切に。説明どうも」

 マリコルヌの頬を、一筋の冷や汗が流れた。ちゃんと説明してくれたのは生かして帰すつもりがないからだ、と悟ったからだ。
 ミスコール男爵は、杖を構えたまま、

「......わしの大事な任務を、トリステインの小僧や密航者なんぞに邪魔されてはかなわん。貴様らはここで......」

 その時。
 壁に大きな穴が開いた。
 外から銃弾を撃ち込まれたのだ。
 入り込んでくる風に飛ばされぬよう、イザベラに抱きつくマリコルヌ。

「僕につかまって! 危ないから!」

「あんたとこうしてる方が、別の意味で危ないわ!」

 イザベラとマリコルヌがバタバタしている間に。
 壁の大穴をくぐって、『鉄の竜』が突っ込んでくる、
 狭い貨物室の床に強引に着陸した『鉄の竜』から、黒髪の少年が一人、降りてきた。剣を手にしている。

「き、貴様!」

 ミスコール男爵は叫んで、杖を黒髪少年に向けた。武器を手にしている分、マリコルヌたちより危険度が高いと判断したのだろう。
 躊躇なく攻撃魔法を放つミスコール男爵。しかし黒髪少年は、その魔法を剣で吸収した!

「な、何!?」

 驚くミスコール男爵の手から、黒髪少年が杖を叩き落とす。
 それでもミスコール男爵は戦う姿勢を示していたが、体術は苦手だったらしい。体のバランスを崩して、足を滑らせ、壁の大穴から外へ落ちていった。

「終わったな」

 黒髪少年が、マリコルヌたち二人の方を向く。

「一難去ってまた一難......。ミスコールの次は空賊ってわけ?」

 忌々しそうにイザベラは吐き捨てたが、マリコルヌの考えは異なっていた。脅威は去ったのだ。
 彼は黒髪少年に呼びかけた。

「どうして君がここにいるんだ、サイト!?」

 そう。
 仮称『鉄の竜・2号機』は......やっぱり才人の『鉄の竜』だったのだ。

########################

「サイト、何が起こってるんだい? いったい? 僕の知らないところで......いったい......」

「まあまあ。こんな狭いところじゃ何だから、まずは......ここを出ようぜ」

 才人に促されて、マリコルヌはイザベラを連れて、甲板に上がった。
 開けた場所で、才人は説明を始める。

「どっから話したら......。そうだ、まずは『オストラント』号のことかな」

「『オストラント』号?」

 才人は説明する。
 あれはコルベール先生が、彼の水蒸気機関を利用して作り上げたフネなのだ、と。

「......」

 マリコルヌは絶句してしまう。
 ミスタ・コルベールは死んだはずだ。少なくとも、マリコルヌがトリステイン魔法学院を発った頃には、そういうことになっていた。
 だが才人の話によると、実は生きていて、ゲルマニアのキュルケのところで匿われていたらしい。才人も知らなかったのだが。

「じゃあミスタ・コルベールの件はいいとして......。なんでサイトたちがガリアに? それも空賊なんかになって......」

「おいおい。空賊は、あくまで空賊のふりをしてるだけだぜ。おおっぴらにガリアに乗り込むわけにはいかなかったから」

 才人の説明は続く。
 簡単に言うと、彼らは、奪われたタバサを取り戻しに来たのだった。しかも事件の黒幕はガリアのジョゼフ王。

「敵はガリア王家そのもの......ってこった」

 才人の言葉に驚くマリコルヌは、横でイザベラがビクンと体を震わせたことに気づいた。きっと彼女も驚いているに違いない。そうマリコルヌは判断した。

「トリステインと......ガリアが戦うってことか!」

「違う、違う」

 マリコルヌの結論は、才人に却下された。
 表立って両国が戦争を始めるわけではなく、今回の才人たちのガリア行きだって、アンリエッタ女王には反対されたそうだ。才人たちは、女王とケンカ別れする形でガリアに乗り込んできたらしい。

「......なるほど。だから空賊なんて装ってるのか」

 感慨深げにマリコルヌがつぶやく。
 あらためて『オストラント』号に目を向けると......。
 こちらに接近してきた分、隅々までよく見えるようになっていた。最初は気づかなかったが、徹底して空賊を装っているため、空賊旗まで設置されていた。
 しかし。
 ここでマリコルヌは、またまた目を丸くした。

「サ、サイト......。あれって......」

 動揺たっぷりの声で、空賊旗を指し示すマリコルヌ。それで隣のイザベラも気づいたらしく、彼女も目を丸くしている。
 二人が驚いたのは......。
 空賊旗に描かれた紋章だった。

「ああ、あれ? ほら、タバサ奪還が目的だからさ。タバサの実家の紋章を、空賊旗にしてみたんだ。......キュルケがタバサの家に行った時、あんな紋章が描いてあった、って」

 あっけらかんと話す才人。
 もともとハルケギニアの貴族ではなく、どこか遠いところから来た才人には、その紋章の示す意味がわからないのだろう。
 しかしハルケギニアの貴族であるマリコルヌや、当然イザベラには、紋章の意味は明白であった。
 クロスした二本の杖......。
 それは、まごうことなきガリア王家の紋章であった。

########################

「マリコルヌ、お前のとるべき道は二つある。一つは全てを忘れてトリステインに戻り、貝のように口を閉ざすこと......」

 話を締めくくるつもりらしく、才人は二枚目然とした口調に変わっていた。

「そして、もうひとつは......俺たちと共に、ガリアに立ち向かうことだ!」

 その才人の問いかけにマリコルヌが答えるより早く。

「私も行くわ」

 決然とした態度で、イザベラが言い放った。

「ジョゼフ王からタバサを奪い返す......。あなた、そう言ったわね? だったら私も行くわ」

「あれ? イザベラって、ガリアから出たかったんじゃないの?」

 最初の出会いを思い出し、マリコルヌは不思議そうに尋ねたが、イザベラは首を横に振る。

「事情が変わったのよ。ジョゼフ王に立ち向かうというなら......私も行きたいの。......私も、できれば彼を止めたいから」

 彼女の表情を見れば、それ以上は何も聞けなかった。どうやら詮索してはならない、深い事情があるらしい。
 ならば......。
 マリコルヌの選択肢も、ひとつしかなかった。

「僕も一緒に行くよ、サイト」

 そう。
 これは......彼が『勇気』を手に入れる好機なのだ。

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 始祖暦6243年。
 ハルケギニアの誰も、まだ、ガリア王ジョゼフが引き起こす戦いを知らなかった。




(「ガリア空賊 クロスタクト・バンガード」完)

(初出;「Arcadia」様のコンテンツ「チラシの裏SS投稿掲示板」[2013年9月])

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