「・・・断っておきますが、 この時間移動は神魔族最上層部の特別許可のもと行われます! 本当なら、これ以上の時空の混乱はもう絶対に避けたいんです。 今回の事件でのあなたの功績を特に認めての 最後の時間移動ですからね!?」 小竜姫が人間たちに事情を説明している。後ろには、ヒャクメ、ワルキューレ、ジークを従えており、神魔族を代表しているようだった。 その小竜姫の話を聞いているのは五人の人間だ。左側に美神令子と西条、右側に横島とおキヌ。そして正面にいるのが、 「・・・ご心配なく!」 美神美智恵である。 美智恵は、ロングコートを着て、トランクを手にしていた。これから彼女は過去へと旅立つ。それを見送るために、美神の事務所の前に一同が集まっているのであった。 「過去に戻った私は、関係者との連絡は一切断ちます。 表向きは死んだことにして、 今日が来るまで五年間、行方をくらませて沈黙・・・。 約束は守るわ」 ここで、横から口を挟む者がいた。令子である。 「五年もどーすんのよ!? かくれ場所はあるの・・・?」 「そーねえ・・・。 パパのところにいるわ。 あのひと、ジャングルの奥地でフィールドワークが多いから」 美智恵は、まるで今思いついたかのような調子で、何気ないふうを装って答えた。 しかし、 「ちょ、ちょっと待って!? じゃ、何!? ママはずっとパパのとこで死んだフリしてたわけ!?」 「い、今の私にそんなこと言われても・・・! 戻ったらきいてちょうだい・・・!!」 「冗談じゃないわよっ!? それってひどいじゃないッ!! 15で母親が死んで、私がどれだけ・・・!!」 令子は怒ってしまった。美智恵に詰め寄ろうとまでしたが、小竜姫とワルキューレに押さえつけられた。 美智恵は、その間に、時空の彼方へ消え去っていく。 「じゃ・・・じゃーねっ、令子っ!!」 敢えて深刻にならないように、軽い感じで別れを演出したのであった。 時間を跳躍している間、彼女は心の中で、 (ごめんね、令子。 これは既に決められたことなの・・・) 娘に対して謝罪し、同時に、 (歴史を維持するためにも、これから私は・・・) 最後の一仕事に向けて気を引き締めるのであった。 最後の時間移動 カッ! ドゴオォォオン!! 深夜の公園に、雷が落ちた。 緑の多い公園であったが、幸い、落雷の場所には草木はなかった。 そこは、ちょっとした広場になっており、昼間ならば人で賑わっていたかもしれない。だが、この時間帯ならば、雷に直撃されるような不幸な者もいなかった。 落雷による爆煙が晴れた時、そこに立っていたのは一人の女性。五年先から来た、美神美智恵である。 「ここは・・・」 確認のために周りを見回した美智恵は、少し離れた茂みに注意を向ける。 ガサガサッ! 四つ脚の異形の生き物が飛び出し、目の前を走っていった。 低級な妖怪である。美智恵は、その姿に見覚えがあった。 (ちゃんと歴史通りのところへ来たようね。 私が『彼女』と出会ったのも、この除霊のときだった・・・) 美智恵が心の中で軽く安堵していると、 「逃がさないわよっ!」 一人の女性が、同じ茂みの中から妖怪を追う形で飛び出してきた。破魔札を妖怪に投げつける。さらに、 「極楽へ・・・行かせてやるわッ!!」 『ガアァッ!!』 神通棍を振り下ろし、妖怪を退治した。 ホッとしたところで、ようやく、美智恵の気配に気付いたらしい。そちらへ振り向いたのだが、その途端、女性の顔に驚きの表情が浮かんだ。 「あなたは・・・」 女性の問いかけに対し、美智恵の挨拶が返ってくる。 「はじめまして、この時代の私」 その女性は、美智恵と瓜二つ・・・。 つまり、この時代の美智恵なのであった。 ___________ 少し前まで降っていた雨は、いつのまにか止んでいた。空では、丸い月が雲間から姿をのぞかせていた。 その光に照らされる中、同じ顔をもつ二人の女性が対峙する。 沈黙の後、先に口を開いたのは『この時代の美智恵』だった。 「この時代の私って言ったわね・・・。 では、あなたは未来からきた私ってことになるのかしら?」 それを聞いた美智恵は、昔を思い出して苦笑した。 (確かに、私も『彼女』と会ったとき・・・、 『未来からきた私』と会ったとき、そう言ったわね。 じゃあ、ここで言うべきセリフは・・・) 記憶にしたがって発言する。 「もし私が『過去から来た』と言ったら、どうします?」 『この時代の美智恵』が、手の中の神通棍を握り直した。 そして、 「それならば、あなたは嘘つき、ニセモノということになりますね。 あなたが過去から来た場合、私にも 『過去のどこかの時点で、未来の私へ会いに行った』 という記憶があるはず。 でも、私には、そんなものないのですから」 子供に説いて聞かせるかのような調子で答えた。 これに対して、美智恵は、心の中で反論する。 (あなたの理屈は、 『歴史が100パーセント確定している』 という前提の上で成り立っているのよ。でも・・・) 過去の自分が考えていたことなど、美智恵には、手に取るように分かる。 そもそも、当時の美智恵は、歴史が確定しているとは思っていなかったのだ。いや、そう思いたくなかったのだ。 もし、本当に確定してしまっているなら、時間旅行をしても、あまり意味がない。 過去へ行ってもその過去は変えられない、ということになってしまうのだ。 未来へ行って未来を見てしまったらその未来は必ず実現する、ということになってしまうのだ。 落雷のエネルギーで時を超えるなんて危険なことをしているのに、それが無意味であるというのならば、やってられない。 だから、美智恵は信じていたのだ。タイムトラベルによって歴史が変わる可能性を。異なる未来へと分岐する可能性を。『似ているけれど異なる歴史』が存在する可能性を。 しかし、対外的には、それを認めるつもりはなかった。タイムトラベラーが、 「私は、過去も未来も変える力を持っているのよ!」 と言いきってしまうのは、別の意味で危険だったからである。 他人に対しては、『歴史は確定している』という態度を取り続けていた。 (そう、あなたは実は信じてはいない、 自分の理屈の前提として使っている概念を。 でも信じているフリをしているから、 ワザワザ説明口調で、 そんな理論展開をしてみせたりしてる) それが分かっている美智恵だったが、ここで『この時代の美智恵』の心中を暴くつもりはなかった。 代わりに口にしたのは、全く別の言葉だった。 「フフフ・・・。『過去から来た』は冗談よ、ごめんなさい」 (バカな冗談なんて言わない方が説得しやすいんだけど、 『未来からきた私』も言ったんだから、仕方ないわね。 それに、少しは疑ってもらわないと・・・) 美智恵は、かつて自分が何を言われたかを思い出しながら、慎重に言葉を選んだ。 「ええ、私は未来から来ました。 今から一週間後の未来よ。 ・・・厳密には、そこから五年後へジャンプして、 その未来で令子を助けてから、ここへ戻ってきたの」 (『厳密には』というのであれば、 『戻ってきた』という言葉は相応しくない。 だって、私は、ここから旅立ったわけではないから。 でも、あなたは、そんな部分には食いつかない。 あなたの答えは、おそらく・・・) 美智恵が心の中で考えた通りの返事がくる。 「怪しいわね・・・。 未来へ行って令子を助けるというのは、 昔ハーピーと戦ったときにもやったから、 ある意味、私らしいんだけど・・・。 でも、あなた、ペラペラしゃべりすぎですよ?」 『この時代の美智恵』にとって、美智恵の説明は、一週間後の自分の行動を告げるものであった。 未来が確定していようがいまいが(いや確定していないならば余計に)、未来の情報を不用意にもらすことは危険である。その危険性は、時間移動能力者であるならば、普通の人間以上に認識しているはずなのだ。 『この時代の美智恵』から見ると、美智恵の言葉に含まていた情報は、すでに、不自然なほど多かったのである。 「いいのよ、この場合は。 私は、かつて私が伝えられた情報を告げているだけですから。 それに、最低限の情報は、あなたにも必要なのです」 美智恵の言葉を聞いて、『この時代の美智恵』の眉が上がった。興味を引く言葉があったのである。 「・・・『必要なのです』?」 「ええ。 未来へ行った後、令子を守るためにあなたが最初にすること。 それは、ICPOと日本政府を説得して、あなたに全権を委任させることです」 「・・・え?」 『この時代の美智恵』は驚いた。少し緊張を解いてしまったくらいだ。 先ほど、未来へ行ってハーピーを倒してきた件と比べてしまったが、どうやら、全くスケールが違うらしい。 もちろん、目の前の女性が本当のことを言っているのであれば、という条件付きだが。 「・・・というわけで、 どうやって説得したらよいのか、 そのための情報は与えます。 もちろん、それだけです。 他には、おおまかな流れすら、 言うわけにはいきません。」 「ちょっと待って」 相手のペースで話が進んでいきそうになり、『この時代の美智恵』が慌てて制止する。 「あなたが本当に未来の私であるというなら・・・。 今ここで私が考えていること、 知って・・・いや、覚えていますね?」 「ええ。 でも私、目が妙に尖ってたり、 マフラーの色が違ってたりはしてませんよ?」 美智恵がニヤリとした笑いを浮かべながら答えた。 すると、『この時代の美智恵』も同じ表情を返す。 「ヒーローものにありがちな『ニセ何とか』じゃあない、 って言いたいわけね」 ここで『この時代の美智恵』が考えていたこと。 それは、目の前の美智恵は魔族の差し向けた刺客ではないかという可能性だった。 なにしろ、時間移動能力者であるという理由で、過去に娘ともども命を狙われた美智恵である。あのときハーピーは言っていた。 「あたしたち魔族は 大昔からあんたたちのような奴を 見つけだしては殺してるんだよ!」 「あんたの一族は皆殺しにするのさ!!」 「そんな力があっちゃあ 魔族は人間に滅ぼされる危険もあるじゃん!!」 だから、しばらく魔族の襲撃がないからといって、終わったと安心するわけにはいかないのだ。ハーピーは正攻法で来たが、ニセモノを作り上げて攻めてくる魔族がいてもおかしくはない。 今、目の前の女性は、自分の考えている内容を見事に当ててみせた。 しかも、若い頃の 「TVヒーローになりたくてGSをやってんのよ!!」 という発言を踏まえて、その表面的な意味を皮肉るという形で。 (まあ、私の性格とか考え方とかをインプットしておけば、 これくらいの芸当は出来て当然かもね。 ただし、なんでそこまで手の込んだことをしているか、 っていう疑問は生まれるけど・・・。 でも、だからといって可能性を捨て去ることも出来ないわ、 魔族が何考えてるかなんて、わからないんだから) 『この時代の美智恵』は、さらに考える。 (戦ってみるのが一番かしら?) なぜか、ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。 (100%私と同じように作られてるなら、 勝てないかもしれないけど、 負けることもないでしょうね。 でもそうじゃなくて、 わずかな違いはあるかもしれない。 それなら、戦い方のクセとかで判別できるかもしれない。 魔族の化けたものだったり手先だったりした場合、 そこで倒しちゃえばいいし。 逆に、本物である場合だって、 私が私に倒されちゃうわけないから・・・。 じゃあ、全力でいってOK!) 右手の神通棍は静止させたまま、突然、彼女は、左手に隠し持っていた破魔札を投げつけた。 ___________ (来た!) 一方、美智恵は、この瞬間を待っていた。 わざわざ危険な冗談を言って『この時代の美智恵』の疑心を煽ったのも、戦いを誘発するためだったのだ。 (そう、これで歴史通りになった。 私も『未来からきた私』に対して、 奇襲攻撃を仕掛けたんだわ。 でも『未来からきた私』は、 それに対応してみせた!) 美智恵は、軽く腕を振った。袖の中に仕込んでおいた神通棍が、手の中へとスライドする。美智恵の霊力を受けて棍が伸びる。 「ハッ!!」 神通棍を叩き付け、飛んできた破魔札を爆発させた。 ___________ 爆煙の中から『この時代の美智恵』が現れる。自ら第二撃を加えるために駆け寄ってきていたのだ。しかし彼女の神通棍は空を切った。 そこに美智恵はいなかった。先ほどの爆風に乗る形で、後方へジャンプしていたのだ。 これでは、わずかとはいえ爆発の余波を受けたのは、むしろ『この時代の美智恵』の方である。 (チッ!) 心の中で舌打ちする『この時代の美智恵』。その視線の先では、美智恵が静かに立っていた。両手で霊体ボウガンを構えて、こちらに狙いを定めている。 それを見て、『この時代の美智恵』は苦々しく思う。 (余裕かましちゃって!! 今の爆発を目くらましにして、 うてばよかったのに。 それとも・・・。 向こうには、私を倒す気がないから?) そんなことを考えられる程の間。 それから、矢が飛ばされた。 しかし、不意打ちでなければ、たいした脅威にはならない。神通棍で払いのけるまでもなく、上体をスーッと引くだけで回避した。 (『正確な射撃だ。それゆえ予想しやすい』だったかしら?) どこかで聞いたようなセリフが、『この時代の美智恵』の頭に浮かぶ。 なんだかんだ言って、彼女の方にも余裕があったのだろう。しかし、それもここまでだった。 自分に向かって何かが空から落ちてくる! 彼女の耳が、その音を察知した。 見上げることすらせず、彼女は急いで横に飛んでかわす。 (危なかった! もし雨がやんでなければ、アウトだったわ!) 雨音に紛れてしまっていたならば、気づくのが遅れたかもしれない。 彼女は、ただ、そう思ったのだった。 雨が降り続いていたら相手はこんな戦法を取らなかっただろうとか、これは確定した歴史の範囲内だから雨が上がっていたのも必然なのだとか、そんな考えは頭に浮かばなかった。 そして『この時代の美智恵』は、ついさっきまで自分が立っていた場所を見やる。 旅行用トランクが、地面を穿っていた。 (迂闊だったわ・・・) このトランクは、目の前の美智恵が最初に手にしていたものだ。 いつのまにか無くなっていたが、てっきり、ボウガンを構えるのに邪魔だから辺りに投げ捨てたものだと決めつけていた。 考えてみれば、霊体ボウガンは片手でも扱える。それなのに両手で持っていたのは、自分に今のように思わせるための、一種のカモフラージュだったのかもしれない。 (破魔札の爆発で視界が遮られた隙に! あれをこっちへ投げ上げていたなんて・・・) 爆発を目くらましに使って、うって出たところまではお互いさまだ。だが、自分が一つ攻めた間に、相手は攻撃と回避の両方を行っていた。 向こうの方が一枚うわてだ。 (それも、こんな子供騙しのような手で!) 『この時代の美智恵』が、相手を睨みつけた。 しかし、これも遅かった。 美智恵は、すでに目の前まで迫ってきていたのである! ___________ 美智恵には、『この時代の美智恵』の行動が全て分かっていた。 落ちてくるトランクに気づいても、そちらへは視線を向けない。だが、避けた直後に、トランクの方を見てしまう。そこに一瞬の隙が出来る。 だから、その隙をついて、美智恵は彼女との距離をつめていたのだ。 (かわしたって思った後の、 一瞬の気のゆるみなんでしょうね。 瞬間とはいえ、それが命取りになり得る・・・) 美智恵は苦笑する。 かつて自分が同じミスをやってしまったからこそ、この展開を知っているのである。 だから、この苦笑いも、目の前にいる『この時代の美智恵』に対するものではない。過去の自分自身へ向けたものだ。 しかし、美智恵は忘れていた。 当時、相手の顔に浮かんだ表情を見て、自分が何を思ったのか、ということを。 ___________ (負けるもんですか!) 『この時代の美智恵』は、心の中で強く叫んだ。 振り下ろされてきた神通棍に、自分の神通棍を合わせる。 バチバチッ!! 二人の霊力がぶつかり合う。 (力は互角ね!) それなのに、相手の方が優位に立っている。その表情は、こちらをあざけり笑っているかのようだ。 (何様のつもり・・・!!) 押し合う力を利用して、逆に後ろへ跳ぶことも出来た。しかし『この時代の美智恵』は、今、そんな消極的な戦法をとるつもりはない。 その場にとどまり、果敢に神通棍を振るい続けた。相手も、それを受けて立つようだ。 この近距離では、もはや、お互いに飛び道具は使えなくなってしまった。 また、下手に蹴りや殴打を繰り出すわけにもいかなかった。せいぜい牽制に使う程度である。もともと素手の戦闘を得意とするスタイルではないのだ。慣れない攻撃をして神通棍でカウンターを食らってしまったら、そのダメージは計り知れないだろう。 だから、今、二人が頼りとするのは、それぞれの神通棍のみであった。 バシッ! バシッ! 『この時代の美智恵』は気づいた。 何合か打ちあう間に、少しずつ、自分の方が押され始めている。 踏みとどまろうとしていた足も、いつのまにか、だんだん後ずさりしていた。 (なぜ・・・!?) 彼女の心の中に、焦りが生じる。 ___________ (そりゃあ冷静さを失っては、 勝てるものも勝てなくなるわ) 美智恵は、『この時代の美智恵』の様子を、落ち着いて観察していた。 別に、美智恵自身に余裕がありあまっているというわけではなかった。また、戦いを有利に運ぶためという側面は皆無ではないものの、それを意識的にしているわけでもなかった。 ただ、そうするクセがついてしまっていたのだ。 アシュタロスの一味との戦いに参加して、最初の頃こそ前線に出ることもあったが、それはごく僅かでしかない。ほとんどは、後方で名実共に指揮官役をこなしていたのだった。 しかも、あれだけの大部隊である。指揮官としての手腕を発揮するためには、大局も、そして個々の状況も、常に冷静な目で見守っている必要があった。 もともと、自分よりも強大な敵に挑むことも厭わなかった美智恵である。相手の弱点を見いだすことは、むしろ得意としていた。観察眼や分析力は、元から優れていたのだ。指揮官役に収まっていたことで、その能力が上がり、また、それを無意識のうちに使うようになっていたのである。 (冷静さを失わないっていうのは、 基本中の基本なんだけど・・・。 この頃の私って、まだ若かったのかしら) 『この時代の美智恵』に対して神通棍を振るいながらも、どこか他人事のように考えてしまう。 (『若い』といっても、 そんなに私と変わらないんだけど。 アシュタロスとの戦いの期間プラス一週間。 ほんのそれだけよ?) そして、神通棍をかち合わせ、そのまま押し込むようにグッと力を加えながら、言葉をかける。 「そろそろ、気がすんだかしら?」 美智恵としては、穏やかに呟いたつもりだったのだが・・・。 ___________ 「そろそろ、気がすんだかしら?」 まるで、フッという音が聞こえそうな口調だった。 『この時代の美智恵』は、そう捉えてしまっていた。 そして、彼女の頭の中で、何かがはじけた。 ブチッ!! 「あなたが本当にホンモノで、 未来からきた私だというのならば! 今の私の行動は全てお見通しなのでしょう!」 『この時代の美智恵』が声を張り上げた。本当は最後に、 (それじゃあ、私、勝てるわけないわよ!!) と続くのだが、それを口にしなかったのは、彼女の矜持であろう。 美神という姓をもつ女性は、負けず嫌いなのである。 もちろん、彼女も例外ではない。 勝つためには手段を選ばない彼女ではあるが、かといって卑怯を好むわけでもない。むしろ『正義』を貫きたいくらいだ。 そんな彼女だから、 「こんなの、卑怯だわ・・・!!」 とも喚いてしまう。 (理不尽だわ! 酷い! 狡い、猾い、ズルい!) ブチ切れてしまった『この時代の美智恵』。 神通棍のスピードが変わる。もはや、彼女が美智恵に押し負けることはなかった。 ガチッ! ガチッ! 打ち合うたびに、美智恵を、後ろへ後ろへと追いやっていく。 しかも、神通棍を叩き付けるだけでなく、それを使っての突きを交えるようになっている。みぞおちや喉など、人体の急所を的確に狙っていた。 ___________ (なんでココまでキレちゃったのかしら。 全く・・・。 相手してる私のほうが、なんだか恥ずかしいわ) もはや、美智恵に先ほどまでのような余裕はない。 その表情にも、穏やかさは無くなっていた。 それでも、頭の片隅で、目の前の相手のことを分析してしまう。 いや『この時代の美智恵』だけではない、自分自身をも対象としている。 (そうね・・・。 『相手してる私のほうが』じゃないわね。 私が恥ずかしいのは、これが『私』だからだわ。 過去に自分がそれをしてしまったという記憶。 さらに、今、目の前でそれをしてるのも、 他でもない、『私』。 自己嫌悪? 同族嫌悪? そうしたものが含まれているんだわ) そう考えると、『この時代の美智恵』がブチ切れているのも、少しは分かるような気がしてきた。 (この状況を卑怯だと思っているくらいだから、 もう私が未来からきた美智恵であることは、 認めちゃってるのよね。 だから、もう、この戦いも無意味なのだけれど、 でも、止めてしまうのは気が収まらない。 これでは負けた気がしてしまうから。 彼女にしてみれば、やられてしまったのは、 私が私の立場を利用したからなんだけど、 それはズルをしたように見えているのでしょう。 しかも、未来からきたとはいえ、 『私』が、そのズルをしてしまっていた。 だからこそ許せない、 将来、そんなことをしてしまう自分をも含めて。 そうね、やっぱり向こうも同じなんだわ) それだけではなく、美智恵の表情や口調が間違ったニュアンスで伝わったことも、『この時代の美智恵』の怒りに火をつけた原因の一つだ。 しかし、今、美智恵は誤解されたことに気づいていないし、自分が昔勘違いしたことも忘れてしまっていた。 (まあ、でも、一生に一度くらいは、 これも良いでしょう。 ここまで冷静さを失ったことも、 キレたこともなかったんだから。 それに・・・) 美智恵は、まだ完全には納得できていない。だが、一つだけ、ハッキリしていることがあった。 (ここでブチ切れることこそ、歴史の必然。 これが大きな意義を持つことになる) この時点で、これを経験したからこそ。 未来へ行った後、『令子をブチ切れさせて、パワーアップさせよう』などというプランを実行するのである。計画そのものは成功しなくても、あれは、美神令子と横島忠夫の同期合体へ至るための大事な過程の一つとなるのだ。 ___________ こうして色々と考えていたのは、あくまでも、美智恵の中の一部分だけである。 状況を見渡すために、敢えて頭の一部を戦いから切り離し、一見余分な内容まで含めて広く思考する。そうした考察の中で、『この時代の美智恵』のブチ切れ現象に関して思いを巡らしていたのだった。 美智恵のメインの部分では、これを意識してはいない。どう攻めるかどう受けるか、戦いに集中していた。 そんな美智恵だったが、ここで、違和感をおぼえる。 (もしかして、歴史が狂ってきた?) 今受けている攻撃は、確かに手数も多いし威力も大きいが、さばききれない程ではない。 だが、経験した通りになるならば、ここで美智恵は『この時代の美智恵』に負けてしまうはずなのだ。 (この時点へ私が来たのは、歴史を継ぐためなのに・・・。 どこかで失敗したというの?) いや、違う。 『この時代の美智恵』の動きは、細部に至るまで、かつて自分がしたものと全く同じである。見ているだけで、過去の記憶をトレース出来るくらいだ。 (それなのに・・・? あ! もしかすると・・・) 今から数手先、それを想定した時、美智恵は突然気づいてしまった。 瞬間、腹を立てて、 「私は、『未来からきた私』にそんなことをされたの? あのとき『未来からきた私』は・・・!」 思わず口走ってしまった。 さいわい、今の発言に対して『この時代の美智恵』は何のリアクションも示さなかった。無視して攻撃を続けている。 (ここで私は・・・) そうなのだ。 今ここで、美智恵は、わざと負けなければならないのだ。 『この時代の美智恵』に、自信をつけさせるために。 もう一つの理由として、ブチ切れパワーアップの効果を実感してもらう必要もあった。だが、今、美智恵はそちらには気づいていない。 (『暴走して、それでも負けた』では、惨めすぎるものね。 そんな状態で未来へ行っても、 アシュタロス一党が相手では、役に立たないでしょう) 向こうで最初に戦う相手は、五千マイトの霊力を持つのだ。文字通りの化物であった。 ここでは気持ちよく勝ってもらい、その後、自分のシゴキに耐えてもらう。そこまでして、ようやく対処出来るレベルになるだろう。 (意図的に手を抜いて、負けてあげる。 ・・・八百長ね。これこそ邪道だわ) 気が進まないが仕方がない。これが役目なのだと、美智恵は自分を納得させた。 ___________ バシッ!! 「キャアッ!」 強力な一撃が入った。 かろうじて美智恵は神通棍を合わせたようだが、その威力は殺されていない。 「終わった・・・」 『この時代の美智恵』が呟く。 今、彼女の目の前では。 押し負けてしまった美智恵が、その背中を地面につけていた。 「ハアッ、ハアッ・・・」 『この時代の美智恵』も疲労していた。肩で息をしている。 いつのまにか、先ほどまでの激情は消え去っていた。それでも、彼女の神通棍は、しっかりと美智恵の喉元に突きつけられていた。 その姿勢を保ったまま、彼女は尋ねる。 「で、あなたはどうしました、 今の私の立場だったときに? ここで終了、それとも・・・。 『未来からきた私』を信じずに、トドメをさした?」 口調は柔らかい。だが、目は、笑っていなかった。 ___________ (確かに、私も『未来からきた私』に対して、そう問いかけたわ。 そして『未来からきた私』は無言だった。 あの時の私って、こんな表情をしていたのね・・・) 美智恵は冷や汗をかいていた。 美智恵を見下ろす『この時代の美智恵』から、殺気は消えていないのだ。 (もしも、ここで私が殺されたら・・・) その場合、歴史は大きく変わってしまうだろう。 ここで美智恵が殺されてしまい、『この時代の美智恵』が彼女自身の時代を生きていくならば、では誰がアシュタロス戦へ助っ人に行くのだ? (いや、たとえ私が殺されても・・・) もしかすると、それでも『この時代の美智恵』は五年後へ飛ぶかもしれない。 美智恵の言葉を完全には信用出来なかったものの、本当かもしれないという疑念を少しでも持ったならば。 とりあえず様子を見に行こう、偵察して来ようという気持ちになるであろう。 ICPOと日本政府からの全権委任なんて話までしたのだ。『ひょっとしたら』という程度の疑いは植えつけただろう。 それならば、やっぱり、あの戦いに『この時代の美智恵』が参加することになる。このケースでは、美智恵の死体こそが『この時代の美智恵』の死を偽装するために使われるのかもしれない。 しかし・・・。 (そんなこと、私はしてないわ。 あのとき、『未来からきた私』を殺してなんかいない!) だから、その歴史が繰り返されるのであれば。 (私がここで死ぬはずはない) だが・・・。 もしも歴史が変わっていたら? もしも美智恵と違って『この時代の美智恵』が本気だったら? (もしかして、私は歴史から見放された?) そんな可能性も心配してしまう美智恵である。 考えてみれば、自分が参加する大きな戦いは既に終わらせてきた。 そして、そこへ『この時代の美智恵』を送り込む算段もついたようだ。 (じゃあ私って、もはや歴史の上では用無しなのかしら? ここで私が死のうが生きようが、それは些細な、 変わり得る範囲内の出来事だというのでしょうか?) 美智恵の冷や汗は、止まらなかった。 ___________ しばらくの静寂の後、 「執行猶予よ。 まだ完全に信じたわけじゃないですけど」 突然、『この時代の美智恵』が神通棍をひいた。 「もう一度、少し前と同じ質問をします。 『あなたが本当に未来の私であるというなら・・・。 今ここで私が考えていること、 知って・・・いや、覚えていますね?』」 今回は、真面目な解答が返ってくる。 「いっしょに公彦さんのところへ行くのですね?」 正解だった。 夫の公彦に、手伝ってもらうのだ。 彼は強力な精神感応者である。他人の心を覗くことができるのだ。 しかし自分の妻の心を読むことは出来ない。若い頃に二人の霊体が混じったために、美神美智恵という女性だけは公彦の能力に対して耐性をもっていた。 つまり、彼の目の前に連れ出して、公彦が心を読むことが出来た場合にはニセモノと判別出来るのだ。 もちろん、魔族の中には精神感応などはねのける者もいるかもしれない。そうした魔族が化けた『ニセモノ』ならば、公彦の精神感応は通用しないだろう。霊体の混在のせいで通じないのか、魔力で遮られたのか、その区別も出来ないかもしれない。 しかし、それでも構わない。『この時代の美智恵』としても、既に、美智恵の言うことは真実であると感じていた。公彦のところへ連れていくのは、単なる確認作業。ケジメと言ってもいいかもしれない。 (私がこの時代を発つとしたら、 公彦さんのことも、この美智恵さんに 任せることになりますからね) 『この時代の美智恵』にも、もはやカラクリは読めていた。 昔々ハーピーと戦った際、小さかった令子を17年後の未来へ連れていき、大きくなった令子に預けたことがあった。少しの間ではあったが自分自身も大人の令子と過ごし、そこでは既に自分は逝った後だと知ってしまった。 だが今にして思えば、それは嘘だったのだ。死んでなんていないのだ。 そう、今この時点で二人の美智恵が入れ替わるわけにはいかない。もう一人の美智恵は五年後の未来の大事件に関わりすぎている。未来を知った者が歴史の表舞台に立ってはいけないから、彼女が『美智恵』として生きていくわけにはいかない。だから五年間、隠れて死んだフリをすることになるのだ。 (・・・公彦さんのところに隠棲するのでしょう?) 心の中で、眼下の女性に問いかける。 その美智恵は、今、ゆっくりと起き上がり、話を続けていた。 「公彦さんは、今、ジャングルへ行ってるはずでしたね? では、まず偽造パスポートが必要でしょう。 『美神美智恵』のパスポート一つでは、 二人は行けないから・・・」 ___________ 炎天下の道路を、一台の自動車が走っていた。 ジャングル奥地に構えた住処から、一番近い空港まで向かう公彦である。妻を出迎えに行くのだ。 だが、空港にて予想外の事態に出くわす。 「一人じゃないのか・・・?」 妻が人を連れてきていたのだ。不思議な感じがしたが、 「詳しいことは、家に着いてから説明しますわ」 と妻に言われて、二人を車に乗せた。 客人は女性だった。大きなサングラスをかけ、時代遅れなスカーフで頭を丸々覆っている。空港でも車の中でも、彼女は一言も喋らなかった。 家に到着したところで、彼女がサングラスとスカーフを外す。 公彦は驚いた。妻が二人になったのだ。 自分も仮面を外すが、彼女たちの精神波は入ってこない。 間違いない、二人とも美神美智恵だ。 そんな様子を見て、 「私があなたを驚かせるなんて」 『この時代の美智恵』は、いたずらっぽく笑った。 しかし、公彦の表情に笑顔は浮かんでいなかった。 「・・・説明してくれないか。 こちらの美智恵さんは?」 彼の問いかけに対し、『この時代の美智恵』が事情を話す。 一通りの説明が終わり、 「・・・というわけで今日からは、 こちらの美智恵さんが、 あなたの面倒をみてくれますわ」 と締めくくられたところで、もう一人の美智恵が挨拶する。 「こんにちは。 少し老けた私で、ごめんなさい」 こんな言い方になったのは、二人が使っていた『こちらの美智恵さん』という呼称が、他人行儀だったからだ。 「ハハハ・・・。 これも新鮮かもしれないな? 最初から『長年つれそってきたみたい』だったから」 と公彦は答えたが、少し首を横に振りながら、さらに言葉を続ける。 「いや『新鮮』なんて、悪い冗談だな。すまん。 ・・・美智恵は美智恵だよ」 その言葉を聞いて、ようやく、帰ってきたと実感する美智恵であった。 ___________ 忙しい一週間だった。 公彦を交えて、三人で色々と打ち合わせをしたからだ。 また、その合間に、美智恵は『この時代の美智恵』のトレーニングも実行した。 「前線からは退いていたから、 もうファイターとしては一人前じゃないけど。 でも、トレーナーとしては上達したのよ?」 という言葉を信じて、『この時代の美智恵』は、素直に訓練を受けてくれた。 そして、最後に残った仕事。 『この時代の美智恵』の死を偽装する作業、その詰めの段階である・・・。 ___________ シトシトシト・・・。 故人を偲ぶかのような雨の中。 『美神美智恵』という女性のための葬儀が行われていた。 喪主を務めた公彦は、心を痛めていた。 参列者たちが何を思っているのか、ある程度わかってしまうのだ。人々が感情的になる場では精神波も強烈になる。たとえ専用の防護ヘルメットを被っていても、いくらかキャッチしてしまう。 特に・・・。 自分の隣に立っている、娘の令子。 (すまん・・・) 公彦は、心中で一言詫びるくらいしか出来なかった。 そして、一ブロック離れた通りの角に目を向ける。姿は見えないが、そこに二人がいるはずだった。 (美智恵・・・) ___________ (・・・見てられないわね) 自分の葬式の様子を窺っていた『この時代の美智恵』は、クルリと背を向けた。 これ以上、令子の今の姿を見るのは、いたたまれない。 その場から逃げるかのように、歩き始めた。 「もう、いいのですか?」 その後ろ姿に、美智恵が声をかけた。 令子のことは、今後、彼女が影から見守ることになっている。 「私の令子をよろしく」 少し歩いたところで振り返り、『この時代の美智恵』が軽く頭を下げた。 深読みすれば、『この時代の令子こそ、自分の令子なのだ』と受け取ることも出来るかもしれない。しかし、この言葉にこだわりは含まれていなかった。時間移動を繰り返してきただけに、そうした概念は、一般人よりも薄いのだろう。 去り際の軽口に過ぎない。 美智恵も、それが分かっているから、同じように対応した。 「・・・未来の令子をよろしく」 そして、雷が落ちる。 ドゴォォオン!! 未来へ向かって、『この時代の美智恵』は旅立っていった。 ただ雨だけが降っている、誰もいなくなった空間。 そこにボンヤリと視線を留めながら、美智恵は、行ってしまった彼女に思いを馳せた。 (彼女も、私と同様、 苦労をするだろうけれど・・・。 でも、令子と世界を守ることは出来るでしょう) 美智恵は、それを確信していた。 なぜなら・・・。 今の美智恵は、『歴史は確定しているのだ』と信じるようになっていたからだ。 自分が、昔会った『未来からきた私』と全く同じ行動をとったから。 『この時代の美智恵』が、昔の自分と全く同じ行動をとったから。 ハッキリと決められているのでなければ、ここまで同じになるはずがない。 (そして、歴史が本当に確定しているのであれば・・・) この時代から飛んでいった『美智恵』も、自分と全く同じ道筋を辿ることになるのだろう。 (そして、歴史が本当に確定しているのであれば・・・) 時間移動をしても、何も変えられないのだ。それでは意味がない。危険をおかしてまで実行する程の価値はない。 (私は、たとえ許可されたって、 もう二度と時間移動を試みたりはしない! だから・・・) 美智恵は、最後の一言を口に出した。 「さようなら、私の時間移動能力」 (最後の時間移動・完) (初出;「NONSENSE」様のコンテンツ「椎名作品二次創作小説投稿広場」[2007年12月]) |
「あんただって本当のこと見せないじゃん。 あいこだよね」 「え......!?」 もう、何ビックリしたような顔してんの? 「男の子だからって がんばってばっか いちゃってさ」 平気なフリしてれば誰にもわからないとでも思った? でもね。 女って、そういうの何となくわかっちゃうものなの。 ましてや......。 私は普通の女の子じゃないのよ? 妖狐タマモなのよ? 「笑って いいコにしてなくていいじゃん!」 そりゃあ私だって、あんたの笑顔は好きだわ。 だけど......。 「悲しいんだったらさ、 泣いたっていいのに......!」 私と一緒にいるときくらい、ありのままの自分を見せてくれたっていいじゃない。 「男のコでもさ......!」 今さらカッコつけないでよ。 あんたの男らしさは、もう十分わかってるから。 ......ね? 「......! 〜〜〜〜〜〜!!」 はいはい。 ほら、こうやって私の胸の中で泣くのも、たまにはいいもんでしょ? まったく。 ここまで言わなきゃ、自分をさらけ出せないなんて。 これじゃあ、当時を知る人たち――美神さんやおキヌちゃんの手には負えなかったわけだわ。 真友くんといい、あんたといい、男ってホントに不器用な生き物なのねえ。 これからは......。 せめて私の前では素直でいてね、ヨコシマ。 (キツネの独奏曲・完) (初出;「Night Talker」様のコンテンツ「GS・絶チル小ネタ掲示板」[2008年6月]) |
ジャンボジェットが飛んでいく。 白い機体が映える、青い空だ。 シェルビー・コブラにもたれかかって、私は一人、それを見上げていた。 「あれが......公彦くんが 乗るはずだった飛行機かもしれないな」 美神くんが駆けつけたために、彼の南米行きは、突然、延期になってしまった。 二人は、これから忙しくなるはずだ。別居前提の結婚とはいえ、さすがに式の準備くらいは、二人一緒で行うだろうから。 「遠くから二人を祝福しよう、私は」 空港まで美神くんを連れてきたのは私だが、この車が二人しか乗れない以上、帰りは私が乗せる必要もない。 そう判断して、私は一人、コブラに乗り込んだ。 GS唐巣'78 ひとりぼっちのドライブ まっすぐ家に帰る気分ではなかった。 除霊が終わったばかりのコブラで、あてのないドライブ。行き先も決めずに走らせていたつもりだが......。 「ここへ来てしまったのか」 空の色が、コブラの色と同じになる頃。 車は、海沿いの崖道を進んでいた。 右手に広がる海を見ていると、心も開放的になる。だが、あまり景色を楽しむ余裕はない。 起伏の乏しい道ではあるが急カーブは多く、カーブミラーはあっても、それでも見通しは良くないのだ。 ギャキキィッ! そうしたカーブの一つで、私は、ブレーキを踏んだ。 路肩に車を停めて、コブラから降りる。 私の足が向かう先は、曲がり角のガードレール。 潮の香り漂う海風にさらされて、錆びているのが普通なのに、その一角だけは、妙に真っ白だった。 それは、最近、新しく交換された証。ここで、事故があった証。 近付いてみると、小さな花束も手向けられていた。 「君も......しつこいな」 車の方を振り返りつつ、私は、言葉を投げかける。 トランクの中のケースには、悪霊を吸引した破魔札がしまってあるのだ。 彼こそが、シェルビー・コブラに取り憑いていた悪霊。この地で事故を起こし、恋人と共に亡くなった男の成れの果てだった。 「美神くんに蹴り飛ばされて......」 最初、あれで消滅したかのようにも見えた。 「さらに、空港で......」 私にとっては都合の良いタイミングで出現してくれたが、だからといって、情けをかけるわけにもいかなかった。 「......今度こそ、倒したはずだったのに。 それでも、ここへ車を導いたというのか」 その執念深さは、ある意味、敬意に値する。 私には、とても無理なことだ。 「それほどまでの想いならば......」 吸魔護符は、普通、ある程度溜まってから処理するのだが。 「今回は特別に、 早く処分した方がいいかもしれないな」 と、私が口にした瞬間。 『そうは......させない......』 コブラの助手席から、新たな悪霊が浮かび上がった。 ___________ 『せっかく彼と一緒になれたのに......』 陽炎のようにゆらめきながら、それは、恨みの言葉を口にする。 『アタシを捨てようとした彼と、 永遠の時間を過ごせるようになったのに......』 おそらく、これは、男と共に死んだ女の霊だ。 ここで死んだカップルのうち、悪霊化したのは一人だけと思われていたのだが。 実は、二人とも車に取り憑いていたようだ。 しかも、この女幽霊の言葉から想像するに、男の方は恋人関係を解消するつもりだったのだろう。最後のデートが、最期のデートになってしまったのだ。 「そうか。 しつこいのは彼じゃなくて、 君の方だったわけか......」 事件の背後関係を、もっと調べておくべきだった。ひょっとしたら、自動車事故自体、この女による無理心中のようなものだったかもしれない。 しかし、今、それ以上詳しく考える暇はなかった。 『彼を......返せーっ!!』 彼女が、私に襲いかかって来たのだ。 ___________ 胸の十字架を握りしめ、私は、大いなる力を借りる。 「主と精霊の御名において命ずる! なんじ汚れたる悪霊よ、 キリストのちまたから立ち去れッ!!」 『ギャッ!? ヤ......メロ......オオッ!!』 だが、その一撃を食らっても、悪霊は突進を止めなかった。 私は、ギリギリまで引きつけてから、彼女をかわす。 相手が横を駆け抜けていくのを確認。それから、私も走り出す。 ただし。 『......逃すかッ!?』 彼女から離れる方向へ。 だが、別に、逃げるつもりではなかった。 コブラへ駆け込み、聖書を手にする。 こういう場合、オープンカーは便利だ。 車から降りることもなく、 「私を殺しても、 君の願いは叶わないよ」 と言いながら、振り返る。 この悪霊を説得して成仏させるなんて無理だと、もちろん、わかっている。 敵の勢いを削げれば儲けもの、そう思って言ってみただけだった。 『......だまされないわーッ!』 彼女は、再び、私を襲撃する。 本当にドライバー幽霊を解放して欲しいなら、私を呪い殺すのではなく、彼が吸引されている破魔札を破ることを考えるべきなのだ。 だが、そこまで彼女は知らないようで、また、私も教えるつもりはなかった。二人を世に放つのは、私の意図するところではないからだ。 私は、聖書を開く。 「聖なる父、全能の父、永遠の神よ! この呪われた魂に救いを与えたまえ。 ......アーメン!!」 『ギャ......ゲェエッ!!』 先ほどとは比較にならない、強烈な一撃。 しかし。 『耐えた。 ......耐えきったわーッ!』 彼女は、まだ現世にしがみついていた。 『しょせん、信仰を失った神父の世迷い言。 ......そんなものアタシには利かないわ!』 悪霊が叫ぶが、それこそ世迷い言だ。 少し前までの私ならば、彼女の言葉は胸を衝いたかもしれない。だが、今ならば笑って流せる。 「いや、私は今また 主の御心に信頼を寄せているよ」 『じゃあ、アタシの愛の強さだわ。 ......アタシの想いが、 おまえの信仰心を超えているから!』 その気持ちこそが、彼女を留まらせているのだ。 まるで自分に言い聞かせるかのように、それによって現世との絆を強めるかのように、ウダウダと彼女は語っていた。 そして。 『おまえを殺して、あのひとを取り戻す!』 また、私に向かってくる。 ___________ (この程度の霊に苦労するとは、 ......GS唐巣も、腕が落ちたな) 思えば、片割れのドライバーを除霊したのも、私一人の力ではなかった。 なかなか車から離れてくれなかった、気合いの入った悪霊。それをアッサリ吸引できたのは、美神くんの蹴りが利いていたからだろう。 (ああ、そうだ。 だからこそ......この女の方は、私だけで!) コブラの中で、私は、何かを求めるかのように手を動かしていた。無意識のうちに、新たな武器を捜していたのかもしれない。 そして、それに指が触れる。 (そうか......。 ま、仕方ないな) 自分自身を冷笑してから。 「極楽へ......行かせてやるッ!」 私は、手にした武器を振るった。 『ギ......ギャーッ!!』 ___________ 『アタシの......愛が......負けた......』 そう言いのこして。 悪霊は、シュウッと消滅した。 もはや届かないと知りつつ、私は言葉を投げかける。 「違うな。 それは......愛ではない」 惚れた相手を自分に縛りつけようなんて、そんな気持ち、私には理解できないのだ。 「もちろん、 もしも自分が相応しければ、結ばれてもいい。 しかし、そうでなければ......」 私は、ふと、手の中の物に視線を落とす。 それは、神通棍。 美神くんが使ったのと同じタイプの武器だった。 「なんだか......また、 弟子の力を借りたような形だな」 彼女は型破りな天才少女だ。弟子と呼ぶのも、おこがましい。 だが、彼女を弟子としなければ、私が神通棍を購入することはなかっただろう。 「やはり......これは、 私のスタイルではないようだ」 首を横に振りながら。 私は、それをポーンと放り投げた。 海に向かって落ちていき、やがて、見えなくなる。 同時に、私の心の中でも、何かふっきれたような気がした。 「......もう一度、修業し直そう」 突然わいた考えを言葉にしてみる。口に出すと、なかなか良いアイデアに思えてきた。 今の住居は、一時的に安く貸してもらっているだけだ。そろそろ悪いウワサも消えてきたし、引き払う時期かもしれない。 「ヨーロッパにでも行くとするか」 そう決心して。 私は、再び、コブラのハンドルを握った。 (GS唐巣'78 ひとりぼっちのドライブ・完) (初出;「ザ・グレート・展開予測ショーPlus」様のコンテンツ「展開予測掲示板」[2009年1月]) 転載時付記; 「ザ・グレート・展開予測ショーPlus」様で行われていた「ミッション企画(ミッション3)」に参加した作品です。「ザ・グレート・展開予測ショーPlus」様のコンテンツ「雑談・議論掲示板」内「[109] 【覚悟】ミッション【完了】」も参照して頂けたら、幸いです。 |
夕暮れ時ともなれば、大学のキャンパスを歩く人々もまばらになる。学生運動がさかんだった10年前とは、状況が大きく異なるのだ。 若い学生は、バイトやサークルなどに明け暮れている時間帯だろう。まだ校舎に残っているのは、卒業研究に従事している最終学年か、あるいは、夜遅くまで研究室に居て当たり前の大学院生くらいかもしれない。 そんな中、一人の青年が、校舎へ向かってトボトボと歩いていた。休学中の大学院生なのだが、研究室の教授に呼び出されたのだ。 「何あれ......ちょっとヤな感じ?」 「どんよりとして......まるで妖怪ね」 すれ違った女子学生たちが、そんな言葉を交わす。これが、他人から見た、青年の印象であった。 彼は、多少くたびれてはいるが安物ではないスーツを着こなし、また、ワイシャツの第一ボタンは緩めているが、一応、ネクタイも締めている。 それでも......どこか独特の雰囲気を漂わせていたのだ。顔だって醜いわけではないのだが、不気味な面構えをしていると言われることも多かった。 「シーッ! ......聞こえるわよ!?」 もう一人の学生が、友人たちに注意する。 遠ざかっていく彼女たちは、ボリュームを落としたが、まだ話題を変えていないらしい。もう離れたから聞こえないだろうとタカをくくっているようだが。 (僕には......すべて聞こえている......) 口に出した声ではなく、心の声が。 彼のところに、しっかりと届いてしまうのだ。 なぜなら、彼――吾妻公彦――は、精神感応者(テレパス)なのだから。 吾妻公彦は静かに暮らしたい 吾妻公彦には、他人の頭の中が見えてしまう。それは物理的な距離とも相関しており、近づけば近づくほど、鮮明になる。 だから彼は、自分の屋敷に籠って、他人を近寄らせないようにしている。外出するのは、今日のようにやむを得ない場合だけだった。 もちろん、彼を知る者たちも、彼に近寄ろうとはしない。先ほどの少女たちは、何も知らないからこそ、そばを通ってしまったのだ。 (人の心が全部読めるなんて......地獄だ) あの少女たちは、彼を馬鹿にしていた。だが、その言葉自体は、今さら彼の心に響かない。 それよりも。 見知らぬ他人を蔑すむことで、優越感を得ようとする気持ち。そんな心の醜さを見せつけられる方が、彼には苦痛だった。 しかも。 (ああやって......微笑ましく 語り合っている間も、心の中では......!) 仲の良さそうな少女たちだったが、そこに友情は存在していない。互いを思いやる気持ちもなく、ただ自分だけを大切している若者たち。 友人たちを咎めていた少女も、その性格を丸裸にしてみれば、いい子ぶるだけの偽善者であった。 (人間とは...... なんて、あさましい生き物なのだろうか。 ほかの動物の方が......ある意味、まともだ) 今さらのように、あらためて、そう思いながら。 彼は、校舎の裏口のドアを開けた。 ___________ 吾妻公彦のテレパシーは、生まれついての能力ではない。 事故にあって昏睡状態に陥り、そこから回復した際に、突然、身に付いた力だった。 昏睡状態から目覚めるという奇跡と、テレパシー能力に目覚めるという奇跡。 公彦は、神に感謝し、同時に、神を呪った。 それ以来、流れ込んでくる思念の渦に悩まされる日々が続いている。耳を塞ごうが目を閉じようが、決して止められないのだ......。 ギギーッ......。 今、建物に入った彼は、厚めの鉄の扉を、しっかりと閉めた。 外の騒音が聞こえなくなり、外の人々の心の声も、少し弱くなった。 だが、建物の中には、それなりの人数が残っているようで、様々な思考が彼の頭の中をかき回す。 (この程度ならば、まだ耐えられる......) 彼の目的地は、三階にある大講義室だ。正面の階段から行くのが最短ルートなのだが。 (たしか、むこうの階段を使う生徒は、 ほとんどいなかったはず......) 建物の南端まで進み、非常口近くの小階段を上がっていく。 使用頻度が低いせいだろうか。ここは、照明器具も少ない。昼間ならば、窓から日光が差し込むのだろうが、今の時間帯では、薄暗いだけだった。 ある意味、オバケでも出そうな雰囲気だ。 いや、実際に。 『苦シイ......タスケテ!』 『パパ......ママ......ココドコ......?』 『俺ノ話ヲ......聞イテクレ......!!』 『アイツノセイデ......私ハ......』 彼の周囲を、幽霊たちが飛び回っている。 ただし、これらは、公彦が引き連れてきたものだった。幽霊たちは、彼の能力に惹かれて、集まってくるのだ。 素直に成仏しないくらいだから、皆、恨みつらみが尋常ではないのだろう。それを誰かに理解してもらいたいらしい。その『誰か』として、テレパスは、うってつけの存在なのだ。 (話だったら......聞いてやる......! だから......) そもそも幽霊とは、誰にでも認識してもらえるものではない。年期の入った幽霊は例外だが、普通は、霊力の乏しい人間の目には映らないし、声も聞こえないのだ。 だが、ハッキリと目視はされずとも、禍々しい雰囲気だけは、何となく伝わる場合がある。例えば、先ほどすれ違った少女たちが公彦に感じた不気味さも、周囲の霊団に由来するものなのだろう。彼は、そう理解していた。 (頼むから......おとなしくしててくれよ) 現在の公彦には、霊の声が聞こえるだけでなく、その姿も見えている。テレパスとなった時に、霊力もアップしたからだ。 だが、それは霊体の一部が局所的に肥大化しただけであり、その霊力で自ら悪霊と戦うような芸当は無理であった。 今、周りを飛び回る霊たちに襲われたら、なす術がない。それに、大学の中には、他にも人間がいるのだ。こんなところで暴れられたら、それこそ大惨事になってしまう。 (だから......本当は、来たくなかったんだがな) そうこうしているうちに、目的の部屋に辿り着いた。 真っ暗な、無人の教室。 とりあえず灯りのスイッチを入れ、彼は、一番後ろの席に座る。 ___________ 吾妻公彦に遅れること、半時間。 彼を呼び出した教授が、大講義室へと入ってきた。 「おお、吾妻くん。 ......待たせたようで、すまんな」 そう言いながら、教壇へと向かう。公彦が挨拶を返してきたが、教授はロクに聞いていなかった。 (ここまで離れれば......大丈夫だろう) 彼は、公彦がテレパスであることを知っている。その力を――時々ではあるが――彼らの研究にも活かしているくらいだ。 近寄れば心を読まれてしまうと思うからこそ、こうしてわざわざ広い部屋を――ラクに200人は収容できる規模の教室を――用意し、その端と端とに陣取っているのだった。 学生と指導教官との、一対一のディスカッション。普通ならば、教授室で行うべきことだろうが、異様な人物と相対するには、異常な準備が必要となるのだ。 (ちゃんと、わかっているようだな。 途中で近づかんでもいいように......) 教壇の上には、公彦が持参してきたレポートが置かれていた。前回の話し合い以降、公彦がコツコツと研究してきた成果だ。それが、堅実なデータと柔軟な考察に基づいて、記されている。 「では......始めようか」 「......はい。 今回は、まず、蟻の集団を......」 教授は、公彦に話を促し、その報告に耳を傾けた。 ___________ 吾妻公彦の所属する研究室は、動物行動学を専門としている。特に、昆虫を対象とした研究がメインであり、公彦に与えられた研究テーマも、それであった。 事故にあって以来、まっとうな社会生活を送ることは難しくなり、大学院も休学した公彦。だが、教授の好意で、研究だけは続けさせてもらっていた。 彼しか使わないであろう機材や昆虫を自宅へ持ち帰り、そこで研究するよう、許可を与えられていたのだ。 もちろん、大学に来なければ出来ない作業もあったが、その場合は、深夜の無人の研究室に来て、そこで行う。彼らのところはそうでもないが、分野によっては24時間稼働しているラボもあるわけで、夜中の大学へ実験しに来る者がいても不自然ではなかった。 なお、教授とのディスカッションは、主に、電話で済ませるしかなかった。 これが21世紀であるならば、学生と忙しい指導教官とが電子メールで実験データのやりとりをするのも一般的な話なのだろうが、まだまだ当時は、インターネットなどなかった時代である。時には、詳細なデータを見ながら話し合うために、顔を合わせる必要があった。 だから、今日のような場が設けられるのであった。 ___________ 吾妻公彦の報告が、最後まで進んだようだ。 「......というわけです。 一応、レポートに記したように、 それが現時点での僕の結論となります」 教授は、少し考え込むかのような表情を見せた後で、満足げに笑ってみせる。 「すごいな吾妻くん、これで 我々の仮説は正しいと確信できたよ。 他の学生にも、見習ってほしいものだ......」 しかし、心の中では、顔をしかめていた。 (このデータ......信用できるものなのか?) 公彦は、彼のテレパシー能力を研究に使い過ぎている。そこを教授は心配していた。 まあ、テレパシーで生物の心を読むだけならばいい。だが、もしも、もう一歩踏み込んで相手を操ってしまった場合には、データの価値は皆無となる。 対象となる動物が、本当に動物自身の意図で行動しているのか、あるいは、こちらの思惑に合わせて動いてしまったのか。それ次第で、公彦のレポートは、紙クズ同然となるのだ。 (そもそも、これじゃ......公表できん。 あいかわらず、使えないデータばかりを 持ってくる奴だな、まったく......) そう、かりにデータが全て正しいとしても、それでも。 動物の行動の意図を、テレパシーで読み取りました......。そんな胡散臭い話、論文に書けるわけがないのだ。 学術集会における口答発表ならば、記録に残らないため正式な報告とは認められない――誤ったデータが発表されることすら有り得る――のだが、そうした場でさえも、こんな話をしたら失笑されてしまうだろう。 (......とはいえ、無駄にする気はないがな) そう、公表できないデータであっても、それが正しいのであれば。 研究の方向性を見定める上では、役に立つのだ。一種の予備実験である。 そもそも、どうせ公彦は社会に出られる人間ではない。だから、彼を学者として育て上げる必要はないのだ。 公彦の実験結果を参考にして、研究プランを組み直し、他の大学院生にやらせればいい。そうすれば、彼らの手柄になるし、彼らの出世に役立つだろう。 (まあ、せいぜい利用させてもらうさ......) 心の中では、完全に悪人づらの教授であった。 ___________ 吾妻公彦には、教授の内心など全てお見通しだ。 これだけ距離をおけば大丈夫というのは、教授の素人考えに過ぎなかった。 (それでも......僕は、やっていない!) 教授の疑念に対して、内心で反論する。 確かに、教授の思うように、テレパシーで他者の行動を制御することは可能だ。脳に直接、強力な暗示をぶちこめばよいのである。 だが、そんなことをするわけがない。それでは、実験自体がダメになってしまうではないか! (それだけ、僕という人間を 信用していないわけだな......) そもそも。 テレパシーとは無関係に、普通の実験においても、データの改ざんや捏造は容易である。誰にでも可能であるが、しかし、それをしないのが研究者の良心だ。そうした良心を皆が持っているという前提で、学者の世界は成り立っているのだ。 では、なぜ教授は、公彦にだけ疑いの目を向けてしまうのか。 (まあ......わからんでもないが) 根底にあるのは、わけのわからないものに対する不信感なのだろう。 特に、科学者は、それが人一倍強い。 『わからない』が嫌だからこそ、わかろうとする。多くの謎を、自分自身の手で解き明かそうとする。 他人の論文に関しても、その内容を鵜呑みにせず、その結論が正しいのかどうか、自分で判断しようとする。他人の実験結果であっても、手法や原理さえキチンと理解していれば、判断できるのだ。 そうした人種にとって、テレパシーという『わけのわからないもの』を駆使する公彦は、なんとも胡散臭い存在なのだろう。 (......そんな僕を、教授は利用している) 一方、『利用している』ことに関しても、公彦には、その背景が理解できてしまうのだった。 公彦のデータは公表せず、他の学生の研究に活かす......。 それは、一見、手柄をかすめ取ろうとしているようにも思える。だが、そうではない。公彦の成果をそのまま他の学生の成果として発表するわけではないからだ。別の学生には、ちゃんと追試実験などを行わせる。あくまでも、公彦のデータは『予備実験』として使うのだ。 だいたい、一つの研究をまとめあげる上で、たくさんの未発表データがあるのは、どこの分野でも当たり前の話である。だから、公彦のデータを秘匿しても教授に罪悪感はないし、教授としては、筋が通った行動をとっているつもりだった。 (だが......。 これでは学者としては、生きていけない。 ......死んだも同然だ) 例えば、論文発表において、そこにデータとして載せられてはいないが重要な予備実験があった場合、そうした実験を行った者を共同研究者として記名するかどうか。その辺りは、責任著者――この場合は教授――の胸三寸である。 残念なことに、教授は公彦の名前を加えないだろうと、彼にはわかっていた。だから、いくら公彦が成果をあげても、彼の名は、世には出ないのだ。 しかし、この点に関しても、教授には教授なりの理屈があった。 (僕は......教授に便宜をはかってもらって、 そのおかげで、研究の続きができている......) 研究バカな教授にしてみれば、学者としての立身出世など、それほど大きなポイントではない。学者としての知的好奇心を満足させられるかどうか、それが一番大事なのだ。 その意味で、教授は、公彦を厚遇しているつもりだった。人並みの社会生活も送れぬ公彦に研究を続けさせ、結果を出させる。研究バカから見れば、これだけで十分な御褒美なのだ。 (なまじ、それがわかってしまうからこそ......) ___________ 吾妻公彦は、他人を憎悪しない。 テレパスとなってから、もう誰も憎めなくなったのだ。 基本的に、人は、他人を完全には理解できない。だからこそ、他人と衝突する。 しかし、強力なテレパシー能力を持つ公彦は、他人の心を全て読み取れてしまう。全て理解できてしまう。 普通、人は、不当な仕打ちを受ければ、納得いかんと憤るわけだが......。たとえ他人の目には理不尽に見える行為であっても、行為者である本人には、その人なりの理屈があるのだ。 極論するならば、例えば猟奇的な殺人鬼にだって、その殺人鬼にしかわからない『理屈』があるのだろう。他人にはわからないような境遇や生い立ちが背景となって、特異な行動をとるようになるのだろう。 そうした個々人の『理屈』が見えてしまえば、怒るに怒れない。哀れむことはあっても、そこが限界だった。 公彦には共感できない『理屈』であっても、理解してしまえば、受け入れるしかなかった。しょせん彼も学者気質であり、『情』より『理』で動いてしまう側面が強かったのだ。 ただし、これは、公彦が悟りの境地に至った......という意味ではない。 だから。 「......どうもありがとうございました。 では、次回もよろしくお願いします」 今、そう言いながら席を立つ彼の内心は、穏やかではなかった。 心の内に積もり積もって、どんどん重くなっていく......。 ___________ 吾妻公彦は、大学を出た後、自宅への道を足早に歩いていた。 この辺りは駅から遠くないのだが、歓楽街というよりも、むしろ住宅街。すっかり暗くなっており、仕事帰りのサラリーマンの姿も見られなかった。 しかし、外を歩く人々はおらずとも、その分、それぞれの家の中は賑やかなのだろう。壁や窓を通して、様々な家庭の思念が、公彦のところへ飛んでくる。 いや、人々の想いだけではなかった。 『死体ガ......埋メラレテ......』 『聞イテクレヨ......俺ノ話............』 『死ニタクナカッタ......』 『パパ......ママ......イカナイデ......』 生者に忘れられた哀しき霊たちが、波間さすらう難破船のように、声を上げ飛び交う。 それが公彦を煩わせるのだが、止めることは出来なかった。 (いや......むしろ、ここまで よく我慢してくれたと言うべきか) 鬱陶しく思いながらも、少しばかり感謝する公彦。 今はうるさい彼らだが、学校では、比較的おとなしくしていてくれたからだ。 公彦だって、さすがに教授との個人面談中は、そちらに意識を向けていたのだ。霊たちも、自分たちの叫びに耳を傾けてくれないとわかって、口数を抑えていたらしい。 (......その分、今、ちゃんと聞いてやろう) 公彦の意志が伝わったのか、幽霊たちは、いっそう騒がしくなった。 このようにコミュニケーションがとれるのであれば、まるで愛玩動物のようでもあるが、そんな可愛らしいものではない。しょせん、彼らは、悪霊だった。中には、荒くれ者もいる。 『オイ......チャント聞イテイルノカ?』 『ナメトンノカ、ワレ......!?』 新参者が――帰り道で霊団に加入した者が――暴力に訴え始めたようだ。 (痛っ!?) 自分の腕に目を落とす。霊に体当たりされた部分が、やけどのような傷になっていた。 公彦の周りに集まる霊たちは、普通は、救いを求めてきた連中だ。凶暴性は低いと思って、油断していたのかもしれない。 (......チッ!!) 公彦は、走り出した。彼には、身を守る術もないのだ。 『駄目ダヨ......ヤメヨウヨ......』 『殺シチャッタラ......話、聞イテモラエナイ』 おとなしい霊たちが、抗おうとしている。 霊団が仲間割れしている今のうちに、逃げるしかなかった。 ___________ 吾妻公彦は、人生に悲観している。死んでしまいたいという気持ちが、心の奥底で、たゆたっている。 だが。 (冗談じゃないっ......!!) 同時に、死んではいけないという気持ちにも、駆られてしまう。 なにしろ、毎日毎日幽霊たちの話を聞かされているのだ。死ぬことの苦しみや辛さは、誰よりもよく知っているつもりだった。 それに、公彦自身が、九死に一生を得た人間なのだ。命の尊さは誰よりもよく知っていたし、生存本能の強さも、身をもって感じていた。 (......こんなところで死ねるものか! せめて......もっと意味のある死を!!) だから、今。 彼は、息を切らしながら、全力で逃走していた。 凶暴な霊を引き寄せてしまったことは、これが初めてではない。だが、何とか生き延びてきたのだ。今回だって......。 『オイ......逃ゲルナヨ......』 後ろを見ずとも、感じられる。どうやら、かなり迫ってきたらしい。 (くそう......ッ! 僕が......何をしたというのだ!?) こういう時、公彦は、神を呪う。 テレパスである彼にも、神の御心は、理解できないからだ。 だから、天に対しては、呪詛の言葉を吐けてしまうのだ。 そして、神を信じぬ者の末路は......。 『サア......追イツイタゾ......』 怨念の手が、公彦の肩に届く。 その時。 キィィイィィン......!! 一条の光が飛来し、悪霊たちをなぎはらった。 同時に、言葉も投げかけられた。 「こんな霊団を引き連れたまま、 外を出歩くとは......。 ......ずいぶんと無茶をする人間だな、君は!」 ___________ 吾妻公彦は、声の主へと視線を向ける。 電柱の陰から、ヌッと現れた人物。それは、半袖の黒服を着た男だった。街灯に照らされて、胸元の十字架がキラッと輝いている。 視界を半分遮りそうな長めの前髪に、二枚目然とした端整な顔立ち。年齢は公彦と同じくらいだが、女性に与える印象は、さぞや異なることであろう。 『......邪魔ヲ......スルナ!!』 生き残った悪霊が、攻撃の矛先を男へと向けた。 先ほどの男の一撃で、か弱い霊たちは一掃されたのだが、肝心の奴は、残ってしまったらしい。 だが。 「主と精霊の御名において命ずる! なんじ汚れたる悪霊よ...... キリストのちまたから立ち去れッ!!」 『ギャ......ァアアッ......!!』 男の反撃にあい、今度こそ、消滅する。 そうした光景を目の当たりにして、公彦の口が開いた。 「あ......あなたは......」 「ゴーストスイーパー唐巣だ! ......GS協会から話を聞いて、 君の家を訪ねるところだった」 身分証を見せながら、男は公彦に答える。 公彦としては、別に質問したわけではなかったし、そもそも、言われずともわかっていることだった。なにしろ、公彦はテレパスなのだから。 ただ、彼は、驚いていたのだ。 (この人は......僕を助けようと......。 僕に......救いの手を......!) 霊に脅かされる公彦は、これまで何度も、ゴーストスイーパーを雇おうとしてきた。だが、誰も依頼を引き受けてくれなかった。公彦の能力を恐れて、皆、近づくことすら躊躇したからだ。 一応、GS協会に話は預けておいたが、公彦は、誰か来てくれるなんて期待していなかった。それなのに......! 「色々と詳しく聞きたいところだが、 まずは......さあ、帰ろう!」 そう言って。 男は、公彦に、手を差し伸べた。 ___________ ___________ そして......。 ___________ ___________ 鉄仮面に顔を隠して十と七年......いや、それどころか、もう二十年以上だ。 念のためにそれを被ったまま、公彦は、今日もフィールドワークに明け暮れていた。 ここは、彼が住居としている南米の奥地ではない。素人が見れば同じジャングルなのだが、生態系は、全く違う。ここでしか観察できない動物を調べる必要があり、わざわざ一人で、やってきたのだ。 (......ん?) ひらけた草地に出た彼は、違和感を覚えた。 澄み渡る晴天の下、本来ならば、鳥や小動物が穏やかに暮らす場所なのだが。 彼らは今、怯えあがり、逃げまわっているのだ。 (元凶は......あれか!) 騒動の源が、ちょうど、こちらへ向かってくる。 「ガルルッ......!!」 それは、大きな虎だった。いや、正確には、大きな虎として見えていた。 公彦の目にもそのように映っているが、そう見えているだけであることを、彼は理解していた。 (君も......精神感応者なのか......!) 虎の姿に見えるが、実は、ただの大男だ。 これは、彼の能力――幻覚を見せる能力――が暴走しているだけなのだ。心の暴走が、能力の暴走を引き起こしているだけなのだ。 それは、仮面をしていても流れ込んでくるほどの、強い感情だった。 (女性を恐れる気持ちと、 女性を好む気持ち......。 まあ、男なら誰しも 持っているものではあるが......) ここまで強力なのは、珍しい。 なまじ性格が真面目なのが、災いしているようだ。ふだん理性で抑制している分、一度タガが外れると、止まらなくなるのだろう。 (これは......) 一つ決意して、公彦は、鉄仮面を外す。そして、テレパシーを飛ばした。 (鎮まれ、鎮まれええっ......!!) ___________ 大男が自分を取り戻すまで、かなりの時間を要した。 公彦のテレパシーのおかげなのか、時が解決してくれたのか、判別できないくらいだ。 「あんた......何者ジャー......!?」 膝をついたまま、驚きの表情を見せる大男。 彼に対して、公彦は、やわらかく微笑みかける。 「君と同じ......精神感応者だよ。 私も、かつて苦しんでいたんだ。 だが......ある人物に助けられた......」 そう、あの出会いがなければ。 今の公彦は、なかったであろう。 「誰が......誰が助けてくれたんですケエ?」 「ゴーストスイーパーだ」 「ゴースト......スイーパー......?」 大男は、その言葉を繰り返した。まるで、自分の胸に刻み込むかのように。 「ああ、そうだ」 優しい目付きで、公彦は頷く。 公彦の力を抑制する鉄仮面、これは、一人のゴーストスイーパーが用意してくれたものだ。 大学に戻れるようになったのも、仮面のおかげだった。休学中の身でコソコソと通うのではなく、正式に復学したのだ。 そして、誰にも文句を言わせないだけの研究成果を上げて、公彦は、今では教授という立場になっている。この20年の間に科学は大きく進歩した――特にバイオテクノロジーの発展は目覚ましかった――が、公彦は公彦独自の手法を貫いて、ここまできたのだった。 (......それだけじゃない。 彼のおかげで、妻とも出会えたのだ......) 公彦は、大男から視線を外し、青空を見上げた。 (あの頃......まだまだ私は青かったな) ふと、当時を思い出す。 若い頃、公彦の視野は狭く、考えも浅かった。人の心を読んで色々と知ることはあっても、それは『知』であって『智』ではなかったのだ。 そんな公彦を大きく変えたのは、一人の女性だった。自分も命に関わる大問題を抱えているのに、絶対に屈しようとはせず、他人を助けようとさえしていた女性。 彼女と関わることで、物の見方が変わり、心も軽くなったのだ。 その後、彼女は公彦の妻となり、ちょうど世間から隠れる事情もあったため、ジャングルの奥地で二人で仲睦まじく暮らしている。今も、公彦の帰りを、温かく待っていることだろう。 (だから......) 公彦は、回想をやめて、大男へと視線を戻した。 目の前の大男も、一流のゴーストスイーパーの助けを借りられれば、色々と変わるはずだ。もしかすると、その能力を封印することさえ可能なのかもしれない。 「君にも、きっと...... 私と彼のような出会いが訪れるよ。 希望を持って生きなさい」 と、励ましの言葉を与える。 そして。 (こんなセリフ、私のガラじゃないな。 これでは、まるで......) かの友人を思い出しながら。 公彦は、つけ加えるのだった。 「......大丈夫、信じなさい。 神は......ちゃんと見ておられるのだから!」 (吾妻公彦は静かに暮らしたい・完) (初出;「NONSENSE」様のコンテンツ「椎名作品二次創作小説投稿広場」[2010年12月]) |
晴れ渡る朝空の下。 若々しい会話が繰り広げられている。 「あんた昨日、新宿でデートしてたでしょ!」 「ウソウソっ、優子が......!?」 「今日の除霊実習、実戦形式だって!」 「えーっ、かったるいなー」 「あといくつ寝ると......」 「育江は気が早いのね」 ワイワイ、ガヤガヤ、キャピキャピ......。 女三人よればかしましいとも言われるが、三人どころではない。 今は、ちょうど登校時刻。最寄りのバス停から、あるいは近くの駅から、たくさんの女子生徒が、学園へ向かって歩いていた。 「......平和なもんだな」 塀に寄りかかっていた男が、小さくつぶやく。 黒いトレンチコートに身を包み、帽子を目深にかぶった男。 校門からかなり離れており、また、半ば電柱のかげに隠れていたが、どうやら彼の姿は、この場に似つかわしくなかったらしい。 「......何かしら、あれ?」 「変質者だと思う、たぶん」 「まさか......例の怪人では!?」 「シッ、目が合ったら大変だわ! 無視しましょ、無視......!!」 そんな声も聞こえてくるが、彼は動じない。 「『例の怪人』......か。 一応、噂になってるわけか......」 むしろ、口元に笑みを浮かべていた。 その『怪人』から、この学園の生徒を守ること。それこそが、今の彼の......伊達雪之丞の仕事なのだから。 乙女心の始まりは…… 伊達雪之丞は、モグリのゴーストスイーパー(GS)である。GS資格試験の合格ラインをクリアしたこともあるのだが、ワケあって資格は剥奪されてしまった。 今は、一つところに居を構えることもなく、仕事を兼ねて、修業の旅を続けている。 無免許の彼のところへ転がり込む依頼は、いわゆる裏の仕事が多い。だが、今回の仕事は、珍しく真っ当なものであった。 「ウチの生徒が襲われちゃって〜〜」 のほほんとした口調で、ギョッとする言葉を口にする依頼人。彼女は有名な女子高の理事なのだから、その意味するところは......。 「あら、やだ〜〜。 そういう意味じゃなくて......」 イヤンアハンお嫁にいけないわ......の類とは違うらしい。純粋に暴力的な意味で『襲われた』のだそうだ。 一ヶ月くらい前から始まり、被害者は全部で六人。さいわい、かすり傷程度であり、跡が残るような者はいない。だが、学校側としては放っておけない。 なにしろ。 「襲われたコは霊能科の生徒ばかりなの〜〜」 この学園は、GSを養成する女子高として有名なのだ。GS試験合格者の三割が、ここの出身だとさえ言われている。もちろん合格者は女性だけではないのだから、それを考慮すると、驚異的な数字である。 そんな名門校の、GSのタマゴたちに、傷を負わせるくらいなのだから。 (ただの通り魔じゃない......。 犯人は......それなりの遣い手ということか?) 雪之丞の興味をそそるには、十分な話であった。 そもそも、趣味や嗜好を抜きにしても、これは、是非とも引き受けるべき仕事なのだ。 (この依頼をしっかりこなせば、 ......何かあった時、 口をきいてもらえるかもしれん) GSエリート校の理事なのだから、依頼人は、GS協会にも影響力を持っていることだろう。 一応、以前に小竜姫――外見はカワイコちゃんだが実は偉い神様――から仕事を受けた際、GS協会のブラックリストから外してもらえるよう、頼んではある。しかし、その後どうなったか聞いていないし、それに、コネやツテが増えるに越したことはないのだ。 (だが......なんで俺なんだ?) 雪之丞は、少し不思議に思った。 これだけの人物ならば、雪之丞のようなモグリに頼まずとも、GSの知人は多いだろうに......? それを素直に口にした彼に対して、相手は、次のように答えた。 「でも女のコが狙われてる仕事に、 女性GSを雇うのは危険で〜〜。 そうかといって、 男のコをうろつかせるのも......」 信用のおける男性GSということで、雪之丞に白羽の矢が立ったらしい。 「雪之丞さんの噂は、色々と聞いているから〜〜」 個人的な知り合いを介してなのか、あるいは、GS業界で流れている噂か。 どちらにせよ、雪之丞を高く評価してくれているようだ。 確かに、GS資格試験では、その実力を思う存分、GS協会の面々に見せつけていた。また、香港の元始風水盤の事件を伝え聞いた者は、雪之丞のことを『神様が直々に仕事を依頼するような大人物』だと過大評価しているかもしれない。 さすがに、目の前の依頼人は、そんな誤解はしていないだろうが。 (男としても信用されてる......ってことか。 まあ、悪い気はしねーな) しかし。 実は、この点に関しては、微妙な勘違いが関与していた。 雪之丞は知らない。人々が口にする雪之丞の噂を。 曰く、色気よりもバトル......という戦闘狂。戦ってさえいれば、それだけで、身も心も満たされる。 曰く、極度のマザコン。女性に求めるものは、母親の面影。だから、同年代の女子には見向きもしない。 まあ、噂には尾ひれがつきものだ。実際は、雪之丞だって思春期まっさかりの男のコなわけで。人並み程度には、女のコへの関心もあるわけで。 だが依頼人は、噂を鵜呑みにして、雪之丞ならば大丈夫と判断していたのだった。 ___________ (そろそろ......登校時間は終わったな) 雪之丞の仕事は、これ以上の襲撃を防ぐことである。 あくまでも学園の外を見回るだけで、潜入捜査ではない。生徒が中に入ってしまえば、あとは学校の教師に任せてよかった。 下校の時間帯まで、特にやるべきことはないのだ。 雪之丞は、塀から離れて、歩き出した。 (ま、一応、聞き込みはしておくか) この仕事は、今日で三日目。 昨日も一昨日も、昼間は近所をブラブラし、それとなく事件の噂を収集していた。 犯人を捕まえることまでは求められていないようだが、雪之丞の手で解決できるのであれば、その方が良いだろう。 駅に向かう最短コースからは外れて、女子高生が寄り道しそうな場所を探して、歩き回る。 そして。 (今日は、ここにするか。 どうせ必要経費だ......! ケチケチすることもねーからな) 一軒の喫茶店が、彼の目に留まった。 ___________ 赤レンガ造りの、少し古めかしい店構えだ。入り口近くに置かれた案内灯には、『喫茶パイン』と記されている。 ドアをくぐると、カランコロンとベルが鳴った。 カウンターの奥では、店のマスターが、皿か何かを磨いている。昔の刑事ドラマに出てきそうな髪型の、中年の男だ。チラッとこちらを見ただけで、また元の作業に戻ってしまった。 まだランチタイムには早いし、モーニングには遅い。微妙な時間帯なせいか、客は一人もいないようだ。 「ブレンドコーヒーを」 カウンター席に座った雪之丞は、とりあえず一杯注文する。最初は『コーヒーを』と言いそうになったのだが、コーヒーの種類が多そうな店で、それではダメだと思ったのだ。 黙ったまま、サイフォンを操作するマスター。その背中に声をかけた。 「マスター......。 何か食べるもの......できるか?」 この店で食事する客は滅多にいないのだろう。メニューも見当たらない。 雪之丞の言葉に応じて、マスターが手書きのカードをよこした。 書かれているのは、四つだけ。ナポリタン、サンドイッチ、フレンチトースト、ホットケーキ。 (これじゃ......流行らないだろうな) 女子高生が入る店ではなさそうだ。失敗したかな......とも思うが。 「それじゃ......ナポリタンを頼む」 無言で頷くマスターが、目に入った。 ___________ 「お! ......うまいな」 思わず、口に出してしまった。 高級感はないが、万人受けする味付け。日本人ならば誰もが懐かしさを感じるような、そんなテイストだ。 それに、不思議とコーヒーにも合う。 ふと顔を上げると、いつのまにか、マスターが笑顔を向けていた。 「さすがだな、マスター。 この店......長いのかい?」 「......ああ」 ようやく口を開いたマスター。 だが、それ以上会話は続かない。 雪之丞も、黙って食事を続ける。 元始風水盤事件の際はガツガツしてしまったが、あれは周りのペースに巻き込まれただけだ......と自分では思っている。 一匹狼を自称する彼としては、静かにハードボイルドを気どるのが、しょうに合っているのだ。 「......なあ、マスター」 食べ終わってから。 雪之丞は、再び、話しかけてみた。 「『ブラック・レインコート』って、 ......聞いたことないか?」 ピクッと、マスターの眉が動く。 「お客さん......あんた、探偵さんかい?」 ___________ ブラック・レインコート。 それが、少女連続襲撃犯に付けられた呼び名であった。 どこの誰なのか正体は知らないけれど、誰もが皆、その怪人物の噂を知っている。 風のように現れて、女生徒にケガを負わせ、風のように去っていく......。 それは、漆黒の雨合羽をまとった怪人。 黒いレインコートで上手く全身を隠しているが故に、被害者が死んだわけでも意識不明なわけでもないのに、その正体は謎のままなのだ。 「......という噂くらいは、聞いてるよ」 思わせぶりな態度ではあったが、マスターは、通り一遍の風評程度しか知らなかった。 「そうか......ジャマしたな」 「いや、いいってことよ。 ......解決したら、またおいで。 とっておきの豆を挽くからさ」 話始めてみれば、マスターも気さくな人物であった。 すっかり長居してしまったが、特に収穫はない。 「ああ......またな!」 適当に挨拶して、店を出る雪之丞。 ふと、見上げると。 朝の晴天が嘘のように、どんよりと薄暗い雲が、空の半ばを覆っていた。 (何か......嫌な予感がする......) そろそろ、下校する者もいるであろう時間だ。 今までの生徒は帰宅の途中に襲われているのだから、この時間こそが、雪之丞の仕事のメインとなる。 通学コースへと急ぎながら、雪之丞は、頭の中で情報を整理した。 (これまでの被害者は......) GSになるより芸能界デビューした方がいいくらいの、超美人。 金持ちが多い場でも『金持ち』と言われてしまうほど、凄い大富豪の娘。 テストでは満点しかとったことがない、大天才。 いつも明るく元気な、誰からも好かれる人気者。 クラスで一、二を争うほどの霊能力の持ち主。 運動神経だけは誰にも負けない、スポーツ万能娘。 (共通点は......目立つ、ということか?) おとなしい地味な女のコは、被害者には含まれていない。これは重要なポイントかもしれない。 だが、それよりも気になることは。 (やはり......そこそこの手だれだな) 強い霊力の被害者と、運動神経抜群の被害者。彼女たちも、軽く一蹴されているのだ。相手にとって不足はない......。 雪之丞が、そこまで考えた時。 「キャアーッ!?」 遠くから、悲鳴が聞こえてきた。 ___________ 「しまった......!!」 雪之丞は、走り始める。 駅とは反対の方角だ。 寄り道していた生徒が、襲われたのだろう。 「......ん!?」 だが、少し進んだだけで――角を曲がったところで――、彼は足を止めた。 行く手を遮るかのように、一人の大男が立ち塞がっているのだ。 先ほどの叫びは、もっと遠くからだったはず。雪之丞は、疑問に思いながらも、問いかける。 「そっちから出てきてくれたなら、 むしろありがたいぜ......! ......今日はカッパじゃないのか?」 バイザーのような、色の薄いサングラスをかけた男。筋肉美が自慢なのであろう、上半身には何も来ていない。半裸で女子高の近所を歩き回るとは、まるっきり変質者だ。 だが。 「......なんのことだ?」 大男の言葉を聞き、雪之丞は、心の中でチッと舌打ちする。 どうやら、ブラック・レインコートとは違うらしい。ならば、こんな奴を相手にしている場合ではない! 「どけっ、ジャマだっ!!」 ___________ 男へと襲いかかる、雪之丞の霊波砲。 しかし、男は、これを巧みに避ける。巨体に似合わぬ、身軽な動きだ。 「女が相手ならイザ知らず、 キサマの攻撃など......食らってたまるか!」 不敵な笑みを浮かべて、雪之丞を徴発する。 「伊達雪之丞......! キサマを倒すよう依頼されたのだ。 闇討ちしてもよかったのだが......。 どうせなら、正々堂々と戦う方がよかろう!?」 男の依頼主は、GS試験で雪之丞にやられた若者の家族だった。若者は、雪之丞の二回戦の相手だったそうだ。正攻法を好み、神通棍で戦ったのだが、滅多打ちにあい、再起不能。これは、その復讐らしい。 仕事を引き受けて以来、大男は、雪之丞を――日本にいることが少ない雪之丞を――探しまわり、ようやく見つけたのだった。 大男自身、同じGS試験で二回戦敗退だっただけに、依頼者家族の気持ちに、ついつい共感してしまう。それでも、せっかく強者と戦うのであれば、正面から挑みたかった。 「俺だって......あれから 強くなったのだからな!!」 「そういうの嫌いじゃないぜ......。 だが......急いでるんでな!!」 男の言葉を受け入れたためか、あるいは、本当に急用があるためか。雪之丞が、魔装術を展開した。最初から全力勝負だ。 ならば......! 「120%だ! もう出し惜しみはせん! 120%の力で勝負してやろう......。 はああーっ!!」 大男も、ゴゴゴゴッと霊力を高める。その余波が、全身から溢れ出す。 もしも普通の人間が相手ならば、霊圧だけで吹き飛ばされるであろう......と男は自負していた。 もちろん、目の前の雪之丞は普通の人間ではない。冷静に、こちらを見ているようだ。 「おまえ......頭ん中も筋肉か? どうやって100%を越えるんだよ!?」 「......フン! 限界を越えた戦いにこそ...... 男の生き様が見えてくるのだ! それがわからぬようでは...... まだまだ未熟だな、キサマも!」 雪之丞めがけて、大男は走り出した。相手も、同じく、向かってくる。 そして、二人が激突した! ___________ 雪之丞としては、別に接近戦に応じる必要はなかった。 大男の動きは意外に機敏なようだが、それでも、どう見てもパワー志向の相手だ。距離をとった方が、戦いを有利に進められるはず。 そう判断できたのだが、ついつい、バトルマニアの血が騒いでしまった。相手の流儀で戦ってこそ......面白い! (パワー自慢の奴を、パワーでねじ伏せる......。 それが可能なだけの力を、俺は手に入れた!) 攻撃スピードは、相手の方が速かった。 正拳突きであろうか、大男の右手が迫る。 それを左腕ではね除けて、逆に右ストレートを叩き込む! だが、しかし。 「ふっふっふっ......。 しょせん、この程度か。 ......効かんな!」 嘘。思いっきり涙目になっている。 それでも。 「魔装術のパンチを受け止めるとは......。 ただの筋肉ダルマじゃねーってことか!」 体勢を立て直す暇も与えずに。 そのままの姿勢から、雪之丞がくり出したローキック。 大男は、これを向こう脛で受け止めていた。 「き、効かんな......!」 嘘。ボキッという音がした。 「それじゃ、これはどーだ!?」 今度は、渾身のヘッドバットが炸裂。 「きか......」 最後まで言うことは出来ず。 大男は、その場に崩れ落ちた。 ___________ (......とんだジャマが入ったぜ!) 再び駆け出した雪之丞。 その耳に飛び込んできたのは、少女たちの争う物音だった。 (あれか......!?) 河原の空き地で、三人の少女たちが戦っている。三人とも、同じ制服を着ていた。 一人は、長い黒髪の少女。まじめそうな眼鏡をかけている。その手のマニアには、ウケがいいかもしれない。 二人目は、クルクルふわふわした感じの髪の少女。それを、大きめのリボンで二カ所でくくっていた。これで顔にソバカスでもあれば、少女漫画の主人公になれるだろう。 そして、最後の一人は......。 (何かに......取り憑かれている!?) イッちゃった目付きで、口をガーッと大きく開けて、級友を襲う。 どう見ても、正気ではなかった。 「どうしちゃったのよ、風香!?」 「無駄よ、由美子! 今の小西さん......普通じゃないわ!!」 リボンの少女も眼鏡の少女も、防戦するだけで手一杯だ。 一方、攻める側の少女――会話から察するに小西風香という名前らしい――は、折り鶴らしき物に霊力を込めて、それを武器としていた。接近戦ではナイフのように、遠距離攻撃では手裏剣のように、扱っている。 ちょうど今も、それを二人に投げつけようとして......。 「あぶねえーっ!!」 戦闘に乱入する雪之丞。 霊力の塊をぶつけて、折り鶴を弾き飛ばした。 「げえっ、バケモノ!?」 「......怪人エビ男!?」 リボンと眼鏡が、怯えたような視線を向ける。雪之丞の姿を見て、誤解してしまったようだ。 彼は、魔装術を展開させたままだった。素人目には、赤黒いヨロイを着込んでいるように見えるのだろう。トゲ状の小さな突起でカバーされた、エビやザリガニをイメージさせる硬そうなヨロイだ。 どこから見てもスーパーヒーローじゃない。少女漫画の王子様にもなれない。だが、二人の少女の危機一髪をご期待どおりに救ったことだけは、間違いなかった。 「もしかして......味方!?」 「助けてくれるの......!?」 「......離れてろ! コイツは......俺がやる!!」 二人を下がらせ、あらためて『敵』を睨む雪之丞。 後ろからは、アレも友だちなのよとかヤッちゃダメなのよとか聞こえてくるが。 (言われんでも......わかってるさ!!) 目の前の少女は、ガルルッと唸るだけ。まともにしゃべることも出来ないようだが、雪之丞の力は、本能的に察知しているのだろう。攻撃の手を止めていた。 (こういうのは......苦手なんだがな) この少女も生徒であるというなら、傷つけるわけにはいかない。 ブラック・レインコートそのものなのか、その手下なのか。何に操られているか不明だが、ともかく、少女の体にはダメージを与えず、中の邪念だけを倒す......。 そのつもりで細く小さくコントロールした霊波を、ピンポイントで照射する! 「これでもくらえっ!!」 ___________ 「あれ......私......。 今まで、いったい何を......!?」 どうやら成功したらしい。 憑き物が落ちたようなスッキリした表情で、しかし茫然と立ち尽くす少女。 「......小西さん! 正気に戻ったのね!?」 黒髪の少女が駆け寄り、介抱する。 小西と呼ばれた少女も、少しずつ、自分を取り戻しつつあった。 「そういえば、私......。 黒いレインコートの人に襲われて......。 ......あれっ、その先の記憶がないっ!? えっ、えっ、ええっ......!?」 一方、クルふわヘアーの少女は、雪之丞に頭を下げる。 「......ありがとうございました! でも......まだ、 かおりが......弓さんが......」 それを聞いて、ハッとする雪之丞。 「本命は他にいるってことか......? じゃあ、ブラック・レインコートも ......そっちにいるんだな!?」 ウンウンと頷きながら、彼方を指さす少女。 それ以上、何も聞かずに。 少女が示した方角へ、雪之丞は、再び走り出した。 ___________ 鉄橋の下の河原で争っていたのは、二人の人物。 一人は、瞳が特徴的な少女。ひと昔前の少女漫画のキャラクターのように、星が煌めいている。 そして、彼女に襲いかかっているのが、漆黒の雨合羽の怪人。つまり、ブラック・レインコートであった。 「あなた......大村真由ね? 大村さんでしょうっ!? そんな格好をしていても、 私にはわかるわ......! 霊波が同じですもの......!!」 星の瞳の少女は、ブラック・レインコートの正体を看過したらしい。 さすが、怪人と一対一で渡り合うだけのことはある。 かなり霊力のレベルも高いようで、ギロッと睨んだだけでバチッと霊波の火花が飛んでいる。 さすが、瞳に星が煌めく人は違う。がんばれば星々の砕ける様が見えるかもしれない。 そんな二人のバトルに、雪之丞が飛び込んできた。 「新手......ですの!?」 星の瞳の少女は、戸惑った。すわ三つ巴か......とも思ったが、それも一瞬。 姿カタチは異形なれど、この男は、彼女を後ろ手にかばうような立ち位置だ。この向きでは顔も見えず、どんな表情をしているかわからないが、とりあえず敵ではなさそうだ。 「ブラック・レインコート! ......これ以上、悪さはさせねーぞ!!」 実際、異形の男は、漆黒の雨合羽に対して敵対宣言をしている。 そして。 「......」 ブラック・レインコートが、何も言わぬまま、大きく後ろへ飛びずさる。そのままクルリと反転、戦場を離脱した。 「......チッ!!」 異形の男も後を追う。 少女だけが、その場に残される形となった。 「待ちなさい、あなたたち......」 一応、叫んではみたものの。 二人の姿は、すでに遥か遠くに消えていた。 もはや追っても無駄だ。いや、それどころか。 「......くっ!」 独りで戦った疲れが、ドッと出たのであろう。彼女は、その場に膝をついてしまうのであった。 ___________ 小さなビルの屋上で対峙する二人。 漆黒の怪人と、伊達雪之丞。 怪人は屋根伝いに跳んで逃げてきたのだが、雪之丞も、ここまで追って来たのだ。 「もう逃げられねーぞ......。 観念しろ、ブラック・レインコート!」 「......」 チラッと後ろを振り向く怪人。 その背中の向こうに、これ以上の建物はなかった。もう逃亡を続けるのは難しそうだ。相手の力量を直感で見抜いたため、直接対決は避けたかったが......討って出るしかない! だが、怪人の決意は、すでに遅かった。 ビュウゥウーッ......!! 雪之丞の霊波が、怪人を襲う。 薄く鋭くした霊力のカッターだ。怪人のレインコートのあちこちが破れ、中に来ていた服が露呈する。 「やはり......同じ学校の生徒か」 服装だけではない。 フード部分もバッサリ切り落とされたため、その素顔も明らかとなった。 それは、ショートヘアーの少女だった。短いわりにボリューム感があるのは、毛先に段差を付けているからであろう。レイヤーボブと呼ばれる髪型だ。 「ママに......似てない」 「......」 正体を知って、少しゆとりが出来たのか。雪之丞の口から、戦場には似合わぬ言葉が出てきたが、少女は無反応であった。 ___________ ちなみに。 雪之丞は、薄皮一枚、うまく雨合羽だけを切り裂いている。制服も乙女の柔肌も、切り刻んではいない。念のため。 「おとなしく降参しろ。 女をいたぶるのは、 気がすすまねーからな......」 降伏勧告を口にする雪之丞だが、アッサリ受け入れてもらえるとは思っていなかった。 何者かが、彼女の意志をコントロールしているからだ。最初はレインコートが悪意の象徴かとも思ったが、そうではない。それは、彼女の心の中に存在している! (この女も、取り憑かれているわけか) ただし、先ほど河原で戦った女子生徒とは、少し事情が違う。目の前の少女が本物のブラック・レインコートであることは、間違いない。だが、この少女がブラック・レインコートになってしまったのは......。 「......しまった!?」 どうやら、雪之丞が悠長に考えている間に、先手を取られてしまったようだ。 ブワーッと黒い風が吹き付けてきた。 少女が巻き起こしたものだ。いつのまにか編み棒を手にしており、クルクルと回して、風を生み出している。 「これは......瘴気か......?」 風を浴びた途端、心がざわめく。体の中を駆け抜ける、強烈な負の感情。 おそらく、先ほどの女子生徒――小西風香――は、これを受けて、操られてしまったのだろう。 これまでの被害者や、橋の下で戦っていた少女は、この風の攻撃を食らっていないようだが、何が違うのか? 「......そうか! 彼女たちは、襲撃のメインターゲット。 やっつけたい気持ちはあっても、 わざわざ操ろうとは思わんのだな?」 つまり、この風は、手下を作るためのもの。 だが、雪之丞を『手下』にしようなどとは、笑止千万! 「相手が悪かったな!」 かつて雪之丞は、魔族メドーサの配下だったのだ。 そこから脱却した雪之丞である。今さら、この程度のマイナスエネルギーに飲み込まれる男ではなかった。 「邪念よ、消え失せろっ!」 全身から霊気を放射し、風に抗う。 その力は、逆に少女へと襲いかかり......。 「これで......終わりだっ!!」 「......!!」 ___________ 「私......私は......」 その場にペタリと座り込み、うつむく少女。彼女の目からは、涙がこぼれ落ちている。 彼女の心を支配していた邪念は消えたが、当時の記憶は鮮明に残っているのだ。 「学校の理事...... 六道さんのところへ行くことだな。 あとの始末は、むこうでやってもらえるはずだ」 「......はい」 一介の教師に預けるより、お偉いさんに任せたほうが早い。そう考えて、雪之丞は、彼の依頼人のもとへ向かうよう、少女に勧めた。 雪之丞に促され、共にビルの階段を降りながら、少女は語る。ポツリポツリと。 「......うらやましかったんです。 みんな......美人で、上品で、金持ちで、 頭よくて、霊力もすごくて......」 同じ学園の生徒とは思えない。どうしたら、あんなふうになれるのか。ああ、自分には無理だ......。 胸の中で、そうした気持ちは、悪い方向に育っていく。 「なるほどな。 妬み、そねみ、嫉妬、羨望......。 ......そうした感情がふくれあがって、 一種の妖怪になっちまったわけか」 コクンと頷く少女に、雪之丞は、優しい言葉をかけた。 「妖怪ジェラシー......とでも言うべきかもな」 まあ、運も悪かったのだろう。 この少女一人の怨念ではなく、女子高にうごめくドロドロとした感情が、一番大きい気持ちを核として集まってしまったのではないか。 雪之丞は、そう思った。 「これは、ダチから聞いた話だが......」 劣等感というマイナス思念が寄り集まって、コンプレックスという妖怪を生み出すこともあるそうだ......。 そんな事例も述べて、少女を慰める。あまり慰めになっていないが、女性に対する雪之丞の話術など、この程度である。 (悪さをしてしまった後、 そこからどう立ち直るか......。 それが一番大事なんだろうさ) 我が身も振り返りつつ、そう考える雪之丞。 だが、敢えて、それを口には出さなかった。 ただ、一言。 「......がんばれよ」 「はい......」 ちょうど二人は階段を降りきったところだ。 ビルを出て、ふと、空を見上げる。 いつのまにか曇天は終わっており、あざやかな夕焼け空となっていた。 ___________ ちなみに......。 ジェラシーから解放された少女は、この後しばらくしてから、クラスに復帰。 明るく元気になった少女は、魅力的な女性となり、校外で彼氏もゲット。 しかしクリスマス間際になっても手編みのセーターが完成せず、クラスメートが浮かれる教室で、一人で編み物に没頭することになるのだ。 ドヨヨヨ〜ンとした空気を発して、ブツブツと何かつぶやきながら、チャカチャカと編み棒を操る少女。一種のノイローゼ状態であり、今度は妖怪ノイローゼを生み出すのだが......。 それは、また別のお話である。 ___________ 一方。 雪之丞とブラック・レインコートの決着がついた頃、弓かおりは、夕暮れの河原にたたずんでいた。 「かおりーっ!!」 自分を呼ぶ声がする。そちらに顔を向けると、友人の由美子が、走ってきていた。 「......大丈夫だった?」 「ええ、もちろんですわ」 由美子の問いかけに、平然と答える。 半分は強がりだが、半分は本音である。なにしろ、切り札は出していなかったのだから。 弓式除霊術奥義、水晶観音。宝珠を強化服に変化させてパワーを増幅する技だ。 だが、それを披露するほどの相手ではないと思ったのだ。ピンチになれば使ったかもしれないが、その前に救援が来たのだった。 「あ......。 かおりも彼に助けられたの!?」 由美子も、あの異形の男に救われたのだ。 突然現れて、風香をサッと正気に戻した男。 その風香の介抱は相方に任せて、由美子は、弓の様子を見にきたのだった。 「カッコは不気味だったけど、 ちょっとイイ感じだったわね......」 男のことを語る由美子の目は、王子様に憧れる少女のように、キラキラと輝いていた。 弓は、少し顔をしかめる。 「あら......あんなの、 たいしたことありませんわ。 やっぱり、私たちのあこがれは、 ......美神令子おねーさまだけ!!」 別に、彼女は男嫌いなわけではない。 男嫌いで有名な女神アルテミスは、月と狩猟の女神ということで時々弓を手にするが、だからといって『弓』を名前に冠した家系が男嫌いになるわけではないのだ。 実は、由美子同様、弓も心の中では、 (たしかに......王子様だったのかも......) と思っている。少しだけだが。 意識していればこそ、比べるかのように『美神令子』の名前を口にしてしまったのだ。 だが、そうした乙女心は、まだまだ小さなものだった。今回の『王子様』への気持ちは、数日もしないうちに忘れてしまう程度。淡い淡い乙女心だった......。 ___________ その夜。 事件の報告を終わらせて、雪之丞は、依頼人の屋敷をあとにする。 (さて、次は......どうしようか) 元々あまり先の計画は立てていない上に、今回の事件は、予定よりも早く終わったのだ。これから何処へ行くというアテもなかった。 (ふところも、また寂しくなった......) 今回の依頼料は、現金払いではなく、銀行振込ということになっている。 今日明日の金には不自由しそうだが、貧乏には慣れているから、困りはしない。 それよりも。 (修業の成果は......それなり、か) 今日一日のバトルを振り返る。 大男と、操られた少女と、雨合羽の怪人と。 三連戦だった。 自分の力が着実についてきたことを実感できたし、同時に、このままでは限界が近いとも感じる。 (そろそろ、妙神山へ行くべきだな......) そうだ、そうしよう。 (それならば、ついでに......) 今晩の宿と夕飯を思い浮かべて。 雪之丞の足は、友人のアパートの方角へと向かっていた。 ___________ ___________ それから、しばらく経って......。 ___________ ___________ クリスマス合コンに参加したと思ったら、いつのまにか雪ダルマの大群と戦っていた。 何を言っているのかわからない話だが、頭がどうにかなることはなかった。さいわい、一人ではなかったからだ。 「こっちはまかせろ!! 後ろは頼んだからなっ!!」 「フン......!! 安心なさって、 私はヘマなんかしないから!」 伊達雪之丞は魔装術を、弓かおりは水晶観音を、それぞれ展開させて共闘する。 (かわいくねー女だが......) 雪之丞は、かつて助けた少女が弓であると、気づいていなかった。あの時、意識のほとんどは敵に向けられており、弓のことはチラッと見ただけだったからだ。 そもそも、今日の女の子たちの学校が、あの時の女子高だ......ということもわかっていない。おキヌから学校名を聞いていたはずだが、それが、頭の中であの学園とつながらなかった。おキヌがGSのエリート校に通うというイメージが、なかったのである。 (背中が頼りになるってのは......) 一方、弓も気が付いていなかった。現在背中を預けている男こそ、あの時の『王子様』なのに......! だが、それも無理はないだろう。合コンでは最初、他の男性が気になっていたし、雪之丞の魔装術にしたところで、以前とは全く違うからだ。 弓の『王子様』の魔装術は、もっとトゲトゲしい、モンスターのような形状だった。しかし妙神山での修業を経て、スマートに洗練され、むしろ正統派ヒーローのイメージに変わっていた。 (悪くない気分ね......!) そんな二人ではあったが、心の奥のアンテナは、お互いに正しく感知していたのかもしれない。 なにしろ......。 この後、二人は、恋人として付き合い始めるのだから。 (乙女心の始まりは……・完) (初出;「NONSENSE」様のコンテンツ「椎名作品二次創作小説投稿広場」[2010年12月]) |
「あれって……オカルトゼミのサイジョウ君よね?」 「特定のカノジョは作らないって聞いてたけど……」 「噂なんてアテにならないわ〜〜」 キャアキャア騒ぐ女性たち。皆、この大学の生徒たちである。 ここは、歴史ある英国でも、特に由緒ある大学だ。教えられている分野は多岐にわたり、魔法や霊能といったものも含まれていた。自然と、オカルト関係者が集う場所にもなっている。 「なんだか『二人の世界』って感じ〜〜」 「この寒いのに……まったく、アツアツね」 「いいじゃん、アジア人はアジア人同士で……」 彼女たちが話題にしているのは、校舎の一つに向かって歩く男女だった。 男のくせに背中まで髪を伸ばしているのだが、それが似合ってしまう二枚目。 短髪の女性は、香港映画に出てきてもおかしくない、そんなルックス。 ある意味、お似合いのカップルなのだが……。 「ミス・チャン、もう大学の構内だ。 そんなにくっつかなくても……」 「……まだ怖いんです。 どうか、建物に入るまでは……」 ピトッと体を近づける友人に、困った顔を見せる西条。 別に恋人同士なわけではない。ただ西条は、彼女の護衛をしているだけだった。 キリ番リクエストSS いっつも連れてる女性が違ったんですよ それは、昨日の夕方の出来事。 家に帰るため、西条は、最寄りの駅から続く大通りを歩いていた。 ロンドンからの地下鉄と相互乗り入れしている路線であるが、この辺りは、既にワンデイチケット――市内のバスと地下鉄が一日乗り放題となる――の範囲から外れている。のどかな田舎町の性質も兼ね備えており、大通りには、たくさんの車が平然と路駐していた。 「おや……?」 そうした車の一台。そのかげで人が丸まっているのが、西条の目に留まった。 外套にくるまっており、わかりにくいが、女性のようだ。 体が震えているのは、寒さ故か。あるいは、何かに怯えて、隠れているのだろうか。 「どうしましたか、お嬢さん……」 声をかける西条。女性が、顔を上げる。 「……あ! 君は、確か……」 「西条クン……? ……西条クンよね!?」 ガバッと抱きついてきた女性。彼女は、西条と同じゼミの学生だった。 香港からの留学生で、たしか、名前は……シャンリン・チャン。 ファーストネームで呼び合うほど親しくはないが、同じアジア人ということで、何度か話をしたことはある。 もともと香港は風水に長けた地であり、それに西洋風のオカルト知識を加えたいということで、イギリスまで学びに来た……。そんな話を、以前に聞いたことがあった。 そういえば、昨日からゼミを休んでいるようだが……。 「ミス・チャン! どうしたんだい、こんなところで……」 「助けて、お願い!! 私……追われてるの、怪物に!」 ___________ それは、彼女が西条に拾われる二日前の夜のこと。 友人に呼び出され、彼女の部屋まで来たシャンリン・チャン。 「ミッド! ……また何かやらかすつもり!?」 「えへへ……」 と、部屋の主が笑う。 北欧出身の美少女で、ミドルガルド・ファーリングス・ノックス……なんとかかんとかアスガルド。とにかく長い名前であり、シャンリンも、ちゃんと覚えていない。ただ『ミッド』と呼んでいた。 「また例の店で、 へんなもん買ってきたんだって」 口を挟んだのは、もう一人の来客。 名前は、ターニャン・ワン。おそらく両親は「大きくなれよ〜〜」と願って『ターニャン(大娘)』と名付けたのであろう。それが行き過ぎて、大柄な女性に育ってしまった。体も顔もガッシリとしており、名前と体格から、仲間内では『ビッグワン』と呼ばれている。 「え〜〜また〜〜!?」 呆れた声をあげるシャンリン。 ミドルガルドは時々、行きつけのマジックショップで怪しげなアイテムをつかまされる。そもそも店主からして『怪しげな』中国人なのだが、ミッドは気にしない。そして、中国系の友人二人――香港人のシャンリンと台湾人のターニャン――をトラブルに巻き込むのだ。 「えへへ……これ! 中に『ロマンスの神様』が 宿ってる石なんだって……!!」 そう言って差し出したのは、手のひらサイズの黒い石だった。 何の変哲もない、ただの石っころにしか見えない。だが、ミドルガルドは店主の言葉を信じて、これから降霊会を開くつもりであった。 「降霊……!?」 「三人で神様を呼び出すの! で、『ロマンスの神様』にお願いして ……私たちをモテモテにしてもらうの!!」 ああ、なるほど。 ミドルガルドを見るシャンリンの目に、哀れみの色が浮かぶ。 (このコ……彼氏いない歴が イコール年齢だからね……) ミドルガルドは美少女だ。童顔の美少女だ。 いや、顔だけじゃない。背丈も体型も、まるで小学生並みなのだ。 それはそれで一部の男性には需要があるはずだが、英国紳士は、違うらしい。紳士過ぎて、特殊な性癖を持たないのだろう。ミドルガルドには、興味を向けてくれなかった。 (ビッグワンの意見は……?) シャンリンは、ターニャンの方を向く。 ターニャンは、肩をすくめていた。呆れているようだが、特に反対もしていない。 彼女は彼女で、外見が独特なせいか、あまり男性に縁がない。モテモテになれるというのであれば、悪くはないのだろう。 (ま……仕方ないか) 三人の中で最も男受けの良い――と自分では思っている――シャンリンも、二人に合わせることにした。 他の二人は趣味でオカルトをかじっているだけだが、シャンリンは、大学でそれを専攻しているのだ。自分が一緒なら、降霊会も危険ではないと考えていた。 大きく頷いて、同意の意志を示す。それを見て、ミドルガルドの笑顔が増した。 「……じゃ、がんばろうね! 今年のクリスマスは、 女三人じゃなくて……彼氏と過ごすぞぅ!」 一人テンションの高いミドルガルド。魔法の粉を用いて、召還の魔法陣を床に描いていく。 「えへへ……。 うまくいったら、みんなで 『ロマンスの神様』に感謝しようね! どうもありがとう……って!!」 次に、本棚から一冊の書物を取り出し、三人で呪文を唱える。 すると……。 ビシュウウッ!! 何か出てきた。 だが。 『ウオーッ……! やっと解放されたわい。 長かったのう……』 現れ出でたものは、禍々しい空気をまとっていた。 (これって……) (神様……違う!) (むしろ……悪霊……!?) タラーッと冷や汗を垂らしながら、三人が顔を見合わせる。 そんな三人に対して。 『うまそうな娘たちだが……。 まずは……体をよこせ!!』 悪霊が襲いかかった! ___________ 「うまそうな娘だとか、体が欲しいとか。 最初は、貞操の危機を心配しましたが……」 暖炉の前で、熱い紅茶をすするシャンリン。 西条は、黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。 「……動き回るために、 憑依する必要があったんです。 あと、私たちの霊波を エネルギー源として好んだようで……」 「なるほど……」 彼女の話から、西条は推察する。 (……その石には、 いにしえの魔物の類が 封印されていたようだね……) おそらく、肉体そのものは既に退治されており、消し去れなかった精神だけが、封じられていたのではあるまいか。 それを解放してしまったのだ。だから、魔物は実体を伴わず、怨霊として蘇ったのだろう。 力のある魔物ならば精神体として活動するのも可能なはずだが、やはり、この世界では実体のあるほうが都合がいい。だから、肉体を欲しがったのだろう。 「まずビッグワンに取り憑いて、 それから……今度は……」 シャンリンの話は続く。 「ミッドに手をのばして……彼女から、 ごっそり霊力を吸い取ったんです!」 ここで、シャンリンは、手で顔を覆って、さめざめと泣き出した。 その涙には、様々な感情がこめられているはず。なにしろ、今の話からすると、彼女は友人が襲われている隙に友人を見捨てて、自分一人、逃げ出したのだから。 「ミッドは……彼女は、 びっくりして動けなかったんです! だから……だから犠牲に……!!」 その後の話は、嗚咽混じり。聞き出すのは苦労したが。 (……だいたい、事情はわかった) 要約すると。 一人は、魔物に体ごと乗っ取られた。人間の霊力を吸収する怪物と化したのだ。 一人は、霊力を吸い取られて意識不明。気力も精神力も空っぽで、しばらくは目を覚まさないだろう。 一人は、脱出に成功。しかし、魔物の次のターゲットとして追われている。 (彼女たちの霊波を好むというのは ……その三人に呼び出されたせいか?) 何かを召還して、その力で魅力的になろうという気持ち。それは、西条から見れば、ある意味、卑怯である。 彼女たちの心の中に、陽ではなく陰の感情があったことは、間違いない。 それと共鳴して復活したのであれば、まず魔物が彼女たちをエネルギー源にしようとするのも、当然かもしれない。 (……だが、発端は何であれ。 話を聞いた以上、ほうってはおけない) 約48時間、シャンリンは一人で逃げまわっていたらしい。 現場からもシャンリン自身の家からも離れて、ただひたすら逃げて……。そうして、偶然、西条と出会ったのだ。 (警察へは行きづらいのだろう。 ……彼女自身にも 責任があることだからね) ミドルガルドの部屋が現場であり、気絶した彼女が発見された時は一人だったため、警察は魔物のこともシャンリンたちの関与も知らない。だが警察へ行けば疑われるだろうし、もっと厄介な事態に陥るかもしれない。 また、シャンリンは、民間のゴーストスイーパー(GS)を雇うほど経済的余裕があるわけでもなかった。一般に、GSの依頼料というのは、大学生の遊ぶカネとはケタが違うのだ。 (困っている人を助ける……。 ……それこそ、 ノーブレス・オブリージの精神だ!) 将来はGSになろうと考えていた西条である。日本にいた頃は、有名なGSに師事していたのだ。 正式な資格は大学を出る頃に取得するつもりだったが、今だって、人助けのために働くことくらいは出来ると思っていた。 「……わかった。 明日からは、僕が君を守ろう。 今晩は……いや、しばらくの間は うちに泊まればいいだろう」 「……いいんですか!?」 パッと顔を上げるシャンリン。 希望の光を見出して、表情が少し明るくなったようだ。そのためであろうか、涙の跡まで妙に少なく見えるが、それを不自然に感じる西条ではなかった。 (二人っきり……ではないからね) この家には、西条が小さい頃から世話をしてくれている、ばあやが一緒なのだ。 だから大丈夫だろう……と思ってしまう、西条であった。 ___________ そんなわけで。 今朝、こうして二人は、一緒に通学しているのだ。周囲の目を、なるべく気にしないようにしながら。 二人で仲良く――はたから見ればそう見える――、校舎に入った。ここまでという約束だったはず……。 「ミス・チャン。 ここまで来れば、もう大丈夫……」 「……やっぱり、まだ怖い。 どうか、教室に入るまでは……」 離れようとしないシャンリン。 西条としても、強引に振りほどくわけにもいかず、結局、そのまま教室へ。 二人が入っていくと、彼女の友人が集まってくる。 「あっ、シャンリン!」 「……どうしてたの?」 「具合が悪くて、 寝込んでるって聞いてたけど……。 ……もう平気なの?」 と、言葉をかける友人たち。だが、隣の西条に気づくと。 「ああ……そういうことだったね!」 皆、同じように、ニヤリと笑う。 「えっ!? あっ、別に、そういうわけじゃ……」 少し照れたような、まんざらでもない顔を見せるシャンリン。 言葉では否定しているが、表情では否定していないのだ。 (いや、そうじゃないんだが。 真相を告げるわけにもいかんし、 話をあわせるしかないか……) 魔物の一件を広めるわけにもいかないだろう。そう考えて、あからさまに否定できない、西条であった。 ___________ そして……。 大学での一日が終わった。 日が暮れて、人の休む時間が近づく。それは、魔の動き出す時間でもあったのだが。 「ありがとう、西条クン。 おかげさまで、今日一日、無事だった……」 安心したような口調で、西条にもたれかかるシャンリン。これを歩きながらやっているのだから、まるっきり恋人同士のイチャイチャである。 「いや……まだ安心するのは早い。 家に着くまでは、気を緩めずに……」 「ええっ!? そんなこと言わないで……! 私……また……怖くなる……」 怯えさせてしまったのかもしれない。シャンリンが、ギュッと抱きついてくる。 「……すまないね。 もちろん、ちゃんと僕が守るつもりだが、 君も……」 「あ……ありがとう……」 いっそう力をこめるシャンリン。歩きにくくて困るのだが、家までは、もう少しの辛抱だ。 (そういえば……この辺りだったか) ちょうど、昨日シャンリンを見つけた場所だ。 西条が、それに思い至ったのと同時に。 シュバァーッ……!! ___________ 「大丈夫か!?」 「はい……」 シャンリンの無事を確認しながら、振り返る。 とっさに抱きかかえてジャンプした西条だったが、先ほどまで二人がいた場所には、数枚のカードが突き刺さっていた。 「これは……トランプか?」 「あっ、ビッグワンのだわっ!」 その軌道から考えて、投擲主のいる場所は……! 「おまえが……召還された魔物か!?」 西条が見上げる先。 街路樹の枝に座っている人影。暗い中でも、大柄な体格だということは、見てとれた。 それが、口を開く。 『フシュルル〜〜。 もう逃げるなよなあ……。 ……ようやく追いついたんだぜ!』 そして、再びカードを飛ばしてくる! しかし。 バチィッ!! それを弾き退ける西条。いつのまにか、彼の手には、小ぶりな霊刀が握られていた。 (狙いは……僕だったのか) 今のカードも先ほどのカードも、シャンリンではなく、西条に向けられたものだった。 魔物は、シャンリンの霊力が欲しいのであり、彼女を殺すつもりはない。ただ、西条を邪魔者として取り除きたかったのだ。 それを理解したからこそ、西条は、避けるのではなく迎撃することにしたのだった。下手に動き回ったらシャンリンに誤爆するかもしれず、かえって危険だろう。 『フシュシュ〜〜。 そんなもん持ち出しやがって…… この俺様と、やろうってーのかい?』 ピョンと飛び降り、それは、ニヤリと笑う。 そして、こちらに向かって走り出した! ___________ 『ほう……意外にやるな。 だが……』 一瞬の交錯の後、飛び退って距離をとったのは、魔物の方だった。 それでも、余裕の笑みを浮かべている。 『どうする……? この娘ごと、俺を斬る気かい!? フシュフシュ〜〜』 「……くっ!」 内心の焦りが顔に出る西条。 魔物は右腕から血を流しているが、これは、今の攻防で西条が与えた傷だ。 しかし、魔物が使っているのは、ターニャンの体である。本来、彼女も被害者なのだ。ケガさせるべきではなかった。 (これでは……彼女を 人質にとられているようなものだ!) 今、西条の手の中にあるのは、使い慣れた霊剣ではない。あれならば、相手を麻痺させるような技――ジャスティス・スタン――も使えるのだが。 普通に大学へ通う際に持ち歩くには相応しくない。そう思って、小さな霊刀を隠し持つ程度にしていた。それが裏目に出たらしい。 (いや……! 武器を選ぶようではダメだ。 今までの修業を思い出せ……! たとえ得物が違っていても……) 自身を鼓舞しながら、手の中に霊刀に目を落とす。 それが……一瞬の隙になった。 シュバッ! 「しまった!!」 あいも変わらぬカード攻撃だが、魔物は、タイミングを見計らったのだろう。なんとか対応できた西条だが、その間、魔物自身から意識を逸らしてしまう。 そして、この攻撃は、陽動に過ぎなかった。 ……ザアアッ! 滑るように移動した魔物が、その手でガッシリと、シャンリンの頭をつかむ。 「きゃあっ!?」 『フシュフシュ〜〜。 ……いただきだぜ!』 「やらせるものかッ!!」 慌てて駆け寄る西条だったが……。 『フシュシュシュ〜〜。 ごちそうさま、うまかったぜ……!』 涎を拭うかのような仕草をしながら、敵は、後方へジャンプ。 シャンリンの体が、崩れ落ちる。 抱きとめた西条の腕の中、彼女は息をしているのだが、もはや意識はない。 (……ミス・チャンまでも!!) エネルギーを吸われてしまった。 (守れなかった……) 悔やむ西条。 だが、ただ後悔するばかりではない。 胸の奥で沸々とわき上がる感情が、西条に力を与えた。 「せめて一太刀……!」 『……なんだ? さっきも言ったはずだぜ!? 俺様を斬るってことは、 つまり、この娘ごと……』 左腕でシャンリンを抱きかかえたまま。 相手の言葉を叩き斬るかのように。 西条は、右手で霊刀を振るった。 ズササァアッ!! 食事の直後だったためか、あるいは、距離があったためか。 今度は、魔物の方に油断があった。 『ぐはっ!?』 西条が振り抜いたことで、飛ばされた剣圧。西条の霊力がのせられて、それは、霊波のカッターとなっていた。 西条の強い意志がこめられた霊気は……。 『……そ、そんなバカな!』 ターニャンの体には傷ひとつ与えず。 『お、俺様の……霊体だけに ダメージを与えただとぅ……!?』 ___________ 『こ、このままでは済ませねーぞ!』 魔物の精神体は、バッサリと斬られていた。 すっかり弱体化してしまい、もはや、人間の肉体をコントロールすることも難しい。 『……覚えてやがれ! オメーは……きっちり殺してやる! この目で、ハッキリと 死亡を確認してやるからな……!!』 捨てゼリフを吐きつつ。 ターニャンの体から、魔物がスーッと抜け出した。 それと同時に。 「この時を……待っていたッ!!」 西条が、距離を詰めてきた。 トドメとばかりに、霊刀で斬りつける! しかし! 『バ〜カ〜め〜〜!』 魔物は、これを紙一重で避けた。 『……それは、こっちのセリフだぁ!! フシュシュ……!』 ターニャンから離れて霊体を剥き出しにすれば、相手は直接、斬り掛かるだろう。それくらい、魔物にもわかっていた。 いや、むしろ、誘ったのだ。 攻撃に転じた西条は、もうシャンリンを抱きかかえていない。先ほどの場所に、横たえている。 『これくらいの力は…… 俺にも、まだ残ってるんだぜ!』 ターニャンの体を支配するのが難しいのは、ターニャン自身の意志と衝突するからだ。だが、気絶した人間の体ならば……! 「なにっ!?」 その意図に西条が気づくより早く。 魔物の精神体は、シャンリンの体に飛び込んでいた。 ___________ 『……チッ。 だいぶ力を失っちまった……』 文句を言いながら、シャンリンの体で立ち上がる魔物。 それに対して、西条が、霊刀を振りかぶる。 「もう一度……叩き出してやる!」 だが、西条が腕を振り下ろすよりも早く。 シュッ!! 魔物と化したシャンリンに向かって、紙片が飛んだ。 『……おっと、危ねえ〜〜! だが……当たらなきゃいーだけさ!!』 それは、ターニャンが投げつけたものだった。まだ地面に倒れたままだが、それでも、魔物を睨みつけている。 魔物の支配から解放された彼女が、まるで魔物に復讐するかのように。 魔物の支配下で使っていたカードを用いて、戦おうとしているのだ。 「君、やめたまえ!」 「でも……」 「あれは……ミス・チャンの体だぞ!?」 言葉だけでは止められない。 西条は、ターニャンのもとへ走り寄り、彼女の腕をつかんだ。 (……おや?) そして、気づく。 どうやら彼女は、トランプに霊力を込めて投擲したらしい。 今、その手には、かなりの霊気が集まっている。 「君は……霊能力者なのか!?」 「え? 違いますけど……。 でも、なんだか急に力が……」 ここでようやく、西条は、魔物の『だいぶ力を失っちまった』の意味を理解した。 西条にやられた……というだけではない。ターニャンの体から精神体として抜け出す際に、魔力の大部分を残してきてしまったのだ。 (残留した魔物の力が ……彼女の霊力となったわけか) 西条は、後ろを振り返る。 気配でわかっていたことだが、魔物は、既に逃げ去っていた。 今回は、捨てゼリフもなかった。 こっそり逃げ出した方が逃げやすいと、魔物も学習したのだろう。 西条は、今後の敵の行動を推測する。 (おそらく……奴は、 ミス・ワンを狙うだろう) 三人の霊気との相性云々だけではない。 魔物からしてみれば、自分の魔力を置き忘れたようなものなのだ。 (今度は……彼女を……。 ……いや、今度こそ、守ろう!) そう思って、ターニャンに声をかける。 「……立てるかい?」 「はい……」 西条の手につかまりながら。 ターニャンは、いかつい顔を精一杯、やわらげていた。 「おねがいします。 私を……助けて下さいね」 ___________ ___________ 「あれって……オカルトゼミのサイジョウ君よね?」 「プレイボーイではないって聞いてたけど……」 「噂なんてアテにならないわ〜〜」 翌朝。 大学の近くを歩く二人の姿は、バッチリ目撃されていた。 「どう見ても……昨日のコとは違うわね〜〜」 「方角が違うみたいだけど ……どこへ行くつもりかしら?」 「いいじゃん、休みたい奴には休ませとけば……」 彼女たちが噂しているように。 二人は、大学へ向かっているわけではない。むしろ、大学から離れる方向だった。 (まあ……仕方ないか) ターニャンは、シャンリンとは違う。 魔物に狙われている身で授業に出たいなどとは、言わなかった。 だが、代わりに。 バイト先には顔を出す必要があると主張したのだ。体を乗っ取られていた間、無断欠勤していたことになるので、ちゃんと謝っておかないとクビになってしまう……というのが、彼女の言い分だった。 「……じゃ、僕はこれで」 「ありがとうございます……」 大学の近くにある、小さなお店。 ターニャンは、ここで活躍する奇術師のアシスタントをしているのだ。彼女が持っていたトランプは、手品の小道具だったらしい。 「授業が終わったら、迎えにくるよ」 「……おねがいします」 店の前でターニャンと別れて。 西条は、大学へと戻る道を歩き始めた。 ___________ そして、夕方。 (少し急がないと……) 思ったよりゼミが長引き、約束の時間を過ぎてしまった。 おとなしくターニャンが待っていることを――そして彼女が無事であることを――願いつつ、西条は、足早に店へと向かっていた。 しかし。 (……遅かったか?) 店の近くの路地裏で、争う気配。 そこで、例の魔物がターニャンを襲っていた。 「くっ! 私だって……今は……!」 借り物の霊力ではあるが、パワーアップしたターニャン。 トランプに加えて、ステッキ――これも手品の道具なのであろう――にも霊力をこめて防戦している。 だが、しょせん彼女は、霊能力者として訓練を受けたわけでも、悪霊との実戦経験が豊富なわけでもない。それでも、なんとか攻撃を凌いでいるのは、助っ人のおかげだった。 (あれは……?) ターニャンの隣で、彼女をサポートする者。それは、西条にも見覚えのある女性だった。 左の目元には、チャーミングな泣きぼくろ。胸元から腰までがコルセット状になった服で、ウエストをキュッと締めている。……と、若い女のコらしい部分もあるのだが。 ツバの広い三角帽子も、膝までの長さのスカートも、真っ黒。魔女のイメージだった。 長い後ろ髪は結い上げているのだが、先端はバサッとしており、これも、魔女の持つ箒のようである。 いや、実際、彼女は箒を手に、戦っているのだ。 (たしか、魔鈴めぐみ……だったかな) 彼女もまた、西条と同じゼミの一員であり、日本人でもあった。今年入ってきた学生なので、あまり個人的に親しくはしていないのだが。 「あっ、西条先輩!?」 魔鈴の方でも、西条を認識したらしい。 ともかく、これで三対一である。 『チッ、さすがに不利だな。 今日のところは、あきらめて……』 「……そうはさせん! せめて…… その体だけでも、返してもらおう!」 逃げ出そうとする魔物に向けて、西条が霊刀を振るう。霊波の剣圧が、シャンリンの体に襲いかかった。 魔物は、跳んで避けようとしたのだが。 「西条先輩、援護します!」 「私も……及ばずながら……」 魔鈴の箒から魔力の火花が飛ばされ、ターニャンから霊力のカードが投げつけられた。威力は弱いものの、敵の動きを止めるには十分。 『ギャアアアッ!!』 三人の攻撃が直撃し、魔物が絶叫する。 『チ……チクショウ……! こ、このままでは済ませねーぞ!』 魔物の魂がシャンリンの体から抜け出し、空高く昇っていく。 だが、そのまま成仏するのではなく、途中で強引に方向転換。精神体のまま、東の空へと、逃げ去るのであった。 ___________ その夜。 三人は、西条の部屋で、話し合っていた。 「ごめんなさい。 お店で西条さんを 待つべきとは思ったのですが……」 霊力が高まったせいだろうか。ターニャンには、魔物の接近が察知できたらしい。 「私が居ては、店のみんなに 迷惑がかかると思って……」 「それで……一人で 立ち向かおうとしたのか。 無茶をするなあ、君も……」 「ごめんなさい……」 再び謝罪の言葉を口にするターニャン。 やはり彼女には、無理だったのだ。しかし、運よく偶然、その場に通りかかったのが魔鈴である。 「助かったよ。 ありがとう、魔鈴くん!」 「どういたしまして! ……魔女の仕事って、 世のため人のために働くことでしょう? 魔法の実地練習にもいいかと思って……」 魔鈴は、西条に笑顔を見せる。 彼女の言葉は、西条にも心地良く聞こえていた。 (魔女の仕事……。 世のため人のために働く……か) これは、まさにノーブレス・オブリージである。 「だが……すまないね。 女性である君を 巻き込んでしまって……」 「あら、私なら大丈夫ですわ!」 先ほどの戦いにおいて。 魔物が言ったそうだ、せっかくのスゲー魔力なのに俺には吸収できんぞチクショウまぶし過ぎるから、と。 「……どうやら私、 あの悪魔の天敵みたいですね!」 魔鈴にとって、霊障とは、人間の体の内側にたまった陰気や、霊的に汚染された場所から生み出されるものだ。 彼女の持論を聞いて、西条は納得する。 (なるほど……。 今回の事件の発端を考えれば…… 何に共鳴して呼び出されたかを思えば、 魔鈴くんの霊力を吸えないのも当然だね) 霊波の性質だけではない。 魔法使いのレベルとしても、魔鈴は、この魔物と戦うに十分な力を持っているのだろう。 (たしか……) 西条は、ゼミで流れている噂を思い出す。 あの一年生は凄い。わずかな記録から独力で、失われた魔法を次々と発掘している……。 それらは、魔鈴を好意的に見る者の言葉ではない。むしろ彼女を敬遠している連中なのに、それでも彼女を評価していたのだ。 (魔鈴くんには…… 魔女として、天賦の才があるのだな) だが、魔鈴は、なぜかゼミで孤立していた。悪気なくズバズバと本音を語る性格が、災いしているらしい。 「……では、お二人とも、お願いします」 「ええ、乗りかかった船ですから!」 西条が考えていた間に、話がまとまったようだ。 ターニャンは、事件が解決するまで、この家で隠遁することになった。適当に誤摩化しながらも事情は説明したので、しばらくバイトに行く必要はなくなったのだ。状況が状況なので、もちろん、大学は休むつもりである。 「それがいいだろうね」 シャンリンは意識を失ったままであるが、やはり西条の家の中だ。今は別の部屋で寝かせており、ばあやが面倒をみてくれている。 三人の女性のうち二人が一緒なら、保護するのも容易であろう。 「では、この家には結界をはって、 西条先輩と私は、二人で……」 もう一人――ミドルガルド――は一般の病院に入院しているので、そちらの警護に向かおう……と言うのであろうか? たしかに、魔物が彼女の肉体に憑依しようとする可能性もあるが、それより、どこかでエネルギー補給することを優先するのではなかろうか? それならば、むしろ、無関係な他の女性が――シャンリンたちのように陰の感情を持つ女性が――危険なはず……。 しかし、西条の考えは見当外れであった。 「……あの悪魔の隠れ家に乗り込みましょう!」 ___________ ___________ 「あれって……オカルトゼミのサイジョウ君よね? 毎日毎日とっかえひっかえ……」 「今度は新入生みたいね。 先輩づらして後輩をたぶらかすような、 そんな男じゃないって聞いてたけど……」 「噂なんてアテにならないわ〜〜」 一夜明けて。 学校の近くを通った二人は、当然のように目撃されていた。 「思いっきり誤解されているような……」 「気にしたらダメですわ、西条先輩!」 まるで誤解を増長させるかのように、西条の腕に抱きつく魔鈴。 「本当のこと知られたらパニックになりますよ? ……だから勘違いさせておきましょう!」 鋭気を養う意味で一晩休んだ後。 今朝早くから、魔鈴が魔法で魔物の居場所を探索。すると、大学近くの地下に潜伏していると判明したのだ。 魔物の精神体が――女性の陰気をエネルギーとする悪魔が――、この界隈を徘徊している……。そんな真実、確かに隠しておいた方がいい。誰にも知られぬまま、さっさと除霊してしまうのが最善策だ。 「まあ……それもそうだね……」 西条としても、魔鈴に同意するしかなかった。 (なんだか……最近、 こんなのばっかりだな……?) 小さな疑問も頭に浮かんだが、魔鈴がギュッと体を押し付けてくるので、かき消されてしまう。 「それに……二人で学校休んで、 暗い場所へ向かうんですからね! 恋人同士だと思われていたほうが ……むしろ、自然でしょう?」 ニコッと微笑む魔鈴。 そう、今日は、一昨日や昨日とは違うのだ。 守るべき二人――シャンリンとターニャン――は、西条の家の中。その部屋は、結界――魔鈴の魔法によるもの――で守られている。 さらに、屋敷全体にも、西条が破魔札で結界を張っておいた。あまり得意ではないが、日本でGSに師事していた際、一通りの使い方は教わっていたのだ。 そうやって二重の防御をした上で……。 西条と魔鈴が、これから攻撃に転じるのである! ___________ 「さすがに汚れてますね。 悪い霊がたまるのも当然だわ!」 「ああ、だが……」 西条と魔鈴は、下水道の通路を歩いていた。 確かに、ここは、物理的な意味でも霊的な意味でも不浄な場所である。西条も魔鈴の言葉には同意できるのだが、何か違和感のようなものが、頭の片隅に引っかかっていた。 そして、しばらく歩くうちに。 『ほう……そちらさんから、 わざわざ、おでましかい……』 「えっ、これって……!?」 「そうか……そういうことか!!」 二人の前にヌーッと姿を現したのは、昨日逃げ出した魔物だった。 だが、その姿は少し違う。 完全な精神体だったはずが、今は、半ば実体化していた。どす黒く濁った、半透明のボディ。全身を覆う魔力が、不気味に波打っている。両目の部分にはポッカリと暗い穴が開いているだけだが、口の奥には鋭い牙も見えていた。 「この辺りの雑霊や妖魔を ……吸収したんだな!?」 『そのとーり。 ま、腹のタシにはなったぜ……!!』 浮遊霊や妖怪を引き寄せそうな場所なのに、全く見当たらない……。それが、西条の違和感だった。 どうやら、目の前の魔物が、全て取り込んでしまったらしい。邪念や負のエネルギーを持った人間を襲う代わりに、そうした陰気から産まれた妖怪や霊を直接エサにしていたのだ。 『見せてやるぜ! これが…… パワーアップした俺様の力だ!!』 魔物が腕を振るう。 一歩前に出た西条は、魔鈴をかばうかのような体勢で、これを迎撃する。 西条が手にしているのは、小型の霊刀。 しかし。 『……もう見飽きたぜ、それ。 昨日までは怖かったが……』 バキッ!! 一瞬だった。 魔物は、西条の刀を平然と受け止めて、それを握りつぶしたのだ! 「西条先輩、危ないっ!」 武器を失い無防備になった西条を守るかのように、魔鈴の魔法攻撃。 牽制程度だが、この間に、西条と魔鈴は少し後退する。 『ヘッヘッへ……。 どうする〜〜? せっかくの刀、 ……折れちまったな〜〜あ?』 口元を歪め、西条を嘲笑する魔物。 しかし、笑うのは西条の方だった。 「やせ我慢は、やめたまえ!」 西条は見抜いていた。 平気な顔した魔物であるが、さすがに直に霊刀をつかんで無傷なわけがない。あの右手は、しばらくは使えないはずだ。 こちらの戦意喪失を誘ったのだろうが、簡単に騙されるような西条ではない! 「それに、ここは街中ではないからね。 ……こういう物も使えるのさ!」 彼が懐から取り出した物。それは……。 『ピ、ピストルだとぅ!?』 バンッ!! 魔物は完全に避けたつもりだったが、西条の射撃技術が、それを上回った。 左肩を撃ちぬかれ、魔物が顔を歪める。 『……痛ッ!! 一介の大学生が、なんで そんなもん持ってるんだよ!?』 西条の師匠は、常識人の少ないGS仲間からも『型にはまらない天才』『非常識さも魅力の一つ』と言われていた女性だ。彼としては、これくらい、常識の範疇であった。 「妖魔を取り込んだことが かえってアダになったようだな! 精神体のままならば、 平気だったろうに……」 「銀の弾丸、効くようですね! では……」 魔鈴がパチッと指をならすと、空間に裂け目が生じた。 異空間へと通じるポータルだ。 人が出入りするほど大きくないが、手を突っ込むには十分だ。 「……私も西条先輩の真似をしますわ!」 異界へと伸ばした腕を、サッと引き戻した魔鈴。 彼女の手には、小型の機関銃が握られていた。 ___________ (チクショウ……) 魔物は、焦っていた。 戦い始めて、まだ、たいした時間は経っていない。だが、体に何発も銃弾をくらい、かなり力も衰えていた。 (こいつら……異界を武器庫にしてやがる!) 魔物は知らないことだが。 魔鈴は、異界空間に土地を持っている。現在、用意した武器や道具と共に、彼女の使い魔がそこで待機していた。だから、魔鈴が手を伸ばせば、必要な物をサッと渡してもらえるのだ。 (……こんな剣まで持ち出しやがって!!) 拳銃ではトドメはさせないと判断したのだろうか。 西条は、霊剣を手にしていた。魔鈴が異空間から取り出し、西条に渡した物だ。 だが、おそらく元々は西条の愛剣であり、あらかじめ魔鈴に預けておいたのだろう。こうした『武器庫』を利用するなら、持って歩くには目立ち過ぎる武器も大き過ぎる道具も、いくらでも使えるわけだ。 これまでの小型の霊刀より、明らかに扱い慣れている。あの小刀でも器用な使い方を――霊体だけを斬るというマネを――してみせた男だ。この霊剣ならば、いったい何が出来るのだろう!? (注意すべきは、やはり男の方だ! 女は……あくまでもサポート役か?) 魔鈴はマシンガンも使ったが、撃ちつくした時点で、それを放棄。二丁目を取り出すことはせず、愛用の箒を使っている。自分の本来のスタイルに戻したのだ。 だが、たかが箒とバカにしてはいけない。鬼に金棒、魔女に箒である。 魔法の電撃、魔法の火炎、魔法の氷弾……。特に最後のは、直撃したら、かなり痛い。 (牽制……か。 俺様が逃げられないように……) 魔鈴の魔法は、魔物の動きを見てから、放っているようだ。常に、退路をふさぐかのように攻撃が来る。おかげで、逃げ出すことも出来ず、この場に釘付けになっていた。 (いや、それだけじゃねえ。 狙ってやってるのか、 それとも偶然なのか……) 魔法の余波が、この辺り一帯を浄化しつつあった。魔物が摂取した――魔物の体を構成している――怨霊たちが、どんどん弱体化しているのだ! そのせいであろう。魔物は、自分自身の動きが鈍くなったと感じていた。 (このままでは……) と、自分が敗北する光景を思い浮かべた瞬間。 ズンッ……!! 急に、体が重くなった。今までの比ではない。もう……一歩も動けない! 『なっ、何をしやがった……!?』 目の前の西条が、黙って視線を下げる。釣られて、魔物も、自分の足下を見た。 『これは……まさか!?』 これまでの魔鈴の攻撃だろう。 通路のコンクリートには、焼けこげたような跡がたくさん。だが、何故か、それらは奇妙な幾何学模様を描いていた。これでは、まるで……。 『てめーら……。 魔法陣を書きやがったな?! ……そうか、だから 戦場を移動することを嫌って……』 魔物は、全てを理解する。しかし、全ては手遅れであった。 「浄化の光よ! 魔に満ちた邪悪の動きを止めよ!」 魔鈴の言葉に応じて。 魔物を包み込むかのように、魔法陣から、プワーッと光が立ち昇る。 もう……指一本、動かせない! 「今です、西条先輩!」 「……とどめだ!」 右を見れば。 剣を振りかざしながら、こちらへ向かってくる西条。 「ジャスティス……」 左を見れば。 箒にバチバチと魔力を纏わせながら、突撃してくる魔鈴。 「マジック・ブルーム……」 二人の攻撃が――聖なる剣と魔法の箒が――、魔物を挟み込む! 「……クロス・アタック!!」 『ギャアァアアァッ……』 断末魔の絶叫と共に。 ついに、魔物は消滅した……。 ___________ 全てが終わった後で。 西条は、魔鈴に尋ねた。 「魔鈴くんは……将来は GSになるつもりかい?」 魔鈴は、首を横に振る。 「いいえ。 困っている人がいれば、 除霊もしますけど……」 むしろ、霊障の予防に力を入れたい。体に陰気がたまらないよう、日頃の食事から気をつけるべきだ。だから、魔法料理の勉強をする……。 それが、魔鈴の意見であり、予定であった。 「日本で魔法料理のお店を開く。 ……それが私の夢ですわ! 夢がかなったら、その時は…… 西条先輩も、食べに来てくださいね?」 「ああ、もちろん! 是非うかがうよ、約束だ……」 ___________ ___________ ___________ ……そして約束どおり、西条先輩は来てくれました。 ちょうど、お知り合いも来店していますね。少し、思い出話でもしましょうか。 「日本にこんな彼女がいながら イギリスでも……」 いつも、女性の味方だったんです。 「ほーお…… やっぱり女と見れば みさいかいなく?」 「いっつも連れてる女性が ちがったんですよ」 カノジョって意味じゃなくて、ただ一緒に歩いてるだけ。私もその一人になったこと、ありましたね。 「き……君っ!! 誤解を招くよーな発言……!!」 大丈夫です。『誤解』だってこと、ちゃんとわかってますから。 そんな西条先輩が……私は大好きです!! (いっつも連れてる女性が違ったんですよ・完) (2010年12月27日 掲載) 付記; 10,000人目の御訪問者から「西条が主役のSS」というリクエストを頂き、それによって生まれた作品です。リクエストありがとうございました。 原作の魔鈴のセリフからプレイボーイ扱いされている西条ですが、主人公にするならば、それを弁護してみようと思って、このような物語を考えました。 当初は、美神令子とも魔鈴めぐみともカップルにしないようにと思ったのですが……。カップルとまではいかなくても、これでは、魔鈴の勝ちでしょうか(笑)。 |