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『安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」』
初出;「ザ・グレート・展開予測ショーPlus」様のコンテンツ「展開予測掲示板」(2008年12月から2009年1月)

 第一章 雷光の彼方に ―― Over the Lightning ―― 
 第二章 美女と蝙蝠 ―― Beauty and the Bat ―― 
 第三章 出会いの宵 ―― Some Encountered Evening ―― 
 第四章 小森旅館の怪人 ―― The Phantom of the Inn ―― 
 第五章 イン・ザ・ルーム ―― In the Room ―― 
 第六章 マイ・フェア・ベイビィ ―― My Fair Baby ―― 
 第七章 クロス・ザ・ドア ―― Cross the Door ―― 
 第八章 シティ・オブ・サスペクツ ―― City of Suspects ―― 
 第九章 彼女の言い分 ―― Her Reasons ―― 
 第十章 探すことが好き ―― I Love to Search ―― 
 第十一章 君の住む抜け穴で ―― In the Hole Where You Live ―― 
 第十二章 退屈な朝 ―― Oh What a Borin' Mornin' ―― 
 第十三章 成し得ぬ犯罪 ―― The Impossible Crime ―― 
 第十四章 彼女なしでも ―― Without Her ―― 
 第十五章 入浴、入浴 ―― Nyuu Yoku, Nyuu Yoku ―― 
 第十六章 幕間 ―― Intermission ―― 
 第十七章 その男の独白 ―― What Have He Done? ―― 
 第十八章 幽霊と私 ―― The Ghost and I ―― 
 最終章 終わりなき旅 ―― Endless Journey ―― 






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安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第一章

「ふう......アイデアが出ない......!」

 頬杖をつきながら、溜め息をつく私。

「『聖美女神宮寺シリーズ』は、
 一番のヒット作になったわ。
 でも、もう四年も続いてるから
 そろそろ新しいシリーズも書きたい......」

 いつもと同じような、私の独り言。
 だけど、今日は少し違う。
 だって......。
 
「先生......。
 今は、それどころじゃないでしょう?
 それに、溜め息つきたいのは僕の方ですよ」

 私の隣には、彼が座っているから。
 それに場所だって、いつものお気に入りの別荘ではない。

「ちゃんとした取材旅行だと思ったのに、
 まさか先生と二人で遭難するはめになるとは......」

 そう、彼の言うとおり。
 私たち二人は、今。
 山奥の森で、迷子になっているの......。




    第一章 雷光の彼方に
    ―― Over the Lightning ―― 




 大自然の緑の香りに囲まれて。
 ベンチ代わりの岩に腰掛けて。
 見上げれば、抜けるような青空で。
 ああ、心地良い森林浴!
 ......と、ポジティブシンキングをしてみる私。
 でも、私の隣では、彼が暗い表情で俯いている。
 
「はあ......」
「大丈夫よ。
 きっと、なんとかなるわ!
 そのうち誰かが通りかかるかもしれないし......」
「こんなところに誰が来るんですか、
 先生の小説じゃあるまいし。
 伊集院隼人が突然現れたりはしませんよ?」

 せっかく私が励ましの言葉をかけてあげたのに、彼ったら、それをバッサリ切り捨てた。
 今の彼は、みすぼらしいサラリーマンのような感じ。いつもは素敵に見えるスーツ姿も、ここでは、場違いな雰囲気だけが目立っている。
 私みたいに、山歩きに適したスポーティーな恰好で来ればよかったのに。

(もう......)

 私たちが座っている岩は、人工的に並べられたものではない。しょせん自然の産物なので、岩と岩との距離は、けっこう離れている。
 だから、ポンと優しく肩を叩くには、グーッと腕をのばす必要があるんだけど。
 でも、そこまでする気はなく、むしろ......。

「......って、
 なんで私があなたを慰めないといけないわけ?
 普通、逆でしょ!?」
「ああ、先生っ!
 逆ギレは勘弁してください!!」

 立ち上がって歩み寄る私に向かって、彼がバタバタと手を振る。
 それから、パタッとその動きを止めて。
 慌ててような表情も捨て去って。
 彼は、ニッコリ笑ったの。

「......でも先生。
 怒る元気があるくらいなら、
 もう休憩も十分ですね。
 さあ、歩きましょう!」
「えっ?
 だけど、どっちへ......」
「えーっと......さっき
 山頂らしきマークがありましたよね?
 ここが頂上近辺ということは......。
 とにかく低い方へ低い方へと進めば、
 そのうち麓へ着くんじゃないですか?」
「そ、そうね......」

 彼の言ってることは、かなりの暴論に思えた。 
 でも、私は時々、彼の笑顔に逆らえなくなってしまう。
 うまくコントロールされてるなあって考えると少し複雑だけど、これでいいのかもしれないとも思う。
 彼にノセられて良い小説が書けるなら、それはどっちにとっても幸せなこと。
 私は小説家で、彼は私を担当する編集者なのだから。

(なんだか......不思議な人だわ)

 彼と並んで、再び山道を進みながら。
 私は、ふと、彼との出会いを回想してみる......。


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「新しく安奈先生の担当を
 させていただくことになりました、
 福原(ふくはら)秀介(しゅうすけ)です。
 よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」

 初対面は、いつもの別荘。
 新作の構想を練っていたところに、彼が挨拶に訪れたのだった。

(ふーん。
 今度は若い人なのね......)

 まだ大学を出て一、二年といった感じかな。
 でも既に、スーツやネクタイがまるで普段着であるかのように馴染んでいた。

「これ、つまらないものですが」
「わざわざどーも」

 普通ならば菓子折りか何かを持ってくるだろうに、彼が持参したのは、全然別の物。
 もっともっと小さな包み。
 私、なんだろうって顔をしていたみたい。私を見て、彼は微笑んでいる。

「どうぞ、この場で開けてみてください」

 促されるままに開封すると......。

「眼鏡......!?」
「そうです。
 形は今までと完全に同じ、
 だから大丈夫です。
 やっぱり『安奈みな』先生と言えば、
 あの眼鏡がチャームポイントですからね」

 会ったばかりの異性から『あの眼鏡がチャームポイント』だなんて言われて、私は不快感を覚えるべきだったのかもしれない。
 でも、そうじゃなかった。
 これは他意のない言葉で、しかも御世辞じゃないんだ。なぜか私は、そう感じてしまったの。

「......あら、軽い!?」
「そうでしょう。
 外観は全く変わらず、でも
 材質が新しいから軽いんです」

 彼は、なんだか満足そうな表情。

「せっかくプレゼントするんだから
 実用的なものがいいし、
 ずっと使えるものがいいでしょう?」

 それが彼の言葉だったのに。
 だけど『ずっと身につけてるものがいいでしょう?』と言われたような気がして。
 私はコクリと頷いた。


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 あれから三年。
 私と彼とは、だんだん親しくなっていった。
 それほど年が離れていなかったことも、原因なんだろう。
 単なる仕事の上での付き合いというよりも、むしろ友人のような感覚で、私は接していたの。
 一番、心を許せる相手。
 高校卒業後、私は女子大に進学したけど、大学の友人と遊ぶより、彼と話をしている時の方がリラックスできた。
 あまり彼は自分のことを話さないんだけど、でも、私の話はよく聞いてくれた。
 だから......。

「取材旅行......!?」
「ええ。
 新作のアイデアに困っているというなら、
 一週間くらい旅に出るのはどうでしょう?」

 彼と二人で、取材旅行。
 その提案に、私は一も二もなく頷いた。

「......で、どこへ?」
「うーん。
 アイデアのネタを探す旅ですからね。
 具体的に目的地を決めるより、
 ぶらり旅の方がいいんじゃないでしょうか」

 と言いながら、地図を広げる彼。
 どうやら、大ざっぱな地域だけは決めてあるみたい。
 彼が想定している行き先は......。

「山陽山陰地方!?」
「ええ!
 ミステリー小説のネタなら、
 きっと瀬戸内海の島々や
 その近くの山村に転がってるはず。
 ......昔から、そうと決まっています!」

 誇らしげな彼だけど、私は、ついジトッとした視線を向けてしまう。

「福原クン......
 古い探偵小説の読み過ぎじゃない?
 どんな小説を私に書かせたいのよ......」
「大丈夫!
 先生なら、きっと同じようなネタでも
 全く別の小説にアレンジできます!
 なにしろ、先生の妄想力は世界一ィィ!!」
「こら、妄想って言うな!
 『想像力』とか『空想力』って言ってよ!」

 彼をポカリと叩いてしまう私。
 以前に私は、『聖美女神宮寺シリーズ』発想のキッカケを彼に話したことがある。あのシリーズは、除霊事件に偶然巻きこまれて、そこで知り合ったゴーストスイーパーたちを元に想像を膨らませた産物。
 それこそ事件の最中にもリアルタイムで色々空想したんだけど、それを彼は『想像』や『空想』じゃなく『妄想』だと言って、私をからかうの。

「......まあ、それはともかく。
 別に私、特にこだわりの場所もないから、
 旅行プランは、福原クンに全部任せるわ」

 と言ってウインクした私に、彼は、ちょっとふざけたような口調で返す。

「はい、おまかせください」

 それが、今から三日前の出来事だった。


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 そして、今日。
 八時ちょうどの新幹線で、東京から旅立って。
 途中で、二度、三度、乗りかえて。
 私たち二人は、この山の近くの駅に降り立ったの。
 
「......ずいぶんと
 へんぴなところみたいだわ」
「まあ、ローカル線の終点ですからね」

 グルリと見渡しても、緑ばかり。
 まさに田舎の中の田舎。
 
「......のどかなところね」

 旅行プランは彼に一任だったから、途中の乗り換えも、彼の言うのに従っただけ。
 まるでハッキリした目的地があるかのような感じもしたけど、これは、あくまでも『ぶらり旅』。適当に進んだ結果、終点まで来ちゃっただけだった。
 だから、宿の手配も何もしていないらしい。
 普通なら、今晩の宿泊先を心配するべきなのかもしれないけれど。
 
「これじゃ......
 ネタになりそうなものも、ないかしら?」

 と、新作のアイデアのことしか頭にない私。
 そんな私に、笑顔の彼が声をかけてくる。

「大丈夫ですよ、先生。
 きっと何かありますよ。
 例えば......これなんかどうです?」

 彼が指さしているのは、駅の案内板。
 近辺の名所旧跡として記されている『蝙蝠神社』という言葉だった。


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 それから少しの後。

「先生......ホントに
 こっちから行くんですか?」
「そうよ!
 だって、普通に行っても
 つまんないじゃない?」

 私たちは、東側登山道の入り口に立っていた。
 蝙蝠神社(こうもりじんじゃ)というのは、この山の中腹にあるらしい。
 ただし、こちら側ではなく反対側。グルリと山を迂回して西側から上るのが順当だろうけど、それじゃ面白くない。
 だから私は、山越えルートを提案したの。

「まあ、いいでしょう。
 その方がアイデアが湧くというなら......」
「それじゃ決まりね。
 ......さあ、行きましょう!」
「ああっ、先生!
 腕を引っぱらないでくださいよ。
 ちゃんとついていきますから」

 そして二人で山道をグングン進み。
 道が分岐するたびに、

「左の道がメインのようですね」
「じゃ、右へ行きましょう」
「......え?」
「その方が面白そうでしょ!」

 ......なんてことをした結果。
 現在の状況に陥ったわけ。


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「先生......先生?
 ボーッとしちゃって......
 お得意の妄想中ですか?
 小説に使えそうなアイデア、
 湧いてきましたか?」

 福原クンに呼びかけられて、ハッと現実に戻る私。
 反射的に、彼を叩いてしまう。

「妄想じゃなくて回想してたの!」
「似たようなもんじゃないですか......」

 つぶやきながら、彼が頭をさする。
 いつもより強く叩いちゃったかなと心配したけれど、それも一瞬。
 私の関心は、周囲の様子へと移っていた。

「......あれ?」
「今頃気付いたんですか。
 先生が考え事に没頭している間に......」

 いつのまにか、環境がガラリと変わっていたのだ。
 さっきまでは、右を見ても左を見ても、高い木々が立ち並ぶばかり。まさに森の中だった。
 でも、今では、そうした木々もなくなって。
 右手側には露出した岩肌、左手側は開けた視界。
 山の下に広がる景色――民家や田畑など――が、よく見えるようになっていた。
 それに道幅も広くなったし、一応、ここは車道みたい。
 でも、

「......状況は変わっているんですよ」

 と言う彼の表情は、決して明るくはない。
 彼は視線を上に向けている。
 つられて私も見上げると、そこにあるのは、雲に覆われた灰色の空。
 しかも。

 ポツッ......ポツッ......。

 ちょうど雨が降ってきた。


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 雨は、すぐにザーザー降りに変わったけれど、

「先生!
 あそこで休めそうですよ」

 彼が、すぐに雨宿りの場所を見つけてくれた。
 それは、岩肌の一部が抉られたところ。
 洞窟とか横穴というほど奥行きはないけれど、二人で身を寄せ合えば、雨を凌ぐくらいは出来そう。
 そして、そこに駆け込んでホッと一息ついたところで。

 パサッ。

「えっ」
「先生......。
 その恰好じゃ寒いでしょう?」

 ノースリーブじゃないけど、私の袖は、かなり短かい。
 心配した彼が、自分の上着を脱いで、私にかけてくれたのだ。
 
(もうっ!
 寒さを凌ぐなら、
 いっそ二人で抱き合って......)

 ヘンな妄想をしそうになったけど、ダメダメ、これはダメ。
 おタンビな空想じゃないと、私の小説には使えない。
 それに、彼を妄想のネタにするのは罪悪感がある。
 だって......私たちは、そーゆー関係じゃないんだから。

「先生......あれは何でしょう?」

 声をかけられて、ビクッとする私。
 考えていた内容が内容だっただけに、ちょっと顔を赤くしていたかもしれない。
 でも、きっと彼は気付かなかっただろう。
 彼は山麓の方向に目を向けていたし、それに、雨が降り出してから、辺りは暗くなっていたのだから。

「あら。
 なんだか知らないけど......
 雨がやんだら、行ってみましょうか」
「神社はどうするんです?」
「もちろん、そっちも行くわよ」

 彼と同じものを見ながら、そんな言葉を返す私。
 私たちの視線の先にあるのは、少し離れたところを流れている川。
 川のきわに切り立った崖があって、その崖の上に大きな建築物がある。
 暗いせいで何だかハッキリしないけど、それが、いっそう私たちの関心を煽っていた。

「雨が小降りになって
 見晴らしが回復したら
 ......実は、意外に
 つまらないものかもしれませんね。
 どうせ通り雨だろうから、
 もうすぐ......」

 という彼の言葉を嘲笑うかのように。
 雨は激しさを増し、そして。

 ピカッ!

 稲妻が光った。

「きゃあっ!」
「大丈夫ですか?」

 思わず彼に抱きついてしまう私。
 彼はシッカリ受け止めてくれたけれど、私は、その彼の表情を見逃してしまった。
 だって、私の視線は、あの崖の上の建物に向けられたままだったの。

(まるで......)

 雷で、辺りが明るくなったから。
 一瞬だけだったけれど、ハッキリ見えた。
 それは、大きな屋敷。
 円筒形の部分や尖った屋根など、どこか西洋チックな巨館。
 高さ自体はそれほどでもないけど、とにかく左右が広くて。
 人によっては、城や砦を思い浮かべるかもしれない。
 でも、私は違った。

(......翼を広げた鳥のようだわ。
 だけど可愛い小鳥でもないし、
 勇ましい猛禽でもなくて......)

 雷を背景にしたせいなんだろう。
 とても不気味な感じがして。
 私の頭に浮かんだ単語は......。
 
(......漆黒のコウモリ!)

 雷光が通り過ぎて、また細部が闇に紛れてしまっても。
 しばらく私は、その方向を見続けていた。


(第二章に続く)

             
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安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第二章

「やみませんねえ、雨......」
「大丈夫よ。
 そのうち車が通りかかるかもしれないし......」

 私たち二人は、まだ岩肌のくぼみで雨宿りをしていた。
 私のバッグの中には折りたたみ傘が入っているし、福原クンも傘は持ってきていると思う。
 でも、道が正しいのかどうかすらわからない状況で、雨の中を歩き続ける気はしなかったの。

「先生......
 さっきも似たようなこと言ってましたね。
 まあ確かに、さっきと違って
 ここなら自動車も通るかもしれませんけど......」
「でしょ?
 車が来たら乗せてもらいましょうよ」
「いや、でも山の中ですからね。
 『通るかもしれない』とは言っても......。
 漫画じゃあるまいし、
 そんなにタイミング良くは......」

 と、彼が返したタイミングで。

「あ!」

 私の目に留まったもの。
 それは、こちらに向かって進む車のライトだった。




    第二章 美女と蝙蝠
    ―― Beauty and the Bat ―― 




「ありがとうございます」

 私たちが乗り込んだのは、三列シートのワゴン車。
 真ん中の列が空いていたので、そこに二人で並んで座る。

「......蝙蝠神社へ向かう途中、
 山道に迷ってしまいまして。
 その上、雨まで降ってきて......」

 と、彼が事情を説明している間に、私は同乗者を観察した。
 まず、前列の二人。
 運転席の男は、どうやら目付きが悪いようだが、それを隠したいのだろうか。
 帽子を深々とかぶっていた。ドラマの私服刑事みたいな、ハンチング帽だ。

(あれじゃ......
 視界が狭くて危ないんじゃない?)

 そう思いながら、その隣に視線を移動。
 こちらは、ふっくら丸みを帯びた顔立ちの男。体型も同様だが、デブというほどではなかった。
 そして、二人とも『小森旅館』と書かれた羽織を着ている。
 そういえば、車の側面にもそんな文字が記されていた。これは旅館の送迎ワゴンなのだろう。

(じゃあ、後ろの二人は
 今晩の宿泊客かしら......?)

 後列のシートを振り返る私。
 私と同じくらいの年頃の男女が、仲良さそうに、手をつないで座っている。
 男は、顎が小さめなので、逆三角形の顔立ちだ。さらに目が大きいために、ちょっと蟷螂のような感じがした。
 女の顔も、男ほど極端じゃないけれど、でも顎は小ぶりだし目は大きめだ。

(似ている二人......。
 兄妹なのかしら?
 だけど......)

 二人の手の握り方が気になった。彼らの指の絡め方は、恋人同士のそれなのだ。

(もしかして......禁断の関係!?
 血がつながった二人なのに、
 お互いの気持ちには逆らえなくて......)

 そんな妄想を始めた私に、二人が声をかけてきた。

「こんにちは。
 私は、田奈(だな)樹理(じゅり)
「僕は、穂楠(ほくす)(しげる)です。
 樹理とは、大学のサークルで......
 『超常現象研究会』で知り合って......」

 なーんだ。
 二人は兄妹ではなく、ただの普通の恋人らしい。
 ちょっと興味をなくしてしまう私。

「僕たちは......」

 二人とも就職が内定したのだとか。
 これは内定祝いの旅行なのだとか。
 ただし就職する会社は別々で勤務地も離れているので、卒業後は遠距離恋愛になるのだとか。
 色々語っているようだけど、私は、聞き流していた。 
 それでも、二人の言葉が途切れたのには気が付いて。
 私も自己紹介しなきゃと思ったんだけど、

「あ、私は......」
「......ストップ!」

 それを樹理ちゃんに止められてしまった。
 二人してニヤッと顔を見合わせてから、彼らは再び私に話しかける。

「言われなくてもわかってます。
 ......安奈みら先生でしょ!?
「一目でわかりましたよ。
 『聖美女神宮寺シリーズ』は、
 僕たちも大好きですから!」

 目を輝かせる二人は、止まらなかった。
 
「『聖美女神宮寺シリーズ』の......
 あの魔女と魔物の戦いって、
 みら先生の経験談に基づいてるんですって?」
「ここに来たのも心霊現象の取材ですか?」
「やっぱり......対象は『蝙蝠屋敷』なの?」
「『蝙蝠屋敷』の幽霊が新作のネタですか?」

 ちょっと面白そうな話になってきたけど。
 二人の勢いが勢いだったので、私は、ちょっと引いてしまっていた。

「......こうもりやしき?」

 小声で聞き返す私を見て、二人が言葉を止める。
 でも、沈黙は長くは続かなかった。

「あれ、知らないんですか。
 僕たちが泊まる旅館の別名ですよ」
「じゃあ私が説明してあげる!
 だけど『蝙蝠屋敷』を知るためには、
 まずは、この地に伝わる
 『白こうもり様』の伝説から......」

 この土地の人間じゃないはずなのに。
 樹理ちゃんが、我が物顔に語り始める......。


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 昔々。
 この辺り一帯に、多くの蝙蝠が飛び回っていた頃。
 普通の黒っぽい蝙蝠のほかに、時々、真っ白な蝙蝠が見られることがあった。
 人々は、それを神様の化身だと信じ、『白こうもり様』と呼んで、崇め奉っていた。

 ある年の夏。
 激しい台風に見舞われ、川が氾濫。田畑は大きな被害を受けた。
 その傷も癒えぬうちに、今度は、突然の大地震。山の一部が崩壊して、麓の民家が土に埋もれた。
 それ以降、小さな地震も頻繁に起こり始める。

「これは......大地の怒りか!?」
「白こうもり様が、お怒りだべ!」

 神様の機嫌を損ねてしまった。そう考えた村人達は、貢ぎ物をすることで許しを得ようとする。

「でも......何を献上したらいいさ?」
「おお、そうだ!
 白こうもり様のお気に入りは......」

 村人たちが目撃する白い蝙蝠は、しばしば、若い女性の周囲を飛んでいた。
 だから、この神様は実はスケベだという暗黙の了解があった。
 そこで、村一番の器量の娘が『貢ぎ物』に決定。ある夜、彼女は神社へ向かったのだが......。

「やってらんないわ、もう!」

 三日三晩待っても、神様なんて現れない。それを理由に、娘は勝手に戻ってきてしまったのだ!
 だが、これが神の怒りに火を注いだらしい。翌日、村は再び地震に襲われた。

「お許し下さい、白こうもり様!」

 その夜、村人たちは、新しい娘を差し出した。
 今度の娘は、最初の娘よりも穏やかな性格だ。それでも逃走を恐れて、村人たちは神社の本殿の外で一晩見張りをするのだった。
 そして翌朝。水と食料を差し入れがてら、村人が中を覗いたところ......。

「いないぞ!」
「うわっ! また逃げられたんか!?」
「いやいや、早まるな。
 これは......」

 娘の姿は忽然と消え、そこには、娘の着物だけが残されていた。
 脱ぎ散らかしたかのように乱れた着物には、ポツリと一滴、赤い血のシミがついていたという。

「......おそらく、白こうもり様が!!」

 娘が本当に食べられてしまったのか、あるいは別の意味で食べられてしまったのか。
 それは定かではないが、以後、地震はピタリと止んだ。
 村人たちは、娘を献上という策が成功したと信じた。
 だから、一年後に再び地震が発生した時。
 新たなイケニエが選出されたのだった。


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 それから数年後。

「嫌です!
 だって......私......」

 神への『貢ぎ物』は、毎年の恒例行事となっていた。
 今年選び出されたのは、幼なじみと祝言をあげることが決まり、幸せの絶頂にあった少女である。

「だども......」
「条件にあう娘も
 減ってしまってな......」

 神に捧げられる条件、それは生娘であること。
 最初の年に最初の娘が三日間無視されたことから、村人たちは、そう判断していた。
 だが、これが村の風紀を悪くしていたのだ。
 生娘のままでは貢ぎ物にされるという理由で、若くして純潔を捨てる者が増えていたのである。

「......わかりました」

 どのような強引な説得が行われたのか。
 それは伝承には残っていないが、ともかくも、娘は泣く泣く神社へ向かった。
 しかし......。


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「あいつは......
 あいつは絶対にオラが守る!」

 娘の幼なじみは、諦めていなかった。
 彼は、『貢ぎ物』一行のあとをコッソリつけていく。
 本殿の扉の前で番をする村人からも隠れて、裏側に回った彼は、壁の木板の隙間から中を覗き込んだ。

(......居た!)

 彼の愛しいひとは、純白の着物に包まれて、無言で正座していた。
 下を向いているために、その表情は見えない。
 そのまま、時間だけが過ぎていく。
 そして、半時ほど経った頃。

『おまえが今年の娘か......』

 娘の前に現れたのは、一人の青年。
 黒地に赤い霞模様の入った着物を召しており、立ち振る舞いにも気品があった。
 だが、

『我は神なり。
 この地を治める神なり。
 ......おまえの身と引き換えに
 また一年、村を災いから守ってやろう』

 『青年』のセリフは、胡散臭さ満点。
 逃げ出したくなる娘だったが、なぜか、体の自由が利かなくなっていた。
 見えない何かに押さえつけられて、その場に寝かされてしまう。
 手足を大きく『大』の字に広げた恰好だ。
 その無抵抗な娘に、『青年』が迫った時。

「待て!」

 娘の幼なじみが、壁板を割って、中に飛び込んだ!


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「この......バケモノめ!」

 彼の目には、それは『青年』として映ってはいなかった。
 人間ですらない。巨大な蝙蝠だ。
 血のように赤い全身が、黒い陽炎に覆われていた。

「おまえなぞ......神ではない!」

 愛する女を守るため、竹槍を構えて突進する。
 だが、緋蝙蝠を貫くことはできなかった。
 蝙蝠を取り巻く陽炎が、その身を保護していたのだ。
 男は、逆に弾き飛ばされてしまう。

『クックック......。
 人間の分際で我に歯向かうとは、
 身の程知らずも甚だしいわ!』

 壁に叩き付けられて、大きな衝撃を受けた男。
 しかし、痛みを感じている暇はない。
 歯を食いしばって立ち上がり、蝙蝠を睨みつける。
 ......と、その時。

 ボコッ。

 小さな音と共に、小さな赤塊が、蝙蝠の脇腹から剥がれ落ちた。
 蝙蝠の地肌の色は赤ではなかったようで、その部分だけ黒く見えている。

(......そこか!?)

 直感で。
 彼は、その一点目がけて、竹槍を投げつけた。


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『ぎゃあーッ!』

 その槍には、男の強靭な想いがこめられていたのだろうか。
 刺し貫かれた蝙蝠は、断末魔の悲鳴と共に消滅した。
 抱き合って喜ぶ男と女の目の前で、床がボウッと輝き始める。
 そこから、白い蝙蝠が浮かび上がってきた。

『勇敢な若者よ。
 汝が緋蝙蝠を退治してくれたおかげで、
 我は解き放たれた。
 ......感謝する!』

 本物の白こうもり様だ。
 ひれ伏す男女に向かって、白こうもり様が語る。

 かつては緋蝙蝠も白かった。しかし神界で罪を犯し、一族から追放された時から、黒き存在となった。
 そして魔界で邪悪な力を得た緋蝙蝠は、力を増やすために、この地にやって来たのだ。
 緋蝙蝠の力の源は、人間の怨念。
 恨みつらみに満ちた生き血を浴びることで、その邪力も増大する。
 そのための恰好の餌が、人間の乙女だったのだ。

『ついに我を封印するほど、
 あやつは力を増してしまった。
 人の怨念を鎧とするが故、
 無敵かとも思ったのだが......。
 その源泉となる血塊を失えば
 案外もろいものだったようじゃな』

 白こうもり様は、冷静に弱点を見抜いた男を褒め讃える。
 男も「なんとなくだったんですけど」と異を唱えたりはしない。

『我が復活した以上、
 この村は再び平和になるであろう。
 ......約束する!』

 さらに、

『勇敢な若者よ。
 できれば汝を我が一族に
 迎え入れたいところだが......』

 と言われて、ドキッとする男。
 神族に昇仙するのは嬉しい気もするが、蝙蝠になるのは、なんか嫌だ。

『......我が一存では不可能なこと。
 せめて、汝に「蝙蝠」の姓を与えよう。
 これを以て、緋蝙蝠退治の褒美とする......』

 そう言って、白こうもり様は消えていった。


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「......そして二人は幸せに暮らしました。
 めだたしめでたし。
 ......というのが『白こうもり様』伝説なのよ」

 ようやく樹理ちゃんの長話が終わったみたい。
 いや、最初に『まずは』って言っていたから、これは序章のようなもの。
 メインは、まだまだ。
 続きを聞きたいような気もするけど、ちょっと聞き疲れたような気もする。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか。
 樹理ちゃんは、先を続けようとしていた。

「でも、神様の名前をもらうのは
 畏れ多いと思ったらしいの。
 彼らは『こうもり』と名乗る代わりに、
 『こもり』と名乗ることに決めて......」
「はいはい。
 その『こもり』の子孫......つまり
 私が経営する旅館が、見えてきましたよ。
 続きは、また後にしませんか?」

 樹理ちゃんの話を遮ったのは、助手席の男。
 今まで後ろを向いていた私は、ハッと前方を見る。
 その私の耳元で、福原クンが囁いた。

「......先生。
 先生が二人の相手をしてくれてる間に、
 旅館の御主人と話をつけておきました。
 ......僕たちも『小森旅館』に
 泊まることになりましたよ。
 御主人の話によると、
 空き部屋はたくさんあるし、
 僕たちと後ろの二人以外、
 現在の宿泊客は、若い夫婦が一組だけ。
 しかも、今後一週間の予約もない。
 だから気が向いたら何日でも
 泊まって下さいと言われまして......」

 さらに彼は、

「今泊まっている若夫婦というのは、
 ゴーストスイーパーらしいですよ?
 『聖美女神宮寺シリーズ』のように、
 また小説のネタになるのでは......」

 と続けたが、私は、ちゃんと聞いていなかった。

(ああ、やっぱり......)

 私の意識は、見えてきた建物に向けられていたから。
 蝙蝠屋敷とも呼ばれる、小森旅館。
 それは、山で休んでいる時に目撃した、あの建物......漆黒のコウモリをイメージさせる建物だったの。


(第三章に続く)

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安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第三章

「さあ、着きましたよ」

 門をくぐって、さらに少し進んで。
 車は、建物――『蝙蝠屋敷』こと小森旅館――の前に横づけされた。
 小森氏の言葉に促され、私と福原クンが車から降りる。
 樹理ちゃんと茂クンも、私たちに続く。

「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ。
 ......あら?」

 私たちを出迎えるのは、二人の女性。
 二人とも同じような着物だが、手前の女性――三十歳くらい――は、気品に満ちていた。おそらく、この旅館の女将さんなのだろう。

「浩介(こうすけ)さん、お客様のご予約は
 二人の予定だったのでは......?」
「そうだね、涼子(りょうこ)
 でも、もう一組増えたんだ。
 こちらは......」

 やっぱり女将さんらしい。
 小森氏と親しげに言葉を交わしている。
 そして、二人が話をしている間に。
 後ろの女の人――たぶん女中さん――が、旅館の中へ駆け込んでいた。
 でも、

(......ん?)

 と私が思う間もなく、彼女は戻ってくる。
 見た目は五十歳か六十歳くらいのに、女中さんの動きは若々しい。まるで忍者かと言うくらい、機敏な行動。

(ああ、そうか......)

 女中さんは、鍵を二つ手にしていた。
 突然増えた客、つまり私と福原クンの部屋用なのだろう。

「では......」
「どうぞ、こちらへ」

 女将さんと女中さんの言葉に誘導されて。
 私たちは、蝙蝠屋敷に足を踏み入れる......。




    第三章 出会いの宵
    ―― Some Encountered Evening ―― 




「先生、ここって......
 なんだか旅館っぽくないですね」
「そうね。
 むしろ......金持ちのお屋敷みたいな感じ」

 福原クンの言葉に同意する私。
 私たちは、入ってすぐの大広間を進んでいた。
 シャンデリアが燦々と煌めく天井。
 ステンドグラスの高窓。
 西洋風にペイントされた壁には、一族のものらしい肖像画がかけられている。
 良く言えば戦前の貴族の豪邸というイメージだけれど、全体的に、成金趣味な感じ。
 落ち着いた柄のカーペットが、逆に浮いた感じがするくらいだった。

「おや、あれは何でしょう?」

 福原クンの言葉を聞きとめて、視線の向きを彼と同じにする私。
 彼が見ていたのは、壁の肖像画。
 
「......あら。
 一人だけ雰囲気違うわね」

 その一角に飾られているのは、古いものらしい。
 和装の人々ばかりの中で、一枚だけ、赤いチャイナドレスの女性が描かれていた。
 顔立ちは日本人だけれど、日本人離れしたナイスボディ。
 そして髪も、日本には珍しい、燃えるような赤毛。後ろ髪が長いだけでなく、前髪も目にかぶさるくらい。
 
(これは......何か、
 いわくありげだわ!)

 妄想を始めそうになった私だけれど、

「先生。
 まずは部屋へ行って、一休みしましょう」

 と、福原クンに言われたから。
 足を止めることはしなかった。


___________


「福原様と安奈様は、こちらへ」

 大広間の奥にあった大階段を三階まで上ったところで。
 私たちは、二つのグループに分けられた。
 翼を広げた蝙蝠をイメージしたように(第一章参照)、この建物は、横に長く延びている。
 私と福原クンの部屋は、その左翼にあたる部分にあり、樹理ちゃんと茂クンの部屋は右翼らしい。
 
「それじゃ、また後で!」

 軽く手を振って、樹理ちゃんたちが歩き去る。
 彼らを案内するのは、ワゴン車を運転していた男。ここの使用人で、薮韮(やぶにら)(みのる)という名前だそうだ。
 一方、私たちを先導するのは、身軽な動きの女中さん。名前は甲賀(こうが)シノ(しの)。今は、私たちにあわせたスピードで歩いている。

「大食堂は一階にございます。
 また、大浴場も一階です。
 皆様の御部屋にも浴室はありますので、
 そちらを利用して下さっても結構です。
 なお、御部屋の鍵を紛失した場合には、
 合鍵を管理している小部屋がありますので、
 そちらまでお越し下さい。
 ......それも一階にあります、
 大食堂の東隣です」

 廊下を進みながら、説明をする彼女。
 私も福原クンも、余計な口を挟まずに、黙ってついていく。

(ちゃんと覚えておかないと......
 この屋敷の中でも迷子になっちゃいそう!)

 長い長い廊下。
 その両側には、同じような扉が、ズラリと並んでいるのだ。
 突き当たりも見えているが、そこに至るまでは、右側へ曲がる通路が一つあるだけ。
 
(とりあえず、まずは直進ね......)

 シノさんは、横道など存在すらしないかのように、まっすぐ歩いていく。

「福原様の御部屋は306号室、
 安奈様は305号室です。
 この突き当たりを左に曲がり、
 道なりに進んだところにあります。
 もし分からなくなったら、
 扉に書かれた部屋番号を頼ってください」

 彼女の言葉どおり、番号の刻み込まれた金属プレートが、全ての扉についているようだ。
 現在地は、左を向くと334号室、右が349号室。
 それが331号室と346号室になったところで、廊下はT字路となる。
 さきほどの説明のように、そこで左に曲がる私たち。

(あれ......?)

 角を曲がった途端に、廊下の雰囲気が変わった。
 今度の右側の壁には、ところどころに窓がある。屋敷の端なのだろう
 でも、左の壁には何もない。部屋があるはずだけれど、この向きに扉はなく、従って、目印となるような部屋番号も一切記されていなかった。
 しかし、
 
(......ああ、これなら大丈夫そうね)
 
 一部屋か二部屋分進んだだけで、廊下は一方的に左へと曲がっていたのだ。
 道なりに進むということで、その角も左折する。
 すると再び、長い長い一直線の廊下。

(三階へ上がったばかりの部分と
 良く似ているけれど......)

 やはり両側にドアが並んで、部屋番号もある。
 しかし、廊下の長さが違うのだ。
 左翼から右翼まで一気につながっているようで、反対端も見えないくらい。

「......こちらです」

 いつのまにか、シノさんは、部屋の前に立っていた。
 曲がり角から五番目と六番目の部屋。
 それが、私と福原クンにあてがわれた客室だった。


___________


「ふう」

 柔らかなソファーに埋もれる私。

「ここって......元々は
 旅館じゃなかったんだろうな」

 部屋は、無駄に広かった。
 樹理ちゃんの語った『伝説』から想像すると、小森家は、この地方の名士のはず。
 この小森旅館は、昔は、彼らの豪邸で。
 でも空いてる部屋を遊ばせておくのも勿体ないからって、誰かの代で旅館経営なんて始めちゃって。
 そう想像すると、何となく納得できる。
 この部屋も、私室として使われていたうちの一つなんだろう。
 ソファーも、テーブルも、ベッドも。
 特別豪華なわけじゃく、ごくごくフツーなんだけど。
 でも、一階の大広間より、遥かに趣味が良い気がした。

「いいひとの部屋だったのね」

 そんなことを考えていたら。

 ゾクッ。

 突然、寒気がし始めた。

「まあ、無理もないかな」

 身軽な服装だったとはいえ、あれだけ山中を歩き回ったのだ。女のコだって、汗をかく。
 その上、最後に雨に打たれたのだから......。

「このままじゃ、風邪ひいちゃうわ!」

 ガバッと立ち上がる私。
 シャワーでも浴びようと思って。
 備え付けの浴室の扉に手をかけたところで、ふと気が変わる。

「そうだ、お風呂へ行こう!」

 一階に大浴場があるという話を思い出したのだ。
 まだまだ夕飯には早いから、ゆっくり浸かれそう。
 もしかしたら旅館の人々も使うのかもしれないけれど、でも今は夕方の忙しい時間帯。大浴場は、混んでないはず。

「昔のアニメのセリフじゃないけど
 ......風呂は命の洗濯だもんね」

 と言いながら、荷物からお風呂セットを取り出して。
 私は、部屋を出た。


___________


「......先客がいるのね」

 女湯と書かれた暖簾をくぐると、そこは脱衣場。
 右手側に、明らかに宿泊客よりも多い数の籠と棚が用意されている。その一つは、使用中だった。
 一方、左側にあるのは、大きなガラス戸。浴室との区切りだ。
 湯気で曇っていて、その向こうは見えないけれど。

 ザバーン。

 聞こえてきたのは、誰かが湯を使う音。

「樹理ちゃんかしら。
 それとも......もう一組の宿泊客?」

 福原クンの言葉を思い出す。
 きちんと聞いてなかったけれど、若い夫婦が泊まっているという話は、かろうじて意識に残っていた。

「ま、いいか。
 どっちにせよ......
 女同士の裸の付き合いね!」

 そう思いながら、私も服を脱ぎ始める。
 そして。
 下着姿――眼鏡とブラとショーツとソックスという恰好――になったところで。

 ガラッ!

 浴室のガラス戸が開けられた。


___________


 従業員が利用する時間帯ではないから。
 今まで泊まっていたのは自分たちだけだったから。
 誰かいるなんて、思ってもみなかったのだろう。
 彼女は、タオルで前を隠したりはしてなくて。

「あ......」

 私は、彼女の全てを見てしまった。
 スラリとして、それでいて出るところは適度に出ている裸体。
 女の私でも惚れ惚れするような、ヌード姿。
 お風呂の湯気を背景にして、幻想的な雰囲気すら漂わせている。

「あなたは......」

 でも、私が驚いたのは、その美しさ故ではない。
 彼女の肉体ではなく、顔に見覚えがあったのだ。
 そして、彼女も私のことを忘れていなかった。
 私の言葉を待たずに、彼女が口を開く。

「お久しぶりですね。
 ......安奈みら先生!」
「えーっと......」

 なまじ小説のモデルにしてしまったせいか、彼女の本当の名前が思い出せない。
 それを察したようで、苦笑しながら彼女が名乗る。

「おキヌです!
 氷室キヌ......というのは旧姓で。
 結婚したから、今では、
 横島キヌになりました」


(第四章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第四章

「そっか......。
 おキヌちゃん、結婚したんだ」

 ひとり湯船に浸かりながら。
 たっぷりのお湯の中、思いっきり手足を伸ばして。
 私は、たった今の出会いに思いを馳せる。

「ちょっとビックリしたな......」

 前に会ったときは、私も彼女も高校生だった。
 たしか彼女は、私と同じか、あるいは少し年下のはず。
 若くして結婚するようなタイプには見えなかったんだけど。

「結婚......か」

 私の小説の中では、彼女をモデルとした巫女少女は、主人公と、おタンビな関係。
 でも、現実の彼女は。
 幸せで堅実な人生を歩んでいるのだろう。

「あれ?
 神宮寺令子のモデルとなった女性......。
 彼女とは、どうなったんだろう?」

 突然、その疑問が湧いてきた。

「あの人のこと......
 何も言ってなかったわね?」

 おキヌちゃんとの再会は、嬉しい偶然だったけど。
 私が服を脱ぎながら、彼女が着ながらだったので、あまり多くは語れなかった。
 それでも彼女は、結婚相手のことを簡単に説明してくれた。
 彼女の旦那さまは、あの除霊仕事に同行していた男。
 ムード壊れるから見なかったことにして、意識から閉め出していたけれど、確かに彼女たちは三人組だった。
 その『三人組』のうち二人が結婚したとなると......。

「三人の人間関係も......
 変わってしまったのかしら?」

 心地良いお湯に包まれているはずなのに。
 なんだか私は、リラックスできなかった。




    第四章 小森旅館の怪人
    ―― The Phantom of the Inn ―― 




(これじゃ......
 この旅館、流行らないわけだわ)

 夕食の席で、そんなことを思ってしまう私。
 ただし、料理の味自体が悪いわけではない。
 実際、私の向かい側では、

「んー。
 ここのメシは旨いなあ。
 まるで......
 おキヌちゃんの手料理みたいだ」
「もうっ、横島さんたら......。
 毎日毎日そんなこと言うの、
 恥ずかしいからやめてください」

 という会話も繰り広げられている。
 まあ、それはそれで、料理を褒めてるのかノロケているのか、わからないけれど。

(食事っていうのは、雰囲気も大切なのよね)

 私は、あらためて、その場の面々を見渡してみた。
 長いダイニングテーブルの片隅に座る、十人の男女。
 そのうち六人が宿泊客。つまり、私と福原クン、樹理ちゃんと茂クン、おキヌちゃんとその旦那さまの横島さん。
 そして、残りの四人は、この旅館の人々だ。
 ただし、女中のシノさんや使用人の薮韮さんはおらず、小森家の人々のみ。

(まずは......女将さんと御主人さん)

 たしか名前は、涼子さんと浩介さん。
 この二人には御客をもてなそうという気持ちもあるようで、時おり私たちに世間話を振ってくる。
 だが、他の二人は違う。

(こっちが......利江(としえ)さん)

 女将さんたちの正面に座っているのは、五十歳くらいの女性。
 団子っ鼻で、眉毛が濃いのが特徴的だ。
 シノさんからは『大奥様』、女将さんからは『お母さま』、御主人さんからは『おばさん』と呼ばれていた。
 女将さんとは似ていないけれど、女将さんの実の母親らしい。
 ついでに、御主人さんの叔母にあたる人らしい。
 ......という情報は、さっき福原クンが耳打ちしてくれた。

(そして......)

 利江さんは黙々と食事するだけで、今のところ特に害はない。
 問題は、テーブルの一番端の人物だ。

(......この人が、ここの一番エラい人!)

 それは、黒衣で身をかためた老女。
 おちょぼ口で、鼻は高くて、目は大きくて。
 若い頃は美人だったのかもしれないけど、今では頬の肉がゴッソリ落ちてしまい、目の周りもくぼんでいた。
 着ているものとも相まって、魔女のような感じがする。  
 小森家の人々から『御前様(ごぜんさま)』と呼ばれる彼女。名前は志寿加(しずか)
 ......と、これも福原クンが教えてくれた。

(小森家の人々と一緒ってだけでも
 旅館っぽくないのに......)

 この『しずか御前』――私の中ではそう呼ぶことに決めた――が、私たちをギョロリと睨むのだ。
 おしゃべりが盛り上がりそうになる度に嫌な顔をするので、どうやら、静かなディナーというのが彼女のテーブルマナーなのだろう。
 なんだか、礼儀作法にうるさい金持ちの夕食会に招かれたような気分。

(この旅館......流行らないわけだわ)

 カボチャの冷製スープに口をつけながら。
 私は、心の中で、もう一度つぶやいた。


___________


「蝙蝠屋敷の悪霊伝説......?」
「ええ。
 夕食前に聞かされましてね」

 食事の後。
 福原クンが私の部屋に来て、教えてくれた。
 私はサッサとお風呂に行ってしまったけれど、あの後、女中のシノさんが呼びにきたらしい。
 食事の用意ができるまでの暇つぶしにということで、大広間に集められて。
 茂クンや樹理ちゃんと一緒に、しずか御前から長話を聞かされたそうだ。

(ああ、なるほど。
 その時に、しずか御前とか
 利江さんの名前を知ったわけね)

 と、納得する私。

「先生も興味あると思って、
 録音しておきましたよ」

 福原クンが取り出したのは、ボイスレコーダー。
 もちろん、飛行機のソレじゃなくて、小型の携帯用のやつ。
 私たちの旅は、一応、取材旅行。だから私も福原クンも、それぞれボイスレコーダーを持っているの。私はノートにメモする方が好きだから、あんまり使ってないんだけど。

「......では、僕は風呂へ行きますので」

 それを置いて、福原クンは、私の部屋から出ていった。


___________


 一人残された私。

「......録音じゃなくて、
 福原クンの口から聞きたかったな」

 なぜか、そんな言葉が口から漏れる。
 伝聞による情報の劣化を防ぐという意味では、彼の行動は正しいはずなのに。

「そうよね......」 

 軽く頭を横に振ってから。

 カチッ。

 私は、ボイスレコーダーの再生スイッチを押す。

「あ。
 また、この話だ」

 最初の部分は、樹理ちゃんに聞かされたのと全く同じだった。
 この地方の『白こうもり様』伝説(第二章参照)。
 でも、それが終わって。
 ようやく、初めて聞く話が始まる............。


___________
 
___________


 昭和の時代に入っても、小森家は、この地方で一番の有力者だった。
 中央政府の役人とも良好な関係で、政治の派閥争いがあっても、その間を巧みに渡り歩く。

「さすが、小森様は『こうもり様』だ」

 村人たちは、そう噂する。
 この時代になると、蝙蝠のイメージも大きく変わっていた。
 もともと日本の古い文化には中国渡来の名残があり、それで蝙蝠も長寿や幸運の象徴だったのだが、西洋文明の影響が強くなってからは『鳥でも動物でもない、どっちつかずの生き物』となっていたのだ。
 村人の言葉に揶揄が含まれていることは理解しつつも、それでも、小森家は繁栄していく。
 特に当時の御前様は有能だった。世界的な不況の波に日本も飲み込まれる中、彼は、それを逆手に取って財産をいっそう大きくしていた。
 しかし、辣腕で通した彼も、年と共に奇行が目立つようになっていく。
 その一つが、『蝙蝠屋敷』の建築であった。

「そんな大きな御屋敷、
 私たちには必要ないでしょう!?」
「いや......必要だ。
 我が一族の力を示威するために!」

 家族の反対にも耳を傾けず、蝙蝠屋敷は完成する。
 この屋敷は、一族の力のシンボル。そう納得した家族だったが、御前様の真の目的は、別にあった。

「再婚......!?」
「そうだ。
 新しい屋敷に相応しい、
 新しい妻を娶るのだ」

 若くして妻に先立たれ、その後、独り身を通してきた御前様。
 彼の突然の再婚宣言は、一族を驚かせた。
 しかも、その相手として彼が連れてきたのは、二十代半ばの女性。彼の息子たちよりも若い女だったのだ。


___________


 今度も家族は猛反対するが、御前様は聞き入れない。
 こうして、その女性――緋山(ひやま)ゆう子(ゆうこ)――は、小森家の一員となった。
 もちろん、小森家の人々は彼女に冷たかった。そればかりか、村人たちも同じ態度を示す。

「小森さまの家の財産が目当てだろう」
「女ギツネめ、いつか尻尾を出すに違いない」

 緋山ゆう子は、真っ赤な長髪の持ち主だった。
 スタイルも日本人離れしており、今で言うところのナイスボディ。
 和服を着ることはなく、当時の村人の目には奇異に映るような、そんな洋装が多かったという。
 そして、一番のお気に入りは、洋服ではなくチャイナドレス。髪の色と同じ深紅のチャイナドレスだった。
 しかし、彼女が緋色を好むことは、彼女にとって大きな不運となる。

「もしかすると、女ギツネどころか......」
「......緋蝙蝠の化身なんじゃないか!?」

 そうした噂が発生するまで、たいして時間はかからなかったのだ。


___________


 それから半年後。
 緋山ゆう子は、姦通事件を引き起こした。
 相手は、御前様の子供の一人、つまり彼女にとっては義理の息子にあたる人物。
 さすがの御前様も腹を立てた。
 普通ならば、緋山ゆう子は、これで蝙蝠屋敷から追放されるはずだったのだが......。

 御前様が決定を下す前に、彼女は彼に襲いかかり、彼を刺し殺してしまう。
 しかも、御前様だけでは終わらなかった。
 緋山ゆう子は、蝙蝠屋敷の住民全てを殺して回ったのだ。
 小森家の人々だけでなく、召し使いまでも。

 惨劇の後。
 屋敷へ足を踏み入れた村人たちが目にしたのは、一面に広がる血の海。
 床の色は、ゆう子の髪やチャイナドレスのように、深紅に染まっていたという。


___________


 しかし、これだけの事件を引き起こしながら、緋山ゆう子は、憲兵の手に落ちることはなかった。
 彼女は、逃亡に成功したのである。
 まるで最初から存在すらしなかったかのように、忽然と姿を消したのだった。
 そして、村人の間に、新たな噂が生まれる。

「やはり緋山ゆう子は
 緋蝙蝠だったんじゃないか」
「魔物だからこそ
 自由自在に姿を消せるんじゃないか」

 しかも、噂を加速させる方向に、状況は推移していく......。


___________


 一家惨殺事件で屋敷の者は皆殺しにされてしまったが、これで小森家が断絶したわけではなかった。
 孫娘の一人である志寿加が、当時、屋敷にいなかったからである。
 彼女は、書生の羽臼(はうす)(まなぶ)を付き添いとして旅行に出かけており、おかげで、難を逃れたのだった。
 悲劇の屋敷に戻った志寿加は、羽臼学と結婚する。
 二人が新しい小森家の祖となり、これで昔の栄光も蘇ると思われたのだが......。

「あの御屋敷には......
 亡霊が取り憑いているぞ!」

 人知れず逃亡したはずの緋山ゆう子が、蝙蝠屋敷で目撃されるようになったのである。
 それも、一度や二度ではない。
 ある時は、かつての彼女の自室で、窓からボーッと外を眺める姿が。
 またある時は、屋敷の庭にある倉の近くで、スーッと消えていく姿が。
 何度も報告されたのだ。
 その結果、

「やっぱり緋山ゆう子は
 ......緋蝙蝠だったんだ!!」
「小森さまの人々を殺して......」
「......死んだ彼らの
 恨みつらみを餌としてるんだ!」

 村の伝説と重ね合わせた解釈が、人々の間に根付いていく。


___________


「もしかしたら
 緋山ゆう子は逃亡したのではなく、
 蝙蝠屋敷に隠れ住んでいるのかもしれない」

 そう考える者もいた。
 だから、大掛かりな捜索も、何度か行われた。
 しかし、痕跡は何も見つからなかった。

「緋山ゆう子が亡霊なのだとしても。
 屋敷に残された霊魂を
 食しているのだとしても。
 ......それらを除霊してしまえばいい」

 そう考える者もいた。
 だから、有名なゴーストスイーパーを雇うことも、何度か行われた。
 しかし、幽霊などいないと報告された。

「除霊師など......あてにならん!」

 村人たちは、ゴーストスイーパーの報告を信じなかった。
 緋山ゆう子目撃談が、延々と続いたからだ。
 その頻度こそ減ったものの、何年経っても何十年経っても、彼女は現れるのだ。
 その姿は、いつも、赤いチャイナドレスの若い女性。

「人間ではないから......」
「......永遠に年をとらないんだ!」

 しかも、彼女の姿が目撃されるのと前後して、屋敷の誰かが亡くなってしまうのだ。
 病気や事故など、それ相応の死因はあるのだが......。

「呪いだ!」
「緋山ゆう子の呪いだ!」

 こうして。
 緋山ゆう子の亡霊が現れるたびに。
 ひとつ、またひとつ。
 蝙蝠屋敷に、不幸が訪れる......。


___________
 
___________


『ここが呪われた屋敷だというなら
 ......なんで、ここに住み続けてるの?』

 ボイスレコーダーから聞こえてくる声が変わった。
 話が終わったと判断して、樹理ちゃんが質問をしたらしい。
 だぶん、しずか御前にギョロリと睨まれたんだろうな。
 
『うっ......』

 という小さな声が録音されていた。
 続いて、しずか御前が返答する。

『屋敷を出ることは、
 緋山ゆう子に屈することになるじゃろう。
 ......それはできん!
 邪悪に打ち勝つ強い心意気だけが、
 緋山ゆう子の呪いをはね返すことになるのじゃ』

 ここで、悪役のような不気味な笑い声。
 そして再び、しずか御前の語りだ。

『......気をつけなされ。
 この屋敷に足を踏み入れた以上、
 おぬしらも呪われておる。
 今回の標的は、おぬしらかもしれんぞ?』
『今回の標的......?』

 おおっ。
 果敢にも口を挟んだのは、福原クンだ。

『そうじゃ。
 三日前に......緋山ゆう子は
 久しぶりに姿を現したからの。
 ......昔と全く変わらず、
 あの絵と全く同じ姿で』

 ここで、録音は終わっていた。

(ああ、そうか......)

 たぶん、しずか御前は最後に、壁の肖像画(第三章参照)を指さしたのだろう。
 ズラリと並んだ中、一枚だけ異質な雰囲気を漂わせていた絵。
 赤いチャイナドレスの女。

(......あれが、ウワサの緋山ゆう子なのね)

 納得して、ベッドに入る私。
 でも、これは、寝る直前に考えるべき内容ではなかったようだ。
 その夜、私の夢の中に『緋山ゆう子』が出てきた。

 彼女の亡霊は絵の中に棲んでいて。
 人々が寝静まった深夜。
 肖像画から抜け出して、宿泊客を襲う......というおはなし。
 妄想豊かな私らしくもない、B級ホラーのような、陳腐なストーリーだった。


(第五章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第五章

「ここですね、先生」
「......あら、小さいのね」

 一夜明けて。
 昨夕の雷雨が嘘のような快晴の下。
 私たちは、蝙蝠神社に来ていた。
 ただし、福原クンと二人きりではなくて。

「なーんだ、中には入れないんだ」
「そりゃあそうだろ、樹理」

 樹理ちゃんと茂クンも一緒。
 私たち四人は、薮韮さんが運転する車で大鳥居の前まで送ってもらって、そこから歩いて、ここに辿り着いていたの。

「......どうしたんですか、先生?」
「なんでもないわ、福原クン。
 ただ......」

 私たちは、今、本殿の前に立っている。

「......ここが『伝説』の舞台なのよね?」

 この辺りに伝わる、白こうもり様の伝説(第二章参照)。
 それは昨日ワゴン車の中で樹理ちゃんに教えてもらったし、しずか御前のスピーチ録音にも同じ話が含まれていた。
 さらに、この神社の境内にも、同じ伝承を記した案内板があった。

「そうそう!
 神様のフリした悪い緋蝙蝠を......」
「村の若者が討伐して、
 幼なじみを救い出す!」
「そして二人は結ばれる......」
「......愛と冒険の物語!」

 樹理ちゃんと茂クンがキャッキャと騒いでいるが、私は、あまり聞いていなかった。
 二人とは違う視点で、私は私なりの想像をしていたから。

(最後の女のコは助かったとしても......
 他のコたちは、食べられちゃったのよね)

 あの伝説が事実だとすると。
 目の前の、この建物の中で。
 多くの娘たちの純潔と命とが、散らされたことになるのだ。

(......うげっ。
 全然おタンビじゃないわね)

 たぶん苦い表情をしていたんだろうな。
 福原クンが、私の肩をポンと叩く。

「さ、行きましょう、先生。
 小説のネタにならない妄想なんて
 百害あって一利なしですからね」




    第五章 イン・ザ・ルーム
    ―― In the Room ―― 




「安奈先生は、
 横島さんたちとも知り合いなんですよね?」
「そうそう!
 みら先生から、その話も聞きたかったのよ!」

 神社からの帰り道。
 茂クンと樹理ちゃんが、新しい話題を振ってきた。
 
「......うん」

 行きは車だったけど、帰りは徒歩。
 ちょっと距離はあるけれど、午後のピクニックだと思えば大丈夫。
 話をする時間もタップリある。
 おキヌちゃんと知り合った一件、少し詳しく語ってもいいかなと考えたんだけど。

「先生。
 小説のネタもとですから......
 あまり説明しない方がいいですよ?
 そういう点を曖昧にしておくのも、
 『作家』としては大切ですから」

 二人とは反対側から、福原クンが耳打ちしてくる。
 軽く頷く私。

「おキヌちゃんたち、
 仕事の途中で道に迷ったらしくて。
 私が使ってる貸別荘に
 立ち寄ったことがあったの」

 と、出会いの場面にポイントを絞って、それで終わらせた。
 
「そっか......いいなあ。
 有名人は有名人と
 偶然知り合っちゃうんだなあ」

 羨ましそうな樹理ちゃん。
 でも、そのセリフは、私には不思議だった。

「え?
 ......有名人?」
「あれ、安奈先生、知らなかったんですか?
 横島さんたちって、
 あの有名な『美神除霊事務所』のメンバーですよ!」

 茂クンが、興奮気味に語り出す。
 日本が誇るゴーストスイーパー、美神令子。
 伝説の魔物とも何度も渡り合ってきたと言われる彼女であるが、実際には、彼女一人で戦ってきたわけではない。有能な助手二人と共に、三人組で活躍してきたのだ。

「......後に事務所メンバーも増えて、
 全部で五人で戦うようになりました。
 一説によると、
 最近のテレビの特撮番組でも
 GSの活躍を参考にしているそうで。
 集団ヒーローが三人組から始まって、
 途中から二人増えて五人になるというのも、
 美神除霊事務所をモデルにしているとか......。
 それにリーダーのシンボルカラーが赤なのも、
 美神令子さんの赤毛が由来で......」
「はいはい。
 それは茂クンの勝手な考察でしょ。
 『一説によると』なんて言い方、ずるいわよ」

 茂クンの熱弁に割って入る樹理ちゃん。
 彼は、少しトーンを落として。

「ま、でも。
 彼らが凄い面々だというのは、
 オカルト好きには有名な話ですよ?
 ......あのアシュタロスの事件でも、
 一番大きな貢献をしたって噂ですから」

 と、続けた。
 今度は、樹理ちゃんも否定しない。
 
(知らなかった......)

 私は、ちょっとビックリ。
 そりゃあ、私も、彼らを小説のモデルにしたけれど。
 でも、そこまで超一流だとは思わなかったのだ。
 なにしろ、彼らの除霊って少年ギャグ漫画みたいなやり方だったし。

「......へえ」

 隣で、福原クンも驚いている。
 きっと『アシュタロスの事件』という言葉が、インパクトあったのだろう。
 悪魔が核原潜をジャックして、世界中に脅しをかけたという事件。
 一人の人間を連れて来いという要求だったそうだけど、情報規制だかプライバシー保護だかで、ニュースでは名前のところが『ピーッ』になっていたっけ。

「せっかくの機会だから、
 色々お話したいんですが......」
「食事の席では、
 それも無理っぽいし。
 今日は今日で、
 二人で出かけちゃったし」

 二人揃って、溜め息をつく茂クンと樹理ちゃん。
 
(そうね......。
 私もおキヌちゃんには
 いっぱい聞きたいことがあるな)

 と、私が考えていると。

「特に、ここには
 緋山ゆう子の亡霊の噂もあるから。
 ぜひぜひ専門家の意見を聞いてみたい!」
「......そうか。
 まだ樹理は諦めていないのか」
「当然!
 だって、茂クンも
 昨日の話は聞いたでしょ?
 GSが『霊はいない』って保証してるって。
 ......これこそ、冤罪の一例なんだわ!」
「いやいや、樹理。
 それは......」

 二人が、何やら口論を始めた。
 蝙蝠屋敷に亡霊が出るという話(第四章参照)、それに関して意見が一致していないらしい。
 ちょっと心惹かれて、私は仲裁に入る。

「......樹理ちゃんは、
 緋山ゆう子の一件、信じてないの?
 樹理ちゃんと茂クンはオカルト好きだから、
 こういうの信じるタイプだと思ってたんだけど......」

 樹理ちゃんが、ブルンブルンと首を振る。

「......たしかに二人とも
 超常現象は好きだわ。
 でも......好きだからこそ、
 茂クンは信じていて、
 私は信じていないの」


___________


「この世の中には、
 幽霊や妖怪が存在する。
 ......それを疑う人は
 現代にはいないだろうし、
 私も、そこに疑問は感じてないわ」

 今度は、樹理ちゃんが熱く語る番だった。

「そして幽霊や妖怪が
 人間に悪さをすることも知ってる。
 だからGSなんて人々がいることも理解している。
 でも......」

 彼女の表情が、少し厳しくなる。

「いわゆる『霊障』と呼ばれる事件の中に、
 本当は『霊障』じゃないものも、
 含まれてるんじゃないか。
 ......私は、そう思うの!」

 なるほど。
 それで樹理ちゃんは『冤罪』という言葉を使ったわけか。

(トリックね......)

 私も作家だから、昔の探偵小説とか外国の推理小説とかも、けっこう読んでる。
 悪霊や魔物が犯人だと思える状況――普通の人間には不可能な犯罪――だが『実は犯人は普通の人間でした』というのは、よくあるパターンだ。
 そういう小説では、犯人が、ややこしいトリックを駆使している。
 『なんでワザワザそんなトリックを使うんだ』とか、『悪霊や魔物がやったと考える方が素直だ』とか、そういうツッコミを入れてはいけない御約束で成り立つ小説だ。

(......それが実際にも起こってる。
 樹理ちゃんは、そう思ってるのね)

 一応、推理小説では、現実でも遂行可能なトリックが描かれている。
 だから、現実の『霊障』の中に、そうしたトリックで作られた『偽の霊障』があるというのは、可能性としては否定できないのだ。

「ちょっと説明つかないからって
 何でも『霊障』扱いしちゃうのって......。
 私は許せないわ、そんなの濡れ衣よ!
 幽霊や妖怪は
 悪いひとばかりじゃなくて、
 悪魔にだって友情はあると思うの」

 はいはい。
 樹理ちゃんの主張は、よーくわかりました。
 でも、何かスイッチが入ってしまったようで。
 彼女は、彼女なりの『オカルトへの愛』を延々語っている。
 その隣で。

「こうなったら樹理は、
 しばらく止まりませんから」

 肩をすくめた茂クンが、ポツリとつぶやいていた。


___________


「......だからね。
 私は、この謎を解いてみせようと思うの!」

 小森旅館が見えてきた辺りで。
 樹理ちゃんの無限ループは、ようやく終わりとなった。

「『謎』......か」

 ああっ、福原クン!
 せっかく彼女が話をまとめたのだから、刺激するようなことを言ってはダメ!
 そう思ったけれど、少し遅かったみたい。

「そうよ!
 だって......蝙蝠屋敷には
 悪霊なんていないとGSは報告してる。
 でも、それらしき存在が目撃されてる。
 ......これは大きな謎でしょう!?」

 しゃべり疲れた素振りも見せず。
 樹理ちゃんの独壇場が再開した。

「私が思うに......。
 実は緋山ゆう子は、
 逃げてなんていなかったのよ」


___________


 緋山ゆう子は逃亡したのではなく、蝙蝠屋敷に隠れ住んでいるのかもしれない。
 その考え方は、昨日の『緋山ゆう子亡霊伝説』の中でも既出。
 特に目新しいわけではない。
 しかも、大掛かりな捜索でも痕跡なしということで、否定もされているのだ。

「でもね。
 それは、家捜ししたのが
 遅かったからだと思うの」

 樹理ちゃんの新説によれば。
 蝙蝠屋敷には隠し部屋があって、事件の後、緋山ゆう子はそこに隠れていた。
 しかし、食料の調達とか気分転換とかで、時々、外に出ることもあったのだろう。
 その姿を、村の人々や屋敷の人々に見られたのだ。
 
「......えーっと。
 それって......どこが新説?」

 ついツッコミを入れてしまう私。
 そんな私に向かって、彼女はチッチッチと指を振る。

「ポイントは、ここからよ。
 ......彼女は最初は屋敷にいたけど、
 家捜しの前に逃げ出したのよ!」

 うーん。
 それは強引な推理だと思う。
 樹理ちゃんの考えならば、『大掛かりな捜索でも痕跡なし』という部分は説明できるけれど、肝心の部分がスルーされてる。
 指摘しようかどうか迷ったけど。
 福原クンも同じ疑問を抱いたようで。

「だけど......。
 その後も彼女の姿は
 目撃されているはず......」

 うんうん、そこなのだ。
 結局、いつまでも目撃されているからこそ――しかも若い姿のままだからこそ――、緋山ゆう子は魔物扱いされているわけで。
 でも樹理ちゃんは、再びチッチッチと指を振る。

「それは単純な『思い込み』よ。
 彼女がいると思うから、
 別のものでも見間違えてしまうの。
 ......『幽霊の正体見たり枯れ尾花』ってね」


___________


「いつも緋山ゆう子の亡霊は、
 赤いチャイナドレス姿なわけでしょ?
 なんか幽霊っぽくない服装だと思ったけど、
 この『赤い』って点が重要だったのよ」

 ニヤッと笑う樹理ちゃん。
 彼女は、前方を指さす。

「......ほら!」

 この時、既に私たちは門をくぐり抜け、小森旅館の敷地内に入っていた。
 だから前を向けば、見えてくるのは旅館の建物。
 蝙蝠屋敷とも呼ばれるそれは、夕陽の赤に彩られていて。

「ああ......なるほど」
「そ。
 そういうこと!」

 私のつぶやきに、樹理ちゃんが嬉しそうに反応する。
 一方、わからないといった表情を見せる男たち二人。

「かつての自室に出るという緋山ゆう子。
 それって実際は......
 部屋の中の家具か何かが、
 沈む夕陽に照らされて赤く見えただけ。
 ......樹理ちゃんは、そう言いたいのね?」

 私の補足に、彼女が頷く。
 赤く染まった窓ガラス越しだから、いつもは赤くない物が赤く見えてしまって。
 それを『緋山ゆう子のチャイナドレス』だと思ってしまったのだろう。
 でも。

「いや、先生。
 そんな単純な話じゃなさそうですよ」

 実は、口にした私自身、少しシックリ来ない感じがしていた樹理ちゃん説。
 それを、福原クンが否定する。
 彼は、屋敷の四階を指し示したのだ。

(......えっ!?)

 心の中だけで、大きく叫んでしまう私。
 『ビックリして声も出ない』という言葉があるけど、本当なのね。
 今、私の視線の先にあるのは、四階の一室。
 私や福原クンの部屋の真上じゃなくて、もっと中央寄り。
 円筒形に突出した部分にある部屋。
 他の部屋ほど赤らんでいないガラス窓越しに。
 赤いチャイナドレスの人影があった。

(まさしく......あの肖像画の人!)

 最初は、窓の近くに立っていて。
 それから、クルッと背中を向けて、部屋の奥へと消えていく。
 細かいところまで見える距離ではなかったけれど。
 体つきも身のこなしも、老人のものとは思えなくて。

「あれが......緋山ゆう子なのですね」

 囁くような福原クンの声に、私は、無言で頷くのだった。


(第六章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第六章

「僕たちも見ましたよ」

 その日の夕食の席にて。
 意地悪な微笑みを浮かべて、茂クンが、そう切り出した。

(なにも......ワザワザ今
 言う必要もないだろうに......)

 ただでさえ雰囲気の良くない食事が、ますます悪くなるんだろうな。
 チラッと隣を見ると、福原クンも私と同じ表情をしている。
 樹理ちゃんは、あえて無視しているかのようで。
 一方、横島さんとおキヌちゃんの顔には、軽い好奇心。
 そして、小森家の人々は。
 しずか御前がギョロリと睨んで。
 利江さんが黙って食事を続けて。

「......何をです?」

 御主人と女将さんが、茂クンに対応する。
 天気の話でもするかのような、穏やかな表情。でも、それも、答えを聞かされるまでだった。

「緋山ゆう子の亡霊です」

 ハッとする小森家の人々。
 心配そうな女将さんの肩に、御主人が優しく手を回し。

 カタンッ!

「失礼......」

 利江さんは、フォークを取り落とし。

「どこで......!?
 どんな姿で......!?」

 しずか御前が、身を乗り出す。
 茂クンが状況を説明すると、彼女は、満足そうに頷いた。

「あの部屋か......
 それは緋山ゆう子の部屋じゃ。
 しかも......その姿、
 緋山ゆう子に間違いないな」

 遠くを見つめる、しずか御前。
 方向としては......大広間の肖像画コーナーだ。
 もちろん、ここからでは見えるわけないのに。
 それでも彼女は、冷たく笑っている。
 
(もしかして......。
 壁の向こう側が見えてる気分なのかな?
 仇敵の絵をワザワザ飾っているのも、
 こうやってイチイチ確認するためかしら?)

 考えてみると、彼女が笑うのを見るのは、これが初めてだった。




    第六章 マイ・フェア・ベイビィ
    ―― My Fair Baby ―― 




 夕食の後。
 私は大浴場へと向かう。
 今日もたくさん歩いたけれど、食事前は時間がなくて、部屋でシャワーを浴びただけ。
 だから、これからお風呂で、ゆっくり疲れを癒すつもり。
 そう思って、女湯の暖簾をくぐると。

「あら、みら先生!」

 そこにおキヌちゃんがいた。
 でも、昨日とは違って。

「おキヌちゃんも......これから?」
「そうですよ。
 えへへ......」

 今日は入れ違いじゃなくて、一緒に入れるみたい。
 服も、これから脱ぐところだ。
 私は、ニヤッと笑う。

「じゃ......
 背中の流しっことか、
 体の洗いっことか、
 ......色々と出来るわね!」
「えっ?
 みら先生......それは
 ちょっと恥ずかしいですぅ」

 苦笑するおキヌちゃん。
 スカートのホックを外しながら、

「美神さんとも、
 そんなことしてないのに......」

 とつぶやく。
 それを私は聞き逃さなかった。

「美神さんって......
 あの時のゴーストスイーパーよね?」
「そうです。
 でも......
 みら先生の小説じゃないですから、
 あやしい関係だったりしませんよ?」

 私だって、わかっている。
 現実の美神さんは、不死身の魔女なんかじゃなくて。
 現実のおキヌちゃんは、その寵愛を受ける巫女なんかじゃなくて。
 ただのGSと、その助手。
 まあ、昼間の樹理ちゃん茂クンの話によれば、『ただの』どころか『超一流の』GSらしいけど。
 そんなことを私が考えていたら。
 おキヌちゃんが、ふと、脱衣の手を止めていた。

(やっぱり......おキヌちゃんって
 女の私から見てもキレイよね。
 それとも......これが人妻の魅力かしら?)

 まだ、スカートを脱いだだけ。
 でも、柔らかなフトモモからスラリとのびた脚は、あらわになっていて。
 その恰好のまま、何か考え込んでいるようだ。
 私の視線にも気付かず、独り言のようにつぶやく。

「美神さんと同じベッドで
 年を越したのだって一度しかないし......」

 えっ!?
 年越し同衾!?

「横島さんのお別れ会で
 酔いつぶれた後も、同じベッドで
 添い寝してくれましたけど......」

 記憶の糸を辿るおキヌちゃん。
 そんな彼女を、私は、目を丸くして見ていた。

(やっぱり......二人は
 本当に、そーゆー関係だったの!?)

 私の妄想の中で。
 二人の美女が肢体を絡め合う。
 ......だけど。

「一緒に寝たのって、
 それくらいですから。
 ......あっ、それに『寝た』って言っても
 イヤラシイ意味じゃないですから!
 ヘンな想像......しないで下さいね?」

 という声が、私を現実に引き戻した。
 いつのまにか、おキヌちゃんは、こっちを向いている。
 ちょっと顔が赤いのは、『私の想像』を想像したのだろう。

「......まあ、
 妄想されるのは慣れてますけど」

 そう小さくつぶやいて。
 再び、服を脱ぎ始めるおキヌちゃん。
 彼女は、ブラウスのボタンに指をかけていた。


___________


「ところで......みら先生って
 お風呂の中でも
 眼鏡かけたままなんですね」

 私たちは今、裸のお付き合い。
 湯船の中で、二人で並んで。
 たわいない話をしている。

「うん」

 すぐに湯気で曇っちゃうけど、それは拭けばいいし。
 眼鏡がなくて視界がぼやけるよりは、こっちの方がいい。

「そんなに目が悪いんですか?」
「そうじゃないけど。
 ......いつ頃からかな?」

 眼鏡着用で入浴するようになった時期。
 考えてみると、この眼鏡を使い始めた頃だ。

「あ!
 みら先生、もしかして......」

 私の説明を聞いて、ニヤニヤし始めるおキヌちゃん。
 
「......その眼鏡、
 大切な人からの贈り物なんでしょう?」
「いっ!?」
「うふふ。
 その慌てぶり......
 図星なんですね!?」

 違うのに〜〜。
 これは福原クンから貰った物なのに〜〜。

「ほら、やっぱり!」

 そう言って。
 おキヌちゃんは、満足そうに微笑んだ。


___________


 パシャッ。

「きゃっ!?」

 おキヌちゃんの空想に水を差すかのように。
 私は、お風呂のお湯をすくって、彼女にかけていた。

「もうっ。
 私と福原クンは、
 そーゆー関係じゃないのに......」

 彼と私は、たしかに仲良しだと思う。
 でも、二人の間に甘い空気は全く存在していないの。

「みら先生、それって......。
 まさか福原さんって、
 女の人に興味がなくて、
 男が好きだとか!?」

 おキヌちゃん、それは想像が飛躍しすぎ。
 福原クンは、性的にはノーマルなはず。
 大学時代にはカノジョがいたこともあったそうだし。
 
「......それじゃ、みら先生。
 まだチャンスあるじゃないですか!」

 違うんだなあ、それが。
 むしろ、逆。
 過去に女のコと付き合ったことがあるからこそ、もう女のコと付き合いたくないらしい。
 福原クンは、もう恋愛はコリゴリって言ってた。
 相手云々じゃなくて、恋愛をしている時の、自分自身を嫌いなんだとか。

「......って、おキヌちゃん!
 『まだチャンスある』って、どーゆー意味!?」
「『どーゆー意味』って。
 それは、もちろん......。
 ......きゃっ!?」

 つっこむべきポイントに気付いた私は、再び、おキヌちゃんにお湯をかけた。


___________


 しばらく二人でパシャパシャ遊んだ後。

「だけど......いい雰囲気に見えるんだけどなあ」

 と、おキヌちゃん。
 独り言のような口調だけれど、私に聞こえるのはわかっているはず。

「まるで......昔の私と横島さんみたい」
「え?」

 おキヌちゃんは、私の方を向いて。

「友達以上恋人未満......。
 私と横島さんも、そんな感じでした。
 一晩二人で同じコタツで過ごしても、
 なーんにも起こらなかったくらい」

 昔の思い出を語るおキヌちゃん。
 恋人になるより前のエピソードだけど、それでも幸せそうだ。
 彼女の話を聞きながら。

(やっぱり......違う......)

 私は、福原クンのことを考える......。


___________


 彼は、とっても聞き上手。
 つまらない話でも、楽しそうに聞いてくれる。
 だから、話をしている時は、私も幸せ。
 だけど、その後で。
 心の中に、ビル風が吹く。

(一方通行だな......)

 今の大学のことも、高校時代のことも、小さい頃のことも。
 私は、なんでもしゃべってしまう。
 でも彼は、自分のことを語らない。
 大学時代の恋愛のことも、『だから独り身を貫きたい』と宣言するために、語ってくれただけ。
 子供時代のエピソードとして、フクシューというあだ名だったこと――『ふくはらしゅうすけ』という名前に加えて、小学校の先生から「授業の復習を頑張ってる」と褒められたのがキッカケらしい――も教えてくれたけど。
 そんな小さな話が印象に残ったのは、逆に言えば、話の数が少なかった証。

(......なんだか、壁を感じちゃうのよね)

 男と女は、別々の生き物。
 だから壁があるのも仕方がない。
 そう自分を納得させてきたんだけど。


___________


「......でね。
 そのとき、横島さんは......」

 おキヌちゃんの話は続いている。
 それを聞いていると、よくわかる。
 おキヌちゃんたち二人の間には、私が想定していたような『性別の壁』は全くなかった。

(これが......ホントの『仲良し』なのね)
 
 しかも、しゃべっている彼女自身は気付いてないけれど。
 ところどころに、恋愛に発展しそうなポイントが出てきていた。
 恋愛経験のない私でも気付いちゃうくらい。
 そして、それがわかるからこそ。
 
「うわあ!
 おキヌちゃんの話、
 聞いてるだけで幸せになってきちゃう」
「えへへ......」
「でも『ごちそうさま』なんて言わないわよ。
 だって女のコだもん、
 甘いものなら、いくらでもいけちゃうから!」

 私は、自分自身のことを頭から追い出して。
 おキヌちゃんの話題へと、完全にシフトさせた。


___________


「......で。
 美神さんもシロちゃんもタマモちゃんも、
 私たちが付き合い始めたのを
 知ってて知らないフリしてくれて......」

 おキヌちゃんの話には、『美神さん』の他にも、私の知らない名前が出てきた。
 シロ。犬みたいな名前だと思ったら、まさにそのとおり。人狼の少女なんだって。
 タマモ。伝説の玉藻前と関係あるのかと思ったら、まさにそのとおり。九尾の狐なんだって。

「......そのまま
 続くかと思ったんですけど。
 二年くらい前に......
 私の結婚が決まった頃から、
 少しずつ空気も変わっちゃいました」

 おキヌちゃんが語るエピソードは、断片的だったけれど。
 つなぎ合わせれば、一つの事実が明らかとなった。
 それは、横島さん――おキヌちゃんの旦那さま――が結構モテていたということ。
 どうやら美神さんまで、横島さんに気があったようだ。
 ただし、横島さん本人は知らなかったのだとか。

(それじゃ......やっぱり
 三人の関係も......悪化!?)

 と、私が心配したとおり。

「美神さんの事務所からも
 独立することになって......」

 一家のあるじが、いつまでも丁稚奉公じゃダメ。
 これを機に、自分たちの事務所を構えたらどうか。
 美神さんの方から、そう提案してきたのだそうだ。
 しかも、結婚の祝儀ということで、独立の事務手続きだけでなく経済的にも助けてくれたらしい。
 
「でも、本当に単なる『お祝い』だったのどうか。
 美神さんの本心は、誰にもわかりません。
 ......素直じゃないとこ、ありますから。
 美神さん自身も、
 自分の気持ち、わからなかったかも......」

 おキヌちゃんの言葉が、尻すぼみになっていく。

「それじゃおキヌちゃんたち、
 もう美神さんのところにいないの?」
「ええ。
 横島さんと二人で、
 小さな除霊事務所を構えています」

 好きな人と結婚して。
 二人で新しい除霊事務所を作って。
 順風満帆な人生のように聞こえるけれど。
 おキヌちゃんの笑顔は、どこか悲しげだった。


___________


 結婚というのは、人生の一大転機だ。
 結婚がキッカケで周囲の友人関係が変わることだって有り得る。
 ましてや、おキヌちゃんのような環境ならば、なおさらだろう。
 それくらい、彼女にだってわかっていたはず。
 
「ねえ......おキヌちゃん」

 少しの沈黙の後。
 私は、ワザと無邪気な口調で質問する。

「プロポーズの言葉って、
 どんな感じだった?
 ......ごめん、さすがに
 これを聞いちゃうのは
 プライベート過ぎるかな?」

 おキヌちゃんは、首をゆっくりと横に振った。

「プロポーズの言葉なんてありません。
 私たち......できちゃった結婚なんです」

 ああ、そうか。
 納得してしまう私。
 若くして結婚したのには、それ相応の理由があったわけだ。

「......真剣なお付き合いでしたから、
 そんなことがなくても、いずれは
 結婚していたと思います。
 でも、もしも私が妊娠したりしなければ、
 今頃まだ、普通の恋人関係だったでしょうね」
「うわー、そーなんだあ。
 おキヌちゃんの子供なら、
 きっと可愛いんだろうな!
 ......女のコ?
 それとも男のコ?」

 私は、明るい作り笑顔で尋ねたんだけど。
 おキヌちゃんは、再び首を横に振ったの。

「女のコ......が、生まれるはずでした」

 それは、全く予想していなかった言葉。
 
「私たち、子供ができたから
 結婚したんですけど......。
 でも、その子供は生まれてこなかったんです」


(第七章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第七章

「私たち、子供ができたから
 結婚したんですけど......。
 でも、その子供は生まれてこなかったんです」

 心地良いお風呂の中。
 おキヌちゃんは、ポツリポツリと語っていく。

「もともと私は、江戸時代の生まれで......」

 三百年間、山の中で幽霊をしていたこと。
 その間、肉体は氷の中で保存されていたこと。
 横島さんや美神さんのおかげで、無事に生き返ったこと。
 だけど......。

「漫画やSFじゃないんですから
 冷凍保存なんて無理だったんですね。
 ......しかも江戸時代の技術ですから。
 完全に健康な体だと思っていたけど、
 そうじゃなくて......」

 体内の臓器の、小さなトラブル。
 生まれながらのものか、氷づけの間に出来たものか、定かではないけれど。
 子宮に微細な傷がついていて、彼女は、子供を産めない体となっていたのだ。

「......でも、
 それがわかったのは流産の後でした」

 産まれるはずだった娘。
 『蛍』という名前まで決まっていた娘。

「そして......」

 おキヌちゃんと横島さんは、『娘の誕生日になるはずだった時期に、毎年一週間ほど休みをとって旅行しよう』と決めたのだそうだ。
 都会から離れて、遠いところで。
 何もかも忘れて、二人でノンビリと過ごす。
 それが......今回の旅行なのだという。

(おキヌちゃん......)

 私は、どう声をかけたらよいのか、全くわからなかった。
 曇る眼鏡を拭くことも出来なくて。
 彼女の表情も、ドンドンぼやけていく。

「......横島さんも、
 ちょっと変わっちゃいました」

 表面的には、昔と同じ。
 馬鹿でスケベで、明るく元気な横島忠夫。

「でも、それはカラ元気なんです。
 だって......その証拠に、
 横島さんは、もう......」

 そして、ここまで話が進んだところで。
 ハッと息を飲むような音が聞こえる。

「......あら、ごめんなさい。
 なんだか湿っぽくなっちゃいましたね」

 と言って、話を区切るおキヌちゃん。

「あ!
 みら先生、眼鏡が
 曇っちゃってますよ?」

 そう言って、彼女は。
 手を伸ばして、私のレンズを拭いてくれた。

「ありがとう、おキヌちゃん」
「どういたしまして」

 ハッキリした視界の中。
 おキヌちゃんは、ニコッと笑っている。
 だけど、彼女の瞳は潤んでいて。
 それがお風呂のせいじゃないことは、誰の目にも明らかだった。




    第七章 クロス・ザ・ドア
    ―― Cross the Door ―― 




「みら先生の部屋は、この階なんですか?」
「そうだけど。
 おキヌちゃんは違うの?」
「はい、私は一つ上です。
 ......それじゃ、また明日!」

 風呂上がりの私たちは、大階段を上がったところで、お別れする。
 トントンと軽やかに、さらに階段を駆け上がるおキヌちゃん。
 その後ろ姿を見ながら。

(人生って......悲喜こもごもなのね)

 ちょっと、しんみりする私。
 おキヌちゃんの半生について、あらためて考えてしまったのだ。
 彼女が経験してきたこと、それは滅多にない話のはず......。

(でも......私の人生だって
 この先、色々なことが起こるんだろうな)

 と、自分の将来も夢想しつつ。
 私は、廊下を歩いていく。
 突き当たりを左に曲がって、それから、再び左へ。
 自分の部屋へ向かっていたつもりだったんだけど。

「あれ......?」

 角を曲がったとたん、目に入ってきたのは薮韮さん。
 旅館の運転手というか、小森家の使用人というか、そんな役割の人。
 彼は、今、扉の一つをドンドンと叩いていた。
 足下には、ポットとコップを載せたお盆が置かれている。
 これを運んで来たけれど中に入れないってとこかしら。

(でも......この部屋に
 泊まってる人なんかいたっけ?)

 不思議に思う私。
 そこは、私や福原クンの部屋のすぐ近くなのだ。
 一方、薮韮さんも、
   
「安奈様!?
 どうして、こんなところに......」

 歩み寄る私を見て、怪訝な顔をしている。
 ドアを叩く手も止めてしまっているくらいだ。

「......あ。
 そういうことね......」

 私は、ようやく気が付いた。
 近付いてみたら、扉のプレート番号は207だったの!

「......えへ。
 間違えちゃったみたい」

 ここは三階ではなく、二階なのだ。
 別れ際におキヌちゃんが『私は一つ上です』と言ったのも、これで納得できる。
 きっと、宿泊客の部屋は全部三階にあって。
 二階は、小森家の人々が使っているんだろう。

「三階も二階も、
 パッと見では同じですからね」

 と、苦笑する薮韮さん。
 でも、すぐに真剣な表情に戻って、事情を語り出した。

「ともかく、いいところへ来てくれました。
 大奥様へ御飲物を運ぶ時間なのですが......」

 利江さんの部屋まで来たはいいが、呼んでも叩いても返事がない。
 しばらく心配していたところに、私が通りかかったのだという。

「......じゃ、
 勝手に入っちゃいましょう!」
「それは私も考えましたが......」

 という言葉も最後まで聞かずに、ドアノブに手を伸ばした私。
 扉は固く閉ざされていた。
 いくらガチャガチャやっても、無理なようだ。

「この部屋には窓もないので、
 このドアから入るしかありません」

 外に回って窓から入るなんて。
 そんな無茶は、私も考えていなかった。

「鍵は......?」
「大奥様しか持っておりません。
 合鍵部屋まで行けば、
 もちろん合鍵もありますが......」

 合鍵。
 昨日部屋へ案内された際、シノさんが『合鍵を管理している小部屋が一階にある』と言ってたっけ(第三章参照)。

「もう少し私が頑張っている間に......。
 安奈様、御手数をおかけしますが、
 合鍵を取りに行っていただけないでしょうか」

 うわっ、私、使用人にパシリにされちゃったよ。
 まあ、でも。
 もしも利江さんが熟睡していただけの場合、扉を叩き続けたら、起きて出てくるかもしれないし。
 その場合、私一人がお盆持ってここに立っているのは、なんか気まずいような気もするし。

「......うん、わかりました!」

 快諾して、私はその場を走り去った。


___________


 そして。
 一階大食堂の東隣、合鍵を管理する小部屋に駆け込んだ私。

「すいませーん!!」

 中にいたのは、白髪頭の老人。
 初めて会うので、名前もわからない。
 彼は、畳敷きの部屋で、薄い一枚の座布団に座っていた。

「......どうしました?」

 私を見て、立ち上がる。
 年のせいか、背中が少し曲がっているようだ。

「安奈みらです。
 昨日から泊まっているんですけど......」

 簡単に自己紹介してから、事情を説明する私。
 老人の顔色が変わる。

「そりゃあ......大変だ!」

 今日の夕方の目撃談(第五章参照)を知っているか否かは、ともかくとして。
 四日前に緋山ゆう子の亡霊が出たということくらいは、聞いているのだろう。
 なにしろ、この屋敷には、しずか御前がいるのだ。嬉々として宿泊客に語るくらいだから(第四章参照)、使用人たちにも当然のように吹聴しているはずだった。

「悪いことが起きなければよいがの」

 つぶやきながら、壁際へ向かう老人。
 そこに、たくさんの鍵がかけてあった。 
 彼は左脚を引きずり気味に歩いているが、彼が鍵の番人であるというなら、私が代わりに手を伸ばすわけにもいくまい。
 
「さあ。
 どうぞ、これを」

 老人は、私に一つの鍵を渡してくれた。
 それには、『207号室』と記した小さな紙が、針金で括りつけられていた。


___________


 合鍵と共に二階へ戻ると。
 薮韮さんは、一人、207号室の前で立ちすくんでいた。
 もう扉を叩くことも止めており、なんだか茫然とした感じ。
 それでも。

「あ......。
 安奈さん、ありがとうございます」

 と言って、私の方へ手を伸ばす。
 私から受け取った鍵を、ドアノブの鍵穴にはめる薮韮さん。
 ガチャガチャと、少し悪戦苦闘。
 やはり、動揺していたようで。
 左へ回したらいいのか右へ回したらいいのか、一瞬、わからなくなったらしい。
 それでも、最後には開けることが出来て。

「失礼します、大奥様」
「こんばんは......」

 声をかけながら、私たちは部屋へ入っていく。
 心配する気持ちはありながらも、それでも、ゆっくりと。
 『慎重に』というより、むしろ『恐る恐る』といった感じで。


___________


 そこは、三階の私の部屋よりも、さらに広い部屋。
 いくつかの小部屋に分かれていたんだけど。
 どこへ行くべきなのか、すぐにわかった。

 ガチャッ。

 リビングらしき部屋へ通じる小ドアを開ける。
 小部屋と小部屋をつなぐドアには、鍵はかかっていなかった。外さえシッカリ戸締まりしておけば安心だと思ったのだろうか。
 でも......。

「うっ......」

 私は、鼻を押さえてしまった。
 視覚でも聴覚でもなく。
 私たちをリビングルームへと導いたのは、嗅覚だったから。
 そこに入ったとたん、その独特の匂いが強くなったから。

「おっ、奥様!?」

 隣では、薮韮さんが叫んでいた。
 でも、私は彼の方を見たりはしない。
 私の目は、床の上のそれに向けられていたの。


___________


 むせ返るような血の匂いは、そこから発せられていた。
 それは、この部屋の主、小森利江さん。
 手足を大きく広げて、床の上に倒れている。
 パジャマ姿だけど、眠っているわけじゃない。
 目を大きく見開き、口もだらしなく開いている。
 そして......。
 胸に刺さっているのは、大きな刃物。

「どう見ても......死んでるわ」

 言うまでもないのに、口にしてしまった私。
 まだ殺されてから、あまり時間は経ってないんだろう。
 胸から流れ出した血は、完全には固まっていなくて。
 カーペットの上で大河を成していた。
 その色は、鮮やかな赤。

(これと同じ色、
 つい最近どっかで見たような......)

 ああ、そうだ。
 これは、チャイナドレスの緋色。
 緋山ゆう子の肖像画だ。
 夕方見た人影だ。

(......!!)

 この屋敷に来てから聞かされたこと、考えたこと、目撃したこと。
 それらが、頭の中をグルグルと回っていく。
 中心には、赤い亡霊が立っていて。
 勝ち誇ったように、微笑んでいる......。
 そんな光景を、私は想像してしまった。


(第八章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第八章

「浩介様を呼びに行ってきます」

 と言う薮韮さん。

(えーっと......)

 浩介様って、誰だっけ?
 ああ、御主人さんのことだ。
 最初に『小森氏』と認識していたから、パッと思いつかなかった。
 殺された利江さんの甥であり、かつ、義理の息子(第四章参照)。
 ......なんて情報を、頭の中で整理していたら。
 いつのまにか、薮韮さんの姿が消えていた。

「うわっ、ひどい。
 うら若き乙女を一人、
 こんなところに放置だなんて......」

 とりあえず、そう口に出してみる。
 だって、ちょっと怖くなってきたから。

「リアルお化け屋敷よね、これ」

 私の目の前には、利江さんの死体が転がっているのだ。
 小説では何度も『死体』を扱ってきた私だけれど、『生の死体』を見るのは、初めてかもしれない。

「こういう時は......現実逃避が一番!」

 妄想を始める私。
 これが私の小説なら。
 一人でブルブル怯えるヒロイン。
 でも、伊集院隼人が現れて。

「大丈夫かい、仔猫ちゃん!!」

 と、優しく声をかけてくれて......。
「大丈夫ですか、先生!?」

 私の妄想を突き破った現実の声。
 それは。

「あ、福原クン......。
 ......えっ!?」

 振り返った私を、駆け込んできた福原クンがギュッと抱きしめる。

「ダメですよ、先生。
 いくら取材旅行だからって、
 現実の殺人現場に
 一人で残るなんて......。
 ......危険過ぎます!!」

 そっか。
 話を聞いて、心配して、飛んできてくれたんだ。

「ありがとう」

 彼の胸に顔をうずめて。
 彼にも聞こえないくらいの小声で、つぶやく私。
 ......と、その時。

「コホン」

 わざとらしい咳払いが聞こえてきた。
 顔を上げると。
 福原クンの背中越しに、浩介さん――御主人さん――が立っているのが見えた。

「イチャつくような場所でも
 状況でもないでしょう」

 と言われて、体を離す私たち。
 別にイチャついてたつもりはないんだけどな。

「......警察が来るまで
 私が番をしますから、
 福原さんも安奈さんも、
 出ていってもらえませんか?」

 そう言って、御主人さんが、私たちを部屋から追い出す。
 でも。

「......ちょっと待って」

 一つだけ、確認しておきたいことがあった。
 福原クンのおかげで、気持ちが落ち着いたから。
 冷静に頭が回り出したから。
 重要なポイントに気が付いたのだ。

「この部屋は鍵がかかっていたの。
 利江さんが使っていた鍵って
 ......今、どこにある?」

 207号室は窓もない部屋であり、入り口は、廊下のドアのみ。
 しかし207号室の鍵は、利江さんしか持っていない。
 薮韮さんは、そう言っていた(第七章参照)。
 もちろん合鍵は存在しているが、それは、専用の小部屋に保管されていたのだ(第七章参照)。

「つまり犯人が使ったのは
 利江さんの鍵のはずなんだけど......?」

 ここまで説明して、ようやく意味がわかったらしい。
 御主人さんは、壁際の小デスクまで歩いていき、その引き出しに手をかけた。

「おばさんは、いつも
 ここに鍵をしまっている」

 言葉と共に、ゆっくりと開けられていく引き出し。
 そこに、鍵があった。
 この207号室をロックしたはずの、鍵が。

「......密室殺人ね」

 御主人さんの隣に立って、つぶやく私。
 もしも御主人さんが、私には見えない位置で、ササッと引き出しを開けたなら。
 私は、御主人さんを疑うことも出来たかもしれない。
 彼が咄嗟に鍵を滑り込ませたのだと、考えることも出来たかもしれない。
 でも、事実は違った。
 私にもハッキリと見える状況だったから。
 だから断言できるのだ、鍵は確かにそこに入っていたのだ、と。

「人間には不可能な犯罪......ですか。
 それじゃあ、やはり犯人は......」

 私の背後で、福原クンが小さくもらす。
 途中で消えてしまったけれど、彼が言おうとしていたことは明白。

「......緋山ゆう子の亡霊だ」

 御主人さんが、そう結んだ。




    第八章 シティ・オブ・サスペクツ
    ―― City of Suspects ―― 




 一日目に旅館に着いて。
 二日目に殺人事件が起こり。
 そして、三日目の朝。

「今日は警察の方々が来ます。
 色々と質問などもあるそうですので、
 どうか外出せずに待っていてください」

 朝食の席で。
 いつも以上に静かな、食事の場で。
 女将さんから、そう告げられた。
 昨晩、事件の後でやってきたのは、地元の警察官。
 でも、今日は県警本部から少し偉い人が来て、ようやく本格的な捜査が始まるらしい。

「......先生。
 おとなしくしていてください。
 ......お願いしますよ?」
「大丈夫よ、福原クン」

 私と彼は、小声で言葉を交わした。
 さすがの私も、『取材のチャンス!』と騒いだりはしない。
 人が一人、殺されたのだ。
 私は、空席となった一角に視線を向ける。
 昨日の夕食まで、利江さんが座っていたところだ。

(利江さんは、いつも黙って食べてたな。
 でも......)

 無人となった椅子は、今。
 その存在を強く主張しているように思えた。


___________


 午前中は、ジーッと部屋で待っているだけ。
 結局、警察の捜査の人々が来たのは、昼食の後だった。
 関係者全員集合ということで、大食堂に集められた私たち。

「......私たちが最後かしら」
「そうみたいですね、先生」

 私と福原クンが入っていくと。
 既に他の面々は勢揃い。
 いつもの食事に使うテーブルに、小森家の一族が座っている。
 女将の涼子さんと、御主人の浩介さんと、しずか御前の三人だ。
 そして、
 
(あら、使用人の人たちも......)

 同じテーブルの奥の方に、薮韮さんとシノさんと、他に二人。
 一人は、昨夜の合鍵部屋にいた老人。名前は甲賀(こうが)弥平(やへい)。ちなみに、シノさんの夫らしい。
 もう一人は、中年男性。厨房で使うような白衣を着ており、髪はリーゼント気味に固めている。屋敷の料理を一手に担う、山尾(やまお)加次郎(かじろう)さんだ。

「先生、僕たちはあっちへ......」
「......そうね」

 福原クンが指さしたのは、隣のテーブル。
 そう決められたのか、自然にそうなったのか。
 ともかく、そっちが宿泊客用みたい。
 私たちは、おキヌちゃんと横島さんの隣――樹理ちゃんと茂クンの向かい側――に着席する。
 それが合図だったかのように、

「......これで全員揃いました」

 と発言する御主人さん。
 でも。

「おや、それは変ですな」

 警察グループの先頭に立っていた人が、眉をひそめる。
 それは、おなかの出ている中年男。
 髪も薄くて、頭頂部は完全に禿げ上がっていて。
 顔の形と合わせると、ゆで卵のような感じだった。
 さらに、鼻の下には、マジックで落書きしたかのような口ひげ。
 滑稽なんだけど、本人はカッコいいと思ってるのかしら。
 今も、それをいじりながら喋っている。

「もう一人いるはずでしょう。
 この屋敷に入ってくる時に、 
 ちゃんと見ましたからね。
 ......四階の部屋の一つで
 赤いチャイナドレスの女性が、
 外の景色を眺めていましたよ?」


___________


「......ん?
 何かワケアリですかな」

 その場が凍りついたのを見て。
 彼――若田(わかた)という名前の警部だそうだ――が、手の動きを止めた。
 そして。

「クックック......。
 それは緋山ゆう子じゃ」
「......御前様。
 私が説明します」

 話が脚色されることを恐れたのか。
 しずか御前を制して、御主人さんが語り始める。

「まず......この地方には、
 白こうもり様の伝説があって......」


___________


「......すると私が見たのは、
 この屋敷に取り憑いた悪霊なのですな?」
「そうです。
 もしかすると......
 おぼさんを殺したのも
 その亡霊なのかもしれません」

 白こうもり様の伝説。
 昭和初期の惨劇。
 緋山ゆう子の亡霊。
 それら全てを話し終わった御主人さんは、休む間もなく、昨夜の事件の状況を述べる。

「おばさんの部屋は......
 207号室は、窓のない部屋でした。
 そして、一つしかないドアには
 しっかりと鍵がかかっていた。
 ......つまり、生身の人間には
 不可能な犯行だったのです」

 続いて。
 第一発見者である私と薮韮さんが細部を証言して、御主人さんをフォロー。
 御主人さんが引き出しの中に鍵を発見したことに関しては、私と福原クンとで補足した。

「......なるほど。
 では207号室の鍵は、
 部屋の中にあったのですな?」

 と、確認する若田警部。
 ここで、私が一つのポイントを指摘する。

「そうよ。
 しかも、鍵があった場所も
 利江さんが殺された場所も、
 リビングルームの中。
 『207号室』全体のドアからは、
 かなり離れていたわ......!」

 推理小説の有名な密室トリックに、『被害者が中から鍵をかけた』というパターンがあるのだ。
 射たれるなり刺されるなりしてから、まだ少し行動できる間に、何らかの理由で、被害者が密室状況を作り上げてしまう。
 その可能性を考慮し、否定してみせたのだった。

「......なるほど。
 でも、あなたたちは
 錠の部分を壊したわけではなく、
 鍵で開けて入室したのでしょう?
 犯人も同じ鍵を
 使ったのではないですかな?」

 という若田警部の言葉に対して。
 一同を代表して、御主人さんが首を横に振る。

「そんなはずはないです。
 なぜなら......」

 私たちが使った鍵は、合鍵部屋に保管されていた物。
 合鍵部屋は、番人の弥平老人がシノさんと共に暮らす部屋でもあり、彼は一日中そこにいるのだ。それに、毎朝、鍵があることをシッカリ確認している。
 また、昨日は私が行くまで誰も来なかったという。
 特に夕食以降、弥平老人はトイレに行くこともなく、ずっと部屋から動かなかった。
 だから、『こっそり犯人が合鍵を使って、こっそり返した』なんてことは有り得ない。

「......断言できます!!」

 弥平老人は、力強く主張するのだった。
 そして、それを受けて。

「こうなると、もう
 犯人は亡霊なんじゃないかと......」

 弱々しくつぶやく御主人さん。
 だが、若田警部は、苦い顔をしていた。

「......それは困りますな。
 悪霊による殺人となると、
 これは我々の手に余る。
 オカルトGメンの管轄だが......」

 警察どうしの縄張り争いのようなものがあるのか。
 あるいは、いまだにオカルトを胡散臭いと思う古いタイプの人間なのか。
 どちらにせよ、若田警部は、オカルトGメンの介入を好んでいないようだ。
 それを見て。

「......難しく考える必要ないじゃない」

 樹理ちゃんが口を開いた。
 死体発見には関わっていないし、小森家の人間でもないから、今までは遠慮していたらしい。

「本来の鍵でもなく、
 合鍵でもないっていうなら
 ......可能性は一つだけ。
 犯人が使ったのは、別の鍵よ!」


___________


「......きっと第三の鍵が存在するんだわ!」

 樹理ちゃんの推理劇が始まった。
 彼女の考えでは、犯人は、前もって『別の鍵』を用意していたというのだ。

「例えば......」

 利江さんは、鍵を引き出しに入れる習慣だった。別に、肌身離さず持っていたわけではないのである。それならば、一時的に盗み出して、気付かれる前に返すことも出来たはずだ。
 あるいは。
 合鍵部屋では、弥平老人が鍵を毎朝チェックしていた。しかし、毎日何度も何度もチェックしていたわけではないのである。それならば、一時的に盗み出して、気付かれる前に返すことも出来たはずだ。

「......そうやって
 犯人はスペアキーを作製したの!」

 おおっ!
 探偵小説の場合、絶海の孤島とか閉鎖的な山村が舞台だったりするから、『街の鍵屋さんへ行って合鍵作ってもらいました』は有り得ないけど。
 現実的には、これはアリなんじゃないだろうか。

「......密室の謎、
 アッサリ解けちゃったわね」

 私は、賛同の意を示す。
 でも、御主人さんは、首をゆっくり横に振っていた。

「それは無理でしょう。
 おばさんの部屋の鍵を
 あらかじめ用意するなんて......」

 御主人さん曰く。
 利江さんは、とっても怖がりで。
 緋山ゆう子らしき姿が最近目撃されたことを、誰よりも心配して。
 部屋を頻繁に変えるようにしていたのだ。

「どこに移るか、
 いつもギリギリまで誰にも言わない。
 ......それに207号室へも、
 昨日の朝に移動したばかりです。
 スペアキーを用意する暇なんて
 誰にもありませんでした......」

 御主人さんの説明は、樹理ちゃんの『スペアキー説』を打ち砕くのに十分。
 残念そうな樹理ちゃんの隣では、

「......な?
 やっぱり、これは霊障なんだよ」

 と、茂クンが囁いている。
 でも。
 ここで専門家の意見が飛び出した。

「密室とか鍵とか、
 難しいことはわかんねーけど......。
 悪霊が犯人じゃないことだけは確かだ」

 発言したのは、ゴーストスイーパーの横島さん!
 この時の彼に、いつものオチャラケっぽい空気は全くなかったの。


___________


「ここには幽霊なんていない。
 ......そうだよな、おキヌちゃん?」
「ええ。
 誰も応えてくれませんでしたから」

 夫婦GSの解説が始まった。
 着いて早々、この屋敷にまつわる『伝説』を聞かされた彼らは。
 一応、個人的にチェックしてみたらしい。

「......霊体検知器は
 持ってきてませんでしたけど、
 これがありますから」

 と言いながら、おキヌちゃんがゴソゴソと取り出したもの。
 それは......たて笛?
 先っぽが奇妙な形に膨らんでいるのは、音を共鳴させるためかな。でもトゲっぽい飾りがついていて、あんまり機能的でない感じ。
 そう思ったんだけど。

 ピュリリリリッ......。

 おキヌちゃんが口をつけると、澄んだ音色が鳴り響いた。
 聞いているだけで、心が洗われるような気がする。

「ネクロマンサーの笛。
 おキヌちゃんは、これで幽霊を操れるんだ」

 彼女が演奏する傍らで、解説する横島さん。
 一人がパフォーマンスをして、もう一人が喋るだけ。まるで昔のコンビ芸人のようだ。

「ネクロマンサーって、けっこう珍しくてさ。
 オカルトGメンに登録されているのも、
 おキヌちゃん以外には三人しかいなくて......」

 要するに、おキヌちゃんは凄い能力を持っているのだと言いたいらしい。
 その彼女が専用の霊具で呼びかけても応じる霊がいない以上、ここに霊はいないと判断したのだ。

「......ま、普通は
 ネクロマンサーの笛を
 霊体検知器代わりにはしないけどな」

 そう言いながら、横島さんは、おキヌちゃんに向かって微笑んだ。
 おキヌちゃんも、同じ表情を返す。
 これでパフォーマンスは十分と判断したのだろう。彼女は、笛を吹くのを止めた。


___________


 そして。
 一同が、笛の音の余韻に浸る中。
 若田警部が、大きく叫ぶ。

「よーし、わかった!」

 彼がポンと手を叩くと。

 ガチャッ!!

 部下の一人が、おキヌちゃんに手錠をかけた。

「えっ、えっ!?」
「おいっ!?」

 おキヌちゃんと横島さんが慌てる前で。

「横島キヌさん。
 犯人は、あなたですな?
 その笛で死霊を操って
 犯行に及んだというわけでしょう」

 若田警部が、ガハハと笑っていた。

「......オカルトGメン抜きで
 オカルト事件を解決した。
 念願の大手柄を手に入れたぞ!」

 うわっ、『念願の大手柄を手に入れたぞ』とは、なんとも大げさな言い方だ。
 まるで『殺してでも奪い取る』とか言われそうなくらい、大げさだ。

「......これにて一件落着!!」

 彼は、満足そうに締めくくったけど。

「違う!」

 私は叫んでしまった。
 今の推理は、おかしいのだ。
 だって、おキヌちゃんと私は、しばらくお風呂で一緒だったのだから。
 それに、私と別れた直後に――あるいは出会う直前に――笛を吹いたということも、考えられない。
 おキヌちゃんのお風呂セットの中に、こんな笛は含まれていなかったのだ。
 なにしろ私は、おキヌちゃんの脱衣シーンを、かなりジロジロ見ている(第六章参照)。
 だから、荷物の中に隠し持っていたという可能性も、キッパリ否定できるのだ!


___________


 ......と、説明しようと思ったのだが、その必要はなかった。
 私がウダウダ語るよりも早く。

「そう、犯人は
 おキヌちゃんじゃない」

 樹理ちゃんが、新説を持ち出してきたのだ。

「密室殺人ということで
 悪霊がらみの犯行だと考えてるようだけど......。
 ワザワザ幽霊なんて考慮に入れずとも、
 ちゃんと犯行可能な人物がいるわ!」
「......ほう。
 それは......誰ですかな?」

 若田警部に促されて。
 樹理ちゃんは、私の方を向いた。

「......それはあなたです、みら先生!」


(第九章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第九章

「......それはあなたです、みら先生!」

 迷探偵の樹理ちゃん、今度は、私を犯人扱い。
 『スペアキー説』をサクッと却下されたばかりなのに、それでも彼女は、めげていないみたい。

「さっきの『別の鍵』って話、あれは忘れてね」

 と前置きしてから。
 彼女は、新しい推理を語り始める。

「207号室をロックしたのは、
 一階にあった合鍵ではない。
 ......ということは、
 犯人が使ったのは利江さんの鍵、
 つまり207号室の机に入ってた鍵よ!」

 ん?
 室内にあった鍵を犯人が使った?
 ......どういう意味だろう?
 もしかして、犯人が鍵をかけたのは『外から』ではなく『中から』だと言いたいのだろうか。
 犯人がドアの陰に隠れていて、私たちが入室したドサクサに紛れてコッソリ出て行ったという考えだろうか。
 しかし漫画や小説じゃあるまいし、いくらなんでも、それは私たちが気付くだろう。
 私も薮韮さんも、ゆっくりと207号室へ入っていったのだ(第七章参照)。そっちを見てなかったとしても、気配でわかるはず。

「......だから、
 その考えも成り立たないわ」
「違うの、みら先生。
 私が考えているのは、
 そんなトリックじゃないのよ。
 ......そもそも
 私が『犯人』だと思ってるのは
 みら先生、あなたですから!」

 樹理ちゃん曰く。
 犯人が『外から』鍵をかけたのに、その鍵が『室内で』発見されたということは。
 それは、犯行の後で犯人が鍵を室内へ持ち込んだことを意味しているのだ。
 そして、そんなことが出来る人物は、ただ一人。

「......あ!」

 私は、樹理ちゃんの言わんとする内容が、ようやく理解できた。
 鍵のかかっていた密室も、死体発見の際には開けられたのだから。
 その時ならば、犯人が使った鍵を机にしまうことも可能なのだ。 
 ただし、それが出来るのは、部屋が開けられてから鍵が確認されるまでの、限られた時間。
 その間、部屋に入った人物は四人。
 最初に薮韮さんと私、続いて福原クンと御主人さん。
 ただし、薮韮さんがいた時には、私がいて。
 福原クンの時は、私と御主人さん。
 御主人さんの時は、私と福原クン。
 だから、彼ら三人は除外だ。彼ら三人は、引き出しにコッソリ鍵を入れておくなんて無理。
 部屋で一人きりだった時間があるのは、私だけ。つまり、そんな小細工をすることが出来たのは私だけなのだ!

「よーし、わかった!」

 ポンと手を叩く若田警部。
 若田警部も、樹理ちゃんの考えを飲み込めたらしい。

「安奈みらさん。
 犯人は、あなたですな?
 小説のアイデアに困ったあなたは、
 ネタ作りのために、自ら殺人事件を......」

 彼は、まるで自分が解き明かしたかのように語り出す。
 色々ツッコミたいところはあったけれど。
 私より先に、福原クンが立ち上がってくれたの。
 
「失礼なことを言うな!
 先生はそんなことしません!」

 でも。

「ネタ作りなんて......。
 実際に手を下さずとも、
 先生ならば、妄想するだけで十分なのです。
 なにしろ、先生の妄想力は世界一......」

 福原クンの反論は、微妙にポイントがずれていて。

「おいおい。
 世界一の妄想力って......。
 そいつは聞き捨てならねーな。
 ......どの程度か知らんが
 どうせ日本じゃ二番目だぜ」
「なんだと!?
 それじゃ日本一は誰だ!?」

 横島さんが、変なポーズで茶々を入れ始めて。
 福原クンが、そのノリに応じてしまって。

「横島さん!
 まぜかえっすのはやめてください。
 場を和まそうとしてるんでしょうけど、
 そんな場合じゃないですから......」
「福原クン!
 そんな世界一とか日本一とか、
 私は争うつもりないから!
 ......それに、
 『妄想力って言うな』って言ったでしょ!?」

 おキヌちゃんと私とで、男二人に文句を言う。
 そんなてんやわんやの間に。

(あれ?
 さっきの『よーしわかった』では
 おキヌちゃんは手錠をかけられたのに......)

 私は、それに気が付いた。
 いつのまにかおキヌちゃんの手錠は外されていて。
 でも、その手錠が私に向けられる気配はなかったのだ。
 ふと見ると、刑事さんの一人が、若田警部に耳打ちしている。
 そして。

「......コホン。
 どうやら問題の鍵は、
 犯人には使われていないようですな」

 わざとらしく咳払いしながら。
 若田警部が、そう宣言した。




    第九章 彼女の言い分
    ―― Her Reasons ―― 




「引き出しにあった鍵には、
 一人の指紋しか付着していない。
 しかも、それは被害者のものと
 ちゃんと一致しましたからな」

 証拠について語り出す若田警部。
 おそらく、たった今、部下に教えられた情報なのだろう。
 それを私たち――宿泊客及び屋敷の人々――に告げてしまうなんて。
 
(この若田警部って人......。
 凄腕の名警部か、間抜けなダメ警部か、
 ......どっちかの両極端だわ!)

 探偵小説では、名探偵が容疑者に色々と話をさせて、その時の態度から、謎を解く場合がある。容疑者のキャラクターを深く理解することで、物的証拠とは別の意味での手がかりを得るのだ。
 しかし、一方。探偵小説には、名探偵に情報提供するだけという、無能な警察官も出てくる。その場合、謎を解くのは名探偵で、警察は、その推理に従って犯人を逮捕するだけの役割だ。
 はたして、若田警部はどちらのタイプなのか。
 そんな想像を私が楽しんでいる間に、

「......そりゃあ、そうでしょ。
 犯人が素手で鍵に触るわけないじゃない。
 手袋をしていたか、あるいは、
 ハンカチか何かで包んで......」
「違いますな。
 残された指紋は、とても鮮明でした。
 もしもあなたの言うとおりなら、
 指紋は少しぼやけるはずですからな。
 それなりの痕跡が残るはずです」

 樹理ちゃんと若田警部が、鍵に関しての議論を続けていた。
 どうやら、これで『私犯人説』も消えたようだ。
 樹理ちゃんをあしらった後、若田警部は、おキヌちゃんの方へ向き直った。

「......というわけで、あらためて」
 
 まるで時間を少し巻き戻したかのように、宣言する。

「横島キヌさん。
 犯人は、あなたですな?
 その笛で......」
「......ちょっと待って!」

 警部の部下が再び彼女へ歩み寄るのを、私は慌てて制止。

「おキヌちゃんは犯人じゃないわ!
 だって......」

 おキヌちゃん犯人説、それを否定する根拠(第八章参照)を。
 私は、語り始めた。


___________


「......なるほど。
 では、横島キヌさんには
 一応のアリバイがあるわけですな」

 ここで若田警部は、新たな情報を提示する。 
 それは、死亡推定時刻。
 正確なタイミングを断言することは出来ないとしても、発見された時点で、殺されてから三十分以上一時間以内くらいだそうだ。

(『一応のアリバイ』......か)

 私とおキヌちゃんがお風呂で一緒だった時間は、計ったわけじゃないけど、一時間以上だと思う。
 おキヌちゃんと別れて私が207号室に着くまでの時間は、せいぜい数分。
 だから、私たちが別れた頃に、既に利江さんは死んでいたことになる。
 つまり、利江さんが殺されたと思われる時間帯には、おキヌちゃんは、私と一緒だったのだ。

(やっぱり......おキヌちゃんには無理ね)

 と、私が頭の中のまとめたタイミングで。

「え!?
 みら先生たちが部屋に入ったのって、
 殺された直後じゃなかったの!?」

 樹理ちゃんが、叫び声を上げていた。


___________


 どうやら、樹理ちゃんの頭の中に。
 また新しい推理が生まれていたらしい。
 それは『207号室は鍵のかかった部屋なんかではない』という可能性。

「みら先生が鍵の確認をしたのは、
 合鍵を取りに行く前だけでしょ。
 だから......」

 207号室がロックされているのを私が確かめたのは、一度だけだ。合鍵をもらって戻った後、あらためてチェックしたわけではなかった(第七章参照)。
 そしてドアの鍵を開ける際、薮韮さんは、鍵を両方向に――解錠とロックの両方に――回している(第七章参照)。動揺しているせいだと思ったのだが......。

(あれは演技だった......って考えね)

 密室だと思わせて、実は鍵がかかっていなかった。
 これも、小説でよく使われる有名なトリックだ。今回は、私が一度チェックしているので、よけいに騙されてしまったのだ。

「みら先生が合鍵部屋へ行っている間。
 実は熟睡しているだけだった利江さんが、
 ようやく目を覚まして中からドアを開ける。
 そこで薮韮さんが部屋に入って、利江さんを殺害。
 何食わぬ顔で廊下に戻って、
 まだ部屋に入れないフリを続ける。
 ......って考えてみたんだけど。
 死亡推定時刻で、この推理も崩れちゃった」

 なるほど。
 トリックとしては面白かったが、さきほど聞いた死亡推定時刻と照らし合わせると。
 鍵がかかっていることを私が確認した時点で、利江さんは既に死んでいたのだから。
 これも、実際には無理な話。
 でも。

「ちょっと待って!?」

 今度の叫び声は、私。

「今の樹理ちゃんの説......。
 完全には否定できないんじゃないかしら?」


___________


 樹理ちゃんの『薮韮さん犯人説』でネックとなるのは、中からドアを開けた人物。
 それを被害者である利江さん自身だと想定したから、崩壊したのであって。

「外からロックするなら鍵が必要だけど、
 中から開けるなら鍵はいらないでしょ。
 だから、利江さんが開けたんじゃなくて......。
 もっとストレートに、
 犯人が潜んでいたと考えればいいじゃない」

 つまり。
 薮韮さんは犯人ではなく、共犯者なのだ。
 実際の犯人は、私がドアをガチャガチャ試した時点では、まだ室内にいて。
 私が合鍵部屋へ向かった後、中からドアを開けて逃げ出す。
 これでドアは解錠されてしまったけれど、私は、戻った後チェックしなかったから。
 薮韮さんが『鍵がかかっている』フリをすれば、密室殺人の出来上がり。

「......というわけよ!」

 やったあ!
 さっきまでは樹理ちゃんが探偵役っぽかったけど。
 私は単なる記録係っぽかったけど。
 私が謎を解いちゃった!!
 でも。

「......違いますな」

 私の興奮に水を差したのは、若田警部。

「安奈みらさん。
 どうやらあなたは、
 現場のドアを
 よく見てなかったようですな」
「......へ?」

 キョトンとしている私に、御主人さんが説明を足す。

「安奈さん、
 うちは古い屋敷なので、
 そんなに便利な造りじゃないんです。
 三階の部屋は、旅館の客室として
 少し改装しましたが......」

 207号室のように、今まで使われていなかった部屋は、建築当時のまま。
 その場合、何が不便かと言うと。
 
「あの部屋のドアは、
 外からだけじゃなくて、
 内側から解錠する際にも
 鍵が必要なのです」

 つまり。
 もしも殺人犯人が中にいたとしても。
 もしも殺人犯人が中から開けたとしても。
 その際に、鍵を使う必要が出てくるのだ。
 そして、これまで散々議論したように。
 207号室の鍵は、室内の引き出しに入っていた。しかも、殺された利江さん以外が使った形跡はなかったのだ。
 
(......ということは)

 これで『薮韮さん共犯説』もダメになってしまった。
 いや、単にまた一つ説が終わったというだけではない。
 重要な情報が、新たに提示されたのだ。
 内側からドアの錠を開け閉めするにも鍵が必要だということで。
 この不可能犯罪の『不可能』度は、ますます上がってしまうのだ。
 
(普通は......部屋の中からなら
 鍵を使わなくていいから、
 だから中から細工をすることも
 考えられるけど......)

 鍵のかかった部屋。
 鍵を必要とする部屋。
 二つしかない鍵の一つは、室内に入っていて、被害者以外は使った形跡がない。
 残りの一つは、ずっと合鍵部屋にあって......。


___________


(......ん?
 合鍵部屋にあった鍵って、
 本当に『207号室の合鍵』だったのかしら!?)

 突然閃いた新しい考え!
 実は、合鍵部屋に保管されていたのは、全く別の鍵で。
 私が届けたのは、『偽の合鍵』で。
 本当の『207号室の合鍵』は、犯人が使って、まだ持っていた。
 でも、もちろん、私たちが207号室に入る際に使われたのは、本物である。だって207号室を開けることが出来たのだから。
 つまり。
 この推理でいくと、犯人は薮韮さんだ。
 私から『偽の合鍵』を受け取った薮韮さんは、その場で本物の『207号室の合鍵』とすり替えて......。

(いやいや。
 この説も......やっぱりダメだわ)

 私は、自らの推理を自ら否定する。
 だって私は、あの時、ちゃんと見ていたのだ。
 ドアを開けるのに薮韮さんが手間取ったのも、よーく観察していたくらいである(第七章参照)。
 あの状況では、私の目の前で彼が鍵を交換することなど、不可能だった。

「どうやら......先生には
 探偵役は無理なようですね」

 考え込んでいた私は、落胆しているように見えたのだろう。
 福原クンが、慰めの言葉をかけてくれた。
 言葉そのものは優しくなかったけれど。
 私の肩におかれた手には、温もりがこもっていた。


___________


「では、みなさん」

 全員を見回しながら。
 若田警部が、あらためて場を仕切る。

「ここで......
 問題の時間帯に
 皆さんが何をしていたか、
 教えて頂きたいものですな」

 やはり、全員が容疑者らしい。
 しかも、個別の尋問をする気はないらしい。
 
「まずは......」

 若田警部に促されて、皆がアリバイの有無を語っていく。
 最初に、しずか御前。部屋で一人だったと証言。アリバイなし。
 御主人さんと女将さん、それに使用人の四人も、それぞれ各自で働いていたそうだ。
 お互いに何度か顔を合わせることはあっても、問題の時間ずっと一緒だった者はおらず、これもアリバイにはならない。

「あの......大丈夫でしょうか」

 アリバイがないことを一番心配していたのは、料理人の山尾さん。
 犯行に使われた凶器が、厨房から盗まれた料理用ナイフだったことも重なって。
 疑われるんじゃないかと、ビクビクしていたようだ。
 薮韮さん――樹理ちゃんや私から犯人扱いされても平然としていた薮韮さん――とは、何とも対照的。

「......アリバイがないくらいで
 犯人だと決めつけたりはしませんよ。
 それではキリがないですからな」
「よかった......」

 若田警部に保証され、胸を撫で下ろす山尾さん。
 
(だけど......この警部さん、
 『よーしわかった』を連発したからなあ。
 『犯人だと決めつけない』って言われても
 あんまり信用できない気が......)

 と私が考えている間に。
 今度は、宿泊客のターンとなった。
 まず私とおキヌちゃんは、お風呂で出会ったおかげで、一応、アリバイあり。
 樹理ちゃんと茂クンも、ずっと茂クンの部屋で『おはなし』していたと主張。アリバイあり。
 横島さんは、おキヌちゃんと一緒にお風呂へ行ったけれど、男湯と女湯とで別れた後は、一人きり。入浴時間も短く、先に部屋に戻っていたという。
 福原クンは、部屋に閉じこもって、会社への報告書を書いていたそうで。

(そっか......この旅行って、
 福原クンにとっては仕事だもんね)

 ここでの経験を活かして、いい小説を書かなくちゃ。
 私は、あらためて、そう決意した。


___________


「やっぱり......鍵なんじゃないかしら」

 全員が昨夜の行動を語り終わったところで。
 樹理ちゃんが、静かにつぶやいた。
 
「......ほう。
 また何か思いついたのですかな」

 若田警部に促されて。
 樹理ちゃんは、まず、御主人さんに問いかける。

「利江さんは頻繁に
 部屋を変えていて、
 207号室は昨日から使い始めた......。
 たしか、そう言ってましたよね。
 それじゃ、一昨日までは
 どこが利江さんの部屋だったんですか?」
「265号室です」

 簡潔に答えた後。
 御主人さんは、それは樹理ちゃんの部屋のちょうど真下だと補足した。

「......それじゃ、その前は?」
「えーっと......283号室だったかな?
 正確な数字は確かではないですが
 ......ともかく、その辺りです」

 樹理ちゃんとしても、細かい部屋番号は問題にしていないようだ。
 満足げに頷いてから、彼女は新推理を披露し始めた。

「......ということは。
 265号室や283号室の鍵にも、
 利江さんの指紋はついているわけよね。
 犯行現場の部屋の中にあった鍵って、
 実は、そういう鍵の一つなんじゃないかしら?」


___________


 利江さんが鍵を引き出しにしまう習慣があって。
 その引き出しから鍵が発見されて。
 その鍵には利江さんの指紋がついていて。
 だから、その鍵は、その部屋の鍵だと皆が想定した。
 だが、その『想定』が間違っていたのではないか。
 ......それが樹理ちゃんの推理だった。

(なるほどね。
 これは......うまいトリックだわ。
 さっき私は合鍵の交換を考えたけど
 ......樹理ちゃんは、
 もう一つの鍵の『交換』を想定したわけね)

 犯人は、あらかじめ利江さんの以前の部屋の鍵を盗み出しておく。
 それを『鍵』として使うわけではないから、反対端かどこかを注意して持つようにすれば、指紋を乱すこともないだろう。
 その『以前の部屋の鍵』を、『207号室の鍵』があるべき場所に入れておいて。
 『207号室の鍵』だと思わせてしまえば。
 いわゆる密室殺人な状況になるわけだ。
 犯人は『本物の207号室の鍵』を普通に使えるわけだ。

(......これで謎は解けたのね?)

 そう思ったのだが。

「残念ながら......違いますな」

 若田警部が、ゆっくりと首を横に振っていた。
 傍らでは部下の刑事さん、また何かコソコソと耳に入れている。

「あの鍵が207号室の鍵であることは、
 実際に使ってみて確認しています。
 ......この推理もボツですな」


___________


 若田警部の言葉で、樹理ちゃんの表情は、暗くなったけれど。
 すぐに、パッと明るくなった。

「ちょっと待って!
 それって、どの鍵のこと?」
「......ハア?
 『どの鍵』って......もちろん、
 引き出しに入っていた鍵ですよ。
 田奈樹里さん、あなたが議論していたのも
 その鍵のことだったんじゃないですかな?」

 混乱したのは、若田警部だけではない。
 私にも、樹理ちゃんの言いたいことはわからなかった。
 
「そうよね。
 『引き出しに入っていた鍵』のこと。
 でも......警察の皆さんが来た時に
 引き出しに入っていた鍵って、
 本当に、死体発見の際に
 『引き出しに入っていた鍵』と同じかしら?」

 ああ、樹理ちゃんの言い分が、少しわかってきた。
 樹理ちゃんの考えでは。
 私たちが引き出しから見つけた鍵は、実は『207号室の鍵』ではなくて。
 その時点では、それは『以前の部屋の鍵』。
 その時点では、『本物の207号室の鍵』は犯人が所持。
 でも、その後、警察の人々が来るまでの間に、犯人は鍵を交換する。引き出しにあった『以前の部屋の鍵』を取り出し、代わりに、持っていた『207号室の鍵』を引き出しへ。

(でも......そんな鍵の交換なんて、
 出来るのは一人しかいない!)

 引き出しを開けた際、そこには複数の人間がいた。
 ただし、警察が来るまでの間、ずっと複数の人間がいたわけではない。
 私と福原クンは、『警察が来るまで私が番をしますから』と言われて部屋を出たから(第八章参照)。
 あの時は、それが自然な成り行きだとも思ったけれど、そこに重要な意味があったのだとしたら......!
 
(それじゃ、犯人は......)

 私が、その人物の方を向いた時。

「......犯人は、あなたです」

 ちょうど樹理ちゃんも。
 御主人さんに、ピシッと指を突きつけていた。


___________


「いい加減なことを言うでないよ!」

 告発された御主人さんではなく。
 立ち上がったのは、しずか御前だった。

「利江は亡霊に殺されたのじゃ。
 これも緋山ゆう子の呪いなのじゃ!
 ......あの子は臆病だったからの。
 呪いを撥ね除けることも出来なくて......」

 そういえば。
 この人、前にも『緋山ゆう子の呪い』云々って言ってたっけ(第四章参照)。

「......なるほど。
 あくまでも悪魔のせいに......
 悪霊のせいにしたいのですな?
 それではオカルトGメンの管轄になりますが、
 しかし無理にオカルトがらみにせずとも、
 こうして合理的な解釈が出されたわけですからな。
 それに専門家の方々も
 『幽霊はいない』と言っているわけですし......」

 若田警部が視線を向けると、おキヌちゃんと横島さんが頷いている。
 しかし。

「除霊師なぞ、あてにならん。
 いもしない霊を祓ったことにして
 法外な金額を要求したり。
 強力な霊を祓えなくても、
 最初からいなかったことにして
 法外な金額を要求したり。
 ......詐欺師のようなものじゃ!」
「なんだと?
 それは聞き捨てならねーぞ!」
「まーまー。
 横島さん、ここは落ち着いて......」

 しずか御前が、GS全体にケンカを売るようなことを言い出しちゃって。
 騒然となり始めた時。

「恐れながら申し上げます!」

 弥平老人が口を開いた。


___________


「大奥様は御部屋を変えるたびに、
 それまでの御部屋の鍵をお返し下さりました。
 それらは私がきちんと管理しています。
 盗まれることもないと保証できます!」

 そういうことは、もっと早く言ってよ。
 そんなツッコミを入れたかったのは、私だけではないだろう。
 利江さんの以前の部屋の鍵を、犯人が使えないというのであれば。
 樹理ちゃんが提案したトリックなんて、まさに机上の空論に過ぎないのだ。

(あれ?
 でも樹理ちゃんの二番目の説、
 御主人さん犯人説ならば......。
 『以前の部屋の鍵』に
 こだわる必要はないんだわ)

 『本物の207号室の鍵』の代わりに入れておくものは、それっぽく見えれば、それでいい。
 別に利江さんの指紋はなくてもよいのだ。
 どこの部屋の鍵でもよいのである。

「他の部屋の鍵だって盗まれておりません。
 ここ数年、鍵が紛失したこともありません!」
 
 あ。
 わざわざ弥平老人が、つけ加えた。
 それなりに頭の回転は早くて、きっと、私と同じようなことを考えたのだろう。
 さらに。

「......では
 鍵交換説は成り立ちませんな。
 もしも引き出しに入っていたのが
 ここの屋敷の鍵ではなくて
 全く別の鍵なら、一目瞭然でしょうからな」

 と、若田警部がまとめる。

(え?
 『全く別の鍵なら一目瞭然』って
 ......それって、どういう意味?)

 心の中で疑問に思う私だったけれど。
 あの部屋で見た鍵や、自分の部屋――305号室――の鍵の形状を思い浮かべて。
 すぐに、その疑問は氷解した。
 今まで特に気にしていなかったが、蝙蝠屋敷の鍵って、鍵の頭の部分が変な形をしているのだ。
 『蝙蝠屋敷だから蝙蝠のような形なのだ』と勝手に納得して、それっきり忘れていたんだけど。
 鍵交換説を考える上では、これはこれで一つのポイントになるわけだ。
 この屋敷の鍵でないと、『偽の鍵』としても使えないのだ。


___________


(あれこれ考えたけど......)

 私は、これまでに出てきた『説』を、頭の中で整理してみた。
 まず、私が『被害者が中から鍵をかけたよ説』を否定(第八章参照)。
 続いて、樹理ちゃんの『スペアキー作製説』(第八章参照)。
 さらに、若田警部の『ネクロマンサーおキヌちゃん犯人説』(第八章参照)。
 『犯人はドアの陰に隠れていたよ説』。
 『私犯人説』。
 『薮韮さん犯人説』。
 『薮韮さん共犯説』。
 『薮韮さん犯人説パート2:合鍵交換説』。
 『室内の鍵交換説』。
 『室内の鍵交換説パート2:御主人さん犯人説』。

(......全部、違うのね)

 そして。
 若田警部も、

「......これで、もう
 推理も打ち止めですかな?」

 総括するかのように、樹理ちゃんに言葉をかけていた。
 なお、警部の後ろでは、手錠を持った刑事さんが手持ち無沙汰な感じだ。

「うーん......」

 困ったような表情をする樹理ちゃん。
 樹理ちゃんに、皆の視線が向けられる中。

「あのぅ......」

 おキヌちゃんが、おずおずと喋り始めた。


___________


「みら先生の小説でも
 殺人事件とか出てきますけど......。
 あんまり複雑なトリックは
 使われてないですよね。
 ......現実の事件も、同じように
 単純なんじゃないでしょうか?」

 私に向かって微笑むおキヌちゃん。

(そう言えば......)

 おキヌちゃんと知り合った事件において。
 悪霊に体を乗っ取られた私は、自分の『小説』の展開を示すことで戦ったんだけど。
 淀川ランプの悪霊には『なんて安直な展開じゃーッ!?』と言われたんだっけ。
 あの時、私が書いてみせたのは......。

「......抜け穴!
 この屋敷には、きっと
 秘密の抜け穴があるんだわ。
 犯人は、そこを通って
 207号室へ忍び込んだのよ!」

 大きく叫ぶ私。
 その私の隣で、横島さんとおキヌちゃんが、言葉を交わしている。

「抜け穴探しなら......
 おキヌちゃんが活躍できるな!」
「えへへ......」

 非常に小さい声だったけれど。
 それを、私は聞き漏らしていなかった。


(第十章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十章

「抜け穴探しなら......
 おキヌちゃんが活躍できるな!」
「えへへ......」

 横島さんとおキヌちゃんの、小さな会話。
 それは、若田警部の耳には入らなかったらしい。
 
「......では、ここで
 今日は解散としましょう」

 その場は、お開きとなり。
 警察の面々は、207号室へと向かう。
 秘密の抜け穴を探しに行くようだが、その捜索に、私たち素人は関わらせてもらえなかったのだ。
 
(おとなしく部屋に戻るしかないか......)

 そう思って、立ち上がる私。
 福原クンも、私に従う。
 でも。

「ごめんね〜!
 犯人扱いしちゃって......」

 樹理ちゃんが、私たち二人に声をかけてきた。
 言葉だけでなく、手を合わせて、ポーズでも謝意を示している。
 私は、軽く手を振ってみせた。

「いいわ、あんまり気にしてないから。
 ......それに、どうせ、
 すぐに論破されるだろうと思っていたし」
「あー!
 ひどーい」

 私の軽口に合わせて、樹理ちゃんも冗談口調で応じる。
 そこに、おキヌちゃんも声をかけてきた。

「まーまー。
 色々ありましたけれど、
 警察の方々が秘密の通路を発見したら、
 これで何とかなりそうですね」

 いや、それで密室の謎が解けたとしても。
 事件解決には、ほど遠いでしょ。
 なまじ推理小説に出てくるような複雑なトリックの場合、密室トリック解明が犯人に直接結びつくこともあるのだが――例えば樹理ちゃんの『私犯人説』や『薮韮さん犯人説』や『御主人さん犯人説』(第九章参照)――、しかし秘密の抜け穴となると、そうもいかない。
 誰もが使える通路であるなら、誰もが犯人に成り得てしまう。
 そんなことを私が考えている横で。

「なに言ってんの!
 『警察の方々』じゃないわ。
 ......彼らより先に、
 私たちで抜け穴を見つけだすのよ!」

 樹理ちゃんが、テンションを上げていた。
 
「えっ?
 でも......例の部屋には
 私たちは入れてもらえないでしょうし......」
「だ・か・ら!
 反対側から探せばいいのよ!」

 おキヌちゃんの言葉を、バッサリ斬って捨てる樹理ちゃん。
 今度は、私が問いかける番だった。

「反対側の部屋......?」
「そうよ!
 犯行現場に通じる秘密の抜け穴。
 207号室を出口だとして、
 どこかに入り口があるはずでしょ?
 ......私たちは、
 そっちから探せばいいじゃない!」
「あ!」

 こうして。
 私たち三人が、これからの行動を打ち合わせている傍らで。

「なんだか俺たち......
 すっかり空気じゃねーか?」
「ま、仕方ないでしょう。
 いつも樹理は、あんな感じです」
「女三人よれば何とやら......かな」

 横島さん・茂クン・福原クンの三人が、何やらコソコソと言葉を交わしていた。




    第十章 探すことが好き
    ―― I Love to Search ―― 




「もしかして......樹理ちゃん、
 その『入り口』に心当りがあるの?」
「うん。
 『入り口』というより......
 むしろ『出口の一つ』かな?」

 人々が去りつつある大食堂。 
 そのテーブルの一つに座ったまま。
 私たちは、作戦会議。

「単純に二つの地点を結ぶ通路じゃなくて、
 屋敷のいくつかの部屋に通じている抜け穴。
 ......そんなのを私は想定してるのよ」

 おキヌちゃんが『抜け穴』を提唱した際には、そこまで大掛かりなものではなかったはず。
 でも樹理ちゃんは、そこから想像を大きく膨らませていた。
 問題の207号室だけでなく。
 その『秘密の通路』は、色々な場所につながっていて。
 犯人は、それを今までも使っていた。
 そして今回。
 たまたま『出口の一つ』である207号室が利江さんの部屋になったので、犯人は、この機会を利用したのだ。

「......え?
 どういう意味です?
 『今までも使っていた』って......」

 樹理ちゃんの空想についていけない、おキヌちゃん。
 でも、私は理解できていた。

「樹理ちゃんは......例の亡霊も
 今回の犯人の変装だと思ってるのね?」
「そのとおり!」

 利江さんを殺した犯人は、最初から、緋山ゆう子亡霊伝説を利用するつもりだったのだ。
 私たちが来る三日前に、彼女の亡霊が出たのも。
 私たちが来た翌日に、彼女の亡霊が出たのも。
 どちらも、犯人の変装。緋山ゆう子の恰好をして、犯人は、四階の部屋に出現したのだ。
 ということは......。

「......抜け穴の出口の一つも
 四階の彼女の部屋にあるわけね?」
「そのとおり!」


___________


「すいませーん」

 男三人を引き連れて。
 私と樹理ちゃんとおキヌちゃんは、合鍵部屋へ。

「なんですか......?」

 私たちを見て、怪訝な顔をする弥平老人。
 たしかに、ここは宿泊客が頻繁に来る場所ではない。
 しかも、私たちは六人勢揃い状態なのだ。
 
「四階の......
 緋山ゆう子の亡霊が出る部屋、
 あそこの鍵を
 貸してもらいたいんですけど......」
「......だめでしょうか?」

 弥平老人は、ゆっくりと首を横に振る。

(チェッ。
 いきなり挫折か......)

 と思いきや。

「......鍵はかかってないです」

 え?
 
「使ってない部屋って......
 どこも鍵かかってないの?」

 私と同じ疑問を抱いたらしい。
 樹理ちゃんが質問するが、弥平老人は、今度も首を振る。

「そんなわけないでしょう。
 ......それでは不用心ですからの」

 弥平老人曰く。
 他の部屋はキチンと施錠しているが、問題の部屋だけは、開けっ放しだそうで。

「なんで?」
「......緋山の部屋ですから」

 答になってないんだけど。
 突然、別の疑問が頭に浮かんでしまった。

「あれ?
 ......そういえば、みんなして
 『緋山ゆう子』って呼んでるけど。
 小森家に嫁いだんだから、
 『小森ゆう子』なんじゃない?」

 私は、素直に口にしただけなのに。
 弥平老人は、真っ青な顔をして。

「なんという畏れ多いことを......!」

 バタンとドアを閉めてしまった。


___________


「......緋山ゆう子さん、
 よっぽど嫌われているみたいですね」
「ま、いいじゃない。
 とりあえず部屋に入れることは
 わかったわけだし。
 さ、行きましょう!」
「うん」

 おキヌちゃんと樹理ちゃんに、私も同意。
 六人でゾロゾロと四階へ向かう。
 樹理ちゃんと茂クンが先頭で、その後ろが私たち。
 大階段は横幅が広いので、四人が横一列に並んでも平気なくらいだった。

「それにしても......」

 階段を上がりながら、おキヌちゃんに声をかける私。

「樹理ちゃんや茂クンはともかくとして。
 おキヌちゃんや横島さんまで
 探偵ごっこに付き合ってくれるなんて、
 思わなかったわ!」
「えへへ......」

 笑って誤摩化すおキヌちゃん。
 彼女は、チラッと横島さんの方に視線を向けていた。
 それを受けて。

「まあ......今じゃ俺、
 これくらいしか出来ないからな」
「え?
 『今じゃ俺』って......」
「うふふ。
 横島さん、今と違って
 昔は凄い能力持ってたんですよ」

 私の問いかけに答えたのは、横島さん自身ではなく、おキヌちゃん。

「横島さんは、
 文珠を出すことが出来て......」
「文珠......?」
「はい。
 文珠というのは......」

 文珠。
 それは、霊力を凝縮して作る玉。
 霊能力者が漢字一文字を念で刻んで、文字にこめたイメージを引き起こすのだ。

「例えば......。
 『炎』や『氷』で燃やしたり凍らせたり。
 『防』で結界をはったり......。
 『模』で他人になりきって、
 頭の中を覗くことまで出来たんですから!」
「ま、そのあたりなら、まだ
 いかにも霊能力って感じだけどな。
 『柔』で地面をクッションにした際には、
 西条のヤローに
 『もー霊能と関係ない世界』
 ......って言われたっけ」
「いいじゃないですか。
 それだけ横島さんの文珠が
 万能だったってことですよ」

 おキヌちゃんと横島さんの話から想像するに。
 漫画に出てくる猫型ロボットの秘密道具並みに、なんでも叶う能力だったのだろう。
 そんなものがあれば、密室殺人の捜査だって、あっというまに終わりそうだ。

(でも、昔の話なのね......)

 私は、お風呂でのおキヌちゃんの言葉を思い出していた。
 幸せな二人の、悲しい過去(第七章参照)。それを聞かせてくれた時、おキヌちゃんは『その証拠に、横島さんは、もう......』と言ったのだ。
 あれは、この失われた能力のことだったのだ。
 だけど、今、私の目の前で。

「おキヌちゃんと一緒になって、
 真面目になっちゃったからなあ、俺」
「うふふ。 
 横島さんの霊力の源は
 スケベな煩悩ですからね。
 ......落ち着いちゃって
 霊力が落ちちゃうのも、
 少しくらい仕方ないですよ」
「......そうだよな。
 ゼロになったわけじゃないもんな。
 まだ霊波刀くらいは使えるし」
「それも昔にくらべて
 小さくなっちゃいましたけどね」

 二人は、陽気に振る舞っている。
 彼らの言葉を額面どおりに受け取るならば、横島さんの霊能力低下は、おキヌちゃんへの一途な愛の証。
 そう思えば、これもノロケの一種だけれど。

(そんな単純なもんじゃないのよね、きっと......)


___________


 そして。

「さあ、ここね!」

 樹理ちゃんと茂クンを先頭に、私たちは、問題の部屋へと入っていく。
 四階の一室。
 緋山ゆう子の亡霊が出ると言われている部屋。
 いや、『言われている』どころじゃない。私たち自身も、それを目撃しているのだ(第五章参照)。

「......どこから調べようか?」

 部屋の中を見回す樹理ちゃん。
 私も、それらしいものを探してみる。
 まずは、床のカーペット。緋山ゆう子のチャイナドレスと同じ、深紅のカーペット。

(カーペットをめくると、
 隠し通路に通じるスイッチが......?)

 あるいは。
 左側の壁に目を向けると、分厚い本が詰まった本棚。
 もちろんスチール製の安物なんかじゃなくて。
 立派な木材で作られて、前面にもガラス戸。
 だから、ホコリが積もることもなく、中身はキレイに保存されている。

(この本の中の一冊がスイッチになっていて、
 本棚自体がスライドして抜け穴が出現......?)

 そして、右側の壁。
 そちらにあるのは、緋山ゆう子の肖像画。
 表面がデコボコしているのは、油絵だからだろう。
 これも赤いチャイナドレスだが、一階のとは違って、全身像が描かれている。
 しかも等身大に近いサイズなので、かなり大きな絵だ。

(この絵が扉になっていて、
 この奥に秘密の道が......?)

 私だけでなく、他の面々も、色々考えているのだろう。
 無言で視線を動かしている。
 そんな中。

「さ、おキヌちゃんの出番だ」
「はい」

 背後で、横島さんとおキヌちゃんが言葉を交わしている。
 私が振り向くと......。

「え!?
 おキヌちゃんが......二人になった!?」


___________


「何......これ!?」

 二人のおキヌちゃん。
 一人は、だらんとした恰好で、横島さんに抱きかかえられて。
 そして、もう一人は......。

「立体映像......ですか?」

 福原クンがそう思ったのも無理はない。
 『もう一人』のおキヌちゃんはフワフワした感じで、体の向こうも透けて見えるのだ。

「幽体離脱ですね!?」
「すごーい。
 初めて見た〜っ!」

 茂クンと樹理ちゃんが、おキヌちゃんのもとへ――透けてる彼女の方へ――駆け寄る。
 さすがオカルトマニア。
 二人は、一目で理解したらしい。
 横島さんが、誇らしげに頷いている。

「ああ。
 おキヌちゃんの得意技さ」
『えへへ......。
 これなら壁もすり抜けられますから。
 隠し通路だって
 簡単に見つけちゃいますよ!』

 サラッと凄いことを言うおキヌちゃん。
 
(『すり抜けられます』って......。
 それじゃ鍵のかかった部屋だって
 自由自在に出入りできるじゃない!?)

 なんだか、さっきまでの議論がバカらしくなってきた。
 あーだこーだと密室トリックを考えていたのに、あの場に、壁抜け出来る人がいたなんて!
 まあ、おキヌちゃんにアリバイがあったことを祝福しよう。
 そうじゃなかったら、一も二もなく犯人扱いされていたに違いない。


___________


『ここでーす!』

 壁も床も天井も。
 彼女はスイスイ潜り抜ける。
 だから、その裏にある秘密の空間も、あっというまに発見できたのだった。

「やっぱり......これが扉?」
『そーみたいです』

 私たちは、壁の肖像画の前に集合している。
 おキヌちゃんの幽体は、まだ下半身が向こう側。
 上半身だけを、こちらに覗かせている。
 肖像画の胸の部分から体がニョキッと生えたような感じで、ちょっとシュールな光景だ。
 その状態で、おキヌちゃんが報告する。

『隠し通路の方にもスイッチがあるんですけど、
 そっちは壊れちゃって動かないみたいです』

 普通に考えるならば。
 こっち側にも向こう側にも開閉スイッチがあるはずだ。

『部屋側のスイッチ、
 たぶん近くにあると思うんですけど......』

 おキヌちゃんの言葉に頷いて。
 私たちは、絵の近辺を探してみる。
 でも。

「......ないわね」
「ロコツに怪しい突起とか、
 どっかにあったらいいんだけど」

 探し疲れて、愚痴をこぼす樹理ちゃんと私。
 それを聞いて。
 
「そうか。
 ......突起か!」

 横島さんが何か閃いたらしい。
 
(え?
 私の『突起』って言葉がヒントになった?
 ......でも、そんなもの見当たらないから
 困ってるんだけど......)

 私たちが、不思議に思いながらも見守る中。
 横島さんは、左腕でおキヌちゃんの肉体を抱きかかえたまま、肖像画の前に立つ。
 
『あの......横島さん?』
「まあ、見てなって」

 ちなみに、おキヌちゃんの幽体は、肖像画の胸部に半身を埋めたままだ。
 だから、ちょうど夫婦で向き合うような形。

(ちょっとだけ......ロマンチック?)

 と、思った時。
 横島さんの右手が動いた。

 ツンツン。

『きゃっ!
 何するんですか、横島さん!?』
「いや違うんだ、おキヌちゃん。
 別におキヌちゃんを突っついたわけじゃないんだ。
 ただ、この油絵のチチがあまりに豊かで、
 しかも先っぽがリアルに尖ってたから......」
『もうっ!
 そんな場合じゃないのに......』

 そんな場合だった。 
 横島さんが押したのが、スイッチだったようで。
 絵全体がパカッとスライドして、そこに入り口が出来上がったのだ!

「まあ......上手い隠し場所ですよね。
 そんなとこ押してみる人、
 普通、いないでしょうし......」

 男としてフォローする義理を感じたのか。
 私の隣で、福原クンが、そんな意見を述べていた。


(第十一章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十一章

「さあ......いよいよね!」

 四階の一室、かつての緋山ゆう子の部屋。
 今では、彼女の亡霊が出ると言われている部屋。
 そこで隠し通路を発見した私たちは、その中へと入っていく。
 樹理ちゃん・茂クン・私・福原クン・おキヌちゃん・横島さんの順番だ。ちなみに、おキヌちゃんは幽体離脱を止めて、普通の人間の女の子に戻っている。

「先生。
 足もと、気をつけてくださいね」
「大丈夫よ、福原クン」

 穴の中は、真っ暗だったけれど。
 先頭の樹理ちゃん、真ん中の私、後ろのおキヌちゃん――つまり女のコ三人――は、懐中電灯を手にしている。全員分は用意できなかったので、女性優先となったのだ。

「下へ向かうみたい!」

 先をゆく樹理ちゃんが、状況報告。
 人ひとり通るのがギリギリくらいの狭い石段が、遥か下まで続いていた。
 慎重に進んでいく私たち。
 行けども行けども、様子は変わらない。

「......ずいぶん深いですね、先生」
「そうね。
 もう地下まで来てるんじゃないかしら?」
 
 さすがに、屋敷の中では――部屋と部屋との間では――広いスペースも作れなかったのだろう。
 この秘密の抜け穴のメインは、屋敷の地下にあるのだ。
 蝙蝠屋敷と呼ばれ、亡霊が棲むと噂される建物。
 その真下に、何があるのか?
 
「......階段終了!」

 再び、樹理ちゃんが声を上げる。
 先頭を進む彼女は、探検隊の隊長気分のようだ。

「ここなら並んで歩けそうですね」

 道は、平らになると同時に、広くなった。
 福原クンが、私の隣に来る。
 二人で一つのライトと考えれば、確かに、この方が安全だと思う。

(だけど......)

 ちょっと前後をチェックしてみる私。
 前を歩く樹理ちゃんと茂クンは、恋人同士。今も仲良く手をつないでいる。
 後ろのおキヌちゃんと横島さんは、夫婦GS。仕事柄、暗がりだってヘッチャラだと思いきや、六人の中で一番怖がってるのは、おキヌちゃんみたい。まるでお化け屋敷を進むカップルのように、横島さんに抱きつく感じで寄り添っている。

(......私たちだけ違うんだわ)

 私と福原クンは、そんな甘い関係じゃないから。
 自分自身の思考を否定するかのように、私は、ブンブンと頭を振って。
 意識を、周囲の状況に集中させることにした。

(かなり広い空間みたい......)

 懐中電灯に照らされた範囲しか見えないけれど。
 それでも大ざっぱなことは分かる。
 いかにも秘密の洞窟って感じ。
 でも岩穴ではない。下は土で、ただし、しっかりと踏みしめられている。
 壁も天井も、同じく土がむき出しになっているみたい。

「先生、気付いてますか?
 空気が動いているようですよ」

 私の耳元に顔を近付けて、囁く福原クン。
 空気の流れじゃなくて、彼の息づかいを感じる私。
 でも、

「うん、そうね」

 私も、彼と同じ結論に至っていた。
 だって、この洞窟の匂い。
 もし、ここが閉ざされた空間であり、空気がこもっているなら、もっと異臭がするはずなのに。
 実際には、適度な土の香りがするだけなのだ。

(この洞窟は......
 行き止まりじゃなくて
 どこかにつながっていて、
 出口があるんだわ!)

 はたして二階の殺人現場へ通じているのか否か。
 それが、一番重要なポイント。
 そう思ったんだけど。

(あれ?
 もしかして......)

 私の考えを嘲笑うかのように。
 私の推察を否定するかのように。
 なんともいえぬ嫌な匂いがし始めた。

「うっ......」

 思わず鼻を押さえた私。
 
「先生、大丈夫ですか?」
「うん、平気。
 そんなに心配しないで」

 鼻と口を手で覆ったまま、私が応じた時。

「きゃあっ!」

 樹理ちゃん隊長の叫び声。
 ガタンと音がして、彼女たちの前が真っ暗になった。
 どうやら、何かに驚いて懐中電灯を取り落としたらしい。

(えっ!?
 いったい何が......)

 私が、その方向に光を向けてみると......。

(......!!)

 そこに一人の女性が横たわっていた。
 ただし、眠っているわけではない。
 死体だった。
 それも、何十年も前に死んだもののようで、もう完全にミイラと化している。
 それでも女性だと判断できたのは、髪の長さと衣服のおかげ。
 年月のせいで傷んでいたけれど、でもハッキリしていた。それは和服でも洋服でもなく、赤いチャイナドレス。

「あっ!」
「おい、これって......」

 私の後ろから、おキヌちゃんと横島さんの声が聞こえてきた。
 彼らも死体に気付いたらしい。
 二人の言葉に答えるかのように。

「緋山ゆう子ね。
 彼女は逃亡したんじゃなくて
 ......ここで死んでたんだわ」

 私は、小さくつぶやいた。




    第十一章 君の住む抜け穴で
    ―― In the Hole Where You Live ―― 




「抜け穴探検も......一時中断ね」

 ミイラは無視して先へ進もう......なんて提案をする者は、誰もいなかった。
 一応、別の出入り口から誰かが来る可能性も想定し、男たちを見張りとして残して。
 女性三人で警察を呼びに行くことになったのだ。
 
(大丈夫かしら?)

 福原クンのことを少しだけ心配する私。
 もしも、この洞窟が、犯人の使っている隠し通路であるならば。
 『別の出入り口から来るかもしれない誰か』とは、殺人犯人に他ならないのだ。

(うーん......)

 凶悪な殺人犯に襲われて、それを返り討ちにする福原クン。
 そんな姿、ちょっと想像できない。
 だけど。

(万一の場合でも、
 横島さんがいるから......)

 妖怪や魔物とだって戦える横島さん。
 私の記憶に、彼の活躍シーンはないけれど。
 樹理ちゃんや茂クンの話では、凄い人らしいし(第五話参照)。
 なんてったって、おキヌちゃんの旦那さまなんだし。
 昔より弱くなったけど、GS特有の武器――霊波刀という名前だったと思う――が出せるようなことも言ってたし(第十話参照)。

(......ま、なんとかなるわよね、きっと)

 と自分を納得させた私に、樹理ちゃんが声をかける。

「さあ、みら先生。
 モタモタしないで、サッサと行きましょうよ!」
「......うん」

 樹理ちゃんだけではなく、

「大丈夫ですよ、みら先生。
 早く行けば、早く戻って来れますから」

 おキヌちゃんにも促されて。
 私は歩き始めた。


___________


「なんだ、君たちは?
 ここは関係者以外立入禁止だぞ」

 207号室の前に立っていたのは、若い刑事さん。
 さきほどの大食堂での集まり(第八章及び第九章参照)には来なかった人みたい。
 たぶん、ずっとここで見張りをさせられてたんだろうな。

「私たち、若田警部に話があって......」
「警部は忙しいんだ。
 君たちと遊んでいる暇なんかない。
 ......さあ、帰った、帰った!」

 ちょっとハンサムなんだけど、態度はサイアク。
 私たちを邪険にして、追い返そうとする。
 でも、入り口での押し問答が室内まで聞こえたようで。

「おやおや、これはこれは。
 安奈みらさん、田奈樹里さん、横島キヌさん。
 三人揃って......今度は何ですかな?」

 若田警部が、出てきてくれた。
 
「また何か新しい推理ですかな?」

 口ひげを右手で弄りながら。
 子供をあやす大人のような表情で、私たちに問いかける若田警部。
 ちょっと感じ悪い。
 だけど、彼の態度も、樹理ちゃんの言葉で一変する。

「今度は推理じゃないわ。
 私たち、死体を見つけちゃったの。
 ......緋山ゆう子のミイラよ!」
「何っ!?」


___________


 そして。
 若田警部以下、警察の面々は四階へと移動して。
 準備を整えた上で、真っ暗な隠し通路に突入。
 大掛かりな捜査が始まった。
 私たちは、当然のように追い出されてしまったが......。
 夕食の後、再び大食堂に集められた。


___________


「......違いますな」

 私たちを前にして。
 それが、若田警部の第一声だった。
 
「何が......?」

 そう聞き返してしまったのは、御主人さん。
 ああ、もう。
 この人、思いっきり釣られちゃってる。
 たぶん若田警部は、注意を引きたくてワザとあんな言い方しただろうに。

「あの通路は、行き止まりでした。
 ですから......。
 犯人が秘密の抜け穴を通って
 207号室へ侵入したという説。
 ......それは否定されたわけですな」

 若田警部は、視線をこちらのテーブルに向けた。
 昼間の会合同様、私と福原クンの隣には、おキヌちゃんと横島さん。向かい側に、樹理ちゃんと茂クンが座っている。
 小森家の人々は別のテーブル。御主人さん・女将さん・しずか御前は来ているけれど、使用人は全員集合ではない。
 夕食の後の片付けやら明日の仕込みやらがあると見えて、女中のシノさんや料理人の山尾さんは、ここにいなかった。薮韮さんと弥平老人だけが座っている。

(あれ?
 ここに弥平老人が来てる時って
 誰が合鍵の番をしてるんだろう?)

 一瞬そんな疑問も頭に浮かんだが、

(ああ、そうか。
 たぶん合鍵部屋自体に鍵をかけて、
 その鍵を弥平老人が持ってるんだ)

 と、すぐに解答を思いつく。
 そして、私がそんなことを考えている間に。

「行き止まり......?
 それは変ですよ。
 あそこの空気は流れていましたから......」
「ああ、それはですな。
 空気穴が用意されていたのです」

 福原クンが疑問をぶつけたが、アッサリと否定されていた。
 若田警部は、さらに解説する。

「どうやら、あれは抜け道ではなく
 人が隠れ住むための洞窟だったようですな。
 呼吸や換気のための小穴だけでなくて、
 天然の水洗便所までありました」

 洞窟の終点は、死体があった場所から少し進んだところ。
 隅っこに、さらに下方へと続く深い穴もあったが、人が通れるほど広くはない。
 しかも、懐中電灯で照らしてみると、穴の下には水が流れていた。
 近くの川へと流れ込む地下水脈の一つだったらしい。
 これを若田警部は『天然の水洗便所』と称したのだ。

(そういえば、この屋敷のある場所って......)

 山の中から見た光景(第一章参照)を、ふと思い出す私。
 川のきわの崖、その上に蝙蝠屋敷は建っているのだ。
 だから『地下水脈』とは言っても、それは『洞窟の地下』にあるという意味。
 川の水面よりは高い位置なのだと思う。
 断崖途中で外に通じていて、チョロチョロと崖を伝わって、そこから川へ注がれるのだろう。
 私がそんな想像をしている間に。
 
「......そして我々は、
 あの死体の近くで
 こんなものを発見しました」

 若田警部は、話題を次へと進めていた。
 彼が取り出してみせたのは、一冊のノート。
 かなり古い物のようだ。
 緋山ゆう子のミイラの近くにあったということは。

「何ですか、それは?」
「洞窟に隠れ住んでいた緋山ゆう子。
 ......彼女の手記のようですな」

 御主人さんの質問に答えてから。
 若田警部は、そのノートを朗読し始めた............。


___________
 
___________


 ああ、なんということでしょう。
 入り口が開かなくなってしまいました。
 開閉スイッチが壊れてしまったのでしょうか。
 それとも、扉となっている絵の前に何か置かれてしまったのでしょうか。
 原因は定かではありませんが、わたくしがここから出られなくなったことだけは確実です。
 
 前に外に出た際に取ってきた食料、それも昨日で食べ尽くしてしまいました。
 さいわい、水は壁から、しみ出してきます。でも水だけは、やがて餓死してしまうことでしょう。
 もはや残された時間も、多くはないのでしょうね。
 ならば、せめて真実を書き残しておこうと思います。


___________


 小森家に嫁いで以来、わたくしは、いわれのない迫害を受けてきました。
 新しく家族となった人々も、使用人も、村の人々も、皆、わたくしに冷たく当たったのです。
 小森家の財産を狙って結婚したんだと思われたのでしょうね。
 でも、違うのです。わたくしは、本当に心の底から、あのひとを愛していたのです。

 あのひとと出会った頃、わたくしは、どうしようもない女でした。
 毎日毎日、ただ生きていくだけで精一杯。
 なんの取り柄もない女が一人で世渡りするためには、きれいごとも言っていられません。
 汚い世界に、どっぷり首まで浸かっていました。
 お腹の中に、父親もわからぬ子を身ごもっているほどでした。
 そんなわたくしに対して、あのひとは、

「結婚しよう」

 と言ってくれました。
 そして、そのとき初めて、あのひとの身分を知ったのです。
 わたくしとは住む世界の違う人だと思っていましたが、そこまで大きく違うとは、それまで思ってもいませんでした。

「......ただし、
 お腹の子供は諦めてくれ。
 父無し児を連れた女性を
 嫁にするというのでは、
 屋敷の者たちが納得するまい。
 さすがに......私も
 説得する自信はない」
「それでは......
 堕胎せよというのですか?」
「何を言うんだ!?
 そんな非道なこと、考えてはいない!
 私の提案は......」

 きちんと説明されてしまえば、わたくしに、首を横に振る選択肢はありません。
 子供が生まれ落ちるのを待ってから、その子供を里子に出してから、結婚することになりました。

 お腹の赤ちゃんは、父親は特定できないものの、それでも大切な子供。別れるのは辛いですが、仕方ありませんでした。
 子供が幸せに暮らしていけるよう、あのひとは秘かに、良い里親を探し出してくれましたし、また、十分な養育費も与えてくれました。
 これで子供は立派に育つと信じて、心の中で踏ん切りをつけて、そして。
 わたくしは、小森家に嫁いできたのです。


___________


 小森家での暮らし。
 それは、幸せな暮らしでした。
 さきほど記したように、周囲からは冷遇されましたが、それでも、あのひとの側にいられるだけで、幸せだったのです。
 愛する人の妻になることこそ、女の歓び。それを、わたくしは初めて理解したのでした。
 同時に、

「わたくしのような女が、
 こんなに幸せになってよいのでしょうか。
 この幸せは、本当に長続きするのでしょうか」

 という不安も生まれましたが......。
 不幸にも、わたくしの心配は的中してしまったのです。


___________


 わたくしの幸せを壊したのは、あのひとの長男、和男(かずお)さんでした。
 飽食で肥え太った体と、いつも下卑た笑いを浮かべた顔。一目会ったその時から好きになれない人物でしたが、あのひとの子供ということは、わたくしにとっては義理の息子。
 和男さんの方が、わたくしよりも年上ですが、それでも『息子』として接してきました。

 ところがです。
 和男さんは、わたくしを『義母』ではなく『おんな』として見ていました。
 そして、好色な視線を向けるだけでは飽きたらず、実際にわたくしに襲いかかってきたのです!

 必死に抵抗しました。
 あのひとのおかげで、真人間に生まれかわった、わたくしです。
 あのひとと出会ってからは、あのひと以外に体を許したことなどない、わたくしです。
 それを、和男さんなんかに......!
 
 さいわい、手遅れになる前に、あのひとが駆けつけてくれました。
 和男さんが

「俺は悪くないぞ!
 この女が誘惑してきたんだ!」

 と言い張っても、あのひとは、耳を貸そうとはしません。
 わたくしに敵意を示していたはずの小森家の人々すら、和男さんの言葉を信じていなかったようです。
 わたくしは、胸を撫で下ろしましたが......。しかし、これこそが、大いなる災いの火種となったのでした。


___________


 その日。
 わたくしが一人で休んでいた部屋に、あのひとが飛び込んできました。
 大怪我をしています。血だらけです。
 そんな姿を見ただけで、わたくしは震えてしまいました。

「あ......ああ......」

 満足に話せないほど動揺するわたくしを、あのひとは、力強く抱きしめてくれました。
 そして、事情を説明してくれたのです。

「和男だ。
 あいつは......この屋敷の者を全て殺すつもりだ」

 強姦未遂の一件以来、和男さんは、屋敷の中で孤立していました。
 あのひとも激怒しており、和男さんを一族から追放しようとしていたのです。
 そこで、和男さんは先手を打ったのでした。跡継ぎの権利を剥奪される前に、秘かに、あのひとを殺そうとしたのです。
 あのひとは無事に逃げのびましたが、これが、また裏目に出ました。
 今度は殺人未遂です。これほどの大罪、露見すれば身の破滅。だから和男さんは、全てを闇に葬り去ろうとしているのです。
 犯行現場を目撃した者、この事件を聞き知った者、それら全員を殺そうとして、刃物を振るいながら屋敷中を走り回っているのです。
 もちろん、このニュースは今、屋敷中を凄い速さで駆け巡っています。このままでは、和男さんは、屋敷の者を皆殺しにする必要が出てくる......。

「そ......そんな......」
「和男は......もう狂っている。
 頭がおかしくなったか、あるいは
 悪魔にでも魅入られたのか......」

 和男さんは、わたくしのことを憎んでいることでしょう。
 わたくしが来たからこそ、このような事態に陥ったと思っていることでしょう。
 そう考えると、怖くてたまりません。
 
「ゆう子は、ここに隠れていなさい。
 和男は......私が止める!」

 あのひとは、この秘密の通路を開けて、わたくしを中に放り込んで、そして。
 和男さんとの対決へと赴きました。


___________


 あのひとは、必ず、ここへ戻ってくる。
 そう信じて、わたくしは、ずっと待っていました。
 真っ暗な中、ずっとずっと待っていました。

 でも、いくら待っても、あのひとは迎えに来てくれませんでした。
 我慢できなくなって、わたくしは、通路から抜け出しました。
 自分の部屋からも出て、屋敷の中を探し始めました。

「......!!」

 恐ろしい状態になっていました。
 廊下も部屋も、どこも血の海です。
 昨日まで元気にしていた人々が......皆、死体となって転がっていました。
 そして、その中に、あのひとの姿も。


___________


 天は罰を与えて下さったようで、和男さんも死んでいました。
 あのひとが最後の力を振り絞って返り討ちにしたのか、あるいは、全てが終わった後で和男さん自身が罪の意識にさいなまれて自害したのか。
 どちらなのか定かではありませんが、ともかく、胸に刃物を突き立てて、死んでいました。

「わたくし以外......。
 ......みんな死んでしまった」

 動くことも考えることも出来ず、わたくしは、ただ立ちすくんでいました。
 どれほどの時間そうしていたか、それは分かりません。
 ふと気が付くと、屋敷の外からの声が、耳に入ってきました。


___________


 最初は『ざわざわ』としか聞こえませんでしたが、少しずつ、鮮明になってきました。
 どうやら、村人が大勢、屋敷に向かっているようです。

「何かあったんじゃないか?」
「やはり......
 あんな化け物を屋敷に入れたから!」

 異変を察知してくれたことには感謝します。
 でも、わたくしは、かえって怖くなりました。
 なぜなら、彼らが『化け物』呼ばわりしているのは、わたくしのことだからです。
 この地方の伝説に出てくる赤い魔物を、わたくしと重ね合わせているのです。
 それが理解できたからこそ!

(隠れないと......!!)

 屋敷の生きとし生けるもの全てが死に絶えた中、わたくし一人が突っ立っていたら、それこそ、わたくしが犯人だと思われてしまうでしょうね。
 わたくしが何を言っても、信じてもらえないでしょうね。
 だから、わたくしは、この隠し通路へと舞い戻ったのです......。


___________


 こうして、わたくしは、暗い穴の中の住人となりました。
 正直、後悔しています。
 咄嗟の判断で隠れることを選んでしまいましたが、もしかしたら、もっと村人たちを信用するべきだったかもしれません。
 わたくしの言い分を信じてもらえる可能性に、賭けてみるべきだったかもしれません。
 でも、今さら手遅れでしょうね。
 だから、わたくしは、ここに棲み続けました。

 もちろん、ずっと閉じこもっているのは大変です。物理的にではなく精神的な意味で、息が詰まります。
 だから、時々、適当な時間を見計らって、ここから出ました。
 人々が寝静まる深夜、生活用品や食料の調達のため、裏庭にある倉まで足を延ばすこともありました。
 ただし、そこまで遠出をするには勇気がいります。たいていは、気分転換のため、部屋の窓から外の様子を眺めるだけでした。


___________


 でも......。
 それも、もう不可能となりました。
 最初に記した通り、もう外へ出ることは出来ません。
 あとは、ここで死を待つのみです。
 いいんです、どうせ、あのひともいないのですから。
 もはや生きていても仕方ありません。

 マッチは、とうの昔に使い切っています。
 今、灯りとして使っているのはロウソクです。
 消えてしまえば二度と点火できないので、大切に炎を継いできましたが、もはや、最後の一本。
 それも、残り僅かとなりました。
 この手記を書き終わるまでは、なんとか保ってくれそうです。

 ああ。
 書いておきたいことは、これで全て記したはず。
 この手記も、もう終わりです。
 いつの日か、これを誰かが見つけてくれますように......。


(第十二章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十二章

「......というわけですな」

 若田警部による手記の朗読が、終了する。
 その途端。

「いい加減なことを言うでないよ!
 和男伯父さんは優しい人じゃった......」

 しずか御前が、顔を真っ赤にして立ち上がった。

「そんな酷いこと、するわけなかろう!?
 ......嘘に決まっておる!
 緋山ゆう子は、嘘を書き記したのじゃッ!!」
「御前様、そんなに興奮なさらずに......」
「大丈夫です、御前様。
 警察の人もわかってくれますよ」

 凄い剣幕で怒鳴る彼女を、女将さんと御主人さんが必死になだめる。
 薮韮さんと弥平老人も、わらわらと駆け寄ってきた。
 弥平老人は、例によって片脚を引きずっている。そんな状態で参加しなきゃいけないとは、可哀想に。
 一方。
 私たち宿泊客は、『他人のフリ』どころか本当に他人。六人とも、完全に傍観者となっていた。

(そっか......。
 しずか御前は、当時の事件に
 直接関わってるんだもんね......)

 まだ激昂している彼女をボーッと眺めながら。
 私は、今さらながらに、それを思い返していた。
 緋山ゆう子の事件は、昔々のことだと思っていたけれど。
 死体を直接見てしまったことで、私にも、だんだん現実感が湧いて来たのだった。

(しずか御前は、数少ない生存者。
 屋敷にいなかったが故に助かっただけ......)

 緋山ゆう子の手記――若田警部が読み聞かせた内容(第十一章参照)――を、しずか御前が語ったストーリー(第四章参照)と比較してみる。
 緋山ゆう子が周りから冷遇されていたことは、共通していた。
 でも。
 肝心の部分で、大きな違い。
 しずか御前の話では、緋山ゆう子は、完全に悪女。義理の息子を誘惑し、その後、屋敷の者を皆殺しにしたのだ。
 一方、緋山ゆう子の手記では、悪役は、その『義理の息子』。緋山ゆう子は、姦通事件ではむしろ被害者であり、殺人事件では濡れ衣を着せられたのだ。

(だけど、今となっては......)

 考えてみれば。
 屋敷に当時いた者は全員死んでいるのだから、しずか御前の話は、あまり信憑性がないわけで。
 一方、自分のことをワザワザ悪人として記さないだろうから、緋山ゆう子の手記にも、あまり信憑性がないわけで。

(......どっちが正しいのか、
 もう誰にも、わかんないわね)

 考えるのを止めた私。
 私の視線の先では、しずか御前が、まだ御立腹な様子を示していた。




    第十二章 退屈な朝
    ―― Oh What a Borin' Mornin' ―― 




 一日目に旅館に着いて。
 二日目に殺人事件が起こり。
 三日目にミイラを見つけて。
 そして、四日目の朝。

「つまんないな......」

 広いベッドで、手足を広げて。
 私は、無意味につぶやいた。
 ここは私の部屋、305号室。一人きりなので、私が何を言っても、誰も聞いてはくれない。

「......せっかく天気がいいのに」

 窓から射し込む日差しは、とっても健康的。
 でも私は、ダラダラと横になっている。
 朝食の直後、警察の人々から外出禁止令が発せられたのだ。
 まあ、一応、私たちも事件の関係者なんだし。
 仕方ないって言えば仕方ないんだろうけど。

「今できることは......
 考えることくらいかな」

 仰向けからゴロンと寝返りをうって。
 枕を抱きかかえながら。
 緋山ゆう子の手記の内容を、頭の中で、もう一度吟味してみる......。


___________


 しずか御前の肩を持つつもりはないけれど。
 よくよく考えてみれば、緋山ゆう子の記録には、腑に落ちない点があった。

「隠れている間に、
 自分以外全員死んじゃった。
 ......これって出来過ぎた話よね」

 彼女が犯人として記していた小森和男、その男まで死んでいるのだ。
 誰が小森和男を殺したか。
 その疑問に対して、緋山ゆう子は、二つの説を示している。
 
「ひとつ目は......」

 『あのひとが最後の力を振り絞って返り討ち』。彼女は、そう書いていた。
 でも、そんな相討ちなんて。
 それが成立するには、いったい、どれほどの偶然が必要なんだろうか。
 ドラマや漫画じゃあるまいし、現実的には、起こる確率は低いような気がする。
 普通なら、死にかけでは相手を殺す力はないし、逆に、相手を殺すくらい体力あったらその後に逃げられるんじゃない?

「そして、もう一つは......」

 『罪の意識にさいなまれて自害』。彼女は、そう書いていた。
 でも、小森和男って。
 彼女の手記に描かれた人物像では、そんなイメージなかった。
 罪の意識を感じる人間には思えなかった。

「......そうなると。
 書かれていなかった第三の可能性ね」

 一番ストレートに考えるならば。
 小森和男を殺したのは、緋山ゆう子ではないだろうか。
 夫を殺された彼女が、その復讐を成し遂げたのではないだろうか。

「そうね。
 たぶん彼女は......
 完全な無罪じゃないんだわ。
 浮気や皆殺しに関しては無罪でも、
 小森和男殺しで有罪なんだわ!」

 だから、緋山ゆう子は。
 あそこに隠れ続けたのだ。
 あそこから出てこれなかったのだ。

「......うん。
 そう考えると、辻褄が合うわね」

 通路の入り口が開かなくなって。
 このままでは、餓死してしまう状況。
 やましいことが何もなくて清廉潔白なら、助けを呼べばいいのだ。
 ずっと中からドンドンと叩いていたら、いずれは誰かが気付いてくれるかもしれない。
 でも、そんな努力をした様子もなかったのだから。

「それが出来なかったのは、
 村人たちから迫害を受けていたから?
 犯人扱いされると思ったから?
 ......違うわ、そんなの詭弁だわ」

 中に居たら死ぬのは確実。
 外に出れば『犯人扱いされる』かもしれないが、『されない』可能性だってゼロではない。
 それならば後者に賭けてみようというのが、普通の心情のはず。
 だけど、緋山ゆう子は、死を選んだ。
 『どうせ、あのひともいないのですから』『もはや生きていても仕方ありません』なんてカッコいい書き方してたけど。
 それだって理屈に合わない。

「だって......『あのひと』が死んで、
 それを知った後でも彼女は、
 隠し通路でコソコソ生き続けていた。
 ......もしも本当に死を恐れないなら、
 犯人扱いされても構わないだろうし、
 それならみんなの前へ
 堂々と出ていけば良かったのに。
 やっぱり......彼女は無罪じゃないんだわ!」

 こうやって考えていくと、ピタッとパズルのピースがはまった感じ。
 ちょっとスッキリする私だった。


___________


「それじゃ今度は......」

 もう一度、寝返り。
 仰向けに戻った私は、枕を抱きかかえたまま、思索を続ける。

「......最近の事件との関連ね!」

 秘密の抜け穴。
 それは、おキヌちゃんが考えていたものとは違った。
 犯行現場である207号室へは通じていなかったのだ。
 そして、樹理ちゃんの考えていたものとも違った。
 犯人が色々な場所へ行き来するのに使える通路ではなかったのだ。
 でも。

「樹理ちゃんの推理は、
 少しだけ正しかったのね」

 緋山ゆう子は、一家惨殺事件の後、どこかに隠れていた。そこから時々出てくる必要があって、その際に目撃されたのだ......。
 彼女は、そう考えていたのだった(第五章参照)。
 そして実際に、私たちは緋山ゆう子のミイラを発見したわけだ。それに、彼女の手記にも、一時的な外出のことは記されていた。
 樹理ちゃんの推理では『緋山ゆう子は、その後、逃げ出した』だったので、そこは外れていたわけだが......。

「まあ、ポイントは押さえていたわけよね」

 さらに。
 最近の亡霊目撃談に関して、樹理ちゃんは、それを利江さん殺害犯の変装だとも想定していた(第十章参照)。
 これに関しては、まだ是とも非とも言えない。
 緋山ゆう子が何十年も前に死んでいた以上、彼女でないことは確かだか、それ以上の情報はないのだ。
 ......と、ここまで考えたところで。

「そうだ......!」

 私は、ベッドからガバッと起き上がった。

「樹理ちゃんの部屋へ行こう」

 一人でウダウダ考えるより、一緒に推理してたほうが楽しそうだ。
 それに、外出禁止令で、樹理ちゃんも退屈しているかもしれないし。

「思いたったら......即、行動!」

 私は、部屋から飛び出した。


___________


「樹理ちゃーん。
 ......樹理ちゃん?」

 樹理ちゃんの部屋は、私と同じ三階にある。
 部屋番号までは聞いていなかったけれど、昨日の密室議論の途中で、たまたま知ることが出来た。
 265号室が、樹理ちゃんの部屋の真下。御主人さんが、そう言ったのだ(第九章参照)。
 だから、私は今、365号室の扉の前に立っている。

 トン、トン。

 さっきから何度もドアをノックしてるんだけど。
 名前も何度も呼びかけてるんだけど。
 ウンともスンとも反応がない。
 だけど、それを続けているうちに。

 バタッ。

 扉が開いた。
 ただし、365号室ではなくて、隣の366号室。
 中から顔を出したのは、茂クンだ。

「樹理なら......いませんよ」

 ちょっと不機嫌そうな表情に見える。
 樹理ちゃんとケンカでもしたのかな?

「ちょっと意見が食い違いましてね」

 うわっ。
 聞いちゃいけないと思って遠慮したのに、疑問が顔に出ちゃってたみたい。
 私が質問するまでもなく、茂クンは解答を寄越した。
 さらに。

「樹理のやつ......。
 いまだに、この屋敷の呪いを
 『偽りの霊障』だと思ってるんですよ」

 ドアを半開きにしたまま、立ち話を始める茂クン。
 色々な密室トリックも否定され(第八章及び第九章参照)、隠し通路説まで却下されたことで、茂クンは満足。これで、犯人は人智を越えた存在なのだと確信したらしい。
 ところが、樹理ちゃんは『そんなわけない』の一点張りだったそうで。

「でも......茂クン。
 おキヌちゃんや横島さんも、
 幽霊なんていないって言ってたよね?」

 ちょっと反論してみる私。
 しずか御前とは違い、茂クンは、おキヌちゃんたちGSの力を認めているはずなのだ。
 
「そこですよ、安奈先生。
 樹理も同じこと言ってましたが......」

 持論を語り出す茂クン。
 彼の考えでは。
 おキヌちゃんたちが悪霊を感知できないことこそ、この魔物の力強さを物語っているのだ。
 一流のGSの目からも、その身を隠し通せるくらい。
 それくらいの、超一流の魔物。

「......たぶん、
 伝説の『緋蝙蝠』そのものです!」

 うーん、どうだろう。
 確かに、この地方の伝説(第二章参照)によれば。
 緋蝙蝠というのは、神様である『白こうもり様』を逆に封印しちゃうくらい、凄かったらしいけど。
 それは、白こうもり様が弱かっただけなのでは......。

「何言ってるんですか!?
 かりにも神様ですよ、白こうもり様は。
 神様は、みんな強いに決まってます!!」

 あの伝説を聞いた際、私は、白こうもり様って結構役立たずだと感じたんだけど。
 むしろ、親近感を覚えたんだけど。
 どうやら、茂クンの印象は違うらしい。
 そして。

「神に勝つほどの緋蝙蝠だから、
 横島さんたちでも探し出せないのです!」

 あー。
 これでは、樹理ちゃんと話が噛み合わないだろうな。
 
「......でも樹理は
 僕の意見を認めてくれなくて」

 やっぱり。

「しばらく部屋に閉じこもった後、
 『証拠を見つけてくる!』と言って、
 ひとりで出て行ってしまいました」


___________


「それじゃ......私が
 樹理ちゃんを探して来てあげる!」
「えっ。
 ......安奈先生?」

 足どりも軽やかに、私は、その場から立ち去った。
 今日のこれからの行動指針が定まったからだ。

(外出禁止令って......
 そういう意味だったのね)

 部屋から出てはいけない。
 あるいは、建物から出てはいけない。
 私は、そう解釈していた。
 でも。
 茂クンと話をしているうちに――樹理ちゃんが出て行ったと聞いた瞬間に――、閃いたのだ。

(この屋敷の建物じゃなくて
 ......敷地内から出なければいいんだわ!)

 考えてみれば。
 ここは大きな御屋敷で、だから敷地も広くて。
 庭園というか、ちょっとした森というか、そんな感じなのに。
 そっちは今まで、全然散策していなかったのだ。

(今日は天気が良いんだから、
 緑の中をウロウロすれば気分もイイはず!)

 と思って、ひたすら廊下を進んで。
 大階段に達した時。

「あら、みら先生!」

 呼びかけられたので、振り返ってみる。
 声の主は、おキヌちゃんだった。


___________


「みら先生も、お散歩ですか?」
「うん、そう。
 ずっと部屋の中にいたら、
 なんだか息が詰まっちゃうから」
「あ、私もです。
 じゃあ、一緒に歩きましょうね」

 二人並んで、大階段を降りる私たち。
 どうやらおキヌちゃんも、敷地内を歩くのはOKと解釈しているようだ。
 そして。
 玄関を出たところで。

「みら先生、どっちへ行きます?
 ......やっぱり、
 裏庭の倉を見に行きたいですか?」

 おキヌちゃんが、私に尋ねた。
 私は、特に目的地なんて設定してなかったんだけど。

「裏庭の......倉?」
「ほら、緋山ゆう子さんの幽霊が出るって。
 ......みら先生も、
 その話は聞かされたんですよね?」

 あ。
 おキヌちゃんに言われて、ようやく思い出した。
 しずか御前の語った亡霊伝説では、出現地点は、二つあったのだ。
 『かつての彼女の自室』と『屋敷の庭にある倉の近く』(第四章参照)。

「......しかも
 昨日聞かされた手記の内容も
 それに合致してましたよね」

 あ。
 おキヌちゃんに指摘されて、ようやく気が付いた。
 緋山ゆう子の記録では、隠し通路から時々抜け出したと記されていた。
 部屋の窓から外の様子を眺めたり、裏庭にある倉まで足を延ばしたり(第十一章参照)。
 その姿を目撃されて、亡霊伝説が出来上がったのだ。

「そ、そうね。
 せっかくだから、
 問題の倉を調べてみるのは
 ......面白いかもしれないわね」
「ええ!
 緋山ゆう子さんが死んでからも
 幽霊が目撃されてるようですから
 ......きっと何かあるんですよ」

 幽霊目撃談の中には、樹理ちゃんが提案したように(第五章参照)、単なる見間違いも含まれているかもしれない。
 それでも、どうせ目的もなくブラブラするくらいなら、そこへ行ってみる価値はあるだろう。

(それにしても......)

 私の隣でニコニコしている、おキヌちゃん。
 パッと見では、ちょっとボケーっとした感じの少女なんだけど。
 実は彼女は、なかなかスルドイようだ。

(......もしかして
 おキヌちゃんって名探偵?
 それならば......)

 私は、彼女を小説のモデルに使っている。
 『聖美女神宮寺シリーズ』の美少女巫女は、おキヌちゃんから想起したキャラクターなのだ。
 そこでは、彼女は主人公じゃなくて、主人公の相手役なんだけど。

(美少女巫女の方を主役にして
 ......スピンオフもアリかもしれない!)


___________


 神宮寺令子と離れて、一人、旅に出た美少女巫女。
 旅先で再会したのは、かつて、

「また......会えますか?」

 と口にした女性作家。
 今、その想いを受け止めて......。


___________


(いつもはウケだった美少女巫女が、
 今回はセメに回っちゃうの!)

 あんなことやら、こんなことやら。
 神宮寺令子仕込みのテクニックで。
 美少女巫女は、女性作家を、未知の世界へと導くのだ。

(きゃーっ!!
 とうとう私も禁断の世界に
 引きずり込まれちゃう!)

 胸はドキドキ、仕草はイヤンイヤン状態の私。
 でも。

「あのぅ、みら先生?
 ......みら先生!!」

 ハッ。
 おキヌちゃんに呼ばれて、我に返る。

「大丈夫ですか?
 まるで......妄想の世界へ
 イッちゃった横島さんみたいでしたけど」

 うっ、図星だ。
 さすが、おキヌちゃん。
 だてに横島さんの奥様してないわけだ。

(そうよね。
 おキヌちゃんには
 横島さんがいるのよね......)

 と、彼の存在を思い出したところで。

「あれ?
 そう言えば......横島さんは?」

 のんびり散歩するというのであれば、私とじゃなくて、横島さんをパートナーにするのが普通だろうに。
 それなのに一人で来たということは。
 もしかして......樹理ちゃん茂クンと同様、ケンカでもしてるのかしら!?

「そんなわけないですよ!」

 私の心配を一笑に付すおキヌちゃん。
 彼女の説明によると。
 横島さんは『なんだか疲れた』と言って、朝からゴロ寝しているらしい。
 思い返してみると、確かに、朝食の席でも、いつもより元気なかったような気が。

「......具合でも悪いの?」
「あ、心配しないでください。
 特に意味はないみたいです。
 ......横島さんだって、
 たまには、ゆっくり休みたいんですよ」

 横島さんは、美神さんほど朝に弱いタイプじゃないけれど。
 もともとは、高校の進路指導で退廃的な将来設計を語ったような男。
 早起きが好きなわけではないそうだ。
 用事があるならキチンと起きるけれど、休める時には休みたいタイプ。

「高校生の頃なんて、
 遅刻ばっかりだったんですよ。
 GSのバイトのせいもあったけど、
 そればかりじゃなくて......」

 クスクスと笑うおキヌちゃん。
 そんな彼女を見ているうちに、ひとつの可能性に気付いてしまった。

「あ!
 もしかして......
 横島さんが今日、疲れてる原因って、
 『ゆうべはおたのしみでしたね』なのかな?」

 素直に口にしてみたんだけど。

「もう、みら先生ったら。
 そんなわけないですよぅ!」

 おキヌちゃんは、全力で否定する。
 誤解されて恥ずかしいのだろうか、それとも、本当は正解だったのだろうか。
 うつむき加減の彼女は、真っ赤な頬をしていた。


(第十三章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十三章

 蝙蝠屋敷と呼ばれる小森旅館。
 建物自体は洋風建築だけど、庭は、むしろ日本庭園。
 人の背の高さほどの低木が植えられて。
 茂みと茂みと間のスペースには、岩も並べられている。何かを模しているような感じだが、何のつもりなのか、私には理解できなかった。
 遠くには池があって、橋も架けられている。
 そちらに通じているらしい砂利道を。
 私とおキヌちゃんは、ゆっくりと歩いていく。

「ねえ、おキヌちゃん。
 昨日の......
 緋山ゆう子の手記なんだけど、
 おキヌちゃんは、どう思う?」

 しばらく他愛ない話をした後で。
 私は、そう切り出した。

「『どう?』と言われても......」

 質問の意図が伝わらなかったらしい。
 私は、軽く補足する。

「ほら、あの内容って、
 しずか御前から聞かされた話と
 かなり違ってたでしょ?
 ......おキヌちゃんは
 どっちを信じたのかな、って思ってさ」

 『しずか御前』という言葉で、苦笑するおキヌちゃん。
 勝手に使っている呼び名だけど、おキヌちゃんも分かってくれたようだ。

「そうですね。
 私が信じたのは
 ......緋山ゆう子さんの話かな。
 だって、あれって死に際の記録だから
 遺言みたいなものじゃないですか。
 それを信じないというのは、
 なんだか可哀想な気がして......」

 『遺言』っていうのは、そーゆーもんじゃない気もするけど。
 まあ、おキヌちゃんの言いたいことは、わからんでもない。

「でもね、おキヌちゃん。
 ......あの話には、色々と
 奇妙な箇所があるような気がしない?」

 私は、さっきまで一人で考えていたポイントを指摘してみた。
 まずは、誰が小森和男を殺したか、という点である(第十二話参照)。
 おキヌちゃんは、話を聞きながら、ウンウンと頷いてくれた。

「ああ、言われてみれば......。
 たしかに小森和男さんを殺したのは
 緋山ゆう子さんかもしれませんね。
 だけど......きっと、
 それは仇討ちなんですよ」

 さすが江戸時代生まれのおキヌちゃん。
 彼女は、『仇討ち』という概念を持ち出して、緋山ゆう子の弁護を始める。
 緋山ゆう子だって、性根は悪い人ではなく、人殺しなんて無理なタイプ。でも、愛する人への思い故に。
 それがおキヌちゃん説だった。
 一応、私の考えと同じようだが(第十二章参照)、彼女の口調を聞いていると、私よりも好意的に解釈しているような気がする。
 だから、つい、反論っぽいことを口にしてみた。

「そこまで深く愛していたなら、
 その場で殉死すれば良かったのに」

 これこそ、私の第二の疑問点。
 『どうせ、あのひともいないのですから、もはや生きていても仕方ありません』への疑いである(第十二話参照)。とても本心とは思えないのだ、彼女は生き延びるために隠れていたのだから。

「......『愛』を口実に
 自分を正当化するなんてズルいよね。
 まるで女たらしみたい!」
「うふふ......それこそ
 『女心と秋の空』なんじゃないでしょうか」

 おキヌちゃんは、女性心理として納得しているようだ。
 つまり。 
 村人が屋敷に来たときには、恐いから咄嗟に隠れて。
 その後しばらくの間、まだ、生に執着していて。
 しかし、暗い場所で長々と隠れているうちに心変わり。
 そして、『もはや生きていても仕方ありません』という心境に。

「とっても女性らしいじゃないですか。
 ほら、昔のヒット曲でも、
 『男のコと女のコの気持ちは違う』
 ......って歌詞、ありますよね?」

 いや、そんな歌詞、どこにでも使われてそうだし。
 おキヌちゃんの想定したヒット曲、私には見当もつかなかった。
 まあ、それは些細なことだから、どうでもいいとして。

(私......女のコなのに
 女性心理がわかってないのかしら?
 そう言えば私の作品では、
 女の情念とか心の機微とか、
 あんまり出てこないもんね......)

 安直で都合のいいキャラを描いたほうがウケるから。
 そーゆー作品ばかり書いているうちに、人の心に疎くなってきたかもしれない。
 そして。
 『女性心理』に着目したことで、ようやく気が付いた。
 なぜ、私が緋山ゆう子の手記を信じられないのか。
 それは......。

「ねえ、おキヌちゃん。
 あの手記にあった『愛』って言葉、
 おキヌちゃんは、気持ち悪く感じなかった?」

 私の感覚では。
 緋山ゆう子が、本当に小森家の主人――あのひと――を愛していたとは思えないのだ。
 二人が愛を育んだ過程など書かれていなかったし、想像もできなかった。
 あそこの記述をストレートに受け取れば、緋山ゆう子は、『あのひと』に優しくされて、その優しさに甘えただけ。
 それを『愛』と言ってしまうのは、おかしいと思う。
 だから、全てが嘘っぽく聞こえてしまうのだ。

「......やさしさと愛とは別よね?」

 という私の言葉に対して。
 おキヌちゃんは、肯定も否定もしない。
 何か思い返しているかのような、無言の時間があって、それから。

「みら先生の言うとおり、
 やさしさは愛じゃないですね。
 ......でも、やさしさは
 愛が生まれるキッカケになりますから」

 ようやく口を開いた彼女は、幸せそうに微笑んでいた。




    第十三章 成し得ぬ犯罪
    ―― The Impossible Crime ―― 




「えーっと......世紀末救世主伝説?」
「何言ってるんですか、みら先生」

 しばらく歩き続けるうちに、日本庭園は終了。
 私たちは、何もないエリアに突入していた。
 木や草どころか、石も転がっていない。
 褐色の土が広がるだけ。

「だって、おキヌちゃん。
 あまりにも殺風景だから......」

 こういうのを荒野と呼ぶのだろう。
 そのイメージとして頭に浮かんだのが、さきほどの言葉だった。

「まあ、それはそうですけど。
 ......あ、たぶん、あれですね!?」

 私より早く、おキヌちゃんが気付く。
 目的地が見えてきたのだ。
 私たちが向かっている場所、つまり、幽霊が出ると言われている倉だ(第四章参照)。
 何もない中心にポツンと建っているのを見ると、まるで......。

「動物が近寄れないどころか、
 植物も生えることができない。
 それは、この倉から
 毒素が発せられているからで......」
「みら先生。
 ......それは殺生石伝説です」

 私が口にした妄想を聞きとめて、苦笑いするおキヌちゃん。
 そう言えば、その『殺生石伝説』の主役である金毛白面九尾の妖狐は、おキヌちゃんの友人なんだっけ。
 おキヌちゃんから聞いた話が頭の片隅に残っていて、それで、こんな想像をしたのかもしれない。
 まあ、でも。
 たしか殺生石のあるところは、いかにも山間部といった感じで、大きな岩はゴロゴロしていたはず。
 一方、ここは、小石ひとつ転がっていないくらい、ホントに何もない場所だった。
 そんなことを考えていると。

「......それに、みら先生。
 ここは、ちゃんと
 生き物も近寄れるみたいです」

 おキヌちゃんが、問題の倉を指さした。
 意味が分からない私だったけれど。
 もう少し歩くうちに、私の目でも、それを捉えることが出来た。

「あれ、福原クンじゃないの!?」
「うふふ。
 こんなところでバッタリ出会うなんて
 ......面白い偶然ですね」

 そう言って私に笑顔を見せる、おキヌちゃんだった。


___________


 私が気付いた頃には、向こうも私たちに気付いていて。
 福原クンの方から、こちらに歩み寄ってくる。

「福原クンまで、探偵ごっこを
 やってるなんて思わなかったわ」

 抜け駆けせずに、私も誘って欲しかったな。
 ふと、そんな気持ちにもなったけれど。
 それは心の中に留めておいた。

「福原さんも......
 幽霊の倉を見に来たんですか?」
「まあ、そんなところです。
 でも『探偵ごっこ』じゃないですよ。
 これは取材旅行ですからね、
 それっぽいところは
 念入りに観察しておかないと」
「仕事熱心なんですね、福原さん」
「いやあ、それほどでも」

 おキヌちゃんと言葉を交わす福原クンを見て。

(『取材』なら......それこそ
 私に声かけて欲しかったな)

 一瞬、心の中に、すきま風。
 でも、態度には出さずに。

「それで、福原クン。
 ......ネタになりそうなもの、
 何か見つかった?」
「いや、ダメでした。
 周囲には何もないし、
 中には入れないし......」

 そう言われて。
 あらためて、視線を問題の倉へと向ける。

「土蔵造りね」

 土台の部分は、黒っぽい石を積み重ねて作ってある。
 だが壁は石製ではない。上まで継ぎ目はなく、色は白に近いライトグレー。
 土壁を漆喰などで塗り固めたものだろう。
 そして、一番上は、日本的な瓦屋根のようだった。

「......みら先生、
 こういうのに詳しいんですか?」
「違うわ、おキヌちゃん。
 日本の建築様式について、
 小説の資料として調べたことがあるから。
 ......その時の知識の名残り」
「しょせん、書物の上での知識なんです」

 フォローにならない補足をする福原クン。
 でも、そうした知識が役に立つこともあるのだ。
 実際、典型的な例を知っているからこそ。
 一目で私は、この土蔵の特徴に気が付いた。

「窓がないわね」

 あとで裏側も確認してみる必要があるが、少なくとも前面と側面には、窓は一切ない。
 入り口に鍵がかかっていたら、中に入ることは出来ないわけだ。
 そして、その入り口は。
 土蔵造りには似合わない、頑丈な鉄の扉だった。
 左右に開く引き戸のようだが、その把手の部分が、ごっつい錠前――いわゆる南京錠――で繋がれている。

「これじゃ中に入れない......」

 と、つぶやく私。
 私たちは、話をしながらも、倉へ近付く方向に足を進めているので。
 だんだん細部がハッキリしてきたのだ。 

「大丈夫です!
 鍵がかかっていても、
 私には関係ありませんから!」

 明るく発言するおキヌちゃん。
 そうだ、おキヌちゃんの幽体離脱なら、この倉の中を覗くことも出来るだろう。

「じゃ......おキヌちゃんに
 中を取材して来てもらおうかな」
「はい!」

 私の言葉に、彼女が笑顔で頷いた瞬間。

「キャーッ!!」


___________


 一瞬、顔を見合わせる三人。
 今の悲鳴は、私のものではない。
 おキヌちゃんでもないし、もちろん、福原クンでもない。
 女性の悲鳴だったのだ。
 遠くからの叫びではないけれど、でも、何かを隔てて聞こえて来たような感じ。
 ......ということは!

「こっちです!」

 福原クンも、私と同じ結論に至ったらしい。
 彼は、土蔵を指さしている。

「......行きましょう!」

 福原クンが駆け出して。
 私とおキヌちゃんが、彼に続いた。


___________


「やっぱり......無理だわ」

 一応、確認してみたけれど。
 扉は、固く閉ざされていた。

「何やってるんですか、先生」
「だって......基本でしょ?」

 実は錠前はロックされていないとか、把手の裏側に引っ掛けてあるだけとか。
 そういう『鍵がかかったフリ』という可能性を考慮したのだ。

「やめてください、先生。
 縁起でもないですよ。
 先生が想定してるのって......」

 あ。
 福原クンに言われて、初めて気付いた。
 私がやっていること、それは。
 これが第二の密室殺人である場合のためのもの。
 あーだこーだと密室議論を行うための備えに他ならない。

「......みら先生!
 私にまかせてください」

 隣にいたおキヌちゃんが、突然、幽体離脱。
 壁をすり抜けて入ろうとしたのだが......。

 バシュッ!!

「きゃっ!?」
「え?
 ......どうしたの、おキヌちゃん!?」

 幽体となった彼女は、壁に衝突していた。
 いや、『ゴツン』ではないのだから、衝突というより、むしろ。

「バリアーに跳ね返された感じ?」
「そんなものパリンと割っちゃいましょう!」

 私と福原クンの言葉に対して、幽体おキヌちゃんは首を横に振って。
 サッサと肉体に戻ってしまう。
 そして、少しだけ専門家っぽい解説。

「ダメです。
 霊体では入れません。
 結界が張ってあるみたいです」
 
 うーん。
 『押してもダメなら引いてみな』という言葉があるが、オカルトでダメなら......。

「福原クン!
 急いで合鍵部屋へ行って!
 ......この倉の鍵だって、
 きっと、そこにあるはずだわ」


___________


「はい、先生!」

 私の指示に従い、福原クンが走っていく。
 彼の後ろ姿が見えなくなってから。
 今度は、おキヌちゃんに頼み事。

「おキヌちゃん、ちょっと
 ......ここで番をしていてね」
「え?
 みら先生も......
 どっか行っちゃうんですか?」

 心細さを顔に出すおキヌちゃん。
 おキヌちゃんって、幽霊相手に戦うGSのはずなのに。
 時々、こういう一面を見せる。
 そこが彼女の可愛いところかもしれないけれど。
 今は、そんな場合じゃなかった。

「大丈夫。
 遠くには行かないから。
 ただ......少しだけ、
 確認しておきたくてね」

 そう言って。
 私は、倉の周りを、グルリと一周。

(やっぱり......)

 確かめておきたかったのは、裏側の壁だ。
 前面や側面同様、そちらにも窓はなかった。
 
「......みら先生?」
「お願い。
 おキヌちゃんは、そこにいて」

 戻ってきた私は、足を止めずに、二周目に突入。
 今度は、土台の部分をチェックしてまわる。
 重ねられた石のひとつが、外れるんじゃないか。そんな可能性も考えたのだ。
 しかし、ザッと見たところ、それは否定できそうだ。
 
(今度も......密室殺人?)

 福原クンには『縁起でもない』と言われたけれど。
 さっきの悲鳴、あれはタダゴトではない。
 しかも、悲鳴ひとつで終わっているから、いっそう不吉なのだ。
 助けを求める声が続くのであれば、悲鳴の主も生きているだろうが、それがないということは。
 おそらく、この倉の中で。
 たった今、誰かが殺されたのだ。

「みら先生......またですか?」

 三周目。
 今度は、少し距離をとって。
 瓦屋根に意識を向ける。

(......こっちも大丈夫みたい)

 私が壁や土台を調べているうちに、犯人が上から逃げ出すんじゃないか。そんな可能性も考えたのだ。
 しかし、それも否定できそうだ。
 この倉は、平屋くらいの高さしかない。少し離れるだけで、上まで一応視界に入るのだ。
 ビルのような平らな天井なら死角も出来そうだが、幸い、日本建築では屋根は斜めだ。
 これならば、犯人が屋根の上に潜んでいることはないと断言できる。
 そして。

「......疲れた」

 三周目が終わったところで、おキヌちゃんの隣に座り込む私。
 念のため、おキヌちゃんに質問する。

「私が裏側にいた時、
 変わったことはなかったわよね?」

 私が別の部分を調査中に、犯人が正面から出てくるかもしれない。
 そんな可能性も考えて、私は、彼女をここに配備したのだ。

「ええ、もちろんです。
 ......何かあったら、
 みら先生だって気付きますよ」

 苦笑しながら、おキヌちゃんが頷く。
 まあ、彼女の言うとおりだろう。
 そんなに大きな倉ではないのだから、反対側にいても、異変が起これば察知できたはずなのだ。
 それに、よくよく考えてみれば。
 ここの鍵は南京錠なのだから、中から開けることは出来ない。
 つまり。
 
(もしも、さっきの悲鳴が......
 誰かの断末魔の悲鳴だとしたら。
 ......その犯人は、まだ中にいるってこと!?)

 ああ、おキヌちゃんが怖がっていたのも、当然なのだ。
 立っていたわけじゃなく、座り込んでいた私なのに。
 その脚が、ガクガクブルブル、震え始めた。


___________


「あ!
 福原さんが戻ってきました!」

 先に気が付いたのは、今度もおキヌちゃん。
 やっぱり眼鏡っコの私より、おキヌちゃんのほうが目がいいのかしら。
 そんなノンキなことを考えたのも、小さな現実逃避だったかもしれない。
 腰が抜けた......と言っては言い過ぎだけど、一人では立てなくて。
 おキヌちゃんに肩を借りて、立ち上がる私。
 それでも。

「はい、先生。
 これが、ここの鍵です」

 福原クンは、借りてきた鍵を私に渡す。
 この場を仕切るのは私という意味なのだろう。
 彼の気持ちを受け止めて。
 私は、入り口の南京錠に、それを差し込む。

(あら、この鍵......)

 小さな違和感、それは鍵の形状。
 屋敷の鍵は、頭の部分が蝙蝠のような形だったのに(第九章参照)。
 この倉の鍵は、ごくごくフツーなのだ。
 
 カチッ。

 だが、ちゃんと開いた以上、間違いなく、ここの鍵だった。

(......ふーん。
 屋敷の中と外じゃ、
 鍵も全く違うのね)

 そんなことを考えながら。
 私は、他の二人と共に、倉に入った。


___________


 窓がないから、倉の中は真っ暗。
 この闇の中に、先ほどの悲鳴の主がいるはず。
 そして、もしかすると凶悪な殺人犯も......。
 そんな恐い想像をしてしまったけれど。
 
「これも借りてきました」

 と言って、福原クンが懐中電灯をつけてくれた。
 それによって照らされた範囲内に。

「これ......電気でしょうか」

 おキヌちゃんが照明のスイッチを発見。
 早速、カチッと押してみる。
 倉の中の暗黒が消え去った。
 これで、よく観察できるようになったのだが......。

「きゃっ!?」


___________


 四方の壁には、それぞれ一つずつ、ランプが設置されていた。その少し下に、長方形の紙――何か文字が書いてある――も、一枚ずつ貼られている。
 天井には、何もない。
 床も、本来は何もないはずだった。外壁と同じように白っぽい漆喰でコーティングされている、単調なフロアー。
 しかし、今。
 そこに、女性の死体があった。
 彼女の胸には、小ぶりなナイフが刺さっていて。
 利江さんの時ほど血は流れていないが、それでも、明らかに死んでいる。

「ああ......そんな......」

 たぶん、心臓を的確に突かれたのだろう。
 あっというまに絶命したのだろう。
 あの悲鳴を上げるだけで精一杯だったんだろう。

「うぅっ〜〜」

 私の隣では、おキヌちゃんが啜り泣いているようだ。
 でも、私は、声も涙も出なかった。
 ただ頭の中でグルグルと、さっき聞いた言葉がリフレインしていた。
「『証拠を見つけてくる!』と言って、
 ひとりでどこかへ行っちゃいました」
 あの時の、茂クンの表情も思い出しながら。
 私は。
 死んでしまった樹理ちゃんを、ボーッと眺めていた。


(第十四章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十四章

 あの時、私は。
 茂クンに対して、
「それじゃ......私が
 樹理ちゃんを探して来てあげる!」
 と返したのだ(第十二章参照)。
 ただし、本気で樹理ちゃん捜索をするつもりではなくて。
 ウロウロしているうちにバッタリ出会うかもしれない......と考えた程度だった。
 実際、おキヌちゃんと一緒になってからは、樹理ちゃんのこと、ケロッと忘れていた。
 それなのに。
 まさか、こんな形で対面するなんて。

「他に誰も......いないようですね」 

 物思いに沈んでいた私は、福原クンの言葉でハッとする。
 そう、ここは倉の中。
 それも、たいして大きな倉ではない。
 私も福原クンもおキヌちゃんも、三人とも入り口近辺に立っているけれど、中を一望できる状態だった。

「......また密室殺人ですか」

 ああ、もう。
 男の人って、よく言えば冷静だけど、悪く言えば無神経だ。
 でも、せっかくだから。
 死体からは目を背けて、もう一度、状況を整理してみる。

(樹理ちゃんの悲鳴が聞こえた時。
 この倉の近くにいたのは、
 私と福原クンとおキヌちゃん。
 ......三人だけだし、三人一緒だった)

 茂みや岩など、人が隠れられる物は隣接していない場所。
 何もない荒野の真ん中の倉。
 犯人が逃げ出せば、当然、私たちの目に触れるはず。でも、それらしき人物は、誰にも目撃されていない。
 しかも、倉には鍵がかかっていて。
 結界のせいで、幽霊だって出入りできなくて。

(『再び』どころじゃないわ。
 ......利江さんの事件以上の
 不可能犯罪じゃないの!?)




    第十四章 彼女なしでも
    ―― Without Her ―― 




「もう......ヤだな」

 広いベッドの上で、体育座りする。
 背中を丸めて、自分自身を抱きかかえながら。
 ポツリとつぶやく私。
 私は今、305号室で一人きり。

「帰りたくなってきた......」

 あの後。
 今度は福原クンを現場に残し、私とおキヌちゃんとで、警察に連絡。
 若田警部以下の一行は、今日も屋敷に捜査に来ていたので、すぐに問題の倉までやって来た。
 私たち三人は追い出されて、それぞれ自室に戻ったわけだ。

「このまま蝙蝠屋敷にいたら......
 もっと悪いことが起こりそう」

 取材旅行という意味では。
 本物の殺人事件――しかも不可能犯罪――に巻き込まれたのは、悪くない。
 だけど、不謹慎云々を通り越して。
 私自身の心が、これを拒否しているのだ。
 こんなの......とても小説のネタには出来ない!

「樹理ちゃんが死んじゃうなんて
 ......思ってもみなかった」

 緋山ゆう子の呪い。
 ここに着いた日に、しずか御前は、そう言っていた。
「......気をつけなされ。
 この屋敷に足を踏み入れた以上、
 おぬしらも呪われておる。
 今回の標的は、おぬしらかもしれんぞ?」
 と言っていた。
 でも、誰も本気にしていなかったと思う。
 百歩譲って『呪い』が存在するとしても、その対象は、小森家の人々だと考えていた。
 実際、最初に殺されたのは、小森家の『大奥様』である利江さんだった。
 まさか宿泊客に魔の手がのびるなんて、誰も予想していなかったと思う。

「もう......帰りたいな」

 そんな言葉が再び、口からこぼれた時。

 トン、トン。

 ドアをノックする音が聞こえてきた。


___________


「あ。
 福原クン......」

 ドアを開けると。
 そこに、彼が一人で立っていた。

「......先生らしくないですね。
 どうしちゃったんですか」

 私の態度に、彼が戸惑いを見せるのは。
 その胸に倒れ込むようにして、私が彼に抱きついたからだ。
 彼の背中に腕を回して。
 ギュッと抱きしめながら、私は囁く。

「ゴメン。
 ちょっと......このままでいさせて」

 その言葉に、彼は、何を思ったのだろうか。
 体の温もりは感じられるけれど、彼の心は、伝わってこなかった。

「少しくらいならいいですけど。
 でも、部屋の入り口で、こんな状態。
 誰かに見られたら、誤解されちゃいますよ」

 誤解......か。

「それに......少しだけですよ?
 階下へ行かないといけないですから。
 警察の人々に呼ばれているんです」


___________


 昨日の昼食後、利江さんの事件のことで招集されたように。
 これから、樹理ちゃんの一件で、全員集合なのだそうだ。
 
「僕のところには、
 薮韮さんが呼びに来たのですが......」

 普通なら、そのまま薮韮さんが、隣の私にも連絡に来るはず。
 でも、福原クンが、それを制したらしい。

「先生には、
 僕から伝えたほうがいいと思いまして。
 ......どうせ一緒に行くわけですから」

 ああ、そうか。
 心配してくれたんだ。
 仲良くしていた樹理ちゃんが殺されたから。
 私が落ち込んでると思って。
 そんな私の姿を、他人に見せたくないと思って。
 だから......今、私が『先生らしくないですね』という状態でも。
 それを受け入れて、甘えさせてくれているのだ。

「ありがとう」
「じゃ、あと五分くらい、このままで......。
 それから行きましょうか?」

 こういう場面で『五分』なんて具体的に決めちゃうのは、まだ満点ではないな。
 そう思ったけれど、私は、努めて明るく返事した。

「......うん!」


___________


「福原秀介さん、安奈みらさん。
 また、あなた方が最後ですな」

 大食堂に入った私たちは、若田警部から一言、投げかけられた。
 ああ、そうだ。
 昨日の集まり――夕食後の方ではなくて昼食後の方――でも、確かに私たちが最後だった。

(同じね......)

 その場をグルリと見回してみる。
 全体を仕切っているのは、若田警部。
 相変わらず、自分の口ひげを弄びながら。
 部下の刑事さんたちを引き連れて、関係者一同の前に立っていた。

(こっちが小森家の席で......)

 いつも食事に使うテーブルには、小森家の人々と屋敷の使用人。
 女将の涼子さん・御主人の浩介さん・しずか御前、そして、シノさん・弥平老人さん・薮韮さん・山尾さん。七人が勢揃いしている。

(......こっちが宿泊客。
 あっ、でも......)

 そう。
 隣のテーブルは、昨日とは違う状況。
 樹理ちゃんが、もう、いないのだ。
 茂クンは来ていたけれど、彼は、少し離れた奥の方に座っていた。
 薄暗い場所なので表情も見えにくい。それでも、泣きはらしたかのように目が真っ赤なのは、分かってしまった。

「さ、先生。
 僕たちも座りましょう」
「......うん」

 福原クンにエスコートされて。
 私は、昨日と全く同じ席に座る。やはり、おキヌちゃんと横島さんの隣だ。
 おキヌちゃんも、悲しそうな顔をしている。
 彼女を力づけるかのように、その手を、横島さんがシッカリ握りしめていた。


___________


「......では、始めましょうか。
 福原秀介さん、安奈みらさん、横島キヌさん。
 まず最初に、死体を発見した状況を
 もう一度説明してもらえますかな。
 ......それも、詳細にお願いします」

 若田警部が指名したのは、私たち三人。
 だけど、私やおキヌちゃんに話をさせるのは酷だと思ったみたいで。
 福原クンが、代表して述べていく。

「外に行くなと言われていたので。
 ここの敷地内での暇つぶしと思って、
 あの倉を見に行ったんです。
 ......なにしろ、
 亡霊伝説に出てくる場所ですからね」

 なぜ、あそこへ行ったのか。
 そこから説明し始める福原クンだったけれど。

「ほう。
 亡霊伝説の倉......ですか。
 しかし、それは既に
 解決したのではないですかな?」

 いきなり、若田警部に遮られた。

「緋山ゆう子が残したノートに
 ハッキリ書かれていたでしょう。
 隠れ穴から出て自室で外を眺めたり、
 食料貯蔵庫まで出かけたりしていた、と。
 ......私が読んで聞かせたのに、
 ちゃんと聞いていなかったのですかな?」

 うん、彼女の手記に書かれていたことは、私たちも理解している。
 だけど。

「ちょっと待って!
 緋山ゆう子って、
 ずっとずっと昔に死んだんでしょ。
 でも......」 

 福原クンを弁護する意味で。
 私が口を挟んだ。

「彼女の亡霊と言われる存在は、
 彼女の部屋とか、あの倉とかで、
 その後もずっと目撃されてる......。
 それが亡霊伝説でしょう?」

 いつまでも、そして最近までも若い女性の姿で出てくるからこそ。
 緋山ゆう子の亡霊が蝙蝠屋敷に取り憑いていると言われているのだ。
 私は、そう聞いていたのだが。

「......違いますな」

 若田警部は、私の言葉を却下する。

「緋山ゆう子らしき姿が目撃されたとはいえ、
 頻繁だったのは、最初の頃だけ。
 ......手記が発見された今となっては、
 それは本人だったと理解できました。
 なぜか本人が死んだ後でも、
 それらしき姿は見られているようですが、
 場所は四階の部屋に限定されている。
 ......そうでしたな、小森浩介さん?」
「はい。
 裏庭の倉に幽霊が出たのなんて、
 私が生まれるよりも前の話です」

 同意を求められて、頷く御主人さん。

(え......!?)

 これは新情報。
 そんな話、私たちは、聞いてない。
 ずるいぞ若田警部、あんた、いつのまに情報入手したんだ?

(だって、しずか御前の話では......)

 彼女の語った内容を、正確に思い出してみる。
 まず。
 人知れず逃亡したはずの緋山ゆう子が、蝙蝠屋敷で目撃されるようになったのである。
 それも、一度や二度ではない。
 ある時は、かつての彼女の自室で、窓からボーッと外を眺める姿が。
 またある時は、屋敷の庭にある倉の近くで、スーッと消えていく姿が。
 何度も報告されたのだ。
 そして。
 緋山ゆう子目撃談が、延々と続いたからだ。
 その頻度こそ減ったものの、何年経っても何十年経っても、彼女は現れるのだ。
 その姿は、いつも、赤いチャイナドレスの若い女性。
(あ......!)

 確かに、彼女は『その後も両方で目撃された』とは言っていない。
 ただし、これでは、聞く側が勘違いしてしまうのも仕方がない。

「すいません。
 屋敷の者は皆、その点、
 理解しているのですが、
 お客様は話を誤解してしまうようで......」
「浩介、謝る必要なぞないわ。
 どうせ些細なことじゃ。
 人智を越えた呪いに、
 出没地点なぞ関係ないからの」

 御主人さんとは対照的に。
 しずか御前は、悠然とした態度を見せていた。


___________


「......まあ、いいでしょう。
 誤解であれ何であれ、皆さんが
 あそこにいた理由は理解できました。
 話を先に進めてもらえますかな」
「はい。
 最初は僕一人だったのですが......」

 若田警部に促されて、福原クンが再開する。
 
「特に何もないし、
 そもそも中にも入れないので、
 もう戻ろうかと思ったところで......」

 そこから先は、私もよく知っている話。
 私とおキヌちゃんが、偶然、合流したのだ。
 でも、とりあえず、この場は福原クンに任せて。
 私とおキヌちゃんは、話を時々補足する程度に留めた。
 
「......なるほど。
 だいたいの状況は把握できました。
 近くに誰もいない、逃げ場も隠れ場もない。
 ......そんな立地条件で、
 しかも施錠された倉だったのですな」

 福原クンが鍵を取りに行っている間に。
 私が、倉の周りを三回もまわって、細かくチェックしたのだ(第十三章参照)。
 中の床も壁と同じ造りだったし、今回は、秘密の抜け穴を考える必要もないだろう。

「今回も合鍵を借りてきて、
 ......それで開けたのですな?」

 私も福原クンも、おキヌちゃんも頷いたが。
 弥平老人が、首を横に振っていた。

「あの鍵は......合鍵ではないですわぃ」

 ここで、弥平老人の説明が入った。
 もう長い間、あの土蔵は使われておらず、南京錠も一応取り付けておいただけ。
 マスターキーのみで、スペアキーなど用意してなかった。
 万一の場合は、南京錠を壊すつもりだったらしい。

(そっか。
 ドアに埋め込まれた鍵じゃなくて
 外付けだから、新しいのに買いかえるのも
 わりと簡単なんだ......)

 と、私が納得していると。

「では......今度は
 他の方々に尋ねましょう。
 問題の時間に
 皆さんが何をしていたか、
 教えて頂きたいものですな」

 さりげなく、若田警部から状況提供。
 発見が早かったので、死亡推定時刻は、かなり絞れるらしい。
 ピンポイントで断言するのは無理としても、十五分くらいの範囲に収めることが出来て。
 それは、ちょうど、あの悲鳴の瞬間と一致するのだった。

「まずは......」

 若田警部の最初の御指名は、しずか御前。
 彼女は、部屋で一人だったと証言した。
 御主人さんと女将さんは、特に用事のない時間帯で、自室で二人で休んでいたそうだ。
 つまり小森家の一族に関しては、それぞれ、アリバイなし、アリバイあり、アリバイありということになる。
 一方、使用人の四人は、皆が働いていた。
 お互いにすれ違うことはあっても、それが、その『十五分間』かどうか定かではない。
 だから、彼らのアリバイは成立しなかった。

「あの......大丈夫でしょうか」
「......アリバイがないくらいで
 犯人だと決めつけたりはしませんよ。
 それではキリがないですからな」
「よかった......」

 樹理ちゃんの胸に突き刺さっていたのは、果物ナイフ。今度も、厨房から盗まれたものだった。
 山尾さんと若田警部の間で、なんだかデジャヴな会話が交わされる。

「さて、次は......」

 続いて、宿泊客。
 私と福原クンとおキヌちゃんは、三人一緒だから良しとして。
 横島さんと茂クンは、それぞれ部屋で一人だったので、アリバイなしとなった。


___________


「では......最後に......」

 全員のアリバイの有無を確認した後。
 若田警部は『最後に』と言った。
 どうやら、今日は、サッサと切り上げてしまうらしい。

(ああ......そっか。
 樹理ちゃんの存在、大きかったんだ)

 あらためて思う。
 利江さんの事件に関して、あれだけ活発な議論が行われたのは。
 探偵役の樹理ちゃんが、いくつもの密室トリックを出してきたからだ。
 もちろん彼女だけではなかったが、彼女が中心だったことは確かである。
 私が色々と思いついたのも、彼女に刺激されたからなのだ。
 でも、その樹理ちゃんがいなくなった以上。
 昨日のような密室談義は、もう行われないのだ......。


___________


「......これについても
 教えてもらえますかな?」

 若田警部に意識を戻すと。
 彼は、部下から手渡された何かを、皆に見えるように掲げていた。
 いかにも証拠物件という感じで、ビニール袋に入れられた物。
 それは、あの倉の中の壁に貼ってあった紙だった(第十三章参照)。
 しかし、それを見た瞬間。

「あーっ!
 持ってきちゃったんですか!?
 剥がしちゃダメですよぅ......!!」

 おキヌちゃんが叫んだ。


___________


「おふだです、これ。
 あそこに強力な結界が張ってあったのは、
 これのおかげです、きっと」

 GSは、こういうものを使って、幽霊が出入り出来ないような結界を作るのだそうだ。

「でも、簡単じゃないんです。
 一枚一枚、しっかり念を込めて
 貼っていかないといけないから......。
 美神さんだって、
 ちゃんと集中しないと
 無理なくらいでした」
「ああ、そんなこともあったな。
 冥子ちゃんと初めて会った時だな」

 真面目に解説するおキヌちゃんの隣で、ノンキに昔を懐かしむ横島さん。
 好意的に解釈するならば。
 おキヌちゃんの話を肉付けするために、ワザワザ体験談を加えている......といったところだろうか。

「なるほど。
 では、私たちが
 結界を壊してしまったわけですな」
「そうです!!」
「まあ、
 それはどうでもいいとして......」

 おキヌちゃんの力強い言葉を、サラッと流して。
 若田警部は、しずか御前の方を向いた。

「......そんなものが、
 なぜ、あの倉にあったのですかな?」


___________


「昔の除霊師の......
 その仕事の名残りじゃろうな」

 ああ、そうだ。
 緋山ゆう子亡霊伝説には、GSが雇われたという話も含まれていた。
 だけど何もいないと報告されたはず(第四章参照)。

「念のため結界を用意しておく。
 ......そう言った除霊師もおったな」
「なるほど。
 では、これは、
 かなり古いものなのですな」

 自分が手にしている物に、チラッと視線を向ける若田警部。
 おキヌちゃんの説明では、これには念が込められていたのだ。
 長々と結界の効果があったということは、それだけ、そのGSの念が強力だったということだろうか。

「......しかし、
 なぜ倉にだけ用意したのですかな。
 昔であれば、
 緋山ゆう子が出るのは二カ所。
 ......しかも四階の部屋こそ、
 緋山ゆう子の部屋なのでしょう?」
「ああ。
 たぶん、そちらにもあったはずじゃ。
 だが......あの部屋は
 誰もが出入り出来るからの。
 とっくの昔に、誰かが
 剥がしてしまったのじゃろう」

 しずか御前が、平然と答える。
 この人、あまりGSなんて信用してないから、その結界も気にしてなかったんだろうな。
 実際、今。

「......ククク。
 どうせ、そんなもの、
 無駄だったと証明されたわけじゃ。
 緋山ゆう子の呪いは、
 倉の中へ入れたのだからのう!」

 不気味に笑いながら、そう宣言する彼女。
 うーん。
 なんだか、聞いているうちに、少し腹が立ってきたので。

「そんなことないわ。
 結界は、ちゃんと有効だった!
 おキヌちゃんの幽体を弾いたんだもの!!」

 名も知らぬ昔のGSを弁護してみた。
 でも。

「クックック。
 この屋敷の呪いの力を
 除霊師の小娘なぞと一緒にするとは。
 ......それこそ笑止よのう」

 しずか御前は、私の発言を逆手に取って。
 結界すら乗り越えるほど強力な呪いだと主張し始める。
 ああ、茂クンと同じような理論だ。
 おキヌちゃんたちにも感知できないような――彼女たちの力を超えた――すっごい魔物。
 茂クンは、そんな存在を想定していた(第十二章参照)。
 ただし、それは、樹理ちゃん事件の前に聞いた話。

「ふざけるな!!」
 
 今、立ち上がった茂クンは......。


___________


「馬鹿を言うのは、もう、やめてくれ!」

 胸に溜まっていたものを吐き出すかのように。
 茂クンの言葉が溢れ出した。

「僕も、昔は、そう思っていた。
 わけわからんことが起きれば、
 なんでも幽霊や妖怪のせいにしていた。
 でも......でも!!」

 ここで、茂クンは再び座ってしまう。
 しかし、彼の話は止まらなかった。

「そんなの間違ってたんだ。
 真面目に考えるのを放棄して、
 逃げ込んでただけだったんだ。
 ......だけど樹理は、
 それじゃダメだって知ってたから。
 『何事も逃げちゃダメだ』って、
 僕に諭すつもりで......。
 それで......樹理は、オカルトも
 合理的に考えようとしてたんだ」

 そうだっけ?
 ちょっと違うような気もするけど。
 まあ、茂クンが、そう納得してるなら。
 
「だから......だから樹理は!
 一人で証拠を探しに行ったんだ。
 あいつは頭いいから、
 たぶんサッサと真相に気付いて、
 でも僕を説得するには
 証拠も必要だと思って......。
 それで......犯人と対決しに行ったんだ!」

 ああ。
 首を傾げたくなる部分もあったが、これには納得できる。
 屋敷の者でもない樹理ちゃんが殺された理由......それは、彼女が真相に気付いたから! 真犯人と直談判したから!

「......そして、犯人に殺されてしまった」

 最初の勢いも衰えて。
 茂クンの言葉は、弱々しくなっていく。
 彼の瞳は、だんだん潤みを帯びて。
 やがて、そこから涙がこぼれて、頬に筋を引いた。

「最初から......僕が
 樹理の言うことを信じて、
 そばで守っていたら......
 こんなことには、ならなかったんだ!」

 最後に、そう言ってから。
 彼は顔を伏せて、号泣し始めた。


(第十五章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十五章

「最初から......僕が
 樹理の言うことを信じて、
 そばで守っていたら......
 こんなことには、ならなかったんだ!」

 泣き出してしまった茂クンを、その場に残して。
 今日の集まりは解散となった。
 もちろん、『その場に残して』と言っても、別に放置プレーなわけじゃなく。
 女将の涼子さんや女中のシノさんが歩み寄っている。
 茂クンの世話は、二人に任せておけば良さそうだ。
 そう思って、私は。
 
「あのう......警部さん?」

 福原クンと共に、若田警部のもとへ。
 ちょうど大食堂から出るところだったが、振り向いてくれた。

「福原秀介さん、安奈みらさん。
 ......なんですかな?
 この密室殺人に関して、
 何か思いついたのですかな?」
「いや、そうじゃなくて......」

 私たちの用件は、この旅館にいつまで拘束されるかという質問。
 ここに泊まり続けてはいけない。
 もっと大変なことに巻き込まれる。
 そんな胸さわぎがしてならないのだ(第十四章参照)。

「ハハハ......。
 別に拘束してるわけじゃありませんよ。
 ただ......福原秀介さんも安奈みらさんも、
 この事件の関係者ですからな」

 ここに私たちを留める権利は、警察にはない。
 それでも、自らの意思で残って欲しいのだろう。

「......とりあえず、
 今晩は宿泊してもらえますかな?
 その後のことは......明日、
 また話し合いましょう。
 それまでには......
 こちらの捜査も進展して、
 事件も解決してるかもしれませんからな」

 ガハハと笑う若田警部。
 しかし、私には。
 この二つの殺人事件が早期解決するとは、とても思えなかった。




    第十五章 入浴、入浴
    ―― Nyuu Yoku, Nyuu Yoku ―― 




 朝から大変な一日だったけれど。
 その反動だろうか、午後は、もう何もやる気がしなくて。
 亡霊伝説とか殺人事件とか、考える気にもなれなくて。
 ずっと部屋でゴロンとしていた。
 それは私だけではなかったのかもしれない。
 夕食の席の空気は、いつもより澱んでいるように感じられて。
 食事の後、私は、すぐに大浴場へと向かった。
 とにかく......全てを洗い流したくて。


___________


「ふう......」

 広いお風呂で、ゆったりと手足を伸ばす。
 体を動かすたびに、お湯の温かさを再認識。
 緩やかなマッサージを受けているみたいで。 
 なんだか、気分も良くなってきた。

「やっぱり、お風呂はいいわね。
 お風呂は心を潤してくれる。
 人類の生み出した文化の極みだわ......」

 と、適当なセリフを口にしてみたら。

 ガラッ......。

 ここと脱衣場とを仕切る、ガラス戸の音。
 例によって眼鏡のまま入浴していた私なので、レンズの曇りをとると。

「あら......!」
「えへへ。
 みら先生、また会いましたね」

 入ってきたのは、おキヌちゃんだった。
 私が入浴していたのは分かっていたようで、ちゃんとタオルで前を隠している。
 考えてみれば。
 最初の日は入れ違いだったけれど、それでも、脱衣場で顔を合わせたし。
 二日目は、完全に同じタイミングで、二人で仲良く長湯したし。
 おキヌちゃんとお風呂で会わなかったのって、昨日だけだ。

「そうね、偶然ね......」
「今日は、男の人たちも
 お風呂でバッタリ出会ったそうですよ」

 湯船に浸かる前の身だしなみとして、軽く体を洗いながら。
 おキヌちゃんは、ミニ情報を教えてくれた。
 まだ夕食直後のはずなのに、彼女が、そんなことを知っているということは。
 男性陣の入浴は、夕食前だったのだろう。

「へえ......」

 私は、福原クンとお風呂の話なんかしないけど。
 おキヌちゃんと横島さんは、お風呂場での出来事に関して語り合うこともあるようだ。

(夫婦って......そんなもんなのかな)

 という感想を抱きつつ、私は。
 石けんの泡に包まれていくおキヌちゃんを、ボーッと眺めていた。


___________


 そして。

(これは......取材のチャンス!)

 今、私の隣には裸のおキヌちゃんがいる。
 湯船の中、二人で仲良く並んだ状態だ。

(私、男湯のことなんて分からないから......)

 そうなのだ。
 別に、おキヌちゃんのヌードを取材しようというわけではない。
 他人の裸――特にそれが美しい裸ならなおさら――に興味がないわけではないが、今、私の頭に浮かんだのは、そーゆー方向性ではない。
 女性であるから、女性の体のことも、女湯の状況も、小説として書くのは容易。でも男湯なんて覗いたこともないから、これまでは、非現実的な妄想しか書けなかったのだ。

(......話を聞いちゃおう!
 おキヌちゃんが色々知ってるなら
 ......それを教えてもらおう!)

 そう思って、おキヌちゃんに視線を向けた私。
 もしかして、眼鏡の奥がキラッと光ったりしたのだろうか。

「あの......みら先生?
 また何か、ヘンなこと考えてます?」 

 おキヌちゃん、わずかに体を動かして、私と距離をとる。
 もう、そんなんじゃないのに〜〜。

「おキヌちゃん、警戒しないで。
 ......私は、ただ、
 男湯の話を聞きたいなって思っただけなの」
「えっ、男湯の話......ですか?」

 おキヌちゃんの移動が止まる。
 ちょっとホッとする私。

「でも......いいのかな、
 喋っちゃっても......」
「大丈夫よ、ここだけの話だから。
 私とおキヌちゃんの間柄じゃないの......!」
「うーん......」

 口元に人差し指をあて、可愛らしく小首を傾げるおキヌちゃん。
 頭の中で整理しているのだろう。
 ようやく、まとまったようで。

「えーっと。
 横島さんがお風呂に入った時には、
 福原さんと穂楠さんがいて。
 二人が話していた内容は......」

 あ。
 微妙に誤解されたかもしれない。
 一般的な男湯の状況を聞きたかったのに、おキヌちゃんが語り始めたのは、今日の具体的な内容。
 それも、『話』そのものだ。

(ま......いいか)

 一瞬『穂楠って誰?』と思ったが、考えてみたら、それって茂クンのことだ。『茂クン』とだけ認識していたけれど、彼の名前は『穂楠茂』だった(第二章参照)。
 樹理ちゃんが死んでしまって、可哀想な茂クン。
 彼に対して、福原クンが、どんな慰めの言葉をかけていたか。
 それを聞くのも、一興かもしれない。
 だから。
 私は、おキヌちゃんの話に耳を傾ける......。


___________
 
___________


「樹理は......あいつは、
 僕にとっては唯一無二の存在でした」

 ポツリポツリと、穂楠さんが福原さんに語っていきます。
 
「あいつと出会う前の僕は、
 典型的なダメ人間でした。
 何をやってもうまくいかず......
 いや、それどころか、やる前から
 『どうせダメだ』と決めつけてしまって。
 ......なんの取り柄もない男でした」
「だけど......樹理ちゃんは、
 そうは思わなかったんだろ?
 茂クンに魅力を感じたからこそ、
 茂クンと付き合い始めたんじゃないかな?」
「はい!
 樹理は......あいつは、
 僕を認めてくれた初めての女性でした。
 『茂クンには潜在能力がある!』とか、
 『茂クンに足りないのは自信だけ!』とか、
 そうやって僕を励ましてくれました。
 実際、樹理と一緒にいると、
 何でも出来るような気持ちになって......」

 二人は、お風呂に浸かって話をしています。
 横島さんは、洗い場で体を洗っていたので、会話には加わっていません。
 二人に背中を向けていて、意識して聞くつもりもなかったのですが、耳に入ってくるのでした。

「......時々、細かい部分で
 意見の食い違いもありましたが、
 そうやって樹理と議論が出来るというのも、
 昔のダメダメな僕では考えられないことでした。
 僕が一人前になった証拠ということで、
 むしろ嬉しかったんです。
 本当に......」

 穂楠さんの語った内容から推測するに、それまで女のコと付き合ったことはなかったのでしょうね。
 もしかしたら、横島さん、この辺りで自分自身の初めての恋愛を思い浮かべていたかもしれません。

「......ただただ幸せな毎日でした。
 樹理と出会うまで、あんな感覚、
 もちろん味わったことありません。
 いや、それどころか。
 あんな感覚が存在すること自体、
 知りませんでした......」

 抽象的な『あんな感覚』という言葉。
 でも、抽象的だからこそ、人それぞれが自分の具体的イメージと重ね合わせてしまうようです。

「ああ、わかるよ、茂クン。
 ワクワクドキドキといった熱い感覚ではなく、
 フワフワとした温かい感覚だね......」
「わかりますか!
 そう、それです。
 ......では、福原さんも
 安奈先生とは、そんな感じなのですね」

 と、ここで。
 穂楠さんったら、福原さんに、みら先生との話を振っちゃったんです。
 横島さんがチラッと後ろを見ると、この時の福原さん、面白いくらいに慌てた表情だったそうです。

「......い、いや、違う。
 僕と先生との間に、そうした感情はない。
 それはない、ないんだよ、茂クン......」

 過度に否定する福原さん。
 それから、彼自身の体験談っぽいものを話し始めました。

「僕の場合......それは大学時代なんだ。
 大学生の頃には、僕も
 普通に女のコと付き合ったりしたから......」


___________
 
___________


 福原クンの大学時代の恋愛経験。
 一応、私も聞いたことはあるけれど(第六章参照)。
 男同士なら、違う角度から語ってくれるのかもしれない。
 そんな面白そうなところだったのに。

「みら先生......大丈夫ですか?」

 ここで話を区切って、私に問いかけるおキヌちゃん。

「え?」
「福原さんの『それはない』発言、
 やっぱり......酷いですよね。
 でも、あんまり深く
 気にしないほうがいいと思うんです。
 ほら、世の中、何が起こるか分かりませんから。
 『それはない』と思っていることだって、
 実現の可能性はゼロじゃないですから!」
「は?
 ......な、なんのこと?」

 聞き返した私に、おキヌちゃんは行動で答える。
 曇ったレンズ越しだったけど。
 彼女が私の頬を指さすのが、ボウッと見えた。
 その部分に手をやる私。

(あれ?
 いつのまに......)

 汗とは違う湿り気。
 これって......。

「ヤだなあ、おキヌちゃん。
 涙じゃないわよ、これ。
 眼鏡のツルの部分で、
 湯気が水滴になって、
 それが頬を伝わってこぼれただけ」
「......そうなんですか?
 私、眼鏡かけないから
 そういうのわからなくて......。
 カン違いしちゃいました。
 えへへ......」

 私の言葉、素直に信じたみたい。
 そして、おキヌちゃんの語りが再開した。


___________
 
___________


「僕にとっては、
 『付き合う』ということは、
 『他人でなくなること』だった。
 なんというか......一体感だな」

 遠い目で語り出した福原さん。

「二人でいることが心地良くて。
 それが、ごくごく自然なことだと思えて。
 ......でも、それがダメだったんだな、僕の場合は」
「え?」

 福原さんの言葉に、穂楠さんは戸惑いの色を見せたそうです。
 どうやら福原さんの話が、否定的な方向性だと気付いたのでしょう。
 それでも、福原さんは続けていきます。

「たくさん話をして、
 お互いを理解した気になって。
 肌と肌とを重ねて、
 そこから生まれる『情』を信じて。
 ......身も心も一つになったって、
 そう思ってしまうんだ。
 でも......そんなわけがない」

 福原さんの口元に浮かぶ微笑み。
 それは、自分自身を嘲笑うものでした。

「どんなに『一体感』を感じようと、
 そんなもの偽物だ。
 他人は他人、自分じゃないんだ。
 ......それを頭では理解していても、
 どうも行動で示せなくてね。
 『他人』であるはずの恋人に対して、
 まるで『自分』であるかのように接してしまう。
 ......それで、結果的に傷つけてしまうんだ」

 福原さんの言っているのは、要するに『パートナーに甘え過ぎた』ということなのでしょうね。
 お互いに信頼し合っていれば、時には相手に甘えることも必要だけれど、度を超してはいけないということかもしれません。
 ただ......福原さんの恋愛否定論は、それだけではありませんでした。

「フワフワとした温かい感覚......。
 確かに、それは心地が良い。
 でも、今になって考えてみると、あれは
 自分を溺れさせる感覚だったような気がする」
「自分を溺れさせる......?」

 福原さんの主旨に賛同できるかどうかは別として。
 穂楠さんは、だんだん、福原さんの話のペースに引きずり込まれているようでした。

「ああ、そうさ。
 ぬるま湯に浸かっているような状態だ。
 心までふやけてしまって、
 そのうち、堕落して......。
 自分の使命すら忘れてしまうだろうね」
「自分の使命......?」

 仰々しい言い方をした福原さん。
 だから、彼は説明を補足します。

「そうだよ、茂クン。
 自覚の有無は別にしても、
 その大小は別にしても......。
 僕はね、全ての人間が
 『使命』を持っていると思うんだ。
 それが『生きてる』ってことだと思うんだ」
「......で、あんたの場合は、
 ベストセラー作家を支えることが、
 その『使命』かい?」

 ここで口を挟んだのは、横島さんでした。
 もしかすると、修羅場を潜ったこともないような福原さんに、大げさな話をして欲しくなかったのかもしれません。

「ハハハ......。
 そうやって具体的に言われてしまうと......。
 特に、命がけで戦う立派なGSさんから
 指摘されては、返す言葉もないけれど......」

 GSの仕事って戦うことばかりじゃないんですけど、一般には、そう認識されているのでしょうか。
 福原さんは、横島さんに対して適当に返してから、再び、穂楠さんに語りかけます。

「......まあ、ともかく。
 だから僕は、
 独り身の方がいいと思っている」
「じゃ、福原さんは、僕にも、
 樹理のことなど忘れて一人で生きろ
 ......って言いたいんですか?」

 穂楠さんは、納得できない表情で聞き返しました。
 彼に対して、福原さんは、パタパタと手を振ってみせています。
 
「いや、そうじゃない。
 今のは......あくまでも
 僕の個人的な一例だ。
 押し付けるつもりはないよ。
 だけどね......」

 いったん言葉を区切った福原さん。
 少し悲し気な表情で、さらに続けました。

「......樹理ちゃんとの間に存在したのが
 本当に『愛』だったのかどうか。
 一緒にいた時の心地良さを
 『愛』と誤解していただけじゃないか。
 ......その可能性も考えた方がいいと思う」

 相手のことを深く理解することが大切だとか。
 時には、相手のために自分を犠牲にすることも必要だとか。
 福原さんは、彼なりの『愛』の概念を語っていきます。

「ほら、この先の人生で『真の愛』に
 めぐりあうかもしれないのだから、
 そうした出会いのためにも、
 死んでしまった人のことを
 いつまでも引きずるのは......」

 バシャッ。

「......ちょっといいかな?」

 体を洗い終わった横島さん。
 わざと派手な音を立てながら、お湯に浸かりました。

「男二人で『愛』について語り合うなんて
 気持ちワリーと思って聞いてたし、
 こーゆーのは他人から言われるんじゃなくて
 自分で気付くべきだとも思ったんだが......」

 と、前置きしてから。

「死んじまった恋人を引きずるのは
 ......俺も、良くないと思うぜ」

 穂楠さんの目を見ながら、そう告げました。
 きっと、その時の横島さんは、複雑な表情をしていたはずです。
 でも、穂楠さんは気付かなかったのでしょう。反論してしまいました。

「......横島さん!
 夫婦二人で仲良くGSやってる人に、
 今の僕の気持ちなんか......」
「いや......」

 横島さんは、最後まで言わせませんでした。

「死んじまったからな、
 俺の初めてのカノジョも。
 そして......あいつが死んで、
 失って初めて、色々なことがわかったんだ......」


___________
 
___________


 凄い話だった。
 福原クンの『恋愛をしている時の、自分自身を嫌い』(第六章参照)という言葉の意味、少しだけ分かったような気がする。
 その主旨に共感できるかどうかは別として、彼が考えている内容だけは、分かったような気がする。
 だけど。
 福原クンのことなんかより、もっともっとインパクトが大きかったのは。

(横島さん......そんな過去があったんだ)

 そして。
 今、おキヌちゃんを見ていると。
 何とも表現できない、彼女の表情を見ていると。
 新たな疑問が浮かんで。
 それは、素直に口から出てしまった。

「おキヌちゃん......もしかして。
 その『俺の初めてのカノジョ』って、
 おキヌちゃんも知ってる人なの?」

 明らかに、立ち入りすぎた質問。
 でも、おキヌちゃんは応じてくれた。

「そうですね。
 ......みら先生には
 流産の話もしちゃったんですから。
 こっちも、ちゃんと説明するべきでした」

 え?
 おキヌちゃんの妊娠と、横島さんの昔のカノジョと......関係があるの!?

「みら先生。
 アシュタロスって名前
 ......聞いたことありますか?」

 もちろん。
 核ジャック事件で有名な悪魔だ。
 そういえば、あの事件で実は美神除霊事務所が活躍したって、茂クンたちが言っていたな(第五章参照)。

「そうです。
 美神さんと因縁深い悪魔だったんです。
 だから私たち、
 最初から最後まで関わったようなもので......。
 その中で、横島さんは......」

 おキヌちゃんの口から語られていく、長い長い物語。
 それは、衝撃のストーリーだった。


(第十六章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十六章

 一日目に旅館に着いて。
 二日目に殺人事件が起こり。
 三日目にミイラを見つけて。
 四日目に第二の殺人。
 そして、五日目の朝。

(減っちゃったわね......)

 朝食のために大食堂に足を踏み入れた私は、心の中で、そうつぶやいていた。
 最初、食事は十人で行われていたのだ。
 四人の小森家の人々と、六人の宿泊客。
 でも、それぞれ一人ずつ殺されて。
 今、ここには......七人しかいなかった。

(計算が合わない......?
 あ、茂クンも来てないんだ)

 昨日の昼食や夕食には、きちんと来てたんだけど。
 思い返してみれば、あまり料理に口をつけていなかった気がする。
 食欲が湧かないのだろう。
 
(まあ......仕方ないか)

 食べられないのに無理して来るよりは、休んでいたほうがいいのかもしれない。
 いつもの席に座り、ふと、テーブルに視線を落とす。

(......量も多いもんね)

 そういう問題じゃないとは分かっているが。
 ついボリュームのことを考えてしまった私。
 夜と違って、朝は典型的な和食。でも、少し多過ぎるのだ。
 例えば、今日のメニュー。
 御飯と味噌汁の他に、テーブルに並べられているのは......。

(メインは、焼き魚ね)

 だが、鮭の塩焼き、ブリの照焼、アジの干物と、なぜか三つも皿に盛られているのだ。

(小鉢も......一つじゃないし)

 まず、里芋とニンジンの煮物。甘辛の餡で絡められている。
 煮物の左隣は、ほうれん草のおひたし。粉のように小さく刻んだ鰹節が、上に振りかけられていた。
 一方、右側にあるのは、油揚げと山菜を混ぜたもの。胡麻あえのようだ。
 さらに、炒り卵。緑色のアクセントが入っているのは、ネギかニラだろうか。
 そして、お漬け物は、キュウリとカブと刻み菜の三種類。
 四角い皿には、味付け海苔も置かれていた。

(こんなにおかずがあったら、
 御飯食べ過ぎちゃう......!)

 と思いながら。
 私は、箸を手に取った。




    第十六章 幕間
    ―― Intermission ―― 




 朝食は、夕食より静かだ。
 そして、今日の朝食は、いつもの朝食より静かな感じがした。
 もちろん、お通夜やお葬式の雰囲気ではない。
 私の正面では、横島さんが、いつもどおり明るく元気な様子を見せている。
 またノロケっぽいことを言っているのだろうが、私は、ちゃんと聞いていなかった。

(こう見えても......この人、
 重い過去を背負っているのよね)

 箸を動かしながらも、意識は、食べ物に向かうのではなくて。
 私は、昨晩お風呂でおキヌちゃんから聞いた話を、思い出していた......。


___________
 
___________


 アシュタロスの核ジャック事件。
 ニュースで一般人に知らされたのは、かなり後半の内容だけらしい。
 緒戦では、サッサと地上の神様が全滅させられたり、神様の世界から援軍も来られなくなったり、とにかく凄い状態だったそうだ。
 そんな中。
 たまたま捕虜になった横島さんは、一度は自力で脱出したものの。
 密命を帯びて敵陣に舞い戻り。
 スパイ活動に従事する。

(そして......敵の女幹部と
 仲良くなっちゃうのよね)

 まあ、確かに。 
 スパイ小説とか映画とかでは、主人公が敵側の女性を誘惑してベッドで情報聞き出すシーンも出てくるけれど。
 横島さんのケースは、そんなエッチなものではなかったらしい。
 むしろ、若い男女の純愛劇。
 
(......と、おキヌちゃんが言うんだから
 信じておいたほうがいいよね。
 それに、横島さんって、
 奥さんに嘘つくような人だと思えないし)

 そして。
 横島さんのカノジョとなった女魔族は、結局、こちら側に寝返って。
 クライマックスバトルでも、横島さんと肩を並べて戦ったそうな。

(でも......問題は、
 そのクライマックスバトル!)

 二人の前に立ちはだかったのは、カノジョの妹。
 『妹』という単語から、私は、ポワポワとした可愛らしい存在を連想しちゃったけど、実際には、そんなんじゃなくて。
 アシュタロスを愛し、かつ、アシュタロスから特別なパワーを与えられた強敵。
 そこで......。
 カノジョは、死んでしまった。
 横島さんを救うために。
 
(しかも......それは
 文字どおりの自己犠牲!)

 ここから、話が、ますますオカルトっぽくなる。
 カノジョは、瀕死の横島さんを復活させるため、自分自身の霊基構造――よく分からなかったけど魂のような物だと理解した――を分け与えたのだ。
 文字どおり、横島さんと一つになったのである。
 そして、その力も活かして。
 横島さんは、アシュタロスをやっつける。

(アシュタロス討伐の主人公は、
 美神さんじゃなくて......横島さんだった!)

 アシュタロスを倒す際にも、一悶着あったそうだ。
 悪魔は、横島さんに、カノジョを復活させてあげようと提案したのだ。
 もちろん、タダではない。
 それは、アシュタロスの軍門に下るということ。
 横島さんとカノジョ以外の人類は抹殺され、アシュタロスの世界が築かれるということ。
 でも、横島さんは、悪魔の誘惑をはねのけて。
 この世界を救ったのだった。

(......凄い話よね。
 おキヌちゃん視点だから、
 少しくらい誇張されてるかもしれないけど
 ......でも横島さんが
 ヒーローだったことは事実なんだわ)

 しかも、この話は、まだ前置きに過ぎないのだ。
 肝心のポイントは、終戦直後に判明したことだった。
 それは......。
 死んでしまったカノジョが、横島さんの子供として復活する可能性!
 カノジョが魔族だったからこそ。
 カノジョが魂みたいな物を横島さんに与えて死んだからこそ。
 そういう解決策も出てきたのである。

(だから......
 おキヌちゃんのお腹にいたのは......)

 そう。
 生まれてくるはずだった娘。
 それは、横島さんの、死んでしまったカノジョの生まれ変わり。
 
(重い話だ......)

 横島さんも凄いけれど、おキヌちゃんも凄いと思う。
 アシュタロスの事件当時、おキヌちゃんもオカルトGメンの一員として、戦いの渦中にいたから。
 知っているどころか、全てを目の当たりにしている。
 カノジョを連れてきた横島さんの幸せも。
 カノジョを失った横島さんの不幸も。
 その上で、おキヌちゃんは。
 横島さんと一緒になったのだ。

(......私には無理ね)

 もしも自分だったら。
 もしも自分の好きな人が、そんな経験をしたら。

(好きな人と一緒にはなりたいけれど、
 でも、それは、元カノの生まれ変わりを
 自分が産み落とすということ......。
 私だったら......ヤキモチやいちゃう。
 ......不可能だわ!)

 もちろん、私には。
 『好きな人』なんていない。
 だから、恋する乙女の気持ちは分からない。
 だから、愛する女性の気持ちも分からない。

(実際には、
 そーゆー感情の対象じゃないけど......)

 とりあえず、色々と想像するために、仮に彼をカレとして設定する。

(もしも福原クンに、
 そーゆービックリな過去があったとしたら......)


___________
 
___________


「先生......。
 みら先生、しっかりしてください」

 私を現実に引き戻したのは。
 その福原クンの言葉だった。

「え?」
「『え』じゃないですよ。
 また......妄想に没頭してましたね?」

 口調とは裏腹に、ニコッと微笑む福原クン。
 ああ、この笑顔だ。
 この『なんでも御見通しです』という笑顔に、私は弱いんだ。

「考え事しながら食べてるから......。
 ほら、お椀、間違っちゃってますよ。
 それ、先生のじゃなくて、
 僕の味噌汁です」

 あ。
 福原クンに言われて、気が付いた。
 うっかり彼のお椀に口をつけていたみたい。
 これというのも、お皿の数が多過ぎて、テーブルの上がゴチャゴチャしてるからだ〜!

「ごめん、ごめん」
「どうせ朝から事件のことを......
 血なまぐさいこと考えてたんでしょう?
 先生、せめて食事中くらいは......」

 あら。
 別に『なんでも御見通し』ではなかったみたい。
 でも。

(事件のことじゃないわ。
 むしろ......あなたのことを考えてたのよ)

 そんなこと、口が裂けても言えない。
 代わりに。

「うん、まあね......」

 と適当に誤摩化しながら。
 私は、二人の味噌汁を交換する。
 自分の分は、まだ口をつけていなかったから。
 これなら文句も言われまいと思ったが。

「先生......。
 わざわざ取り替えなくてもいいですよ。
 子供じゃあるまいし、
 間接キッスとか気にしませんから」

 福原クンが手を延ばして。
 私の手を止めた。
 私が途中まで動かしたお椀を、元の位置に戻す福原クン。
 『途中まで』どころか、ほとんど交換し終わってたんだから、こっちの方が『わざわざ』という気もするんだけど。
 
「それに......そもそも
 先生より前に、僕も一口すすってましたから」

 あら、やだ。
 それじゃ、このお椀の中って。
 微量だけど、福原クンの唾液が入ってて。
 それを私が飲んじゃったのね。

(そして、二人のお椀を
 最初の状態に戻したということは、
 今度は、私の唾液を福原クンが......)

 ......なんて妄想をするのが、本来の私だと思う。
 でも、今。
 福原クンがお椀を戻すのを見ながら。
 私の思考は、全く違うところへ跳んだのだった。

「どうしたんです?
 いつもの妄想......とは少し違うようですね」

 固まった私を見て、怪訝な顔をする福原クン。
 さすが福原クン、今度は大当たりだ。

「うん。
 今、ちょっと......難しいこと考えてる」

 頭の中を乱舞するのは、生前の樹理ちゃんの言葉。
 正解のようで不正解だった、いくつもの名推理。
 どれもピントがずれていたけれど......でも、実は!

「そうか......私」

 口から出たのは、そこまでだった。
 その続きは、心の中でのみ、言葉となった。

(......わかっちゃった。
 あの密室殺人のトリックも、犯人も!)


(第十七章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十七章(解決編その1)

 その日の昼食の席で。
 
「食事の後、一時間くらいしてから
 もう一度食堂に集まってください。
 若田警部からのお願いです」

 と、御主人さんが告げる。
 横島さんとおキヌちゃんは、少しの好奇心を顔に浮かべたものの、特に何もコメントしなかった。
 一方、福原クンは、食事の手を止めて。
 体をこちらに傾けて、私の耳元で囁いた。

「昨日の事件に関して
 ......また話し合うのでしょうか?」
「さあね」

 私は適当に返したんだけど。
 でも、福原クンには分かっちゃったみたい。

「先生......何か御存知なんですね?」
「うふふ。
 でも教えてあげないわよ。
 それは一時間後の......お・た・の・し・み!」




    第十七章 その男の独白
    ―― What Have He Done? ―― 




 そして、今。
 再び大食堂に集められた関係者一同。
 いつものように、二つのテーブルに、自然に別れて。
 片方には、しずか御前・女将の涼子さん・御主人の浩介さん・女中のシノさん・弥平老人・使用人の薮韮さん・料理人の山尾さん。
 もう片方は、私・福原クン・おキヌちゃん・横島さん、そして茂クン。

「では......始めましょうか」

 皆の前に立つのは、警察の面々。 
 もちろん、中心は、若田警部。
 でも、今回は。

「まず最初に......安奈みらさん。
 こちらに出てきてもらえますかな」
「はい!」

 呼ばれて、立ち上がって。
 スタスタと歩いていく私。 
 そう、この集まりの主役は私なのだ!

(うわっ、みんな私に注目してる......)

 小説の受賞パーティーでも緊張するのに、それとも違う雰囲気だ。
 私は、皆を見渡しながら。
 サッサと終わらせるために、サクッと要点を口にした。

「殺人事件の謎、解けました!」


___________


 一瞬、その場が静かになる。
 でも。
 そこに流れる空気を、私は読み取ってしまった。

「ああ、またか」
「どうせ、すぐに間違いだと分かる推理だろ?」

 そんな言葉が、空耳として聞こえてくる。
 特に利江さん殺しに関しては、さんざん議論が繰り返されたからなあ(第八章及び第九章参照)。
 しかも、これから私が語るのは、その利江さんの事件なのだ。

(こーなったらもー
 ......単刀直入でいこう!)

 そう考えて。
 私は、一人の人物にバシッと指を突きつけた。

「この事件の犯人は......
 薮韮さん、あなたです!」


___________


 薮韮さん犯人説。
 それは、樹理ちゃんも提唱していたし、私も追従していた。
 実は207号室は鍵がかかっていなかった......そんな可能性から、導き出された推理である(第九章参照)。
 ただし、最初に私が確認した時点ではロックされていたのだから、私が合鍵を取りに行っている間に開けられたに違いない。
 その点に関して色々考えて、出てきたのが『薮韮さん犯人説』やら『薮韮さん共犯説』やら『薮韮さん犯人説パート2:合鍵交換説』やら(第九章参照)。
 どの説も、全て否定されたのだが......。

「私たちの議論って......
 最初から前提が間違っていたの。
 それは......207号室が開けられたタイミング!」

 207号室は、いつ解錠されたのか。
 普通に考えれば、私が合鍵を手にして戻って、それで薮韮さんが開けたのだ。
 でも、そうすると不可能犯罪になってしまうから、『その時すでに開いていた』という薮韮さん犯人説が出てきたわけだ。
 だけど、それらは否定された(第九章参照)。
 だって、『鍵が開けられたのは、私が合鍵を取りに行っている間』と考えてしまったから。
 実は、これが間違いだった。
 『私が合鍵を取りに行っている間』ではなく......207号室は、最初から鍵がかかっていなかったのだ!

「......どういう意味ですか?
 それについては、
 安奈さん自身が確かめたはずでは......」

 理解できない一同を代表するかのように。
 御主人さんが口を開いた。
 私は、ゆっくりと首を横に振ってみせる。

「うん、たしかに私は確かめてる。
 あの部屋のドアは、
 固く閉ざされていたわ。
 でも......あれは
 本当に207号室だったのかしら?」


___________


 今朝、間違えて福原クンの味噌汁を飲んだから。
 お椀を隣と交換したり、元に戻したりしたのを見たから。
 私は、真相に気付いたのだった。

「樹理ちゃんの推理は
 ......惜しかったんです」

 樹理ちゃんは、鍵の交換トリックを考えた(第九章参照)。
 私は、合鍵交換を考えた(第九章参照)。
 でも、本当に交換されていたのは。

「207号室は......隣と入れ替わっていたんです」

 部屋全体の交換。
 言葉にすると、大げさなトリックだ。
 しかし、実際には、たいしたことではなかった。

(だって......どこも同じような部屋だから!)

 ふと、最初に自分の部屋へ案内された時のことを思い出す。
 三階の長い長い廊下。その両側には、同じにしか見えない扉が、ズラリと並んでいた(第三章参照)。
 迷子になるんじゃないかと思って、私も福原クンも、無言でシノさんについていったくらい(第三章参照)。
 それくらい、右も左も同じ光景だった。
 そして。
 うっかり私が間違えたように(第七章参照)、二階も三階と同じ状態だ。
 それぞれの部屋の違いは、金属プレートに刻まれた番号のみ。
 だから......。

「ドアについてるプレートを
 隣と交換してしまえば......。
 206号室あるいは208号室のドアを
 207号室のドアだと思わせることも
 ......簡単なんだわ!」

 そう。 
 私が最初にドアを確認した部屋、それは207号室ではなかったのだ。
 犯行現場ではなかったのだ。
 その隣の部屋――206号室あるいは208号室――だったのだ。
 
(使われていない部屋は......
 四階の一室以外は、施錠されている)

 弥平老人は、そう言っていた(第十章参照)。
 だから、あの部屋――偽の207号室――も、当然ロックされていた。
 そして。 
 あの時点――偽の207号室を私がチェックした時点――で、利江さんの部屋は、施錠されていなかったのだ。

(たぶん、
 利江さんの部屋を開けたのは
 利江さん自身だと思う......)

 薮韮さんが、利江さんの部屋に飲物を運ぶのは、夜の日課(第七章参照)。
 利江さんは、何の疑いもなく、薮韮さんを部屋に入れたに違いない。
 犯行は容易だったのだ。
 薮韮さんは、鍵をかける必要も開ける必要もなく。
 ただ、部屋番号のプレートを交換しておけばいいだけのこと。
 利江さんを殺した後、何食わぬ顔で『偽の207号室』の前に立って。
 誰か来るまで――誰か呼び寄せるために――ドアを叩き続けたら良かったのだ。

(そして......私が、その『誰か』になった)

 もちろん、私でなくてもよかったはずだ。
 だが、それが私になったというのは、彼にとっては幸運だったかもしれない。
 なにしろ私は、目が悪い。あの時だって、ドアに近付いて初めて部屋番号を認識したくらいだ(第七章参照)。
 隣とプレートが入れ替わっているなんて、気付くはずもなかったのだ。
 いや、万一そこで気付かれても。
 薮韮さんは、『気付きませんでした』と誤摩化せるだろう。
 言い逃れが出来ないのは......次のステップだ。

(私が合鍵部屋に行っている間。
 薮韮さんは、番号プレートを元に戻した)

 もしも、この作業を見られたら。
 こればかりは、誤摩化しようがないかもしれない。
 だから、薮韮さんは、もう誰にも来て欲しくなかった。
 『私』のような人物を確保した後は、もう誰にも来て欲しくなかった。
 だから、私が戻った時。
 彼は、扉を叩くのを止めていたのだ(第七章参照)。


___________


「......ここから先は、
 一昨日に議論したとおりです」

 私から鍵を受け取って、ドアを開けるのに苦労していた薮韮さん(第七章参照)。
 それは、動揺していたからではなく、解錠するフリを装っていただけ。
 この点に関しては、私や樹理ちゃんの推理は正解だったのだ(第九章参照)。

「どう......?
 これで悪霊云々じゃなくて、
 ちゃんと普通の犯罪として
 スッキリ説明できるんだけど......?」

 私は、薮韮さんに向かって問いかける。
 彼は、わずかに口元を歪めて、笑っているようだった。
 以前に犯人扱いされた時には、薮韮さんは、特に反論しなかったけれど。

「......面白いですね、安奈様」

 それが、今回の彼の返答。

「さすがに小説家だけあって、
 突飛な空想が得意なのですね。
 でも......それは、
 あくまでも空想でしょう?
 それとも、何か証拠があるのでしょうか?」

 面白い。
 薮韮さんが、そう言うのであれば。

「いいえ。
 空想じゃなくて......これが真相よ。
 証拠だってあるんだから!」


___________


「安奈みらさんから
 この推理を聞かされて......」

 選手交代。
 若田警部が、私の話を引き継ぐ。

「......我々は、
 ドアの金属板を詳しく調べました。
 すると207号室と208号室のプレートに、
 最近取り外された形跡が見つかりましてな」

 もちろん『最近』とは言っても、いつなのか特定なんて出来やしない。
 今日なのか昨日なのか、あるいは、もっと前なのか。
 それすら分からないのだから、問題のタイミング――私が合鍵を取りに行っている間――に細工されたという証拠にはならなかった。

「しかし、これは安奈みらさんの推理を
 否定するものではありませんからな。
 むしろ推理に合致しているので、
 サポートする方向だと言えるでしょう」

 続いて、若田警部は、部下の一人に目配せする。
 部下の刑事さんは、いったん食堂を出て。
 それから、すぐに、また戻って来た。
 手にしたビニール袋には、赤い物体が入っている。
 それを手渡された若田警部は。

「安奈みらさんが、
 長々と推理を披露している間に......。
 勝手ながら、
 薮韮実さんの部屋を調べさせてもらいました」
「何っ!?」

 さすがに、これは聞き捨てならないのか。
 珍しく、即座に反応する薮韮さん。
 でも、若田警部はアッサリ受け流して。

「......その結果、決定的な証拠が
 押し入れから発見されましてな」

 ビニール袋を開けて、その中身をサッと広げてみせる。
 それは、真っ赤なチャイナドレス。

「押し入れだと......?
 そんなはずはない!
 それはベッドに......」

 薮韮さんが、口走る。
 でも、すぐに『しまった!』という表情になった。
 対照的に、若田警部はニヤリと笑う。

「ほう、ベッドに隠したのですな?」

 勝利を確信した口調。
 でも、ここで攻撃の手を緩めてはいけないのだ。
 だから、私が追い打ちをかける。

「若田警部!
 本物のドレスを見つけたら、
 ちゃんと指紋も調べてください。
 発見されるなんて思ってなかったなら、
 指紋もついているかもしれないから!」

 頷く若田警部。
 それが合図だったかのように、刑事さんたちが走り去っていく。
 薮韮さんの部屋を調べに行ったのだろう。
 その様子を見て。

「そうです......。
 指紋もバッチリついています。
 安奈様の推察どおり......犯人は私です」

 うなだれながら、薮韮さんが負けを認めた。


___________


 若田警部が今、提示した赤いドレス。
 それは、薮韮さんが使ったチャイナドレスではなかった。
 午前中の間に用意した偽物だったのだ。
 犯人を引っ掛けるための......言わばハッタリ。
 引っ掛かるかどうか保証はなかったけれど。
 私たちは、見事、賭けに勝ったのだ。

(薮韮さん......雰囲気に負けて、
 冷静さを失ったわね)

 赤いチャイナドレスを部屋で見つけられても、言い逃れは簡単だったはず。
 知らないうちに誰かが部屋に隠したんだ......そう主張されたら、こちらは、否定できなかっただろう。
 でも、薮韮さんは。
 『それはベッドに......』という致命的な失言を口にした。
 さらに。

(ちゃんと頭を働かせれば、
 あのドレスを持っていたこと自体、
 色々と言い訳できたはず)

 緋山ゆう子に化けて、亡霊伝説を演じたこと。
 それを認めたところで、殺人犯人とイコールにはならないのだ。
 いや、亡霊伝説との関与だって認める必要はない。
 女装癖があるけれど恥ずかしいから内緒にしていた......そんな言い訳だって、ちょっと苦しいけれど成り立つんじゃないだろうか。

(でも......彼は
 犯人は自分だと認めてしまった!)

 今。
 薮韮さんの自白が始まる。


___________


「......そうです。
 私が大奥様を殺したトリック、
 それは安奈様が語ったとおりです。
 そうして......密室状況を作り上げることで、
 人間には不可能な犯罪と思っていただき、
 緋山ゆう子の呪いやら亡霊やらが
 犯人だと思わせたかったのです」

 そう、そこが一つのポイントだった。
 このメモでも前に記したように(第五章参照)、小説で密室トリックが出てくると『なんでワザワザそんなトリックを使うんだ』とツッコミを入れたくなる。
 でも、この事件では、ちゃんとした理由があった。
 緋山ゆう子に罪を被せることで、自分への疑いを逸らそうと考えたのだろう。

「だから......私は、
 ドレスとカツラで緋山ゆう子に扮して、
 数日前から時々、四階の部屋で、
 その姿を皆さんに見せつけていたのです」

 ああ、やっぱり。
 私たちが来る三日前に目撃された緋山ゆう子も。
 私たちが二日目に目撃した緋山ゆう子も。
 薮韮さんの変装だったのだ。

「男が女に化ける......。
 難しそうに思われるかもしれませんが、
 そうでもありませんでした。
 遠目から姿を見せるだけでしたから。
 それに......」

 ああ、そうだ。
 特に、緋山ゆう子だ。
 彼女の特徴は、真っ赤なチャイナドレスと真っ赤な長髪。
 しかも、肖像画によれば、前髪も目にかぶさるくらい長かったのだ(第三章参照)。
 一方、薮韮さんの特徴は、目付きの悪さ(第二章参照)。緋山ゆう子用のカツラで、それが隠れてしまうから、ちょうど良かったのだ。
 そんなふうに、私は考えたのだが。

「......私は、彼女の孫ですから。
 似ていて当然でした」

 え?
 薮韮さんの口から、ビックリな言葉が飛び出した。


___________


「ハハハ......。
 さすがの安奈様も、
 そこまでは想像できなかったようですね」

 私に対して、挑むような視線を送りながら。
 薮韮さんは、笑っていた。

(ああ......そういうことか)

 私の頭の中で、これまでの情報が、パズルのピースとなって。
 正しい位置に向かって、駆け巡っていた。

(緋山ゆう子の......子供!)

 そうだ。
 彼女の手記に、確かに書かれていた。
 緋山ゆう子は、小森家に嫁いで来る前に、子供を産み落としているのだ(第十一章参照)。
 里子に出されて、十分な養育費も与えられて。
 でも......その『養育費』って!
 
(......たぶん
 一括で渡すには大き過ぎる金額。
 だけど分割払いだとしたら......
 当時の御前様が死んだ後、
 どうなっちゃったのかしら?)

 もともと、全ては秘密裏に行われたことなのだ。
 蝙蝠屋敷の惨劇――小森和男による皆殺し事件――の後で、金銭の授与は止まってしまったのではないか。

(その後、捨てられた子供は......。
 きっと、悲惨な人生を送ったのね)

 約束の養育費が途絶えたことで、里親は、子供を冷遇。
 だから、その子供は。
 自分を捨てた母親――緋山ゆう子――への恨みと。
 自分が捨てられる原因となった小森家――さらに約束を違えた御前様――への恨みと。
 それらを胸にしまったまま、大人になったのだろう。
 そして、その恨みは、さらに次の代――緋山ゆう子の孫つまり薮韮さん――へと引き継がれて。
 
(小森家の人々への復讐心から、
 蝙蝠屋敷の人々を殺そうとしたんだわ。
 でも、ただ殺すだけでは意味がない。
 緋山ゆう子も恨んでいる以上......
 彼女を『悪者』に仕立て上げることも大切だった!)

 これが......密室トリックの理由だったのだ。
 さっき私は、『緋山ゆう子に罪を被せることで、自分への疑いを逸らそうと考えたのだろう』と思ったけれど。
 『自分への疑いを逸らそう』ではなくて。
 『緋山ゆう子に罪を被せる』自体に意味があったのだ。


___________


「......しかし私の恨みは、
 父から受け継がれたものだけではありません。
 母もまた、小森家を恨んでいました」

 私が色々と考えている間にも、薮韮さんの告白は続いていた。

「私の母も......
 小森家のために捨てられたのです。
 彼女は......羽臼学の隠し子でした。
 彼が御前様と結婚するために捨てたのが
 ......私の母でした」

 え?
 これまた衝撃発言。
 一瞬、『羽臼学? 誰それ?』って思ったけれど。
 すぐに、しずか御前の物語を思い出した。
 羽臼学は、しずか御前の付き添いで旅行に出かけていて、例の惨劇を免れた人物。
 しずか御前の旦那さまになって、小森家を再興した人物(第四章参照)。
 それが......薮韮さんの母親の父親だって?


___________


「いい加減なことを言うでないよ!」

 突然立ち上がるしずか御前。
 利江さん殺しの犯人が薮韮さんだと判明しても黙っていたのに。
 亡き娘よりも亡き夫への想いの方が、大きいのだろうか。

「まあ、まあ」
「そんなに興奮なさらずに......」

 御主人さんや女将さんや使用人たちが駆け寄って。
 しずか御前をなだめようとするけれど。
 彼女は、腕を振り払って、続けるのだった。

「学さんは......
 あのひとは、やさしい人じゃった!
 あのひとは、ただ私だけを......」

 でも。

「いいえ、御前様。
 あなたは騙されていたのです」

 薮韮さんの冷たい言葉で。
 まるで凍りついたかのように、彼女は固まってしまった。

「あなたは知らなかったのでしょう?
 羽臼学という人物は、
 女性にだらしない男だったのです。
 数えられないくらいの女がいて......。
 その大部分を孕ませていました」
「......嘘じゃ」

 しずか御前がポツリとつぶやくが、薮韮さんは止まらない。

「嘘ではありません、御前様。
 実際に私は、私と同じ立場......
 つまり、羽臼学の孫の一人と
 会ったことがあります。
 ええ、彼も私と同じで、 
 小森家を恨んでいました。
 この屋敷は......多くの者から
 恨まれているのですよ!」

 しずか御前は、まだ立ったままだった。
 いつのまにか、顔面蒼白。
 彼女の口から、少しずつ言葉がこぼれ出す。

「そんな......そんな馬鹿な......。
 いや、学さんは、私が小さい頃から、
 ずっと私だけを見守ってくれていたはず......。
 そう信じていたからこそ......私は!」

 裏切られていたという事実が、よほど身にこたえたのだろう。
 体がグラッとふらついて、そして。
 彼女は、その場にバッタリ倒れた。


___________


「御前様!?」
「大丈夫ですか!?」

 小森家の人々が騒ぎ出す。
 その中心で、御主人さんが冷静につぶやいた。

「......死んでる。
 御前様は......亡くなれた」

 続いて、勝ち誇ったかのような笑い声が響き渡る。
 それは、薮韮さんのものだった。

「ワッハッハ......!
 『御前様殺すにゃ刃物はいらぬ』ってわけだ!
 真実こそが最大の武器だったわけだ!」

 薮韮さんは、解説する。
 もともと御前様は、あまり他人を信じないタイプ。
 医者にかかるのも嫌っており。
 高齢も重なって、心臓が弱かったのだ、と。

(ああ、それで......)

 緋山ゆう子の手記を聞かされた時。
 怒った御前様のところに、屋敷の人々が――脚の悪い弥平老人までもが――急いで駆け寄ったのだが(第十二章参照)、それは。
 彼女の健康を心配してのことだったのだ。
 激怒が体にさわると心配したからだったのだ。

(......私たちは知らないけど、
 小森家のみんなは、知っていたのね)

 納得する私。
 でも、実は私は、薮韮さんの話を真剣に聞いていたわけではなかった。
 いや、私だけではない。
 その場の誰もが、彼に意識を向けていなかったに違いない。
 今、皆が注目しているのは......御前様の死体!


___________


 倒れた彼女の背中から。
 オーラのようなものが、浮かび上がっていく。
 最初は、揺らめく陽炎だったけれど。
 少しずつ、ハッキリとした形を成して。

「ご、御前様......!?」

 そう誰かが口にしたとおり。
 それは、生前のしずか御前の姿となった。
 もちろん、彼女が生き返ったわけではない。
 死後、体から抜け出した物......つまり、それは魂。
 しずか御前の幽霊なのだ!
 そして。

『学さんのことを悪く言う奴は許さん。
 そんな奴......生かしておけぬわ!』

 悪霊となった彼女が、薮韮さんに襲いかかった。


(第十八章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第十八章(解決編その2)

『学さんのことを悪く言う奴は許さん。
 そんな奴......生かしておけぬわ!』

 薮韮さんに襲いかかる、幽霊バージョンしずか御前。
 でも。

「ダメーッ!」

 おキヌちゃんが大きく叫んだ。
 そして、懐から笛を取り出し、それを吹き始める。

 ピュリリリリッ......。

 ネクロマンサーの笛だ。
 幽霊を操る霊具だという説明だったが......。

『グ......ググ......』

 しずか御前の想いの強さ故だろうか。
 『操る』とまではいかなくて。
 かろうじて、その動きを止めている程度。

(でも......これって......
 どっちが正しいのかしら?)

 たぶん、おキヌちゃんは。
 目の前で人間が幽霊に襲われるのを止めたくて。
 それで、頑張っているのだろう。
 だけど、しずか御前の幽霊が向かう先は、薮韮さんなのだ。殺人犯人なのだ。

(はたして本当に......しずか御前から
 薮韮さんを守るべきなのかしら?)

 私だけでなく、皆が同じような疑問を抱いたのかもしれない。

「......理由はどうあれ。
 生者に害を為すなら......それは悪霊だ」

 おキヌちゃんの傍らで。
 横島さんが、口を開いた。
 笛を吹いていて喋れないおキヌちゃんの代弁なのだろう。
 一同の雰囲気を察して、疑問に答えるべきだと思ったのだろう。

(薮韮さんは、
 悪霊に殺されるんじゃなくて、
 法によって裁かれるべき。
 ......そういうことね?)

 それが、このGS夫婦の――少し前まで全く存在感なかった二人の――、専門家としての意見。
 だから、今。
 おキヌちゃんは、必死に笛を吹いているのだ。
 それならば。

(......頑張って、おキヌちゃん!)

 心の中で声援を送る私。
 おキヌちゃんの笛の音に、どんな意味が込められているのか、私には分からない。
 ただ、彼女の奮闘ぶりだけが、見てとれた。
 息つぎの暇もないのだろう。
 ずっと吹き続けている彼女は、もう顔が真っ赤で。

「ぷはっ」

 とうとう息が続かなくなったおキヌちゃん。
 この瞬間、悪霊しずか御前は、自由を取り戻して。

『小娘め!
 邪魔をするのであれば......
 まず、お前から殺してやるぞ!!』

 クルリと向きを変えて、おキヌちゃんへと突進した。




    第十八章 幽霊と私
    ―― The Ghost and I ―― 




「仕方ねーな」

 おキヌちゃんをかばうかのように。
 彼女の前に、横島さんが立ちはだかった。

「あんた......元々は被害者だからな。
 それに、おキヌちゃんがせっかく
 優しく成仏させようとしてたから、
 俺は、黙って見てるつもりだったが......」

 なぜか目を閉じる横島さん。
 彼の右手が輝き、そして。

 ビュンッ!

 光の剣が飛び出した。

(これが......霊波刀!?)

 抜け穴探しの際、おキヌちゃんと横島さんは言ってたっけ(第十話参照)。
「......そうだよな。
 ゼロになったわけじゃないもんな。
 まだ霊波刀くらいは使えるし」
「それも昔にくらべて
 小さくなっちゃいましたけどね」
 その言葉どおり。
 横島さんの手から伸びた霊波刀は、貧弱貧弱。
 まるで、エンピツけずりで限界まで削ったチビた鉛筆。
 
(こんなもので......戦えるの?)

 でも、横島さんに寄り添うおキヌちゃんは。
 安心しきった顔をしている。
 横島さんの実力に、何の疑いも抱いていないのだ。

「こーなったらもー
 ......力づくで除霊するぜ!」

 そう言い切った途端。
 クワッと目を見開く横島さん。
 敵を見据えると同時に、どこか遠くを見ているようでもあった。
 今、彼の網膜に......そして脳裏に浮かぶもの。
 それは、私たち一般人には想像もつかない。
 ただ、私たちは。
 彼の決めゼリフだけを、耳にすることが出来た。
 それは......。


___________


「煩悩全開ーッ!!」

 その言葉と同時に。
 彼の剣は、ググッと勢いを増して。
 太さも、長さも増して。
 しずか御前を、貫いた。


___________


 シュウ......ッ。
 
 断末魔の悲鳴すらなく。
 しずか御前の悪霊は消滅する。

(これが......本物の悪霊退治!)

 一瞬の攻防ではあったけれど。
 私たちは、正統的な除霊バトルを見せてもらった。
 実は私、以前に私自身が悪霊に憑かれたこともあるのだが、その際の『除霊』は、かなり変則的だったし。
 ある意味、こうした『除霊』を見るのは初体験。
 他の皆も、そうなのだろう。
 不思議な余韻が、静寂となって、その場を支配する。
 でも。
 それも長くは続かなかった。

「ワッハッハ......!
 こいつは傑作だ。
 御前様が悪霊になるとは......
 しかも除霊されてしまうとは!!
 これも......緋山ゆう子の呪いなのです!」

 高笑いする薮韮さん。
 いつのまにか、彼は手錠をかけられていて、刑事さんが両脇に立っていた。
 それでも、薮韮さんは、まるで勝者のような表情だ。

「こうして、また一人、
 小森家の人間が亡くなった。
 これからも......次々と
 殺されていくことでしょう。
 ......緋山ゆう子の呪いによって!
 この屋敷には、
 彼女の亡霊が取り憑いているのです!!」
「何言ってんの、薮韮さん。
 犯人であるあなたが捕まった以上......」

 これで、事件は終わりなのだ。
 私は、そう言いたかったのだが。

「安奈様......。
 私は、まだ負けていませんよ。
 ええ、私が大奥様を殺しましたとも。
 しかし......私の殺人が、私の怨念こそが!
 邪悪な緋山ゆう子の亡霊を
 蝙蝠屋敷に呼び戻したのでしょう。
 そして......それによって
 田奈様は殺されたのです!」

 ああ、そういうことか。
 私がトリックを解き明かしたのは、最初の事件だけ。
 樹理ちゃんの一件は、まだ未解決。
 だから。
 薮韮さんとしては、それを緋山ゆう子の呪いのせいにしたいのだ。
 小森家の人々を皆殺しにすることは諦めても、緋山ゆう子の悪名を高めることは、まだ可能だと思っているのだろう。

(うーん......)

 ここで、私は、考え込んでしまった。


___________


 樹理ちゃんが殺された理由は、茂クンの推察どおりだと思う。
 利江さん殺しの真相に気付いた樹理ちゃんが、犯人と直談判しに行って、そこで殺されてしまったのだと思う(第十四章参照)。

(たぶん......うまくカマをかけて
 何かシッポをつかもうと考えたのね)

 私だって、ちゃんとした物的証拠はないから、若田警部と組んでチャイナドレスの一件をでっち上げたくらいだ(第十七章参照)。
 真犯人――薮韮さん――と直接話して、何か聞き出そう。樹理ちゃんがそう思ったのも、無理はないかもしれない。

(でも、薮韮さんは。
 樹理ちゃんにバレたと気付いて。
 サッサと口封じすることを選んだ)

 ここでポイントとなるのは、例の倉だ。
 あそこに今でも幽霊が出ると思っていたのは、宿泊客のみ(第十四章参照)。
 薮韮さんから見れば、誰も来ないであろう場所だった。
 だから、そこを会合場所に指定して。
 樹理ちゃんを殺してしまったのだ。

(......と、ここまでは
 スッキリしてるんだけど。
 問題は......密室トリックね)

 そうなのだ。
 第一の殺人の密室トリックは解明できたけれど。
 実は、第二の殺人に関しては、まだ謎のままだった。

(うーん......)

 再び考え込む私だったのだが。
 救いの手は、思わぬところから差し伸べられたのだった。


___________


「おいおい、いい加減にしろよ。
 亡霊なんていないって言ってんだろ」

 プロのGSとして。
 横島さんが、再度、そう主張する。

「......あんた自身、
 悪霊に狙われたばかりじゃねーか。
 この屋敷の悪霊は、今さっきの幽霊だけさ。
 ......な、おキヌちゃん?」

 最後に隣を向いて、妻に同意を求める横島さん。
 でも。
 おキヌちゃんは、素直に頷きはしなかった。
 神妙な面持ちで。
 言い辛そうに、ゆっくりと口を開く。

「今......笛を吹いている時に感じました。
 この屋敷には、他にも幽霊がいます」


___________


 急展開。
 では、薮韮さんの言うとおり......樹理ちゃんは悪霊に殺されたの!?
 そう思ったのは、私だけではないはず。
 それに気付いたようで。

「あっ、でも誤解しないで下さい。
 それは悪霊なんかじゃなくて......」

 慌てて言い繕うおキヌちゃん。
 彼女は、もう一度、ネクロマンサーの笛を手にして。

 ピュリリリリッ......。

 しずか御前に挑んだ際と同じ音。
 でも、さっきよりも柔らかく、優しい音色に聞こえるのは、気のせいだろうか。
 やがて。

『ど......どーも。
 呼ばれたんで、出てきちゃった』

 おキヌちゃんの呼びかけに応じて、ボウッと浮かび上がってきた幽霊。
 それは。

「じゅ、樹理ちゃん!?」


___________


「樹理......樹理なのか!!」

 樹理ちゃん幽霊に駆け寄る茂クン。
 でも、彼女自身が、それを手で制した。

『ごめんね、茂クン。
 私......もう死んじゃったから』

 ああ、そうか。
 その表情を見ていれば分かる。
 彼女が成仏できなかったのは、犯人に殺された恨みなんかじゃなくて。
 茂クンへの想い。
 それが未練になっているから。

『本当は......茂クンの様子を
 こっそり見守り続けようと
 思ってたんだけど......』

 力なく首を振ってから。
 樹理ちゃんは、おキヌちゃんと横島さんの方に向き直った。

『こうして引きずり出された以上......
 悪霊として除霊されちゃうんですね』

 哀しそうな樹理ちゃん。
 でも。

「いや......その必要はないだろうな」

 横島さんの意外な言葉。
 おキヌちゃんも、隣で微笑んでいる。

「悪いことするんでなければ、
 悪霊じゃありませんから」

 あ。
 私は、ここでおキヌちゃんの過去を思い出した。
 おキヌちゃんは、一度は死んでしまって、300年間幽霊やってたのだ。
 だから、これはGSとしてだけでなく、幽霊経験者としての言葉!

「それに、穂楠さんの様子を
 見守ろうというのであれば、
 それは守護霊ですから!
 悪霊どころか、むしろ逆ですよ!」

 え?
 守護霊って......そんな勝手になれるもんなの?
 樹理ちゃんも、私と同じ疑問を抱いたようだ。

『私が......守護霊?』
「はい。
 普通は御先祖さまが
 守護霊になると思うんですけど、
 途中で守護霊やめちゃう人もいますから。
 私の知り合いのおじいさんも......」

 幽霊だった頃の体験談を語るおキヌちゃん。
 ひ孫の守護霊をやめて、普通の浮遊霊になった人の話だ。
 そこから、浮遊霊の集会の話に移っていく。

(そんなコミュニティーを形成するほど、
 悪霊じゃない幽霊って、
 この世にたくさんいたんだ......)

 ちょっと驚く私。
 話が脱線していくと感じたのか、横島さんが口を挟む。

「......だから、な?
 非公式かもしれないけど、
 あんたが守護霊に
 なっちまってもいいいんだよ」

 こうして、GS二人に太鼓判を押されて。

『......はい!』

 樹理ちゃんの顔が、パッと明るくなった。


___________


「樹理......!」

 再び、樹理ちゃんに走り寄る茂クン。
 今度は、樹理ちゃんも拒みはしない。

『茂クン!』

 むしろ、両手を広げて受け入れる。
 でも。

 スカッ!!

 感動の抱擁とはいかなかった。
 茂クンが、樹理ちゃんを素通りしてしまったのだ。

「......まあ、幽霊ですから。
 でも、努力すれば
 触れるようになるかもしれませんよ」
「そうだよな。
 頑張って再デビューした
 幽霊演歌歌手もいたもんな」

 GS夫婦が解説するが、茂クンは、笑顔で首を横に振った。

「いや、このままでも構いません。
 たとえどんな形であれ、
 ずっと樹理と一緒にいられるなら......!」
『そ。
 もともと私たちの恋愛、
 プラトニックだったし』
「本来ならば大学卒業後、
 遠距離恋愛になるはずでしたが......」
『これで、もう
 二人は死ぬまで一緒!』

 いや、あんた、もう死んでるから。
 そんなツッコミも入れたくなったが、『茂クンが死ぬまで一緒』と解釈して、敢えて何も言わなかった。
 代わりに、ふと考える。

(そういえば......この二人、
 大学を出たら離れ離れになるって言ってたわね)

 彼らの就職先は、遠く離れた場所。
 二人の自己紹介には、そうした情報も含まれていたっけ(第二章参照)。
 ということは、これは、ある意味では......。

「......それじゃ、むしろ
 ハッピーエンドなんでしょうか」

 私と同じことを考えたようで、おキヌちゃんが、そうまとめる。
 でも。

「ちょっと待って!」

 大団円ムードに、私が水を差した。


___________


「本人に聞くのもヘンだけど。
 樹理ちゃん、どうやって殺されたの?
 薮韮さんが利江さんを殺したトリック、
 そっちは解明できたけど、
 樹理ちゃんの方は......」

 尋ねる私に対して。
 樹理ちゃんは、哀しそうな目を向けて。

『......違うわ』
「え?」
『みら先生、犯人の想定が間違ってる。
 私は......共犯者の方に殺されたの』

 それが彼女の答えだった。

(共犯者......?)

 そうか、薮韮さん単独の犯行ではなかったのか。
 
(なるほどね。
 あれも失言だったわけか)

 あの独白の中で。
「実際に私は、私と同じ立場......
 つまり、羽臼学の孫の一人と
 会ったことがあります。
 ええ、彼も私と同じで、
 小森家を恨んでいました」
 彼は、『私と同じ立場』という言葉を使っていた。
 同じ『羽臼学の孫』であっても、緋山ゆう子の孫ではない以上、薮韮さんと『同じ立場』ではないはずなのだ。
 では、何が『同じ立場』だというのか。
 それは、親の意志を継いだ復讐者だということ。
 つまり、薮韮さんの発言こそが、共犯者の存在を示唆していたのだ!

『わかったみたいね、みら先生』

 私の表情の変化を察して。
 樹理ちゃんの口からこぼれた言葉。
 それは、例えようのない暗さを帯びていて。

『第一の密室殺人の謎を
 解いたみら先生だから......。
 私の事件も、わかってしまったのね』

 第一の密室殺人は、計画的な不可能犯罪。
 でも、第二の殺人は。

「あれは......咄嗟に行われた、
 偶発的なトリックだったのね」
『うん』

 被害者自身に確認をとる、間抜けな探偵役。
 それが、今の私。
 でも、それがいい。
 ピエロでいいんだ、今は。

「第一の事件では、
 犯行現場の鍵を開けるタイミング。
 その前提が間違っていて、
 そこがトリックのキーとなっていた。
 でも......今度は、
 樹理ちゃんが殺されたタイミングだったのね」

 死亡推定時刻は、私たちが悲鳴を聞いた瞬間と一致している。
 でも、ピンポイントではなくて。
 『十五分間』という範囲があった(第十四章参照)。
 だから、実は。
 樹理ちゃんが殺されたのは、あの悲鳴の瞬間ではなく......その少し前だった!

『......うん』

 決定的な肯定。
 これで。

(全ての謎が......解けちゃった)

 それは、私にとってはショックな真相。
 その衝撃に、倒れそうになったけれど。

「大丈夫ですか、先生」

 よろける私を、福原クンが支えてくれる。
 私は前に出ていたのに、彼ったら、いつのまに私の隣まで来てたんだろ。
 ......ま、いいか。

「ありがとう、福原クン」

 その体にしがみつきながら。
 私は、彼に微笑みかけた。
 そして。

「でも......ごめんね」

 と、続ける私。
 こうやって彼に支えてもらうのも。
 こうやって彼の体に触れるのも。
 もう最後なんだ。

「私、ちゃんと言わなくちゃ」

 私の表情を見て、彼も悟ったらしい。
 彼は、私の言葉よりも先に頷いていた。
 
「福原クン。
 樹理ちゃんを殺したのは
 ......あなただったのね」


(第十九章に続く)

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____
安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」最終章(解決編その3)

「福原クン。
 樹理ちゃんを殺したのは
 ......あなただったのね」

 私の言葉よりも先に、それに頷く福原クン。
 そんな彼に向かって。

「......おまえか!
 おまえが樹理を殺したんだな!?
 この野郎ーッ!!」

 茂クンが殴り掛かった。
 止めようとして、もみくちゃになる一同。
 これが、蝙蝠屋敷における、最後の一騒動だった。




    最終章 終わりなき旅
    ―― Endless Journey ―― 




 一日目に旅館に着いて。
 二日目に殺人事件が起こり。
 三日目にミイラを見つけて。
 四日目に第二の殺人。
 五日目に全てが解決して。
 そして、六日目の朝。

「ふう......」

 頬杖をつきながら、溜め息をつく私。
 私は、今、河原の石に腰をかけて。
 ボーッと水面を眺めていた。

「......色々あったな」

 既に私は、小森旅館をあとにしていた。
 ちょっと無理を言って、早朝のうちに清算を済ませて。
 まだ誰も起き出さないような時間に、旅立ったのだ。

「でも......」

 なんとなく、屋敷の正門から出る気がしなくて。
 庭の奥に裏門を見つけて。
 そこから帰路についた私。
 木々の間に細道があったので、道なりに進んだら。
 崖の下まで来てしまった。
 裏の川へ降りるための道だったらしい。

「......それも、もう終わり」

 別に急ぎの旅ではないし。
 川の方を向いていたら、蝙蝠屋敷も見えないから。
 私は、こうして座っている。
 だけど、なかなか頭は切り替わらない。
 ついつい、私は、事件のことを思い返してしまう......。


___________


 福原クンが薮韮さんの共犯者だった。
 それを知ってしまうと。
 今まで意味を感じなかった些事にも、意味があるように思えてくる。
 例えば。

(なぜ、今、
 この事件が発生したのか)

 薮韮さんは、蝙蝠屋敷の使用人なのだ。
 その気になれば、もっと早くに行動を起こせたはずなのに。
 全てがスタートしたのは、私たちが旅館に来る三日前。
 それが、彼が緋山ゆう子の亡霊を演じ始めた時期だった(第四章参照)。
 でも、その日は。

(私たちの旅行が決まった日だったのよね)

 福原クンが取材旅行を提案した日だ(第一章参照)。
 この地方へ来ようと決めたのも、彼だった(第一章参照)。
 ハッキリした目的地などないと言いながら、ここの最寄り駅まで導いたのも、彼だった(第一章参照)。
 そして駅では、蝙蝠神社の案内を指さして(第一章参照)。
 山中では、蝙蝠屋敷に注意を向けて(第一章参照)。
 そうやって、ここへ来る流れを作り上げたのだった。

(蝙蝠屋敷に到着した後も、
 福原クンは......)

 大広間にあった、緋山ゆう子の肖像画。
 あれだって、福原クンに言われたから、サッサと気付いたのだ(第三章参照)。
 二日目に蝙蝠神社へ出かけた帰り道でも。 
 亡霊話について樹理ちゃんが合理的な解釈を持ち出したら、私より先に反対意見を口にして(第五章参照)。
 四階の部屋の亡霊を――薮韮さん演じる緋山ゆう子を――、ちゃんと私たちが気付くように指し示して(第五章参照)。
 そうやって、薮韮さんの『緋山ゆう子が悪いんだ』計画を、サポートしていたのだ。

(......私、福原クンに
 うまく利用されてただけなのかな)

 ふと、悲しくなって。
 私は、眼鏡を――三年間愛用してきた眼鏡を――、ソッと外した。


___________


 傍らに眼鏡を置いても。
 私は、まだ福原クンのことを考えていた。
 今度は......あの第二の殺人について。

(もともと......倉の鍵は
 薮韮さんが持っていたのね)

 あの倉は、秘密の打ち合わせに使われていたらしい。
 薮韮さんと福原クンは、人目を避ける必要がある場合、あそこで密会していたらしい。
 だから、実は。
 合鍵部屋に保管されていた鍵は、偽物だった。
 今では使われていない、何もない倉だから。
 屋敷の部屋の鍵とは違って、外見は普通の鍵だから(第十三章参照)。
 少し前からすり替えられていても、誰も気が付かなかったのだ。

(そして、樹理ちゃんが接触して来た時。
 薮韮さんは、仕事で忙しかったから。
 代わりに福原クンが出向いたのね)

 薮韮さんは、樹理ちゃんには『裏庭の倉で話しましょう』と言っておいて。
 でも自分は行かれないから、鍵を福原クンに渡して。
 もう樹理ちゃんを殺してしまうつもりで、果物ナイフも渡して。
 一方、福原クンは福原クンで、一つの小道具を用意する。

(樹理ちゃんの語る内容を
 後で薮韮さんに、正しく
 伝える必要があったんだわ)

 口を封じてしまえばOKとは、思えなかったのだろう。
 彼女が他の者にも喋っている可能性。
 あるいは、無意識のうちに仄めかした可能性。
 それらを検討するためには、一語一句、正確な発言が必要だった。
 だから福原クンは、ボイスレコーダーを持っていったのだ。
 取材旅行ということで、私と彼とが、それぞれ一つずつ持っていた小型録音機(第四章参照)。

(でも......ここで
 樹理ちゃんの話を録音したことが、
 その直後、思わぬ役に立つのね)

 樹理ちゃんを殺して、外から鍵もかけて。
 土蔵から離れようとしたところで、彼は、驚いたに違いない。
 私とおキヌちゃんが、そちらへ向かっていたのだから。
 でも、私たちは。
 そこに福原クンがいたことに、何の疑問も抱いていなかった。
「福原クンまで、探偵ごっこを
 やってるなんて思わなかったわ」
「福原さんも......
 幽霊の倉を見に来たんですか?」
 きっと彼は、さぞや安心したことだろう。
 そして、さりげなく。
「いや、ダメでした。
 周囲には何もないし、
 中には入れないし......」
 ここを調べても意味がないとアピール。
 ところが、これは通用しなかった。
 その場には、幽体離脱できるおキヌちゃんがいたから。
 おそらく、福原クンは焦ったに違いない。
 死体が発見されたら、その場にいた自分が疑われると思ったに違いない。

(だから......咄嗟に
 アリバイを作ることにした!)

 私とおキヌちゃんが、倉や福原クンの方へ向いていない瞬間を。
 私が、おキヌちゃんに声をかけた瞬間を。
 そんなタイミングを見計らって(第十三章参照)。
 彼は、ボイスレコーダー――たぶんポケットの中にあったのだろう――を使ったのだ。
 樹理ちゃんとの会話の録音の、最後の部分だけを。
 つまり、悲鳴を再生したのだ。
 あの時『何かを隔てて聞こえて来たような感じ』だったのも(第十三章参照)、今にして思えば、ナマ声じゃなかったからだ。
 そして、それを倉からの悲鳴だと思わせた。
 言われなくてもそう思ったし、たぶんおキヌちゃんも同じだっただろうけど、でもハッキリ『こっちです!』と指さしたのは、福原クンだったのだ(第十三章参照)。

(......こうして、
 事件があったと思われる時間をずらすことで。
 福原クンは、アリバイを成立させたのね)

 今回は、別に、不可能犯罪の予定ではなかったのだ。
 ただ、その場の状況から、突然、そうなっただけなのだ。
 しかも。
 私が、さらに状況を複雑にしてしまった。
「福原クン!
 急いで合鍵部屋へ行って!
 ......この倉の鍵だって、
 きっと、そこにあるはずだわ」
 もしも、鍵を取りに行ったのが福原クンでなければ。
 合鍵部屋にあった鍵では開かないのだから、いつのまにか鍵が偽物になっていたことは、その時点で判明するはずだった。
 そうなれば、『本物は犯人が持ってるんじゃないか』と、誰でも考えるだろう。
 その場合。
 私たちに見られずに、どうやって犯人が倉から逃げたか。その点は謎として残るけれど。
 少なくとも、『鍵のかかった倉』という問題はクリアされるはずだったのだ。
 だけど、実際には。

(犯人である福原クン自身が、
 しかも一人で鍵を取りに行ったから。
 戻ってくる途中で本物と交換することは簡単。
 それに、指紋がついていても当然)

 うん、こうして考えてみると。
 そんなつもりはなかったけれど。
 私が偶然、片棒を担いでしまったような感じだ。

(やっぱり......私、
 利用されてたどころか。
 完全に、事件の歯車の一つに
 なっちゃってたのね......)


___________


 昨日の集まりの最後で。
 福原クンは、言っていた。

「先生を巻き込んでしまって、すいません」

 彼は、深々と頭を下げたのだった。

「色々と騙す形になってしまいましたが、
 でも......先生の身を案じたのは事実です」

 彼が挙げたのは、最初の殺人事件のことだろう。
「ダメですよ、先生。
 いくら取材旅行だからって、
 現実の殺人現場に
 一人で残るなんて......。
 ......危険過ぎます!!」
 あの時、彼は。
 いつもの福原クンらしからぬ態度で、私をギュッと抱きしめてくれたのだった(第八話参照)。
 あれは、漠然とした心配ではなくて。
 利江さんを殺した犯人を知っていたからこそ。
 福原クン自身も共犯者だったからこそ。
 だから、薮韮さんが私まで殺してしまうかもしれないと恐れたのだろう。

(うん、信じてるよ、福原クン。
 あの時の優しさが嘘だったなんて
 ......思いたくないから)

 でも、でも。
 その『優しさ』を、なぜ、他の人にも向けられなかったのか。
「僕はね、全ての人間が
 『使命』を持っていると思うんだ。
 それが『生きてる』ってことだと思うんだ」
 あの男湯の会話も(第十五章参照)、福原クンらしからぬ自分語りだったけれど。
 たぶん、樹理ちゃんを殺してしまった負い目があるからこそ、茂クンに言葉をかける必要を感じたのだろう。

(きっと喋った内容自体は、
 本音だったのよね)

 でも、それならば。
 よりによって、なぜ、小森家への復讐を『使命』にしてしまったのか。
 
(もしかすると......
 言霊だったのかもしれないな)

 言霊(ことだま)
 それを武器とする悪霊に憑かれたことがあるから、私は、その力の大きさを知っている。
 だから、もしかすると。
 子供時代の『フクシュー』という呼び名が(第六章参照)、別の意味での『復讐』と重なって。
 親から植えつけられた復讐心を、偶然、増強させることになって。
 それで、こんなことに......。


___________


 ポチャン。

 川に何か飛び込んだ音。
 それが、思考の海に溺れていた私を、現実へと引き上げた。

「ん......」

 外していた眼鏡を、再び身に付ける私。
 やっぱり私は......この眼鏡を手放すことは出来ないの!
 心の底から、そう思いながら。

「何かしら?」

 目を凝らしてみる。
 魚が跳ねたにしては、ちょっと違う感じ。

 ポチャン。

 もう一度、同じ音。
 今度は、正体が分かった。
 誰かが小石を投げ入れたのだ。
 
「......誰?」

 振り返ってみると。

「みら先生ーっ!」

 おキヌちゃんだ。
 隣には、横島さんもいる。
 石を投げたのは、彼の方かな。
 どちらにせよ、私の注意を引くつもりだったのだろう。

「みずくさいですよ、みら先生。
 黙って先に行っちゃうなんて」
「そうだぜ。
 ずいぶん探したんだから」
「灯台もと暗し......でしたね」

 私のすぐ近くまで来た二人は、にこやかに話しかけてきた。
 おキヌちゃんは、旅行バッグを手にして。
 横島さんは、リュックサックを背にして。

「ええ、そうです。
 私たちも、引き払ったんです」

 私の視線の向きに気付いたようで、そう答えるおキヌちゃん。

「ここじゃ、
 のんびりできないみたいですから」
「どこか適当に......
 他のところへ行くつもりさ。
 仕事の予約も入ってないんでね。
 ......事務所の方は、
 もう少し休んでも大丈夫そうだから」
 
 そっか。
 おキヌちゃんと横島さんは、場所を変えて旅行を続けるんだ。
 二人仲良く、二人きりの旅行を......。


___________


「さあ!
 行きましょう、みら先生も」

 え?
 おキヌちゃんに右手をつかまれ、戸惑う私。
 そして。
 
「旅は道連れ......だろ?」

 今度は、横島さんが左手を。
 二人に引っぱられて、私も立ち上がる。
 
「それって......。
 一緒に旅行しようってこと?
 私、二人の邪魔じゃないの?」
「何言ってるんですか、みら先生。
 お風呂場で言ったこと、忘れたんですか?
 ......私とみら先生の間柄じゃないですか!」

 あ。
 確かに私、そんなようなこと言ったっけ(第十五章参照)。
 まあ、でも。
 おキヌちゃんは良しとしても、横島さんは......。

「袖触れ合うも多少の縁だからな」

 あ。
 私の瞳に浮かぶ疑問に気付いたようで。
 そう言って、ニコッとする横島さん。
 福原クンの笑顔とは全く違うから、心がくすぐられたりはしない。
 でも、横島さんが優しい人なのだというのは、十分理解できた。

「うふふ。
 こうしていると、
 みら先生って、まるで......」

 横島さんと二人で、私を引きずるおキヌちゃん。
 彼女は、幸せそうに微笑んでいる。

(......まるで連行される灰色エイリアンね)

 そんな言葉が頭に浮かんだけれど。
 おキヌちゃんの感じ方は、全く違うらしい。

「......私たちの娘みたいですね!」

 うーん。
 確かに立ち位置としては、両親に掴まって歩く子供だけれど。
 年齢的に、ちょっと無理があるかと......。

「おキヌちゃん......それは、
 ちょっと無理があるだろ?」

 私と同じように思ったらしく、苦笑する横島さん。
 それに対して、おキヌちゃんは、キョトンとした表情で返していた。

「そうかなあ......。
 ことわざ連発する横島さんほど、
 無理はないと思いますけど......」
「え?」
「だって横島さん、
 ことわざ属性のキャラじゃないのに、
 無理して使ってるみたいで......。
 今だって、間違ってましたよ。
 正しくは『袖振り合うも多生の縁』です」
「......そうなの?」

 私を挟んで会話する二人。
 
「『多生』というのは元々は
 仏教関連の用語だと思いますけど、
 生まれ変わりとか、
 輪廻転生とかを意味する言葉ですから。
 霊や魂を扱うGSとしては、
 知っておいた方がいいかと......」

 横島さんに諭す、おキヌちゃん。
 それを聞いて、私は。

(生まれ変わり......か)

 おキヌちゃんから......ならば。
 娘扱いされるのも、それはそれで、いいかもしれない。
 年齢的には逆なのに、ふと、そう感じてしまった。
 だから。

「そうね......!」

 一つ叫んで、走り始めた。
 今度は、私が二人を引っぱる形だ。

「えっ......おいっ!?」
「きゃっ、みら先生!?」

 突然の私の行動に対して、二人が何か言っている。
 でも、そんなの関係ない。

(そうよね。
 この蝙蝠屋敷の殺人事件って、
 とても小説のネタには出来ないから。
 ......だから!)

 同伴者は変わってしまったけれど。
 私の取材旅行は......まだまだ続くの!


(『安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」』 完)

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