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『続・まりちゃんとかおりちゃん』
初出;「NONSENSE」様のコンテンツ「椎名作品二次創作小説投稿広場」(2008年3月から2008年10月)
第一話 まりとかおりがやってきた!
第二話 止めよペン(前編)
第三話 止めよペン(後編)
第四話 xxxじゃないモン!(前編)
第五話 xxxじゃないモン!(中編)
第六話 xxxじゃないモン!(後編)
第七話 長いかもしれないお別れ(前編)
第八話(最終話) 長いかもしれないお別れ(後編)






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第一話 まりとかおりがやってきた!

「それじゃあ、俺はナルニアへ帰るぞ。
 忠夫たちのこと、よろしく頼む」
「まかせなさい! それより......」

 夫の言葉に朗らかに答えた妻は、いつのまにか、手に包丁を持っていた。

「あんたこそ、大丈夫でしょうね?
 私がいないからといって
 ......浮気すんじゃないわよ?」

 彼女の目付きが鋭くなり、包丁が壁に突き刺さる。もちろん、彼の顔のすぐ隣である。
 しかし、彼も慣れたもの。

「ははは......。
 も、もちろんさ! 俺を信じろ!
 じゃあな......!!」

 トランクを手に、ピューッと出ていった。
 彼、横島大樹は、村枝商事ナルニア支社で働いている。現在、初孫誕生に立ち会うため、一時的に日本へ帰国中だったのだ。
 妻の百合子とともに日本へ来た彼だが、ナルニアへ戻るのは大樹一人である。百合子は、この2DKのマンションで、今日から息子夫婦と同居することになっている。
 
(はあ......)

 大樹が出ていった後、百合子は、一人、ため息をつく。
 別に大樹に関しては、それほど心配していない。クロサキという信頼出来る人物が、本社からナルニア支社へ転勤し、大樹をシッカリ監視することになっているのだ。百合子のために会社がそこまでしてくれるのも、かつて彼女がそれだけ大きく村枝商事に貢献したからなのだろう。

(あのコたち......若いからねえ)

 百合子の頭に浮かぶのは、息子夫婦のことである。
 息子の横島忠夫は、今この瞬間、病院へ行っていた。数日前に双子を産んだ妻が、今日、退院するのだ。
 横島の妻、それは、旧姓氷室キヌ。『おキヌちゃん』と呼ばれる女性だ。
 江戸時代に生まれ、村を救うための人身御供として命を落とす。それから300年間の幽霊生活を経て、横島たちと出会う。しばらくして、人間として復活。しかし幽霊時代の記憶は失ったため、横島たちとは離れた。その後、記憶を取り戻して、再び、行動をともにするようになる。
 これだけでも、オカルトとは別世界の百合子には、信じがたい物語である。ところが、まだ続きがあるのだ。
 横島や彼の仲間とともに、おキヌは、十年近い歳月を過ごす。その間、横島に対して淡い恋心を抱き続けていたが、本人も自覚しない程度の『淡い』ものだった。ところが、横島がGS仲間と結婚することが決まった時点で、おキヌは、自分の気持ちに気付いてしまう。
 悲しみに暮れる彼女のもとに、奇跡が訪れた。彼女は時間を遡り、ふと気が付いたら、十代の自分に若返っていたのだ。幽霊時代の記憶を取り戻した瞬間、つまり、横島たちのところへ再合流する時点から、人生をやり直すことになったのだ。
 そして......。おキヌは、横島と恋人になった。
 ただし、最初は、時間逆行者であることは隠したままだった。
 彼女の行動は、歴史すら大きく変化させる。もっと後で起こるはずの大事件が、早い時点で始まったのだ。その中で、おキヌと横島は体の関係まで持ってしまい、おキヌは妊娠する。未来からきたと告白したのは、その後である。

(おキヌちゃんってコ、結構したたかだねえ......)

 事情を知った百合子は、そう判断してしまった。
 特に、うまく息子から聞き出した話によると、最後の一線を越えたのも、おキヌが誘惑したかららしい。横島はそう思っていないようだが、百合子には丸分かりだった。しかも、妊娠も『できちゃた』わけではなく、意図的なものだったのだ。
 それでも、こういうケースで責任を取るべきなのは男の側である。
 二人とも、まだ高校生。当然、保護者同士の話し合いが必要となった。
 おキヌの養父母は、おキヌの高校中退を提案した。
 もしも子持ちで高校へ通うとなれば、昼間、赤ん坊の面倒をみる者が必要だ。彼ら養父母は会社員ではなく、神社に住み込む神主なので、彼らがその役を出来るかもしれない。ただし、その場合、おキヌは横島と離れて田舎に戻らなければならないのだ。また、この状況を田舎の高校が許すかどうかという問題もあった。それくらいならば、横島とともに東京に残り、子育てに専念するのがベスト。
 それが彼らの考えであり、おキヌにも異はなかった。
 しかし、断固反対したのが百合子である。

「そうはいきません。
 うちの忠夫が孕ませたんですから!
 そちらの娘さんの学歴まで傷つけるわけにはいきません。
 高校卒業までは、私がしっかり面倒みます!」

 百合子は、東京で自分が若い二人と同居すると言い出したのだ。それならば、二人が学校に行っている間、赤ん坊の世話も可能である。さいわい、横島の高校は、妖怪変化も通う学校だ。今さらヤンママの一人くらい、何の問題もないだろう。
 百合子が百合子の気迫をもって提示したプランである。誰も反対出来るものはおらず、採用となった。
 実は、彼女がおキヌの学歴にこだわったのには、ウラの意味がある。百合子は、二人が将来離婚する可能性も考慮していたのだ。おキヌが一人で生きていくケースのために、せめて高校くらいは卒業してもらおうと思ったのである。

(あのコは甘い。 ......それに、芯も細いコみたいだからね)

 心のどこかで、百合子は、おキヌを『横島家の嫁』にふさわしくないと感じるのだ。
 まず、『心は二十代だから』と言って、高校生の体で妊娠を望んだこと。これが、甘ったれた考え方である。
 百合子は、二十代の頃、会社でバリバリ働いていた。現在でも『彼女なしに今の村枝商事はなかった』と言われるほどの、スーパーOLだったのだ。それでも、スパッと結婚退職して家庭に入り、息子をもうけた。
 女が子供を作るというのは、二十代で子供を作るというのは、そういうものなのだ。
 ......今後、少しずつ性根を叩き直してやらねばならない。
 しかし、自分は一時的な訪問客ではなく、ずっと同居する家族である。下手なことは出来ない。
 百合子は、そう考えていた。彼女自身の強烈なキャラクターを自覚しているのだ。だから、本来の個性を100%発揮したまま毎日おキヌと顔を合わせたら、おキヌの精神が持たないと思うのだった。

(これが美神さんのほうなら良かったんだけどね)

 大樹も横島も、百合子100%に耐えられる人物だ。そして、横島の交友関係を知ってみると、彼の仲間の美神令子も、百合子に張り合えそうな女性だった。
 しかも......。もし、おキヌが歴史を改変しなければ、横島は、その美神と結婚するはずだったというのだ!

(忠夫も何とかしないとね......
 おキヌちゃんに骨抜きにされないように!)

 百合子は、今の息子ではなく、その『本来の歴史』の横島をこそ、少し誇らしく思う。彼は、美神を『横島家の嫁』として選んでくれたのだから。
 嫁と姑の関係だけではない。結婚は、家と家との問題でもある。横島とおキヌが結婚するということは、横島家と氷室家がつきあっていくということでもあるのだ。
 その意味でも、『本来の歴史』のほうがよかった。
 氷室家の人々は、人のいい田舎の神主さんだ。とても百合子や大樹と渡り合える人物ではない。
 一方、美神家はどうだ。百合子は、美神の母親美智恵とも何度か会ったことがある。

「かつては冷酷非情だったが、平和だった五年間で性格が丸くなった」

 と噂されている人物だが、対面した途端、百合子にはピンときた。美智恵は、今でも十分、性格の強い女性である。美神の父親と面識はないが、美神や美智恵の家族である以上、大丈夫なはず。これならば、横島家と美神家は、うまくやっていけるだろう。
 『本来の歴史』の横島は、そこまで理解した上で、おキヌではなく美神を伴侶と決めたに違いない。それなのに、一人の時間逆行者が、全てを無茶苦茶にしてしまったのだ。

(上手く二人を成長させないといけないねえ)

 百合子としても、別におキヌを嫌っているわけではない。息子と結婚した以上、もはや、おキヌも自分の娘だと思っていた。
 ただし、彼女と暮らしていくには、自分のほうが色々譲歩する必要があるだろう。それが、どこか引っ掛かるのだった。
 
(まあ、何はともあれ......)

 横島とおキヌは、今、高校三年生と二年生だ。法律的にOKとなった時点で、すでに籍も入れてあり、いっしょに暮らし始めている。しかし、おキヌの妊娠中は、まだ百合子は同居を始めず、敢えて二人だけにしていた。

(......今日からだね!)

 心の中で、百合子が思考をまとめ上げた瞬間。
 ドアがガチャリと開いた。

「......ただいま、母さん!!」
「こんにちは、お義母さん!」

 横島とおキヌが、ベビーバスケットを持って入ってくる。その中では、双子の赤ちゃん......まりとかおりが眠っていた。




    第一話 まりとかおりがやってきた!




「おキヌちゃん!
 だんなさまが迎えに来てるわよ?」

 放課後の教室である。
 高校の授業が終わり、帰り支度をしていたおキヌ。そんな彼女を、クラスメートが冷やかす。
 示された方向に視線を動かすと、
 
「あっ! 横島さん!?」
「......やあ」

 確かに、ドアのところに横島が立っていた。照れ笑いを浮かべている。

「もう......!!
 教室まで来ちゃダメですよ!?
 門のところで待ってるって約束だったでしょう!?」
「......お、おキヌちゃん!?」

 彼女は、口では文句を言いながらも、横島の胸に飛び込んでいく。幸せいっぱいな表情だ。むしろ横島が戸惑うくらいである。

「横島さん......!!
 学校じゃイチャイチャしないって
 ......約束だったじゃないですか!?」
「おーい、おキヌちゃん。
 イチャイチャしてるのは、おキヌちゃんのほうだよ......」

 遠くからクラスメートが突っ込むが、彼女の耳には届かない。
 それだけ彼女は、ゴキゲンなのだ。
 なにしろ、今日が学校に復帰した初日である。横島は、おキヌを心配して、教室まで迎えにきてくれたのだろう。おキヌは、そう思ったのだ。

(ありがとう、横島さん......!!)

 彼の胸に顔をうずめたまま、心の中で感謝するおキヌ。自分が今でも横島を愛していると再認識してしまう。
 おキヌは未来から逆行してきたから、一度、二十代半ばまでを経験している。当時の友人の中には、結婚して母親となった者もいた。彼女たちからは、

「子供が出来るとね......
 愛情が全部子供のほうへ向いちゃうのよ。
 もうダンナなんか、どうでもよくなっちゃう」

 という話も聞かされていたのだ。
 しかし!
 今、こうして二児の母親となった後でも、おキヌは横島を大好きなのだ!
 そんな自分の気持ちを、おキヌは、嬉しく思うのだった。


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「おキヌちゃん......」
「......なんでしょう?」

 幸せに浸っていたおキヌは、横島に呼びかけられて、顔を上げた。

「約束やぶってゴメン。
 校門じゃなくて、ここまで来ちゃったのは......」
「......いいですよ。
 わかってますから!」

 おキヌが微笑む。『心配だったから』なんてワザワザ言われなくても、ちゃんと気持ちは伝わっているのだ。

「あれ?
 おキヌちゃんのところにも連絡来たの?
 ......じゃあ、早く行こう!
 サッサと終わらせて帰りたいもんな」
「......え? なんのことですか?」

 おキヌが首を傾げる。
 なんだか会話がかみ合っていないようだが......?

「何って......。
 除霊委員の仕事だよ。
 おキヌちゃんも聞いてるんだろ?」
「......えっ!?」


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(なんだか......少しだけ
 おキヌちゃんの機嫌が悪いような......?)

 廊下を連れ立って歩く二人。
 おキヌは、表にはニコニコと笑顔を浮かべているが、内心は少し違うようだ。ともかく、ずっと横島の腕にしがみついており、横島としては少し恥ずかしい。しかし、

(よくわからんが......
 今は抵抗するべき時じゃなさそうだ)

 と、彼の本能が伝えている。
 そして、そのまま二人は、指定された場所に到達した。

「よ、横島さん......!?」
「もうすっかりワッシとは別世界ですノー」
「いいじゃない! 
 夕陽に彩られた廊下を歩く恋人たち......。
 きれいだわ! ......これも青春よね!」

 ピート、タイガー、愛子が、二人を出迎える。
 バンパイア・ ハーフであり、GS試験にも合格しているピート。
 業界大手の一つ『小笠原ゴーストスイープオフィス』で働き、実力もある若手GSのタイガー。ただし、実技試験の対戦相手に恵まれないらしく、まだGS資格は取得していない。
 机妖怪の愛子。外見は長髪の少女だが、机が変化した妖怪であるため、今も本体である机に腰掛けている。
 もともと、この三人プラス横島が、この学校の除霊委員だ。そして、おキヌもいつのまにかメンバーに加えられているのだった。

「で......俺たちを呼び出した先生は?」
「事情だけ説明して、帰っちゃいました......」

 横島は、仕事の内容に関して、ピートに尋ねた。
 どうも他のメンツが頼りにならないのである。
 おキヌは、横島の腕から離れない。まるでダッコちゃん人形のようだ。さすがにぶら下がっているわけではないが。
 そして、愛子とタイガーは、横で寸劇を繰り広げている。

「ああ、タイガークン!!
 友達はみんなカノジョ持ち......
 そして自分だけが独り者。
 つい寂しさから、同じ役職の
 余った女のコに恋をしてしまう!
 ......これも青春よね!!」
「愛子さんは『女のコ』じゃないですケン!!」


___________


「これですよ、横島さん!」

 ピートが指し示したのは、階段の途中に掛けられた一枚の鏡。

「......なんでこんなところに鏡があるんだ?」
「わかりません。
 いつからあるのか、それすら不明です」

 曲がり角で見通しが悪いというわけでもない。不思議な配置だった。そして、今、その鏡の前には、一足の靴が置いてあった。

「昨日の夜、一人の女生徒が遅くまで学校に残り......
 そのまま消えてしまったらしいんです。
 ここに靴だけ残して......」

 彼女を探し出すこと。これが依頼である。
 どうやら、すでに警察にも連絡がいっているらしい。だが、学校側では、オカルトがらみの行方不明事件である可能性を考え、自分たちで解決したいと思っていた。それならば、こんな放課後に非公式な除霊委員に頼むのではなく、サッサとGSに正式な依頼をするべきなのだが......。

「あいつら......俺たちならタダで済むと思って!」
「横島さん......信頼されてるってことにしませんか?」

 美神除霊事務所で働く横島と、オカルトGメンを目指すピート。二人は、それぞれの受け取りかたをする。
 一方、ピートの説明を聞いて、

「そういえば聞いたことがあります......」

 と口を開いたのはおキヌである。
 彼女は、もはや横島の腕に抱きついてはいない。ピタッと寄り添ってはいるが、いちゃいちゃオーラは全く無かった。

「鏡の前の靴......!
 オリジナルでは小学校のはずですけど......
 これ......『異界の鏡』ですよね?
 夜になると鏡の中に別世界が見えるようになって、
 その中に取り込まれてしまう。そして......。
 いつのまにか鏡は消えてしまい、もう戻れない」 

 おキヌは、別に女性週刊誌ばかり読んでいるわけではない。他の雑誌や流行の小説など、色々読んでいるのだ。そして、週刊誌などの片隅には、嘘かホントかわからぬオカルト話も書かれていた。

「さすがね、おキヌちゃん!
 あんまりメジャーじゃないけど、これも、
 『学校の怪談』とか『学校の七不思議』とかの一つね」

 真面目な表情で、愛子が賛同する。
 いつもの青春マニアとは少し違う口調を感じ、横島が反応した。

「おい、愛子......。
 これも、いつぞやのメゾピアノみたいに
 おまえの仲間か? なんか知ってんのか......?」
「いっしょにして欲しくないけど......」

 顔をしかめながら、愛子が説明する。
 人界で流布されている話は、おキヌが語ったとおりである。しかし、愛子は、もっと詳しい情報を持っていた。


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 異界の鏡。
 その正体は、カガミッコという名前の鏡妖怪だ。
 カガミッコは、もともと、学校の女子トイレの鏡だった。ところが、女子トイレでは、時として、信じられないような悪口が飛び交う。日頃トモダチとして接しているのに、本人がいない場では、平気で陰口をたたく者がいるのだ。
 これは人間の醜悪な一面であるが、完全に清廉潔白な人間など滅多にいない。ある程度は仕方がないのだろう。
 しかし、そうした言葉とともに自然に発せられる醜い念、それが集まって妖怪となってしまった。
 だから、カガミッコは、心の汚い人間に、そいつの理想の世界を見せてやる。そして、そんな人間を丸ごと鏡の中に取り込み、その怨念を吸収して、さらに妖力をアップさせるのだ。

「......というわけで、私とは全然別なのよ?」

 と、愛子は締めくくった。


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「じゃあ『夜になると鏡の中に別世界』というのも、
 夜間に邪気が強まるからなんですね?
 ただそれだけの理由なら......
 別に昼間でも見える可能性はある......?」
「鋭いわね、おキヌちゃん!」

 と、女性二人が話を進めていく。
 まだ暗くなってはいないが、もう夕焼けの時間帯である。

「よし、覗いてみよう!」

 と、横島が鏡の前に立った。
 今の話から判断すると、性格はともかく、内部に異界空間を作り上げるという点では愛子と同じである。ならば、外からでは上手くコミュニケーションも取れないだろう。文珠で『伝』とかやるよりも、中に入るほうが早いと考えたのだ。

「おおっ!?
 女のコが......たくさん!!」

 横島が見た世界は、まさにハーレム。セクシーポーズの全裸美少女が、みんなして横島に色っぽい視線を投げかけ、手招きしているのだ。

「横島さんばっかり......ずるいですケンノー!!」
「おいっ!?」

 横島を突き飛ばしそうな勢いで、今度は、タイガーが鏡を覗く。

「うおーっ!?
 ほんとジャー!!
 妙齢のおなごが......たくさんおるケン!!」
「こら、俺が見てたんだぞ!?」

 興奮する男二人の背中に、愛子が一言投げかけた。

「......説明聞いてた? こいつは、
 『心の汚い人間に、そいつの理想の世界を見せてやる』のよ?」


___________


 ピシッ!!

 二人の男が硬直する。
 タイガーは固まっているが、横島は、ギギギッと首を回した。

「......お、おキヌちゃん!?」

 横島にとって、愛子の言葉など、どうでもよかった。
 彼は気付いたのだ。今、問題なのは愛妻だということに。

「言いわけしていいかな......!?」
「なんでしょう、横島さん!?」

 おキヌは笑っている。しかし、それは表情だけだ。本心が逆であることは、その場の誰でも理解できた。
 空気が冷たいのだ。
 
「女のコって......女の『子』だよ?
 ほら、まりとか、かおりとか!
 俺たちの女の『子』みたいな......!
 ......もっと子供欲しいなあって思ってさあ!?」

 横島、必死の弁明。

(嘘だ! どーみても嘘だ!!)

 と思う一同だったが、その瞬間、場の雰囲気がポワーッとあたたかくなった。
 一人だけ、信じてしまった者がいたのである。

「横島さん......」

 ウットリとした口調でつぶやいたおキヌは、彼に近寄って、そっと耳打ちした。

「横島さんが、そこまで言うのなら......。
 じゃあ......今晩、頑張りましょうか?」


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 そして、皆の注意が横島とおキヌに向いているうちに。
 いつのまにかタイガーが姿を消していた。

「......影が薄いにもほどがあるぞ!?」
「そういう問題じゃないですよ、横島さん!」

 ピートのツッコミの後ろで、愛子の表情が変わった。

「まずいわ!
 あいつ......彼の精神感応力を
 利用する気じゃないかしら!?」

 タイガーを取り込めば、全体的な妖力だけでなく、鏡の中の幻を見せる能力もアップするかもしれない。
 それがカガミッコの狙いだと愛子は考えたのだ。

「後を追うぞ!」

 慌てて鏡を覗き込んだ横島だが、もはや何も見えない。
 それどころか、鏡そのものがボンヤリし始めた。
 タイガーを獲得したことで、ここは十分と判断し、逃げるつもりらしい。

「おい、愛子!
 おまえの妖怪仲間だろ!?
 なんとかならんのか!?」
「......だから!
 仲間じゃないってば!!」


___________


「ここは......!? ワッシは......」

 ふと気が付くと、タイガーは、見知らぬ部屋にいた。しかも、ベッドの上に座っている。そして、一人の美女が、背中に抱きついてきた。

(......この匂いは!!)

 振り返るまでもなく、タイガーには、美女の正体が分かった。
 仕事の上での上司でもあり、GSとしての師匠でもあり、そして、危険な能力を封印してくれた恩人でもある女性。
 小笠原エミである。

「フーッ」

 エミは、タイガーの耳元に息を吹きかける。

「おたく......いつになったら私の気持ちに気づくワケ!?」
「エ......エミさん!?」
「ヤキモチやいて欲しくて......
 ピートまで当て馬にしてるのに......」

 彼女の胸の感触が、タイガーの背中にハッキリと伝わってくる。
 興奮したタイガーは、体を反転させて、ガバッと抱きついた。
 そのとき、別の美女が二人の間に割り込む。

「......私もいいかしら?
 なんてったって、横島クンが
 おキヌちゃんとくっついちゃったからさあ......」

 美神令子である。

「今までアイツに奉仕させてた分、
 誰かにやってもらわないとね......」

 艶かしい目付きと甘い声で、美神が迫る。
 タイガーにも分かった。美神の言う『奉仕』とは、丁稚奉公の意味ではない!
 それを裏付ける言葉が、彼女の口から続く。

「このままじゃ......
 体が火照ってたまらないのよ!
 ......お願い出来るかしら?」
「と、当然ですケン!!」

 左手でエミを抱きかかえたまま、タイガーは、右腕を美神へと伸ばした。

「ついに......ついにワッシの時代がきたんジャー!!
 ワッシが......ワッシが『両手に花』だなんて!!」

 咆哮するタイガーに、さらに別の女性が声をかける。

「ああ〜〜!! ずるい〜〜!
 エミちゃんと〜〜令子ちゃんばっかり〜〜!
 私の相手もお願い〜〜!!」

 今度は六道冥子だ。

「前に〜〜私の影の中に入ってもらった時〜〜
 タイガークンが〜〜体の中に入って来たみたいで〜〜
 とっても〜〜とっても気持ちよかったの〜〜!!
 また入って欲しいな〜〜」

 これは、タイガーとしては、あまり嬉しくない提案だ。一時期、式神の代わりに冥子の影の中で暮らしたことがあったが、なかなか出してもらえず、ひもじい思いまでしたのだ。

「大丈夫〜〜!!
 今度は〜〜ちゃんと面倒見るから〜〜。
 お風呂もいっしょで〜〜」
「お、お風呂っ!? いっしょっ!?」

 タイガーの頭に、全裸でイチャイチャする二人の絵が浮かぶ。

「ごはんは〜〜口移しで〜〜
 食べさせてあげる〜〜!!」
「く、口移し!?」
「今は口の中〜〜空っぽだけど〜〜
 練習だけしてもいいかな〜〜!?
 あ〜〜ん!!」

 と、冥子が、ゆっくりと唇を突き出す。
 それがタイガーに届きそうになった時。

 ドカッ! ドカドカッ!!

 幻ではない人たちが、タイガーの頭の上に落ちてきた。


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「うまくいったわね」

 倒れ込んだタイガーをクッションにして、立ちあがる愛子。今の彼女は、机なしという珍しい状況である。
 机は、この世界との出入り口として、外界に置いてきたのだった。
 カガミッコの異界空間は、本来、一人一人独立している。タイガーの夢世界に皆が入ることなど、普通は不可能なのだ。しかし、愛子の机による異界空間と無理矢理つなげることで、入り込めたのだった。もちろん、タイガーの世界ならば霊波を頼りに探し出せたというのも、理由の一つである。

「タイガー......これがおまえの理想の世界か?」

 横島がからかう。ピートもおキヌも苦笑している。
 なにしろ、有名女性GSの三大きれいどころが勢揃いしているのだ。
 ただし、その妄想美女三人は、タイガーとの時間を邪魔されて怒っていた。
 彼女たちは、乱入者に襲いかかる!


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 エミは、呪的な踊りを始めた。

「霊体撃滅波! 霊体撃滅波! 霊体撃滅波!」
「ちょっと待て!
 チャージゼロ秒で霊体撃滅波!?
 ......なんで連発出来るんだよ!?」
「横島さん!!
 これ、タイガーさんの理想のエミさんですから!!」

 泣き叫ぶ横島に、おキヌがキチンとツッコミを入れる。
 一方、美神も実物とは違った。神通棍を鞭にしての攻撃。ここまでは現実どおりなのだが......。

「コール・ミー・クイーン! コール・ミー・クイーン!」
「うわーッ!?
 美神さんが......マスクに網タイツ!?
 それより、なんで鞭があんなに長いんだ!?
 しかも先が三本に別れてるッ!?」
「横島さん!!
 きっとタイガーさんのイメージでは、
 これが美神さんの正体なんですよ!!」

 そして冥子も、どこか奇妙だ。式神を全部出したのだが、その数は、十二匹どころではない。見たこともない異様な連中がたくさん混じっている。なんと......。

「百一匹マコラちゃん〜〜大行進〜〜!」
「これ全部マコラっスか!?
 変身してるだけ......?
 いや、マコラって、
 攻撃力もそれなりにあったような気が......」
「横島さん!!
 もう私も......
 どうフォローしていいか、わかんないです〜〜!!」


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「エミさん!! やめてください!!」

 ピートが、エミの前に立ちはだかった。説得を試みるのだ。しかし、

「霊体撃滅波スペシャルバージョン!!」
「ええーっ!?」

 本来ならば周囲を吹き飛ばすような霊体撃滅波が、一直線に放出されて、ピートを集中して襲う。
 ピート、あっけなく撃沈。

「バカだな、ピート......。
 タイガーの妄想エミさんだぞ......!?
 おまえにやさしいわけないだろ?」

 と哀れむ横島も、実は余裕がない。彼は、美神に襲われていた。

「こらあ横島!
 私を捨てて、おキヌちゃんを選ぶなんて!!」
「いや、捨てても何も......!?
 俺のこと、さんざん拒んだのは
 美神さんのほうじゃないっスか!?」
「拒んだ......? さんざん拒んだ......?
 このバカたれーッ!!
 『イヤよイヤよも好きのうち』じゃーッ!!
 本当にイヤだったら、あそこまで......
 触らせたり覗かせたりするわけないでしょう!?
 女心の分からんやつめ! この唐変木!」
「うわーッ!?
 お許し下さい、女王様!!」

 鞭を振るう美神から、なんとか逃げ続ける横島。
 そんな二人を眺める愛子は、

「美神さんの心境......ちょっとリアルかも?
 そういう拒絶も......青春よね?」
「なんか言いましたか、愛子さん!?」

 迂闊なつぶやきを、隣のおキヌに聞き咎められてしまう。
 だが、愛子とおキヌも、それどころではなかった。

「一緒に遊びましょ〜〜!!」

 冥子と百一匹マコラに追いかけられているのだ。
 この場で安全なのは、騒動の中心で茫然と立ちすくむ男、タイガーのみである。

「そうか......!!」

 彼に目を向けて、愛子が閃く。

「逆転の発想ね。
 これ全部タイガークンの妄想なんだから......!」

 タイガーを殴って気絶させる愛子。すると、妄想美女三人もアッサリ消滅した。


___________


 突然、周囲が真っ暗になった。

「タイガーの妄想ワールドが終わったからだな?」
「横島クン!! 気をつけてね!?
 今度は横島クンの『妄想』を利用されるかもしれないわ。
 ......横島クンの心だって十分汚れてるんだから!」
「そんなことありません!
 横島さんは......子煩悩なパパです!!」

 勝手なことを口にしながらも、三人は、用心のために一カ所に集まる。
 妄想エミにやられたピートも、愛子に殴り倒されたタイガーも、ちゃんと足下に引きずってきていた。
 そんな一同の前に、ボウッと白い影が出現する。

「あれが......カガミッコ?」
「そうみたいね。
 私も会うのは初めてなんだけど......」

 それは、子供くらいの大きさだ。不安定ではあるが、人の形のようにも見える。

「あいつ、ひとの醜い心......怨念の塊なんだよな?」
「そうだけど......?」

 横島は、愛子に確認してから、おキヌに微笑みを向けた。

「じゃあ、ここは、おキヌちゃんの出番だ!!」
「......!! はい!!」

 おキヌはネクロマンサーである。
 彼女の武器であるネクロマンサーの笛も、最近では、常に持ち歩くようにしていた。
 自分の身は自分で守るというだけではない。愛する我が子が悪霊に襲われるケースも想定していたのだ。後者の意味では学校に持ち込む必要まではないのだが、それでも、習性として保持することにしていた。

 ピュリリリリッ......。

 おキヌが笛を吹き始めた。
 人の心にも染み渡る奇麗なメロディーは、怨念の塊にも通じる。
 しかも、おキヌは、その音色に自分の気持ちをのせているのだ。これこそ、ネクロマンサーである。

(つらかったでしょう?
 苦しかったでしょう?
 人間の負の部分を見せつけられて......。
 ......でもね?)

 おキヌは、笛を吹きながら、やさしい視線を投げかける。

(醜い面なんて、ほんの一面なの。
 それに、いくらでも善く変わり得るのよ?
 ほら、ここにいる横島さんを見て!)

 彼女は、チラッと横島に目を向けた。

(もともと横島さんは、
 スケベで女にだらしなかった人......)

 おキヌは、横島がしてきたセクハラをイメージする。
 初対面の女性へ飛びかかったり。
 美神の体に触ったり。
 美神のシャワーを覗いたり。
 美神に下心をうまく利用されたり。
 
「おキヌちゃん......大丈夫かしら?
 表情が険しくなったけど......」
「おいおい......なんだか、
 カガミッコも大きくなってないか?」

 愛子と横島が心配するが、大丈夫、これは前段階なのだ。
 心に湧いてきた嫉妬心を押さえつけて、おキヌは、さらに気持ちを伝える。

(でも......そんな横島さんが......今では、
 子供のことを一番に考えるパパになったのよ!?
 それに、他の女性には目もくれず、
 私のことだけを愛してくれるの〜〜!!)

 おキヌが入院中、おキヌの目の届かぬところで、横島が何を試みていたのか。そんなこと彼女は知らない。誰も敢えて妊婦の耳には入れなかった。
 語りかけた内容の真偽は、問題ではないのだ。重要なのは、その信念の強さである。
 そして、おキヌが、そう信じているからこそ。

『うっ、ううっ......』
「カガミッコが泣いているぞ!?」
「見て! 姿も薄れていくわ!!」

 人間の邪念から生まれたカガミッコは、浄化されるのだ。
 それによって、鏡の世界も消滅する......。


___________


「うわーっ!?」
「......元の世界に戻ってきた!?」

 ここは校舎の階段の踊り場である。横島たちは、外に弾き出されたのだった。ピートとタイガーも意識を回復している。
 そして、彼ら五人の他に、見知らぬ少女も一人、いっしょだった。彼女が、昨夜から行方不明だった学生らしい。
 
「あれ......!? 私......」
「事件解決みたいね......!」

 愛子が、笑顔でつぶやく。
 
「......ありがとうございました!」

 簡単に事情を聞かされた後、ペコペコお辞儀しながら帰宅する少女。
 彼女を見送る五人の中で、おキヌが、小さな疑問を口にする。

「でも......他のみなさんは!?」

 おキヌが聞いた噂話でも、愛子の説明でも、カガミッコに捕われていたのは一人ではないはずだ。心配するおキヌに、愛子が微笑みを返した。

「みんな元の時代と場所に帰ったはずよ。
 私の机の時と同じでね」
「便利ですケンノー」
「......やっぱり同類じゃないか」

 愛子は、チャチャを入れた横島に軽いゲンコツを食らわせてから、タイガーに向き直る。

「便利じゃないわよ。
 『元の時代と場所に』しか戻せないの」

 愛子の机でもカガミッコの鏡でも、引きずりこんだときの時間や空間の座標みたいなものが、その人間に染込んでいるらしい。
 これは、美神とともに時間移動をしたことのある横島には、納得しやすい理屈だった。時間を移動する際にも時空の座標をイメージする必要があり、それが出来ない美神は、時間移動能力者としては半人前なのだ。
 
「そんなようなことを
 カオスのおっさんが言ってたな」

 と、横島がフォローする。
 なお、もはや仕事も終わったということで、彼の横には、当然のようにおキヌが寄り添っていた。右手で横島の左腕にしがみつき、左手で彼の頭を撫でている。愛子に叩かれたところを軽くヒーリングしているのだろう。横島の回復力を考えれば、そんな必要もないであろうに。

「これから......ずっと
 こんな光景を見せつけられるんですカイノー?」
「仕方ないでしょうね。
 ははは......」

 タイガーは不満そうだが、ピートは苦笑している。
 おキヌが素のラブラブぶりを見せているのも、仲間の前だからであろう。二人とも、そう理解しているのだ。

「......これも青春よね!」

 四人を眺めながら、決まり文句で話をまとめたつもりの愛子だったが......。
 突然、騒ぎ出した。

「あーっ!! ない......!?
 どこ......!? 私の机はどこーっ!?」

 確かに、異界空間へ入る際に使った机、つまり愛子の本体がなくなっている。

「こんなところに置きっぱなしだったから
 ゴミだと思われて捨てられたんじゃないか?」
「横島さん......
 そんな薄情なこと言っちゃだめですよ」

 おキヌが横島を諌めるが、その声に厳しさはない。彼女は、彼の腕に抱きついたまま、顔にも満面の笑みを浮かべているくらいだった。

「愛子さんの机は僕たちで探しますから、
 お二人は先に帰っていいですよ......」

 今回あまり役に立たなかったという自覚もあり、ピートが、そう提案する。背後では、取り乱した愛子を、タイガーがなだめようとしていた。

「......そうか!?
 わりいな、ピート!
 じゃあ、まかせるわ......!!」
「みなさん、さようなら......!!」

 若い夫婦は、仲良く腕を組みながら、その場をあとにした。


___________


「ふふふ......」

 帰り道。
 隣では、愛妻が、天真爛漫な笑顔を浮かべている。
 横島も幸せなのだが、少し考えてしまう。

(おキヌちゃん......
 『今晩、頑張りましょう』って言ってたな?
 それって......そういうことなんだよな?)

 もちろん、横島も『そういうこと』は大好きだ。父親になったとて、横島は、やっぱり横島なのである。

(でもよ......おふくろが同居してるんだぜ?)

 二人がこれ以上子供を増やすことを、百合子は望まないだろう。だからといって『子作り』ではなく、単なるスケベ心だけでヤるわけにもいかない。一応、まだ高校生なのだ。それに、おキヌは、横島のようなスケベではない。

(まあ......おキヌちゃんはおキヌちゃんだからな)

 横島としては、おキヌが純情なままでいることは、むしろ嬉しい。それが彼女の魅力の一つだと思う。
 しかし、イタズラ心を出した彼は、ふと、『横島以上にスケベになったおキヌ』を想像してみた。

(俺がソノ気じゃない時でも迫ってくる!!
 それはそれでイイ......!!)

 顔がにやける横島だが、一瞬の後、その笑いもこわばる。

(そういえば......おキヌちゃんって......
 俺の『性』文珠を大量にストックしてたよな!?
 ......おキヌちゃんがスケベになったら、
 たとえ俺が枯れても......拒否権なし!?)

 おキヌに失礼な妄想をして、ちょっと恐くなる横島。
 彼の横では、そんな内心を知らぬおキヌが、無邪気に微笑んでいた。


___________


「ただいま、母さん!!」
「......ただいま、お義母さん!」

 帰宅した横島とおキヌを、複雑な表情の百合子が出迎える。

「......お客さんが来てるよ。
 『まり』と『かおり』と名乗る女子高生なんだけど......」
「......えっ!?」

 娘と同じ名前である。横島も驚いたが、おキヌは、彼以上だった。

(高校生の『まり』と『かおり』......!?
 それって......一文字さんと弓さん!?)

 逆行前の世界でおキヌの親友だった一文字魔理と弓かおり。この世界では通う高校が違ってしまったため、おキヌは、彼女たち二人と知り合うことはなかった。しかし、おキヌの心の中では、今でも大切な人物だ。だからこそ、自分達の娘にも『まり』と『かおり』と名付けたのだ。

(どうしてここに......!?
 でも、もしそうなら......嬉しい!!)

 話したいことも、たくさんある。
 その前に、まず、この世界でも仲良くなりたい。
 おキヌは、ドキドキしながら、部屋へ駆け込んでいく。

「おキヌちゃん......!?」

 横島も後を追う。
 そして......。
 二人は、『まり』と『かおり』と出会った。彼女たちは、ベビーベッドを覗き込み、双子の赤ちゃんを眺めている。

(......違う!?)

 おキヌは落胆した。
 一人は、弓かおり同様、長い髪をしている。しかし、弓かおり独特のキラキラした瞳はもっていない。
 もう一人は、一文字魔理と同じく、ショートカットだ。だが、一文字魔理のような気合いの入った髪型ではない。
 着ている制服も、六道女学院のものではなかった。良く似ているのだが、細かい部分が少し異なっている。
 さらに、顔つきも、弓や一文字とは全く似ていない。どこかで見たような面影もあるのだが、それは、むしろ......。

 ボトッ。

 おキヌの背後で、横島がカバンを落とした。おキヌよりも早く、二人の正体を悟ったのだ。

「お、おい......!? まさか......」
「なーんだ、先に気づいたのはオヤジか......。
 あたしの負けだね、賭けは......」
「ほらね!? わたくしの言ったとおりでしょう!?
 おとうさまは......おとうさまですから!!」

 ショートカットが悔しそうにつぶやき、長髪が嬉しそうに勝ち誇る。

「......え!? それじゃあ......」

 おキヌも理解した。目の前の二人が誰であるのか。
 二人は、横島とおキヌに挨拶する。

「はじめまして......!!
 この時代の......おとうさまとおかあさま!」
「かおりとあたしはさあ......
 ちょっとしたアクシデントで、
 過去へ飛ばされて来ちゃったんだ。
 そういうわけで、しばらくの間......よろしく!!」

 二人は、十数年後の娘たちだった。
 つまり、未来から、まりとかおりがやってきたのだ!


(第二話「止めよペン(前編)」に続く)

             
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第二話 止めよペン(前編)

「はじめまして......!!
 この時代の......おとうさまとおかあさま!」
「かおりとあたしはさあ......
 ちょっとしたアクシデントで、
 過去へ飛ばされて来ちゃったんだ。
 そういうわけで、しばらくの間......よろしく!!」

 二人の女子高生からそう言われて、横島とおキヌは固まっていた。
 横島とおキヌだって、まだ高校生なのだ。自分と同じくらいの年齢の少女を見て、『娘』だと実感することなど出来やしない。
 そんな四人の中央にある、可愛らしいベビーベッド。その中では、この時代のまりとかおりが、赤ん坊らしい寝息を立ててスヤスヤと眠っていた。




    第二話 止めよペン(前編)




「それじゃ、あんたたちは
 四人でしっかり話し合うんだよ!?
 まりとかおりの......
 赤ん坊のほうの二人の面倒は
 私が見ておくからね」

 テーブルに四人分のお茶を置き、百合子は、キッチンから出ていった。
 残されたのは、横島・おキヌ・未来まり・未来かおりの四人である。

「じゃ......まずは座ろうか」
「わたくし、お父さまの隣!」

 家長として横島が口を開いたとたん、長髪美人のかおりが、彼の横に駆け寄った。ギーッと椅子を動かし、寄り添うようにして座る。彼の左腕に抱きついた彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
 一方、横島は、

(おい......!?
 腕に胸があたってるぞ......!?
 でも、こいつは娘なんだよな!?
 娘......娘......娘......。
 俺は変態じゃないぞ、変態じゃない......)

 と、女子高生のふくよかな感触に惑わされてしまう。無意識のうちに腕に集中した神経が、『この娘のバストは、出産後の今のおキヌよりも、さらに一回り大きい』と認識する。やわらかくて気持ちいいのだが、さすがに、自分の娘に欲情するわけにはいかなかった。

(横島さん......!?)

 彼の対面に腰を下ろしたおキヌは、横島の頭の中を的確に想像していた。今の横島は、女子高生にデレデレしているようにしか見えないのだ。

(だけど......
 この『かおり』ちゃんは、
 私たちの娘なんだから......。
 子煩悩なパパとしては
 娘をかわいがるのも当然ですよね!?
 横島さんは『良きパパ』してるだけ......。
 そうですよね!? ね!?)

 と自分に言い聞かせる。
 そんな母親の心境を察したらしく、

「あの......おふくろ......!?
 あんまり気にしちゃダメだぜ!?」

 まりが、おキヌの隣に座って、小声で耳打ちした。彼女は、女性にしては短い髪をしており、言葉遣いも男っぽい。かおりやおキヌ同様、スレンダーな体つきであるが、かおりとは違って、胸の大きさは母親譲りだ。

「かおりに悪気はないんだから、許してやってくれ。
 あいつ、ただ......重度のファザコンなだけなんだ。
 去年までは、風呂もおやじと一緒だったくらいだぜ!?
 ......さすがに高校入学後は、
 おやじのほうが遠慮して別々になったけど......」

 彼女は、おキヌの心配をやわらげるつもりだったのだが、どうやら言い過ぎたようだ。おキヌは、安心するどころか、目を丸くして硬直していた。

(だめだ、こりゃ......)

 三人の様子を見て、まりは溜め息をつく。そして、この状況に両親が慣れるまで待つしかないと思うのだった。


___________


「なあ......かおり......!?
 あたしたち二人が並んで座ったほうが、
 話がしやすいんじゃないか!?
 二人で相談しながら答えなきゃいけないこともあるし」

 時間は何も解決してくれない。まりは、それに気付いて、席替えを提案した。かおりに対して言った内容も、真実半分・口実半分である。
 かおりは、若い父親の肩に頬を擦り付けていたのだが、ある程度満足したらしい。

「......それもそうね」

 冷静に言い放ち、スッと立ち上がった。そして、おキヌと席を交換し、ようやく、本来の話し合いがスタートする。

「先程まりが言ったように、
 わたくしたちがこの時代に来たのは
 ちょっとしたアクシデントなんです」
「......で、未来へ戻るために、
 少し手助けしてもらいたいんだ」
「難しいことじゃないですわ。
 連れて行って欲しい場所があるだけです」

 今までのゴロニャン状態が嘘のように、かおりが、真面目に会話を主導する。まりは、補足役だった。
 
「もう週末ですから、明日は休みですよね!?
 ですから、家族四人で山登りを......」
「......それくらい簡単だろ!?」

 ウンという返事を期待して、娘二人が微笑む。しかし、横島とおキヌは、難しい表情で顔を見合わせていた。

「悪いけど......明日は仕事があるんだよなあ」
「ごめんね、まりちゃん、かおりちゃん。
 それより......
 その『アクシデント』の詳細を聞かせてくれない!?」

 横島もおキヌも、まりとかおりの正体を疑ってはいない。理屈ではなく、自分たちの娘だと感じられるのだ。それでも、詳しい事情を知りたいと思うのだった。

「うーん......どこから話したらいいのかしら?」
「......むしろ、どこまで話してもOKなのか、
 そっちが問題だな」

 と、まりとかおりが考え始めたところで、百合子が入ってきた。

「美神さんから電話だよ!
 明日の仕事の打ち合わせのために、
 すぐ来て欲しいってさ!!」


___________


「......明日の仕事のため!?」
「あれだけ入念に話し合ったのに!?」

 横島もおキヌも、顔に疑問を浮かべる。
 明日の仕事、それは、文豪の幽霊が取り憑いた屋敷の除霊である。この事件に関しては、おキヌが強力な情報を握っていたため、それに基づいたプランを既に決定済みだった。

「どうしちゃったんでしょうね、美神さん!?」

 なお、おキヌに事前情報があったのは、おキヌが時間逆行者だからである。約十年先から来た彼女には、これから起こる事件に関する記憶があるのだった。
 ただし、もはや歴史は、おキヌが知るものとは大きく変わっている。プライベートも変化したが、公的な大事件としては、アシュタロスの地上侵攻の時期が大幅に早まっていた。そのため、それ以前に起こるはずだった事件の幾つかは発生しなかったり、かなり遅れて勃発したりしている。今回の除霊仕事も、本来の歴史では、アシュタロスの事件以前に依頼されるべきものだった。
 もちろん、アシュタロス事件以降のイベントも、起こることがあった。例えば、美神の妹ひのめは念力発火能力者として生まれてきたし、当初は誰も彼女の能力に気付かなかったため、美神の事務所は火事になっている。
 これは、おキヌの知識で防げるはずの事故だったが、自身の妊娠でバタバタしていたので、おキヌは、事前に告げるのを忘れてしまったのだ。その反省もあって、これ以降、おキヌは、未来情報を美神の仕事にも提供することになっていた。

「なんでも......
 予定していた仕事をキャンセルして
 別口の仕事を引き受けたらしいよ!?
 ......詳細は直接聞いておいで。
 さ、早く!!」

 横島たちを追い立てるように、百合子は、シッシッと手を振る。だが、彼女の言葉を聞いた瞬間、おキヌは、思わず立ち上がっていた。

「ええ〜〜っ!?
 ダメですよ、明日の仕事をキャンセルしちゃ!
 歴史が......また大きく変わってしまいます!!」


___________


「......どういうことなんだい、おキヌちゃん!?」

 GS仕事には門外漢の百合子だが『歴史が大きく変わる』という言葉を聞いては、黙っていられない。一介の主婦でしかない百合子だが、商社勤務時代のコネを駆使すれば、彼女だって役に立てるかもしれないのだ。

「はい、お義母さん。聞いてください......」

 おキヌは語り始めた。
 自分が経験した歴史において、何が起こったのかを......。


___________


 旧淀川ランプ邸の除霊を依頼された美神たちは、方向オンチなおキヌに車のナビを任せたせいで、迷子になってしまう。道を尋ねるために立ち寄った屋敷こそ、現代の売れっ子作家『安奈みら』の別荘だった。
 執筆活動のプラスになると考え、ついてきてしまう安奈みら。彼女に淀川ランプの霊が取り憑いてオオゴトにもなったが、最終的には成仏する悪霊淀川ランプ。
 そして、この経験からインスパイアされて、安奈みらは、新しく『聖美女神宮寺シリーズ』をスタートさせる。そこに描かれる登場人物は、美神やおキヌをもとに作られたキャラクターだった。


___________


「......というわけなんです!
 だから......私たちが行かないと
 『聖美女神宮寺シリーズ』が
 生まれなくなっちゃうんです!」

 熱弁するおキヌに、呆れる横島と百合子。
 
「このコったら......
 大げさなことを言うから何かと思えば......」

 ゆっくりと首を左右に振りながら、百合子は、キッチンから出ていった。
 一方、まりとかおりは、おキヌ同様に興奮している。

「そ、それじゃ......
 おとうさまやおかあさまが
 あの『聖美女神宮寺シリーズ』のモデルなの!?」
「『聖美女神宮寺シリーズ』と言えば......
 外国のSF『宇宙英雄論壇シリーズ』を抜いて
 世界最長になったシリーズじゃないか!?」
「ええーっ!?
 あのシリーズ、そんなに続くの......!?」

 まりが口を滑らせ、その未来情報を聞いたおキヌが、さらにエキサイトする。
 一人取り残された横島だったが、

「何を言ってるのかよくわからんが......。
 とにかく美神さんに直談判するしかなさそうだな。
 とりあえず、今から事務所へ行こう」

 と、一同を駆り立てるのだった。


___________


 外は、すっかり暗くなっていた。
 街灯に照らされた夜道を、高校生四人が歩く。
 端から見れば友人同士なのだろうが、実際には、親子四人である。
 前を歩くのは、横島とかおりの二人。一時の冷静さとは裏腹に、今のかおりは、再び『おとうさまラブ』な状態だ。幸せそうな笑顔で、横島の腕にしがみついていた。
 その横島は、彼女の胸の感触を楽しむどころではない。なんだか背中がチクチクするのだ。後ろから愛妻が、

(ほんとは......あそこは私のポジションなのに......)

 嫉妬のこもった視線で、二人を眺めているからである。
 そんなおキヌを見て、まりが苦笑する。

「まーまー。
 これも今だけだから。
 あたしたち、この時代に長居する気ないし......」

 彼女は、おキヌの気を逸らそうと思い、時間跳躍してしまった事情を語り出した。

「あたしたちの知り合いにさ......
 ちょっと厄介な霊能力者がいてね。
 そいつ、まだ中学生なんだけど......」

 その人物は、生まれながらにして、特殊な力を持っていた。時間移動能力である。ただし、彼自身が時間移動するのではなく、念波を放出して周囲に時空震動を引き起こしてしまうのだ。

「それって......ひのめちゃんみたいなもんか!?」

 横島が振り返って質問する。『念波を放出』という言葉で、ひのめの発火事件を思い出したのだ。その際には、横島もエラい目に遭っている。

「そうですわ、おとうさま!」
「発火能力と時間移動能力の違いはあるけどね」

 これで、横島とおキヌにも、少しはイメージしやすくなった。
 現在のひのめは、念力発火封じのおふだで能力を封印されている。十数年後の未来でも同様か、あるいは、ひのめ自身がコントロールする術を学んだはずだ。それでも、まりやかおりは、彼女が赤ん坊だった頃の事件を、話に聞いているのだろう。

「あたしたちが話題にしている人物も......
 そんな大変な力があること、
 最初はわからなかったから......
 彼が赤ちゃんの頃には、
 色々と事件が起こったんだぜ?」

 その人物が起した時空震動で、部屋にあった小物が過去や未来へとんでしまったらしい。有史以前の時代へ行ってしまい、そのままオーパーツとして発掘されたものもあるくらいだ。

「なんちゅう迷惑な能力だ......」
「......でしょう?
 でも、おふだなんかでは封印できないから
 わざわざ小竜姫さまに来ていただいて
 能力そのものを封印してもらったんです。
 それで十年以上、何の問題もなかったのに......」
「そのプロテクトが外れて、おまえたちを
 この時代へとばしちゃったわけか!?」
「そうなんです!
 封印が破れたのは、どうやら......」

 父親に密着したまま、かおりが、説明を補足した。そして、首を少し後ろに向けて、冷ややかな視線でまりを見る。

「年上のガールフレンドに刺激されて
 ......興奮しちゃったからなんです!!」

 かおりとしては、軽い冗談のつもりだった。しかし、まりは、これに過剰反応してしまう。

「バカヤロウ!
 あたしたち、そんな関係じゃねえぞ!?
 それに......そんなことしてねえったら!」
「あら!?
 ......馬鹿はまりのほうよ!?
 レイ君のガールフレンドだってこと、
 自分からバラしてどうすんの?」
「バカ、おまえこそ!
 『レイ君』なんて言ったら、誰の子供かバレバレだろ!?
 ......これで歴史が変わって、
 レイ君が生まれなくなったら、どうすんだよ!?」

 立ち止まって口論を始めた二人。
 そんな娘たちを見ながら、

「私の天然ボケと横島さんの失言癖......
 両方受け継ぐとこうなるのかしら?」
「いや、これって......
 天然ボケとは違うんじゃないか?」
「うーん......そうですね、
 失言も、横島さんのとは少し違うみたい」

 おキヌと横島は、顔に冷や汗を浮かべていた。


___________


「うわーっ!?
 さすがに若いなー、美神のおばさん!」
「若作りじゃないですもんね。
 ......わたくしたちの時代のおばさまとは別人だわ!」

 事務所に着いて早々、まりとかおりは、失礼なことを言い出した。二人としては新鮮な驚きを表現しただけなのだが、『おばさん』『おばさま』呼ばわりされた美神は、こめかみをピクピクさせている。

「ちょっと......!?
 誰なの、このコたちは!?」
「ごめんなさい、美神さん......」
「俺たちが代わりに謝ります。
 いや、おまえたちも一緒に......!」

 おキヌがペコリと頭をさげた。横島は、娘たちの頭を押さえつけ、二人にも謝罪させる。

「ごめんなさい。
 これからは『美神さん』と呼びます......」
「実は、あたしたちは......」

 そして、まりとかおりは、『おばさん』『おばさま』という呼称を使ってしまった言いわけの意味で、自分たちが未来からきたことを説明した。


___________


「まあ、事情はわかったわ。
 ......で?
 あんたたちが横島クンたちの娘だとして......。
 なんで私のところまで来たわけ!?
 ......『未来へ帰してください』っていう依頼!?」

 一通り話を聞いた美神は、難しい顔をする。
 意図せず過去へとばされた者が、時間移動能力者を頼る気持ちも、分からんではない。しかし、美神の時間移動能力は小竜姫に封印されているし、母親の美智恵も、時間移動は神族から禁止されているのだ。

「いや、違うんスよ」
「まりちゃんとかおりちゃんは......
 明日の幽霊屋敷除霊に同行したいんですって」

 横島とおキヌが代弁する横で、黙ってニコニコしている娘たち。
 交渉役を両親に任せたようだが、そもそも話の前提からして噛み合っていなかった。

「なに言ってるの!?
 幽霊屋敷の話はキャンセルよ!?
 ......電話で伝えたはずだけど!?」
「ダメなんです、美神さん!
 ......明日の仕事だけは、絶対に行かないと!!」

 おキヌは、ここで再び、自分の知る『淀川ランプ事件』を語り始めた。


___________


「......というわけなんです」
「ふーん......。
 ......ま、私が断っても
 きっと誰かが引き受けて何とかするわね」

 おキヌの熱弁にも、美神の反応は冷たい。

(そういえば......
 美神さんって、
 安奈みらを知らないんだっけ!?)

 だから、自分たちの関与の重要性も分かってもらえないのだ。
 それに気付いたおキヌは、別方面からアプローチすることにした。

「美神さん......!?
 新しく引き受けた仕事......
 そんなに重要で、急ぎの話なんですか!?」

 別件を後回しにするよう説得するためには、そちらの詳細も知る必要がある。だから聞いてみたのだが、突然、美神の目が輝き出す。

「もちろん......!!
 なんたって、ユニコーンよ!!」
「ユニコーン......!?」

 一同が驚きの声を上げた。ユニコーンなんて、神話や伝承でしか聞いたことがないからである。
 しかし、おキヌだけは違っていた。心当りがあったのだ。

「ああ......あの事件ですね......」

 おキヌが知る歴史の中でも、美神除霊事務所は、農協からユニコーン捕獲を頼まれたのだった。

「知っているのね、おキヌちゃん!?」
「まーまー。
 落ち着いてください、美神さん」

 情報を得ようと飛びついてくる美神を制止し、おキヌは、ゆっくりと記憶を辿った。

(あのときも......
 美神さんは、やる気十分だったっけ......)


___________


 ユニコーンは神話の中で美化されてきたが、実際には、魔力で畑に忍び込んで野菜を食べ散らかす生き物だ。農家にとっては、立派な害獣なのである。
 ただし、その角には、あらゆる呪いと病気を治す効果があるという。そのために乱獲されて、もはや人間界で目撃されることが希有なほど、個体数も激減していた。今では、ヴァチカン条約で保護されて、指一本触れることも禁止されている。
 今回、野に降りてきたユニコーンに関して、特別捕獲許可も申請した。しかし、許可が下りるのを待っていたら、畑はメチャクチャに荒らされてしまう。だから、農家の人々は、美神に依頼したのだった。
 非合法仕事ではあるが、角を売りさばいたら大金が転がり込むのだ。美神は、気合いを入れて捕獲に臨んだのだが......。
 ユニコーン捕獲は容易ではなかった。自動追尾の麻酔弾もかわされ、

「やっぱ古典的手法でやるしかないか......!」
「古典的手法って......?」
「ユニコーンはね、
 美しく清らかな乙女に弱いの。
 乙女のひざに頭をあずけて
 眠ってしまう習性があって、
 その時全くの無防備になるわ。
 狩人はそのスキに近づいて、角を奪うってわけ」
 
 と、美神みずから乙女役を買って出る。だが、性根を見透かされて失敗してしまった。次に、嫌がるおキヌを押し立てるが、それでも成功しない。実在するわけが無い理想の美女が必要ということで、横島を霊力で女装させてみたが、横島自身が女装横島に一目惚れし、またまた失敗に終わってしまう。
 そうこうしているうちに、捕獲の許可も下りて、オカルトGメンがやってくる。結局、ユニコーンは、彼らの手に渡るのであった。


___________


「......というのが
 ユニコーン事件の顛末です」
「それじゃ、やっぱり急がないといけないわね。
 モタモタしてるとオカGに持ってかれちゃう!
 それこそ『トンビに油揚げ』だわ!」

 おキヌの説明は、美神の気持ちを加速させるだけだった。しかも、今の話では肝心の情報が抜け落ちている。

「ところで......結局オカGは、
 どうやってユニコーン捕まえたの!?」
「えーっと......。
 いつのまにか、ひのめちゃんの
 膝の上で眠っていたらしいんです」

 美神にひのめを預けることが出来なかったため、美智恵は、ひのめをベビーバスケットに寝かして現場へ連れていっていた。それが偶然、オカルトGメンの勝因となるのである。

「なるほど......。
 『美しく清らかな乙女』は
 純真無垢な赤ん坊......というオチなわけね」

 腕組みをしながら、美神は考え込む。
 ひのめを美智恵から借り出せば、それでユニコーンを捕獲できるかもしれない。しかし、すでにオカルトGメンが捕獲許可申請を届け出ているならば、美智恵に話を持ちかけた時点で、目的がバレてしまうだろう。

「オカGの関与は避けたいから......」

 美神は、ニマッとした笑顔を、横島とおキヌに向けた。

「まりちゃんとかおりちゃん......
 私に一日貸してくれない!?」


___________


「えっ......!?」
「わたくしたち!?」

 まりとかおりが驚いたが、美神は首を横に振る。

「......違うわよ。
 高校生の女のコなんていらないの。
 必要なのは......
 赤ん坊の『まりちゃんとかおりちゃん』よ!」

 横島とおキヌの子供でも、ひのめの代用となるだろう。それが美神の計画だった。
 ユニコーンの角の粉末は、純度の高い麻薬以上に高価なのだ。お金に目がくらんだ美神の辞書には、子供の人権という文字はなかった。

「なに考えてるんですか、美神さん!?」
「俺たちの子供を利用するなんて
 ......絶対ダメっスよ!!」

 おキヌも横島も反対するが、美神はケロッとしている。

「いいじゃないの、少しくらい。
 減るもんじゃないし。
 ......それに、横島クンの子供なんて
 私の子供みたいなもんじゃないの!?」
「......えっ!?」
「ほら......
 『おまえのものは俺のもの、
  俺のものは俺のもの』
 っていう有名なセリフがあるでしょ!?
 ......しずかちゃんだっけ?」
「しずかちゃんは、そんなこと言わないっス!!」

 横島のツッコミにも負けず、美神は、まりとかおりに視線を向けた。

「......あんたたちも、横島クンと同じ意見?
 赤ん坊の自分たちが仕事に参加するの、反対!?
 でも早くから現場に出るのは
 ......いい経験になるわよ!」

 横島とおキヌの娘たちならば、きっと霊能力者のはず。美神の霊感が、そう告げているのだ。だからこそ、そこを突いたのだった。

「うーん......そう言われると......
 あたしは別に構わないけど......」
「わたくしも......」
「じゃあ、決まりね!
 本人たちが『いい』って言ってるんだから......」

 娘たちをコロッと丸め込み、話を強引に進める美神。

「おかしいっスよ、その理屈は!?」
「未来からきたまりちゃんとかおりちゃんは
 『本人たち』じゃありません!
 そんなのダブルスタンダードです!!」

 横島とおキヌは、まだ抵抗する。しかし、

「赤ちゃんさえ貸してくれたら、
 あんたたちは来なくていいわ。
 幽霊屋敷の仕事をキャンセルするのも止める。
 そっちは、あんたたちに任せるから!
 ......重要な仕事なんでしょう、おキヌちゃん!?
 ......歴史を変えたらマズイんでしょう!?」
「えっ!?
 ......うーん......でも......」

 交換条件を持ち出され、おキヌが態度を少し軟化させた。
 横島一人では、もはや抵抗は無意味かと思われたが、

「かりに俺たちが『うん』と言っても......
 たぶん、おふくろが反対しますよ!?」
「......あ!!」
「まあ、おふくろまで賛成するなら、
 俺も反対しませんけどね」

 彼は、ここで、百合子の名前を持ち出した。
 横島の母百合子は、一筋縄ではいかない女性だ。しかし、商社勤めで成果をあげた人物だけあって、一般人としての常識も心得ている。赤ん坊を『道具』扱いする美神には、異議を唱えるだろう。
 それが横島の想定だった。しかも、これまでの美神と百合子との対面の様子から見て、『さすがの美神も、百合子は苦手なようだ』と判断している。

「......わかったわ。
 横島クンのお母さまを説得すればいいのね!?」

 横島の勝ち誇ったような表情にイラッとしつつも、美神は、電話に手を伸ばす。

「......もしもし、美神令子です。
 お願いしたいことがあるのですが......」


___________


「どういうつもりなんだよ、母さん!?」

 帰宅してすぐ、横島は、百合子に質問をぶつけた。

「母さんにとっても、
 大事な孫娘だろ......!?
 それを......」
「心配すんじゃないよ。
 私も一緒に行くから、大丈夫さ。
 それに......美神さんとも色々と
 話をするいい機会だしね」

 美神から電話を受けた百合子は、彼女自身の同行を条件とした上で、アッサリ承諾したのである。これは、横島の予想外の成り行きだった。

「それより......
 おまえたちの方こそ大丈夫かい?
 忠夫たちだって半人前なのに、
 そっちのまりとかおりまで連れてくんだろ!?」

 百合子は、むしろ、横島たち四人を心配しているらしい。
 ここで、かおりがスッと一歩前に出て、胸をはって答える。

「安心してください、おばあさま!
 こう見えても、おとうさまは
 すごい霊能力者なんですよ!!
 そして、おかあさまだって、
 一流のネクロマンサーですから!!」
「それに、あたしたちだって
 ズブの素人ではないからね......」

 まりがかおりの言葉を補足し、懐から、独特な形状の笛を取り出した。それを見たかおりも、全く同じ笛を手にする。

「......あっ!!」
「もしかして、まりちゃんとかおりちゃんは......」
「......そういうことさ!!」
「わたくしたち、おかあさまの娘ですから!」

 横島とおキヌが気付いたように、まりとかおりも、ネクロマンサーなのであった。二人は、同時に笛を吹き始める。

 ピュリリリリッ......ピュリリリリッ......。

「きれいなハーモニーだねえ......」

 霊能のことなど分からぬ百合子にも、その音色は美しいと感じられたのだ。
 常人がネクロマンサーの笛を吹いても、音は出ない。それを知る横島やおキヌは、娘たちを認めざるを得なかった。さらに、二人は、微妙なポイントにも気が向く。

「でも......なんだか
 おキヌちゃんの音色とは違うな!?」
「二人の音の高さが違うからですね!?」
「いや......三つめの音まで聞こえるぞ!?」

 まりが低い音を奏でて、かおりが、その上からハモらせる。それが、この二人の『ネクロマンサーの笛』だった。
 そして、横島が感じた『三つめの音』。それは、二人の音の波長が正しく共鳴することで発生していた。音楽学的には倍音共鳴と呼ばれるシロモノだが、楽典を勉強したわけでもないGSたちに、そこまでの理屈はわかっていない。

「あたしたちの霊波がピタッと合ったときだけ......」
「......さっきの音が出てくるのですわ!」

 演奏を止めた娘たちは、自慢げな顔で、そう説明する。
 なお、この『第三の音』が鳴らなければ、ネクロマンサー効果は発揮されない。彼女たちの能力は、そんな中途半端なものなのだ。しかし、二人は、この点に敢えて言及しなかった。


___________


 そして、翌朝。

「それじゃ、頑張っておいで!」
「母さんもな!」

 横島たち四人が、百合子に見送られる形で、家を出る。
 百合子たち三人は、美神が車で迎えに来ることになっているので、もう少し部屋で待っているのだ。

「俺たちだけだと、車がないんだよな。
 電車を乗り継いで行くのか......」
「親子四人でピクニックだと思えばいいですわ!」
「......どう見てもピクニックの
 格好じゃないだろ、あたしたち!?」

 ノンキなかおりに、まりがツッコミを入れた。
 横島もおキヌも、いつも通りの仕事着である。つまり、彼はジーンズの上下を着て大きなリュックを背負い、彼女は巫女装束なのだ。そして、まりとかおりも、除霊仕事ということで、母親と同じ服装だった。おキヌの予備を借りたのである。
 マンションを出て、駅へと向かう四人。
 巫女姿の三人を従えて町中を歩く横島に、時々、すれ違う人々の好奇の視線が向けられる。これが、彼が電車移動を嫌がる理由となっていた。
 一方、後ろを歩くおキヌは、

(うーん......。
 ちゃんと淀川邸へ行けるのはいいとして、
 何か忘れているような気がするんだけど......!?)

 と、心に引っ掛かりを感じている。
 おキヌ・まり・かおりにとって、今回の仕事は、除霊そのものだけでなく、安奈みらと接触することが大切だった。ちゃんと『聖美女神宮寺シリーズ』のモデルとなることが最重要課題なのである。
 しかし、おキヌが知る『聖美女神宮寺シリーズ』の主人公は、美神令子をモデルにしたキャラクターである。だから、美神がいない状態で安奈みらと対面しても、全く意味がないのだが......。
 それをすっかり失念しているおキヌであった。


(第三話「止めよペン(後編)」に続く)

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____
第三話 止めよペン(後編)

「ふう......アイデアが出ない......!」

 頬杖をつきながら、溜め息を吐く少女。
 彼女は、大きめの丸い眼鏡が似合う、チャーミングな女性である。ありきたりな女子高生にも見えるが、実は彼女は、ベストセラー作家の安奈みらであった。
 デビュー三年目を迎える彼女は、今、深刻なスランプに陥っている。創作に行き詰まった安奈は、お気に入りの貸別荘で、ベランダから外を眺めていたのだった。

「『花の女子高三人組ラブラブ
  ミステリーツアー殺人事件』
 は私の代表作になったわ。
 でも、もう一年以上
 それを超えるものが書けていない......」

 ここは人里離れた別荘地である。目に入るのは緑の木々ばかり。気分はリフレッシュされるが、アイデアを刺激するようなものは何も転がっていない......。
 そう思ったところで、

「......ん?」

 四人の若者が歩いているのが、目に入ってきた。
 男は安物のジーンズ姿。大荷物を背負っており、キャンプにでも向かうような感じだ。しかし、連れの女性三人は、雰囲気が違う。山歩きどころか、神社の受付にいるのが相応しいような和装だった。

「これだ!
 ......新しい作品のためのネタだわ!」

 安奈が、キラリと目を輝かせる。
 その時、眼下の四人が、こちらを見上げた。そして、安奈に声をかける。

「すいませんーッ!!
 俺たち道に迷っちゃったんスけど......」
「この近くに......
 戦前のお屋敷の廃屋があるはずなんですが......」




    第三話 止めよペン(後編)




「旧淀川邸跡......!
 昭和初期に活躍した文学者、
 淀川ランプ先生の家です。
 元々悪夢的な作風だったのが、
 晩年ここで仕事をするようになってから
 ますますその傾向が強くなり、
 最後にはこの屋敷の中で焼身自殺しちゃったの」

 淀川邸まで四人を案内した安奈みら。
 安奈の別荘からは少し距離があったが、たまには歩くのも気持ちがいい。それに、これは、神さまがくれた取材のチャンスでもあった。

(この三人の巫女少女......どこか、おタンビ!!)

 と考えながら、三人をチラチラと眺める。三人とも、一人で主役をはれるくらいの美少女だ。

(こんな三人を引き連れてるんだから......
 この男も、ただ者じゃないわね......)

 ジーンズ男は、額にバンダナをしている。本人はオシャレのつもりかもしれないが、安奈から見たら、とても似合っているようには思えなかった。

(たぶん......あのバンダナに秘密があるんだわ!
 ......ひょっとして、魔法のアイテム!?)

 ここまでの道中、安奈と四人は、簡単な自己紹介をしている。
 三人の少女は安奈みらの大ファンだという。
 そして、彼ら四人は、特殊な職業に従事していた。
 彼らは、ゴーストスイーパーだと自称したのである。安奈の理解では、ゴーストスイーパーとは、異能の力で悪魔と戦う人々のことだ。
 安奈の想像がふくらむ。

(ということは......
 この男の正体は......!!)

 空想に走る彼女に、おキヌが声をかけた。

「あの......みら先生!?
 私たち、これから中に入りますけど......。
 危ないから、先生は外で待っていてもらえます?」


___________


「えっ!?」

 安奈みらは、少し驚いたような顔をしている。

(やっぱり......。
 みら先生......
 除霊してるところを取材したいんだろうなあ)

 逆行前にも同じ事件に関わっているおキヌである。安奈の心中は、容易に推測できた。

(でも......みら先生が来るのは危険だわ)

 淀川ランプの悪霊が、安奈に取り憑いて、美神たち三人を苦しめる。それが、おキヌが記憶している内容であった。最後に淀川ランプを倒すのも安奈なのだが、そもそも安奈さえ隔離しておけば、トラブルは生じないはずなのである。

(それに......もう十分なはず......)

 ここまで安奈に案内させたのは、自分たちを適度に印象づけるためだった。歴史どおり『聖美女神宮寺シリーズ』を書いてもらうために、わざわざ安奈の別荘に立ち寄ったのである。今回は、道に迷ったわけではなかった。

(だって......みら先生......
 横島さんと同じ顔してたから......)

 妄想壁のある男と結婚したおキヌなのだ。安奈が空想に浸っていたのは、丸っとお見通しであった。だからこそ『もう十分』と判断できたのである。


___________


(今頃きっと神秘的な術を使ってるのね......)

 なんとか屋敷内までは同行させてもらえたものの、安奈は、別室に連れて行かれてしまった。
 おキヌたちは、すでに悪霊の居場所まで分かっているようで、どこが安全な部屋かということも把握していたのだ。
 そして、三少女が除霊をしている間、横島が安奈を見張っている。

「すぐに終わりますから。
 ははは......」

 安奈としては、コッソリ抜け出して様子を見に行きたい。しかし、

(やっぱり......この男......ただ者じゃない......)

 彼女は、横島から独特のオーラを感じとっていた。素人が彼の目をかいくぐることなど、出来そうにない。
 一方、横島も、安奈が興味津々な視線を向けていると意識している。

(作家だかなんだか知らんが
 このコも......かわいいよなあ。
 ......今ここには、
 おキヌちゃんも美神さんもいない。
 しかも、このコは俺に興味ありそう......。
 もしかして......久しぶりのチャンス!?)

 横島の心は、隙だらけであった。
 その時、二人の耳に、笛の音が聞こえてくる。

 ピュリリリリッ......。


___________


「くん煙除霊剤より、このほうがいいよな」
「わたくしたちの仕事は、優雅でなくちゃ......!」

 まりとかおりは、ネクロマンサーの笛を吹くおキヌを見守っていた。
 この屋敷にいる幽霊は並の悪霊ではないと聞いていたが、二人とも、母親の実力を信頼している。
 やがて......。

『くっくっく......!!
 こんなもので......私を
 成仏させることなぞ出来はせんぞ!!』

 淀川ランプの悪霊が姿を現した。
 口では威勢のいいことを言っているが、少し苦しそうにも見える。

「おい、かおり!」
「ええ、わたくしたちも!」

 加勢しようと思って笛を取り出す娘たち。
 これを見て、

『ふん......
 そんなもの恐くはないが......』

 淀川ランプが、部屋からスーッと逃げ出した。

「逃げられちゃった......!?
 もう......!!
 待ってください!!」

 おキヌが、慌てて追いかける。
 母親の後ろを走る娘二人は、

「なあ......!?
 この作戦......
 思いっきり失敗だったんじゃないか!?」
「そうね......こっちに
 おとうさまを配置して
 文珠で浄化してもらうほうがよかったみたい」

 と、言葉を交わすのであった。


___________


『こちらに邪な気が漂っておる......。
 それを取り込めば......!!』

 何かに惹かれるように、淀川ランプは廊下を突き進む。
 
『ここだ......!!』

 淀川ランプが入り込んだ部屋にいたのは、一組の男女。
 男が半ば押し倒すような形で、女に抱きついている。

「私も......
 彼らの関係にひきこまれてしまうのかしらっ!?
 ああああっ、どうしようっ!!」

 安奈は、横島に好意を感じているわけではない。ただ、自分が想像したキャラクターを彼に投影することで、イヤンイヤン状態になっていたのだ。
 横島は横島で、

(あんまり......いやがってない......!?)
 
 という気持ちから、ついついセクハラを加速させてしまっていた。しかし、淀川ランプの悪霊が来たことで、サービスタイムも終了だと悟る。

「ここでお預けかよ......!?
 そんなこったろーと思ったよチクショー!」

 安奈を抱きしめたまま、涙目になる横島。彼の抗議も空しく、淀川ランプが横島に憑依する!

『その体......もらった!』
「ぐわーっ!?」


___________


「......おやじ!?」
「おとうさま!!」
「なんてことを......」

 おキヌたち三人が飛び込んできたのは、淀川ランプが横島の体を手に入れた直後だった。

「成仏できないのは......
 創作活動への未練のためだと思ったのに......」
「......このエロジジイ!!」
「やっぱりオトコなんて、みんなケダモノですわ!
 ......おとうさま以外は」

 おキヌ・まり・かおりが、口々に淀川ランプを責め立てる。 

『......え!?
 ん!? この感触は......』

 ここで、彼も、ようやく現状に気が付いた。今、横島に取り憑いた淀川ランプは、安奈に抱きついた形になっているのだ。ペンを握るはずの手は、若い女性のやわらかい体を楽しんでいる。
 
『ちょっと待て! ......誤解だーッ!!』
「問答無用!」
「許せません......!」
「なんだか......腹が立ちます!」
「よくも......私の体を!」

 少女たちは、淀川ランプに殴り掛かった。まり・かおり・おキヌだけでなく、安奈まで一緒になっている。

 バキッ! ボコッ! ポカッ、ポカッ......。

 血だるまになって転がる淀川ランプ......いや、横島の肉体。しかし、彼は不死身のゾンビのように立ち上がる。

『くっくっく......』
「さすがに......おやじの体を
 使ってるだけのことはあるな」
「いくら叩かれても
 まったく応えないようですね......」

 横島の打たれ強さを、あらためて思い知る娘たち。父親は偉大なのだ。

「......って、違うわ!
 肉体をいくら攻撃しても、
 中の悪霊にはダメージが届いていないのね!?」
『くっくっく......その通りだ』

 ようやく気付いたおキヌの言葉を、淀川ランプが肯定した。


___________


『今度は......こちらから行くぞ!
 私の名前は淀川ランプ!
 おまえたちも、まずは名乗れ......!』

 淀川ランプは、正々堂々を装って、少女たちの名前を聞き出そうとする。

「わたくしは、横......」
「バカヤロウ!
 ......ここへ来る前に言われただろ!?」

 うっかり答えそうになったかおりの口を、まりが塞いだ。
 淀川ランプの悪霊には、言霊を操る魔力がある。彼が原稿用紙に書いた内容は、彼の近辺では、全て現実となるのだ。  
 そんな恐ろしい能力を、二人は、おキヌから教えられていたのだった。
 一方、策略に失敗した淀川ランプは、かおりの言葉を耳にして、興味深そうな表情をする。

「『横』......!?
 もしかして『横水』か!?
 横水君の親戚か......!?
 泣くときは『よよと泣く』のか!?」
「はあ......!?」
「いや、私の作家仲間に
 横水セーキという男がいてだな......。
 そんな表現を好んでおったのだ。
 おどろおどろしい作品から
 嘆美な小説まで、作風も幅広く......」

 淀川ランプは、遠い目をして語り始めた。
 彼がブツブツしゃべっている間に、四人はコソコソ集まって相談する。

「今のうちに逃げようぜ!?」
「そうですね。
 とりあえず言霊の範囲外まで逃げて、
 そこから反撃しましょう......!!」

 まりとかおりの提案に、おキヌと安奈も頷く。抜き足差し足忍び足で動き出した四人だったが、

『......というわけで
 助言をし合える良き友人だったのだよ。
 ......って言ってる間に!!』

 昔語りを終わらせた淀川ランプに気付かれてしまった。

『しゃべりはいかんな、しゃべりは。
 やはり私は......書かねばならん!』

 どこからか取り出したペンと紙で、彼は、執筆を始める。

『部屋には落とし穴が隠されてをり、突然その蓋が奈落の底に向かって開いたのだった』


___________


「きゃあっ!?」

 急に作られた落とし穴を、ひたすら落下していく四人。

(やっぱり......同じ展開だ......
 ......ということは、次は!?)

 記憶どおりになったことで、おキヌは先を予想し、顔が青ざめる。

「どこまで落ちるのかしら!?」
「......ランプさんが続きを書くまでです!
 でも、その前に何とかしないと!
 たぶん......
 この下に待っているのは針山地獄です!!」
「いっ!?」

 おキヌの説明で、他の三人の顔色も変わった。
 そんな中、まりとかおりは、お互いの顔を見合わせ、頷き合う。

「おかあさま、みら先生!」
「あたしたちにつかまってくれ!」

 かおりとまりが、それぞれの右手と左手を重ね合わせると......。

 バシュウウウウウッ!!

「あっ!? それは......!!」

 合わさった手から出現したもの。それは、二十センチ弱の、小ぶりな霊波刀だった。二人は、それを壁に突き立て、かろうじて落下を食い止める。

「そうさ!
 これが、あたしたちのもう一つの能力......!」
「おとうさまから受け継いだ力です!」


___________


『うーむ。
 やはりここで執筆せんと筆が乗らんわい!』

 淀川ランプは、横島の体を支配したまま、書斎へと移動していた。
 机に向かい、愛用のパイプにも火をつけ、じっくり考え始める。 
 グロテスクではない残酷さと、いやらしくはないエロス。それを美しくミックスさせたのが、生前の淀川ランプの作風だった。彼の猟奇性は、悪霊となった今も全く変わっていない。

『穴の底には無数の鉄針がその禍々しひ切っ先を空に向けて待ち受けていた』
 
 と書き記した淀川ランプだったが、何も手応えが感じられない。

『くそっ!!
 私の構想では、血に染まった女の白い肌が、
 蝶の標本のように硬直する予定だったのに!!
 いいアイディアがパーではないかっ!!
 アイディア......もっといいアイディア......』

 プロの矜持をもって、彼は、新案を捻り出そうとする。しかし、これで、横島の体をコントロールする力が弱まってしまった。

(ん......!?
 淀川ランプの怨霊......!!
 構想に夢中で俺を乗っとれなくなったのか!?)

 横島が意識を取り戻す。
 逆襲の機会をうかがう彼に気付かぬまま、

『むっ! 「歯車」!!
 やはり猟奇でエロスな殺人には「歯車」がいい!!』

 淀川ランプは、次なる一手を記し始めた。


___________


「もうダメ〜〜!!」
「みら先生、暴れないでください!」
「それでなくても......
 あたしたちの霊波刀で四人支えるの、
 ギリギリなんだから......!!」

 巨大な歯車が、上下左右から四人に迫っていた。
 歯車に巻き込まれたらミンチになってしまうだろうが、それ以前も問題だ。かろうじて落下を防いでいる現状なのだから、歯車がかすっただけで落ちてしまうかもしれない。
 そんな危機的な状況の中、突然、歯車が制止する。

(あ......!! これって......!?)

 救世主を思い浮かべたおキヌの耳に、トランペットの音が聞こえてきた。

「やはッ、みんな!!
 俺はグレートGS、スーパー横島だ!」

 歯車の上に立つ、タキシード姿の男。
 それは、実物より二割り増しでハンサムな横島忠夫だった。

「横島さん......!!」
「......おとうさま、ステキ!!」
「やっぱり、あたしには......
 かおりのシュミはわからんわ」

 もちろん、本物ではない。淀川ランプの魔力を利用して、横島が書き出したキャラクターである。

「今日の俺はひと味違うぜ!!
 グレートでスーパーだから......
 文珠だって......こんなに使える!!」

 横島が空想で作り上げたスーパー横島なのだ。その能力も、尋常ではなかった。
 彼は、六個の文珠を発現させて、

「いくぜ!!
 『怒・呼・出・茂・怒・阿』!!」

 空中に、不思議なドアを呼び出してみせた。

「うわっ、当て字!?
 ......そんなもん文珠じゃねえッ!!」
「文珠の概念が無茶苦茶ですよ、おとうさま!?」
「これでいいのだ!!
 おまえたちのパパだから......
 ......じゃなくて、
 ペンの力に不可能はないからな!!」


___________


 ガチャリ!!

 少女四人がドアをくぐると、そこは書斎だった。

『素人のクセに私の芸術の
 腰を折るんじゃないっ!!
 おとなしく私の
 イマジネイションを自動筆記しとれ!!』
「プロだからって偉そうにするな!
 今は下手なプロより上手い素人が
 たくさんいる時代なんだぞ!?」

 ちょうど、淀川ランプと横島が、現代の小説に関して激論している。ただし、横島に読書の習慣などないため、彼の意見は、おキヌあたりからの聞きかじりであった。

『ええい!
 こんな小僧の中にいては
 私の文章センスが崩壊してしまう!!』

 うろたえた淀川ランプが、横島の体から飛び出した。そして、次なる標的として、四人の少女を見比べる。
 しかし、彼が狙いを定めるよりも、まりとかおりの言葉のほうが早かった。

「おやじ、今だ!」
「文珠で浄化です!」
「お、おう!」

 娘たちに言われるがまま、横島が『浄』文珠を出して、淀川ランプに投げつける。普通の悪霊ならば、これで一発なのだが、

『ぐ......!
 そんな得体のしれないもので......』

 魔物と化し始めた淀川ランプは、しぶとく現世にしがみつく。姿は薄くなったが、まだまだ消滅しそうにはなかった。

「とどめは私が......!」
 
 おキヌがネクロマンサーの笛を吹いたが、悪霊の様子は変わらない。
 プロのGSでも倒せない淀川ランプに業を煮やして、安奈が叫び始めた。

「旧時代の遺物め!
 早く成仏しなさい!!
 ......あんたたちが
 芸術ぶって文学マニア向けの
 作品ばっかり書いてきたせいで、
 日本の小説は若い世代に
 読まれなくなってるのよ!!」
 
 彼女は、マシンガンのように文句を吐き出す。現代の売れっ子作家の苦労は、先人から引き継がれた文学事情を原因としているのだ。

「漢字は少なく!!
 改行はこまめに!!
 でないと読者がついてこないのよっ!!
 それだけがんばっても......
 一冊平均10万部くらいしか売れないんだからっ!!」

 安奈は、言葉とともに『花の女子高三人組ラブラブミステリーツアー殺人事件』を突きつけた。

『こ......こんなものが......10万部も!?』

 現代作家の安奈にとっては『10万部しか』だが、昔の作家である淀川ランプにしてみれば、『10万部も』である。パラパラとページをめくる彼の姿は、どんどん薄くなっていく。

「ええーん。
 私の笛より、
 みら先生の言葉のほうが効くだなんて......」
「......そうか!」
「そういうことね!?」

 おキヌのつぶやきを耳にして、まりとかおりが顔を見合わせた。
 普通の幽霊のように慈愛で成仏を持ちかけても駄目なのだ。この淀川ランプを倒すためには......!!

 ピュリリリリッ......ピュリリリリッ......。

 笛を吹き始めた二人は、独特のハーモニーの上に、未来人の思いをのせる。

(......みら先生の言うとおりだ!)
(あなたの作品は時代遅れなんですよ!?)
(十五年後には、みら先生の小説は
 教科書にも掲載されるくらいだぜ......!!)
(それに比べて......
 あなたたちの本なんて誰も読まなくなるわ。
 お友だちの『横水セーキ』さんの名前も
 漫画のネタとして記憶されているだけ......)
(そうそう!
 『金大好き少年の事件簿』ってやつだな!!)

 ネクロマンサーの笛が伝える信念である。騙そうとして嘘をついているわけではないのだ。だから、悪霊の胸の奥まで、しっかりと届く。

『こんな小説が......教科書に......!?
 そして......横水君が漫画に......!?
 文学は死んだーッ!!』

 それが、衝撃の未来を知らされた淀川ランプの最期であった。


___________


 帰りの電車の中。
 週末ではあったが、連休でも長期休暇でもないので、座席は比較的空いている。四人は、うまくボックスシートに座ることが出来た。

 すぴー......すぴー......。

 疲れたのだろうか、横島は、すぐに寝息を立て始めた。おキヌの肩にもたれかかって、幸せそうな寝顔である。
 娘たちも苦笑してしまう。

「あらあら、おとうさま......」
「今回は、あんまり活躍してないのにな!?」
「いいじゃないですか。
 寝かしてあげましょうよ......」

 横島を起さないために、おキヌは、あまり体を動かせない。それでも、首だけ回して、優しい笑顔を彼に向けるのだった。

「やっぱり......
 おとうさまとおかあさまはお似合いですわ!
 ......ちょっと妬けちゃうくらい!!」
「まあ、なんといっても
 『聖美女神宮寺シリーズ』のダブルヒロインだからな!」
「ふふふ......」

 ファザコンかおりのヤキモチ発言も笑い飛ばすおキヌ。まりの言葉も、最初は聞き流してしまったが、一瞬遅れて、その意味が頭に浸透する。

「......え!?
 まりちゃん、今、なんて言ったの!?」

 ここで、おキヌはようやく思い出したのだ。
 『聖美女神宮寺シリーズ』の主人公は、美神令子をモデルにした魔女、神宮寺令子である。彼女は、悠久の時の流れを、魔物を倒すためだけに生きていく。正義のために戦う不死身の女なのだ。
 それが、おキヌが知る『聖美女神宮寺シリーズ』であり、だから、美神を安奈みらに引き合わせなければいけなかったのだ。

「ええーっ!? なんですの、それは!?」
「おいおい......。
 あたしたちの知ってるシリーズとまるで違うぜ!?」

 おキヌの説明を聞いて、かおりとまりが目を丸くした。
 二人が知る『聖美女神宮寺シリーズ』では、主人公は男装の麗人。いつもの彼女は、しがない荷物持ちの男を演じているが、仲間の巫女三姉妹がピンチに陥ったとき、聖美女神宮寺令子として駆けつけるのだ!

「......男のフリしてるときはバンダナをつけてて
 神宮寺令子に戻ったときはバンダナ無しなんですわ」
「そうそう!
 みんなバンダナばかりに注目してるから、
 顔つきも同じだけど、誰も正体に気付かないんだぜ!」

 よほど好きなシリーズなのだろう。二人とも目を輝かせており、言葉も止まらない。

(私が知る歴史とは変わった......!?
 でも......
 まりちゃんとかおりちゃんの
 未来とは変わっていない!?
 ......あーん、
 もう頭がゴチャゴチャします〜〜!!)

 熱く語る娘たちを前にして、なんだか混乱するおキヌであった。


___________


 2DKの我が家に帰り着いた頃には、すでに夕方になっていた。

「ただいま〜〜!!」
「......遅かったわね!?」

 ドアを開けた四人を、ホクホク顔の美神が出迎える。無事にユニコーンの角をゲットできたのだろう。誰の目にも明らかだったが、横島が、一応の確認を口にする。

「美神さん......
 その様子では上手くいったみたいっスね!?」
「ええ!
 まりちゃんとかおりちゃんサマサマだわ!!
 二人に何かプレゼントしたいくらいよ!!」

 ご機嫌の美神を見て、高校生のまり・かおりが視線を交わし合う。そして、おずおずと切り出した。

「だったら......お願いがあるんだけど......」
「ほら、赤ちゃんのわたくしたちでは
 何が欲しいかも言えないですから......。
 代わりに、大きくなったわたくしたちが......」

 そこへ、奥から百合子も顔を出す。
 
「あんたたち、立ち話もなんだから、
 早く中へ入りな......!!」


___________


「美神さん......
 あんまり孫たちを甘やかさないでおくれよ!?」
「大丈夫!
 そんなに高いものねだられても
 ちゃんと断りますから......!!」

 お茶をすすりながら会話する、百合子と美神。
 今、キッチンのテーブルを囲んでいるのは、この二人と、高校生のまり・かおりだけだ。横島とおキヌは、赤ん坊のまり・かおりの様子を見に行っている。

「いや......あたしたち......
 買って欲しいものがあるわけじゃなくて......」
「連れていって欲しいところがあるんです」

 まりとかおりの目的地。それは、除霊仕事さえなければ、今日行くはずだった場所だ。横島とおキヌに頼むつもりだったのだが、美神に協力してもらえるならば、そのほうがいい。
 
「そこへ行くことそのものも大変だって聞いたけど......」
「紹介状がないと入れてもらえないそうですから......
 一筆、お願いできませんかしら!?」

 少しずつ話を持ち出す二人だったが、これだけで、美神にはピンときてしまった。

「あんたたち......そこって......まさか!?」
「あれ......!?
 やっぱり......わかっちゃったかな!?
 そう、妙神山へ行きたいんだよ......!!」
「修業が必要ですからね。
 ......未来へ戻るためには!!」


(第四話「xxxじゃないモン!(前編)」に続く)

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____
第四話 xxxじゃないモン!(前編)

「そう、妙神山へ行きたいんだよ......!!」
「修業が必要ですからね。
 ......未来へ戻るためには!!」

 妙神山へ連れていって欲しいと懇願する二人の女子高生、まりとかおり。
 彼女たちの前には、美神と百合子がいるが、二人ともすぐには返事をしなかった。
 これまでの短い会話から、百合子も、妙神山が霊能力の修業をするところらしいということは理解している。だが、詳しいことはわからないため、百合子は、美神の顔色をうかがったのだ。
 その美神は、眉をしかめて、難しい表情をしていた。少しの後、彼女は口を開く。

「おキヌちゃんと横島クンの娘だからね。
 あんたたちだって、それなりの霊能力は
 持ってるんでしょうけど......」

 美神の直感は、すでに、霊能力者としての二人のレベルを感じ取っていた。そして、それを確認するために、

「とりあえず、あんたたちの力、
 見せてくれないかしら......?」

 と促す。
 まりとかおりは、やや緊張した表情で互いの顔を見合わせ、黙って頷いた。




    第四話 xxxじゃないモン!(前編)




「......そんなんじゃダメね」

 まりとかおりは、ネクロマンサーの笛も吹き、霊波刀も出してみせたのだ。それなりの手応えは感じたのだが、美神には、あっさり否定されてしまった。

「なんで......?
 おやじだって......
 霊波刀くらいしか使えない段階で
 妙神山へ修業に行ったんだろ!?」
「成長のピークをすぎないほうがいいんでしょう?」

 なおも二人は食い下がる。
 しかし、かおりの言葉を聞いて、美神が呆れ顔になった。

「あんたたち......まさか
 最難関コースを受けるつもりだったの?
 成長のピークどころか
 ......全くのヒヨッコのくせに!?」

 あまりに無謀なことを二人が考えているものだから、美神は、息巻いてしまう。
 まりとかおりは、返す言葉もなく、小さくなっている。
 美神の口調に含まれる小さな怒気は、百合子も感じ取ったようだ。だが、自分の立場を心得ている彼女は、

「なんだか話がキナ臭くなってきたわね。
 霊能のことは専門外だから......」

 と言って、キッチンから出ていった。
 赤ん坊のまり・かおりの世話をしにいったのだろう。代わりに、横島とおキヌが戻ってくる。

「どうしたんスか、美神さん!?」
「この二人、身の程知らずもいいところだわ!
 ......親の顔が見てみたいわよ、まったく!!」

 あてつけのつもりはないが、美神は、そんな発言をしてしまった。


___________


 キッチンテーブルを囲む五人の若者たち。
 美神は、いつものようなボディコン姿である。そして、他の四人は、除霊仕事から戻った後、まだ着替えていない。つまり、おキヌ・まり・かおりの三人は、巫女服を着たままだった。
 そんな環境の中、

「......それは美神さんの言うとおりだな」

 話を聞いた横島も、まりとかおりの妙神山行きに反対した。
 横島自身、最難関コースは受けているし、また、美神が別の修業を受けたのも見学している。だから、妙神山の修業が死と隣り合わせだということを理解しているのだ。

「あーあ、おやじにも止められるようじゃダメだな」
「おとうさまなら......味方してくれると思ったのに......」

 ついに観念したようで、二人の顔に、あきらめの色が浮かぶ。
 
「あら、ずいぶん素直なのね?」

 美神が説得してもハッキリした態度を見せず、横島の一言で陥落したのだから、美神としては面白くない。そもそも、まりとかおりに対しても少し腹を立てていたのだ。しかし、

「これが父親としての威厳っスよ!」
「......『威厳』なんかじゃなくて
 『娘に甘い父親』だからこそ......
 反対意見に重みがあるんでしょうね」

 なんだか誇らしげな横島を見ていると、滑稽に思えてくる。そして、心の中にあったモヤモヤも消えていくのだった。
 二人の会話を聞いて、まりとかおりも苦笑している。
 横島も何か言おうとしたが、そんな彼の前に、お茶が一杯差し出された。

「まーまー。
 ......よかったじゃないですか」

 おキヌが、自分と横島の分を用意していたのだ。
 彼女は横島の隣に座り、自分の湯呑み茶碗に口をつける。そして、まりとかおりに対して微笑んだ。

「今のまりちゃんとかおりちゃんでは、
 まだ妙神山は無理でしょう......?
 きっと鬼門さんにも負けちゃいますよ」

 おキヌとしては何気ない言葉のつもりだったのだが、まりとかおりは、過敏に反応する。

「鬼門......!!」
「鬼門なんですね!?
 この時代ならば......
 まだ鬼門が門番をしてるんですね!?」


___________


「そういうことだったね......」

 美神が小さくつぶやく。
 まりとかおりが妙神山で修業したい理由を理解したのだ。
 最難関に挑戦したいというのだから、文珠を獲得して、それで未来へ帰るつもりだったのだろう。しかし、それだけではなかったのだ。二人は、この時代の妙神山の方が未来の妙神山より簡単に入山できると考えていたに違いない。

「未来では......もう鬼門はクビになってるのね?」
「クビだなんて......」
「美神さん......そんな身も蓋もない言い方を......」

 おキヌと横島は軽く突っ込むが、まりとかおりは首を縦に振っていた。

「そうなんだよ。
 一応、まだ門に貼り付いてるけど......」
「実際に出てきて相手するのは、鬼門じゃないですからね」

 二人が説明し始めたが、美神は、手を振ってこれを制止する。

「......もう手遅れよ。
 この時代でも......だんだんそうなってきてるわ」

 美神は、小竜姫から聞いた話を思い出していた。
 アシュタロスとの戦いが終わってから再建された妙神山は、外観は同じでも、中の構成メンバーが微妙に異なっているのだ。パピリオとルシオラが加わったのである。
 その姉妹が、最近、鬼門たちの代わりに通行テストの試験官になっているらしい。並の霊能者が勝てる相手ではないため、

『これじゃ誰も来てくれないじゃないですか!』

 と、小竜姫は嘆いていたのだ。
 ただし、世の中には、敵が強ければ強いほど燃える男もいる。そんなバトルマニアは、この二人と戦うために、すでに最難関コースをクリアしているにも関わらず妙神山に通いつめてしまうのだ。
 パピリオは彼のことを『ルシオラちゃんが相手すると喜ぶ』と揶揄し、

『戦闘狂みたいでちゅからね。
 戦いを通じて、友情とか......
 愛情とか育てちゃうんでちゅよ!』

 とまで言っていたのだが......。


___________


「管理人のダンナがみずから出てくるなんて
 ......反則だよな。
 管理人と二人で仲良く、奥に引っ込んでればいいのに」
「こら、まり!
 そういう未来情報を具体的に言っちゃダメでしょ!?」
「いいじゃねえか、これくらい」
「よくありません!
 あなたは、いつも......」

 美神が短い回想をしている間に、まりとかおりは、言い争いを始めそうになっていた。
 二人の会話を耳にして、美神はハッとする。

(『管理人のダンナ』......?
 『管理人と二人で仲良く』......?
 パピリオとルシオラではないのね!?)

 そう、美神の知る現状とは違うのだ。詳細を聞きたい気持ちにもなったが、美神が口を開く前に、横島が割って入った。娘たちの仲裁するのかと思いきや......。

「どういうことだ!?
 小竜姫さまにオトコが出来るのか!?
 ......おい、それは誰なんだ!?」
「横島クン......?
 あんたが興奮することないでしょ?」

 美神は、横島にジトッとした目付きを向ける。
 今度は、横島がハッとする番だった。横島は、隣に座るおキヌに目をやる。彼女は笑っていたが、その笑顔の裏に別の感情が隠されていることを、横島は十分理解していた。


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「おやじは......あいかわらずだな」
「......ほんと。
 でも、そこがおとうさまの魅力ですわ」

 未来での両親の姿を思い出したのだろう。まりとかおりが笑っている。
 どうやら、横島の迂闊な発言は、期せずして二人の諍いを止めることになったようだ。
 顔を見合わせた二人は、どちらからともなく頷いた。

「小竜姫さまは出世したんだよ」
「まだ妙神山にいらっしゃるけど......
 もう管理人ではないのです」

 まりにあわせて、今度は、かおりまで情報を漏らす。口をすべらした以上、ここまでは伝えておこうと決めたのかもしれない。
 妙神山には行ったことがない二人だが、育ちが育ちだけあって、霊能業界の噂には精通していたのだ。

「だけど......
 『じゃあ誰が管理人?』とか聞かないでくれよ!?」
「キリがないですからね」

 二人は、ここで止めようとしたが、横島が少しだけ食い下がる。
 
「具体的な名前までは聞かないが、
 一つはっきりさせたいんだ。
 新しい管理人さんにはダンナがいるんだろ。
 ......ということは、また管理人さんは女なんだな?
 美人の管理人さんが面倒みてくれるんだな?」
「そんな......どこかのアパートじゃあるまいし」

 『美人の管理人さん』にこだわる横島に対し、軽いツッコミを入れるおキヌ。
 横島は、再びハッとしておキヌのほうを向いた。彼女は、さきほどと全く同じ笑顔を浮かべている。
 
「まあ......いいわ。
 だいだいわかったような気がするから」

 放っておいたら堂々巡りしそうだったので、美神が口を挟んだ。
 まりとかおりは、妙神山へ行かないことを納得したようだし、また、未来のことを詳しく話すつもりはないようだ。それならば、もう、この話題は終わりである。
 これ以上話を続けるのだとしたら、妙神山修業の代案なり、未来へ帰還する方法なりを検討するべきだ。
 美神が、そう考えた時。

 ピンポーン。

 来客を示す音が聞こえてきた。


___________


「......誰が来たんだ?」

 横島が立ち上がり、玄関へ行く。
 ドアを開けると......。
 しっぽを生やした少女が立っていた。

「先生、ひさしぶりでござる!
 先生とおキヌどのの御息女を見に来たでござるよ」
「......シロ!?」


___________


「あら......シロちゃん!?」

 キッチンに連れて来られたシロを見て、最初に声を上げたのはおキヌだった。

(そういえば......)

 出産後まだ病院にいた時期に、おキヌは友人たちへ報告の手紙を書いていた。シロに対しても『赤ちゃんが生まれたので、そのうち見に来てね』と連絡してあった。
 しかし、半ば挨拶として書いた文面である。まさか、シロが早速やってくるとは思っていなかったのだ。

「あっ!
 シロねえちゃんだ!」
「シロおねえさま!?」

 おキヌに続いて、まりとかおりも反応する。
 だが、シロから見れば、見知らぬ二人だ。シロの視線に気付き、美神が二人を紹介した。

「まりちゃんとかおりちゃん。
 ......横島クンとおキヌちゃんの娘よ!」
「おお!
 人間の子供が......
 こんなに早く大きくなるものだったとは!!」

 シロ、勘違い。
 ここへ来た用件が用件だっただけに、仕方がないだろう。

「違うのよ、シロちゃん。
 この二人はね......」

 苦笑しながら、おキヌが、まりとかおりについて話し始めた。
 時間移動などしたことないシロが混乱しないよう、ゆっくり噛み砕いて説明している。
 おキヌが語る横で、

「ちょうどよかったじゃない。
 妙神山へ行くんじゃなくて......
 シロに修業つけてもらいなさいよ!」

 美神が、まりとかおりに話しかけた。

「せめて......
 人並みサイズの霊波刀を出せるようにしなさい!
 それも、二人がそれぞれで出せるようにね。
 それくらいできないと妙神山最難関は無理よ!?」

 理にかなった提案だが、まりとかおりは、渋い表情をしている。

「シロねえちゃんは......。
 トレーニングと称して
 ひたすら走らせるからな」
「あっ、馬鹿!
 それを言ったら......」

 まりの失言を聞き咎めて、かおりが注意したが遅かった。
 シロにとっては、おキヌの話は難しく、右の耳から左の耳へ抜けていく始末。その分、彼女は、修業やトレーニングといった言葉に反応してしまったのだ。

「おう、サンポがしたいのでござるな?
 では、さっそく行くでござる!」
「えっ!?」
「ちょっ、待っ!?」

 左手でかおり、右手でまりの腕を引っぱり、シロが出かけていく。
 こうして、一時は六人に増えた人数も、三人に半減した。

「シロちゃん......
 私の話、わかってくれたかしら?」

 ポツリとつぶやくおキヌだったが、美神は、おキヌの言葉もピント外れだと思う。

「そんなことより......
 止めなくてよかったの?
 あんたたち今日は
 仕事帰りで疲れてるんじゃないの?」
「止める暇なんてなかったっスよ、美神さん。
 そもそも美神さんが
 『シロを師匠に』なんて言い出すから......」
「......私のせいじゃないでしょッ!?」

 余計な一言のために、美神に叩かれる横島であった。


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 上は袖を切った短めのシャツで、下は片脚しかないジーンズ。つまり、シロの服装はいつもどおりである。
 一方、まりとかおりは、依然として巫女服姿。走りにくいことこの上ない格好だったが、それでも、シロに引きずられるようにして駆けていく。
 夕方にマンションを出た三人は、真っ暗になった頃、東京から離れた高原地帯まで辿り着いていた。

「森の中なら危ないけれど......
 これだけ開けた場所なら大丈夫でござる!」
「大丈夫じゃないですわ!」
「どうやって帰るんだよ!?」

 シロは、まだまだ体力が有り余っているように見える。しかし、まりとかおりは、いくら横島の娘とはいえ、すでに肩で息をする状態だった。

「帰る......?
 何を言ってるでござるか?」

 速度は緩めたものの、まだ脚は止まっていない。
 今、三人が歩いているところは、緑の山々に挟まれた谷間であった。ただし、たいらで広い場所というわけではなく、石や岩がゴロゴロしている。
 ちょっとした名所旧跡のようで、何やら表示も出ているようだ。しかし、暗いので三人とも書かれている内容までは読んでいなかった。

「では......霊波刀の修業を始めるでござる!」
「え〜〜っ!?」
「今から......!?」

 まりとかおりの抗議も聞かずに、シロは、周囲を見渡した。

「あの岩......普通じゃないでござろう?
 あれが斬れれば......凄いでござる!!」

 大きな石に心惹かれ、そちらに向かう。
 柵で囲まれているが、シロは、気にせずに入っていった。

「『凄いでござる』って何よ!?」
「まったく......シロねえちゃんもあいかわらずだな」

 文句を言いながらも、ついていく二人。
 先に岩の前まで来たシロは、二人のほうを振り返り、霊波刀を出現させる。

「......ということで、まずは例を!」

 シロが斬りつけると、石には、一筋の大きな傷がつけられた。

「今度は御二人の番でござる!」
「はいはい、わかりました」
「それじゃ......いっちょやるか!」

 満足げにしっぽを揺らすシロに促され、まりとかおりが手を重ねた。
 二人の顔から疲れたような色が消えて、合わさった手から短い霊波刀が出てきた。 
 シロの斬り跡に重ねる向きで振り下ろそうとするが、

「......向きが違うでござる!
 ちゃんと修業の意味を考えてくだされ!」

 これを、シロが慌てて制止した。
 二人の体を引っぱり、立ち位置を移動させる。

「修業の意味!?」
「......『十文字石』のつもりかしら?」
「なんだい、そりゃあ!?」
「昔の中国のお話よ。
 ま、気にすることないわ。
 ......シロおねえさまも、
 ちゃんと理解してないみたいだし」

 コソコソと言葉を交わしながら、二人も霊波刀を振るう。

 ガツンッ!!

 シロのつけた跡にクロスして、一本の線が刻まれた。十字状の傷が出来上がったのだ。
 しかし、シロは満足していなかった。

「まだまだでござるな。
 これでは......。
 ......ん?」

 言葉の途中でシロが顔をしかめたのも無理はない。
 石が巨大な妖気を発し始めたのだ。

「なんでござるか!?」
「なんという強力な霊的プレッシャー!」
「まぶしいくらいだわ!?」

 ものの例えではなく、その岩は、本当に発光していた。
 その輝きは、グングン増していく。
 そして......。

「......あんたたちなのね!?
 私に霊力を流し込んでくれたのは!?」

 光が収まったとき、そこには、一人の少女が立っていた。
 年のころはシロと同じくらいだが、雰囲気は全く違う。
 短めの茶色いスカートをはき、白い長袖ブラウスに紺色のベストを重ねていた。
 色気とは違う魅力を醸し出す服装であったが、それは、夜の暗さのために三人には伝わっていない。三人の視線は、少女の首から上に向けられていた。
 最も特徴的なのは、美しい長髪だったからだ。黄金色に輝き、後ろ髪などツインテールどころか九つに分かれている。
 また、大きめの目をしているのに、目尻が上がっているために、キツネ目という印象も与えていた。
 その目に敵意を込めて、少女は、三人を睨む。

「おかげで復活できたけど......
 でも今のは痛かったわよーッ!」
「......おまえは!?」

 シロの感覚は、目の前の少女が人間でないことを察知していた。
 そして、まりとかおりは、少女の正体まで知っていた。

「......タマモねえちゃんじゃないか!!」
「ということは......。
 わたくしたちが斬りつけた岩って
 ......殺生石だったのですね!?」


(第五話「xxxじゃないモン!(中編)」に続く)

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第五話 xxxじゃないモン!(中編)へ進む



____
第五話 xxxじゃないモン!(中編)

「......タマモねえちゃんじゃないか!!」
「ということは......。
 わたくしたちが斬りつけた岩って
 ......殺生石だったのですね!?」

 まりとかおりの口調には、妙な馴れ馴れしさが含まれていた。また、その表情にも、昔からの友人と再会したような気安さが滲み出ている。
 タマモは、それが気にいらなかった。スーッと目を細めて――まさにキツネ目と呼ばれる目付きで――、二人に向けて言葉を投げつけた。

「やっぱり偶然じゃなかったのね。
 この石のことまで承知した上で......」
「ちょっと待つでござる!
 まりどの、かおりどのは
 この女妖怪を知ってるのでござるか!?
 拙者には何がなんだか、さっぱり......」
「......ごまかされないわよ!?」

 シロが口を挟んだが、タマモはそれをバッサリ切り捨てた。シロのことを、事情を理解した上でワザとトボケていると判断したのだ。

(きちんと人間に化けることも
 出来ないような犬娘のくせに。
 ......私を撹乱しようだなんて!)

 シロのしっぽを見て腹立ちが増す。
 だが、それは内心に留めて、

「フン......!」

 表面では、シロを小馬鹿にするような表情を作ってみせた。
 この挑発でシロが顔をしかめ、まりとかおりは、二人の間に割って入る。

「二人とも落ち着いてください!」
「シロねえちゃんも、な?
 タマモねえちゃんは......
 ただツンデレなだけだから!」

 人狼の里で暮らしていたシロにも、ずっと石だったタマモにも、『ツンデレ』という言葉は通じなかった。
 それでも、

「言葉の意味はよくわからないけど......。
 なんだか凄くバカにされた気がするわ!」

 と叫ぶタマモ。
 彼女の全身がピカッと光る。
 右手を下へ、左手を上方へと伸ばし、その指先は......。

「不思議な指の組み方でござるな?」
「テレポーテーションですわ!」
「違うだろ、かおり!
 タマモねえちゃんなんだから、
 これは......」




    第五話 xxxじゃないモン!(中編)




「はっ......!?」
「ここは!?」

 まりとかおりは、陸上競技場のトラックに立っていた。
 夜だったはずなのに、いつのまにか昼間になっている。服装も、さっきまでの巫女服ではなく、運動着に変化していた。それもどこかレトロな『運動着』であり、下半身はブルマだ。

『位置について......!!』

 マイクを通したような声が聞こえてくる。

「そ、そうだ!!
 あたしたちは......」
「走らなければなりませんわ。
 ......ここまで来たのですから!」

 二人は、トラックの外側に目を向けた。
 コースに並走する形で鉄製のレールが敷かれており、スタート位置よりも後方に人形が設置されている。それは人間よりも速いはずの人狼を模しており、胸には『シーロ君』という名札が縫い付けられていた。

「そ、そうだな。
 これに勝てば......賞金がもらえる!」
「ほら、早く!」

 かおりに急かされ、まりもスタートの構えをとる。
 すると、

『ドンッ!!』

 まるで二人を待っていたかのように、号砲が鳴った。
 まりとかおりは走り始める。
 少し遅れてスタートしたシーロ君人形。それに追い抜かれないように、二人は頑張るのだった......。


___________


「くすくすくす......!!」

 目の前で走り回る三人を見て、タマモが笑う。
 まりやかおりだけでなく、人狼のシロまで、タマモの幻術に捕われてしまったのだ。彼女たちは、今、タマモの周囲をグルグル回っている。

「私は......
 殺生石のカケラに霊力を流し込まれて
 やっと生きかえったばかり。
 玉藻前と呼ばれた前世のことは
 あんまり覚えてないし恨んでもいないけど......」

 タマモは、自分の背中に手をあてた。そこには、まだ痛みが残っている。

「石でいる間に切り裂いてしまおうなんて......酷すぎる!」

 それを誤解だと指摘してくれる者は、誰もいなかった。

「こんなやつら......
 絶対に許さない、顔も見たくない!
 走り続けてバターになっちゃえばいいんだわ」

 しかし、しばらくタマモが眺めている間に、シロの表情が変化していく。
 そして突然、シロは立ち止まった。

「はっ......!
 拙者は何を......?」

 どうやら、幻から醒めたらしい。
 術を破られた形のタマモだが、彼女に動揺はなかった。

「くすくす。
 あんた半妖のくせに
 人間と一緒になって幻覚にかかるなんて!
 ......まるっきりバカ犬ね」
「犬ではない!
 拙者は狼でござる!」

 大きく叫んだシロは、右手に霊波刀を発現させる!


___________


「はっ!
 あたしたち......何やってんだ!?」
「えっ、どういうこと?
 いただいた賞金も......消えちゃった?」

 シロから少し遅れて、まりとかおりも、幻の世界から戻ってきた。
 硫黄臭の立ちこめる岩場であり、時間は夜であり、着ているものは巫女装束だ。
 そして、現実の世界に立ち返った二人が最初に目にしたものは、

「うっ!」

 狐火に襲われるシロだった。
 辺りはすっかり暗くなっているが、彼女自身の霊波刀とタマモの狐火が光源となって、シロの姿を照らしている。直撃は避けているようだが、軽い火傷くらいは負っているだろう。

「......そういうことか」
「どういうことですの?」

 先に状況を把握したまりは、かおりに促されて説明する。

「あたしたちは、
 タマモねえちゃんの幻術にやられたんだ」
「......!」

 かおりだって、まりと同じく、もとの時代ではタマモと親しくしていたのだ。
 だから今の一言で十分だった。

(シロおねえさまが力づくで幻を打ち破って、
 タマモおねえさまと戦い始めたんだわ。
 ......さすがのタマモおねえさまも
 シロおねえさまの相手しながらでは
 幻術キープは難しい......。
 それで、わたくしたちも夢からさめたのね!?)

 と考え込むかおりの肩を、まりがポンと叩く。

「なに考えてるか知らないけど、
 そういうのは終わってからだ。
 まずはケンカの仲裁だぜ!」
「......そうね」

 シロとタマモが本気で命のやりとりをするなんて、間違っている。
 その想いと共に、まりとかおりは、ネクロマンサーの笛を取り出した。


___________


「フン......!
 あんたの腕じゃ
 いくら頑張っても私には勝てないわよ?」
「くっ......」

 シロの霊波刀が、再び空を切った。
 その顔に浮かぶ焦りの色を見て、馬鹿にしたような表情になるタマモ。
 しかし内心では、彼女はシロの力量を認めているのだった。

(こいつ......思ったよりやるじゃない!)

 変化の術すら未熟な犬妖怪かと思ったが、どうやら違うらしい。人間形態でもしっぽが見えているのは、そういう仕様なのだろう。
 霊気で作った刀はなかなかのシロモノであり、剣術もたいしたものだ。
 タマモは、無意識のうちに、前世で戦った敵と比較していたのだった。曖昧な記憶ではあるが体が何となく覚えているのは、平安時代の武士との戦いである。彼らと比べてしまうと、江戸時代の武術の流れを汲むシロの剣技は、美しいとすら感じられるのだ。

(でも......まだまだね)

 剣術大会ならば勝ち進めるかもしれないが、実戦向きではない。
 タマモは、シロのことをそう評価していた。
 剣技の流派自体もそうなのかもしれないが、なにより、シロ自身が簡単な挑発で容易にアツくなってしまう性格のようだ。

「かすりもしないのね。
 そんなんじゃ霊力の無駄遣いよ?」

 と口にも出してみたように、タマモは、シロの攻撃を全てかわしきっていたのだ。
 しかし、それも今までの話。

(......えっ!?)

 突然、ザラッとした不愉快な感覚が、彼女の体を撫でた。
 動きが一瞬遅れたタマモは、ついに、シロに斬られてしまう!


___________


「なんてことを......」

 パラパラと落ちる一寸ほどの金色の髪。
 長い後ろ髪の先っぽを斬られただけであり、幸い、実害はなかった。しかし、タマモのプライドは大きく傷ついていた。
 タマモの金髪は、ただの髪ではない。九つに分かれた長髪は、九尾の狐のシンボルでもあるのだ!

「......絶対に許さない!」

 タマモが睨みつけたのは、シロではない。まりとかおりだった。

(あんなもので
 私に干渉しようだなんて!)

 さきほどの不快感の正体は、二人の少女が奏でる笛の音。
 タマモは、既にそれを理解していた。

(なんて醜い音!)

 現代人ならば美しいと評する演奏も、タマモの耳には全く違って聞こえていた。
 平安貴族の優雅な笛の音色とは比べものにならないのだ。

(......冗談じゃないわ)

 もちろん、玉藻前として鳥羽上皇の寵愛を受けていた頃のことなど、はっきりと覚えているわけではない。
 だが、思い出せないけれど、たぶん大切な前世の記憶なのだ。
 それを汚されたような気持ちになり、ふつふつと怒りが湧いてくる。

「この私を......」

 その笛が普通の笛ではないことも、タマモは見抜いていた。
 現代では『笛』は除霊道具にされてしまったのだ。そう思ったからこそ、

「悪霊や低級妖怪と一緒にすんじゃないわよ!」

 タマモは、二人の笛吹きに狐火を投げつけた。


___________


 バチッ!

「......なかなかやるじゃない」

 タマモの口から賞讃の言葉が漏れる。

「先生とおキヌどのの御息女は......
 お二人は、拙者がまもるでござる!」

 まりとかおりの前に飛び込んだシロが、霊波刀で狐火を弾き飛ばしたのだ。
 一方、護られた当の二人は、シロの行為を見て純粋に驚いていた。

「狐火を......霊波刀で!?」
「ええーっ!
 そんな無茶苦茶な......」

 その声を耳にして、振り返らぬままシロが応じる。

「無茶じゃないでござる。
 気合いさえあれば......大丈夫!」

 シロは、師匠役のつもりで解説してみせたのだろう。
 だが、まりもかおりも、シロの言葉を素直に信じることは出来なかった。

(実際は精神論じゃなくて......)
(妖力の炎だからこそ、
 霊力の刀で対応できたのね?)

 双子のシンパシーなのか、全く同じ推測をする二人。
 そして、二人がそんな分析をしている間にも、

「それなら......これはどうかしら!?」

 口元に不敵な笑みを浮かべたタマモが、攻撃を再開させていた。


___________


「......なんと!」

 同時に九つの火球がシロたちを襲う。
 それも無機的に真っすぐ進むのではなく、生き物のように動きまわり、てんでバラバラの方角から三人の身へと向かっていた。

「しまった......!」

 その全てを叩き落とすことは出来ず、シロが叫ぶ。
 いくつかの狐火は、シロを回りこむようにして、まりとかおりを狙っていたのだ。だが、

「大丈夫!
 あたしたちだって......」
「自分の身くらい、自分でまもれます!」

 快活な言葉と共に、二人も霊波刀を用意する。
 チラッと振り返ってそれを確認し、安心するシロ。
 しかし、二人の威勢が良いのは口だけだった。

「うげっ!!」
「きゃあっ!?」

 彼女たちの霊波刀では、狐火の勢いを殺しきれない。
 吹き飛ばされて倒れた二人は、アッサリとノビてしまっていた。

「まりどの、かおりどの!」

 慌てて駆け寄ろうとしたシロに、タマモの言葉が追い打ちをかける。

「あらあら。
 よそ見してる場合じゃないわよ?」

 言葉に続いて、第二群の狐火が追撃をかけてきた。
 まりとかおりに注意を向けた分、シロの対応が遅れる。

「うわっ!?」


___________


「......まずいでござる」

 わき腹を押さえながら、シロは、そんな言葉を吐いてしまった。
 彼女は苦痛で顔を歪めており、そのせいか、視界まで少しボンヤリしている。

(これでは......お二人をまもりきれない!)

 横島とおキヌの娘である二人は、シロにとって言わば仲間のようなものだ。
 人狼は、群れの仲間を守るためならば、多少の犠牲も厭わない。必要ならば敵に対して相打ち覚悟で立ち向かうのだが、今回のケースは、それではダメだった。
 シロは、もう一度、倒れている二人にチラッと目をやる。

(ただ女妖怪をやっつけるだけでなく、
 お二人を先生のところまで
 拙者が送り届けなければ......!)

 そのためには......。

(あまりこういう戦法は
 好みじゃないでござるが......)

 ジリジリと後退しつつ、シロは、まりとかおりを抱きかかえた。

「あら、逃げるつもり?」

 敵が嘲笑の言葉をぶつけてくるが、シロは負けない。
 シロだって、横島の弟子なのだ。
 横島ならば言うであろう言葉を思い浮かべて、

「......戦略的撤退でござる!」

 シロは、戦場から離脱した。


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 傷ついた体で全力疾走し......。

「シロちゃん!?」
「おい、どうした......!?」

 なんとか、横島のマンションまで辿り着いたシロ。
 彼女を出迎え、横島家は騒然となった。
 なにしろ、もう夜も遅い時間である。高校生のまりやかおりと一緒に出ていったまま戻らず、心配していたところに帰ってきたのが、大ケガを負ったシロだったのだ。

「拙者がついていながら
 ......申し訳ないでござる。
 実は......」

 シロが、簡単に事情を説明する。
 タマモが殺生石からいきなり人間形態になったため、シロはタマモが妖狐だとは理解していない。ただ『幻術を使う美少女姿の妖怪』としか形容できなかったが、それだけで十分だった。

「それって......タマモちゃんじゃないの!?」

 ハッとしたように、おキヌが両手を口に当てる。

「そう、それでござる。
 まりどのとかおりどのも、
 そんな名前を口にしていたような......」
「知っているのか、おキヌちゃん?」
「ええ。
 タマモちゃんも......
 私たちの大切な仲間の一人です!」

 横島の問いかけに対し、おキヌは、逆行前に経験した歴史を語った。
 人間に敵愾心を抱いていたタマモが、少しずつ心を開き、そして事務所メンバーになっていく経緯である。
 詳しく述べる余裕はなかったが、それでも要点だけは伝えることが出来た。

「あの女妖怪が......拙者たちの仲間に!?」
「詳しいことは後で話してあげるから!
 シロちゃん、まず今は傷の手当てを......」
「いや、拙者は後回しでよいでござる。
 それより、お二人を先に......」

 治療を拒んだシロを、横島とおキヌが怪訝そうな顔で見つめている。
 だが、おキヌはすぐに納得の表情に変わり、小さくつぶやくのだった。

「シロちゃん......。
 最後も......また化かされてたのね」

 その言葉で視線を落としたシロは、ようやく真実に気付く。
 大切に抱きかかえてきたはずなのに、腕の中は空っぽだった。
 彼女は、まりとかおりを連れ帰ってはいなかったのだ。
 無事に逃げのびたと信じていたのは、タマモに仕掛けられた幻。実際には、まだ二人は、あの戦いの場に倒れたままだったのである......!


(第六話「xxxじゃないモン!(後編)」に続く)

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第六話 xxxじゃないモン!(後編)

 そこにタマモが封印されているとは知らず、霊波刀の修業のつもりで殺生石に斬りつけてしまったシロ・まり・かおり。
 霊力を流し込まれたおかげでタマモは復活することになったのだが、三人の斬撃を意図的な攻撃だと誤解した彼女は、幻術と狐火で三人を翻弄する。
 かろうじて横島たちのマンションまで逃げ戻ったシロだったが、まりとかおりを連れ帰ったと思ったのも、タマモによる幻だった......。

「では......
 お二人は、まだあの場に!
 くっ、痛恨......」

 悔しがるシロの肩を、横島がポンと叩く。

「大丈夫さ。
 おキヌちゃんの話だと、
 そのタマモってやつも
 本来は悪いやつじゃなさそうだし」
「そうです!
 ちゃんと話せばわかってくれるはずです。
 きっと......私が知ってる歴史どおり、
 タマモちゃん、心を開いてくれますよ!」

 と、おキヌも慰めの言葉をかけた時。
 二人の後ろから、百合子がヌッと顔を出した。

「......話は聞いたよ。
 赤ん坊二人の世話は私にまかせて、
 あんたたちは高校生二人を助けに行きな!」

 玄関での騒ぎは、奥の部屋にいた百合子の耳にも届いていたのだ。
 しかも彼女は、この一件が横島たちの手に余る場合も想定し、すでに美神のところにも電話を入れていた。
 少し前まで美神はここに来ていたし、そもそも、今日の昼間には百合子自身が美神の仕事に同行しているくらいなのだ(第二話・第三話参照)。今度はこちらを手伝ってもらおうというのが百合子の魂胆だった。

「......さすがですね、お義母さん」
「さあ行こう、おキヌちゃん!」

 百合子の判断を的確と思い、感心するおキヌ。
 そんな彼女を急かす横島を見て、

「では、拙者も......」

 と、座り込んでいたシロも腰を上げた。
 だが、その肩に百合子が手をかける。

「おっと、あんたは行っちゃダメだ。
 ......傷の治療をしないとね。
 あんたは、ここで養生してな」

 そして、横島とおキヌの方に向き直った。

「殺生石なら
 名所旧跡にもなってるから、
 このお嬢ちゃんが行かなくても
 ......場所はわかるだろ?」




    第六話 xxxじゃないモン!(後編)




「......というわけなんです」
「なるほどね。
 電話では事情がイマイチだったけど、
 これでよくわかったわ。
 ありがと、おキヌちゃん」

 ハンドルを握る美神は、前を向いたまま、助手席のおキヌに声をかけた。
 おキヌは、シロから聞いた話も絡めながら、逆行前の『本来の歴史』でのタマモのエピソードを全て語ったのだ。さすがに少ししゃべり疲れたようだった。
 おキヌと入れ替わるように、

「それより美神さん......。
 よそ見せずに、ちゃんと運転してくださいよ!?
 いつも以上のスピードで飛ばしてるんスから......」
「大丈夫よ、横島クン。
 あんた私を信用できないっていうの?」
「いや、そんなことないっス。
 ......信頼してます」

 後部座席の横島が身を乗り出して話しかけたが、すぐに体を戻した。シートに沈む込むように、深く座り直す。
 そして......。
 三人が黙り込んだことで、車内に静かな空気が流れる。
 今、美神・横島・おキヌの三人は、美神の愛車で那須高原へと向かっていた。
 東京から栃木までだから、けして短い旅路ではないのだが、事態は急を要する。そのため彼らを乗せた車は、まるで外国のアウトバーンを往くかのような勢いで、夜のハイウェイをひた走っていた。

「......そうなると、
 復活の時期が早まったわけじゃないのね。
 むしろ遅くなったくらいかしら」

 美神の小さなつぶやきが、静寂を破る。
 それは独り言だったのだろうが、

「......え?」

 彼女の言葉に、おキヌが反応した。


___________


(タマモちゃんの......復活の時期!?)

 美神の横顔を見ながら、おキヌは考え込んでしまう。
 おキヌが知る『本来の歴史』の中でも、逆行してきたことで変わってしまった『新しい歴史』の中でも、タマモは無事に蘇ることができたわけだ。しかし、後者では、たしかにタマモの登場は遅れていたのである。
 本来ならば、アシュタロスの一連の事件が終わった後、まだ一年も経たぬうちにタマモは殺生石から出て来るはずだった。もちろん、アシュタロスの事件の発生自体が早まっているので、あの事件を基準にして考えるのは適切ではないかもしれない。だがそれを考慮しても、今頃復活というのは遅過ぎる。なにしろ、もうおキヌは高校二年生に進んでいるのだ。

(これも......歴史が改変された影響......)

 では、何がこのような変化を生じさせるファクターとなったのだろうか。
 『本来の歴史』にはあって、この『新しい歴史』の中には無いもの......。
 色々考えられるが、もともとのタマモの復活時期から判断して、まずはアシュタロスの事件以降のことだけを考慮すれば良いだろう。

「もしかして......コスモ・プロセッサ?」

 頭に浮かんだ言葉を、おキヌは思わず声に出してしまっていた。


___________


「......まあ、そうなんでしょうね」

 美神が同意の言葉を口にする。
 おキヌの視線がこちらを向いていることは、ちゃんと意識していた。おキヌが考えていた内容も何となくわかっている。

(復活時期のズレについて......
 本来ならば何がキッカケだったのか、
 それを考えていたんでしょう?)

 コスモ・プロセッサ。
 それは、天地創造すら可能な恐るべき悪魔の装置。
 世界全体の改変を狙って、アシュタロスが用意していたものだ。
 『本来の歴史』では、美神は魂を奪われてしまうし、その中のエネルギー結晶でコスモ・プロセッサも稼働し始めるはずだった。ほんの試運転だったが、それでも、死んだはずの多くの魔族が再生して世界全体を混乱の渦に陥れたのだ。
 しかし、おキヌの逆行により歴史自体が大きく変わる。その結果、美神たちは、コスモ・プロセッサの御披露目以前にアシュタロスを倒していた。
 だから、美神は、コスモ・プロセッサの現物を見てはいない。ただ、おキヌから聞かされた知識があるだけだった。
 そのおキヌが、今、

「あれで......世界中に
 魔力が満ちたのでしょうか?」

 とつぶやいている。
 実物を知っている分、おキヌの方がコスモ・プロセッサに関しては詳しいはずだ。だが、それでも美神は首を傾げた。

「うーん......。
 それは......少し
 違うんじゃないかしら?」
「......えっ?」
「コスモ・プロセッサっていうのは
 そういうもんじゃないと思うから......」

 おキヌが言うように『世界中に魔力が満ちる』ということも、そうした意図でコスモ・プロセッサを使用した場合には起こり得るかもしれない。
 元始風水盤のように、この人間界そのものを魔界のような環境にするのは、コスモ・プロセッサならば容易であろう。
 だが、おキヌがかつて語った内容から判断すると、アシュタロスの試みは若干異なっているようだった。メドーサとは違い、アシュタロスクラスになれば、邪悪なエネルギーの多少など問題にはならない。深い意味はなく単なる戯れで、彼は滅亡した魔族を蘇らせたのだ。
 美神は、そう理解していた。

「『魔力が満ちた』どころじゃなくて
 ......きっと、魔物そのものよ」
「......どういう意味です?」
「本当に『世界中』に......
 つまり都市部だけじゃなくて
 地方でも魔族が復活してたんじゃない?」

 コスモ・プロセッサ破壊と同時に再生魔族も消滅している。だから認知されなかっただけで、実は確認された以上の数の魔族が発生していたのではないか。
 そして那須高原に出現した妖怪が、何らかのアクシデントで、殺生石に霊力を注ぎ込んでしまったのではないだろうか。
 そんな解釈を、美神は述べてみせた。
 もっとも、美神自身が経験した歴史では全く起こっていない現象なだけに、色々考えてみても現実感はない。机上の空論に過ぎないのだが、それなりの説得力はあったらしい。

「それじゃ......もしも未来から
 まりちゃんとかおりちゃんが来なかった場合、
 タマモちゃんは、石から
 出て来れなかったんでしょうか......?」

 美神の説明を受け入れたおキヌ。その口調には、心配の響きが如実に表れていた。
 仮定に仮定を重ねた話ではあるが、タマモが復活できないケースを想定してしまったのだ。

(おキヌちゃん、今頃わかったのかしら?
 自分がしでかしたことの重大さを......)

 おキヌの方を向かずとも、その声色を聞けば、どんな表情をしているかは簡単に想像できる。彼女は青ざめているのだろう。
 内心で苦笑する美神は、おキヌが遡ってきてからの経緯を思い出していた......。


___________


 逆行したおキヌの行動は、世界全体にも少なからぬ影響を与えている。そしてもちろん、おキヌを取り巻くプライベートな人間関係にも、色々な変化を生じさせていた。
 中でも一番大きなものが、おキヌと横島の結婚であった。本来ならば横島は将来美神と結ばれるはずだったのに、おキヌが妊娠したことで、時期も相手も変わってしまったのだ。
 
「それって......
 おたく、寝取られたワケ?」

 事情を知ったエミなどは、そう言って美神をからかったものだ。しかし、美神自身は、そうは感じていなかった。

(おキヌちゃんは
 そんな女のコじゃないわ......)

 おキヌと付き合い出した横島がかえって悶々としていたのは、美神もよく知っている。
 色々と溜まってしまったらしく、当時の横島は、セクハラがいっそう激しくなっていた。ロクに恋愛経験などない美神が、おキヌに対して『それなりに、うまくガス抜きしてあげなさいね』とアドバイスしてしまう程だった(『まりちゃんとかおりちゃん』第三話参照)。
 つまり、おキヌは、簡単に体を許すような女ではなかったのだ。

(関係を持ってしまったのも......
 やむにやまれぬ事情があったんでしょうね)

 美神は、そう考えていた。
 それに、おキヌの知る未来など、美神にとっては夢か幻のようなものだ。現実の彼女は、まだ横島を恋愛のパートナーとしては意識していなかったから、その意味でも『寝取られた』という感覚はないのであった。

(前世は前世。
 でも......私は、私!)

 南極でアシュタロスと対面し、美神は、そこで前世の記憶を思い出している。メフィストの恋物語も、まるで美神自身が経験した出来事であるかのように鮮明だった。
 だが、南極へ行く前に美智恵と会談した際に、意識の奥底に潜んでいたメフィストの残思――千年の想い――は、すでの吹っ切られていたのだ(『まりちゃんとかおりちゃん』エピローグ参照)。
 だから、前世の記憶が意識の表層に上がってきても、それに美神が左右されることはなかったのである......。


___________


(横島クンは......
 あくまでも仕事の上でのパートナー。
 それ以上でもそれ以下でもないわ)

 短い回想から現実に立ち返り、美神は、バックミラーに目をやった。
 その隅に、後部座席の横島が映っている。なにか考え込んでいるのだろうか、彼は、目を閉じたまま腕組みしていた。

(横島クンとおキヌちゃんの幸せ......。
 祝福こそすれ、嫉妬するいわれなんてないわ)

 そうまとめた美神の耳に、おキヌの言葉が入ってくる。

「......美神さんは、どう思います?」


___________


 コスモ・プロセッサの稼働を阻止したことで、殺生石に霊力を注ぎ込む魔物が発生しなくなったのかもしれない。だから、まりとかおりが来なかったら、タマモは復活できなかったのかもしれない。
 そんな可能性を考えると、おキヌは恐ろしくなった。
 口にも出してみたが、美神の反応はない。

(やっぱり......私は
 とんでもないことしちゃったのかしら)
 
 おキヌの逆行のせいで、変わってしまった世界。
 それでも、この世界はこの世界で、皆、幸せになって欲しい。
 少なくともおキヌはそう願っていたし、最近、彼女の願いに反するような出来事は起こっていなかった。
 だが、おキヌの知らないうちに、大切な仲間の存在を脅かす方向に事態が進んでいたのであれば......。

(歴史を変えてしまうって
 ......本当に怖いことなんだ。
 だから、あの二人も......)

 今、おキヌは、未来からきた二人――まりとかおり――の言動を思い出していた。
 彼女たちは、未来情報を口にする際、どこまで話していいか、常に慎重に考慮しているようだった。歴史改変の重大さを十分理解していたからだろう。
 では、自分はどうだったのか?
 その意味を、きちんと知っていたのだろうか?
 わかったつもりになっていただけではないだろうか?
 そんな疑問が、おキヌの頭に次々と浮かんでくる。その間、おキヌの視線の先にいる美神は、正面を向いて黙ったままだった。
 沈黙に耐えかね、おキヌは、もう一度口を開く。

「......美神さんは、どう思います?」


___________


「......え?
 ああ、ごめんごめん。
 ちょっと考え事してたから。
 ......でも、ちゃんと聞いてたわよ」

 おキヌの再度の問いかけを答の催促だと判断して、美神は、軽く微笑んでみせた。
 そして、おキヌの質問に対する意見を述べる。

「おキヌちゃん、心配しすぎよ。
 たぶん二人が来なくても......
 そのタマモって妖狐、
 ちゃんと復活したんじゃないかしら?
 だって......」

 まりとかおりは、タマモとは面識があったらしい。
 伝聞の伝聞になるが、シロとおキヌを通して、美神もそれを聞いていた。
 つまり、タマモの復活は確定していたのである。

「あっ......。
 言われてみれば、そうですね」
「......でしょう?
 妖怪や魔物なんて、いくらでもいるんだから
 殺生石に霊力を流し込む候補には困らないわ。
 ......それにタマモが
 伝説の九尾の狐だというなら、
 よそから霊力をもらうんじゃなくて、
 石のままでも、そこらへんの妖気を
 自分で集められるのかも」

 と口にする美神だが、本気でそう信じているわけではなかった。
 実は美神は、まりとかおりの時間移動を、単なるアクシデントではなく『歴史の必然』だと思い始めていたのだ。

(変わってしまった歴史を
 元とよく似た流れに戻すために、
 そのために送り込まれたのかもしれない......)

 時間移動能力を持っていた美神なだけに、歴史が持つ復元力のことは、以前から少し理解していた。それに加えて、アシュタロスの一件に関係して、おキヌから『宇宙意志』という概念も聞いている。
 だから美神は、まりとかおりの来訪にも役割が――本人達も知らぬ役割が――課せられていると考えてしまうのだ。
 そもそも、時間移動が『歴史の必然』となるケースは、美神自身も経験している。平安時代への時間移動こそ、現代や中世での事件の原因になっていたのだから。
 苦い思い出を振り払うかのように、美神は、心の中で首を振る。

(でも......
 これは全て、単なる想像だわ)

 だから口には出さず、おキヌに対しては、当たり障りないことを言ってみせたのだ。
 その効果があって、おキヌは少し気がラクになったようだ。彼女はハーッと息をついている。
 同時に車内の空気が変わったことも、美神は感じていた。
 そして。
 
「ズズズ......」

 背後からは、イビキの音が聞こえてくる。
 熟考しているように見えた横島は、実は、熟睡していたのだ。

「横島クンったら、
 こんなときに......」
「私たちの会話って......
 眠くなるほど退屈だったんでしょうか」

 美神とおキヌの顔には、同じ微笑みが同じタイミングで浮かんでいた。


___________


「くすくすくす......。
 あの犬っころ、
 今頃ようやく気づいて
 こっちへ向かってるところかしら?」

 タマモが一人で笑っている。
 蘇った直後は、彼女は不機嫌だった。おかしな形で、長い眠りから目覚めさせられたからだろう。だが、ひと暴れしたせいか、少しは気分も良くなったようだ。
 騙されたと悟ったシロが戻ってくると想定し、また相手をしてやるつもりで、わざわざ待っているくらいである。これも、気持ちに余裕が出てきた証かもしれない。
 ただし、今タマモがいるのは、殺生石のあった岩場ではない。さすがに硫黄臭い中で待つ気にはなれず、彼女は、近くの森に場所を移動していた。

「......さてと」

 シロが来るまで、もうしばらく時間がかかるだろう。
 そう思ったタマモは、目の前の二人に視線を向けた。
 いまだ意識を失ったままの少女たち。まりとかおりである。
 あのまま放置するのではなく、タマモは、二人を連れてきていた。彼女はこの時代に蘇ったばかりであり、それに、前世の記憶も曖昧。だから、色々と学ぶ必要があると考えていたのだ。
 そして、この二人は貴重な情報源になりそうだと思っていた。
 二人の発言には妙な馴れ馴れしさがあり、それを最初は不愉快に感じてしまったタマモである。だが冷静に考え直してみると、それは、二人がタマモをよく知っているという意味だと気付いたのだった。

「でも、とりあえずは......」

 二人はまだ意識を取り戻していない。無理に起こして問いただすほど、タマモは慌てていなかった。
 さらに、タマモ自身、さきほどの戦闘や幻術で少し疲れている。なにしろ、復活したばかりなのだから。

「ちょっと一休みね」

 自分に言い聞かせながら座り込み、大木に寄りかかったタマモ。
 まぶたを閉じた彼女が眠ってしまうまで、たいして時間はかからなかった。


___________


 パチッ。

 真っ暗な森の中で、タマモが目を開ける。

(この気配は......!?)

 熟睡してしまったが、ちゃんと防衛本能が働いたらしい。彼女の眠りを妨げたのは、何者かが接近してくるという感覚だった。

(あの犬っころではないわね。
 でも......鋭い!)

 数は三つ。
 しかも、高い霊力を感じる。
 かつてのタマモの時代とは違うとはいえ、それでも、これが人間の平均的なレベルとは思えなかった。

(狙いは......やっぱり私?)

 せっかく蘇ったタマモである。
 どんな陰陽師が来ようと、むざむざ退治されるつもりなど毛頭なかった。

(それなら......)

 彼女は音もなく立ち上がり、迎え撃つ準備を始めた。


___________


「......こっちです!」

 霊体検知器――見鬼くん――を手にしたおキヌを先頭にして、三人は静かに進んでいく。
 今、彼らは、夜の森へと入るところだった。
 見鬼くんの反応では、タマモはこの森の中に潜んでいるらしい。殺生石の近くにいると思っていただけに、おキヌにとっては少し意外である。だが、美神や横島は平然としていた。

「ここから先は
 完全に視界ゼロだから
 ......いいわね?」

 美神の確認に、おキヌが頷く。
 美神は色々なケースを想定していたらしく、横島が担ぐリュックの中には様々な道具が詰め込まれていた。
 その中には暗視ゴーグルもあったが、それは、既に三人の手元に配られている。おキヌが知る『本来の歴史』において、植物園でのパピリオの騒動の際にも使われたものだった。
 あの事件のことをフッと思い出しながら、おキヌは、ゴーグルを顔にセットし直す。そして、再び歩き始めようとした時。

「......みんな!
 来てくれたのね!?」

 と言いながら、長い髪の小女が、ボウッと姿を現した。


___________


 夜ともなれば、木々の緑も、もはや黒色のようなもの。その中から出てくれば、突然出現したように見えても不思議ではない。
 それでも、

(......かおりちゃん!?)

 彼女の姿に違和感を覚えるおキヌ。
 外見は確かに娘のかおりであり、服装も家を出たときと同じ巫女装束なのだが、どこか雰囲気が違う。
 それに......。

(まりちゃんは......どこ?)

 その疑問を声に出しそうになったが、背後から伸びた手が、おキヌの口をふさいだ。
 手の主は横島であり、振り返ったおキヌに向けて、小さくウインクしている。
 一方、横島とおキヌがそんな無言のやりとりをしている間に、美神がリーダー然として、スッと前に出ていた。

「あら、まりちゃん。
 一人で逃げて来れたのね!
 ......かおりちゃんも無事かしら?」

 目の前の少女に『まり』と呼びかけ、『かおり』の心配をする美神。
 その言葉が耳に入り、おキヌは混乱する。だが、当の少女は普通に対応していた。

「ええ、なんとか......。
 でも、ごめんなさい。
 かおりちゃんのことはわかりません。
 自分のことだけで精一杯で......」
「いいわ。
 それじゃ、かおりちゃんは
 私たちが助け出すから!」
「お願いします。
 私は......もう動けないので
 ここで待ってます......」

 と言いながら一歩横に移動し、彼女は、道を譲る。

「ええ、まかせてちょうだい」

 快活に答えつつ、彼女の横を通り過ぎる美神だったが......。

「あんた馬鹿ね。
 化けるなら化けるで、
 ちゃんと相手の名前くらい
 覚えておきなさいよ!?」

 滑るように動いた美神は、いつのまにか、少女の背後に回っていた。
 しかも、細い紐状の武器を少女の首に巻き付けている。

「!!」
「あきらめなさい!
 初歩的なミスをしたあげく、
 こんなとこで死にたいの!?
 金毛白面九尾の名に傷がつくわよ、
 ......みっともない!!」

 美神の降伏勧告を受け入れ、観念した『少女』が変化を解く。
 違和感があったのも無理はない。『かおり』の姿で出てきたのは、タマモだったのだ。

「ほら......な?
 こういうときは
 美神さんにまかせておけばいいのさ」

 おキヌの耳元で横島がささやいた。美神が騙されたフリをして逆に利用することを、横島は察していたのだろう。この辺りの息は、さすがにピッタリあっているのだ。
 だが、今のおキヌには、二人の阿吽の呼吸について想いを巡らす余裕はなかった。いや、横島の言葉すら、彼女の意識には届いていなかったかもしれない。

(この言葉は......!)

 美神の発言が一つのイメージを思い出させており、おキヌは、それで頭がいっぱいになっていたのである。
 場所も時間帯も違うし、化けている対象――あのときは西条だった――も違う。それでも、逆行前の『歴史』の中で見たのと同じ光景だった。

(あのときは、タマモちゃんに本気で
 とどめをさす気なんてなかったはず。
 だって美神さんはタマモちゃんを
 『敵』だなんて思ってなかったから......。
 でも......今は!?)

 美神とタマモの関わりも変わってしまったのだ。
 おキヌの知る『歴史』を美神に語って聞かせたとはいえ、実際に二人が対面するのは、これが初めてなのだ。

(......美神さん!!)

 美神がその手を緩めるのか、あるいは逆に力を加えるのか。
 おキヌには判断できなかった。
 だから、おキヌは絶叫する。

「ダメーッ!!」


___________


 おキヌの叫び声に驚き、その場の面々が、一瞬、動きを止めた。
 その間に、おキヌはネクロマンサーの笛を取り出す。

(タマモちゃんは悪霊じゃないけど、
 でもガルーダのヒヨコだって
 これで操れたんだから......!)

 自分の『想い』を増幅して伝える上で、きっと役に立つはずだ。
 そう信じて、おキヌは、笛に口をつけた。

 ピュリリリリッ......。


___________


(私としたことが......)

 首に巻き付いた糸は、鋼か何かで出来ているようだ。
 振りほどくことも断ち切ることも難しいし、むしろ後ろの女が力を込めれば、こちらの首の方が危ない。

(こんな......人間なんかに!)

 窮地に立たされたタマモは、デフォルトの金髪少女姿に戻った。その直後、笛の音が聞こえてくる。

(何よ、またなのッ!?)

 さきほど二人の少女が吹いていたのと同じ笛だ。
 純粋に音色を楽しむためのものではなく、これも除霊の道具。
 だが、聞いていて腹も立たないのは、初めてではなく二度目だから、少し慣れたということだろうか?
 あるいは、同じ音のようで、何か違うのだろうか?

(こいつ......)

 タマモは、演奏者を睨みつける。
 あの二人の少女と同じくらいの年齢であり、着ているものまでそっくりだ。彼女は、タマモの刺すような視線にも負けずに、一心不乱に笛を吹いていた。
 そして......。

(......えっ!?)

 タマモの脳裏に、何かのビジョンが浮かんでくる。
 それは、笛の音にのせられて、タマモの意識へとダイレクトに届けられたものだった......。


___________


 おキヌは、タマモとの様々な出来事を回想しながら、それを伝えたいという気持ちで笛を吹く。

(全部......大切な思い出!)

 手負いのまま、結界に追い込まれたタマモ。
 退治したことにして、横島のアパートへ連れて行かれたタマモ。
 きつねうどんのあぶらあげで、妖力を回復したタマモ。
 おキヌのヒーリングを受けて、ようやく名乗ってくれたタマモ。
 だけど幻術でイタズラをして、去ってしまったタマモ。
 しばらくして、タダ食い事件で再び出会ったタマモ。
 事務所に居候することになり、さっそく妖カミソリ事件で役立ってくれたタマモ。
 唐巣神父の教会で美神の両親のなれそめを聞いた時には、おキヌたちと一緒に居眠りしてしまったタマモ。
 クーラーが壊れた事務所では、人間と同じように暑さでへばっていたタマモ。
 体内時計が機能せずに毛更りが遅れて、そのまま熱中症で苦しんだタマモ。
 それを知らずに苦労して薬を手に入れてきたシロに、彼女なりの言動で感謝の意を示したタマモ。
 運転の仕方など知らないのにトラックで織姫を追いかけ、道路に牛乳の川を描いたタマモ。
 臨海学校の概念を最後まで勘違いしたまま、シロと共に妖怪や幽霊の大群と戦ったタマモ。
 遊園地でシロと別れて行動した際に、すっかり『普通の女の子』のように楽しんだらしいタマモ。
 そして、それを知った事務所メンバーから、『普通の女の子』としてからかわれるタマモ......。


___________


(フン、生意気な小娘ね。
 この私に......幻術勝負を挑もうってわけ!?)

 笛が届けたおキヌの記憶。
 それをタマモは、幻だと思ってしまった。
 だが、その考えは、すぐに否定される。

(いいえ、幻なんかじゃないです。 
 私にそんな能力はありませんから。
 これは、すべて本当のこと......。
 ......大切な思い出です!)

 笛の音を介して、おキヌが訴えかけてきたのだ。
 そこには、必死さと共に、優しく微笑みかけるような気持ちも込められていた。
 それでも、タマモは反論してしまう。

(なに言ってんの?
 妖怪と仲良く生活するなんて......
 そんな人間いるわけないでしょ!?)
(時代は変わったんです!
 私も......
 タマモちゃんほど昔じゃないけど、
 でも昔の生まれだから断言できます。
 今の世の中でも、まだ差別や偏見は消えてません。
 だけど......昔よりは、ずいぶん減ったんです!
 今の世の中なら......私たちと一緒なら、
 タマモちゃんも普通に、
 迫害されることなく
 仲間として生きていけるんです......!!)
(......嘘ッ!?)
(嘘じゃありません。
 嘘は......嘘は伝わりませんから!)

 おキヌの口調には、確かに真実の響きが含まれていた。
 しかしタマモは、『情』ではなく『理』によって、おキヌに反論する。
 おキヌによって見せられたシーンは、あきらかに前世のものではなかった。それにタマモは蘇ったばかりなのだから、現世でもないはずだ。
 これが幻でないというなら、いったい、なんだというのだ!?

(前世でも現世でもないですし、
 ......もちろん未来でもありません)

 イメージの中のおキヌが、ゆっくりと首を振る。

(これは......
 私が変えてしまった、もう一つの歴史。
 その中での......タマモちゃんの姿です)
(もう一つの歴史......?)

 心の中で聞き返してしまうタマモ。
 彼女は、おキヌの溜め息を耳にしたような気がした。
 そして、

(......聞いてください)

 おキヌが、長いストーリーを語り始める......。


___________


 今度の物語には、タマモは登場しなかった。
 それは、時空を超えた恋物語。
 三百年の歳月を幽霊とした過ごした少女が、ついに人間として蘇り、さらに時間を遡った後で、幽霊時代の末期に知り合った少年と結ばれるというストーリー。

(......すごいわね)

 伝説の妖狐として名を馳せたタマモだが、彼女でも驚いてしまうほど途方もない人生談だった。

(あなたの恋愛成就のとばっちりで
 歴史が思いっきり変わってしまったわけね?)
(えへへ......)

 おキヌが苦笑している。
 気恥ずかしそうではあったが、どこか幸せそうでもあった。
 
(......しょうがないわね)

 つられて、タマモも笑顔になる。
 おキヌの物語には、当然、おキヌの横島への想いもシッカリ含まれていた。
 だから、タマモは考えてしまう。
 女が男を想う気持ち。それは、平安時代でもたくさん見てきたはずなのだ。
 タマモ自身が前世で当時の偉い人と親密だったことも、朧げではあるが知識として覚えていた。それは権力者に庇護されていただけ――そして権力者はタマモの特異な能力を利用しようとしていただけ――だったのだろうか?
 あるいは......人間の男女が交わす類の愛情が、二人の間に流れていたのだろうか?

(わからない。
 わからないけど......)

 人間を恨んだり疎んじたりする気持ちは、いつのまにか、ゼロになっていた。


___________


 タマモとおキヌの心のやりとりは、あくまでも、ネクロマンサーの笛を通してのものである。
 時間にすればわずかであり、また、端から見ていたら何が何だか理解できないはずだった。
 それでも美神は、タマモの心境の変化を察したらしい。タマモの首に巻いていた鋼線を外し、タマモを自由にしてやる。
 これに対して、

「......フン!」

 礼を言うこともせず、表面上はツンとした態度を崩さないタマモ。
 彼女はピョンと跳び上がり、そのまま、夜の空へと消えていった。


___________


「どうもありがとうございました」

 建物の入り口で、まりとかおりが美神に頭を下げる。
 一行は、美神の車に乗って、横島のマンションまで戻って来ていた。なお、後部座席に三人が座る形になったが、外車なので、それほど窮屈ではなかった。
 もはや人々も寝静まった深夜であるが、真夜中に殺生石近辺でホテルを探すよりも、高速をとばして帰宅してしまう方を選んだのである。

「......もういいから。
 子供は早く寝なさい」
「はーい」

 美神に子供扱いされても文句を言わず、まりとかおりは、一足早くマンションへと入っていった。

「俺たちも......あんまり
 年は変わらないんスけど?」
「なに言ってんの。
 横島クンは、あの二人の親でしょ?
 あんたは後始末を手伝いなさい!」

 今回は、いつもは使わないような除霊道具までリュックに入れている。その後片付けのために、美神は横島を事務所まで連行するつもりらしい。
 
「それじゃ......私も手伝います!」
「悪いわね、おキヌちゃん」

 そして、再び車に乗り込もうとしたところで、

「あら、これは......?」

 美神が、それを発見した。
 マンションビル入り口に置かれた一つの包み。
 自動扉の外側にあるので、誰か外部の者が持参してきたのだろう。
 大きな葉っぱに包まれた雑草の束であり、上に、一枚のメモがのっていた。『せんじてのめ。やけどにきくぞ』と書かれている。

「タマモちゃんだわ......!」

 文面こそ少し違うが、おキヌは、それに見覚えがあった。『本来の歴史』では、風邪をひいた横島とおキヌのために、タマモが差し入れてくれたのだ。
 今回は、狐火でやられた三人を気遣ったのだろう。

「でも......
 どうやって、ここへ?」

 アパートまでタマモを連れて来た『歴史』とは異なり、横島たちの住処などタマモは知らないはずだった。
 おキヌのつぶやきを耳にして、横島と美神がそれぞれの意見を述べる。

「それは......つっこんでは
 いけないところなんじゃ!?」
「そんなわけないでしょ。
 シロの匂いを辿って来たのよ、きっと」

 だが、おキヌは二人の言葉を聞いていなかった。
 彼女は、夜空を見上げている。

(タマモちゃん......また会えるよね?)

 今宵の月は、ちょうど真ん丸だ。
 満月をバックに、タマモの後ろ姿が浮かぶ......。
 そんな幻想的な光景が見えるように感じてしまう、おキヌであった。


(第七話「長いかもしれないお別れ(前編)」に続く)

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____
第七話 長いかもしれないお別れ(前編)

「おせわになったでござる」

 頭を下げるシロ。
 彼女の前には、横島・おキヌ・高校生のまりとかおり・百合子・美神がズラリと並んでいた。
 赤ん坊のまりとかおりも、それぞれ、横島とおキヌの腕に抱かれて眠っている。

「村に戻ってしばらく養生したら......
 あの狐妖怪を探す旅に出るでござるよ!」

 そう言い残して、シロは、改札の中へと消えていった。
 ここは東京駅。
 一同は、今、人狼の里に戻るシロを見送りに来ていたのだった。
 シロの姿が完全に見えなくなったところで、

「それじゃ......帰りましょうか」

 美神の言葉に頷き、彼らは、きびすを返す。
 そして駅の建物から完全に出たところで、まりが振り返り、ふとつぶやいた。

「......この時代だと、
 まだ赤レンガ駅舎が
 クッキリ見えるんだよなあ。
 ヤボなシートも被ってなくて......」
「もう、まりったら!
 そうやって不用意に未来の情報を......」
「いーじゃねーか、これくらい。
 別にあたしたちが何を言ったって
 東京駅改修工事に影響は出ないだろ?」
「ええっ!?
 この独特の......風情のある駅舎が、
 現代風の駅ビルになってしまうんか!?」

 まりの言葉に、横島が反応する。
 そんな若い父親の姿を見て、まりとかおりが、二人揃って手を振って否定した。

「安心していいですわ、おとうさま!
 赤レンガ建築は、赤レンガのままですから」
「改修工事って言っても、
 新しくするんじゃなくて、むしろ
 オリジナルの形に戻すことが目的なんだよ」
「今のこの姿って、建てられた当時とくらべると
 空襲のせいで少し小さくなってるんですって。
 ......それを復原するのが目的らしいですわ。
 私たちの時代では、ちょうど工事中で......」

 いつのまにか、かおりも、まりと一緒になって未来の話をしてしまっている。
 こうして三人が会話している横では、おキヌが、美神に話しかけていた。

「美神さん、
 ちょっと気になってたんですけど......」
「なーに、おキヌちゃん?」
「前にシロちゃんが来た時って、
 東京駅じゃなくて......
 上野駅まで迎えに行きましたよね?
 ......シロちゃん、東京駅発の電車で
 ちゃんと里へ帰れるんでしょうか?」
「......あ」




    第七話 長いかもしれないお別れ(前編)




「......きっとシロなら
 間違って別のところに着いても、
 そこから歩いて里へ戻れるわよ」
「それじゃ......電車に
 乗る意味ないじゃないですか」

 美神の発言に対して苦笑するおキヌ。
 それから彼女は、横島やまりと話をしていたかおりに、声をかけた。

「ねえ、かおりちゃん。
 未来の情報をもらさないことに
 ずいぶん気をつかってるみたいだけど......」
「あら......!」

 口に手をあてて、かおりは、クスリと笑う。

「おかあさまがそんなこと言うだなんて......。
 なんだか不思議な感じですわ。
 だって、歴史改変の怖さを
 わたくしに語ってくださったのは、
 他ならぬ......おかあさまなのですから!」

 まりもかおりも、逆行者であるおキヌが歴史を変えてしまったが故に産まれてきた。もちろん、望まれて産まれたきた子供たちであり、愛情の賜物・幸せの象徴である。
 だが、まりやかおりから見た『母親おキヌ』は、幸せ一色の存在ではなかった。時おり、憂いを帯びた表情を見せていたのだ。それが気になって、幼い頃、かおりは無邪気に尋ねてしまったことがある。

   「おかあさまは......幸せじゃないの?」
   「ふふふ......。
    もちろん幸せよ。
    でもね......私は......
    色々なことが『なかったこと』に
    なってしまう悲しみも知っているから」
   「......?
    おかあさまのおはなし、
    難しくて、よくわかんなーい」

 言葉の意味は理解できなかった。だが、母親の笑顔が心底からのものではなく、無理に微笑んでいるにすぎないということは、子供心にも分かってしまった。

「......だから
 今のおかあさまを見てると、
 わたくし、嬉しいですわ。
 だって、とっても幸せそうですから!」

 と、説明するかおり。
 これも未来情報の漏洩だと気付かずに、つい語ってしまう彼女であった。


___________


「......そんなに心配しなくても
 大丈夫なんじゃないかしら?」

 ここで美神が、おキヌとかおりの会話に参加してきた。
 まりと横島は、まだ東京駅談義を続けており、百合子はどちらの会話にも参加せずに、皆の様子を眺めている。ただし、その視線は主に美神に向けられているようだった。
 そんな感じを受けながらも、美神は、言葉を続ける。

「あんたたちが何を言おうと、
 確定しちゃった歴史は......
 簡単には変わらないもんなのよ」

 かつて時間移動を何度も行った先輩として......だけでなく。
 時間移動の影響について神族から直接聞かされた人間として。
 美神は語るのだった。

「小竜姫さまが言ってたんだけど......」

   『時間移動はもともと
    そんな大した力ではないんです。
    過去も未来も変えられることしか
    変えられない......。
    時間の復元力は
    人や神の力よりずっと強いのですよ』
   「死んだ横島クンを
    生きかえらせたこともあるけど......?」
   『それは多分そのままでも
    蘇生可能だったんでしょう』

「......その時は色々あったから
 それ以上の議論はしなかったけどね。
 でも後になって考えてみると......」

 横島の生死に関わった、中世での短い時間跳躍。あれも『時間移動』と表現してしまったが、厳密に言えば、他の『時間移動』とは少し違う現象だった。美神が移動した先に、その時空の美神はいなかったのだから、むしろ『時間逆行』と呼ぶべき現象だったのである。
 その違いに着目すれば、『時間移動』と『時間逆行』とでは歴史を変える力が異なるという考えも成り立つのだ。

「......もちろん、これは
 あくまでも仮説なんだけどね」

 そう締めくくってから、美神は、あらためてかおりに質問する。

「実際のところ、今まで......
 あんたたちが知ってる未来から
 明らかに変化したこと、何かあった?」
「そう言われてみると......」

 かおりは、自分たちの到着以来の出来事を回想してみた。
 まずは、横島とおキヌの除霊仕事についていった結果である。どうやら小説のモデルになってしまったようだが、それこそ、彼女の知る『聖美女神宮寺シリーズ』だった(第三話参照)。
 そして、タマモの復活。これに関しても、『変化した』とは言いきれなかった。かおりが物心ついた頃には、シロもタマモも身近な存在であり、どういう経緯で仲間になったのか知らないからである。
 だから、この後シロがタマモを見つけて、二人の間に何とか友情が育まれ、二人が美神の事務所の屋根裏部屋で暮らすようになれば......。それで、かおりが知る『未来』と同じになるのであった。

「......特に何もなさそうですわ」
「......ね?」

 納得顔で肯定する少女に対して、美神は、小さくウインクしてみせるのだった。


___________


 しかし美神の仮説は、時間移動してきた二人を安心させるものであっても、時間逆行者であるおキヌの不安を取り除くものではない。
 時間逆行が歴史に与える影響が大きいのであれば、おキヌは、より慎重に行動しなければならないからだ。

(......悩んでいるようだね)

 百合子は、おキヌの様子を見て、そう感じた。

(未来から二人が来たことが、
 いいキッカケになったのかもしれないね。
 ......まあ、なにはともあれ、これからだよ!)

 と思いながら、おキヌのもとに歩み寄って、その肩をポンと叩く。

「若いうちは、色々と考え込むのもいいもんさ。
 特に、おキヌちゃんは......
 ここまでマリッジブルーすらなく、
 天然ボケならぬ幸せボケで
 ずーっときてたからね」
「お義母さん......」
「ある程度まとまったら、私に話してごらん。
 いくらでも相談にのるから......さ」
「......はい!」

 おキヌの表情が少し明るくなったのを確認してから、百合子は、美神の方に向き直った。そして真面目な表情で、話を切り出す。

「ところで、美神さん。
 ちょっとお願いしたいことが
 あるんですけど......」


___________


「二人を......うちで預かる?」

 驚いて聞き返してしまう美神。
 百合子の『お願い』というのは、高校生のまりとかおりを美神の事務所で居候させて欲しいという頼みだった。

「待てよ、母さんっ!
 何勝手なことを......」

 話を聞きつけて、横島も、こちらの会話に加わってきた。彼としても、百合子の提案は寝耳に水だったのだ。

「だって仕方ないだろ?
 一泊や二泊なら構わないが、
 長期滞在させとく余裕はないんだから」

 百合子が、横島に説明している。
 簡単には未来に戻ることも出来ないようだし、それならば、二人にはきちんとした住居が必要だ。いつまでも2DKのマンションに同居というわけにもいかない。
 しかし、二人の素性は、なるべく秘密にしておいたほうがいいだろう。そして事情を知る関係者の中で、部屋に余裕があるのは美神の事務所......ということだ。

(スペースの問題だけじゃないわね......)

 美神は、百合子と横島が話し合うのを横目に見ながら、色々と考えていた。
 おそらく百合子は、横島のスケベさも考慮に入れているのではなかろうか。
 『娘』とはいえ高校生なのだ。間違いが起こらないとも限らない。しかし『娘』である以上、もしも間違いが起こったら、それこそ大問題になってしまう。
 それに、そもそも横島が二人をハッキリ『娘』と意識できているかどうか、それも分からない。なにしろ、この時代の『まりとかおり』は、二人とは別に存在しているのだ。今現在、横島とおキヌが抱いている赤ん坊こそ、横島にとっての『娘』なのである。では、高校生のまりとかおりは、いったい、どういう扱いになるのだろうか。

(そして、たぶん。
 それだけじゃなくて......)

 美神は、まりとかおりに視線を向けた。
 長期滞在を想定している以上、どこか適当な高校に通わせることになりそうだ。それでも、かつておキヌが美神の事務所から通学していた頃と同様、帰宅後には二人は事務所の手伝いをするだろう。美神にしてみれば、二人を――まだまだ霊能力は低いとはいえズブの素人と比べれば遥かに有能な二人を――、タダで使えることになるのである。
 そして二人は未来の知識を握っている。しかも、ちょうど今、未来情報漏洩も問題ないと説き伏せたばかりだ。色々と仕事に役立つ話を引き出すことも可能だろう。

(したたかな百合子さんのことだから......
 私が二人を利用することくらい、
 織り込み済みのはずよね?)

 そう考えた美神は、ニンマリと笑って頷くのだった。

「......そうですね。
 私も、それがいいと思いますわ!」


___________


 ブオ......ォオッ。

 後部座席に、高校生のまりとかおりを乗せて。
 東京駅の地下駐車場から、美神の愛車が走り去ってゆく。
 それを見送った横島が、ポツリとつぶやいた。

「美神さん、かわったなあ」
「......どういうことです?」

 彼の言葉に反応するおキヌ。
 彼女は、今、横島の隣で彼と腕を組んだ状態だった。少し前まで二人が抱いていた赤ん坊は、今は、百合子が押しているベビーカーの中で眠っている。

「......ああ。
 タマモの一件もタダで手伝ってくれたし、
 今日だって、二人の居候のこと、
 アッサリ引き受けてくれただろ。
 お金の話も一切ナシで......」
「でも......私が昔
 居候させてもらった時も
 料金の請求なんてなかったですから......。
 いや、もしかしたら
 氷室の養父さん養母さんが
 黙って払ってくれてたのかもしれないけど......」

 そんな言葉を交わす夫婦に、後ろから百合子が声をかけた。

「......美神さんは大人だからね。
 いつもいつも金品ばかりじゃなくて、
 たまには貸しを作っておくことも
 大切だってわかってるのさ!」

 それを聞いて、若い二人は、顔を見合わせる。

「美神さんに借りを作るって......。
 それはそれで、何だか大変なことを
 したような気がするんだが......」
「『タダより高いものはない』
 って言いますからね、昔から」
「こらこら。
 忠夫もおキヌちゃんも......
 二人とも、美神さんのことを
 そんなふうに言ってはダメだよ。
 ......さあ、私たちも帰ろうか」

 苦笑する百合子に促されて、

「ああ」
「......そうですね」

 彼らは、家路を急ぐのだった。


___________


 そして。
 ウワサの対象となった美神は、クシャミをすることもなく、無事、事務所に到着していた。
 しかし......。

 ギャキキィッ!

 ビルの一階のガレージに入れるのでなく、敷地の前で、愛車を急停車させる。

「どうしたのです......?」
「あいつのせい......か?」

 後部座席のまりとかおりが、美神の緊張に気付いた。
 美神の左手はハンドルに添えられたままだが、いつのまにか、右手では神通棍を握っていたのだ。イザというときのためにダッシュボードに忍ばせておいたのだろう。
 その美神の視線の先には、一人の男が立っていた。

「知り合い......ですか?」
「......そうよ」

 かおりの質問に、短く答える美神。
 彼女は、もう一言だけ、つけ加えた。

「あれは......
 かつて魔族の手下だった男」

 彼女の言葉にハッとして、まりとかおりは、あらためて男を観察する。
 その男はトレンチコートに身を包んでおり、太っているのか痩せているのかすら定かではない。だが、背が低いことだけは確かだった。
 また、帽子を深々とかぶっているために、顔も大部分が隠されている。それでも、両頬から上下に伸びる大きな傷が、ハッキリと見えていた。

「......久しぶりだな、美神令子」

 挨拶と同時に、男は、帽子に手をやった。
 傷だらけの顔があらわになる。
 まりやかおりにとっては初対面。しかし、美神には見覚えのある顔だった。

「例のGS試験以来かしら?
 あんたのことなんて今まで
 完全に忘れてたけどね、
 ......陰念!」


(第八話(最終話)「長いかもしれないお別れ(後編)」に続く)

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第八話(最終話) 長いかもしれないお別れ(後編)へ進む



____
第八話(最終話) 長いかもしれないお別れ(後編)

「例のGS試験以来かしら?
 あんたのことなんて今まで
 完全に忘れてたけどね、
 ......陰念!」

 神通棍を手にしながらも、美神は、敢えて相手を軽んじる発言をしてみせた。
 聞きようによっては挑発的な言葉なのだが、陰念は、これを笑い飛ばす。

「くっくっく......。
 勘違いするなよ、美神令子。
 あんたと戦いに来たんじゃないさ」

 戦意がないことを示すために、両手を上げてみせる陰念。
 彼の姿勢に応じて、美神も少し力を抜いた。

「そう言えば......殺気も感じないわね?」

 そんな美神に、後ろの二人も同調する。

「......しかも弱そうじゃん、こいつ。
 人相は悪いけど......見かけ倒しってやつ?」
「ホントに魔族の手下だったのですか?」

 美神に尋ねるまりとかおりだったが、美神が答えるより早く、陰念みずから語り始めた。

「俺が世話になってた寺が
 メドーサってやつのアジトにされてな。
 そのまま俺もメドーサの配下に
 組み込まれちまったのさ」
「......で、そのメドーサの計画を
 私や小竜姫達が叩き潰したってわけ」

 陰念の話を補足する美神。
 彼女は、少し顔をしかめていた。陰念の過去話が都合よく脚色されていると気付いていたからだ。
 彼の口ぶりでは、まるで巻きこまれた被害者のようだが、実際には少し違う。陰念の所属していた白龍GSがメドーサに襲われたのは、たしかに不運だったかもしれない。だが、彼がメドーサの部下になったのは、陰念自身が『力』を求めたが故だった。抵抗した会長たちは石にされたのだと、美神は知っている。

(......まあ、でも。
 そんなこと今はどうでもいいわね)

 と割り切って、陰念に問いただす美神。

「昔の仕返しに来たんじゃないとしたら
 ......じゃあ、いったい何の用?」

 その返事は、思ってもみない内容だった。

「仕事の依頼さ。
 ......助けて欲しいんだ。
 白龍会が何者かに襲われて、
 また仲間が石にされちまったから」




    第八話(最終話) 長いかもしれないお別れ(後編)




「ここね」
「......そうだ」

 美神が車のブレーキを踏む。
 助手席に座る陰念の案内でやってきたのは、山の中腹にある駐車場だった。
 裕福な寺ではないかもしれないが、土地には困っていないのだろう。駐車場は、無駄に広々としていた。
 そして、アスファルトの駐車スペースの奥に、上へと続く石段があった。陰念を先頭にして、美神・まり・かおりが、そこを駆け上がっていく。

「......なるほどね」

 門をくぐった美神が、立ち止まって言葉をもらした。
 寺の本堂が視界に入ってきたのだが、その入り口で、和尚らしき恰好の人物が、石像と化していたのである。

「なんだい、これは!?」
「......おかしなポーズですね」
「私が生まれる少し前に
 はやってたポーズよ......」

 ささやかな疑問を口にした二人の少女に対して、簡単に答える美神。
 小竜姫から聞いた話では、以前にメドーサにやられた際も会長は同じ姿勢で固まっていたという。美神は、それを思い出していた。

「......さあ中に入るぜ」

 陰念の言葉に頷き、三人も石化和尚の横を素通りしていく。

「これは、また......」
「......見事なものですね」
「うーん。
 どっかで似たような場面、
 見たことあるような気がするんだけど......」

 本堂に足を踏み入れたとたん、まり・かおり・美神が、それぞれの感想を口にした。
 そこでは、様々なポーズで石になった門下生が、博物館の彫像のようにズラリと並んでいたのである。

「こいつは元に戻ったら
 補導......じゃなくて
 袋だたきにするつもりだ」

 挙動不審な表情の石像を指し示す陰念。
 ちょうど盗みを働こうとしていたタイミングで石になってしまったらしい。彼がコッソリ開けている袋も、他人のものなのだろう。

「......まあ、それはともかく。
 事情を説明するとだな......」

 石像に囲まれたまま、陰念が語り始めた。


___________


 かつて白龍会がメドーサに支配されていた頃、そこの三人のエースの一人としてGS資格試験に挑んだ陰念。
 二回戦では有名な師匠を持つ無名なGS見習いを一蹴し、無事GS資格をゲット。だが、三回戦で強敵横島とあたってしまい、奥義の魔装術まで用いたが、惜しくも敗北を喫してしまう。頼みの『魔装術』が暴走したからである。
 魔物と化した陰念は、その後、長期の治療を経て人間に戻ることができたが、霊能力者としては、もはや再起不能となっていた。
 それでも白龍会に帰ってきた陰念は、寺の下男のような仕事もしながら、日々、鬼コーチとして後輩の指導にあたるのだった。まるで、変身能力を失ったヒーローのように......。


___________


「へええ。
 昔は凄い奴だったんだな......」
「......苦労なさったんですね」

 まりとかおりが素直に話を聞いている横では、美神が、呆れたような顔をしていた。

「いや、これって......。
 どーせ陰念視点で美化された話だから。
 それより......
 あんたの過去なんてどーでもいいから、
 今回の襲撃の詳細、早く教えなさいよ?」
「まあ、そう急かすな。
 ......それについては、
 ちょうど今から話すところだったんだぜ」

 美神に促され、陰念が説明を続ける。

「......今日は珍しく、
 ちょっと寝坊しちまったんだ。
 もう朝メシもできてると思って
 そっちに行ってみたんだが誰もいねえ。
 それで本堂に来てみたら
 ......この有り様だったのさ」

 語り終えた陰念は満足そうな表情をしていたが、

「要するに......
 何にもわかってないわけね?」
「まあ......そうとも言う」

 美神にド突かれてしまった。

「まあまあ、美神さん」
「この人、これでも一応、
 依頼人なんですから......」

 まりとかおりに言われずとも、美神だって承知している。だから、横島をシバくときほどの力は入れていなかったのだ。

「......陰念が何も知らないんじゃ
 石にされた本人たちに聞くしかないわね」

 と、つぶやく美神。
 陰念や白龍会が多額の報酬を払えるとは思えないが、だからといって、無視するわけにもいかない事件だった。

(かつてのメドーサの事件と同じような石像。
 つまり、またメドーサかもしれない......)

 美神は、アシュタロスの事件の終わり頃に、おキヌから『本来の歴史』の内容を聞いている。そこではメドーサは月で滅び、その後でコスモ・プロセッサで一時的に蘇ったそうだ。
 だが、この世界――おキヌの逆行によって変わってしまった歴史――では、メドーサの運命は全く別のものになっていた。
 メドーサは月での作戦を成功させて地球に戻り、後に巨大戦艦まで与えられた。ただし、それは妙神山上空にて撃沈。それ以降、彼女は行方不明になっていた(『まりちゃんとかおりちゃん』参照)。

(あそこで死んだと思ってたけど......)

 しかし、もしもメドーサが無事に逃げのびていたのだとしても、今回の事件の犯人がメドーサだとは限らない。
 そもそも、アシュタロスもいなくなった今、メドーサが再び活動を始める理由が考えられなかった。

(いやアシュタロスから自由になったからこそ、
 彼女自身の目的で......)

 美神もメドーサとは色々あったが、決着をつける形にはなっていないのだ。色々と考えてしまうが、そんな思考を陰念が遮った。

「石になった連中に聞くだなんて
 ......そんなことできるのかよ?」

 怪訝そうな顔の陰念に対して、美神は、軽く笑ってみせる。

「自然現象じゃなくて
 魔物の霊力による石化だろうから、
 たぶん石化を解けると思うわ。
 ......横島クンの文珠で!」


___________


「横島の......文珠?」

 聞き返す陰念に答える前に、美神は、まりとかおりの方にチラリと視線を向けた。
 二人は、石像と化した人々をツンツンと突いている。本人達は調査のつもりなのかもしれないが、美神の目には、遊んでいるように見えてしまうのだった。

「横島クンのことは
 ......覚えてるでしょ?」
「ああ......もちろん」

 低い声で答える陰念。
 そんな彼の表情を見た美神は、一息ついた後、再び口を開く。

「GS試験の後、彼はね......」

 横島の成長ぶりを、彼が手に入れた奇特な能力を、そして魔神と対決した際の大活躍を。
 美神は、自慢の弟子をもつ師匠として、詳しく語るのだった。


___________


「......そうか。
 やっぱりあいつは凄い奴だったんだな。
 さすが俺に勝っただけのことはあるぜ」

 遠くを眺めるような目で、陰念がつぶやく。
 彼の口調には、様々な想いが込められているようだった。

「で、その横島が......
 新妻と共に、こっちへ向かってるんだな!?」
「そ。
 電話で詳しく場所も説明しておいたから、
 そろそろ着く頃だと思うんだけど......」

 ここまで口にしたところで、美神は、ふと思い出した。
 おキヌは、けっこう方向オンチなのだ。

(まさか今頃、二人して迷ってる
 ......なんてことないわよね?)

 美神の顔に、小さな冷や汗が浮かぶ。
 と、その時。

『クケーッ!!』

 外から奇声が聞こえてきた。


___________


「庭の方だぜ!」
「いくわよ!」

 陰念と美神が走り出し、まりとかおりが二人に続く。
 本堂の東側にある茂みの奥に、さきほどの声の主がいた。

『クッ......クケーッ!』

 それは、目つきの鋭い一羽の小鳥。硬質の立派なくちばしを持っているが、その体は羽毛に覆われているわけではなく、むしろ爬虫類のようにヌメッとしていた。

「うーん、
 愛嬌のある感じじゃないけど......」
「あら、これはこれで......
 なかなか可愛らしいですわ!」

 ペットショップを訪れた少女のように、まりとかおりは、小鳥へ近付いていく。
 美神と陰念が少し距離をとって立ち止まっているのとは、対照的だった。

「危ねーぞ!?」
「二人とも!
 もっと慎重に......」

 後ろから声をかけられても、二人の少女は、笑って返すだけだ。

「心配しなくても平気!」
「何かの鳥の雛のようですから......」

 と言いながら、二人同時にネクロマンサーの笛を取り出す。
 それを見て、美神にはピンときた。

(おキヌちゃんの真似をするつもりね!?)

 美神の頭に浮かんで来たのは、昔の除霊仕事での一場面。

   「霊体片から培養って言っても......
    成功したのは、これ一体だけですよね!?
    この一匹が......虎の子の切り札なんでしょう!?」
   「......おキヌちゃん!?」

 人造魔族ガルーダを操る茂流田に追いつめられて、しかし逆に彼を巧みに挑発したおキヌは、ガルーダの雛たちを彼から引き出した。そして、それをネクロマンサーの笛で操り、味方にしてしまったのだった。

「ダメよ!
 今回は状況が違う。
 ......あんたたちには無理だわ!」 

 まりとかおりに向かって叫ぶ美神。
 かつてのおキヌのケースでは、相手が心が真っ白なヒヨコだったからこそ、支配できたのだ。
 だが、まりとかおりは、その違いに気付いていなかった。

「大丈夫!」
「......見ててください!」

 二人が笛を吹き始める。

 ピュリリリリッ......リリリッ......リリッ......。

 倍音共鳴が起こるほどの、美しく調和のとれたハーモニー。
 この共鳴こそ、二人のネクロマンサー能力が発揮される証。
 それは、

「まるで......
 天空の楽園からの使者。
 ......まさに天使のようだ!」

 やや空気と化しつつあった陰念が、似合わぬ言葉を口にするほどの音色でもあった。
 しかし......。


___________


『クックックック......クケーッ!』

 笛の音を切り裂いて、小鳥が咆哮する。
 同時に口から発せられた光が、まりとかおりを襲った。

「......!」
「これはっ!?」

 絶叫の主は、まりでもかおりでもない。
 後ろで見ていた美神と陰念だった。
 二人の少女は、声を上げる暇もなく、石にされてしまったのだ!

「こいつが......
 石像事件の犯人ってことか!?」
「そりゃあ、そうでしょ」

 あまりに今さらな陰念の言葉に、ツッコミを入れる美神。
 人々が石にされた寺の庭に、見るからに怪しげな鳥――その寺に住む陰念も知らない鳥――がいたのだ。どう見ても犯人です、ありがとうございました......という状況だった。

「これは......コカトリスだわ」
「知っているのか、美神令子!?」
「そういえば聞いたことがある
 ......って、何言わせるのよ!」

 ポカリと陰念を叩いてから、美神は言葉を続ける。

「本で読んだ知識だけど......。
 石化能力に加えて、
 このトカゲっぽい外観。
 ......まず間違いないでしょうね」

 目の前で二人の少女が石にされたばかりなのだ。美神も陰念も、コカトリスから目を離さず、その出方を窺っていた。

「それにしても......こいつは、
 まだホンの子供だろ!?」
「そーかもしんないけど
 コカトリスってのは
 古代ヨーロッパの魔鳥で、
 こんなとこで
 ウロチョロしてていいレベルの
 モンスターじゃないわ......!」

 美神が、そう叫んだ時。

「まりちゃん!?
 かおりちゃんも......!!」
「......遅かったか!?」

 巫女装束のおキヌと、ジーンズ姿の横島が、ようやく到着したのだった。


___________


「......いや。
 俺が直してやる!」
「横島さんっ!?」

 コカトリスを脅威とみなし、他の三人が慎重に動きを止める中。
 横島一人だけが、隣のおキヌの制止も振り切って、走り出していた。

「......仕方ないわね」

 少し遅れて、美神も動き出す。
 横島の意図を察した彼女は、囮役を引き受けたのだ。神通棍を鞭にしてバシッと鳴らし、コカトリスの注意を自分に向ける。
 ちょうどコカトリスが、首を美神の方へと回した時。

 カッ!!

 横島の手の中で文珠が光った。
 彼は、『解』と刻まれたそれを、まりとかおりに叩き付ける。
 だが......。

「ちくしょう、なぜだ?」

 全く効果がなかった。
 文珠の輝きが収まっても、二つの石像には何の変化も生じていない。

「......なぜなんだ!?」
「横島さん......」

 落胆の色を見せる彼のもとに、おキヌが駆け寄った。
 彼の問いかけに対して答えることは出来ないが、それでも何か声をかけないといけない。
 そう思ったおキヌだったが、彼女が口を開くよりも早く。

『......それは霊力が足りないからなのね!』

 空から答が振って来た。


___________


 場の雰囲気を一変させるかのような、能天気な声。
 声の主を求めて見上げた陰念が、ポツリとつぶやいていた。

「なんだ、ありゃあ!?」
「あーみえても、彼女は神さまよ。
 その右にいるのは......
 ああ、小竜姫のことは知ってるわね?」

 彼が小さく頷くのを見て、美神が説明を続ける。

「で、残りの一人は......
 小竜姫の弟子だから、今じゃ
 あのコも神族の分類なのかしら?」

 美神の言葉が終わると同時に、その場にスッと舞い降りた三人。
 それは、ヒャクメと小竜姫とパピリオだった。


___________


「パピリオちゃん!!」
「久しぶりでちゅね、モモちゃん......!」

 おキヌに小さく笑いかけてから、パピリオはコカトリスへ駆け寄り、それにカチリと首輪をはめる。
 三人の登場で、さきほどまでの緊張感は完全に消え去っていた。

「あれ......俺は無視?」

 横島の表情もギャグモードになっている。
 そして、彼らの横では、神さまである小竜姫がペコリと頭を下げて、事情を説明していた。

『すいません、美神さん。
 うちのコが迷惑かけたみたいで......』
「え?
 『うちのコ』って......」
『はい。
 このコカトリスは......
 パピリオの新しいペットなんです』

 ペットを飼うのが趣味のパピリオ。それは、小竜姫の弟子となっても変わっていないらしい。
 小竜姫が少し目を離した隙に、あっちこっちから色々と生き物を連れてきてしまうのだ。それも人間界に普通に生息しているモノではないので、小竜姫としても、簡単に『捨ててきなさい』とは言えないのだった。

『それでも今までは
 大きなトラブルはなかったのですが......』

 昨晩、一羽のコカトリスが逃げ出してしまい、今回の事件を引き起こしたのだという。
 こうして小竜姫が話している後ろでは、

『......えへ』

 パピリオが、コカトリスの頭の上に手をおいたまま、小さく舌を出して笑っていた。
 チラッと彼女に目をやり、小竜姫も苦笑いする。それから彼女は、美神たちへの説明を続けた。

『......石にされた人々は
 私たちが責任をもって
 もとに戻します......!』
「そういえばメドーサの一件でも
 あんたたちの世話になったんだってな。
 ......さすがは神さま。
 この程度は簡単に復元できるってわけか」

 と口を挟んだ陰念に対して、ヒャクメが胸をはってみせる。

『そうなのねー!
 横島さんの文珠では霊力不足だけど、
 私たちなら......
 これくらいアサメシマエなのね!』

 おまえが威張るな。
 どうせ小竜姫さまが中心になって作業するんだろう。
 そう思った者が何人かいたが、誰も口には出さなかった。ヒャクメも、今は誰の心も覗いていない。

「それじゃ、まずは、この二人から......」

 まりとかおりの石像を指さす横島。
 しかし、ヒャクメが首を横に振った。

『ダメなのね。
 その二人は、あとまわし』
『......ですが、ちゃんと、もとに戻しますから。
 人間に戻す......というだけでなく、
 もとの時代へ戻します......!』

 小竜姫の言葉を聞いて、おキヌ・横島・美神がハッとする。
 それを見てケラケラと笑いながら、ヒャクメが言葉を続けた。

『私たちには秘策があるのね。
 ......時空震動も起こさずに、
 穏やかに二人を未来へ送り返す方法が!』


___________


「そんなことが......」
「......物理的に可能なんですか!?」

 横島とおキヌが驚く横で、一瞬の後、

「ああ......なるほどね」

 美神は、納得の色を顔に浮かべていた。
 そんな美神に対して、ヒャクメは、小さくウインクしてみせるのだった。


___________
___________


 そして。
 時が流れて。
 愛も流れて、新しい命も生まれて。
 十数年の後......。


___________


「最近、おやじもおふくろも
 あたしたちの交際に反対みたいだからな。
 ......二人がいない今日がチャンスだ!」

 住宅街の裏路地を走っていたのは、ショートカットの少女。彼女は、年下のボーイフレンドの家へと急いでいるのだった。
 しかし、彼女の前に、長い髪の少女が立ち塞がる。それは、

「そうはいきませんよ。
 間違いが起こらないように
 ......わたくしがついていきます!」

 双子の妹だった。
 姉は、真っ赤な顔で妹に反論する。

「間違いなんておこらねーよ!」
「いいえ!
 あなたの言葉は信用できません。
 ......ちゃんと私が見張っておきます!」
「そういうのは『見張り』じゃなくて
 『デートの邪魔』って言うんだよ!」
「あら......!
 『デート』だと認めるのですね!?」

 口論しながら進む二人。
 これも一種の『けんかするほど仲が良い』なのだ。
 だが、肝心の『間違い』の内容を――両親が心配している『間違い』の内容を――、彼女たちは知らなかった......。


___________


 それから一時間後。
 その『間違い』は起こった。


___________


「消えちゃった......。
 どこか別の時代へ行っちゃったの?」

 少年は、自分の部屋でオロオロしていた。
 自分が興奮したために、大切なガールフレンドとその妹が、時間移動してしまったのだ。
 しかし。

『大丈夫なのねー!』

 という声と共に、何もない空間から、おかしな恰好の女性が出現した。

「え......?
 おねえさんは......もしかして
 今の......僕の時空震動のせいで、
 この時代へ来ちゃった未来人!?」

 少年は、女性の奇抜の服装を見て、未来人と判断する。だが、女性は手を横に振っていた。

『違うのね。
 私はこの時代の人物
 ......じゃなくて神さまなのね!』
「なんだ、神さまか」

 普通の人間にとっては『神さま』は信仰の対象だが、少年は『普通』の人間ではない。彼の母親は神さまを使いっ走りのように扱うし、そうした環境の中で彼は育ってきたのだった。
 そして、この女神も、軽い扱いをされるのに慣れているらしい。少年の態度を気にすることもなく、微笑みを浮かべていた。

『私はあなたに
 プレゼントを持ってきたのね!』
「......プレゼント?」
『そうなのね。
 でも、その前に......』

 女神は、少年の体を自分の方へと引き寄せる。

『あなたの時間移動能力を
 吸い取らせてもらうわ。
 あなたには大き過ぎる力だから......
 封印じゃなくて、
 完全に奪い去る必要があるのね!』
「......え?」
『いいから。
 おねえさんにまかせるのね!』

 女神は、少年の頬に両手をあてて、自分の唇を突き出した。
 そのまま顔を近づけていくのだが......。

「......私の息子に何するつもり?」

 二人の距離がゼロになる前に、邪魔が入った。
 それは、いつのまにか部屋に入ってきていた、少年の母親。彼女は、さらに言葉を続ける。

「そんなことしなくても
 時間移動能力、吸い取れるでしょ。
 ......ヒャクメ!」
『ハハハ......。
 久しぶりなのね、美神さん!』


___________


「えーっと......二人は知り合い?」

 という少年のつぶやきに無言で頷きながら、ヒャクメは、虚空からトランクを取り出した。そして、そこからコードを引き出し、先端の吸盤を少年の頭にキュパッとくっつける。

「......え?」
『これで、もう大丈夫なのね。
 このコの時間移動能力は、
 ......私がもらったわ!』

 意味が分からず戸惑う少年。
 だが、少年の母親――美神令子――は全てを理解しており、ヒャクメに先を促す。

「ほらほら。
 用件はこれだけじゃないでしょ?
 もう一つもサッサとやっちゃいなさい」
『やっぱり美神さんはわかってたのね』

 そう言いながら、サッと手を振るヒャクメ。何もない空間から、今度は二体の石像を取り出してみせた。
 
「......あっ!?」

 石像ではあるが、それはどう見ても、まりとかおりである。
 その事実を悟った少年が驚く横で、美神は、口元に小さな笑みを浮かべていた。

「おキヌちゃんや横島クンは
 気付いてないみたいだけど、
 私は理解していたから......。
 すべて、あの二人が言った通りになるんだ、って。
 ......無理に防ごうとする必要もないんだ、って」

 彼女は、ここでいったん言葉を区切り、少年の頭にポンと手をのせた。

「でも......二人の話に合わせて
 レイを産んだわけじゃないわよ?」
『それはわかってるのね』

 ヒャクメの眉毛がハの字になり、その表情がやわらかくなる。ヒャクメは、ふと、かつて美神に対して言った言葉を思い出していた。

   『あなたの人生は
    あなたが作っていけばいいんですから』

 だが、今は、それに言及するような場面ではない。代わりに別の言葉を口にする。

『......ともかく美神さんが
 全部心得ているなら話は早いわ』
「時空震動を使わない時間移動。
 ......あんた、そう言ったもんね」

 十数年前のことを思い出し、今度は美神が、ヒャクメに対してウインクしてみせた。

「時空震動を伴わないほうが
 時空の混乱が少ない......ってとこかしら?」
『まあ、そんなところなのね』

 あの時、高校生のまりとかおりが石にされたことが、ひとつのポイントだった。
 その時代の『本来のまりとかおり』は赤ん坊であり、『未来から来たまりとかおり』とは別に存在している。
 だが、『本来のまりとかおり』は高校生になったら過去へと飛ばされてしまうのだから、その時まで『未来から来たまりとかおり』を高校生のままキープできれば、それで全てが解決するのである。

『それじゃ......最後の仕事なのね!』

 ヒャクメが指をパチンと鳴らすと同時に。
 石にされていた二人が、人間に戻って......。
 いつのまにか、ヒャクメ自身の姿は、その場から消えていた。


___________


「あれ......」
「......ここは!?」

 まりとかおりは、混乱していた。
 さっきまで二人は白龍寺にいたはずなのに、ここは、美神の家なのだ。しかも、一緒にいたはずのメンツも少し変わっている。

「レイ君......!?」
「それに美神さん、その姿は......?」

 そんな二人に対して、美神の息子が、やや不思議そうな表情を向けていた。

「戻ってきてくれたのは嬉しいけど
 ......でも二人とも何か変だよ?
 なんでママのこと、
 『美神さん』なんて呼んでるの?」

 そう言われて、まりとかおりは、顔を見合わせる。

(だって、そう言わないと怒られるから......)

 と思ったのも束の間。

「......ああ、そういうことか」

 二人同時に、何が起こったのか把握したのだった。
 だから、二人は、あらためて挨拶する。

「ただいま、美神のおばさん!」
「ただいま、美神のおばさま!」

 この時代の美神は、『おばさん』『おばさま』呼ばわりされても文句は言わない。もう、そういう年齢なのだ。
 彼女は笑顔を浮かべたまま、二人に歩み寄り、その肩を軽くポンと叩くのだった。

「おかえりなさい......!
 まりちゃん、かおりちゃん!!」


(続・まりちゃんとかおりちゃん 完)

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