現場は、藍染の想像以上に凄惨なものだった。
ひしゃげた建物、砕けた塀、抉れた地面は、そのまま、爆発の威力を物語っている。
見なければいけない。
そうわかっていたが、藍染は休息という言い訳を内心で繰りながら、目を閉ざす。
だが、樟脳の匂いに混じるその濃密な臭気を拒絶できようはずもなかった。
瞼だけが痙攣という悪あがきを試みていたが、藍染は力を込めてそれを押し上げる。
途端、地を赤く染め上げる液体を、藍染の瞳は捉えた。
そして、暴力的に切り取られた白くか細い腕と。
……藍染の視界がぐらりと揺れたが、どうにか足を踏みしめて立っていられたのは、 我こそが五番隊隊長であるという矜持のためであった。
ここで隊長である自分が無様に倒れても、混乱しか生まないことくらい、藍染は重々承知している。
背後に控える部下たちを振り返ると、彼らは一様に蒼白で、口元を覆っている者、耐え切れずに泣き出す者はおろか、 立っていることさえできずに、その場にしゃがみ込んでしまっている者もいた。
彼らもまた、慣れていないのだ。
敵と刃を交えた結果、傷つき死んでいく者には耐性ができていても、爆発に巻き込まれて死んでいく者への耐性は未だできていない。
恨むべき対象の見えない殺戮がどういうものなのか、未だわかっていない。
だからこそ藍染は、己の動揺を押し隠して、虚に殺された死神の検分に立ち会ったときと同様の日常的な空気を漂わせながら、 そこに立っていなければならないのだ。
「まず、遺体を回収しよう」
唇の震えを抑えるため、藍染の口調はいつも以上にゆっくりしたものになった。
「できるかぎり、遺族の元に帰らせてあげるんだ」
ひっと、どこかで喉の鳴る音がする。
「ひどい……、こんなことって!」
次いで、悲鳴が世界を切り裂いた。
……爆発に巻き込まれた結果、腕以外を粉々にされてた彼もしくは彼女は、いったいどんな罪を犯したというのだろう?
募る吐き気を堪えながら、藍染は腕を見つめる。
なぜなら、二の腕半ばから暴力的な力で引きちぎられても尚、残されたこの腕が、彼もしくは彼女の意志によるものであることを、 藍染は疑っていなかったからだ。
そして、彼もしくは彼女がせめて腕だけでも形をとどめておきたいと願ったのであれば、それを見つめるのが残された者の義務なのだ。



覆い被さらんとする吐き気を堪えるため、彼は手で口元を覆おうとして、それを意志の力で抑えた。
口元へと持っていきかけた右手を、何度か握り締める。
死んでいった彼もしくは彼女に対して、吐き気など覚えてはならない。
吐き気を覚えたら、彼もしくは彼女の死が無駄になってしまう。
あくまで微笑んでいなければ。そう、常日頃と同じように。


視界に掠めた違和感の正体を知るために、藍染は廻らせかけた頭を一旦元の位置に戻した。
今度は意識を集中させて、ゆっくりと、首を左へ捻っていく。
途端、彼の横顔が目に入った。
配属されてまもない五番隊副隊長の元より白い肌からは血の気こそ失せていたものの、 口元に刻まれた笑みは一切揺らいでいない。平時に浮かべるものとまったく同じ肌触りを持つ微笑だった。
この年若い副官は、異例の大抜擢により副隊長に就任したものの、それをおもしろく思わない者が大勢いたと聞く。
だが、なかなかどうして、動揺してはならない自分の立場をよく理解しているようだ。
とっつきにくいという印象しか彼に抱いていなかった藍染は、感心と反省を同時に胸中に浮かべながら、彼から目を背けようとして、はたと硬直した。
感心?
今、覚えてるうそ寒さが、そんな穏やかな性質を含んでいるとは到底思えない。
もっと別の感覚のような気がする。
例えば、不安感のような。
……気がつくと、彼を凝視している自分がいた。
だいぶ遠い位置に立つ彼が、自分に見られていたと気づくわけがないだろうが、藍染は慌てて視線を逸らす。
ふと頬の辺りがざわついた。
視界の端で、彼がこちらを窺い見ていることに気づく。
気づかれた。
見ていたことを、感づかれた。
そう思った瞬間、じわりと冷たい汗が掌に刻む線にそって滲んだ。
いったい、どういうことだ?
自分の肉体の過剰すぎる反応を、藍染は訝る。
何かがおかしい。何かが。
いったい、自分は何を不安がっているのだろう?
視界の端で、彼はゆらりと上肢を揺らがせ、藍染の方向へと体を向けた。
副官が上官に気づけば、挨拶をし、知る限りの情報を伝え、上官の指示を仰ぐのは必定だ。
そうである以上、彼がこちらにやってくることは、寧ろ正しいことなのだ。
なのに、なぜだろう?彼の到着がひどく恐ろしいことのように感じるのは。
一歩一歩、緩やかに歩んでくる彼の鈍重さが苛立っているのか。
その薄ら笑いが鼻につくのか。
彼が携えている情報が、自分の知る目の前の悲劇的な現実をより強固にすることでしかないという事実に恐れをなしているのか。
いや、これは勘だ。
彼が一歩近づくたびに粟立つ肌を宥めるように擦りながら、藍染ははっきりと確信する。
長らく死神として生きてきた自分の勘が、彼の内にある禍々しい秘密の匂いに反応しているのだ。
もしかしたら、彼は……。
いや、そんなはずはない。
浮かびかけた想像を、藍染は必死で打ち消す。
正直、これまで、彼にいい印象を持ってこなかった。
彼からはどこか剣呑で禍々しい空気をまとっていて、それが近寄りがたさとなって藍染に距離を取らせていたのだ。
だからといって、この現場の惨状を容易く彼と掛け合わせ、犯人という解を導き出さんとするのはあまりに早計だ。
彼の足元が覚束ないのは、衝撃を受けすぎてまっすぐ歩けないせいだ。
彼が笑みを浮かべているのは、せめて表情だけはいつもの通りにしようとする努力の成果だ。
彼は持つ情報のすべてを藍染に開示し、一刻も早く犯人を逮捕するために、悲劇を終わらせるために、こちらにやってきているのだ。
他に何があるというのだ?
「ここにいはったんですか、藍染さん」
彼は一礼し、落ち着いた声音でそう言った。
「ずっと捜してたんですけど」
だが、気がつくと藍染は、彼の表情をくまなく観察していた。些細な筋肉の動きすらも見逃さないよう、執拗に。
彼の顔色は平時と比べて青く強張っている。だが、確証などない。
無意識にそう考え、藍染はつくづく自分の性分が嫌になる。
誰もが深い悲しみに沈み込んでいる今、ともすれば元凶を探さんとする自分は最低だ。
「すまなかった」
だが、謝罪の言葉は上擦る。ともすれば、目線は彼の表情筋の動きを探ろうとする。
藍染は慌てたが、死者が満ちるこの場において、多少の動揺は寧ろ疑惑を打ち消す効果があるらしい。
痛ましげに顔を顰めて辺りを見回す彼の横顔には、一瞥する限り、藍染に対する警戒の色は皆無だった。
「周辺の住人の話では、今のところ、目撃者はあらへんそうです」
「ここは長らく空家だったらしいから、仕方ないだろうね」
そう答えながらも、彼の一挙一動を窺わんとする自分の目を藍染は止めることができなかった。
だが、言葉なく頷き、表情を翳らせている彼は、意気消沈していて、何かを企んでいるとは思えない。
……やはり、気のせいだったのだろうか。
石につまずいたような強張った違和感の正体は。






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