みんなのお話。


 蓮に教えて貰った通り、帰りの街では女が男にチョコレートを渡す光景がかなり見られた。
 逆もあったけれど、やはり女側からの方が多かったと思う。
 そんな日を今まで知らなかったとは、損をして来たのかどうなのか。
 複雑な気分でセイロンの背中の上で揺られる莉煌だった。
 もう日も半分程落ちた。
 一人で出かけた絢音もチョコレートを作りに行ったのだとしたら、多分帰っている頃だろう。
 セイロンにチョコレートを与えていいのか分からなかったので、チョコレートになる前の
 カカオ豆を与えてみた。セイロンも男だ。そしていつもその背中に乗せて貰い、お世話になっている。
「いつもありがとうな、セイロン。感謝の印だ」
 いつもとは違う餌に首を傾げ、匂いを嗅ぎ。
 口にしたセイロンはカリカリと噛み砕いた。
 どうやらお気に召したらしく、嬉しそうに「クェ」と鳴いた。
 そんなセイロンの頭を撫でて居たら、窓から絢音が顔を出した。
「おかえりなさい、莉煌さん」
「あぁ、だたいま。絢音」
 セイロンの泣き声で莉煌が帰って来た事が分かったらしかった。
 二人で暮らし始めてもう暫く経つ。
 絢音も他の人のペコペコの声とセイロンの声の聞き分けが出来るまでになっていた。
 莉煌はセイロンを簡易だが、雨風をしのげる小屋へと連れて行き手綱を放した。
 セイロンは莉煌に良く慣れている。
 別に何処かに手綱を繋いでおかずとも、勝手に何処かへ行ったりはしない。
 牧草を用意し、水も十分に注ぎ。
 また頭をひと撫ですると、莉煌は家の中へと入って行った。
 夕食の準備は終わっているらしかった。部屋の中は食欲をそそるいい匂いで充満していた。
 だが、何だか絢音がそわそわしている。
 落ち着きが無い。椅子に座ったかと思えば立ち上がってキッチンに立ち、なべの中を確認し。
 再び椅子に座る。そしてまた立ってキッチンへ行き・・・の繰り返し。
 早くご飯が食べたいのだろうか。
「どうした、絢音?腹が空いたのか?」
「えっ?い、いえ!そう言う訳じゃ」
 今日のご飯は何だろう、と思い莉煌はキッチンへ。
 なべの蓋を開けてみるとロールキャベツが入っていた。
 小ぶりで可愛い。絢音の手作りらしい大きさ。
 見ていたら胃がきゅっと締まった気がしたので、自分もお腹が減っていると思った。
 隣でまだ落ち着かない様子でそわそわしている絢音の頭に手を置いて、笑ってみせる。
「見ていたら食べたくなってしまった。夕食にしよう、絢音」
「あ、はい!」
 二人で夕食の準備。
 ロールキャベツ以外に、グラタンがあったようで絢音はオーブンから取り出すと木の板の上に置いた。
 籠の中にパンを並べ、皿にロールキャベツを盛り付ける。
 向かい合ってテーブルについて、食事を始めた。
「今日はバレンタインなのだそうだな。知らなかったよ」
「あ、そうだったんですか。すいません、一人で置いて行ってしまって」
「いやいいんだ。親切なプリーストに教えて貰った」
 敢えて蓮とは言わずに莉煌は話を進めた。
 ハニーハーツに所属した事。
 お届けモノのアルバイトの最中に起こった事。
 モンスター討伐の事。
 絢音も自分がやった事を話した。
 そうして、食事が終わった頃。
 どちらからともなく、チョコレートを取り出した。
「女から女へ渡すのは見ていないが、こう言うのもありなのだろう?」
「はいっ全然大丈夫です!」
 世間では、友チョコと呼ばれて居るが絢音の中ではもうその域を越えている。
 大好きな相方への想いの篭った大切なプレゼントだ。
 そして初めてのバレンタインを迎えた莉煌の中では、大切な人へチョコレートを贈る日と認識されている。
 莉煌にとって絢音は既にただの相方の域を越え、かけがえの無い大切な存在になっている。
 お互いにその想いがまだ「恋」だと気が付いて無いにしろ、バレンタインと言うイベントには相応しい二人なのだ。
「はい、莉煌さん。貰って下さい」
「あぁ、ありがとう。私からも、受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
 お互いに可愛らしくラッピングされた箱を交換し合う。
 絢音は嬉しそうに胸に抱き留め、莉煌は満足気に手の平の箱を見詰める。
 そして合図こそ無かったが、同時に紐解いて箱を開けた。
 中身はまるで示し合わせたかのように、同じ形をしたチョコレート。
「わぁ」
「なんだ、同じではないか」
 顔を見合わせて照れたように笑い合う。
 少しだけイチゴの赤い色が覗いたチョコレート。
 絢音は、莉煌の好物であるイチゴを使ったチョコレートをと考えて。
 莉煌は、絢音をイメージして可愛らしいモノを選んでみたらこれになった。
「いただきます」
「美味しそうだな」
 そっと手に取って口へと運ぶ。
 一口噛むとチョコレートの甘い味とイチゴの甘酸っぱさが口に広がった。
 確かに、と莉煌は思う。
 女の子の大切な甘い気持ちをチョコレートに託して想いを伝える事はいいのかもしれないと。
 ふと思い立って、チョコレートを噛み締めている絢音を手招きした。
 テーブルを挟んで向かい合っているので、絢音は目一杯身を乗り出して、テーブルに手をついて身体を支える。
 莉煌も身を乗り出すと、手を伸ばし絢音の身体を捕まえると柔らかく抱き締め、その額にひとつキスをした。
「莉煌、さん・・・?」
「感謝の印だ。いつも傍に居てくれてありがとう、絢音」
 優しく目を見詰めてそう言うと、みるみると絢音の瞳は潤んで行き。
 ぽろっと涙が零れ落ちた。
 指先でそれを拭って、莉煌は絢音の頭を抱く。
「私も。いつも傍に居てくれてありがとうございます」
 莉煌の腕にしがみつきながら、涙声で絢音はゆっくりと噛み締めるように言った。



 なんだか知らないが、華楠と由伊から同時に耳打ちが飛んで来て、首都の噴水前のベンチに居ろと言われた。
 どちらも声色が高圧的で、逆らっちゃいけない気がしたので、蓮は大人しく噴水前のベンチに腰掛けて居た。
 しかし、噴水前では何処を見てもカップルばっかりで、チョコを渡す光景ばかり。
 自分も華楠に渡す用のチョコは持っているけれど、その渡す相手はこれからここに来てくれるらしいが
 どうやら余計なモノもくっついて来るっぽい。
 何だか嫌な予感がして、蓮は思わず溜め息をついていた。
 日はもう半分落ちかけて居て、首都は朱色に染まっている。
 告白したり愛を語ったりとかするならとってもいいムードなのになぁ。
 うん、多分ぶち壊しだろう。
 そう思いつつ二度目の溜め息をついた所で、前方から二つの影がこちらに向かって走って来るのが見えた。
 長身の男と赤い髪。
 多分、いや、ほぼ間違いないだろう。
 二人は蓮の目の前まで全速力で走ってくると、膝に手をついてはぁはぁと肩で大きく呼吸をする。
「何をそんな急いでんの・・・」
 当然と言えば当然の疑問をぶつける蓮。
 すると二人はばっと顔を上げて蓮を見て、かと思えばお互いを睨み付け。
 深呼吸すると背筋を伸ばして立ち上がった。
 華楠は手にチョコレートらしい箱。
 由伊の方は腕で抱えるようにして沢山の箱を持っている。
 蓮は何がなんだか訳が分からずに眉を寄せた。
「蓮」
 華楠に呼ばれる。
「なんだよ?」
「これ、受け取りなさい」
「え?」
 言葉は命令系。
 だけど、差し出されたのは華楠が手にしていた箱。
 当然ながら華楠がチョコレート工場でパティシエに頼んで作って貰った、名前入りのチョコレートだ。
 今まで貰っていたのは誰かの名前入りのチョコレートで、華楠本人のでは無かったので
 素直に嬉しくてこれは逃すまいと手を伸ばしかけたら、視界の隅にばっと何かを差し出された。
 視線を向けると両手いっぱいの箱箱箱・・・。
「由伊・・・?」
「蓮、お願い。アタシの気持ち、受け取って?」
「ええ?」
 上目遣いでお願いされても・・・。
 本人は可愛さアピールをしているつもりなんだとは思う。思うよ?思うけど。
 ごめんなー由伊。気持ちは嬉しいが、俺女の子が好きなんだ。太ももが大好きなんだー!。
 心の中で謝って、両手で華楠の方の箱を受け取った。
 瞬間、ばらばらと由伊の方の箱が地面に落ちる音がする。
 華楠を見たら、ほら見なさいと言わんばかりの顔をして由伊を見ていた。
 いや、だから。お前ら一体何をしてんだよ。
 由伊は両手両膝を地面について、悔しいっと漏らして居た。
 最初はくよくよしている華楠を炊き付けるだけのつもりだった。
 だけど途中から本気になっていた。
 本当はこんなにチョコレートも作るつもりは無かったし。
 まぁ、貰ってくれないとは思っていたけど、本当に貰ってもらえないと実際凹むものだなと思う。
「蓮ー、ひとつくらい貰ってくれない?」
「えー?お前から貰ってもなぁ」
 蓮はあからさまに嫌そうな顔をする。
 その顔が更に気持ちを沈めたが、由伊はめげなかった。
「こんなに沢山作ったんだもの、ひとつくらい貰ってくれたっていいじゃないのよぅ」
 本当は全部貰ってもらうつもりだったけど。仕方無い。ひとつでもいいから貰って欲しい。
 残りはギルドメンバーにでも配ろう。
 例え嫌がられても押し付けるまでた。
「うーん、わかったよ。ひとつだけな」
 言って、蓮は地面に落ちている箱を自ら拾い上げた。
 手渡しもさせてくれないなんて・・・蓮の馬鹿・・・。
 心の中でそう思いながら、由伊は地面に散らばるチョコレートの箱を拾い集めるとひとつずつ道具袋の中へ。
「完全にアタシの負けね、華楠ちゃん」
「すいません、勝っちゃって」
 泣き真似をする由伊。勝っちゃって、を強調する華楠。
 異様な二人の雰囲気に背筋が寒くなる蓮。
 だが次の瞬間二人は笑顔になっていた。
「でも、楽しかったですよ。ありがとうございました」
「あら、いいのよ。こちらこそ、楽しかったし」
「一体何をしてたんだよ、お前ら」
 訝しげに尋ねる蓮に、二人揃って振り向くと口唇に人差し指を当てて「秘密」と言われる。
 華楠の方は可愛かったが、由伊は微妙だった。
 まぁ顔立ちは整っている方なので、見れなくも無いのだけども。
 やっぱりどうしても男なので微妙な気分になるのだ。
「何か嬉しいです。私兄弟が居ないから。オカマのお姉さんが出来たみたい」
「ちょっ待て、華楠!」
「え?何?」
 蓮が慌てて止めたが、もう既に遅かった。
 華楠の隣で笑って居た由伊の額にピキピキと血管が浮き上がる。
 蓮は華楠の手を取ってベンチから飛び降りた。
「な、何よ?」
「逃げんぞ」
「何でよ?由伊さんは?」
「その由伊から逃げんだよ!」
「は?」
 訳が分からない華楠が由伊を見遣る。
 すると。
 怒りが頂点に達したらしい由伊が白目を向いて咆哮を上げた。
「オカマって言った奴はどいつじゃゴルアァアァァァァァアァァァ!!!!!!!!!」
 その怒声に驚いた周りの人達が次々に駆け出し去って行く。
 華楠も驚いて目を見開いた。
 そして走り出した蓮に引っ張られるままに駆け出す。
 幸いにも由伊に追い駆けられる前にその場を離れる事が出来たので、それ以降目を付けられる事も無く済んだ。
 誰かが巻き添えになったかもしれないが、それはそれでご愁傷様と言う事で・・・。
 教会の裏まで逃げて来て、壁に背を預けて息を整える。
「あのな、由伊に、オカマって、直接言ったら、ああなるんだ」
「そう、なの?オカマ、なのに?」
 乱れた呼吸のままで言い合う。
 蓮は、頷いて言葉を続けた。
「詳しい、事はわからねぇ、けど。自分の事、オカマだと、思ってない、みたい」
「そうなの、オカマなのに」
 実際の所、身体は男でも自分は女だと思っているのが由伊と言う存在である。
 だからと言って身体を女にしたい訳ではないらしい。
 不思議な生物なのだ。
「だから、もう、由伊の前で、オカマって、言うなよ」
 怖ぇから、と続けて蓮は咳き込んだ。
 その背中を擦りながら、確かにあの変貌ぶりは怖いと華楠は思う。
 でも、由伊に向かって言った言葉に嘘は無かったのだ。
 お姉さんが出来たみたいだった。
 今度会ったらもう一度ちゃんと伝えてみようと思う。
「あー・・・疲れた」
「そうね、暗いし。帰る?」
 確かに、日も完全に落ちたらしい。
 それにここは教会の裏側。更に真っ暗で何だか物騒だ。
 こんな所にいつまでも華楠を居させる訳には行かなかった。
 家まで送って行くと言って歩き出す。
 まだ噴水前に由伊が居たら怖いので迂回して通った。
 実際はもう居なかったのだが。
 流石の由伊も追い駆ける標的が居なくなり、すぐ我に返り恥ずかしくなってその場から退散していた。
 華楠の家はプロンテラの南東にある。
 すっかり華楠にチョコレートを渡す機会を逃してしまい、蓮は道具袋に手を入れてころころと箱を弄んで居た。
「・・・送ってくれてありがと」
「おう」
 玄関のドアの前。
 何だか離れ難くてお互い下を向いたまま無言で居た。
 無言で居るのは余り好きじゃない蓮は、華楠がじゃあ、とドアを開けて行ってしまうのを腕を掴んで引き止めた。
 びっくりした顔が徐々に迷惑そうな顔になる。
「何よ」
「え、あぁ。いや・・・その」
「用が無いなら離してよ」
 用が無いなら、と言われてチョコレートの存在を思い出した。
 華楠の腕を掴んだまま、もう片方の手で道具袋から箱を取り出す。
 華楠から貰った方ではない、自分で作って貰った華楠へ贈る為の方。
「これ、華楠にあげようと思ってさ」
「え?チョコレート?」
 掴んでいた腕の方の手にぽんと乗せる。
 華楠の手の平より大きい箱。
「いつもこんな俺に付き合って貰ってて迷惑かけてっからさ。ありがとう、って気持ち」
「蓮・・・」
 やっと渡せたと思い、安堵していると華楠の身体がそっと寄り添って来て、
 蓮の肩口に頭がぽすんと当たった。
 驚いて蓮は目を見開く。
「華楠?!」
「私こそ、いつもありがと」
 小さな声だったけれど。蓮にはちゃんと聞こえた。
 恐る恐る手を華楠の背中に廻してそっと抱き締めてみる。
 抵抗しない。
 少しだけ、華楠を抱き締める腕に力を込めて、蓮はこれは由伊のお陰だったりするのかもと思っていた。


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