廃プリとAXの昔話。
家に帰る前に海月はプロンテラに寄って、何か食べるモノを探した。
遅くまで開いて居る露店は未成年お断りの大人向けな居酒屋っぽいお店しかなかったけれど
なんとか食べられるものに有り付いて、食事を済ます事が出来た。
昼間に見ていたカードの露店は流石に居なくなっていて、また明日居たらいいな、と思いながら
自分の家のあるモロクへと帰って行くのだった。
海月がモロクに住んでいる理由は至極簡単だ。
アサシンギルドがあって、自分が所属しているギルドのたまり場があるからだ。
買い物などの利便性を考えてか、ギルドメンバーの殆どはプロンテラに住んでいるけれど。
別に不便と思った事は無いし、用事があればカプラサービスで行けばいいだけ。
何より夜は暗くて静かなのが良かった。
空も綺麗だし。星を眺めるのが好きだった。
「ふぅ」
風呂に浸かりながら眺める夜空が好きだった。
だからここだけは自分で改造して天窓を作った。
朝や昼間に風呂に入る事は無いので完全に夜用だ。
湯を手ですくいばしゃっと顔にかけた。なんだか自分が酒臭い気がしてゴシゴシと洗った。
なんでそう思ったのかは分らない。ただただそう思い、ゴシゴシと肌が赤くなるまで擦ってしまった。
部屋着に着替える時擦り過ぎた肌が少し痛んだ。やり過ぎたな、と反省する。
まぁ、これくらいなら寝て起きれば治るだろう。
深夜だ。流石に眠たい。
ひとつ大きな欠伸をしてベッドに潜り込んだ。
すぐに眠れるだろうと思って居た。そう思って軽く目を閉じて黙っていた。
しかし。
身体はだるい。頭は眠い。
だが、頭の奥がなんだか昂ぶっていて眠れない。
ぐるっと身体の向きを変えた。ぎゅっと目を瞑った。
ますます目が冴えた。
また身体の向きを変えてみる。目を瞑って暫く黙ってみる。
頭の後ろがなんだかムズムズして来てしまってやっぱり眠れない。
ごろんと背中をベッドに預けて目を開ける。
天井を見る。なんの変哲も無い天井。いつもの天井。
それが一瞬だけ、ぐにゃりと歪んだ気がした。
「え?」
目を擦る。
天井は元に戻っていた。
だが、それから少し自分の身体がおかしくなって来た事に気が付いた。
手が震えているのだ。寒くなんてないのに、カタカタと震えている。
両手が震えているんだけれど、とりあえず片方の手でもう片方を押さえつけてみた。
一緒に震えるので何も意味が無い。
「なんだよ、これ」
呟いて身体を起こした。
ぐるんと視界が回り海月は自分の脚に手を付いて、落ちそうになる頭を上半身ごと支えた。
しばらくして視界が回るのは止まったが手の震えは止まらなかった。
次に襲って来たのは強い吐き気だった。
懸命に我慢したがどうにも我慢出来そうになく、今にも吐き出しそうでベッドから降りた。
すると、即転んだ。膝に力が入らなかった。
心中で舌打ちをして壁伝いになんとか歩き、キッチンで思い切り吐いた。
先程食べたばかりのモノがほぼ原型を留めて出て来た。
これを後でどう処理しようとか考える前に次の吐き気の波がやって来て、また吐いた。
今度は液体だけだった。多分、胃液。
喉が痛くなるまでげぇげぇと吐いてやっと吐き気が治まった。
「はぁっはぁっなんだ、これ」
何かの病気にかかったのかと思ったがこんな症状の出る病気は知らない。
未だ膝も手も震えていて立つ事が出来なかった。
ふと、アサシンギルドで会ったマスターの言葉を思い出す。
『今日はお疲れ様でした。疲れたでしょう?**とはね、疲れてしまうものなんです。
日常に戻って神経を休ませて上げて下さい』
そうだ、神経を休ませろと言っていた。だが休ませ方が分らない。
それよりも引っかかるのは、一体何をしたから疲れてしまったんだろうかと言う事。
喋っていた事はしっかり思い出せるのに、肝心な部分だけ雑音が入ったみたいになってうまく思い出せないのだ。
と、言う事は今回の任務に関係するフレーズだった、と言う事なのだろうか。
今日は一体何をしたのか・・・。確かに自分のした事なのに、全く思い出せないと言うのも損な事だと思う。
自分達アサシンの身を守る為の規則なのだから仕方ないのだけれど。
動けない身体で座り込んだまま。今日の任務について首を捻って考えていると。
突然背筋をぞわっと悪寒のようなモノが駆け抜けた。
一瞬身体が固まって、その後ぶるっと震えて。
もうその後はずっと。背筋を冷たいモノが駆け抜けっぱなしで震えが止まらなかった。
何だこれは、何だこれは、何だこれは。
身体の震えと共に手の震えも大きくなった気がした。
何故自分がこんなにも震えているのかが分らなくて。震えを止めたくてぎゅうっと自分を抱き締めてみた。
でも、震えた自分の手じゃうまく力が入らないし、一緒になって震えるのでやっぱり意味が無い。
心なしか鼓動も早くなって来た気がする。
やっぱり何かの病気なのだろうか。
そう思った時だった。
「うっ」
心臓がドクンと大きく跳ね、それからドキドキと早い鼓動に変わったのだ。
それと共にやって来たのはとてもとても大きな恐怖。
何が怖いか分らない。でも何かが怖い。とても怖い。
居ても立っても居られなくなり、海月は家を飛び出した。
こんな状態で独りで居る事も怖かったから。
咄嗟に頭に浮かんだ人間の所へ行く事に決めたのだ。
強くて面白可笑しい頼りになる幼馴染の元へ。
ガンガンとドアが殴られている。
瑠玖は薄目を開けてドアを睨み付けた。
気持ち良く眠っていたと言うのに、一体誰だこんな時間に。まだ真っ暗じゃないか。
心中でぶちぶち文句を言って布団を被るもその音は止まない。
「―っ!」
がばっと起き上がり文句を直接言ってやろうとドアへ歩み寄ると、勢い良く殴られて居たのでベッドからでは聞こえなかったが
ドアを殴る音と一緒に自分の名前を叫ぶ声も聞こえていた。
それも、良く知っている声で。可哀想に、いつから叫んでいたのか、声が若干掠れている。
瑠玖は慌てて鍵を開けてゆっくりとドアを開けた。
「どしたどした、こんな時間に。ん?」
「瑠玖っ瑠玖っ!俺っ俺っ」
ドアを殴って居たのは瑠玖の幼馴染の海月だった。
一体どうしたのか、部屋着のまま靴も履かずに裸足で立っていた。
その身体はぶるぶると震えている。
必死に自分の名前を呼び、何かを訴えようとしているがなかなか言葉にならないようで、
一つの単語を繰り返すだけだった。とりあえず落ち着かせようと肩を抱き部屋へと招き入れる。
「中でゆっくり聞ぃたるから。入れ」
海月はされるがまま、おぼつかない足取りで瑠玖の家の中へ上がり込んだ。
どうやら震えているのは全身で、膝も震えていたので椅子ではなくベッドに腰掛させた。
何か暖かいモノでも飲ませてやろうかと思ったが手も震えているようで、とても熱い液体の入ったカップを持たせる気にはなれなかった。
風呂に入るか、と勧めたら風呂には入ったと言う。
熱があるのかと自分の額に片手を、海月の額に片手をやってみるも暖かさはそんなに変わらなかった。
途端、海月の震える手がぎゅっと瑠玖の腕を掴んだ。震える手だからか力はそんなに入っていない。
それでも必死で掴んでいるのが分る。
「海月?」
名前を呼んでやると、海月は掴んだその腕を今度はぎゅうっと胸に抱き込んだ。
何がしたいのか分らなくて瑠玖は目を丸くする。
説明をして貰おうにも今、海月は上手く自分の事を話せないようだし。
さっき繰り返し聞いた単語から推測しようにも、情報が少なすぎてどうしようも無い。
腕を抱かれたまま困り果てていると、海月が震えながら口を開いた。
「神経、神経の・・・」
「え?何?神経?」
なんだ?まさかこの腕から神経を取るとか言うんじゃないだろうな。
いや、そんな馬鹿な話が・・・。
と、瑠玖が心中で思っていると、海月の言葉は続く。
「休め方、教えて・・・」
「休め方?ん?神経の休め方か?」
まとめて繋げて聞き返すと、海月はかすかにひとつ頷いた。
神経の休め方・・・と呟いて、瑠玖は頭を捻った。
そして思い付いたのがストレスだった。あながち間違ってはいない。
ストレスを休める、すなわち発散するには色々と方法がある。
大声を出してみたり、大暴れしてみたり。受けたストレスによったり、その人によったり。それぞれだ。
瑠玖の場合は飲んで食って吸って多いに笑う事。
やっと20歳になったので酒もタバコも誰にも咎められずに呑んで吸う事が出来るようになった。
それでも聖職者か、と言われる事に変わりは無いが。
「なんかどっかの神経休めなあかん事したんか?」
尋ねると海月は顔を上げて瑠玖を見て、唐突に泣き出しそうな顔をした。
海月のそんな表情を見たのは何年か振りで、瑠玖は驚いた。
昔は泣き虫だった海月もいつからか滅多な事では泣かなくなった。
それは自分がそう育てて来たんだと思っていたが。
もしかしたらそれをずっと我慢していて、今日それが突然爆発したとか。そういうあれなのだろうか。
だったら自分は責任を取るべきかもしれないなと思う。
「・・・怖いんだ」
「怖い?」
「何が怖いのか分らないんだけど、とても怖いんだ。凄く凄く怖いんだ」
そう言ってまた抱き締めていた瑠玖の腕に顔を寄せる。
海月のその言葉に瑠玖は何かを理解した。
海月が言うように、何か、は具体的にはわからないけれど海月が背負っているもう一つの事は分っているつもりだ。
多分、今日。
海月に一切の連絡がつかなくなった時。
瑠玖は、あぁ仕事に行ったんだなと思った。海月が加入しているアサシンギルドで彼が仕事をしているのは知っている。
内容までは詳しく知らないが、とても大変な事だと思っている。
今までに何度も何度も呼び出されては仕事に行っていた海月だ。
その積み重ねからこんな風に目に見えない大きな恐怖が生まれてもおかしくはないと瑠玖は思ったのだ。
そっと、自分の腕を抱き締める海月の手に手を重ねた。
はっと海月が顔を上げる。
力が緩んだ。その隙を見て瑠玖は抱かれていた腕を引き抜いた。
「あっ」
縋っていたモノを無くし再びガタガタと震えだす海月の身体。
その頭をくしゃりと撫でて、瑠玖は部屋の奥へ。
一枚のタオルを取って戻るとそれをぎゅっと海月の顔に押し付けて
そのまま両手で優しく海月の頭を抱いた。
「瑠玖?」
くぐもった声が不安そうに名前を呼ぶ。
瑠玖は寝起きのままでパンツいっちょだ。
そのまま抱き締めてやってもよかったが、これからさせる事を考えるとちょっと都合が悪かった。
海月の頭を優しく撫でながら頭の上で言ってやる。
「泣け、海月。思いっきり泣いてええぞ」
「え?」
「今のお前は身体中で泣きたい言うてんねん。せやから、許可する。さあ、泣け」
泣け、と言われて海月は困惑した。
いきなり泣けと言われてもそう泣けるものではない。
今自分はとても怖いのであって、泣きたい訳ではなかった。
抱き締めて貰って安心はした。身体の震えは止まった。
だけど・・・。
そう思いながら頭を撫でられていると、つんと鼻の奥が痛くなって来た。
喉の奥が震えて声が出そうになる。
「ふっうわあああああああああああっ」
気が付くと声を上げて泣いていた。
どんどん涙が溢れてきて止まらなかった。
嗚咽もしゃくりあげも止まらなかった。酷くなる一方だった。
近所迷惑になるんじゃないかと考えた。でも止まらなかった。止められなかった。
ずっとずっと瑠玖は頭を撫でて居てくれた。優しく優しく。
そんな瑠玖が居なくならないように、ずっと自分の傍に居てくれるように。
そう思いながら素肌の瑠玖の背中に手を回した。
素肌に触れるのは初めてだった。とても暖かかった。
離したくないと思った。やっぱりずっと傍に居たいと思った。
強く、そう思った。
ふわふわのタオルは瑠玖の胸板と海月の顔の間で挟まれながら一生懸命に海月の涙と鼻水を吸い取っていた。
#8→