1000回のハグ
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「おはようございますらこさん」
「おはよう呂揮くん」
「今日はらこさんが朝食当番でしたね、俺も手伝います」
「ありがとう、じゃあお願いしようかな。そこの木箱に史乃くんが今朝仕入れてくれた野菜入ってるからサラダ作りよろしく」
「はい。あ、鈴さんの所から卵沢山貰えたんですね」
冷蔵庫の下にある木箱の中からレタスを取り出しながら隣の籠にある卵がたくさん入ったバスケットに目を留めた。
「うん、だから今日は卵たっぷりのオムレツ。お手伝いしてくれたお礼に入れる具の決定権を呂揮くんにあげよう、何がいい?」
「じゃあ…ツナとコーンで!」
色即是空に呂揮が加入してから約2ヶ月。
過去にいたギルドとはまったく違う事に最初は戸惑ったものの今ではすっかり慣れ、
ギルドホームの何処になにがあるのか、台所にこっそりと隠しておいてある莉良のお菓子箱のある
場所まで把握するほどになっていた。
桜子の焼くオムレツの香りが立ち込めると、その匂いに誘われるかのように私室になっている奥の方がなにやら騒がしくなってくる。
「おはよー!おっ呂揮今日も早いな」
最初に起きてきた彩が冷蔵庫から出したミルクを飲みながらオムレツの乗った皿にサラダを盛り付けている呂揮に声をかけた。
「おはようございます彩マス。ご飯食べたらすぐ狩りに行こうと思って」
「そっか、相変わらず頑張ってるな」
「はい、もう少しで転職いけそうなんで一気に上げちゃおうと思って」
「えー!!呂揮転職しちゃうのっ!?」
廊下からどたどたと足音が聞こえてきたと思うと次に顔を出したのは莉良。
紅い上着に黒のパンツ姿。シーフからローグへと転職して随分経つがまだローグ服が
着慣れないらしく、後ろの裾が気になるのか手に持っている。
「えーって。なんだよ莉良」
冷蔵庫に常備してある手作りドレッシングを取り出しながら言った
呂揮の隣に立つと背比べでもするように手のひらを頭上で振った。
「せっかく今背ぇ同じくらいなのにきっと転職したらローグの時と同じに戻るんでしょ?つまんない!」
出会った当初は呂揮が軽く見下ろすほどだった身長差は今では莉良とほとんど変わらない。
ひと月ほど前にレベルカンストして転生を果たし、今の呂揮はハイシーフの姿だ。
ヴァルキリーより転生の祝福を受けるとその名の通り生まれ変わる状態となるせいか
今の呂揮はローグの時よりも身長が低く顔もどこかあどけなさを残している。
「ノービスの時なんてあたしよりもちっちゃかったのにー!もうちょっとシーフでいなよぉ」
「やだよ、俺は早くチェイサーになってGVに出たいの。転生といえどもシーフじゃ今の莉良よりも出来ることなんてないんだから」
「よぉし今日もがんばらないと!油断してたらどんどん引き離されちゃう!」
「莉良くんだって毎日レベル上げ頑張ってるし引き離されてるだけじゃないよ。スナッチャー、昨日で目標レベル達成したんだよね」
「うんばっちりだよぉ、今日はばしばし盗んじゃうから!!あ、そうそうらこさん。ここのMAPの事なんだけどさぁ…」
そう言って莉良はオムレツを焼く桜子に寄り添い地図を見せはじめた。
「彩マス、ずっと思ってたんですけど魔女砂集めって定期的に行ってるんですか?」
「うん、週1でな。俺たちが使う回復材関係を同盟先のクリエが一括して作ってるの知ってるだろ?」
「四季奈さん、でしたよね」
トメの毛づくろいをしてやりながら彩の口から出た職業名に、同盟ギルドが所有している
チュンリム砦・明亭に顔を出した時に出会ったクリエイター・四季奈の事を思い出す。
ソウルリンカー・紫罹を通じて与えられる能力と自身のスキルを駆使し、一度の失敗も
無くポーションを作り上げて行く手際と鮮やかさは記憶に新しかった。
「そそ、人数分確保するには魔女砂と白ハーブはあればあるほどいいからな」
「転職したら俺も手伝いますね。俺あまり多く持てないから四季奈さんの白スリム本当に助かってますし」
「あぁ頼むな。呂揮も手伝ってくれるならすげー助かる!」
攻城戦、魔女砂集めの手伝い。
何をするにしてもレベルを上げてとにかくチェイサーに転職しなければ始まらない。
呂揮は改めてシーフできる事の少なさに歯がゆさを感じたものの、転職への意欲をより深めた。
「呂揮、転職近いなら追い上げくらい手伝うぞ?」
朝食を食べ終わると早々に部屋から装備を出して出かける準備を始めた所に声をかけてきた彩に向かって呂揮は首を振った。
「大丈夫です彩マス。あんまり急ぎすぎると狩りの感覚わからなくなりそうなんで自力で頑張ります」
「そっか分かった。頑張れよ!」
「はい。っていうか今のって自力っていうんだろうか……」
「ん?」
「いえなんでもないです!」
後半部分が聞こえなかったのか聞き返した彩に向かって大げさなくらい呂揮は両手を振ってみせた。
「それじゃ気をつけていってこいよ、通りすがりの人に声かけられてもホイホイついてっちゃだめだからな!」
「はい、いってきます!」
出かける際に言われるいつもの彩の言葉で見送られ、桜子の出したワープポータルに
乗り込んだ呂揮が降り立った場所は氷の洞窟前。
このフィールドが現在呂揮の狩場になっていた。
マスキプラーやジオグラファーなどといったその場から動かない植物系のMOBが主な対象である。
「動かないのに慣れすぎないようにしないとな…早く転職して前の狩場に………」
「おはよう呂揮」
弓を取り出しながら呟いていた呂揮に耳に届く声。
無言で声のした方を向くと、小さな岩場に腰を下ろした澪がにっこり笑って呂揮に手を振っていた。
「……おはようございます澪マス」
「今日も時間通りだね。炎の矢筒とハイスピードポーションを持ってきたからまた足りなくなったら言いなさい」
「澪マス、俺の事は本当気にしなくていいですから自分のレベル上げ優先して下さい。俺自力でもなんとかなりますから」
「呂揮の知らない所でちゃんとレベル上げの狩りには行ってるから気にすることは無いよ、
今日は合間の気分転換でここに来てるだけだから。呂揮に矢筒を持ってきたのだってそのついでだし」
「…………」
今日『は』じゃなくて今日『も』でしょう?
呂揮は口に出そうとした言葉を飲み込んだ。
何を言っても状況が変わらないことが呂揮にはもう分かっていたからだ。
転生し、ノービス時代の時はシーフになるまで手伝ってもらったものの、それ以降も
手伝うつもりでいた彩らに呂揮は1人でレベルを上げることを申し出た。
ローグ時代に培った狩りのカンを失わないようにするためと、甘えすぎないようにするために。
意気込んで自分のレベルに合う狩場へと赴いたのだが、その先で呂揮を待っていたのはMOBだけではなかった。
彩の所属する色即是空の同盟ギルド・空即是色のギルドマスターであり、チュンリム『明亭』の砦主である澪。
いずれは防衛に参加するであろうその砦主は呂揮が狩場とする場所に必ず現れた。
ステータスの関係で最低限のものしか持つことが出来ない呂揮に矢筒や回復財を提供し、
そのフィールドにまれに出現する呂揮のレベルでは太刀打ちできないモンスターを倒してくれたりした。
レベルが上がり、狩場を変えても澪はいつも呂揮の前に現れる。
確かに助かっていたのは事実だったがそれがいつまでも続くので「1人でも大丈夫ですから」と何度も言った。
その度今回のように「ついでだよ、ついで」の言葉であしらわれてしまうのだ。
「あの、俺のあとついて回っても効率悪いだけですよ」
呂揮が歩き出すと当然のように後ろをついてきた澪の方を見る。
「俺の事は気にしないで。横殴りなんてしないから安心しなさい?」
「そういうんじゃなくて…!」
「まったり狩るにはこのスタンスがちょうどいいんだよ」
このやりとりもいつも通りだった。
『ファイアーボルト!!』
澪の魔法を食らったドロセラが焼け焦げて散り、マスキプラー数匹になった所で澪が後方に退いていく。
「ほら、この数なら呂揮でも大丈夫でしょう?」
植物系のMOBが群生する場所は大体決まっているのでポイントさえ分かっていれば徒歩移動の方が効率がいい。
ただ攻撃範囲の広いドロセラは射程距離の短いシーフでは相手に出来ず、ヒールを
使用するジオグラファーやマスキプラーが多く群生して殲滅力が間に合わない。
そういった場合は諦めて別の所を探さなければならない所だが、今のように澪が呂揮でも狩れるくらいまで数を減らしてくれる。
それだけではなく、このMAPに出現する呂揮の今のレベルでは到底太刀打ち出来ない
グリフォンも対峙すれば澪がすぐ前に出て倒してくれた。
「澪マス、楽しいですか?俺みたいな低レベルと一緒に狩りして」
「呂揮はこういうの嫌い?」
「嫌ではないですけど…申し訳ないです。なんだか無駄に時間使わせてるみたいで」
「なんだそんな事考えていたの?ちっとも無駄なんかじゃないよ。こうしていると絶景を
いつまでも眺めていられるから時間なんて忘れてしまうくらい」
「絶景ですか…氷の洞窟内とか結構綺麗だとは思いますけど、ここにそんな所ありましたか?」
「あるよ、そこに」
澪が呂揮の方を指差したので思わず後ろを見るが、広がるのは代わり映えしない荒地の景色が広がるばかりだ。
「ないですよ。澪マスどこですか?」
「違う違う。周りの景色じゃなくて呂揮の可愛い可愛いお尻の事だよ」
「なっ!!!」
反射的に両手で自分の臀部を隠した呂揮の顔は真っ赤に染まっている。
「会った時から可愛いお尻だな~って思ってたんだよ。シーフになっても健在で安心安心…ちょっと触ってみてもいい?」
「だだだだだめですっ!何言ってるんですかっ!!」
近づいてきた澪から小走りで距離を置いた呂揮に向かってかっくんと首を斜めに傾ける。
「うーんやっぱりだめか。公認でセクハラできるような仲になれば呂揮のお尻触り放題揉み放題になるのにね」
「セクハラ出来る仲ってどんな仲ですか…」
「例えば、恋人とか」
呂揮の歩みが止まり、それに澪が追いつくとそっと肩に手を置いた。
「あのっ…だから俺のことからかわないで下さい。初めて会った時だって…!」
「初めて会った時?…呂揮が元いたギルドのマスターに呂揮を口説いて
恋人にしちゃうからって耳打ちしたこと?それとも呂揮に一目惚れしたって言った事?」
「どっちもです!あの時から澪マス俺のことからかってばっかりっ…」
「からかってるなんて誰が言ったの?」
肩に置かれていた手が呂揮の顎に絡みゆっくりと自分の方を向かせるようにさせると
恥ずかしそうではあったが呂揮は拒まずに澪の方を見る。
「本気だってどうしたら信じてくれるのかな呂揮は」
「…澪…マスっ……」
そのまま澪が顔を近づけて来ている事が分かると呂揮は思わず目を閉じてしまう。
「教えて呂揮。言ってくれればなんでもしてあげるよ…」
しゅんっ。
「やったはっけーん!!呂揮君狩りがんばってるっていうからポーションの
差し入れにって……………はきょぇぇえええええええッッ!?」
ハエの羽を使っていた四季奈が降り立った場所は、今にもキスでもしそうなくらい
顔を寄せ合っていた澪と呂揮の目の前だった。
「!!」
四季奈の悲鳴で目を開いた呂揮は慌てて澪から離れていく。
「あっあっあのっあのねっごめんなさいっていうかっはきゃぁああああああああ!!!」
「あぁほらほら待ちなさい四季奈、そっちはドロセラ群生地だからね」
澪が走り去ろうとした四季奈のマントをわしっと掴んで止めるが、それでももごもごと動きながらそこから逃げようとしている。
「ごめんなさいごめんなさい邪魔しようとかそんなつもりじゃなかったの!!邪魔者は
いなくなるから続けて続けて!!っていうか私今から空気になるから続けてくれてもいいし!!」
「四季奈さん邪魔者なんかじゃないです!」
掴むマントを振り払おうとする四季奈の手を呂揮が両手で掴むと暴れていた四季奈の動きがぴたっと止まった。
「ほへっ?」
「全然邪魔じゃないです、お願いです側にいて下さい!!」
「は…………………はきゅぅぅうう…」
「!!!四季奈さん!?」
よろりと座り込んだ四季奈を澪が後ろから支えてやると、四季奈は目でも回しているかのようだった。
「呂揮くんが私に側にいて下さいって…下さいって…死ぬなら今ね…今しかないわ…」
「し…四季奈…さん?」
「まぁうん、四季奈はそういう属性の子なんだよ」
「………………………あ、はい」
なんとなく察した呂揮は四季奈の身体を支えるのを澪に任せ、それ以上刺激しないようにすすす…と後ろに下がっていった。
「そういうことなら私にも手伝わせて!」
うわ言を繰り返すへろへろ状態からなんとか意識を取り戻し、呂揮のレベルが
転職追い上げ段階に入ろうとしている事を聞いた四季奈の開口一番だった。
「でも、俺のために時間取らせるのは悪いですし」
「そこをお願い呂揮君!製薬の私がレベル上げの手伝いが出来るなんて本当指で
数えるくらいしかないからお手伝いしてるわって輝けるめったに無い機会なの!!」
「じゃあお願いしていいでしょうか?」
追い上げを手伝おうという彩の厚意を辞退しておきながら澪に事実上手伝いを
してもらってる上、製薬ステータスだという四季奈にそのような事をさせるのは正直気が引けた。
それでも熱心に頼む姿に断る方が逆に悪い気がして呂揮が申し訳なさそうに了承すると、
呂揮に向かって手を合わせて拝むようにお辞儀していた四季奈の顔がぱぁっと明るくなった。
「おっけー張り切っていくよー!そーれっ…」
『コールホムンクルス!!』
四季奈の召還の掛け声と共に姿を現したのは進化を遂げたバニルミストで、
ぶよぶよとした身体を跳ねさせながら四季奈の周りを回っている。
「あれ、バニルミストに名前つけたんだね…おハネちゃん?」
気づいた澪に四季奈はうれしそうにそう!と人差し指を立てて見せる。
「ぴょんぴょん跳ねるからおハネちゃんだって彩マスがつけてくれたの。似合ってるでしょ!」
「なるほど、彩がつけそうな名前だ」
澪は相変わらずのネーミングセンスだと言わんばかりに苦笑しているが四季奈は
気に入っているらしく、ホムンクルスもおハネちゃんと呼ばれて嬉しそうにぶよぶよした身体を上下に跳ねさせている。
「呂揮くーん、おハネちゃんにタゲ取らせたからドロセラ攻撃できるよー!」
「今いきま………!……………」
少し離れた場所から手を振っている四季奈の所に向かおうとした呂揮を見つめる澪の視線に思わず立ち止まる。
澪は気づいているのだろう。四季奈をここに留めさせた理由が澪と2人っきりにならないようにするためのものだと。
微笑みながら見つめてくる澪の表情を直視できずにいると、ぽんと肩を叩いて呂揮を促した。
「ほら行ってきなさい。四季奈が呼んでるよ?」
「…はい」
あの時、確かに澪にキスされそうだった。
驚きと、そしてそれを上回る嬉しさ。
あの腕に抱きしめられながら与えられるキスはどんなに心地よかっただろう。
もしかしたら澪マスは本当に自分のことを――――――。
呂揮はその先の考えを無理やり振り払い、ドロセラに向かって弓を引いた。
「あ、ちょっとストップー。らこちゃんからwisきてる」
ホムンクルスのおハネちゃんが群生地に飛び込んでタゲを持っている間に呂揮が攻撃、
澪が状況に応じたMOB減らしの補助、四季奈が回復役という各々の役割を果たしつつ
順調に狩りを進めてからどれくらい経っただろうか。
四季奈は届いた桜子からのwisに立ち止まる。
「そういえば四季奈、今日は莉良とらこに魔女砂収集手伝ってもらうんじゃなかった?」
会話を終えたのかwisを切り、澪からそう言われるとがっくりしながら頷いた。
「はい、そうでした…もう少しで明亭に来るって言ってたからすぐ戻らなきゃ。ごめんね呂揮くん、
もうちょっとお手伝いできればよかったんだけど」
「気にしないで下さい、ここまで手伝ってもらって十分すぎるくらいです」
「そういってもらえると嬉しいな♪…あ、呂揮君これ使って」
ごそごそとカートを漁り、弓を取り出した。
「じゃーん!盗賊の弓!!」
「あっ」
「ドロセラ射程距離長くてシーフの呂揮くんじゃ攻撃受けちゃうでしょ。
特化じゃないけどこれならドロセラも狩れるだろうしいいかなって思って」
「あのっ…お金払います!幾らですか?」
財布を出そうと荷物袋に手を入れた呂揮に、両手を激しく振って四季奈は拒んだ。
「いいのいいの高くなかったから!次の狩場行けるつなぎくらいにしかならないだろうけど使ってよ」
「…ありがとうございます!転職したら今度俺にも魔女砂集め手伝わせて下さいね。
白スリムの差し入れもありがとうございました、大事に使います」
「ほぇっ?」
「…?…どうかしましたか?」
驚いた顔をしている四季奈に首を傾げると慌てた様子でまた両手を振ってみせる。
「うぅんなんでもないよ、それじゃあね!」
「俺、何か変なこと言ったでしょうか?」
再び澪と2人だけになった後、自分の言葉にやけに驚いた四季奈の様子が気になり澪にそう尋ねていた。
「きっと優しさに慣れてないんだよ」
「え?」
「四季奈は俺のギルドに来る前は別のGVギルドのおかかえ製薬として所属しててね、
そこで経費も出してもらえずにそれでいて過剰な製薬を強いられて続けていたんだ」
同盟ギルド先と言う事もあってそう頻繁に会うことこそなかったが、会えばいつも明るく
にこにこしている四季奈の過去を聞いて呂揮は驚いたような顔で澪を見た。
「まぁ色々縁あって引き抜いてきたんだ。『前のギルドに比べたらここは天国!』って口癖みたいに言ってるよ」
「…それでさっき俺がお礼言って魔女砂集め手伝わせて下さいっていった時すごく驚いた顔してたんですね」
「一生懸命やっても礼の一つさえない、そんなギルドにずっと居たせいなんだろうね。
それが当たり前だって今まで思っててありがとうって感謝されることや無償で手伝われる
ことに慣れてないんだよ。そういう所は呂揮とちょっと似た所があるかな」
「…そうかもしれません。今までそんな風に優しくされたことなんて無かったから」
かつてのギルドに席をおいていた時、彩達に出会い与えられる優しさに戸惑ったあの時の気持ち。
遠からず四季奈も同じ思いだったのだろうかとぼんやり考える。
「まぁ俺の場合は別の理由もあるけどね」
「あの…澪マスっ…」
その言葉で我に返り、いつの間にか距離を詰められていた事に気づき離れた
呂揮を澪はそれ以上追い詰めるような事はしなかった。
「はいはい、今日はもう言わないよ。これ以上言ったら狩りに支障が出そうだものね」
そう言われほっとしたのも本当のつかの間でしかない。
「俺のキスを拒むつもりだったのか、受け入れるつもりだったのかはどうかは
今度確かめようか。その時には……ちゃんと答えてくれるね?」
「……はい…」
低く、そして静かに紡がれる澪の言葉は逆に呂揮の心をかき乱していく。
ただもらったばかりの盗賊の弓を強く抱きしめ頷くしかなかった。
* * *
「史乃」
狩りが終わって澪と別れた後、プロンテラに戻った呂揮は特に露店が密集する
十字路の一角で店を出している史乃を見つけて名前を呼ぶと、すぐに気づいて右手を上げ応えてきた。
「おーマーカーは呂揮だったかー。狩りおつー」
「おつあり。露店の後でいいから代売りお願いしてもいい?収集品たまってきたんだ」
「おっけーおっけー。もーちょっとで店閉めっからそこで待っててくれっかー?」
「うん分かった」
呂揮は商売の邪魔にならないように史乃の後ろに周り、ドーム型のカートによりかかるようにして腰を下ろした。
「史乃、あのさ」
「なんだー?」
史乃の店から装備品を買ったセージが離れていったタイミングを見計らって
声をかけると露店をたたみ残った商品をカートにしまいながら足を抱えている呂揮を見る。
「澪マスって低レベルの手伝いに熱心な人だったりする?」
「どーゆーことだそれ?」
呂揮は今まで澪が狩場にレベル上げの手伝いに来ていた経緯を史乃に説明すると、へーあの人がなーと意外そうな顔をした。
「ギルド狩りで低レベルの莉良とかまじった時は壁になったりとか色々教えて
やったりとかは見たけど狩場まで突撃したってのは聞いたことねーな」
「…………」
「あれー、もしかして意識しちまったかーってか。何かそーゆー感じの事いわれたりとかしたかー?」
「べっ別にそんなことっ…!」
「おーおー図星か図星かー」
にんまり笑った史乃から視線をそらした呂揮は明らかに動揺の色を見せている。
「…からかわれただけだよ。『恋人になれたらセクハラし放題』とかってさ」
「…………なー、それマジで言ってたのか?」
「俺だって最初は信じられなかったよ、でも本当に言われたんだってば!俺の尻が絶景とかもう冗談で言ってるとしか…!」
「そーゆー意味じゃなくて、案外マジかもしんねーぞ、それ」
「えっセクハラがっ!?」
「いやいや待て待てセクハラとか尻とかそーいうんじゃなくてなー?澪マスは
恋愛に関する言動はたとえ冗談でもまず言わねーって彩マスから聞いた事あんだよ」
「え?」
「万が一誤解させて相手を傷つけたくねーから、本当に恋人にしたい相手にしかそういう事は絶対言わねーんだってよー」
「そんなの嘘だ」
「嘘じゃねーって彩マス嘘つかねーし。それにあの人からその手の話って聞いたことねーんだよな確かに」
「だからって恋人になったら尻触り放題とか!あんなの冗談に決まってるよ」
「…の・割には随分うれしそーな顔じゃねーか。よかったなー呂揮、こりゃー脈アリじゃねー?」
「そんなの憶測だろ!」
顔どころか耳まで真っ赤にした呂揮の頭を史乃はにこにこしながらぽんぽん叩く。
「まーまーそうムキになんなって。レンアイしちゃってんなーういういしーこと♪」
「うるさいなっ!そういう史乃こそどうなのさ、彩マスと!」
「……………………………………………………」
「………史乃?」
「『年下って嫌いかー?』って聞いたら『そんなことないぞ大好きだ!』
だってよー…絶対言った意味分かってねーぞあの人、まじ前途多難だぜー…?」
「ごめん、ごめんってば史乃。元気出しなって」
がっくりとうなだれた所を見るとその後の進展もまるでないのだろう。
謝りながら今度は呂揮が史乃の頭をぽんぽん叩いて呂揮は慰めた。
* * *
「あ」
「あ」
翌日。いつもの通りに澪と共に氷の洞窟前で狩っていた時に呂揮の
冒険者ライセンスから出たメッセージに、2人同時にそんな声を発していた。
「ハイシーフJOBレベルカンスト。お疲れ様呂揮、よく頑張ったね」
「ありがとうございます」
昨日史乃からあんな話を聞いてから澪マスに対して意識をしていないと言えば嘘になる。
それでも肩に優しく触れ呂揮を労ってくれる澪の言葉は素直に嬉しく、照れくさそうにしながらも微笑んだ。
『呂揮です、たった今JOBレベルカンストしました!』
ギルドチャットにもその旨を報告すると各々狩り等に勤しみ静かだったのが、おつかれー、
頑張ったな、早すぎー!等の言葉で一気に賑やかになる。
『呂揮、もちろんすぐ転職するんだろ?』
『はい彩マス、これから戻ってセージキャッスルに行きます』
『あ、悪い呂揮。今臨時の清算やってるからちょっとだけ待っててくれるか?呂揮の転職見に行きたい!』
『わかりました、先に行って待ってますね』
『おう分かった、呂揮の転職見届けたいヤツはセージキャッスルに集合な!』
「彩、転職見に行くって言ってなかった?」
「はい、清算やってるから少し待ってくれって」
「彩は転生はもちろん転職とかでもとにかく節目節目に顔出したがるからね…俺も行ったら迷惑?」
「そんなことないですっ!あの…良かったら…ですけど」
即答した後思い出したように照れくさそうにしている呂揮の頭を撫でながら澪は薄く微笑んだ。
「光栄だね。じゃあお言葉に甘えて見に行こうかな」
* * *
呂揮がジュノーにあるセージキャッスルの中へ入ろうとした時、フェイヨンセーブだからと
狩場で一度別れた澪と入り口で鉢合わせする。
「澪マス、俺ここでちょっと待ってますね。彩マスとあとらこさん達も来てくれるみたいです」
「あぁそれなんだけど呂揮、彩からの伝言だ。待たなくていいから転職を済ませておいでだって」
「え?でもギルドチャットでは清算後に皆でこっちに来るって言ってましたよ?」
「その清算が長引いているそうだよ」
「…そうですか」
がっかりした様子の呂揮の肩を澪が抱く。
「転職を待ちわびてた呂揮を待たせたくなかったんだよ。チェイサーになったら一番に見せてあげなさい」
残念そうながらも澪にそう言われ、呂揮は促されるままヴァルキリー神殿へと足を向けた。
『本当の自分を取り戻すときが来たね。あんたの出番だよ、新しい世界を見つけ出すんだ!チェイサーになるかい?』
待ち焦がれた瞬間を前に呂揮は力強く頷いた。
――――――――。
『おめでと~!地上へ戻ったらあんたの力で新しい世界を見つけ出してくれよな』
ヴァルキリー神殿のチェイサーに祝福され呂揮は改めて転職を遂げた、目標だった、
夢だったチェイサーになった自分の姿を見る。
「チェイサーだ…俺本当にチェイサーになれたんだ…」
「転職おめでとう呂揮」
「ありがとうございます」
「やっぱりシーフの時よりも大人っぽくなったね。ローグの時に比べたらまだちょっと幼い感じはするけど」
「多分ベースレベルのせいでしょうね。ローグの時に近づけば多分元に戻るんじゃないでしょうか」
「そうだね。GVの活躍期待してるよ」
「はい!がんばります!」
「そしてありがとう――――俺の言った事に騙されてくれて」
「…どういうことですか?」
その疑問に澪が答える前にギルドチャットの彩の声が届いた。
『よーし清算終了、今から行くなー!呂揮は今セージキャッスルの中か?』
『もうチェイサーに転職しちゃいました…』
『なにいいいいぃぃぃぃいッ!?』
『あの、澪マスが』
澪の名前を聞いた彩がとたんに黙り込む。その代わりに側にいた澪が片手で耳を塞ぎながら首を傾けた。
「今彩からものすごい大声でwisが来てるよ。なんで呂揮にそんなこと言ったんだって」
「そんなことっていうのは…彩マスが先に転職していいっていうのは嘘だっていう事ですか?」
「うん。そう言わないと呂揮は来るまで待っていたでしょう?」
「どうしてそんなこと…」
「呂揮の事を少しでも多く独り占めしたかったから」
それを聞いた呂揮の鼓動がどくんとはねる。
「転生の時は皆で呂揮を見届けたけど、転職の時は俺だけってずっと思ってたから」
「…どうして…ですか?」
繰り返す呂揮に澪は顔を近づける。
「呂揮が好きだからだよ」
「!!」
「一目惚れって言ったでしょう。初めて会った時から呂揮の事がずっと好きだったんだよ」
「また俺を…からかってるんですね」
「どうしてそう思うの?」
「だって澪マスが俺のことなんてどうしてっ…」
「呂揮は俺が嫌い?」
ぶるぶると首を振って否定する呂揮の淡い紫色の髪の毛に頬ずりして澪が耳元で囁く。
「じゃあ…キスさせて」
いい?と聞かれ訳も分からず呂揮は頷いていた。
唇が近づき最初に触れたのは額。それから目蓋、そして頬。
「好きだよ、呂揮が好き。」
「…ぁ…んっ…」
囁かれる言葉に薄く開かせ声を漏らす唇に近づく澪の唇を、呂揮は自然と目を閉じ受け止めた。
「呂揮、大好きだよ」
「ん…んっ……」
優しく施されるキスも、慈しむように包み込んでくる腕も、触れた唇越しに紡ぐ言葉も全てが心地いい。
繰り返されるキスを享受しているうちに、自分は自惚れているかもしれないとか、
勘違いしているとか。そんなことを考えているのがなんだか馬鹿らしくなってくる。
こんなキスをしてもらえるならたとえ騙されていてもいいとさえ思う、そんな自分も馬鹿だなと自嘲しながら。
「俺も好き…です」
長い長いキスの後、すっぽりと抱きしめられた腕の中で呂揮は秘めた想いを打ち明けていた。
「俺も初めて貴方を見た時からずっとずっと貴方のことが好きでした」
しっかりと胸に呂揮を抱きしめていた澪が腕を少しだけ緩めて呂揮と視線を合わせる。
恥ずかしそうにしながらも澪の瞳を見つめながらすき。言うと言葉の変わりにまた頬に、瞼に、額にとキスを施される。
「じゃあ、俺の恋人になってくれるね?」
こくんと頷くがやはり恥ずかしいのか俯こうとする呂揮を許さず澪は頬を両手に添えて顔を上げさせる。
「ちゃんと俺の目を見て、言葉で言って。俺の恋人になるって」
促すように唇を啄ばまれ、間近で澪の顔を見つめながら呂揮が口を開く。
「あ…貴方の恋人になります」
「いい子」
頬にキスを落とされ澪の唇が再び呂揮の唇へと近づいた。
「澪っ!おまえええええええええええええええええ!!!!!!」
「あッ!………ん…ぅッ…」
聞こえた彩の声に呂揮は澪から離れようとするが、それよりも早く澪は呂揮の身体を抱きしめ唇を重ねる。
「おぉぉぉぉぉおおおお前らヴァルキリー神殿でなにやってんだぁぁぁぁぁぁッッ!!
転生目的の人が通りすがるだろぉぉおおおぉぉお!!!!」
「…んっ……ぁ…………彩マス…あのっ!」
漸く唇が離れ、呂揮が弁解をしようとしたところに澪がすかさず会話に割り込んできた。
彩の所に行こうとした呂揮をしっかりと腕に抱いたままで。
「あぁ彩、改めて紹介するよ。たった今俺の恋人になった呂揮」
「……………恋人?」
大声を出していた彩が黙り込み、ぽかんとした顔で2人の顔を交互に見る。
「そう、俺の片想いが実ったんだ。そう思うと場所なんて考えていられなくてつい…ね?」
「おい呂揮、本当なのか?」
「………はい」
呂揮の返事を聞き、状況が大分浸透してきたのか彩はやがてずかずかと近づいてくる。
ちょうど澪と呂揮の目の前で止まると、ぎゅっと2人ごと抱きしめた。
「すっげー嬉しい」
心の底からそう言ってくれる彩の言葉にまた嬉しくなり、与えられる優しい抱擁を
澪に抱きしめられたまま呂揮は幸せそうに享受した。
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