1000回のハグ
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「…っ…今日は狩りに行くから駄目って…」
身体に巻きつくチェイサーの男の腕を片手で掴みながら呂揮は脱がされかけたローグのジャケットを羽織り直す。
「ちょっ…だから駄目ってば!」
駄目と言っている呂揮の言葉をまるで無視してベッドに押し倒し臀部をぐにぐにと
揉んでくるチェイサーの手をやや強引に振り払う。
「フルスト要員…早く欲しいんでしょ?マスター」
それを聞くとマスターと呼ばれたチェイサーの男は舌打ちしつつも呂揮へと
伸ばしかけた手を引っ込めたので、内心それにほっとしながらも弓を取る。
「夕方には帰って来い」
ドアノブに手をかけた瞬間そんな事を言われ、子供じゃないんだからとため息をつきつつも振り返る。
「そんなに早くは無理だよ。今日はレベル上がるまで籠もるつもりだから」
「俺は命令してんだよ。じゃねえと…」
「分かった夕方には帰るからっ!」
ベッドから這いでようときたチェイサーから逃げるように短く返事をして部屋を出た。
あのままい続けたら狩りどころか外出の機会さえ失いかねない。
「あっれぇ呂揮おでかけ?」
やっとマスターの所から逃れたとホっとしたのもつかの間、今度はギルドメンバー2人が呂揮の目の前を塞ぐ。
「狩り」
いい加減うんざりしながらもそう一言だけ答えて横を通り過ぎようとするがさらに回り込まれて行く手を遮られてしまう。
「マスターの上乗って腰振る事ばっか覚えさせられたオメーに狩りなんて出来んのかぁ?」
「なんなら手伝ってやろっか、報酬カラダで♪」
「………………あっ!」
尻だの胸だのに手を伸ばしてくる形ばかりのギルドメンバーの手を叩いて先に
進もうとするとその態度が気に入らなかったのかその中の1人に壁へ押さえつけられた。
「おいおいスルーはねえだろ、せっかくお手伝いしてやろうってのによぉ」
にやにやと笑いながら足の間に手を伸ばしてくる前に呂揮はあらかじめ用意していた蝶の羽を握りつぶした。
「―――――」
薄暗かった視界が明るくなり、呂揮はその心地よいまぶしさに一度目を閉じる。
辿り着いたアルベルタの町の潮風を感じ、やっと許されたつかの間の自由に大きく深呼吸した。
* * *
『ボウリングバッシュ!!』
増えてきたMOBをクローンスキルで一気に倒し、残ったペストに矢を放つと荷物袋からバーサクポーションを取り出す。
少し休みたかったが次から次へとモンスターが湧くこの狩場では休む事などほぼ不可能に近い。
それでも一旦町に戻るという選択肢は呂揮の中には無かった。
別にここに来るための船代が惜しい訳ではない。
マスターとパーティを組まされ自分の場所を常に把握されてしまっているこの状態では、
狩場から離れた時点で言い訳無用に戻れと言われてしまう事は分かっていた。
長時間狩り続けるのは正直辛くはあるが、ギルドにいるよりはずっといい。
「まだスキル上書きされてないしもうひと頑張り…」
「うっひゃあぁぁぁあああああああああああッッ!!!」
静かで辛気臭いフィールドにおよそ似つかわしくない甲高い悲鳴に呂揮が
きょろきょろと周囲を見渡すと、こちらへものすごい勢いで走ってくるシーフの少女が見えた。
シーフは呂揮の姿を見つけるとそのままひゅっと呂揮の背中に隠れてしまう。
嫌な予感を隠せず呂揮がそのシーフの逃げたあとを目で追えば、案の定ドラゴンテイルやら
ペストやら、その上ノンアクティブの筈のスプリングラビットまでもが集団で向かってきている所だった。
「あれ溜め込んだのお前?」
「ごめん、ハエ切らしちゃって走って逃げてたらいつの間にかすんごい増えちゃってさぁ…」
自覚はしてるのか背中ごしから答えるシーフの声は心なしか申し訳なさそうだ。
「こっち来いっ!」
会話をしている間もどんどんMOBはこちらに近づいてきている。呂揮はひとまず広い場所へとシーフの手を引き走っていくが、逃げた先で迎え撃つのは数匹のドラゴンテイル。
自分はなんとか振り切ることが出来そうなものの、見たところ低レベルであろうこのシーフは一撃に耐えれるかどうかという所だ。
「バックステップ…使えるか?」
「取り立てほやほやで一度も使ってないけど!」
答えを聞くと呂揮は即座に少し離れた場所にある大きめの木を指差す。
「取り立てでもなんでもいい、それ使って前にいるモンスター振り切ってあそこの木に登れ!」
「うん、分かった!」
『バックステップ!!』
怖いもの知らず故の度胸なのかもともと資質があったのか。1次職でありながら身のこなしは軽く、
呂揮の指示通りにバックステップで一気にモンスターを振り切ってしまうとそのまま軽々と木に登ってしまう。
「うひゃっ!」
スプリングラビットやペストを振り切って安心したのもつかの間、数匹のドラゴンフライが追いかけてきた。
流石に覚悟を決めたのかシーフは両腕で顔を隠して固く目を閉じるがその瞬間、呂揮が丁度その間を塞いだ。
『ボウリングバッシュ!!』
「…あ」
シーフが恐る恐る目を開けると羽をもがれぼとぼととドラゴンテイルが地面に落ち、ひとまず難を逃れたと呂揮が大きくため息をついた所だった。
「助けてくれてありがとう!」
礼を言うシーフに向かって呂揮は蝶の羽根を差し出す。
「これやるから早く町に戻れよ。ここを狩場にしたかったらせめて2次職になってからな」
差し出された蝶の羽をシーフは受け取らずに首を横に振った。
「ここにはあたしのギルドのマスターとサブマスターに付き合ってもらってクエストついでに狩場見学してたんだぁ」
「保護者つきか…そのマスターとサブマスターってまだここにいる?」
「うん、あたしの居る場所分かったからここまで来てくれるって」
「分かった。じゃあ来るまでそこの木背中にしてじっとしてろよ」
そう言って呂揮は弓を構えたのでシーフはその顔を覗き込みながら小首をかしげて見せる。
「もしかして…一緒にいてくれるの?」
「今俺いなくなって、またさっきみたいにドラゴンテイルとか飛んできたらお前自力で倒せるか?」
「うぅん絶対無理!!」
いっそ爽快に返事するのにため息をつきつつも呂揮が言って木を這いこちらに登って来ようとしたペストを仕留める。
「だろ?だからそのマスターとサブマスターが来るまでここにいるよ」
「やったぁ!ありがとぉ!」
にっこりと笑ってそう言われるも、なんだか礼を言われる事に慣れてなくて、
呂揮はそれ以上何も言わずに周囲に警戒するフリをしてにこにこしているシーフから視線を逸らした。
シーフの言う保護者らしき人間がこの場所にやってきたのはそれから数分も経たないうちだった。
「莉良ー!!!おい莉良どこだー!!返事しろー!!」
おそらくこのシーフであろう名前を呼びながら襲いかかってくるMOBを実に鮮やかに
手にした弓で撃ち落していくスナイパーと、かなりの勢いで進んでいるにも関わらずその後を
着かず離れず隙なく支援をして続くハイプリースト。
「はいはーい!!彩マス!らこさんここだよここー!!」
その姿を見つけたシーフがぱぁっと明るい顔になって2人に向かって大きく手をふると、すぐに気づいて駆けて来た。
途中で絡んできたペストやドラゴンテイルを何かのついでのようにひょいひょいと倒しながら。
「彩マスーっ!!」
2人が呂揮とシーフのいる木の下まで来た所でシーフがそのスナイパーに向かって
飛び降りていき、スナイパーが両腕でしっかりと受け止めた。
「っとぉっ!莉良大丈夫か?ハエ切れたって聞いた時は通りすがりのモンスターに袋叩きにされてるんじゃないかってヒヤヒヤしてたんだぞ!」
「心配かけてごめんなさい。あたしは大丈夫だよ!」
ぐしぐしと頭を撫でられ笑いながらシーフが答えると隣にいたハイプリーストが身を屈めてシーフに優しく問いかける。
「無事で良かった。怪我とかはしてない?」
「全然!そこにいるローグの人があたしのこと助けてくれて彩マス達が来るまで一緒にいてくれたんだぁ」
「ローグの人?」
そこでハイプリーストが木の上から降りてきた呂揮を見る。どう接したらいいのか分からなくてとりあえずごくごく小さくだが会釈した。
「そっか、俺のところのメンバー助けてくれてありがとな!」
「ありがとう」
シーフに『彩マス』と言われていたスナイパーがマスターでハイプリーストがサブマスターと言った所だろうか。
その2人に立て続けにまた礼を言われまた複雑な気持ちになる。
「いえ…じゃあ俺これで」
「ちょっと待って」
木から下りた呂揮がその場から離れようとするとハイプリーストが声をかけてきた。
「君ってこの狩場がメインなのかな」
「はい、そうですけど」
「そっか、実はこの娘もローグ志望なんだ。よかったら狩りしながらでもいいから職業の事いろいろ教えてあげてくれないかな」
ハイプリーストがそう言ってシーフの肩に両手を添えて言って来たので思わず呂揮は自分で自分を指差してしまった。
「俺がですか?」
「うん。教えてくれる人が今日ちょっと手が離せなくて私達がこの娘の面倒見てたんだけど、
職業関係の話はやっぱり本業の人から話聞くのが一番いいと思って」
キラキラと期待した眼差しで見ているシーフの表情はもう呂揮から何を聞こう何を教えてもらおうという期待に満ち溢れている。
「レベルや目指すタイプで色々違うかもしれないから知ってる範囲だけでいいんだ。非公平支援する代わりお願いできないかな」
自分自身も又成長途中故その期待に沿えるような知識はないんだけどなと密かに
呟いたのはあくまで心の中だった筈なのに、ハイプリーストの物言いはまるでそれを聞いているかのようだ。
「お、そうしてもらえるならすげー助かる!狩りの効率に支障出ないように俺も協力するから」
スナイパーにまでそう言われ、シーフの目は相変わらず期待に輝いているやらでもう断る雰囲気ではなくなってきていた。
正直困惑はしているが、かと言って嫌といえばそうでもない。
「分かりました、俺でよかったら」
「きゃっほーやったぁ!!!」
呂揮の返答を聞くと即座にシーフがその場で飛び跳ねる。
「ありがとうお願いね。私桜子、らこって呼んで」
「俺は彩、んでこっちのシーフが莉良な」
ハイプリーストに次いでスナイパーも名乗り、ぐしぐしっとシーフの頭を撫でて紹介してやる。
「俺は呂揮です」
「んじゃよろしくな呂揮!」
そう言ってスナイパー――――彩にぽん、と背中を軽く叩かれた。
触れられた背中から伝わってくる温かさは、ギルドメンバーに触れられた時のような
嫌悪感は全く感じられず、むしろ心地よいくらいだった。
「で、これが…」
『スティールコイン!!』
「わーっわーっすごいすごいゼニー盗んでる!!取りたいそれ取りたい!!」
ペストからゼニーを盗んだ呂揮に彩の影に隠れている莉良がぴょんぴょんと楽しそうに飛び跳ねている。
「莉良短剣型希望なんだろ?それならクローンの前提だけにしとけよ。
手持ちが全然無くて倉庫代稼ぐためくらいの気持ちでいた方が後々夢砕かれなくていいぞ」
「うそ!倉庫代稼げるの!?うっひゃぁ最高!!はーやっくとーりたーいなー♪」
「呂揮くん、あそこにあるモンハウ支援ありで潰せそう?」
「さっきの同じくらいの量で殲滅できたんでいけると思いますらこさん」
「よーしじゃあ左手から来てるのは俺がおさえとくな!」
「お願い彩。莉良くんは私から離れないでね」
「了解らこさーん!」
その後1次職・2次職・上位2次職という不思議な組み合わせのPTがタートルアイランドを練り歩く。
呂揮はどんなタイプに関わらずに必要なステータスやスキルの事、弓型の自分でも分かる範囲で莉良に教える傍ら湧いてくるモンスターを倒す。
マスターのPTから抜ける事が出来なかったために3人とは別PTになったものの、
桜子からの支援が切れる事は勿論体力が半分以下になることもない。
普段ならとっくに逃げているであろう量のモンスターが湧いた時も彩が罠で足止めしたり、
殲滅可能なラインまで数を減らしてくれたりしたお陰で盗作を上書きされることなく楽に切り抜けられた。
「お、そろそろ戻って夕飯準備しなきゃだな」
彩がそう言った時、持ってきた最後のバーサクポーションが丁度切れる所でもうそんな時間が経っていたのだと呂揮は正直驚いた。
会話を交えての狩りにも関わらず効率は1人の時よりもずっと稼ぐことが出来、
目標だったベースレベルを予定よりもずっと早くあげる事が出来た。
そして何よりも誰かと一緒に狩りをするのが楽しかった。
「じゃあ俺もそろそろ戻ります。支援と罠補助ありがとうございました」
「あー待った待った」
礼を言い蝶の羽を取り出した呂揮を彩が止める。
「良かったらウチのギルドホームで飯食べてかないか?莉良に色々教えてもらったしそのお礼に」
「でもあの…」
「あ、もしかして呂揮のギルドって飯時間とか決まったりとかしてるのか?」
首輪についたエンブレムを指で触れながら口ごもる呂揮を彩が覗き込むと、
絶妙のタイミングでPTチャットから聞こえてくるマスターの声。
『呂揮、もうそろそろいいんじゃねえの?いい加減戻って来い』
今すぐ帰らなければ機嫌を損ねさせてしまうだろう、でも―――。
「いえ、大丈夫です」
呂揮はとっさに嘘をつくとマスターのPTから抜け、そのままライセンスのすべての機能を切ってしまう。
もう少し、もう少しだけと心の中で呟いて彩達のあとをついていった。
* * *
「たっだいまー!!」
「おーお帰りー。って、お客さんかー?」
プロンテラの一角にある一軒家の扉を莉良が開け、そこから姿を見せたホワイトスミスが呂揮に気づいて身を乗り出す。
「うん、亀島で知り合ったんだ。呂揮、こいつうちのメンバーで史乃」
「呂揮です、お邪魔させて頂きます」
彩がそう言って紹介してきたので呂揮もまた名乗り頭を下げるや否や苦笑してホワイトスミスの史乃は片手をひらひら振った。
「あーあー固っくるしい敬語とかなしにしよーぜ俺そういうの駄目なんだわー。で、どーよ莉良、初亀島は」
「暗い!雰囲気超気持ち悪い!全然アイランドじゃない!」
「まー確かに名前から想像したらがっかりだろーな、お疲れさんっつーことでモスコのパンケーキ食うか?」
「きゃほー食べるーッ!」
「2人も一次職のお守りおつかれさーん、それと夕飯の下ごしらえやっといたぞー彩マス」
「おぉありがと史乃助かった、んじゃ早速作るか!」
それぞれ別の目的で台所に向かっていく莉良と彩を見送りつつ呂揮は半ばぽかんとして見ていた。
こんな風にメンバーを労う言葉をかけたり何気ない会話を交わしたりする事など、
自分がいるギルドではまず考えられない光景だからだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
かけたソファで桜子から紅茶の入ったカップを受け取り素直に飲む。
「そういえば呂揮くんもしかして対人やってるのかな」
元々紅茶は好きだったがこの紅茶は香りが良くて呂揮の好みの味だったせいか
すぐに空になったカップにおかわりを注ぎながら尋ねてきた内容に驚きながらも呂揮は頷いた。
「はい、やってますよ。今は触り程度ですけど転生したら本格的に始める予定でいます」
具体的なステータスの事は話していなかった筈なのに狩りする所を見ただけで分かったのだろうか。
いや、だからこそPTを組んでいない呂揮相手に完璧な支援をこなせるのだろうと今更ながらに桜子の洞察力に納得していた。
「そっか、じゃあ話が合うかもね」
桜子がそう言い終えたタイミングで玄関のドアが開き、琥珀色の髪の毛を短く切り上げたチェイサーが顔を出した。
「タダイマ」
「おぅっお帰りー。魔女砂収集どうだった?」
鍋の中身をかき回しながらの彩の問いに台所のテーブルにあったキャビアパンケーキを口に咥えたチェイサーが首を縦に小さく振ってみせる。
「失敗分の予備含めての材料全確保シた・次の攻城戦は十二分に足りるだろ」
「そかそか、お疲れ!」
「…で・今度は誰拾ってきたんだ彩マス」
パンケーキを食べ終えたチェイサーはそう言ってソファに腰掛けている呂揮を見る。
「拾ってきたとは失敬な!呂揮っていうんだ。莉良に色々ローグの事色々教えてもらったからその礼に飯食ってってもらおうと思って」
「へぇ」
そのままチェイサーが呂揮の目の前に来てしゃがみこむ。
「うちのオバサマが大変お世話になったようで?」
「??…おばさま?」
「どわぁあああああぁああああああああッッ!!!」
呂揮が聞き返すと莉良がものすごい勢いでチェイサーの首に巻きついた。
「駄目だってばコトそれ禁句禁句言っちゃダメー!!!!」
ぱっと見でも分かるくらいがっちりと首を絞められているようだが当のチェイサーは苦しそうな表情一つ見せずに莉良に向かって鼻で笑う。
「勝手に冒険者になっただけでなく半ば強引にこのギルドに加入した上呼び名直す気ねぇ奴に禁句も何もねえだろ」
「彩マスはここにいていいって言ってくれたもん!それに理だからコトって昔から呼んで
たんだから別にコトでいいじゃん!コトもリィも大してかわんないよ!」
「理…?…貴方が理さんなんですか?」
「ん?あぁ」
莉良を首から軽々引き剥がしながらチェイサーがそう答えると尋ねた呂揮は嬉しそうに瞳を輝かせる。
「本物だ…俺ずっと貴方に会いたいって思ってました!」
明亭の理。チュンリムを拠点にするギルドの専属傭兵でその機動力と対人戦のセンスは同職はもちろん他ギルドにまで噂になる程で、呂揮の中で憧れの存在だったと言っても過言ではない。
「あの…良かったら攻城戦の話とか聞かせてもらえませんか?俺弓形で短剣重視の貴方とはタイプは違いますけど理さんの立ち回りに憧れてたんです!」
「リィ」
「え?」
「オレの事はリィって呼べ・そうしたら教えてヤるよ」
「はいっリィさん!」
それじゃあお客様のお相手よろしくと言って台所に向かっていった桜子の代わりにソファに
腰掛けた理から、一言一句洩らすまいと攻城戦の話に夢中になって呂揮は耳を傾けた。
「おーい飯出来たぞこっちこーい!」
話を聞くのに夢中で気が着けばかなり時間が経っていたらしい。台所に立っていた彩がごんごんとおたまで鍋を叩いて呼んでいた。
全員が当たり前のようにキッチンにある大きなテーブルを囲み、呂揮もまた促されついた
テーブルの上にはビーフシチューとアマツで見た事がある野菜を使ったサラダ。
「美味い?呂揮」
「はい、すごく美味しいです」
よく煮込まれたビーフシチューはパンと一緒に食べても美味しくて、付け合せのサラダともよく合う。
パンを千切り本心からそう答えた呂揮に彩も心底嬉しそうに笑って見せた。
「作り手の最高の褒め言葉だな!沢山作ったから遠慮しないでおかわりしろよ」
「ねぇねぇ、美味しいって言えばさぁ、ビーフシチューも勿論美味しいけど!
これからシーフのあたしでも狩れるウマーイ狩場ってどこがいいのかなぁ?」
「城2」
「嘘だ嘘だコト絶対嘘ついてるッ!あたし呂揮に聞いてるんだもん!」
「俺はジオグラファー狩ってたけど要求HIT高いし多分短剣型だと当たらないと思うぞ?」
「それならもうちっとがんばってポルセリオとかいけんじゃねー?小型だから短剣との相性もいーだろうし」
「本当?史乃、あたしの持ってる武器でもいけるかな」
「狩れなくもねーけど火ダマあった方がいいかもなー。莉良が出したカード売れたからその金で十分買えんじゃねーか?」
「本当!?やったぁ明日早速露店見に行ってくる!」
「その点だとやっぱり矢の属性が乗る弓形って便利だよね」
「そうは言うけどならこ、無限大属性ひゃっはーが出来るのなんてぶっちゃけ
店売りの火銀くらいだぞ?その他になったら矢の材料から集めなきゃだし」
「狩場で矢が足りなくなって矢作成はじめるの得意だしね彩」
「うっさい!狩場で!街で!通りすがりの人が行きかう中一人孤独に矢作成する俺のつらさが分かってたまるかぁ!………あ、そう言えば呂揮って火銀以外の属性矢調達の時ってどうしてんだ?亀島の時土矢使ってたろ」
「えっと、そういう時は…」
美味しい食事に途切れない会話。
こんな風に誰かと食卓を囲んだのも、まともな食事を摂るのも本当に久しぶりだった。
会話に耳を傾けたり、時折話に混じるとうんうんと相槌を打ってくれるのが嬉しくて仕方ない。
「食後の飲み物淹れるぞー。変更者は直ちに申告!」
食事が済むと彩が今度はお湯の沸いたやかんを手に叫ぶ。
「飲み物に変更はないけど莉良くんが取ってきてくれたオレンジ入れてほしいな」
「はーいあたし今日はココアがいいー!」
洗った食器を莉良に渡しながら桜子、それをふきんもつ手で受け取りながら莉良が左手を上げる。
彩がお茶の準備をしている間も全員のメンバーが居間に留まっていた。
それぞれが思い思いに過していても険悪な空気は何もない柔らかい雰囲気。
「ほいこれ呂揮の、紅茶でよかったんだよな?」
「はい、ありがとうございます…あのっ」
「ん?」
人数分のお茶を淹れ終えた彩が呂揮の隣に腰掛け同じ紅茶を口に含みながらん?と視線を送る。
「いつもこんな感じなんですか?メンバーで食事したりお茶飲んだりとか」
「んー、メンバーの狩りが長引いたり皆で遠出したりすることもあるからいっつもって訳じゃないけど基本的にはそうかもな」
「そうなんですか…」
「ウチのギルドはこんな感じだな。まぁ俺がこういうのが好きっていうのもあるんだろうけど」
「……………」
「だって楽しいだろ?皆でしゃべりながら飯食ったり色々話したりするの。聞いたりすんのも俺嫌いじゃないし」
ぽちゃんと紅茶の中に落ちる雫。
それが頬から伝った自分の涙だったとしばらくしてから呂揮は気づく。
泣いていた、何時の間にか。
「呂揮?」
「あ…」
必死に流れてくる涙を拭おうとするが止まらず泣いている理由も説明出来ない。
せめて貴方のせいではないと言おうとした時、近づいてきた彩にきゅっと抱きしめられていた。
「……えっと、俺…おれっ……」
「うん、どした。呂揮」
温かい腕。問いかける言葉も優しい。
「…っ…」
発しようとした言葉は声にならず、そのまま腕の中で泣き出した呂揮を
彩は何も言わずに抱きしめ、背中をそっと撫で続けた。
* * *
「……………」
カーテンから漏れる朝日を感じ呂揮はうっすらと瞳を開ける。そして今までの事を把握するとがばっと飛び起きた。
部屋の隅に置いてある武器や装備から察するに恐らく彩の部屋である事が覗えたが今ここに彩本人の姿はない。
それでも昨日の醜態を考えると居なかった事に少しだけほっとした。
「もう…戻らないと。マスターきっと怒ってるだろうな」
いつの間にか着替えさせられていた寝着を脱ぎ椅子の上に丁寧にたたまれている自分の服を身につけた呂揮は大きくため息をつく。
これから戻る場所を思うと憂鬱な気持ちは隠せない。ここの居心地が良すぎたせいか尚更だった。
それでもいつまでもいる訳にはいかない、幸いまだ朝早いし気づかれないうちにここを出よう。
「呂揮くん、桜子だけど。開けてもいい?」
「はいっ大丈夫です!」
決意したとたん部屋のドアをノックされ反射的に呂揮は返事をしてしまった事を後悔する。
窓から逃げようと思う前に桜子がタオルを手に部屋の中に入ってきてしまっていた。
「おはよう呂揮くん、よく眠れた?」
「はい、とっても」
事実泣き疲れたからかここの居心地があまりにも良かったせいか久しぶりじゃないかと思うくらいぐっすり眠れていたのは事実だった。
「良かった、はいこれ洗顔用のタオル。洗面所は右に曲がって突き当たりの所だから」
「あのっ…」
「7時には朝ごはんだから夕飯食べた所に来てね」
呂揮が何か言う前に桜子はいなくなってしまい、すっかりタイミングを失ってしまった呂揮はなんとなく促されるまま洗面所があるという場所へと向かっていった。
「おーおはよー」
「おはよう、史乃」
洗面所には既に史乃がいて、昨日敬称や敬語を使われるのが苦手だと言っていた事を
思い出した呂揮が呼び捨てで挨拶をすると、嬉しかったのか歯ブラシを咥えたまま史乃はにかっと笑った。
「昨日は眠れたかー?」
「うん」
「ほーかほーか、そりゃ良かった」
呂揮が彩の腕の中で泣いた事はリビングに留まっていた史乃も、そして桜子も勿論知っていた筈である。
その真意を問われること無く呂揮は胸を撫で下ろしていた。恥ずかしいと言う事もあったが、
それは同時に泣いた意味も話さなければならなくなってしまう。
本当はこのままギルドに戻りたくないとさえ思った。
でもそれを望めばきっとギルドは放ってはおかない。自分だけでなく他の人が傷ついてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。絶対に。
「ねえ、それよりも俺が寝た所って彩さんの部屋だよね。彩さんもしかして他の部屋で寝たの?」
ギルドに戻る決意を改めて固めつつも、それとなく話題を別方向に持って行こうと話を振ると、
口をゆすいだ史乃はいいやー?と首を振った。
「ちゃんと自分の部屋で寝てたぞー呂揮と一緒に」
「俺と?」
「お前覚えてねーだろーけど昨日彩マスにべったりひっついたまんま寝ちまったんだぞー。
無理矢理引き離すの可哀想だっつってそのまま彩マスお前の事だっこして寝ちまったんだと」
「………………」
確かに身体が人肌と自分のではない鼓動を覚えている。
話を逸らす筈が自ら墓穴を掘ってしまったのがいたたまれないやら会って間もない人と
一緒に朝までぐっすり眠っていた事が恥ずかしいやらで、赤く火照った顔を
おさめるように呂揮はばしゃばしゃと水で顔を洗い始めた。
「所でさー」
「何?」
タオルで顔を拭きながら聞き返すが沈黙し、やけに言いにくそうにしている気配を感じて史乃を見上げる。
「呂揮お前さー……………もしかして彩マスに惚れた?」
あぁ、そういうことかと史乃の態度・言葉で呂揮は全てを把握した。
「彩さんの事は好きだよ。でも史乃のライバルにはならないから安心して、あの人に恋愛感情としての好意は一切ないから」
恐らく史乃が一番望んでいたであろう答えを聞いた史乃はほっとした表情をしつつもどこか複雑そうだ。
「ちくしょー…変にカンのいい奴だなーお前」
なんとなく呂揮に本音を知られ気恥ずかしくなったのか口元を拭きながら史乃が
洗面所を離れようとしたが、あ。と思い出したように数歩下がって戻ってくる。
「呂揮、1階の1番奥が今日からお前の部屋になるからなー。家具は大体一式そろってっけど他になんか私物あったら入れとけよー」
「俺の部屋?」
「彩マスがうちのギルドに呂揮入れるって言ってたぞー。聞いてねーか?」
「聞いてない。どういうこと、それ」
「それー」
険しい顔になった呂揮の首輪についているエンブレムを史乃が指差した。
「GVの傭兵専門ギルドだろ?仕事の怠慢・経費の過剰請求・ギルドの内情をバラすって
脅して砦宝箱や神器巻き上げたり、あと数え切れないほどの冒険者同士の暴力沙汰?
本当びっくりするくらい悪い噂しか出てこねーな」
「…………そこまで知ってて」
呂揮の声はやけに自嘲じみていた。
「どうしてその一員の俺を家に入れたりしたんだよ」
「呂揮がそういう奴じゃねーってあの人が判断したからだろー?まー本当にそーだったみてーだし」
「なんでそんな事分かるんだよ、もしかしたらこのギルドを潰すために潜り込んでるかもしれないのに」
「それはありえねーだろ」
「なんでそんな風に言い切れるんだよ!!」
怒鳴った呂揮に史乃はやや目を伏せ、先ほどよりもずっと言いにくそうに低い声で話し始めた。
「彩マスさー、お前が寝ちまった後なんか思うとこがあったみてーで同盟ギルドつてで
お前の所属ギルドの素性調べたんだよ。んで、調べてったらメンバーとか名前ばっかで
事実上ギルドマスターと性的隷属関係にあるメンバーがいるって所まで突き止めた、それがー……」
そこまで来て、もうごまかしきれないと呂揮は俯いた。
「そうだよそれ、俺の事だよ」
「………そこまで聞いたらもうだめっつーか、呂揮をこのギルドに入れるって言い出してよー。
話つけてくるって今日朝イチで呂揮のギルドのたまり場行っちまったぞー」
「なんでそんな事…!」
それを聞いた呂揮は俯いていた顔を上げ、史乃の服を掴んで叫ぶ。
「お前のプライベートにまで足つっこむつもりなかったんだろうけどなー、お前が
今のギルドで受けてる扱い分かって彩マスも黙ってられなかったみてーでな」
「俺の事なんてどうでもいいッ!!なんで1人で行かせたりしたんだよ!そんな事したら………!!」
「1人じゃねーって。今朝同盟先のマスターと2人だってー」
「何暢気な事言ってるんだよそんな場所に行ったらどうなるかなんて分かるだろう!!
2人になったからって勝ち目なんてないに決まってる!!!」
「落ち着けってー。2人だけで行ったのはそういう命令があったってーのと、
あの2人いりゃぶっちゃけ他に戦力なんていらねーしむしろ過剰戦力になっちまうんだよ」
血が滲むのではないかというくらい強く服を握り締める呂揮を宥めようと史乃が
肩を叩くが全てを否定するかのように首を激しく振り続けた。
「あいつらの事をみくびりすぎてる…どんな卑怯な事だって平気でやる奴等なんだ!!殺されるかもしれない!!!」
「それゆーなら呂揮こそ彩マスらの力みくびりすぎてんだろー。誰かを守ろうとした時の
あの人達の強さ―――――まじ半端ねーぞ?」
「……ッ……!!!」
自信たっぷりに言う史乃の言葉も呂揮には何を根拠にしての事なのか全く理解することが出来ない。
それどころかこれ以上は会話の無駄だと掴んでいた史乃の服を勢いよく離し呂揮はホームを飛び出した。
たまり場へと向かって走りながら呂揮の心は様々な感情で入り乱れていた。
マスターに罰を与えられるのが嫌だ。自分のせいで彩が危険に晒されるかもしれないのが怖い。
そして―――――嬉しかった。
呂揮の内情を知った彩が行動を起こし守ろうとしてくれている事が嬉しかった。
頼れる人も信じられる人も居なくて感情が凍ってしまいそうだった今のギルドでは
決して得る事が出来なかった、呂揮が心のどこかで欲していたものが彩のいるギルドにはあった。
それ故に彩の起こした行動が苦しくてつらい。
自分のせいであの人が傷ついたら、苦しんだらと思うと胸が締め付けられるように痛い。
ぎり、と心臓辺りに爪を立てながら呂揮は走り続ける。
お願いどうか傷つかないで、傷つくのは俺だけでいいから。
そう祈るような気持ちでたまり場に向かって行った。
バンッ!!!
プロンテラの東側に位置する宿屋。その部屋のほとんどがギルドのたまり場と
化してしまっているため今は宿屋として機能していないに等しい。
2階の一番奥、マスターの部屋であり自分の部屋という名の『檻』の扉を勢い良く開けると、
彩1人をメンバーが総出で取り囲んでいるのが見えた。
見た所彩は怪我をしている様子も無く、まだ呂揮が想像していた惨事にはなっていなかった事に安堵し思わず彩の元に駆け寄り抱きついた。
「…っと。呂揮?」
抱きとめながらそう問いかける彩にすがる呂揮の体は震えている。
「無事で…良かった…貴方に何かあったら俺どうしようって…!!」
泣きそうな声ですがる呂揮の頭を彩がぽんぽんと優しく叩いた。
「俺の事心配してきてくれたのか、ありがとな。すげーぐっすり寝てるから起こすのが―――」
「よぉ呂揮、勝手にPT抜けた上に何も言わずに朝帰りたぁいい度胸じゃねえか」
彩の言葉を遮る低い声に呂揮は彩の胸に埋めていた顔をおそるおそる上げる。
ベッドの上でマスターであるチェイサーは笑って呂揮を見ていたがそれは口元だけでその瞳は明らかに怒りの色が覗えた。
「前にお前が一度逃げ出した時、俺の言う事聞かなかったらどうなんのかちゃーんと
教えてやったろ?まだ分からねえっつんならもう一度教えてやるけどなぁ。そこのスナイパーと一緒に」
「!!」
それを聞いた呂揮は恐怖にびくりと身体を震わせたのを気づかれたくなくて反射的に彩から離れていた。
忘れもしない、対人を希望していた呂揮が誘われるままにこのギルドに入ったは良かったが
そのやり方に嫌気がさし、脱退の旨を申し出ても受け入れてもらえない事に耐え切れず無断脱退した時のこと。
捕まえられ無理矢理ここに連れてこられ昼夜問わず休む間もなくマスターに
犯され続けたあの苦しみ。それを彩にも与えると言っているのだ。
「…っ…ごめんなさい!でも俺が勝手に行動しただけでこの人は全然関係ないんだ、だから…!」
「呂揮」
守らなきゃ。この人をこいつらから俺が守らなきゃ。
そう思っているのに彩の優しく名前を呼ぶ声に、言葉に思わず涙が出そうになる。
助けて、と泣いて縋りたくなってしまう。
かろうじて泣くのを堪えて彩の方を向くと優しい表情で微笑んでいる彩と目が合った。
「今そっちのマスターに話してたんだけどさ、俺のギルドに来ないか?呂揮」
それを聞いた周辺の空気が殺気じみたものに変わって流石に呂揮も慌てたが当の彩は笑顔のまま崩れない。
「昨日飯食ってる時呂揮攻城戦に参加したいって言ってたろ。一応俺の同盟ギルドが
砦持ちで攻城戦やってるし悪くないと思うぞ。他のギルド見つけるまでの仮加入でも全然構わないし」
「…俺は…このギルドを抜ける気はありません」
「呂揮、本当にそう思ってんならちゃんと俺の目を見て言えよ」
顔を逸らしながら言った呂揮に優しく、そして決して大きくは無いのに力強い声で諭す。
「今本当に呂揮がしたいこと思ってること俺に教えてくれ。大丈夫だから」
な?と言って彩がまた笑う。
「…………」
彩のアクアマリンの澄んだ瞳に視線を合わせながら呂揮は身につけている黒い首輪に無言で手をかける。
『お前はこれからもずっと俺の奴隷でペットだ』と言われて着けさせられていた首輪。
――――――もう、いらない。
『呂揮様がギルドを脱退しました』
首輪についているエンブレムもろともそれを勢い良く引きむしり呂揮は彩を見つめたまま大声で叫んだ。
「貴方の…彩さんのギルドに俺を入れて下さい!!」
「おうっ大歓迎だっ!!」
彩からのギルド加入要請にためらいもなく了承するとエンブレムをべしっと袖口につけられぎゅっと抱きしめられる。
「よーしこれで呂揮は今から色即是空のメンバーだ。よろしくな!」
「こちらこそよろしくおねがいします彩さん。いえ……マスター」
「呂揮てめぇッ!!!」
彩をマスターと呼んだのを聞いてチェイサーはベッドから立ち上がって怒鳴り散らし、
それを合図に2人を囲んでいた大勢が手にした武器を構えた。
「あッ…」
「大丈夫」
チェイサーの怒鳴り声に怯えた呂揮をしっかりと抱きしめ直して彩は繰り返す。
「絶対守るから大丈夫だ呂揮。ってか…いい加減出てこいよ澪、いくらなんでももったいぶりすぎだろ!」
彩がそう言ったと同時に急に目の前を赤い何かが塞ぐ。
プロフェッサーの装束だと呂揮が思った瞬間ものすごい打撃音が響いた。
『マグナムブレイク!!』
プロフェッサーの立つ場所を中心に爆風がおき、武器を手に襲い掛かってきた
かつては呂揮の形ばかりの『元』メンバーが派手に吹き飛んでいく。
プロフェッサーが手にした漆黒の本たった1振りで。
『シャープシューティング!!』
間髪いれずに彩が弓で追撃を放つと姿を現したプロフェッサー含める
彩と呂揮との3人を除けば、『元』マスター以外誰一人動く者はいなくなり、
呂揮はここで漸く史乃の言った過剰戦力と言った意味を理解した。
あれは見くびりなどではなく2人の高い戦闘力を理解し信頼していてこその言葉だったのだと。
驚きを隠せないでいる呂揮をよそに彩は口をへの字にして涼しげな顔で漆黒の本を肩に乗せたプロフェッサーに詰め寄っていた。
「澪お前なぁ!ここ来た途端にクローキングマフラー使って隠れてどういうつもりだよ!」
「意標をつきたかったのとなんとなくかっこよかったから。こう、窮地に颯爽と現れるのは主役の定番だろう?」
彩に澪と呼ばれたプロフェッサーはまるで反省の色も覗えずにミニグラスなどを直し、しれっとしながら答えていた。
「うっさいなにがかっこいいだ!通りすがりの人に指さして笑われてしまえ!!」
「通りすがりの人が何処を探してもいないね。大注目のいい機会だったのに非常に非常に残念だ」
「うぅううううっさいわぁっ!!!」
「あ…あの……あのっ…」
周辺のことなど気にもせずに言い合いを始めた2人に呂揮がおどおどしているとプロフェッサーの方が呂揮を見た。
頬に垂れた伽羅色の髪の毛を軽く払い、ミニグラス越しに微笑みかけられ呂揮の鼓動がどくんと跳ねる。
「初めまして加入ほやほやの新人さん。俺は彩の同盟ギルド『空即是色』のギルドマスター澪。君が呂揮だね?」
「は、はい」
すぐに触れ合えるくらい傍まできたプロフェッサーから目が離せず、心臓が早鐘を打ち呂揮はそう一言答えるのがやっとだった。
「安心して、もう呂揮が前いたギルドに脅かされる事はないから。1人で今日までよく耐えたね」
「!!」
さりげなく彩から呂揮を引き離し、そのまま澪に抱きしめられて固まってしまう。
しなやかで華奢に見えたその身体は想像以上にがっしりとしていて呂揮の身体はすっぽりと包み込まれていた。
彩に抱きしめられた時はあんなに安心出来たのに、澪の腕の中は鼓動が早まるばかりでちっとも落ち着つかない。
心臓の音が澪に聞こえてしまうかと思うほどに。
「なんだいきなりてめえは!!」
『元』マスター・チェイサーの怒鳴り声で呂揮を抱きしめたまま澪が顔だけをそちらに向けた。
「せっかくいい所だったのに野暮なことするね君」
「え?」
まるで呂揮を抱きしめている事がいい所だったという澪の物言いにこんな状況にも関わらず呂揮は自分の顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「脱退しようが関係ねえ!!!そいつは…呂揮は俺のモノだ!!」
「所がそうはいかないんだ。初心者修練所で習ったギルドに関するお約束事。覚えてるかい?」
「んなもん知るかよ!!さっさと呂揮から離れやがれ!!!」
「うん、想定どおりの答えをありがとう。見るからに覚えてなさそうだと思ったもの…じゃあ教えてあげよう、
『冒険者ライセンスを持つ者は職業ギルド以外のギルド所属は強制でないものとする』」
相変わらず呂揮を抱きしめたままの澪だったが、それを聞いたチェイサーがあからさまに眉を潜める。
「脱退を申し出た呂揮の申請を一方的に却下した上に暴力的手段を用いて脅迫した上
ギルドに強制的に所属させ続けた。これ立派な規約違反だよ?」
それから続けてチェイサーに向け澪が1枚の紙を見せた。
「これは騎士団から発行してもらった色即是空及び空即是色への要請書だよ。
色々書いてるけど分かりやすく言えば『呂揮を今所属しているギルドから保護しなさい。
ぎゃーぎゃー言うようなら実力行使に出ても構わない』っていう内容」
片手で手際よく紙を懐に入れるがやはり澪は呂揮を離そうとはしない。
「そういう訳で呂揮は今から色即是空及びその同盟ギルド空即是色が保護する。
ちなみに国王に出しても通じる立派な証書だから君に全く勝ち目ないよ」
「うるせぇ!!」
澪が一度ぎゅっと強く抱きしめてから呂揮から離れていったと思った時には既にチェイサーの懐に入った所だった。
「うるさいのはお前だよ」
「ぅがッ!!」
鋭くそう言ったと思うとチェイサーの顔面に一撃を振るう。
そう重い一撃には見えなかったにも関わらずチェイサーはその場に力なく崩れ落ちた。
「お前が呂揮を離したくないっていうのは良く分かった。でも束縛して束縛して自由を与えず
縛り付けて――――――そんな事をして本当に心が向くと思う?相当君の事が好きか、
そういう趣味でもないと離れていくのは当然でしょう。その気持ちはまぁ…分からなくもないけど?」
それから倒れたチェイサーの所に澪が跪き何かを囁くとチェイサーは逆上したように喚き始めた。
澪はそれ以上何も言わずにもう一度手にした本で殴るとそれっきりチェイサーは動かなくなる。
それは呂揮が今まで所属したギルドの終焉でもあった。
「なーこいつら放置でいいのか?」
彩が倒れたまま動かない呂揮の『元』メンバー達を指差すと、あぁと短く返事をしながら澪は頷いた。
「騎士団には今代表者にwisで連絡しておいたからもうじきここに来るはずだ」
「そっか分かった…あ、そう言えば。さっき澪チェイサーに何言ってたんだ?すげー怒ってたみたいだけど」
「あぁ、こう言ったんだよ。『君が執着してた呂揮は俺が口説いて恋人にしちゃうから』って」
「………………恋人?」
呂揮の発した小さな声は彩の大声によってかき消されていった。
「おぉぉぉぉお前っ!!会った直後で何言ってんだぁぁぁぁぁぁ!!!」
「仕方ないだろう一目惚れなんだから」
「ひ…ひっ…ひとめぼれぇっ!?」
「冗談だよ。本当だけど」
「結局嘘なのか本当なのかどっちだぁ!!」
「さぁ………ね?」
「……………………」
そう言ってにっこりと微笑みかけた澪から何も言えずにただ呂揮は俯くしかない。
真っ赤になった顔の火照りと、早鐘うつ心臓はしばらくの間は収まりそうにはなかった。
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