夜の病院内はにわかに騒がしくなった。
看護婦と二人の宿直の癒者達は息せき切って廊下を疾走していた。
「ああ・・あの・・もしかしてフェリシティー・
さんのご家族ですよね?」
ピンクのガウンを羽織った看護婦は、ちょうどすれ違った牧師に向かってきて死にそうな声で話しかけた。
彼女は彼がこの時間帯に面会予約を入れていたのを偶然にも覚えていたのだった。
「急いできてください!フェリシティーさんが大変なんです」
牧師が黙って頷くと看護婦は助かったとばかりに叫んだ。
「何でこんなことになったんだ!?」
「わかりません!気がついたらもうこんな状態になってました!」
ヤン牧師が全速力でガラス張り病室に駆け込むと、先に到着した癒者と看護婦がパニックに陥っていた。
癒者はまず患者がひどく苦しそうに胸を起伏させて呼吸し、土気色の顔で手や足が激しくしびれているのを確認した。
「先生、腕に変な注射痕が!」
その時、看護婦は何気なく患者の服の袖をまくり、点滴をしてないほうの腕に例の男が注した痕跡を発見して言った。
「点滴のあとじゃないぞこれは!誰がやったんだ?君か?」
癒者はモルヒネなどの麻薬を注されたのかと一瞬思ったが、しびれや呼吸困難の症状があることから
動物による毒ではないかとハッと思い直した。
「違います!何で私がそんなことをしなくちゃならないんですか!?」
怒り心頭のもう一人の癒者は、横で不安そうに立ちすくんでいた看護婦を疑って怒鳴り散らした。
疑われた彼女はすぐにカッとなって否定したが。
聖マンゴでは以前にも看護婦のミスで患者が死んでいたのであった。
「スチュワート先生、ミランダ、大至急、一階に行って血清をもらって来てください!」
患者の容態急変の原因がわかったシン癒者は「コブラかウミヘビの毒の血清だ」
と二人に命じた。
「先生、では・・では・・姉は蛇毒にやられたとおっしゃりたいのですか?」
側で両手をもみしぼって成り行きを見守っていたヤン牧師は理解できぬ顔で呟いた。
「そうです。
コブラかウミヘビによる神経毒を注射されておこる症状があらわれています。神経毒は神経を麻痺させ、
しびれ、運動・知覚マヒ、呼吸困難を引き起こすんです」
癒者の説明に牧師は彼の白衣の袖をつかみ「先生、何とか姉を助けてください!」
と涙声で叫んだ。
「三十分で体に完全に毒が回ります。それまでに血清を注せば大丈夫です」
癒者は牧師と自分を落ち着かせる声でそう告げ、いまかいまかとドアのほうへ目をやって
うさぎのように飛んでいった二人の到着を待った。
迅速な癒者による対応でフェリシティーは後遺症として手足にしびれが残ったものの、
一命を取り留めた。
この事件は日刊預言者新聞で大きく報道され、聖マンゴは毎日のように
記者や魔法警察が出たり入ったりする大騒ぎとなった。
ヤン牧師、および病院の関係者は魔法警察の尋問に呼び出され、繰り返し「事件発生前後に怪しい者を見かけなかったか?」
と訊かれた。
ヤン牧師は警察には言わなかったのだが、事件発生以前に
黒髪の二十代の男と接触したことが気になっていた。
あきらかに男は何かが逃げているようで挙動不審だった。
一刻も早く病院から出たがっているようだった。
当然のことながら姪の
・
にもこの事は知らされ、彼女はショックのあまり、また気絶しそうになった。
彼女の担当のシン癒者は気絶寸前の彼女に、きつけ薬の瓶をかがしてから、ため息をついて退院許可を下した。
結局、フェリシティー伯母は「こんな警備が手薄なところに長居は無用。自分の面倒ぐらい自分で見ます。早く退院させてちょうだい」
と意識が戻るとたいそうご立腹で癒者にまくしたて、姪の退院の三日後に聖マンゴを去った。
「姉さん、まだ痺れは残っているのかい?」
「ええ、そうよ。あの強力なウミヘビの毒はしつこいの」
ロンドンのワラキア公爵の屋敷に二人は住んでいた。
一週間後、ヤン牧師は自分で痺れの残る箇所に鍼治療を施すフェリシティーの姿を見ていた。
彼女は東洋医学の専門医で、レコード会社を継げという父親の意向に反対して
医者をしていたことがあったのだった。
その時は弟で歌手であるデニスが代わりに会社を継ぐと申し出てくれたので
父親も満足したのだが、弟が死んでからはしぶしぶながら会社を継いでいた。
「姉さん、もう一度医者をやりたいんじゃないのかい?」
器用に患部を探し出し、ここやあそこへとハリを打つ彼女に彼は言ってみた。
「そうね・・やつらに対する復讐をやりとげたら開業医にでもなろうかしら?」
フェリシティーは一瞬、間をおいてから返答した。
その顔は何か思いつめているようでとても怖いとヤン牧師は感じた。
「
は歌手にならせるつもりなのかい?」
ヤン牧師はちょっと考えて聞いてみた。
「それが一番いい道だと思うわ。あの子はルックスが飛びぬけていいし、声が綺麗だし、磨けば磨くほどいい歌手になるでしょう。
ただ・・」
フェリシティーはそこで鍼をさすのをやめ、眉を寄せた。
「私が診察したところ、ひどい貧血を煩ってるわ。それに体ももともとあまり丈夫ではないみたい。
そう・・最近、かなり弱ってるわね、このまま歌手のハードなスケジュールに耐えられるか・・体力の面でおおいに問題があるのよ」
彼女は難しそうな顔で腕を組んだ。
そして彼女は立ち上がり、なめらかな絹の緑色のスカートがさらさらと音を立てた。
「あなたが疑問に思っていることを教えておくわ。彼女の頭痛や時々幻覚を見るのは頭骨のひびから来ているの。それは癒者がくっつけてくれたから解決。
だけど、ひどい貧血は治療法がないわね。吸血鬼独特のもので皆同じ症状で苦しむのよ。
唯一の処方はムカデなどの血を抽出したエキスを飲むこと。これで喉の渇きを抑えられる。
これも漢方の知恵よ。西洋医学では直す方法がないのよ」
再び、座り込んだフェリシティーは漆塗りの文机に向かって、ぼろぼろに擦り切れた日誌を取り出し、姪と自らの
病状を書き綴り始めた。
数日後、ヤン牧師はあるプロテスタント教会にセブルス・スネイプを呼び出した。
スネイプは神聖な場所の居心地の悪さに、嫌悪感を隠し切れないようだった。
「何の用かね?ヤン牧師」
「かけたまえ、スネイプ」