その頃、王城では大変な騒ぎが持ち上がっていた。

大勢の軍勢で完全に城を包囲した北の公爵は「傾城王妃を出せ」と王にせまった。


「城を包囲したのは王位を奪うためだと思ったが、お前の狙いは王妃であったか」

たった一人で公爵の軍を出迎えに城の屋根に登った王は言った。


中年の王は黒いテンのマントを羽織、でっぷりと太っていた。その体の下には黄金の鎧をまとい、立派な口ひげがナマズのように口の両端から

ピンとはねていた。


「女一人の為に朕に背いて挙兵し、大軍で城を包囲するとはな!」

彼は軽蔑した口調で言った。

「一人で来ればいいものを・・朕が女一人渡さぬと思ったか?」

「大将軍光明と比べれば、やはりそちは二流どまり」



「黙りなさい」

金箔張りの肘掛け椅子に腰をうずめた公爵はせせらわらった。

「光明は今、城に向かっておる。そちの命もここまでだ」

王のゆったりした物憂げな声が響いた。

「それはどうかな?それならこんな所でつまらん老いぼれの相手などしない!」

公爵の眼がパチパチと火花を放った。

「光明は今、私の放った刺客に捕まっていることだろう」

「フン、それでも来ると思うか?今頃とっくに死んでるさ!」

公爵は眉根をぎゅっと寄せると、黄金の指揮棒を振りかざし、「王に向けて警告の矢を撃つ」ように

兵士共に命じた。



すかさず、一斉に公爵の周囲から雨あられと矢が放たれた。


王はほうほうのていで、金箔を塗り重ねた屋根瓦の後ろに逃げ込んだ。




少し離れたところで、 は自分の方に飛んできた流れ矢を黒い扇子ではじき返し、悠々と王宮の屋根瓦に居座ってこの騒ぎを見物していた。




「おどき」



その時だ。



凛とした銀の鈴のような声が響き、一人の黒絹のマントをまとった女が屋根の上に

姿を現した。


その声に兵士たちはいっせいに天を仰いだ。


殺気立っていた公爵ですら、肘掛け椅子から立ち上がった。


「この衣の中を見たい者はいるかしら?」


女は周囲の男たちの目が全て自分に注がれているのに、満足し、にんまりとほくそえんで言った。


男たちはぼんやりと夢見る表情でうなずいた。


「では武器をおいて」


彼女はゆっくりと口角をあげて微笑んだ。


兵士たちは我先にとこぞって剣や槍、矢などをおいた。


黒絹のマントが脱ぎ捨てられ、強い向かい風とともにその中から世にも美しい王妃の姿が現れた。


彼女は向かい風が天女の羽衣のように紅色の絹服を乱すのを嬉しく思って、満面の笑みを見せた。






この傾城王妃こそ、三人目の者で望むものは全て手に入るが、真実の愛だけは手に入らないと定められた者である。




公爵はちょいと首を傾けると「よくやった」といいたげに指揮棒を上にかざした。



この様子を見ていた は公爵の目が王妃に釘付けなのでぶすっとしてしていた。


それにあの傾城の自慢たらたらの様子も面白くなかった。


「いいぞ、もっと脱げ!」


事の成り行きを面白がってみていた王は、調子に乗って叫んだ。


今までにこやかに微笑んでいた傾城の顔がさっと強張った。


「何をしている?もっと脱ぐんだ!」


彼は傾城の冷たい視線をものともせずに叫んだ。



「この衣の中を更に見たい者はいるかしら?」


傾城は少し考えて、気取った声で言った。


「では武器を取り、王に狙いを定めよ!」


彼女は勝ち誇ったように宣言した。


は何て恐ろしい女だろうと驚愕した。


かりにも自分の夫で王である男を簡単に「殺せ」など・・。


驚愕したのは だけではない。


当の王は、兵士たちが魔術にでもかかったようにいっせいに剣や弓を自分に向けているのに

慌てふためいた。



「こいつめ、裏切りよったな!」


王は信じられない面持ちで叫んだ。




傾城は馬鹿にしたように王を振り仰ぎ、真っ白な歯をのぞかせて笑い、けだるそうに身をくねらせると


さらに衣を脱いだ。




その時だ。


馬の蹄の音が響き、真紅の花鎧をまとい、長剣をかかげた一人の男が王城に入城した。


「大将軍、光明が援軍を連れて来たぞ!」


王は高らかに笑い、懐から短剣を引き抜いた。


「女狐め、死ね!」

王は狂ったように叫んだ。

「殺してやる!」

「ああ、助けて!」


屋根の上は血なまぐさい修羅場と化した。


王妃は短剣でところかまわずついてくる王から逃れるため、屋根の上を転げまわった。



「ああ!ああ!やめて!」


傾城は危なっかしい足取りで屋根の棟木を走った。


「あああ〜!」

傾城は心臓が飛び出るかと思われるぐらい走り、誤って足をすべらせて屋根の上からいっきに転げ落ちた。


王はいやらしい笑いを浮かべた。


彼女は今や、両腕で渾身の力をこめて屋根瓦をつかんでぶらさがっているところだった。


「お願いよ!助けてちょうだい!」

傾城はあらんかぎりの声で叫んだ。

そこには荒々しい風を肩に受けて、ふわふわと彼女の側を通り過ぎてゆく の姿があった。



「私には関係ないこと。あなたが自ら招いた結果よ」


彼女は冷めた目で傾城を見下ろすと、黒絹の羽衣をはためかせ、一気に空へと舞い上がった。



絶望した傾城が再び狂気にかられた王の刃から逃げ惑っていると、どこからか一本の長剣が宙を飛んできて、


ぐさりと王の胸に突き刺さった。



「あぁあああああ〜!!」


王がどさりと倒れる音と、傾城の握っていた瓦が崩れ落ちるのは同時だった。



傾城は優雅に弧をかいて、地上へと落下していった。



まるで全て時間が止まったかと思われた。






それから起こった出来事は公爵にとって悪夢のようなものだった。



絹を裂くような悲鳴をあげて落下した傾城を受け止めたのは、あの真紅の花鎧の男だった。



花鎧の男は手綱を引き絞って、馬の向きを変えさせ、ポカンと公爵の軍が口を

開けて見守る中を鮮やかに立ち去った。



「奴は反逆者だ!奴が王を殺した!」


公爵は高らかに宣言すると、白馬に飛び乗り、少人数の者を従えて後を追おうとした。



「誰が行かせるものか」


王宮の見張り台からこの光景を眺めていた はクスリと扇子の陰で笑った。


「公爵様、少し足止めを食らってもらいましょう」


彼女はそう言うと優雅に扇を開き、王宮の入り口向けて、不気味なエメラルド色と黄色の炎を放った。



「うわっ!なんだこれは!?」


途端に兵士の間から悲鳴が上がった。


王宮のたった一つの入り口に燃え盛る炎とともに、大きな翼と牙を持った黒竜が現れ、公爵の行く手を塞いだ。


「怯むな、矢で射殺せ!」


公爵は顔を真っ赤にしながら怖気づく兵士どもを叱り飛ばした。

その声と化け物に馬達は怯えきって、その場から動けなくなった。


それでもいっせいに矢が放たれると、黒竜は燃え盛る炎と共に姿を消し、

今度は立派な鉄の門が現れ、入り口を完全に塞いでしまった。



「公爵様!どうしても開きません!」


兵士が数人がかりで門を押すが、うんともすんとも動かない。



「馬鹿か!馬車に大木を縛り付けろ!それで門扉を打ち破るのだ!」

公爵はあらあらしく命令し、このようなことをやらかしたのはいったい誰だとぐるりと

周囲を見渡した。

その時、彼の目には王宮の見張り台に一人の美しい女がぽつんと立っているのを見止めた。

「あの娘か」

公爵はタカのような鋭い眼で の動きを追った。

彼女は黒絹のゆるやかな衣装をまとい、羽衣が風にゆられて楽しそうにはためいていた。

豊かな黒髪をひとまとめにしてとめている黄金の丸冠はくるりくるりと回転し、黒の扇子で彼女は

こみあがってくる笑いを隠していた。



公爵の腹立だしいと思う気は一気に失せ、 の柔和な笑顔と

自分に向けて振ってくれる手にかたくなな心が解きほぐされ、心地よさを感じた。



公爵は無意識のうちに に笑い返していた。


は公爵が初めて宮廷人の前で被る冷たい笑顔ではなく、心から面白がって笑顔を返してくれた

ことに気づき、どぎまぎした。





はためらいなく、扇を鉄の門扉に向けて振り下ろした。


「門が開いた。行くぞ!」


兵士と共に公爵は馬を駆け出させたが、馬上で振り返ったその目はしばらく を見つめていた。








































































































































































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