昆侖はとぼとぼと夜の闇の中を歩いていた。
愛する傾城は光明と共に、彼の前から永久に去ってしまったのだ。
なぜ、彼女を引き止めなかったのか?
本当に愛しているなら光明から奪ってでも自分のものにすべきではなかったのか。
「傾城・・」
彼は中秋の名月と豪華絢爛に咲き乱れる夜桜のの下で、傾城の羽織っていた衣から抜け落ちた羽をぎゅっと握り締めた。
「どうした。この世の終わりのような顔をして・・なにかあったのか?」
その時、ひゅうっと突風が彼の目の前で吹き荒れ、彼は思わず目を瞑った。
「様!なぜここに?」
彼が顔をかばった手をおそるおそるどけてみると、厚地のダマスク折りの宮廷衣装をまとった美しい女が目の前に立っていた。
「傾城じゃなくて悪かったね。だが、お前と話したくなってここに来たのだ。なにしろ宮殿じゃ話し相手は公爵以外いないからつまらなくて・・」
彼女はとてもさびしそうで、恋の病のせいか前会った時よりずいぶんやせていた。
「お酒とたいした食べ物はないが、どうだ?」
「様。こんなにおやせになって・・公爵とは上手くいっていないのですか?」
昆侖は彼女の杯を持つ手が、青白く透き通るほどほっそりしているのに気づき
心痛な面持ちで言った。
「お前こそ、酷いやつれようだ。まさか傾城にふられたのか?」
は彼の質問に質問で返して言った。
「ふられたも何も・・彼女は光明大将軍の大切な人です。私にはどうしても奪うことは出来ません」
昆侖は苦しそうに言った。
「この胸がつぶれようとも、私には彼女の幸せを奪うことは出来ないのです」
「なぜなら、傾城を心から愛しているからです。愛しているからこそ、彼女を悲しませることは出来ないのです」
彼はそう言って、一粒の涙をこぼした。
「ではこのまま、将軍と傾城が結ばれてもいいというのね?」
は厳しい声で彼に尋ねた。
「仕方のないことです。だから私はお二人の幸せを願って別荘を飛び出したのです」
昆侖は唇を血の出るほどかみ締めた。
「私だってつらい・・公爵はまだ傾城を愛している。それを考えるだけでつらくて死んでしまいたいほどだ・・。この世で人の気持ちほど思い通りにならないものはない!
これだけはいくら私の力でも解決できないのだ」
はきつく拳を握り締め、語り始めた。
「昔、上空に居た時、満神がこんなことを言った。」
彼女はふと、平凡で退屈な過去を懐かしむような口調になった。
「昆侖とお前は似た者同士だ。二人とも孤独で、卑しい身分で、愛を知らずに育った。常に寄り添える相手を
探し求めていた。だからお前たちが、もし傾城や公爵に会う前ならとっくに惹かれあって
幸福になっていただろうって、冗談めいてね」
「そうだったら確かに楽だったかもしれませんね」
昆侖はちょっと笑った。もつられて大声でひとしきり笑った。
「お前のおかげで少しは気分がよくなった。ではもう行く。いいか?どんなことがあっても決して傾城の手を離すな」
「えっ?さ・・」
昆侖がその名を呼ぶ前に、女主人の姿は影も形もなく消えていた。
「部下にあたらせて捜索したところ、将軍の居場所が分かりました。前王妃も一緒です」
「そうか。也力。先に将軍を城にお連れしろ。これは面白い見世物になるぞ。傾城は私がいいというまで置いておけ」
翌日、愛用の湾曲した短刀を磨いていた公爵は上機嫌で命令した。
「それから、将軍が到着したら私の客人であるを部屋から出すな」
「扉をしっかりと見張れ。彼女がことに気づいて邪魔だてしようとしたら縛ってでも動きを止めろ。
とにかく絶対に手出しをさせるな」
「悪いな・・。私の計画に協力してもらうぞ」
公爵はにやりと雄猫のように歯をむき出して笑った。
数時間後、途端に王宮の外が騒がしくなり、薄紅色の羽衣をまとった光明大将軍が馬に乗り付けて
宮殿の門をくぐるのが見えた。
ずらりと赤旗が立ち並び、兵士達は最敬礼を持って、城に帰還した将軍を出迎えた。
「何故、将軍が城に来たの?」
窓からその様子を嫌な予感をめぐらせながら観察していたは、部屋の外に飛び出し、
兵士に尋ねていた。
「そのご質問にはお答え出来ません。お部屋からお出にならないで下さい」
兵士は困ったように答えるばかりだった。
「傾城も一緒?何をする?私に気安く障るな!」
近くの廊下から、騒ぎを聞いて駆けつけてきた二人の赤い上衣を着用した兵士を
見てはわめいた。
「部屋にお戻り下さい!」
「嫌よ!どかないと痛い目に会うわよ!」
彼女は懐からさっと黒のレースをあしらったエキゾチックな扇を取り出して叫んだ。
「すみません!」
「うっ・・」
次の瞬間、は二人の屈強な兵士に壁におさえつけられ
もう一人の兵士の拳がみぞおちに打ち込まれたのを感じた。
扇がするりと手から落ち、目の前が真っ暗になり、彼女はがっくりと首を垂れた。
「これで数時間は起きないだろう」
「おい、可愛そうだが寝台の上に連れて行って、手足を拘束しておけ」
「公爵様の命令だ。俺達は従うしかない」
そしてバターンと扉は閉められた。
それからどのぐらい時間がたっただろう。
は手首と足首に違和感を感じて目覚めた。
「何?何故ここで寝てるの?」
滑らかな羽毛の掛け布団に身をうずめながら、彼女は身体を左右に捻って、室内の様子を伺おうとした。
「な・・なぜ、このようなものがあるの!?」
次の瞬間、彼女はショックの余り気が遠くなりかけた。
真っ白なサテンの部屋着はしわくちゃで、乱れに乱れているし
襟元から右肩が無様にのぞいてるし、靴は履いていなかった。
おまけに手首と足首を縄で縛られていた。
何か想像を絶するようなことをされたのだろうか?あの也力が?
破廉恥な口付けの感触が未だに忘れられず、彼女は身震いした。
だが、体のどこからも痛みは感じられず、気持ちよく長時間寝台に横たわっていたという感じだ。