翌朝、
は金メッキの鏡の縁を見ながら、腰まで届く長髪をべっこうの飾りが嵌った櫛で梳かしていた。
「はぁ・・・何て素敵だったんだろう・・まるで夢みたい・・」
彼は何て刺激的な人物なんだろう!彼女はうっとりとした面持ちで瞼をそっと閉じて、昨晩の素敵なドライブのことを思い出していた。
シリウスとともにビックベンのてっぺんに降り立ち、夜空の星を数えたっけ・・・。
彼は私の髪をまるで生き物のようだと言って、撫でてくれたっけ・・。
それからーー「あら」と
は声をあげた。
漆黒の髪から一輪のコメツブユリが抜け落ち、はらりと優雅に舞って、ペルシャ絨毯の上に落ちた。
この花はシリウスがーーテムズ川のほとりに咲いてた花を摘んで私の髪に挿してくれたんだっけ・・・。
しかし、楽しい気分も束の間、彼女は髪をすくのをやめ、はたと考え込んでしまった。
ルーピン先生はーー規則だの、法律だのを逸脱して、危険を省みずにこんなことをやってくれるだろうかと?
その前にーーと彼女の顔はサッと青ざめた。べっこうの櫛が手を滑ってカンカラカーンと床に転げ落ちた。
先生は、私がシリウスと共に、真夜中に屋敷を抜け出してあろうことかオートバイで街中に出させる行為
を行ったことを知ったら、決してお許しにならないだろう!!
「聖母マリア様、お許しください・・・私は彼があまりにも可愛そうに思ったので、このような危険極まりない行為をするよう
そそのかしました。でも、今から考えるとあまりにも恥ずべきことでした。彼を真夜中とはいえ、アズカバンに逆戻りさせる
行動を薦めたのですから・・・。」
何マイルもむこうにある英国国教会の鐘が鳴り響くのを聞くと、
は酷い罪の意識にかられ、ナイト・テーブルの上においてあった
ロザリオを掴み、一心に罪の許しをこうた。
幸い、カーテンで仕切られた二つのベッドの人影は動いていなかった。
は祈り終わると、沈みきった気を取り直し、そそくさと旅支度を整えにかかった。
髪をポニーテールにまとめ、白絹のセーターに暖かい生地のタータンチェックのスカート(襞に黒いふさふさした縁飾りがついていた)
を着用し、フェリシティー伯母からもらった白い繻子の靴に足を通すと出来上がりだ。
黒・白・茶・グレーのなめらかでつやのあるドラゴン革手袋は手袋専用の小さなスーツケースにしまっている。
ミナによく教えられたものだ。伯爵令嬢たるもの人前に出るときは決して手袋をつけずにでてはならないって・・・。
彼女はスーツケースを開けると、色調豊かな手袋の中から黒色の汚れが目立ちにくい手袋を選んだ。
そのまま階下に降りて行くと厨房ではルーピン、シリウスが朝食をとっていた。
「おや、早いね
。」
開口一番、ルーピンがコーヒーをすするのをやめてにこやかに挨拶してきた。
「おはようっとー待ってろ。今朝食を作ってやるからな。」
シリウスは彼女の姿を認めると嬉しそうに椅子から立ち上がり、さっきからパチパチと音が鳴っているフライパンの上へと向かった。
「すごくお腹がすいてるの。馬でも食べられそうなぐらい。」
はぺろっと舌を突き出して、シリウスの後姿に向かって告げた。
「しかし、馬だけはご容赦願いたいですな〜うちにある馬は二頭。そいつを失えば我々、しもべの足(交通手段)もなくなるものでして〜」
厨房の向こう側からシリウスの屈託ない、笑い声が返ってきた。
その会話は昔を、学生時代にエイミーの屋敷に泊まった事を彼に思い出させた。
シリウスは時々そうやってエイミーを女王様のように扱って、よく笑わさせたものだった。
ルーピンが焚きつけの松材を暖炉に放り込み、杖を振って新たに炎をしゅっ、しゅっと放った。
「はいこれ。トウモロコシパンだよ。ジェーンが昨日トウモロコシの粉を練りこんで焼き上げたんだ。」
ルーピンがそう言って、大きなパンの塊をナイフで切って彼女の皿に盛り付けてくれた。
その時、シリウスがハムをバターをひいたフライパンの中に放り込んだ。
ジュッという美味しそうな肉の焼ける音と続いてにおいがした。
「いい匂いだわ。」
は鼻をひくつかせた。
やがてすっかり用意が整うと、
、シリウス、ルーピンの三人は台所のテーブルに並んで黙々と食べ始めた。
「実にいい朝だ。」
シリウスは上機嫌でハムを口に運びながら言った。
「私も。こんなに爽やかな目覚めはかつてなかったぐらい♪」
も調子に乗ってシリウスに意味ありげな目配せをしながら言った。
「おや〜君達、何かいいことでもあったのかい?」
ルーピンがにやりとして軽く聞いてきた。
「ああ。昨夜は空を飛んだんだ。テムズ川。ロンドン・ブリッジをこえてな。」
シリウスは嬉々として言った。
は目を真ん丸くしてあわや飲んでいた紅茶を噴出しそうになった。
「夢の中で・・だろう?」
ルーピンはそんな彼女の様子に何も気づかずに、フッと微笑んで言った。
「あ・・ああ、そう!もちろん夢の中でさ。あぁ〜懐かしいな〜覚えてるか?お前をオートバイの後ろに乗せて
ロンドン市内を飛び回ったこと。」
シリウスはつい口が滑りそうになったが、
の驚愕した顔でハッと我に返り、巧みに話題を昔のことにそらした。
「ああ、覚えてるよ。僕らとエイミーとでかわりばんこにオートバイに乗せてもらったんだっけな・・・。」
ルーピンはぼんやりと夢想にふけりながら言った。
さて、朝食も終わり、皆が起き出し、上で支度する最中に
ルーピンは彼女をこっそりと誰もいない小サロンに呼び出し、後ろでに鍵をしめた。
「そろそろ行く時間だね。」
彼はさみしそうに微笑んだ。
は次の瞬間、思わずルーピンに抱きついていた。
「うん・・」彼女はうなずいた。
「覚えてる?私がホグワーツをやめた日も粉雪がちらついていたね・・。」
ルーピンは彼女の髪を抱きしめながら呟いた。
「ええーーよく覚えてます。先生はーー私に君はまだ学ぶことが沢山あるからーーここに残らなければならない。
そうおっしゃったわね?私、私、あの時、どれだけつらかったか。もう、ぜ、ぜーーーったいにスネイプ先生を
許せないと思ったぐらい。」
はそのことを思い出し、サーッと急に胸が冷たくなった。
「だってーー私の大事な人からーー大切な天職を奪おうとしたんだもの・・・。」
は彼の胸で子供のように泣きじゃくった。
「私はーーこんなに美しい手を知らない。」
ルーピンはもう泣かなくていいから・・と彼女の顔をあげさせ、そっと黒いドラゴン革手袋をはずして
うやうやしく彼女の両方の手のひらに軽く接吻した。
「美しいのはこの手だけではない。君の顔も、頑固な精神もーー私はーー」
ルーピンはそこでふと言葉を止めた。
彼は黙って彼女の手を握っていた。
永遠に時が止まったかのようだった。
「愛している。」
彼は突然サッと彼女の手を離し、今までにない力で強く、強く、彼女を抱きしめた。
「はじめは君をエイミーだと思い、愛したかった。だが、気づいたんだ。私の好きなのはエイミーじゃない。
君、
なんだということが。」
ルーピンは彼女の髪をしっかりと腕にかき抱きながら口走った。
「行かせたくないーーまた一年もの間会えなくなってしまう。どうして私達は一緒にいられないんだ?
私はいつも君より、任務だの、仕事だのを優先している。こんなにつらいことはないよ!」
ルーピンは急に胸がつまり、瞳からは一筋の涙がこぼれた。
「大丈夫ー大丈夫だからーー先生。無理なさらないで。離れていたって、たとえ、文通できなくたってーー
私はーーさっきの言葉が何よりも嬉しいわ!!先生、私もーー愛してる。」
は涙をふきふき、彼の耳元で甘くささやいた。
「
・・・。」
次の瞬間、彼は彼に向けられた唇が震えるのをみた。
彼は彼女の唇をふさいだ。
彼女の肉体は彼の肉体に溶け込むかと思われた。
時間を超越した時間を二人は一つに分け合って立っていた。
それは今だかつて経験したことない濃厚なキスだった。
彼のまつげには涙が光り、彼女は苦しさと愛おしさに悶えて、もっと彼と密着しようと体を摺り寄せた。
長い、長い悠久の時が流れた。
彼が彼女の体を解き放ち、もう一度強く抱きしめたとき、彼女はひとりではたっていられないほど苦しくて、
しっかりと彼の体を掴んで身を支えた。
「行きたくない・・もう、二度と会えないような気がするんだもの・・・。」
ドアを開けて出て行く際、せつなげに告げた彼女のまつげに光る、涙の後を彼は忘れられないだろう。
その数時間後、すっかりと身支度が整った皆とともに
はトンクス、ルーピンが手配してくれた二台のバギーに乗り込んだ。
行く前にシリウスは名残惜しそうに、
とハリーを抱きしめた。
そして皆が横を向いている隙に、彼女の額にキスをして家の中に入ってしまった。
ルーピンと駅に着くまでに一緒にいたいと言う希望は、かなえられず、
はハリーとハーマイオニーの間に半ば強制的に座らされた。
たちの馬車の後ろにはルーピン、トンクス、ウィーズリー夫妻のバギーがいた。
それぞれフレッド、ルーピンが鞭をぴしりと馬の背中にくれてやると、馬は狂ったように積雪の道を駆け出した。
シリウスは二階の窓枠にひじをついて、ハリー、
の横顔をいつまでも眺めていた。