再生





「キャロル。参るぞ。」
王宮全体がとろりとした眠りの神の腕に抱かれる時刻。
涼しい木陰でうつらうつらしていたキャロルに、背後から声が掛けられる。
「何処へ?・・・メンフィス。」
未だ眠いままの少女が声を返すが、ファラオは少女の頭から冠を抜いた。
指にいくつかの指輪と、耳飾を付けさせ、袋を渡す。
気付くとファラオ自身もいつもは梳き流したままの髪を髪飾りで緩く纏め、左手の指に指輪をはめている。

王宮の庭を抜け、シカモアイチジクや棕櫚、綺麗に手入れされた花の間をくぐって裏門へとこっそりたどり着くと、
そこに七人の男が待っていた。
それで分かった。
以前の約束どおり、遠駆けに連れて行ってくれるのだろう。
ということは、此処にいる男達は取り巻きと言うことか。
いずれも質素な身なりだが頑強な、健康そうな体躯で、ファラオを見る眼には絶対の信頼が輝いている。
メンフィスはキャロルの黄金の髪を纏めて鬘を載せ、更に外套を身に着けさせた。
そしてメンフィスも王冠を外し、キャロルの冠と一緒に袋に入れて、馬の鞍に括り付ける。
中の一人が門を開け、皆が外につないであった馬に乗ると出発だ。





「何処へ行くの?ウナスは?」
そうだな・・・まずはぐるりと回ってみるか。ウナスは今日は留守役だ。」
「王冠、外しちゃっていいの?」
「印章指輪をしている。」
「ああ、それで・・・。」
まずは東の町から。少女を乗せているためか、今日の騎馬一団は疾駆することなく歩みを進めている。





東の町は貴族や裕福な階層の町らしい。
大きな漆喰の塀をめぐらした建物がゆったりと配置され、いずれも午後の眠りの中に沈んでいる。
男達の顔は皆、油断無く辺りを見回しているが落ち着いている。
メンフィスもゆっくりと手綱を繰って馬を進めている。
此処はそのまま通り過ぎ、更に南へと馬を向ける。
南は商人や工人、職人の町だ。
午睡も取らずにに物のやり取りが行われ、活発な人々の往来と物売りの威勢のいい掛け声や女達のおしゃべりなどが渾然一体となって
力強い日々の営みが繰り広げられている。
メンフィスがキャロルの指から指輪を一つ外し、「メニト。テヘネト。」
と声を掛けてそれを放る。
呼ばれた青年二人が心得顔で受け取って人ごみの中に姿を消す。
更に、「ヘネクト」と呼ばれた男が姿を消す。
暫く経って戻ってきたとき、メニトとテヘネトは片手に椰子の葉に包まれた荷物を一つずつ抱え、
ヘネクトは葡萄酒の壷を提げていた。
「セル様」
呼び掛けられたメンフィスがテヘネトを見やる。
「川辺へ参りませんか?セシェン様もお疲れのようですし・・・」
どうやら隠し名らしい。
身分や本名が分からないように、そう決めてあるのだろう。
セシェンとは「花」。中でも睡蓮を指す。そしてエジプト人にとって花と言えば睡蓮と言うくらいありふれた名前だ。
キャロルが了解して顔をほころばせ、頷いてみせると、男達は一団となって川辺を目指した。





川辺は午後の光に輝いて、まぶしい光を辺りに投げかけている。
男達は何も言われなくとも自然に動く。
馬をつなぎ、布を下ろして椰子の木陰に広げてキャロルを座らせる。
その間に包みを広げ、葉を皿代わりに中身を分配する。
メンフィスが下げてきた袋からは、小さな壷と杯が九つ。全員の分だ。
壷には果物を搾ったジュースが入っていた。キャロルのためだ。
その準備のよさに感心した。
メンフィスはキャロルに背を向け、テヘネトと呼ばれた男の言うことに耳を傾けている。
二人の言葉は低く、ナイルの水音にかき消されて良く聞こえない。
準備は直ぐ出来た。
葡萄酒が注がれ、パンや肉や魚が全員に回ると自然に食事が始まる。
メンフィスは良く喋った。
たわいも無い下々の噂、街中で流行の歌や音楽、旅の踊り子の話など、若い娘が好みそうな話を選んでくれている。
取り巻きも色々と話題豊富で、キャロルは退屈とは無縁だった。





「そろそろ、かな。」ふとメンフィスが声を掛けると、ぴたりと声が止まる。
同時に葦の茂みから目つきのよくない男達が姿を表した。
キャロルが怯えた表情を見せる。宝物庫での騒ぎから日も浅い。
だがこの男達の身なりは派手だが品が無い。
おそらく何処かの不良仲間だろう。
賊達が全員現れたときにはすでに、こちらは布陣を終えていた。
椰子の木を背にキャロルとメンフィス。
それを守るように七人の男達。
ぐるりと見渡した男たちの目がキャロルの上で留まった。にやりと笑う。
そのいやらしさに悪寒が走った。
同じ男だと言うのに、こちら側と相手側とでは天と地ほどの違いがある。
「ふぅ・・・ん・・・貴族のお坊ちゃんに腰抜けの取り巻きってとこかな。」
「お楽しみのところを邪魔して悪いが、俺達にその娘を寄越しな。」
「食事の後はその綺麗な娘を皆で楽しむつもりだろうが、俺達が楽しんで悪いって法はないからな。」
「無礼者!」
「止せ、メヌゥ。」
緩やかに制止され、メヌゥと呼ばれた男が沈黙する。





「・・・・・お前達、私が分からぬのか?」
黙っていたメンフィスが初めて口を開いた。
「分からぬならまあそれでも良い。市場から我々の後をずっと尾けていたのはお前達だろう。
 テヘネトはよく目端が効くのでな。」
「気付いていたの?メ・・・」
言いかけて慌てて自分の手で口をふさぐ。此処では隠し名だった。
「久しぶりにあれをしようか。以前は良くやっていたな・・・シェメス。」
シェメスが進み出て来て、今度こそあっと声を上げた。
宝物庫の、あの首領だったのだ。きれいに髭をそって身だしなみを整えている。あの時とはまるで別人だ。
メンフィスが振り返ってにやりと笑う。
「後で説明してやろう、今はこっちだ。」
後は腕組みをして男達のやり取りを見つめている。





シェメスが口を開いた。
「食べ物、飲み物が欲しければ差し上げましょう・・・ですが条件があります。
 あなた方の中で腕に覚えがある方、こちらの者と手合わせをしましょう。一対一です。
 判定は私が致します。もし勝てば、あるいはあちらのお二人を喜ばせることが出来たら
 お二人から褒美が頂けます。どうですか?」
「いいだろう、どうせ俺達が勝つに決まってる、おい!」
一人が進み出る。小ずるそうな眼をした男はくるりと見渡すと右端の一人を指名した。
一番若く、力が無さそうに見えた。
「ウルジュだ。」
メンフィスが囁く。
「よりによってあやつを選ぶとは・・・・・」
男は剣を抜く。
ウルジュは短剣を右手に抜いた。
向かい合った二人はそのまま相手の様子を探るように右へ右へを輪を描いて回る。
お互い右利きだ。
仕掛けたのは男。
短剣なら此方が有利だと、大きく振りかぶって大上段に打ち下ろした。
が、ウルジュは左足を軸に半回転し、相手に空を切らせてその喉元に短剣の切っ先を突きつける。
「勝負、ありましたね。」
シェメスの淡々とした声が響いた。





次の男は「ヘジュ」を選んだ。
体格は五分五分。
だが只一撃で剣を跳ね飛ばされ、情けない悲鳴を上げてグループの中に隠れた。
飛んだ剣は弧を描き、ナイルの流れが飲み込んでしまった。
「あの剣は貴方には合っていなかったようですね・・・・重すぎて、貴方の動きを鈍らせている。」
「俺がひ弱だって言いたいのか?!」
「そうです。筋力が無い。」
やはりシェメスに淡々と指摘されて、男達はいきり立ち、此方の者達は苦笑した。





三番目はメヌゥ。
相手はやはり長剣だが、メヌゥはケペシュ刀を操った。
父親の形見だという。
二本の剣は光と火花を放ちながら数合切り結んだが、やはりメヌゥが勝った。
剣を引いた男が情けない声を上げる。刃毀れがすさまじい。
メンフィスの眉がわずかに動き、キャロルの指から指輪を抜き取る。
「メヌゥ」
受け取ったメヌゥが男に伝える。
その剣と、何処で買ったか教えれば指輪を与えると。





手に入れた剣をメンフィスとキャロルが仔細に検分している前では、新たな試合が始まっていた。
だがどれも話にならない。
リーダーらしき男が足を踏み鳴らして喚いた。
「えらそうなことを言ってどいつもこいつも役に立たん!いつもの粋がった大言壮語はでたらめか!?」
「ならば貴方が自分でなされば宜しい。ちょうど貴方で最後です。」
うっと詰まったリーダーが辺りを見回す。
だが誰も勝ったものはいなかった。メンフィスの側は二、三人と手合わせをしたのに、未だ誰も負けていない。
翻って此方はたった数合切り結んだだけで、あるものは喉元に剣を突きつけられ、あるものは剣を飛ばされて空手になった。
あるいはやけになったのか。
リーダーは試合の相手に、なんとメンフィスを選んだ。
これにはさしもの取り巻き達も驚いたが、メンフィスはにやりと笑っただけで剣を取って前へ出て来た。
仕方なく、取り巻き達がキャロルを守って防御網を縮める。
さすがにリーダーだけあって剣は良い物だ。
金に飽かせて作らせたのか、ごてごてと飾りがついているのを除けば、だが。
メンフィスの剣は「ファラオ・ソード」と呼ばれる、スカラベのついた細身の長剣だ。
鞘と肩衣はキャロルが預かった。
止めても無駄だと分かっているし、まさか腹も立てていないのに人殺しはすまい。
なんとなく分かっていたので黙っ見ていることにした。





男が向かい合って立ち、剣を構える。
一方は腹を立てて力み返り、一方は風に軽く髪をなびかせながら悠然と眺めているような姿だ。
「そんな細身の剣で良いのかい?この俺様が一撃で叩き斬ってやる。それからあんたの取り巻きはは皆殺にしてやって
 後はあの娘を頂くまでよ!」
そのままぴたりと動かなくなった。
気合に押されている。何もしていないのに、メンフィスの放つ「気」に動けなくなっているのだ
「どうした、何時来ても良いぞ?それとも臆したか?」
口調はあくまでも穏やかだが、眼には戦いのときに見せる光があった。
リーダーが奇声を上げた。何度か繰り返した後、突っ込んできた。
一瞬後。
澄んだ金属音がして男は剣の柄を握ったままその場に倒れた。
剣の柄だけを。
メンフィスは只一撃で、相手の刀身を叩き折ったのだ。
刀身は大きく弧を描き、キラキラ輝きながらナイルへ飛び込んで行った。
「これはあやつが創り方を教えた。今までにない剣だ。重宝して居る。」
メンフィスがキャロルを見やる。
不良たちに怯えの波が走った。





「つまらぬ。もう少し骨があるかと思ったが・・・。他の者、私と手合わせせずともよいのか?」
全員が首を横に振った。
一方の男達はそのままじりじり後ろに下がり
「畜生、覚えていやがれ!」
と捨て台詞を残して消えた。
逃げるときの台詞は、古今東西同じらしい。





「どうする?せっかくだから、此処で少し手合わせしてゆくか・・・シェメス。」
「はい。」
メンフィスがシェメスを伴ってキャロルの傍に戻り、他の者は二人一組になって打ち合いを始めた。
「・・・・セシェン。シェメスだ。」
「どうして貴方が此処に。てっきり牢に入れられたとばかり思ってたわ。」
「罪を償い終わって再生してきたのでな。後は本人から聞くが良い。」
「は・・・・・それではお話しする前に、まず貴女のお命を狙ったこと、お詫び致します。」
「分かってるわ。誰かに金で雇われたって言ってたし。そんなことよりどうして彼の傍に?」
「では、私の名はご存知ですね?」
「ええ、シェメスでしょう?」
「意味は『従う』。以前は別の名があり、父母と共に、職人として暮らしておりました。
 ですが二人は流行病で死にました。それで色々ありましてね、気付くとあのようなことを生業とするようにになったのです。
 一度軍隊にも入っておりまして、これでも短剣の扱いにおいては自信がありましたので・・・・・。」
「じゃ、やっぱり誰かに強要されたのね・・・・・」
キャロルが呟くと、彼はかすかに頷いた。
「軍隊にいる時に、愛する娘が出来ました。おとなしいが芯の強い、アーモンドのような瞳の美しい娘でした。
 ですがその娘は先年、王位を巡る争いの中で殺されました。」
はっとしたキャロルがメンフィスを見やる。彼はだまったままキャロルを見つめている。
「今になって思えば愚かなことをしたものです。ですが私は許せなかった。誰でも良い、王家に繋がる者を血祭りに上げ、
 それを土産にあの娘に逢いに行くつもりでした・・・・・」
「それで・・・・・」
「そうです、私はあそこで死ぬつもりでした。事の可否はどうでもよかった。ですが失敗した。そして将軍に取調べを受けました。」
「ミヌーエ将軍に・・・・・」
「あの方は何もなさいませんでした。只一言、『死にたければ一人で逝け、お前に雇われた三人が迷惑する。』と、
 それで我に返りました。王家に恨みを抱いた私が、王家と同じやり方で弱い者を虐げていると。
 その場にセル様もいらっしゃったのですよ。『お前が思っている王家がこれからどの様に変わるか、すべて私に付き従って
 その眼で見届けるが良い。どうせ人はいつか死ぬのだ。急ぐこともあるまい』と。」
「・・・・・・・・・・」
「翌朝、首切りの刑を受けましてね。首切り役人が斧を振りかぶった時にはもう駄目だと思いましたよ。
 こんな私でも、やっぱり命は惜しいのだなと。」
「斧は首を落とす寸前で止まり、こやつは以前の名を捨てて死んだ。そして私が名を与えて再生させたというわけだ。」 
「そうです。私はシェメス。『従う者』。過去は一切ありません。王家にではなく、貴方と貴女にお仕えする者。
 そしてそれは、ここにいる皆全員のことです。」
キャロルはメンフィスを見つめた。
「・・・・・風が変わった。帰ろうか。」





「メンフィス・・・・・取り巻きって何人いるの?」
「今は七人だ。ウナスは近衛隊長として表へ出た。後の一人は今私の命で国外へ行っている。
もう一人の場所は・・・以前に空いた。」
王位を巡る争いのことだろうか。
来た時と同じようにメンフィスの胸の中で馬に揺られながら、キャロルはずっと無言だった。





王宮の裏庭に帰って来た頃には、午後の日差しが傾いていた。
変装を解き、取り巻きは馬を連れてそこで下がってゆく。
門を開けると近衛兵隊長と将軍が控えていた。
「お帰りなさいませ。」
「・・・・・喋ったな。黙っておれと申したであろう。」
ウナスが叱られた子犬のような顔で跪く。
「ウナスは何も申しては居りませんよ・・・・・ナイルの河畔で賊に襲われたと届けがあったのです。詳しいことは執務室にて。」
「分かった。それからこれを。」
指輪と引き換えに手に入れた剣をミヌーエに渡し、先に行くよう促してからメンフィスはキャロルを振り返った。
「キャロル。」
「はい。」
「此度は楽しめたか?」
「ええ。」
「それなら良い。本当はこのようなこと、未だお前の目には触れさせたくなかったのだが、これも何かの巡り合わせだろう・・・・・」
 いずれ、お前もこの国の暗部を見るだろう。ミヌーエの言っていた足りない所だ。
 蓮の花は泥の中から生まれ、美しい花を咲かせる・・・・・」
何か自分に言い聞かせるように呟くと、少女の手を取って来た道をたどりはじめた。
近衛隊長が後から付いて来る。





夕日に照らされて、王宮の庭は美しかった。




                                             END






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