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その手をなんとか振り切った。
後から何か聞こえたがどうせ止まれとか待てという言葉だろう。
どちらにしてもろくなことじゃないだろうから足は止めなかった。
ふっ、追いかけて来れるもんなら追いかけて来てみなさい。
私はこれでも軍で五本の指に入るくらい足が早いのよ。あんな鈍足の白南瓜に遅れは取らないわ。
建物の角をまわったところで振り返ると、軍師様の姿はなかった。
追って来てるような気配もないし、どうやら逃げられたようだ。
それにしても驚いたわ。まさか待ち伏せされてたなんて。
「」
小さく遠くから聞こえてきた、私を呼ぶ声。
こんなとき、耳のいい自分に拍手を送りたくなる。
それ以上相手を確認せずに走り出したのに、今度は振り切れなかった。
わかってるわよ。
私は確かに足が早いほうだけど、この男には絶対敵わないなんてことは。
それにしても、こんなに早く追いつくとは、なんて無駄に瞬発力のある奴なのかしら。
「あーら、趙雲。こんなところで何してるの?」
「先ほどの部屋に行ったら、今日の執務は終わってると聞いてね」
うわっ、誰よ。喋ったのは。
やっぱり口止めくらいしておくべきだったかしら。
いや、無駄ね。
きっと貼り付けたような爽やかな笑顔と巧みな話術でバレるのがオチだわ。
「そう、聞いたならわかってるでしょう。私は部屋に戻る理由がないの」
だからこの手を放してねと暗に笑顔で伝えてみたのだが、無駄だったらしい。
「では、行こうか」
「行くって‥どこへ?」
「今日、は休みなんだろう?」
なんだろう。にっこりと形容出来る笑みにものすごく嫌な予感が走る。
「でも、趙雲は執務が終わってないでしょう?」
まだ朝で登城したばかりだから終わっているはずがない。趙雲の仕事量がそんな簡単な量じゃないことくらいは知ってる。
「それなら大丈夫さ。私の文官はみんな非常に優秀な者ばかりだからな」
うわっ、最悪だ、こいつ。
抜け出す気だ。
普通に抜け出して部下にすべてを押しつける気だわ。
「さぁ、行こうか。。それとも諸葛亮殿が探してるみたいだから共に行こうか?」
あぁ、この黒すぎる爽やかな笑顔から、どうやったら逃れることが出来ただろう。
「不満そうだな。この趙子龍が付き合ってやっているというのに」
「誰も頼んでません」
ただの一言も。
アンタが勝手に私の手を引っ張ってきたんじゃない。
とは思っているが、馬上から落ちたら洒落にならないので黙っている。
「そんなに戻って諸葛亮殿の執務を手伝いたいなら止めはしないよ。城に戻ろうか?」
「…アンタ、性格悪いって言われない?」
「さぁ、言われたことがないな」
アンタが恐くて言えないだけじゃないの?
ウチの腹黒軍師みたいに。
ぐっと後ろから抱きこむ腕に力が入ったのがわかった。
「な、なに?」
「少し速度を上げる」
馬で趙雲がつれてきてくれたのは町中のはずれを流れる河原だった。
キラキラと反射してる水面はまぶしくて、蝶々たちが自由に舞い踊ってる。
河原の周りに咲き乱れた花たち。その花弁がたまに吹く風で舞って美しかった。
同じように癒されている人が多くて、子どもを連れた母親や旅人のような格好の人が幾人も見受けられる。
穏やかな日。それを肌で感じられることになごんでいると、影が差した。
「似合うな。かわいいぞ」
「あら、ありがとう」
髪に刺してもらった花に、お礼を返す。
珍しく褒められたので、何かたくらんでいるのかしらと思いながらその顔を見ていたら、顔に正直に書いてあったらしい。
趙雲は呆れ半分、苦笑いを浮かべながら首をかしげた。
「なぜは私の好意を素直に受け取らないんだ?」
「自分の胸に手を当ててよーく考えてみなさいよ」
今まで散々からかったり、おもちゃにしてきてる自分の行為を棚上げすんじゃないわよ。自業自得でしょ。
「私はこれでも結構わかりやすい態度を表していると思うんだがな」
「だから、そういう冗談はやめなさいって言ってるのよ」
「なぜ冗談だと思うんだ?」
「え?だって、アンタが女性を口説くほど困ってるとは、どこをどうみても思えないんだけど」
「まぁ、確かに困ってはいないな」
うわー腹立つ。腹立つわ。
わかるけれどね、わかりすぎるくらい、わかるけれどね。
女官たちが、趙雲様がこちらを見てた〜とかキャッキャッ盛り上がってるのを聞くもの。
町中で歩いてたら声かけられてるのもしゅっちゅう見るし、実際さっき町中を通ってくるときも女の子から声をかけられたし。
城下を歩いてて趙雲に渡してほしいって文を預かったたことだってあるのよ。まぁ、馬超のもあるけど。
・・・・って、おーい。
なぜか人を草むらに押し倒して、上から覆いかぶさってきた真っ黒男をにらみあげた。
「なにやってんのよ?」
「この状況ならもう少しかわいい反応をしてほしいんだが」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ、どいて」
「危機感がまるでないな。私が本気で襲いに来てるとは、なぜ思わないんだ?」
「なんでって、こんな昼日中の河原で、女性に襲い掛かるような馬鹿はいないでしょうよ」
なにしてるか周りから丸見えよ。
町はずれって言っても、さっきも言ったとおり結構人がいるし。
ほら、向こう側にいる人がこっちを指差してるじゃない。なに言ってるかは聞こえないけれど。
「誰もが理性で生きている訳じゃないよ、特に男はな」
「あーら、爽やかそうな顔して趙雲将軍は鬼畜だーって噂が立つわよ。アンタは男にも女にも面が割れてんだからね」
「それはも同じだろう」
「・・・」
言いかえさないけど、平々凡々な容姿の私はあんたたちのような人気はないの。私のことなんて誰も知らないわよ。
「女性の人気を馬超に譲ってやる気なの?」
「それでもいいよ、が手に入るなら」
「はいはい、もういいから」
妙にしつこい趙雲をジト目でにらみあげてやると、やっと退いたので体を起こす。
「少しは意識するようにと思ったんだが、なかなか手ごわいな」
「なに言ってんのよ」
あんたの遊びになんかいつまでも付き合っちゃいられないのよ。
頬に手を添えられ、今度は何かと思って趙雲のほうを向くと、その顔が間近にあった。
濡れた感触を感じて、額に唇が押しつけられたのだとわかる。
「え、ちょ、ちょっと!」
なにしてくれてんのよ、この男は。
「よかった、これでも反応がなかったらここで抱くしかないからな」
押したら簡単に趙雲の体は離れた。でも、跳ねあがった鼓動は収まらないまま。
当たり前だ。こんなこと、されたことがないんだから。
「え?え?ちょっと待って、アンタ、まさか本気?」
いくら趙雲が女性に人気があるといっても、その隣に特定の女性の姿を見たことはなかった。
誰彼かまわずこんなふうに女性に触れるような男ではないということくらいは知っている。
「当然だろう」
「アンタが私を?」
「いけないか?」
え?え?え?え?
「だって趙雲なら誰でも選り取り見取りでしょ?選びたい放題なんじゃないの?」
「まぁ、そうだな」
「なのに私。なのに私なの?え?なんで私?え?・・・アンタって、趣味変わってるわねー」
「。それ、自分で言ってて悲しくないか?」
「うっさい」
ちょっと頭がパニック状態なのよ。見りゃわかるでしょ。
「え、ほんとに本気なの?」
「なんならここで見せようか?」
「いや、いい。遠慮しとく」
なにする気か知らないけど、その笑顔が怖いから即ご遠慮申し上げた。
えぇ、でもさ・・・
言葉に出さず、隣に座る趙雲を見る。
にっこり笑顔で私を見つめるこの男。
天は二物を与えずなんて言うけど、この男はそれに当てはまらないなと正直思う。
顔は文句を言わずに美形。たしかにそう。武将としての力も、将軍としての兵の使い方も、戦場を駆ける心胆の強さも文句なし。兵士たちや殿からの信頼も厚い。
この男が私を?
なんだか現実的じゃないなと思う。
趙雲が平々凡々な私を想うなんて。
「で、どうなんだ?」
「どうって?」
「は私をどう思うんだ?」
どうって言われても、男としてってことだろうし。
「男だけど、男の範疇に入ってなかったというか。そういう目で見てないから、なんというか答えに困るんだけど」
「馬超や姜維は?」
「は?なんで、そこで馬超や姜維の名前が出るのよ?」
「誰もそう見ていないのか?」
あぁ、そういう意味ね。
「みんなそうよ。馬超も姜維も。そんなの気にしてたら一緒に戦えないじゃない」
当然と思って答えると、趙雲はふむとつぶやきながら笑った。
「なんかうれしそうに見えるんだけど、なに?」
「いや。かわいいな、は」
ただ笑っているだけなのに、なんで黒い笑みで見えるんだろう。
「アンタさ、やっぱり私をからかってない?」
「からかってなどいないさ。純粋に褒めているんだろう」
いや、今までの経緯から素直に言葉が受け取れないんだけど。
なんか裏がありそうな予感がしてしまう。
いやいや、頭から疑うのはよくないわ。
でも、相手が趙雲なのよね。趙雲。
なんて考えていたら耳に濡れた音が届いたので、思わず耳を押さえてのけぞった。
「ぎゃあっっ!!」
「もうちょっと、なんとかって声はあげられないのか?さすがに萎えるんだが」
「無理言わないで」
とっさに出た悲鳴なんだから選べるか!
「趙雲、とりあえずアンタは今後私に近寄ること禁止ね」
「そんなもの、守るわけがないだろう」
「言いきるんじゃないわよ!アンタのそばは危険だってよくわかったわ」
こんなに手が早かったの、この男。
堅物だって思ってたのに、離れなきゃ身の危険だわ。
なんて思うのがわかったのか、趙雲の動きは早かった。再び私を覆う影。
「え、ちょっ、ちょっと」
「意識してもらうのは歓迎するが、今の接近禁止は取り消してもらわないとな」
そのきれいな顔が至近距離にあると心臓に悪すぎる。そして私を見下ろす笑顔がさっきより怖すぎる。
抜け出そうとぎゅっと握られた手首を押し返してみたが、ビクともしない。
「取り消してくれるんなら離れるよ」
「わかったわかった。取り消すから、だからどいて」
「それと、馬超に抱きつかれるのも禁止だ」
そんな無茶苦茶な。
「あれは私が頼んでるとかじゃないじゃない。言うなら馬超に言ってよ」
「それと、黄忠殿の部屋でお茶を飲むのも禁止だ」
「ええぇ?なんでダメなのよ?っていうか、なんでアンタが知ってるのよ」
「あと、姜維と食べ歩きもな、私を呼んでくれ」
「趙雲は甘いもの好きじゃないじゃない」
「あとは・・・」
「ま、まだあるの?!」
「名を呼んでほしいな、子龍と」
「なにを・・・」
「駄目だというなら今、この唇をもらっておこうか。どうする?」
なにを言い出すんだ、この男!
どうするもなにも私に選択肢がないじゃない!
「こ、こんなのズルいわよ」
「お褒め頂いて光栄だな。相手の退路を断つのは戦の基本だろう?」
頬に吐息がかかって顔をそらせた。
だから近いってば!
「一度だけ」
「わかった、わかったから」
かかる声が近くてくすぐったい。
耳に吐息をかけるな、馬鹿!
「子龍」
横を向いたままその名を呼ぶと趙雲はやっと上から退いてくれた。
だぁぁあぁぁーーー・・・
無駄に心臓を運動させられて、ドッと体が重く感じる。
一日中、馬で走ったみたいに全身に疲れが押し寄せてきた。
まだまだ日は高いけれど、もういい。早く家に戻って寝よう。
「なんかもう、すっごく疲れたわ。帰りましょ」
座ったままの趙雲を促して、先に立ち上がると馬の手綱を取った。
今度は後ろに乗ろうかなどと考えていたら、黙ったまま立ち上がった趙雲が寄ってきて、後ろから抱きすくめられる。
「ちょっと!約束が違うわよ!」
「・・・・」
「・・・趙雲?」
なに?
なにも答えない趙雲に、なんか雰囲気が違うと気づいた。
交差している腕は緩む様子がなくて、趙雲がどんな表情をしているかが見えない。
ぴったりと寄り添った背中はなんだか熱くて、肩口に吐き出される息も熱くて、抱きしめられる腕にさらに力がこもったのがわかった。
「が好きだ」
「・・・っ・・・」
直接耳を揺さぶられて息を呑んだ。心まで届く想いの言葉だった。
どくんと鼓動が跳ね上がったのがわかる。さっきの驚いて跳ね上がったのとは違う。
愛しい。
愛しい。
吐き出されたその想いに揺さぶられて、ときめいている。
振り返って見あげた趙雲の瞳には色がともっていて、その瞳には私が映っていた。その瞳に魅せられる。
「・・・駄目」
その瞳に映っていること、私を求めてくれていることに喜びを感じているのが自分でもわかる。
触れてもいいと思っている自分が少なからず存在しているのもわかる。
だからこそ、ここで流されるのは失礼だと思った。趙雲の想いの深さがわかってしまったから。
「趙雲の想いの深さがわかった。だから駄目」
「私がいいと思っていてもか?」
「駄目よ。だって趙雲の想いと私の想いは違うわ。わかっているでしょ?」
「にはその価値があるよ」
「自分を安売りするんじゃないわよ。あんな声で告げておいて・・・体だけでいいなんて思っていないでしょ?」
「思っていないが、それくらいが欲しいと思ってるよ」
「私にとって、アンタの想いはそんなに軽くないわ。ちゃんと考えるから時間を頂戴」
そう答えつつ、答えはそんなに遠くないような気がしてる。
きっと、趙雲もそれがわかってる。
「では暫し待とうか。の想いが私に追いつくまで」
えっとですね、告白の予定ではなかったんですが、続きを執筆してたら勝手に趙雲がしゃべりだしましてね、勝手に告白しちゃったんです。
書き出した日付が14年前で、これからデートってところで止まっていたので、文字通りの積年の想いってやつでしょうか(笑)
まぁ、先にできてた馬超に比べて長い長い。
いや、ホントにごめんよ、待たせて。続きの予定はないけど(爆)
2019/11/13(加筆)
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