後ずさりして走り出した。
とにかくここを離れなくちゃ!
後ろから掛けられた声に振り向かずに走り出したが、どこへむかって逃げればいいのかわからなかった。
このまま城門へ向かうのは、危険すぎる。かといって、二人が来る可能性を考えて執務室に戻る選択肢はないし。
中庭は軍師様の部屋から近いから隠れておくには不向きだし、とりあえず稽古場のほうへ行って、しばらく隠れておこうかしら?
頃合いを見て出てきて、城門から抜け出せばなんとかなりそうな気がする。
うん、そうしよう。
方向を変えて稽古場へ向かって走っていったら、角の建物を曲がったところで誰かにぶつかった。
「私から逃げられるとでも思いましたか?」
「な、なんでそんな格好なのに私より早いのよ!」
信じられなかった。
これでも足の早さには自信がある。
趙雲や魏延殿には敵わないけど、こんなボテボテの文官服を着た白南瓜に負けるなんてありえない!
「あなたのいつもの行動から、退路を考えるなどたやすいことですよ」
なにーーー?
身体能力じゃなくて頭脳戦ですって?!
「こんな時に軍師の能力を使うなんて卑怯だわ!」
「お褒めの言葉、ありがたく受け取っておきましょう。さぁ、行きますよ」
「いやぁーーーーー・・・」
ズルズルと引きずられつつ、遠のいていく景色たちに助けを求めた。もちろん無駄だったけど。
「、もっとテキパキと動いてほしいのですが」
「無理です」
「そんなことではいつまで経っても終わりませんよ」
「そんなこと言われても無理なものは無理」
私にアンタ付きの文官の超人的な動きを期待されても出来るわけないじゃない。ただでさえ睡眠不足で頭働かないんだし。
「あなたを鍛えるため、心を鬼にしてあげているというのに」
「結構です」
即ご遠慮申し上げた。
軍師様には必要不可欠でしょうけど、私にはそこまでの処理能力は必要ありません。
「第一、私のところにはこんな沢山の書簡はこないもの」
ぞっとするわよ、机が埋まるその書簡の数には。
見ただけでやる気が失われそうなこの光景で仕事をこなすなんて、軍師様はなんて心が強いんだろうと尊敬する。
そこそこの速度で処理しているのに、次から次へと運ばれてくるし。
怖い。怖すぎる。
「何ならまわしてあげますよ?」
「お気遣い無用よ」
それこそ冗談じゃないわ。そんなことされたら本当に寝る暇も無くなるじゃない。
「ではそろそろ行きましょうか」
「行きましょうって、え?え?こ、これはどうするのよ?」
私の腕を持って、迷わず部屋から出て行こうとする軍師様に声をかけた。
机から落ちそうなほどの書簡の数々。
朝なのにこの状態なのだから、まだまだ増えるだろうってことは間違いないはず。
「大丈夫ですよ。姜維ならば優秀ですから」
白南瓜軍師の黒い笑みに、心の中で合掌した。
これを?この量を?
・・・・姜維殿、死なないでね。
そのまま部屋を出て、腕の引かれるまま、白南瓜に促されて馬で駆けてきた。
来たのは小さな池。周りはもみじが数えきれないほど植わっていて真っ赤で、その中で桃色や黄色い花を付けた背丈の低い木などが明るく彩っている。
見上げる紅葉は頭の上から静かに降り注ぎ、地面や池のほとりまで赤く彩っていて夢の中のようだった。
「軍師様はいろんなところをご存知ね」
「気に入りましたか?」
「もちろん!連れてきてくれてありがとう。湖面に彩りが映って別世界のようだわ。月英さんもこんなところで逢瀬なんて羨ましいわね」
大きな木の幹を撫でながら降り注ぐ紅葉の雨を見上げていたら、後ろに来た軍師様から違いますと答えをもらった。
「違うって?」
「ここへ誰かを連れてきたのはあなたが初めてですよ」
「え?月英さんを連れてきたことがないの?」
「月英とは男女というより同志に近いですから。共に外へ出るということはありません」
「そうなの?あ、まぁ、わかるわ」
二人の空気は軍師様が姜維と居るときに近い感じがするから。
でも、月英さんはそれでも楽しそうで、不満を感じてる様子はないなと思っているけど。
「なぜあなたを連れて来たかわかりますか?」
「なぜって、わからないわ」
「私が惹かれてるのはあなたですといったら、どうします?」
「それは光栄ですって返すわね」
「おや、その答えは本気とは思っていませんね?」
「当然でしょ?軍師様がどのくらい女性から文をもらっているか、私が知らないと思ってるの?」
趙雲といい馬超といい、うちの軍はなんでこう男性陣が美形だらけなのかしら。
星彩も可愛いし。月英さんも美人さん。
・・・レベルを下げてるのは私かしら?
「軍師様は女性からの引く手数多でうらやましいわ。私を口説くほど困ってらっしゃらないでしょ?」
「にはそういう話が来ませんね」
「うるさいわね。どうせ私は軍師様と違って文一つもらったことはないわよ」
誰かから声をかけられるとしたら稽古の話とか、練兵の話とか、軍議のお知らせとか。
考えると切ないわ。やめよう。
「何故だと思います?」
「なんでって、私が平々凡々だからでしょ?そんなことわかってるわよ」
「私がつぶしているからですよ」
驚きが大きすぎて、言葉が出なかった。
つぶしてる?なにを?
「あなたを渡したくないから、あなたがどこにもいかないよう手をまわしています」
「なにを、いってるの?」
なにを考えているかわからなかった。
冗談ともつかない話。話だけ聞いていればありえないことと一蹴できる内容。
でも、私を見つめるその瞳が、それを許さなかった。
「が好きです」
「ま、待って。待って待って。頭がついていかないわ、アンタが私を?」
「えぇ、ずっと前から。あなただけを想っています」
掴まれた腕に力がこもったのがわかった。
「あなたが好きなんです」
なんだか捕まりそうな自分が、いるような気がする。
身を引こうと体が動いた。
本能的になのか、反射的になのか、自分でも判断がつかなかった。
「逃がすと思いますか?」
身を引くより先にグイッと腕が引かれて、その腕の中へと閉じ込められる。
「ちょっとっ・・・」
「あなたが今この手を振りほどくなら、あなたを諦めましょう」
そういわれて、振り払おうとした動きを止めてしまった。
「ずるいわ。そんな、急に言われたってっ・・・」
「私のことはどう思いますか?」
「どうって、考えたことがなくてっ」
「ではこのまま考えてください。振りほどかないでくださいね。諦めたくないので」
「えぇ?このまま?!このままで考えるなんてできないわよ!」
髪に当たる軍師様の吐息が、その距離の近さを余計に意識させる。
顔が熱い。
きっと、今の私は周りの紅葉に負けないくらい赤い顔をしている。
「なぜですか?」
「頭が働かないわ」
「ドキドキしていますか?」
「してるわよ、ずっと!当然でしょ!」
触れた先から伝わってくる体温が熱かった。
こんなに近くに軍師様を感じたことなんてない。
「今朝、馬超殿に抱きつかれていましたね?その時もそうでしたか?」
「え?」
「趙雲殿にも抱きしめられていたでしょう?その時はどうでしたか?」
「どうって、あれは羽交い絞めに近くて、ドキドキなんて・・・」
「では今は?」
ぎゅっと抱きしめられる力がさらに強くなった。
甘い匂いが鼻をかすめていく。
軍師様がつける香の香り。なんだか酔ってしまいそう。
「私はの特別にはなれませんか?」
「馬超や趙雲よりは特別かもしれない、けど。好きかどうかわからないわ。ドキドキしてるのは本当だけど」
働かない頭で、思ったままを答えた。
「あなたが好きなんです。どんな卑怯な手を尽くそうとも」
あなたがほしいんです、と吐息交じりで囁かれて、ぞくりとなにかが抜けていく。
このままここに居たら心臓が爆発してしまいそうだと震えながら思った。
「時間を、頂戴」
「このままでは駄目ですか?」
「駄目。駄目。考えられないわ。お願い」
「わかりました。では、条件を一つ」
「なに?」
「孔明と、呼んでいただけますか?」
抱きしめられたままで、その表情は見上げることを許されなかった。
いつもと変わらない口調で、でも、何かが違う気がする。
名を呼ぶことに抵抗はなかった。
「孔明」
「・・・っ・・・」
息をのむ音が聞こえて、私を抱きしめるその腕が、何かを抱えているって感じ取った。
なにかはわからない。
その背中に腕をまわしたくなる自分がいることに気づいた。
でも、駄目だ。
ぎゅっと拳を握った。
「ありがとうございます」
穏やかな声とともに腕が緩んで、熱さが離れていく。
私も手を離した。軍師様との距離は離れたけど、心臓は落ち着かないままだった。
私達の隙間に吹く風が冷たく感じて、変わってしまった自分を感じ取っていた。
なんか、離れたから、逆にわかってしまったような気がする。
私は軍師様・・・孔明から逃げることなんてできやしないんだから。
こちらも趙雲と同じで、連れ出してデート本番前で止まってました。
14年前なんで、軍師さんがどこへつれてってくれる予定だったか覚えてなかったんですが、
積年の思いパート2だったみたいで、続きを書き出したら軍師さんも勝手に話し始めまして、あれよあれよという間に告白で羽交い絞め。
さすが軍師様だ。うん。ほんとにごめんよ、待たせて。後は関平かぁ。うーむ。