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「共にいよう」
それは幼いころに交わした二人の約束だった。
「呂布殿、このような時間にどうしたのだ?」
「少し、話がしたい。いいか?」
土産だと差し出してみせた酒の瓶を見て、は少し微笑んでから、扉を開けた。
招き入れられた室内を軽く見渡していると、杯を持ったに声をかけられた。
「どこで飲む?」
「どこでもいい」
「今夜は月がきれいだから、月を肴にしよう。どうだ?」
「あぁ、そうだな」
窓際には敷き布がひかれていた。適当な位置へどかりと座って、黙って酒を差し出すと、はにっこりと微笑んだ。差し出された杯になみなみと酒を注ぐ。
手酌で自らの杯にも注ぎ、の顔を見つめた。
「乾杯」
キンっと高い音を立てて杯が鳴いた。
「うまいだろう?」
「あぁ、私の好みだ」
の顔がうれしそうに綻んだ。
に酒を注いでやると、もう一口あおった。
よかった。
それを見て、俺も一口飲みほした。
陳宮に用意させたこの酒は少し甘く、たしかにうまい。うまくはあるのだが、俺には少々物足りない。
「うまいな」
「あぁ。私は好きだが、呂布には物足りなくないか?」
呂布の好みはもっと辛口のものだろう?と問われ、まあなと答えて、杯をあおった。
「きれいな月だな」
「昨日は雲に隠れてしまっていたからな。実は月見をしていたところだったのだ」
「は昔から空を見るのが好きだな」
何もなかった野原に寝そべって、よく空を見上げていた。
興味があったわけではないが、付き合って俺も見上げていた。
「、お前とは長い付き合いだ」
「あぁ、そうだな。こーんな童の頃からだからな」
「懐かしいな」
男も女のないころから共に過ごし、よく野を駆けまわっていた。
少し成長してからは共に切磋琢磨し、武を磨いた。
広い世界で頂点をめざし、狭い故郷を飛び出した。
丁原に仕え、董卓のもとへいき、洛陽を追われ、今、己はこの城の主となった。
何者でもなかった俺が、最強の武人と呼ばれるようになり、世に名を知らしめるまでになった。
それでもまだ、天下は手中に収まらない。
「まだ志半ば。天下は大きいな」
「呂布、どうしたのだ?そんな話をしに来たのではあるまい?」
は杯から口を離して俺を見つめている。
杯を置き、改めて、を見つめる。
肩にそろえた黒髪。いつもは結ばれているが、今は下ろされていた。
月明かりに照らされた白いほお。美しい女。
その白さへと手を伸ばした。
「」
二人でいるときは「殿」をつけない。
二人で決めた約束だった。
奉先から呂布殿へ。
互いは何も変わらないのに、なぜ呼び名を変えるのか。
強さと共についてきた地位や立場の違いについてに諭されたとき、そんなものなど関係ないと反発したことがあった。
あの時はただ少し気に入らないと思っただけだった。
なぜ気に入らなかったのか、わからなかった。
今は、わかる。
「呂布?」
お前を。
こんなにも想っているのだと。
いつからか?
わからん。
息をするように、ずっと共にいた。
これからも、そうであろう。
何も変わってはいない。
変わってしまったのは俺のほうなのだろうか。
ただ隣にいるだけでは満足できぬ。
手に入れたい。
愛している。
「えっ・・・・?」
「愛している、」
手首を掴むと、酒が残っていたの杯が手から落ちて床を転がっていった。
こぼれ散った甘い酒の香りがあたりに広がって鼻をくすぐる。
俺を見上げるの瞳に揺らぎはなかった。
「呂布、戯れが過ぎるぞ」
つかむ手首の熱さも、視線の色の違いも、いつもの俺ではないはずなのに、お前には伝わっていないのだろうか。
戯れではない、と。
答える代わりにその体を引き寄せて抱きしめた。
伝い落ちた酒の跡を追い、首元を吸い上げると、びくりと震えたのがわかった。
体の奥底にある欲が擡げてきて、男としての薄暗い悦びが広がってくるのを感じていた。
「」
こんなにも柔らかいものだっただろうか。
いつの間に、こんなに変わってしまったんだろう。
甘い香りと白い肌に酔いそうになりながら、舐め上げた。
「呂布頼む・・・やめてくれっ・・・!」
見たこともないほど蒼白な顔をしたの顔がそこにあった。
「頼む・・・」
ズキリと胸の奥に大きな痛みが走り、全身へと広まっていく。
つかんでいた指先から力が抜け、の上から退いた。
がゆっくりとその身を起こした。
「呂布・・・」
「、お前にとって俺はなんなのだ?」
身を起こしたの顔を見れずに、顔を外らせたまま問うた。
獰猛な光を宿した獣の本性は、まだ身の内で燻ぶっているままだ。
欲にまみれた醜い己の姿が、部屋の奥の姿見に映しだされていた。
「私にとって呂布は、命を捧げるに値する存在だ」
「・・・っ・・・」
昔はうれしかったその言葉が、今はどうしようもなく苦痛だった。
息が詰まるような感覚を覚え、この身を焦がす激情に再び流されてしまいそうになる。
「今、それを言うのかっ・・・」
ぎりりっと拳を血が出そうなほど握りしめた。
「嘘偽りない本心だ。誰を敵にまわそうとも呂布、お前の隣にいる。お前の背中は私が守る」
それは、幼き頃に交わした約束。
「俺はもっと強くなる。強くなって天下に名を知らしめてやる」
「奉先らしいな」
「なぁ。は俺が天下を取れると思うか?」
「あぁ、お前なら取れるさ。私も共に行くよ。共に行って、その背中は私が守る。ずっと」
お前も覚えているな。
俺も覚えているぞ。
いくつもの戦場を駆け、ずっと共にありたいと思ってきた。
嬉しかったその言葉を、今も変わらずもらっているのに。
どうしようもなく苦しかった。
どうしようもなく憤っていた。
そして、どうしようもなく渇いていた。
どうしてあの頃のままでいられないのか。
どうしてこの思いがこんなにも黒く染まっていくのか。
その答えを。
わかっているのだ。
これは嫉妬だと。
俺は、知ってしまった。気づいてしまった。
張遼を見つめるの瞳に、気づいてしまったのだ。
耐えられなかった。耐えられるわけがなかった。
だから来た。
がほしくて。
ただその存在を求めて。
聞くだけ無足だとわかっていて、それでも問わずにはいられなかった。
「どうしてっ・・・張遼なのだっ・・・?」
「っ・・・」
どうして、俺ではないのだ。
こんなにも共にいるのに。こんなにもお前を想っているのに。
どうしてお前は俺ではなく張遼を見ているのだ。
なぜだ?
どうしたらお前が手に入る?
「張遼がいるから、か?」
だから俺を選ばないのか?
俺はどうしたらいい?
「張遼を殺したらお前は俺のものになるのか?」
「そうではない」
静かに届いた否定の言葉。
張遼を守りたいからなのではないかという疑いの気持ちもわかぬほど、まっすぐな瞳が俺を射貫いている。
「さっきも言ったが、私にとって呂布は魂を分けたような存在だと思っている。特別なんだ。男とか女とかではなく、ただ共に生きられる。生きたいと思う。呂布は唯一無二の存在だよ。私は武人としてこの命がある限り、お前と共にありたいと思っている」
は俺が唯一無二だという。俺が特別だという。
それは。
「張遼が・・・」
問いかけたい、その思いがありながら続く言葉が消える。
すがりつくようにの手のひらをみつめる。
これから発するその先を、確認することが怖かった。
戦場を駆け、死を間近に感じたことも一度や二度ではない。
戦場で向けられる刃より、今からその答えを聞くことのほうが怖かった。
でも、どうしても知りたかった。
「もし張遼が、俺の元を去ったとしても、お前は俺の元にいるか・・・?」
が目を見開いたのが気配でわかった。
きっと、俺は今、ひどく情けない顔をしているだろう。
指先が少し震えていくのが己でもわかった。
「・・・呂布、顔を見せてくれ」
顔を伏せたまま、握りしめた拳に力がこもった。
の顔が見られなかった。
ただ怖かった。
お前を失うなど、俺には考えられない。
「奉先」
冷たい頬に触れる、の手は温かかった。
そして促されるまま、顔を上げていく。
「いるぞ。私はここにいる。私はお前と共にある」
間近で見つめてくる瞳は、まっすぐ俺を捉えて曇りない。
「張遼がいなくなってもか?」
「そうだ」
「俺のために武を揮い、俺のために戦場をかけるのか?」
「そうだ」
「俺と共にいるのだな?」
「そうだ」
「それでもっ・・・・・・・それでも、俺のものにはならぬのだな?」
「なれぬ。女としての私は、呂布の気持ちに答える術を持たぬのだ」
痛かった。
苦しかった。
もらった言葉を受け入れるには苦しすぎて、拳はまだ震えていた。
「もう何もせん。何もせんから、もう一度だけ抱きしめてもいいか?」
「ああ」
抱き寄せた体はその体は、やはり小さくて泣きたくなってしまった。
愛しい。
愛しい。
そんな言葉では言い表せない。
ただ、欲しい。
ほしかった。
が。
体も。
心も。
己の魂が何より、望んでいる。
どうしようもなく。
こんなにも。
こんなにも、お前を求めてお前を想っているのに。
「・・・・ッ・・」
俺が怖いのであろう。
腕の中のはかすかに震えていた。
震えながらも逃げ出さず、声も上げず、ただただ俺の腕の中にいた。
まわされることなく、ただそこにあるの手が悲しい。
抵抗はない。
でも、求められているのは俺ではない。
それがわかって悲しかった。
この武も、この命も、たしかに己のものなのに。
今はこの腕の中にいるのに。
俺のものではなかった。
天下を取っても一番願うものは手に入らない。
それがわかってしまった。
この匂いも、肌に触れるこの温かさも、決して忘れぬと心に刻み付けて。
ゆっくりとを離した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「先ほどはすまなかった」
生まれて初めて地まで頭を下げた。
の意思を無視して欲に流されそうになってしまったことを申し訳なく思った。
「・・・お前だから今回は許してやるが、次はないぞ?」
頭を上げてみたその瞳は、いつも俺を見つめてくれるのものだった。
何もなかったかのような穏やかな温かさ。
でも、俺だからわかってしまう。のその心中の揺らぎと叫びが。
「震えているな」
「少し驚いただけだ。突然だったからな。この貸しはつけておくぞ?」
変わらぬものを望まれていて、変わらぬものを返そうと決めた。
見せかけでもいい。
今この時だけ、が望む形でありたかった。そのために必要な会話がある。
「しかし、張遼か。あの阿呆のどこがいいのかわからん」
「言ってくれるな。阿呆なのは否定せぬがな」
「張遼に泣かされたらすぐに知らせろ。俺が八つ裂きにしてやる」
「呂布がいうと現実になってしまいそうだな。でも陳宮殿や高順殿に怒られるぞ?」
「それは怖いな。特に陳宮は怒ると容赦がない」
「たしかにな」
俺が笑うと、も笑った。
穏やかな時はともに願うまま流れている。
「こぼしてしまって悪かった。冷たいだろう?着替えろ。俺は部屋へ戻る」
「そうか」
の顔を見ないまま立ち上がった。
扉まで送ってくれたにもう一度謝る。
「今夜はすまなかった。この借りは必ず返す」
「あぁ、わかった」
「おやすみ」
「おやすみ」
扉の先にの姿を置いて、挨拶を返してもらって暗い廊下を通り、まっすぐ自室を目指す。
明かりは消えているが、窓から差し込む月明りでほのかに明るい室内。
扉を閉め、音のない室内をとおり、寝台へと腰を下ろした。
己の手のひらを見つめ、ぎゅっと拳を握りしめた。
腕の中に、もうはいない。
「・・・・・・っ!」
頬をつたう涙を、止める術はなかった。
こみあげてきた嗚咽は、抑えることも殺すことも叶わなかった。
ここにはない霞を抱く。
甘い甘い酒の匂いに包まれたまま、ただ一人の女を想っていた。
書き出したのがおよそ1年前。リハビリにしては時間も内容も長くなってしまった。以下、当時のあとがき。
作っているとき、キャラに感情移入することはあるが、張遼の作品も含めてしかめっ面ばかりで作っていた作品。張遼のほうは両思いなのに。
なんか昔作っていたときとテイストが変わったなぁ。10年で私も少しは成長したのか?(笑)
はじめはちょい話だったのに、壮大な愛のストーリーに成長してしまって我ながらびっくり。
武人として共に頂点を目指す中で、男と女だからちょっとしたきっかけで起きてしまうこと。
でも、それぞれが大切で、変えられない存在だから壊せない。
後から入ってきた張遼とのお互いの関係をお互いが羨んでいる、という。
最近改めて4の『呂布と張遼の武』のイベントをみて、ただの上官と部下ではない二人の関係が羨ましく思います。
このヒロインも、そう思っている設定。
もちろん張遼はヒロインと呂布の関係が羨ましすぎて卑屈になってます。
このヒロインが下ヒの戦いを迎えたら、涙がこぼれそうだ。
2019/8/21
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