「おい、起きろ」
夢から引きずり出され、寝ぼけたままの頭は誰の声なのか認識出来なかった。
「や?へ?え?あ?う?」
えっと、えっと、わたしは?
寝ぼけた頭は働かなくて、でも声は誰のものかわかった。
「え?との?」
暗い室内。寝ていたので明かりは灯していない。
殿が持っている明かりだけだ。
窓の外の空は、朝のようだが、まだだいぶうす暗かった。
「え?へ?え?え?」
「うるさい」
しかめ面を浮かべた我が主人は、怒っていらっしゃる。
ここはどこ?
薄暗い中、あたりを見渡したが、城内にある私の自室だ。
うん、たしかに私の自室。
では、なんでここに殿がいらっしゃるのか?
「乙女の私室へ断りなく入るなど、礼を欠く行いですよ」
「礼など知らん。早くしろ」
なんだか我が主人はかなりご機嫌がよくないようなのだが、どういう状況なのか、まったくわからない。
「早く、とは?」
「遠乗りだ」
殿とは昨日の夕刻時に顔を合わせた。そのとき、稽古の出来栄えを珍しく褒めてもらい、有頂天になった。
でも、それだけだ。
遠乗り?
そのような言葉を交わした覚えはないが、浮かれすぎて聞き逃してしまっていただろうか。
「約束しました?」
「そんなもんはいらん。いいから早くしろ」
いやいやいや。
「いりますよ・・・・」
このお方が無茶苦茶を言うのは今に始まったことではないが。
約束もしていないのに、どうやって用意していろというのだ。
「いつまで待たせるのだ」
「突然申されましても・・・」
まだこの状況に頭がついていっていない。
そもそも、女性の支度には時間がかかるものなのですが・・・・って、きっと殿にはわかって頂けないだろう。
まぁ、いい。
遠乗りに行くのであればとりあえず着替えなければいけない。
「あの、殿…」
「なんだ?」
「まず服を着替えたいのですが」
「着替えればいいだろう?」
この「何を言っているんだ?」と言わんばかりの表情は、なんなのか。
着替えると伝えたのにまったく動く様子がないとは、どんな嫌がらせだ。
「うら若き乙女の着替えを見てはいけません」
「お前の裸など気にせん」
「殿が気にしなくとも私が気にします!このままもう一度寝ますよ!」
チッと舌打ちをすると、部屋の外へいっていただけた。
はぁ。まったく、嵐のような御仁だ。






「お待たせいたしま・・・・」
「遅いっっ!」
用意をして部屋の扉を開けたら開口一番に怒鳴られた。
この殿はたとえ10秒でも待たせたら怒られるのだ。
これでも平常よりかなり急いで用意したというのに。
「申し訳ありません」
なんか納得できないものを感じつつ、頭を下げる。
「この俺を待たせておいてなんでそんなに不服そうなんだ?」
「いえ。ところで、どちらまで行かれるおつもりですか?」
「あっちだ」
「・・・・」
指がさされた方向を、つい素直に見てしまった。
私は場所の名前を聞きたかったのだが、わざとだろうか。
その強さに心から畏敬を抱いている我が主人ではあるが、たまに殺意がわくときがある。
、早く来い」
「はい」
いうが早いか、先に歩きだしたその背中を慌てて追いかけた。






外へ出ると、先ほどより少し明るくなっていた。
厩へ行くと、厩番が駆け寄って来ようとしたが、殿は片手で制し、厩番は頭を下げて下がっていった。
殿は愛馬ではなく栗毛の馬を選ばれた。
「珍しいですね。なぜ赤兎ではないのですか?」
殿に赤兎で行かれたら、私じゃなくともついていけないのだけれど。
「陳宮に気づかれるだろうが」
答えつつも、こちらを向かない殿。
あ、なんか、ろくに日も出ぬうちから誘われた理由が少し見えた気がした。
「まさか、とは思いますが殿。今日までのお仕事があるなんてことは・・・?」
「あんなもの俺がやらずとも張遼と陳宮なら出来る」
殿のお答えにがっくりと首を落とした。
あー・・・やっぱり。
「いやいや、そういう問題ではありませんって」
殿にやって頂かねばならぬ採決だから、殿の机上へ並ぶんです。
わかってますか?
あのお二人は怒ってるのに笑っていらっしゃるから怖いんですって!
お二人の黒い笑みを気にされないのは殿だけですよ!
「殿が机の上の仕事がお好きではないことは重々承知しておりますが、終わらせてしまったほうがいいかと思います」
殿にとっても。・・・私たちの精神衛生上でも。
「私にお手伝い出来ることでしたらやりますので」
「今日は遠乗りの日だ。もう決めた。ごちゃごちゃ言ってないで行くぞ、乗れ」
あぁ、ごめんなさい、陳宮殿、張遼殿。
ついでに、きっと八つ当たりを受けるであろう高順殿。
一応、説得はしましたが、私では殿は止められません。
怒らないでくださいね。
心の中で、できる限り謝って、あわてて馬に跨ると、殿の背中を追いかけた。






「こちらに何かあるのですか?」
もう既に二刻ほど駆けただろうか。
迷わず駆けるその背中に問うた。
「知らん」
あぁ、やっぱり。
「目的地はないのですか?」
「ない」
はっきりと。
いっそ清々しいほど簡潔な答えだ。
「この辺で休むか」
馬の手綱を木に括っていると、その間に殿は草はらへと歩いていかれた。
あたりを警戒し、他の者の気配が無いかをさぐる。馬で駆けてくる途中も警戒を緩めていたわけじゃない。
視界の端から端まで、姿を探したが追手などの気配や動きは無かった。
、早くこい」
大丈夫かな。今、ここには私しかいない。
万が一のことがあってはいけない。殿を守るのは臣下の勤めだ。
「警戒しても誰もいないだろうが。早くしろ」
殿にもわかったらしい。
申し訳ありませんと謝って、すぐにその背中を追いかけた。
だいぶ空が赤らんできている。
寝転がって見上げている殿にならって、私も草の上へ寝転んでみた。
「気持ちいいですね」
ああ、なんていい風。頬を撫でる風は柔らかく心地よくて。
「空も風も野も、いい匂いがしますね」
「気に入ったか?」
「はい」

「なんでしょうか?」
起き上がって見ると、殿は私をみて満足そうに微笑んでいらっしゃった。
「今日はお前と馬で駆けたかった」
・・・不意打ちだ。
他意はないのだろうが、それがわかるからこそ、心に悪い。
この殿のこういうところが、人たらしだと思う。
「私も、殿と遠乗りは楽しゅうございました。また誘ってください」
「ふん!次はもっと早く起きろ」
そういうと、殿は目を閉じてしまった。
不服そうな殿の様子に、ふふっと笑いがこぼれた。
「では、お待たせせぬよう致しますので、今度はお約束をくださいね」






「…殿?」
答えはなかった。
代わりに、静かな寝息が聞こえてくる。
寝てしまわれたか。
こうしていると戦場のお姿とは、まるで別人のようだ。
いつもは見上げる偉丈夫な殿が、なんだかかわいく見えてきてしまう。
思わず手を持ち上げたが、その御身に触れてよいのは、私ではないと気づいて引っ込めた。
「おやすみなさいませ」
安らかなるお休みの時、私がお守りいたします。






















ほのかな微糖を目指してみました。叩き起こして連れて行って欲しかっただけ(笑)
くつろいでますが、笑顔の二人がお城で待ってますよー

2019/8/19



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