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「哀・・・」
彼が自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
うっすら明けた目の前に見えるのはキーボードと机。
眠いなとは思っていたけど、彼がコーヒーを持ってきてくれる前につい寝てしまったみたい。
たずねてきた彼の姿は見えないけど、すぐそばにいるのはわかった。
どうしたのかしら?
なんだかいつもと違う。
なぜそう思ったのか理由はわからない。
なんだかいつもの彼の空気と違う気がして、体を起こさずに寝たふりをした。
「哀・・・」
今度ははっきりと聞こえた。
寝ぼけてたのかと思ったけど聞き違いじゃなかった。
彼は私を呼んでいる。
なぜ?
名前で呼ばれたことなんてない。
私のことはいつも名字でしか呼ばなかった。
それは、私と彼との距離。仲間であるから。
一番近しい境遇ではあるけれど、一番近いのは私じゃないという認識をするための呼び名。
「志保・・・」
ドキリと心臓が跳ねた。
愛しさと切なさが混じった重低音。
その音色に含まれるその色を、正確に理解できてしまった。
うそ。
うそだ。
そんなわけないわ。
だって、彼には彼女がいるもの。
ふと、彼が私の髪を持ち上げたのがわかった。
チュと小さなリップ音が聞こえる。
「寝たふりすんなよ」
「・・・・っ・・・」
彼の言葉にビクリと反応してしまった。
彼は私が起きていることをお見通しだったらしい。
でも、なんて言ったらわからなくて、動けなかった。
だって、知ってはいけないもの。
駄目だわ。
「志保」
「・・・っ」
ぐいっと肩を引かれて、体を起こさざるをえなかった。
渇いた喉の奥がひきつって、声を出すことを拒絶してるみたいだった。
「な、に?」
「俺、志保が好きだ」
「なにをっ・・・」
信じられない。
私の瞳はそう伝えていたと思う。
あなたは何を言ってるの。
あなたには蘭さんがいるじゃない。
彼女はあなたをずっと待ってるじゃない。
泣きながら、耐えながら、ただひたすらに。
あなたが帰ってくるのをずっとずっと待ってるじゃない。
彼女の気持ちを知ってるんでしょう?
なのに。そんな。
「余計なこと考えてんじゃねぇ。今おめぇが考えることは一つだ。俺のこと、好きか?」
答えることができなくて、代わりに首を振った。
涙がこみあげてきて視界が滲んでいく。
どうするべきか、どうしたほうがいいのか、わかっているのに。
ひどくうざったい。
・・・彼の言葉をうれしいと感じている自分が。
「言ってくれ、好きだって」
のぞきこむ彼の顔を見ないまま、もう一度首を振った。
「好きじゃ、ないわ」
「俺の目を見て言えよ!言えんのか?」
両頬に手を添えられ、正面から彼の視線を受け止める。
唇が触れそうなほどの距離で、視界には彼しか映らない。
「言っとくけどな、お前の答えがイエスでもノーでも俺は蘭のところへはいかない」
「だめ」
「いかない」
「そんなの、だめよ」
「俺はとっくにお前を選んでんだ。だから言えよ、俺が好きだって」
ずるいわ。
唇が触れそうなほどの距離で。
あなたしか見えないのに。
好きじゃないなんて、言えるわけがないじゃない。
こんなの、ずるい。
「好、き・・・」
こぼれてしまう。
ずっと、秘めていくつもりだったのに。
伝えるつもりはなかったのに。
こんなの、ずるい。
「あなたが、好き」
「言いながら泣くなよ」
涙止まらない私をやさしく抱きしめてくれる。その温かさがうれしい。
「泣かせてるのはあなたじゃない」
「はじめから素直に答えねーお前が悪い」
「素直じゃなくて悪かったわね」
「バーロー、そんなお前が好きなんだよ」
毎回泣かせちゃうので、今回は泣かせないのを目標に作りましたが、撃沈。
哀ちゃん相手だと強引にいかなきゃくっつかなそうなんですよね。
2019/10/14
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