特別なんかじゃなかった。きっと彼にとってもそうだろう。
だから、忘れてしまえばいいのだ。忘れてしまえば。



















柔らかい風を左から受けつつ、咲き誇る花を愛でる。
ここは三国のひとつ、呉という国の城の中庭。
現代でただの学生をやっていた私がこの世界に飛んできてから、もう10年以上もの年月が過ぎていた。
はじめはどうやって帰ろうかとか、現代のみんなは心配してるだろうとか、そんなことばかり考えていた。
どうして私が、普通にその辺にいるただの女の子である自分が、こんなありえない体験しているんだろう。
それこそなんかの小説の主人公のように突然別の世界に飛んできて、なんでこんな思いしてるんだろうと、自分の身に降りかかった不幸を嘆いた。
天を睨みつけて、信じてもいない神様ってやつに祈ったりもした。
あのときに比べれば、今は少し落ち着いてきたと思う。
まぁ、開き直ったともいうかもしれない。
知らない場所。生きたことのない世界。
血が当たり前に流れるような時代では、地ばかり見ていられなかった。
下ばかり見ていられなかった。
ゲームの中でほど簡単に生き残れるものではなく、夢の中ほど甘い日常はなく、目の前に立つ乱世というものは無知な私に優しくなかったから。
私はゲームが好きだった。
三国無双もやっていた。
オプションで読んで、三国志の話もかじる程度に知ってる。夢小説だって読んでいた。
知っていることがすべて真実じゃなくても、この先に起こることのだいたいを、私は知っている。
でも、このことを私は誰にも喋らなかった。
これからその人がどうなるか知っていて、最期に会うその瞬間すら笑って見せたことだってあった。
助けたくなかったわけじゃなかった。むしろ、死んでほしくない人ばかりだった。
だからこそなのかもしれない。
怖かった。ただひたすらに。己の一言が歴史を動かしてしまうことが。
道を決めてしまうことが怖くて仕方なかった。未来を知っているからこそ尚更にそう感じた。
誰がやめろと言ったわけじゃない。止めているのは、私自身だった。












「なーに暗い顔してんだよ」
いつの間に来ていたのか。気づかないうちにすぐそばに男の人が立っていた。
甘興覇将軍。呉軍の主力たる武将の一人だ。
「私の気持ちなど、あなたにはわかりません」
この時代では、女は男より圧倒的に立場が弱い。
ゲームをプレイしてるときも感じていたことだが、その認識は間違っていなかった。
当然、ここにいる将軍と呼ばれる人には敬語で話さなければならない。ここにいる私は、何も持っていないただの女の子なのだから。
こんな態度だって、絶対に許されるものじゃない。
「人が心配して声かけてやったってんのに、そういう言い方すんのかよ」
失礼な受け答えに対して怒りを感じているようだけど、腰の剣を振り上げる気配はない。
他の国は見たことがないから知らないが、呉の人たちはそうだ。
身分や地位というものを気にせず気安い。
面倒見がいいというか、人がいいというか。
乱世と呼ばれる世にこんなんでいいのかと思ってしまうほど。
名前以外なにも告げないような怪しい者を助け、ただ気に入ったからという理由だけで住む場所を提供してくれた。
こんな人たちだから。だからこそ、今、私はここにいられる。ここにいたいと思う。
私を助けてくれたのは孫堅様だったけど、その孫堅様はもういない。
妹のようにかわいがってくれた孫策様も亡くなってしまって、今この国を治めているのは孫策様の弟君である孫権様だ。
話の流れは正史というより演義にそっている、と思う。
はじめは正史の通りかと思っていたが、違うとはっきりわかったのは虎牢関の戦いの結果だった。
たしか華雄の相手は当時はまだ無名であった関羽殿か、孫堅様か、曹操殿の部下である夏侯惇殿のはず。
でも、実際に華雄を討ち取ったのは、孫策様。
服装や、雰囲気から薄々感じていたことだったけど、この3人ではないということは、この世界は三国無双なのだと確信した。












このごろ思うのだ。
この物語はいったい誰を主人公に進んでいるのだろう、と。
少なくとも私じゃない。だって私は、戦場に立てないから。
戦いなんて身近にない平和な世界で育った私には、人を殺す覚悟なんて何年乱世を生きてきたって身につかなかった。
智略だって飛びぬけたものがあるわけじゃないから軍師なんてもちろん無理だし、元より兵法なんて理解できるわけない。
なんの役にも立っていない。正直言ってしまえば、こうして此処に置いてもらえているのが不思議なくらいだった。
「おーい、人の話聞いてんのか?」
「あぁ、すみません。聞いておりませんでした」
「そう言いつつも、お前、悪かったなんて思ってねぇんだろ?」
「さすが甘寧将軍、よくおわかりですのね」
「ったくよ〜」
そうか。この人も、いつかは死ぬのね。
ムスッとした表情を浮かべて私を睨む甘寧将軍をみて、今さらながらそんなことを思う。
キャラを育てることに夢中で、時間すら忘れてやりこむくらいには嵌っていたから当然武将データも見たが、その細部まで覚えているわけがない。
呉軍の最初には居なかった。
彼は水賊出身だからという理由で重宝されなくて、呉郡の太守・黄祖が討たれた後に呉軍入りしているはず。
違う。問題はそんなことじゃない。
重要なのは、目の前の彼が時代のどこまでいたか、それだ。
合肥のときは・・・いたよね。そのあと、夜襲かけたし。
夷陵は?
五丈原……は、呉軍じゃなかったっけ。
「なにをブツブツ言ってんだ?」
「いえ、なんでもありません。それより将軍、こんなところで油を売っていてもよろしいのですか?」
「今日の分の仕事はもう終わってんだよ」
「それは珍しいですね。いつも間に合わず呂蒙様に叱られてばかりですのに」
「あのな〜俺だってやるときはやるんだよ」
あぁ、そうだった。この人は、そういう人だ。
どうも、デスクワークは得意ではないようだけど、やろうと思いさえすればこなす。
それなら始めから本気でやればいいのに。
まぁ、机に向かって書簡を睨むなんて、この人には似合わないけど。
「それはそれは、呂蒙様も驚かれたことでしょう。常日頃からやってほしいと言われたりしませんでしたか?」
「うるせぇ」
どうやら図星だったようだ。ここで笑ったらもっと不機嫌になるだろうとわかっていても、こぼれる笑いは止まらなかった。
「笑うなよ」
「はい、すみません」
相変わらず笑いは収まらなかったが、言うだけ無駄だと察していただけたらしい。
甘寧将軍はムスっとした表情のままそれ以上言わず、違う話題に話を移してきた。
「一昨日、殿様に呼ばれてよ」
「孫権様に?」
「あぁ。俺、明後日から討伐に行くことになったんだよ。また海賊が出てるらしくてよ」
「そうですか」
無双の世界のようだが、ゲームに出てきた戦いだけが此処で起きる戦のすべてではない。
これは、私がここにきて学んだことの一つだ。
魏や蜀との戦争以外にも、名も知らぬ武将の反乱や海賊・山賊の襲来など、乱世だからこそ敵も多い。
特に呉は海や川に多く面しているから山賊だけでなく川賊や海賊にも悩まされていた。
と言っても彼は元水賊。
水軍が強いと言われている呉軍の中で1、2を争うほど海を熟知しているだろう。
「甘寧様はお強いですから、きっと海賊など退治されてしまうでしょうね」
普通に話したつもりだった。
甘寧将軍は眉間にしわを寄せていた。

「なんですか?」
「なんですかじゃねぇ。なんでそんな表情してる?」
「そんな顔と言われましても、この顔は生まれたときからこうですが?」
「……お前、気づいてねぇのか?」
「なにがです?」
意味がわからず首をかしげると、ため息をつかれた。全然わけがわからない。いったい何が言いたいのだろう。
「まぁ、いいや」












「甘寧様」
「ん、なんだよ?」
足を止めてふり返った彼に、かける言葉はなかった。
べつに用があって呼び止めたわけじゃない。
自分自身、なぜ呼び止めてしまったのか、よくわからなかった。
ただ、なんとなく・・・
「いいえ、なんでもありません。心配してくださってありがとうございました。道中、お気をつけください」
「おぅ!じゃあな」
片手をあげて、笑ったその顔はいつもの貴方。
何も変わらず、その背中を見送った。











ゆったりとした空気が流れている中庭。なんだか表の門のほうから声が聞こえた気がした。
何かあったんだろうか。
誰かに聞きに行こうとしたら、屋内から尚香様が駆けていらっしゃった。
「尚香様、そんなにお急ぎでいかがされたのですか?」
、此処に居たのね。すぐに来て!」
手を引かれるまま室内へ。
部屋にいらしたのは、孫権様と周瑜様と陸遜様。見渡せば、後ろには太史慈様や周泰様もいらした。
慌しかった。
なぜそう思うのかと言われるとわからない。動きがではなく、伝わる空気が、非常に嫌なものを感じ取らせた。
最後に呂蒙様が入ってこられたのを見ると、孫権様が顔を上げられた。
「火急のことがあったと聞きました。いったいなにがあったのですか?」
「詳しいことはわからぬが、どうやら甘寧が討たれたらしい」
「甘寧殿が?!」
「兄様、それは本当なの!?」
皆さんの表情が驚愕に染まる。
息も切れた伝令が伝えた言葉を孫権様がお伝えくださっていたが、耳には入ってこなかった。
皆が皆、信じられないという顔をしていたが、一番信じられなかったのは、私だと思う。
正直に言えば、高をくくっていた。
まだ、合肥の戦いまですらきていないのだから、彼になにかあるはずはないと。きっと無事に戻ってくるに決まっていると。
私が主人公ではないと思いながら、私は主人公であるような気持ちでいた。
愚かにも。
そんな保障、どこにもないのに。











気がつけば、中庭まで戻ってきていた。
勝手に部屋を辞してきてしまって失礼だったと思っても、戻ると言う選択肢は頭になかった。
ほんの数日前に彼の背中を見送った場所だ。
あの背中が最後だなんて思わなかった。また見れると疑ってなかった。
「違う。本当は…」
……あのとき、そんな予感がしたんだと言ったら、あなたは笑うだろうか?
なにか、表すことのできない、この胸によぎる予感のようなものがあったんだと言ったら。
笑ってくれればいい。
不吉な予感なんて感じてんじゃねぇよ、と。
俺様が海賊なんかに負けるわけねぇじゃん、と。あなたなら言うだろう。余裕を見せて笑ってくれる。
そう。いつものように笑ってくれたら。今、この場で言ってくれたら。
私もきっと、いつものように返せていたと思うのに。
ぎゅっと拳に力が篭る。
「………大丈夫。大丈夫よ。同じ、だから………」
同じだ。今まで重ねてきた悲しみと。孫堅様や孫策様が亡くなられたと聞いたときと。
同じだ。これから重ねていくであろう悲しみと。仲間を失うその瞬間と。
なにも変わらない。なんにも変わっていない。
泣いて泣いて、涙が涸れるほど悲しんで悲しんで、泣き止んだ私はまた空を見上げる。呉という国の視点から、この乱世を見ていく。
ただ、それだけだ。
それだけのはず、なのに。そうじゃないんだと、わかってる自分がいる。
「……痛いっ……」
痛くて仕方ない。父親のように思っていた孫堅様を失ったときより、兄のように慕っていた孫策様を失ったときより。
痛くて痛くて、この身が引き裂かれてしまいそう。
「……あぁ…そうか…」
気づいた。気づいてしまった。
馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ!
今さらなのに。遅すぎるのに。
好き、だったんだ。
よく話すわけでもない、接点が合ったわけでもない、あなたが。
優しい言葉をかけるわけでもない、かけられるわけでもない、そんな間柄でも、私は。
私は、あなたが好きだったんだ。
「……ふっ……く……」
痛い。苦しい。
この想いを過去形でしか表せないことが。
もう、あなたがいないことが、なにより辛い。
「甘寧様っ…!」
もし、時が戻せるなら、戻したい。
ゲームのようにやり直しが聞くなら、いくらでもそうするのに。
この想いをあなたに告げに行くのに。たとえ戦場でも、あなたを助けに行くのに。
私は、生まれて初めて、未来を知っていたことを悔いた。






















読んだ小説とはぜんぜん違う話なのですが、頭の中に言葉が浮かんできました。こんなことは久しぶりです。
書けば書くほど話がずれてゆくので削除しました。本当は甘寧、助かったんですけど、敢えて助からなかった方向で完(甘寧ファンの方、すみません)

2005/04/27



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