僕は苦いのが苦手  だから、もっと甘いほうが好き

君の好みは?  君はどっちのほうが好きなのかな?





















「士度さん?」

とつぜん名前を呼ばれて意識が鮮明になった。
心配そうに自分をみつめるのはこの屋敷の主である盲目の少女。
ここは都会の騒音から切り離された世界。緑がいっぱい溢れる広い庭で、彼女の愛犬と俺の仲間が仲良く寝そべっている。
静かでゆっくりと時の流れる空間。シンボルである大樹の下で、自分は彼女とお茶と楽しんでいたところだったと思い出す。
「ん?なんだ?マドカ」
「どうかしたんですか?士度さん、最近よくボーッとしてますよね?悩み事ですか?」
「べつにそんなことねぇよ。悩みなんかねぇし」
即座に否定したが、マドカは信じていないようだった。

目が見えない分、マドカは他のことにとても敏感だ。
考え込んでいるが悩んではいない。マドカは話してほしそうだが、内容が内容なだけに話すのは躊躇われた。
そういえば、最近マドカの唇に目が行くようになったな。

「士度さん?」
「‥悪い、マドカ。銀次たちと約束してたの思い出した」
「あ、そうなんですか?じゃあ、すぐに行ってください。遅くなるなら電話してくださいね」
悪いなともう一回マドカに謝って、俺は屋敷を出た。





雲一つ見えないよく晴れた日。
そういえば、美堂に会ったあの日も晴れた日だったな。
そこまで考えて、自分にため息を吐いた。
あの日から、俺は美堂のことばかり考えてる気がする。高があれだけのことを、何日も引きずっているのは馬鹿馬鹿しい話だ。
でも頭から離れない。コーヒーの甘さがずっと尾を引いて、俺のなかに残ってる。











気がつけば、また来てしまった古ぼけた自販機前。あの日と同じ場所に俺は立ち止まった。
本当に馬鹿馬鹿しい。なんでこんなに引きずってんだよ、俺は。

今度は違う缶コーヒーを買おうとしていたら、一羽の小鳥が肩に止まった。
どこかの富豪の家から逃げ出してきたらしいその鳥は、つい最近俺に懐いてきた新参者だ。
『ネェネェ、ワタシ、オモシロイモノミツケチャッタ』
彼女が楽しそうに、かわいらしい声で鳴いた。
「おもしろい物?」
『ソウ。コッチヨ。ツイテキテ』





笑う彼女の後をついていくと、たどり着いたのはあの日の公園。その奥。
侵入禁止の看板が立っている柵で囲われた先。
日溜まりの中、草むらの中から伸びている黒い物がわずかに見える。覗いてみて驚いた。

「み、美堂?!」

大きな声を上げてしまって慌てて口を押さえた。
変わらぬ寝息と、人の寄ってくる気配はないことにホッとする。
『ネェ、ドウ?オドロイタ?オドロイタ?』
「あぁ」

なぜか嬉しそうにさえずる彼女に目もくれず、未だぐっすり眠りこけている男を視線を注いでいた。
どこからどう見ても似ている人間じゃない。間違いなく美堂だ。
いったいなぜ?こんなところに?
もちろん此処で眠っていることにも驚いた。だが、俺には美堂が此処で眠っていることより、こんなに近くに誰かが来ても美堂が気づかないことのほうが意外だった。
さっき上げた声だって小さくはない。
こんな近くで叫んだのに、こんなに近くに俺がいるのに気づかず寝てるなんて‥
あの美堂が、余程疲れてるのだろうか?

『ジャーワタシハコレデシツレイスルワネ。アトハゴユックリドウゾ』
「お、おい!」





パタパタと飛び立っていってしまった彼女を引き留められず、伸ばした手は空を切った。
仕方なく彼女を見送り、俺はゆっくり再び美堂に向き合った。

美堂が起きる気配は感じない。
幸い、此処は侵入禁止の柵の中、しかも草むらだ。
きっとこのまま時間が経っても、気づく者がいなければ誰もこないだろう。
つまり、美堂を放り出していっても問題にはならないのだ。
なにも見なかったことにしてこの場を立ち去ろう。こんなに気持ち良さそうに寝てるのを起こすのは気の毒だろうしな。

そう思って立ち上がろうとしたら、美堂がゴロンと寝返りをうった。
「んっ‥」
「危ねぇっ!」
木からズレかけた美堂が倒れないように、俺はとっさに手を出して支えた。
「ぅ‥ん〜っ‥」

ちょっと唸り、眉を寄せたから起きるかと思ったが、美堂は再び夢のなかへと戻っていってしまった。
スースーと続く寝息にため息とも安著ともつかない息をつく。俺は美堂の体を支え直し、再び木に寄りかからせてやった。
変わらない幸せそうな寝息に思わず微笑みをこぼしていたら、ふわりと首筋を暖かい空気が吹き抜けていった。
踊り笑う風たちが、俺の髪と美堂の黒髪を悪戯に揺らしていくみたいに感じる。
風に泳いでかかるうっとおしそうな前髪をはらってやると、想像してたよりずっと幼い寝顔が露になった。

いつも無駄に偉そうな態度を取っていることと飛び抜けた博学な知識で、年齢差なんて感じたことがなかったが‥コイツって一応俺より年が下なんだよな。
そう認識すると、なぜか目の前で無防備に寝ている美堂が急にかわいく感じられた。優しく頭を撫でてやると、気持ちいいのかすり寄ってくる。
まるで猫みてぇだなと笑いながら、落とした視線がたどり着く先は半開きの唇。マドカとは違う、でも柔らかそうな唇だ。
突如なにかが切れたような抗いがたい強い衝動に突き動かされ、顔を傾けていた。
吸い寄せられるように俺と美堂との距離が縮まっていく。

お互いの吐息が感じられるほどまで近づいたところで、突然に美堂の目がパチッと開いた。
太陽の光を受けて、不現と言われた紫の瞳が鮮やかに輝く。
俺は10センチほど体を引いてそのままの姿勢で固まった。


い、いったい、どうしたら‥
この状況をなんて説明したらいいんだ?


我にかえった俺はダラダラと冷や汗を垂らしながら懸命に頭をフル回転させる。
唸りながら、なにかパッと頭に閃いたと思った次の瞬間、信じられないことが起こった。










「なーんだぁ、いたのか」










それは美堂の声とは思えないほど柔らかさと温かみを備えた声。
この世に甘い笑みなんてものがあるならまさにそれだ。
美堂は今まで見たことがないような表情を浮かべて俺に微笑んだのだ。

「み、美堂?」

途端に考え付いたことも頭から吹き飛んでしまった。まるで顔に火が付いたように熱くなる。
美堂の顔が見られなくて、顔を見られたくなくてうつ向いた。

「どうしたんだ?顔、赤ぇ」
「なんでもねぇ‥」
覗き込んできた寝惚け眼の美堂から逃げるように今度は顔をそらせた。
「でもよぉ‥」
「ッ!い、いいからもう寝てろ!」
しつこく食い下がる美堂の頭を膝の上に沈めた。美堂は俺の手を退けようとしていたが、無理やり寝かし付ける。
暫くそのまま頭を押さえ付けてると、そのうちまた寝息が聞こえるようになった。

わずか数分足らずのやり取りなのに、ドッと疲れが肩にのしかかったような気分。
特大の息をついてたら一緒に体の力まで抜けた。
「はぁー‥ん?」
後ろについた左手に仄かに温かいなにかが当たった。
ふりかえって見てみれば、あったのはあの日、俺が買った缶コーヒーと同じものだった。
美堂のことばかり見ていて気づかなかったのか。
グラグラと揺れてバランスをとったそれは、なんとか倒れずに空を眺めている。
手に取って、煙草の灰が入っていないか確認してから一口だけ口へ運んだ。
あの日の甘さはなく、やっぱり苦いような気がする。
天を差す黒髪を撫でてから、ゆっくり美堂の頭を下ろした。





ただ苦いだけのコーヒー。
わかってる。でも。





「今日は俺がもらってくぞ」
囁く程度の大きさだったせいか眠っている美堂から返事はなかった。
揺れる黒髪と再び沸いた衝動に誘われて、距離が縮まる。
少し。少しだけ。かすめるだけ。
膨れ上がった想いを込めて、その白い頬に唇を落とした。
「美堂‥」
やっぱり唇にも目がいったが、俺は拳を握りしめてその場から立ち去った。











心臓には悪かったけど、俺が触れる前に美堂の瞳が開いてよかったと思う。
なにも考えていなかったが、だからこそキスで止まれたかどうか怪しいものだ。

「‥それにしても」

なんで俺はあんなことをしたんだろう?さっきも、したいと思ったのだろう?
俺は今まで美堂をそういう対象で見たことがなかったのに。
今もそうだ。
美堂はムカつく奴で、嫌悪の対象だ。
なのに、突然なぜ‥

外へ向かう足を止めて俺はもう一度来た道をふりかえった。
太い木の幹と鬱蒼と茂る草むらに隠れされて、此処からじゃ美堂の姿が見えない。
どう思う?俺はどうしたいと思うんだ?

「まだ‥今はまだわからねぇ‥」

こんなことは初めてで、だから難しすぎて答えが出ない。こんな気持ちは初めてで、だから対処の仕方がわからない。
飲みかけだった苦いコーヒーを飲み干して澄みわたる空へと放り投げた。
汚いゴミ箱に向かって黒い缶が綺麗に吸い込まれていく。

「やっぱり苦いな」

あの日は、もう少しだけ甘いと感じた気がする。今は仄かに感じる程度しか残ってない。
口に残る甘さより触れた苦さのほうがずっと際立つ。
こんな程度の甘さじゃ足りない。全然足りない。わかってるのはそれだけ。
そのためには?つまり俺が欲しいのは?





吹き抜けた暖かい風に冷たさが混じる。
この難解な問いの答えが出るのはそう遠くないような気がした。














僕は甘いのが好き  だから、もっと甘いほうが好き

君の好みは? 甘いのが苦手?

ふーん、 僕たちって好みが合わないね




















士度の心の変化を書きたかったのに‥難しいっすね〜

2003/11/09



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